『マジック・イン・ムーンライト』を渋谷ル・シネマで見ました。
(1)前作『ブルージャスミン』が良かったウディ・アレン監督の最新作というので、映画館に出かけてみました。
本作(注1)の冒頭は、1928年のベルリン。
「Wei Ling Soo」と書かれた看板がかかっている劇場の中に入ると、中国人を装ったウェイが舞台で色々なマジックを行っています。
例えば、ウェイがツタンカーメン王の棺のようなものの中に入って、蓋を閉めて一呼吸置くと、離れたところの椅子にウェイが座っているのです(注2)。
このウェイ、実は英国人の天才マジシャンのスタンリー(コリン・ファース)。
劇場の楽屋にいる彼のところに、幼なじみのハワード(サイモン・マクバーニー)がやってきます。
ハワードは、「最後の瞬間移動のマジックは素晴らしかった。次元が違う」と褒め、さらに「飲みに行こう、頼み事がある」と誘います。
一緒に出かけたバーで、ハワードは、「占い師が資産家の家に入り込んで、予言で一家を魅了している。家族には精神分析医がいるが、見破れない。怪しい点が見つからない。本物の霊能者かも」と言います。
これに対して、スタンリーは、冷静に「本物なんかいやしない」と応じたところ、ハワードは、「それじゃあ、一緒にその資産家のところへ行って、占い師のウソを見破ってくれ」と言います。
それで、二人は、資産家の別荘のある南仏のコート・ダジュールに車で行き、噂の占い師ソフィ(エマ・ストーン)に会うことになるのですが(注3)、果たしてどうなることやら、………?
本作は、1928年のヨーロッパを舞台として、天才マジシャンと占い師とを巡るラブストーリー。二人の最初の出会いの雰囲気から(注4)、本作のラストがどうなるのか容易に見通せてしまうほど、お話は他愛のないものながら、そこは百戦錬磨のウディ・アレン監督。ラストに至るプロセスで登場人物たちに縦横に喋らせて、見る者を飽きさせません。小振りながら、味わいのある作品ではないかと思いました(注5)。
(2)マジックとかマジシャンといえば、最近では、邦画の『青天の霹靂』に親子(劇団ひとりと大泉洋)が登場しますし、また『トリック』(例えば、この拙エントリやこの拙エントリ)では、“天才美人マジシャン”の山田奈緒子(仲間由紀恵)と、物理学教授の上田次郎(阿部寛)との掛け合いが愉快でした(注6)。
また、洋画の『グランド・イリュージョン』でも、マジシャンの4人が一緒のチームを組んで、3つの大掛かりなイリュージョン・ショーを繰り広げます(注7)。
ただ、これらの作品では、ソフィのような占い師は登場せず、従って注目されるのは魔術師の行うマジックの方といえるでしょう。
本作では、スタンリーが中国人マジシャンに扮していくつかのマジックを披露するとはいえ、それは最初の方だけであり、以降は専ら、ソフィの占いの方が注目されることになります。本作がこれらの作品と異なるのは、こうした点といえるかもしれません。
としても、これらの作品と本作とが共通するのは、スタンリーのようなウソを暴こうとする人物が登場する点かもしれません(注8)。
『トリック』の上田教授は、日本各地で信じられている迷信のウソを暴こうとしますし、『グランド・イリュージョン』でも、モーガン・フリーマン扮するサディアスが、主人公ダニエル(ジェシー・アイゼンバーグ)らの大規模なマジックショーの種明かしをしようとします。
本作では、ソフィが行う霊視とか交霊とかについて、スタンリーは口を極めて批判します(注9)。
ただ、本作は、ソフィの霊視とか交霊とかについて、インチキかどうか議論すること自体よりも、それに関するいろいろなお喋りを通じて、スタンリーやソフィの本当に気持ちが次第に明らかにされていくプロセスが面白いのではと思います(注10)。
そんなところを愉しめば、細かなところ(注11)はどうでもいいのではと思ってしまいます。
(3)渡まち子氏は、「魔術師と占い師の恋の行方を描くロマンチック・ラブコメディ「マジック・イン・ムーンライト」。天真爛漫なラブストーリーは軽やかさが心情」として、60点をつけています。
渡辺祥子氏は、「端正な英国ハンサム、コリン・ファースがウディのように屁理屈を早口でまくしたてれば、かつてのウディ映画が愛した女優たちを思い出させるエマが、いまが旬の女優の輝きを放つ」として★4つ(見逃せない)をつけています。
(注1)監督・脚本はウディ・アレン。
原題は『Magic in the Moonlight』。
(注2)ウェイは、その他いろいろのマジックを披露します。
例えば、舞台中央に佇んでいる象の四囲に、寺院が描かれた大きなボードを立てかけます。
そして、ウェイがポンと手を叩くと、不思議や、ボードの中の象がいなくなっているのです。
そして、ウェイがマジックをしているバックで、ベートーヴェンの交響曲第9番の第2楽章などが流れたりします(スタンリーは、親しくなったソフィに対し、「ベートーヴェンの交響曲だったら第7番を聴くと良い」とか「弦楽四重奏曲も良い」とか言ったりもします)。
(注3)最初に会った時、ソフィが「あなたの出身は中国?」と言うので、スタンリーは「なぜ中国と?」と尋ねます。すると、ソフィは「そういう波動(mental vibration)が来たの」と答えます。またソフィは「ドイツへいらしたことは?」と聞き、スタンリーは「最近、ベルリンにいた」と答えます。ですが、最後にスタンリーが「ブラジルコーヒーを輸入する仕事をしている」とウソを言うと、ソフィは「違ったわ、彼は霊界を信じていない」とつぶやきます。
なお、スタンリーのそばにはハワードがついていますし、ソフィのそばにはいつも母親(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が付いています。
(注4)最初にスタンリーとソフィが出会った後、ソフィの母親は、スタンリーについて「感じが悪い」というのですが、ソフィの方は「良い感じだわ」とつぶやくのです。
なお、劇場用パンフレット掲載の「Production Note」によれば、アレン監督は、「誰かに出会ってその人たちにたちまち魅了されてしまうというのは、説明のつかないことだ。人はそこに理由を見つけようとする。……でも結局のところ、理由は絶対にわからない。……恋はとても複雑だ。なぜならそれは実体のないものだから」と述べています。
(注5)出演者のうち、最近では、コリン・ファースは『レイルウェイ 運命の旅路』、エマ・ストーンは『L.A.ギャングストーリー』、マーシャ・ゲイ・ハーデンは『ミスト』で、それぞれ見ました。
(注6)なお、『ザ・マジックアワー』は、詐欺師が人を騙す話しながら、マジシャン自体は登場しません。
(注7)さらには、『エヴァの告白』にも、ジェレミー・レナーが扮する手品師が登場します。
(注8)『青天の霹靂』は、父親と息子の関係をタイムスリップの中で描いており、違うかもしれません。
(注9)最初にスタンリーがソフィに会った後、ハワードが「的中してた」と言うと、スタンリーは「所詮ペテンさ。霊界など存在しない」と言い放ちます。
なお、劇場用パンフレット掲載の「Production Note」によれば、「当時の偉大なマジシャン、ハリー・フーディーニは、数多くの交霊会に参加し、あらゆる霊能者のイカサマを暴いていた」とアレン監督は言っているようです〔さらに、この記事によれば、フーディーニは、決して詐欺師を暴き立てようとしていたのではなく、死者との交信が可能なことをぜひ見つけ出したいとの願望から、そのような行動に走ったとのこと。イカサマを数多く見つけ出して失望したものの、死ぬまで彼は、来世について希望を持ち続けていたようです〕。
このフーディーニについては、『トリック』でも取り上げられています(この拙エントリの「注2」を参照してください)。
(注10)例えば、許嫁のオリヴィアに「あと2、3日で帰る」と電話した後、スタンリーとヴァネッサおばさん(アイリーン・アトキンス)との間で、次のような会話が行われます(随分と端折ったものですが)。
ヴァ「新婚旅行のガラパゴスは愉しみ?」
ス「なんで?ソフィに恋しているとでも?」
ヴァ「ソフィとも合うわけがない」
ス「ソフィはイカサマに生きる女。ただ、ソフィは恵まれない子供時代を過ごした。ソフィにも魅力はない。犯した罪は考えないが」
ヴァ「人は誰でも罪を犯す」
ス「だが、あの目は愛らしい。理論上、オリヴィアよりソフィを好む理由がない」
ヴァ「ソフィを愛しているのね」。
(注11)例えば、ラストでソフィが出現するところは、ハワードとソフィが話しているところにスタンリーが突如出現したのと同様に、瞬間移動の術で現れるのかなと思っていました。
★★★☆☆☆
象のロケット:マジック・イン・ムーンライト
(1)前作『ブルージャスミン』が良かったウディ・アレン監督の最新作というので、映画館に出かけてみました。
本作(注1)の冒頭は、1928年のベルリン。
「Wei Ling Soo」と書かれた看板がかかっている劇場の中に入ると、中国人を装ったウェイが舞台で色々なマジックを行っています。
例えば、ウェイがツタンカーメン王の棺のようなものの中に入って、蓋を閉めて一呼吸置くと、離れたところの椅子にウェイが座っているのです(注2)。
このウェイ、実は英国人の天才マジシャンのスタンリー(コリン・ファース)。
劇場の楽屋にいる彼のところに、幼なじみのハワード(サイモン・マクバーニー)がやってきます。
ハワードは、「最後の瞬間移動のマジックは素晴らしかった。次元が違う」と褒め、さらに「飲みに行こう、頼み事がある」と誘います。
一緒に出かけたバーで、ハワードは、「占い師が資産家の家に入り込んで、予言で一家を魅了している。家族には精神分析医がいるが、見破れない。怪しい点が見つからない。本物の霊能者かも」と言います。
これに対して、スタンリーは、冷静に「本物なんかいやしない」と応じたところ、ハワードは、「それじゃあ、一緒にその資産家のところへ行って、占い師のウソを見破ってくれ」と言います。
それで、二人は、資産家の別荘のある南仏のコート・ダジュールに車で行き、噂の占い師ソフィ(エマ・ストーン)に会うことになるのですが(注3)、果たしてどうなることやら、………?
本作は、1928年のヨーロッパを舞台として、天才マジシャンと占い師とを巡るラブストーリー。二人の最初の出会いの雰囲気から(注4)、本作のラストがどうなるのか容易に見通せてしまうほど、お話は他愛のないものながら、そこは百戦錬磨のウディ・アレン監督。ラストに至るプロセスで登場人物たちに縦横に喋らせて、見る者を飽きさせません。小振りながら、味わいのある作品ではないかと思いました(注5)。
(2)マジックとかマジシャンといえば、最近では、邦画の『青天の霹靂』に親子(劇団ひとりと大泉洋)が登場しますし、また『トリック』(例えば、この拙エントリやこの拙エントリ)では、“天才美人マジシャン”の山田奈緒子(仲間由紀恵)と、物理学教授の上田次郎(阿部寛)との掛け合いが愉快でした(注6)。
また、洋画の『グランド・イリュージョン』でも、マジシャンの4人が一緒のチームを組んで、3つの大掛かりなイリュージョン・ショーを繰り広げます(注7)。
ただ、これらの作品では、ソフィのような占い師は登場せず、従って注目されるのは魔術師の行うマジックの方といえるでしょう。
本作では、スタンリーが中国人マジシャンに扮していくつかのマジックを披露するとはいえ、それは最初の方だけであり、以降は専ら、ソフィの占いの方が注目されることになります。本作がこれらの作品と異なるのは、こうした点といえるかもしれません。
としても、これらの作品と本作とが共通するのは、スタンリーのようなウソを暴こうとする人物が登場する点かもしれません(注8)。
『トリック』の上田教授は、日本各地で信じられている迷信のウソを暴こうとしますし、『グランド・イリュージョン』でも、モーガン・フリーマン扮するサディアスが、主人公ダニエル(ジェシー・アイゼンバーグ)らの大規模なマジックショーの種明かしをしようとします。
本作では、ソフィが行う霊視とか交霊とかについて、スタンリーは口を極めて批判します(注9)。
ただ、本作は、ソフィの霊視とか交霊とかについて、インチキかどうか議論すること自体よりも、それに関するいろいろなお喋りを通じて、スタンリーやソフィの本当に気持ちが次第に明らかにされていくプロセスが面白いのではと思います(注10)。
そんなところを愉しめば、細かなところ(注11)はどうでもいいのではと思ってしまいます。
(3)渡まち子氏は、「魔術師と占い師の恋の行方を描くロマンチック・ラブコメディ「マジック・イン・ムーンライト」。天真爛漫なラブストーリーは軽やかさが心情」として、60点をつけています。
渡辺祥子氏は、「端正な英国ハンサム、コリン・ファースがウディのように屁理屈を早口でまくしたてれば、かつてのウディ映画が愛した女優たちを思い出させるエマが、いまが旬の女優の輝きを放つ」として★4つ(見逃せない)をつけています。
(注1)監督・脚本はウディ・アレン。
原題は『Magic in the Moonlight』。
(注2)ウェイは、その他いろいろのマジックを披露します。
例えば、舞台中央に佇んでいる象の四囲に、寺院が描かれた大きなボードを立てかけます。
そして、ウェイがポンと手を叩くと、不思議や、ボードの中の象がいなくなっているのです。
そして、ウェイがマジックをしているバックで、ベートーヴェンの交響曲第9番の第2楽章などが流れたりします(スタンリーは、親しくなったソフィに対し、「ベートーヴェンの交響曲だったら第7番を聴くと良い」とか「弦楽四重奏曲も良い」とか言ったりもします)。
(注3)最初に会った時、ソフィが「あなたの出身は中国?」と言うので、スタンリーは「なぜ中国と?」と尋ねます。すると、ソフィは「そういう波動(mental vibration)が来たの」と答えます。またソフィは「ドイツへいらしたことは?」と聞き、スタンリーは「最近、ベルリンにいた」と答えます。ですが、最後にスタンリーが「ブラジルコーヒーを輸入する仕事をしている」とウソを言うと、ソフィは「違ったわ、彼は霊界を信じていない」とつぶやきます。
なお、スタンリーのそばにはハワードがついていますし、ソフィのそばにはいつも母親(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が付いています。
(注4)最初にスタンリーとソフィが出会った後、ソフィの母親は、スタンリーについて「感じが悪い」というのですが、ソフィの方は「良い感じだわ」とつぶやくのです。
なお、劇場用パンフレット掲載の「Production Note」によれば、アレン監督は、「誰かに出会ってその人たちにたちまち魅了されてしまうというのは、説明のつかないことだ。人はそこに理由を見つけようとする。……でも結局のところ、理由は絶対にわからない。……恋はとても複雑だ。なぜならそれは実体のないものだから」と述べています。
(注5)出演者のうち、最近では、コリン・ファースは『レイルウェイ 運命の旅路』、エマ・ストーンは『L.A.ギャングストーリー』、マーシャ・ゲイ・ハーデンは『ミスト』で、それぞれ見ました。
(注6)なお、『ザ・マジックアワー』は、詐欺師が人を騙す話しながら、マジシャン自体は登場しません。
(注7)さらには、『エヴァの告白』にも、ジェレミー・レナーが扮する手品師が登場します。
(注8)『青天の霹靂』は、父親と息子の関係をタイムスリップの中で描いており、違うかもしれません。
(注9)最初にスタンリーがソフィに会った後、ハワードが「的中してた」と言うと、スタンリーは「所詮ペテンさ。霊界など存在しない」と言い放ちます。
なお、劇場用パンフレット掲載の「Production Note」によれば、「当時の偉大なマジシャン、ハリー・フーディーニは、数多くの交霊会に参加し、あらゆる霊能者のイカサマを暴いていた」とアレン監督は言っているようです〔さらに、この記事によれば、フーディーニは、決して詐欺師を暴き立てようとしていたのではなく、死者との交信が可能なことをぜひ見つけ出したいとの願望から、そのような行動に走ったとのこと。イカサマを数多く見つけ出して失望したものの、死ぬまで彼は、来世について希望を持ち続けていたようです〕。
このフーディーニについては、『トリック』でも取り上げられています(この拙エントリの「注2」を参照してください)。
(注10)例えば、許嫁のオリヴィアに「あと2、3日で帰る」と電話した後、スタンリーとヴァネッサおばさん(アイリーン・アトキンス)との間で、次のような会話が行われます(随分と端折ったものですが)。
ヴァ「新婚旅行のガラパゴスは愉しみ?」
ス「なんで?ソフィに恋しているとでも?」
ヴァ「ソフィとも合うわけがない」
ス「ソフィはイカサマに生きる女。ただ、ソフィは恵まれない子供時代を過ごした。ソフィにも魅力はない。犯した罪は考えないが」
ヴァ「人は誰でも罪を犯す」
ス「だが、あの目は愛らしい。理論上、オリヴィアよりソフィを好む理由がない」
ヴァ「ソフィを愛しているのね」。
(注11)例えば、ラストでソフィが出現するところは、ハワードとソフィが話しているところにスタンリーが突如出現したのと同様に、瞬間移動の術で現れるのかなと思っていました。
★★★☆☆☆
象のロケット:マジック・イン・ムーンライト
ラストはどんな感じで突き落されるのかと途中まで思っていましたが、さに非ずホンワカラストでしたね。
もちろん随所に、特に主人公のスタンリーの嫌味な性格なんかは、彼らしいのですが、それでも全体感は温かい作品でした。
TBこちらからもお願いします。
仰るとおり、本作は、「ほのぼの作品」で、「ホンワカラスト」で、「全体感は温かい作品」だったと思います。
それで、会話の細かいところがもっとわかればもっと面白く思えたかもしれません。