毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「大船渡の漁師さん達」 2012年6月22日(金) No.377

2012-06-22 14:03:45 | 東日本大震災
「ほぼ日刊イトイ新聞」の「仕事!論」に岩手県大船渡の漁師さん3人へのインタビューが載っていた。
昨年3・11以降、私の涙腺は特に緩んでいるのだが、
話の中で「だからさ、俺たち今、わーくわくしてんの!」
のくだりで、堪えられない涙がまたまた・・・。
何百年もの間、過酷な自然と圧政に耐えて生きてきた東北人のふんばり力が全開の話だ。
あまりにも長いので、みんな「ほぼ日」の仕事論読んでと言いたいが、
やっぱり途中まででも紹介したい。
東北弁は北海道弁と共通するところがとても多い。
何しろ北海道は東北出身者が多いからね。
私が生まれる前に亡くなった父の母(つまり祖母)も岩手出身だそうだ。
熊谷さんの言葉、なんか懐かしい響きだと思った。





── 昨年の震災で、みなさんの船は‥‥?
熊谷 流されてしまったね。

── そうでしたか。
熊谷 だで、また新しく、つくるのさ。
いま、造船所の数が足りてないもんだから順番待ちしてんだけど。
── ご予定では?
熊谷 ことし9月着工の、12月完成予定。
── じゃあ、またみなさんで漁に出る、と。
熊谷 ただよ、俺たち「震災前の状態」には、戻りたくはないのさ
── ‥‥とおっしゃいますと?
熊谷 だってよ、思い返してみるとさ、津波の前は、海は痩せてしまってたしよ
獲れたら獲れたで価格が暴落して「大漁貧乏」になるしで漁師はみーんな、きゅきゅうとしてたんだもの
── ‥‥なるほど。
瀧澤 あの状態に戻るだけなら、「復興」ではない

熊谷 それもこれも、震災直前は、貧乏ヒマなしでよ、魚を食べる人のことなんてぜんぜんかまってられなかったのが原因なのさ。
── 食べる人‥‥というのは最終的な消費者のこと、でしょうか。
遠藤 ま、これまでの漁師というのはお客さんのことをあんまり、考えてこなかったんですよね。 獲るだけ獲って、市場に持ってくだけで。

── ええ。
熊谷 でもさ、津波にやられて気がついたのは、これからはそれじゃダメなんだっつうことでさ。
遠藤 やっぱり、震災で海に出られないようになると、お客さんのことをどうしたって考えるようになるんです。
── それは、具体的にはどういった‥‥。
熊谷 お客さん、何がうれしいかってことさ。 たとえばよ、サンマでも何でもいいんだけどさ、「魚がたくさん獲れました」と。
── ええ、ええ。
熊谷 今までみたいにそれをそのまんま市場に持ってくだけならお客にとっては珍しくもにゃあし、俺らにしたって値段が安くなって「大漁貧乏」になるのさ。

── はい、なるほど。
瀧澤 だからさ、それをよ、たとえばだけどね、すぐ出さないでちょっとプールかなんかに泳がせといてさ、日にち見てからいつもどおりの岩手県じゃなくて山形に出すとか、
ちょっと冒険して北海道に出しちゃうかとか、そういう工夫をすべぇと。

── 漁師さんたちが、魚の「流通」面にイニシアティブを取れるようにしよう‥‥と。
熊谷 だってそうすりゃあ、お客さんもうれしいし、俺らも値段が上がって、うれしいべ?
遠藤 ただね、漁師がそこに関わり出してしまうと、漁師じゃなくなってしまうんです。
── 日々、漁があるわけですものね。
瀧澤 だで、チーム組んでやろうやと。
── チーム。
遠藤 これまで、漁師というのは魚を獲る個人プレーヤーだったんだけれども、魚を貯蔵しておく設備を持っていたりインターネットの流通ルートを持っていたり、そういう他業種の人と組合をつくって協働するんです。

── それは「魚を獲って、うまく売る」集合体をつくる‥‥ということですか?
瀧澤 今、いっしょにやろうやって相談してる八木さんのところにCAS(キャス)って冷凍機があんのさ。
── はい、知ってます。 八木さん、というのはインターネットで鮮魚を直売してらっしゃる三陸とれたて市場の八木健一郎さんのことですね。

瀧澤 そう。
── 以前、取材させていただきました。 そのときに「CAS」のこともお聞きしていて、それはつまり、これまでの冷凍技術とはちがい瞬時に水分を凍結させることで冷凍による「食味の低下」を大幅に防ぐ「すごい冷凍庫」であると。
熊谷 そうそう、だから、そのCASを使ったらよ、まったく旬でない時期に味の落ちてない魚を出せるのさ。
── なるほど‥‥。
「漁師さんが魚を獲る」ということ自体は以前と変わらないけど、「獲った魚が、お客さんと接する面」をいろいろ、工夫していくと。
遠藤 そう、気心知れた仲間と連携してやるんです。おんなじ考えのもとでね。
── 「漁師さんが、市場とつながる」試みですね。
瀧澤 それもよ、被災してからのこの1年、俺たち漁師が、海に出られなくてヒマだったから考えられたことであってさ。
熊谷 被災前、きゅうきゅうとしてたころなら「そんなの、かまってられるかい!」ってでっかい声出して言ってしまうところよ。

瀧澤 そういう意味では、貴重な1年だったね
── あの震災を経験したあとに「貴重な1年だった」って言えることって、
なんというか、すごいと思いました。
瀧澤 ‥‥漁場が深いのよ、岩手県て。
── はい、水深が。
瀧澤 だからよ、毛ガニでもホタテでもなんでも、そのぶん「甘み」が違ってくるのさ

熊谷 そうそう。
── 「深い」と「甘い」んですか。
瀧澤 俺たち、水深200メーターで獲ってんだけど海洋深層水が「甘み」に作用してんだと思うんだ。
熊谷 カニミソの味も違うぞ。まーろやかだから
── つまり、岩手の魚介はうまいぞと。
熊谷 おーーう!
瀧澤 だから、俺たちのうんまい魚がさ、CASだとかインターネットだとかと組み合わさったら最強だべ?
遠藤 やはり、どこの漁師だって「自分たちの獲る魚がいちばん美味しい」と思ってなきゃあ、やっていけませんのでね(笑)。

瀧澤 あとさ、ほんとはね、ここで獲れた魚は、この浜で食べるのがいちばん、うまいの。
── そうなんでしょうね。
熊谷 人には「五感」つうのがあるっちゃ、目あって、鼻あって、何だ、肌で感じたり、そういうのがぜんぶ、のどをを通ったときの味になるんだな。
── ええ、ええ。
瀧澤 ならばさ、この大船渡の浜に漁師小屋つくって俺らの漁師料理を商品にして食べさせる店をつくったら、いいと思うのさ。
── 熊谷さんたちが、この調子で料理をしてくれたりしたら楽しそうですね! 何より食べてみたいですし、漁師料理。
熊谷 ウニを溶いた醤油で食うイカなんか、うんめぇんだぞー。なあ?

遠藤 商品としても、ネットで販売したりしてね。
熊谷 どうよ、おもしろくなりそうだべ?
── はい、ほんとに。
熊谷 さっき話した、俺たちの「よかった時代」な?
── ええ。
熊谷 あれ、昭和60年代なんだけども、あの頃は、ほーんと楽しかったの、毎日が。
瀧澤 いろいろ、めちゃくちゃでさ(笑)。
熊谷 昼間はゴルフ、夜は漁でガバーッと獲ってさ、3日くらい寝ないでも平気だったのさ。
── はー‥‥。
熊谷 赤字出たって一発逆転できる浜だったから、そういうギャンブル的な意味でも、楽しかったのよ。
── 聞くだに、スリリングな毎日です。
熊谷 でもよ、その時代が終わったあとは‥‥行政なんかとも、なんだか揉めたりしてさ、魚も捕れなくなったりで、俺らの暮らしは、ずーっとダメだったの。 貧乏でせつない漁師生活、しやったのさ。
── ‥‥ええ。
熊谷 それでも、どうにかこうにか生きてやったのが、今度の津波で、どん底まで落ったっちゃ。
── はい。
瀧澤 だから、津波から復興しよう復興しようってどんだけ言ってもよ、あの、おんなじところに戻るんじゃダメなの。

── 「以前の状態」に戻るだけでは。
熊谷 でも、ほれ、さっきのCASの話から何から、津波のあとにみんなでいろいろ考えて、話し合いをしてやろうって決めたことにさ、俺たち、いま、わーくわくしてんのさ
── そうみたいですよね!
瀧澤 CASで鮮度保持して、販売ルートを考えて。
遠藤 「季節をぶっ壊す」ようなことですから。
熊谷 半年後にサンマの刺身を食べられるだとかさ、そんなの、だーれも考えたことねえっちゃ。
── それがやれるぞ、と。
瀧澤 それを、やるぞーと。
熊谷 だからよ、これから俺らがはじめることを想像したときの、この「わーくわく感が」よ、むかし、めっちゃくちゃに「よかった時代」に味わったわーくわく感に、どっか似てんの。(後略:続きはほぼ日刊イトイ新聞『仕事!論』に)

2012-06-21-THU
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