半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

RADWIMPS 18祭 「正解」

2023年03月30日 | 素敵な家族・子供との時間

家で中2次男がiPhoneで曲を聴いていたら、そこに長男がなんと同じ曲を流しながら帰宅してきました。そんなこともあるんですね~


 その歌はRADWIMPSの「正解18祭(Fes)ver」。次男が1月頃にたまたま見つけて聴き始め、その歌詞・曲に私も感動していたのですが、3月に入って長男も聴き始めた名曲です。


 ちなみに「18祭(Fes)」ってなんじゃろ?と今さらながら調べてみたら、1000人の18歳の子達とアーティストでコラボで曲を作り合唱するというNHKの企画だったのですね。その映像を観てもう涙腺が緩みっぱなし。歳のせいかこれほど泣くとは自分でもびっくり。という感じで何十回聴いても感動する曲です


 若者の多くは知っている曲なのでしょうが、オジサンの歳では若者とは違った感動があります。でもホント、子供達と一緒に聴ける世代問わない名曲ですね

https://youtu.be/xKjFYKWCDas

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サルの世界で女性がボスに!?

2023年03月29日 | 自分の時間

日経ビジネスで「おぉ~?」という記事がありました。

それは、『メスザルが640頭のトップに君臨する「高崎山の変」』という記事でした。

面白いというか、興味深い、まさにinterestingな記事です。

メスザルがトップになった、つまり「猿山のボスになった」という記事なのですが、これが「過去何十年も無かった出来事で、飼育員もびっくりしていて、本当にメスがボスになったということを発表してよいか当惑していた」という出来事だったそうなのです。

どういうことかというと、猿社会は日本人のかつての社会のよう、いやそれ以上に「序列」を大切にする社会だそうです。

つまり、我々が思う「ボスザル」というのは、一番強くて、そこに下克上を挑んだ若い力のある猿が勝つことで、新たなボスになる、という世界では無いそうなのです。

一度、ボスになったら、もう誰もが従う。明らかに力が衰えてきても、ボスはボス。年功序列、あるいは先にその地位についたものが一番という社会だそうなのです。

メスは違うそうですが、オスはそれを守る。つまり、ナンバー1がいなくなったらその時点でのナンバー2が新たなボスになる、ということが決まっている、律儀というか序列を第一にする社会だったそうなんです。

これだけでも「へ~」と思うのですが、日本人というか封建制度というか、そういった人間が作った価値観の枠組みの中での社会ではなく、ある意味、遺伝子レベル、人間よりは野生のはずのサルの社会がそうだということは、驚きでした。

ところが、そのルールを破った「メスザル」がいて、なんと、トップになっちゃった、という珍事というか、もの凄い出来事が起きたそうなのです。

ちなみに、オス社会とメス社会は違っていて、例えばオスは自分の子供が誰かわからないから、今までのボスザルは小猿が他のグループから危害を加えられそうになれば全て守るそうです。一方、メスザルは自分の子が誰かわかるから、自分の子、あるいは家族だけは守るそうです。なので、今回、メスザルがボスになったことで、自分の子ではない小猿が他のグループから危害を加えられても、知らんぷりだそうです。

これはこれで、今までの序列、習慣とは違った異例のボスが出来てしまった、ということですよね~。

人間社会も女性の地位向上と叫ばれていますが、むしろ、男性の方が弱くなって草食系、女性の方が肉食系、なんて言われる時代ですが、猿山の世界では、「暴力」と「気合い」で老齢とはいえ力が勝るオスに立ち向かい傷つきながらボスになったメスが出てきた、という、とんでもない時代が来てしまったわけです。

まあ、人間社会と比べる出来事ではないと思うのですが、なんだか凄い事だな~、と思いました。

メスザルが640頭のトップに君臨する「高崎山の変」

メスザルが640頭のトップに君臨する「高崎山の変」

大分県別府市からほど近い高崎山には野生のニホンザルが生息していることで有名だ。今、この高崎山の群れのトップにメスザルが君臨している。これは観測史上初の出来事。海...

日経ビジネス電子版

 

 

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農村文化、価値観、生活の違い

2023年03月22日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です

 いよいよ桜が満開となってきました桜は良いですよね~

 うちの近くの通りにはそれはもう見事な桜並木があり、車で通る度に「凄いな~、美しいな~」とまさに毎年感動しています。パッと咲いて儚く散ってしまう姿は日本人の心にグッとくるものがありますよね~。ところが農村ではそうではないんです。

 先週、みみずの会の代表の菅澤さんの畑のお手伝いをした際に「もう桜の季節か~」と『残念そう』に言っていました。良く農家さんから「花見っていうのは街中の人のものでよ、俺らはそんなことしている暇が無いんだよ」と聞きます。

日本人全員が花見をしているように感じますが、農村はまさに繁忙期。せいぜい山桜を移動中に目に入れるぐらいで、遊んでいる場合では無いのです。

そんな話の流れで菅澤さんが「河内桜はあんまり好きじゃ無いんだよな」と。その理由は「普通のソメイヨシノより早く咲くじゃないか。何だか気が焦るというか急かされているような気分になるんだよ」とのこと。なるほどと思いました。

私達のような街中に住んでいると、「河内桜は咲き終わって次はいよいよソメイヨシノだね」なんて悠長な事を言ってますが、農家さん達は違います。冬はそれほど多忙ではありませんが、春は草がグングン伸びますし夏野菜の準備も収穫と同時に必要な繁忙期。その時期を知らせる桜は、街中とはちょっと違った存在なわけなんですね。

 他にも農村と街中との違いはあります。例えば男女の違い。

 70歳を超える農村のお母さん達は「男と女は違うんだよ。どうやったって力仕事じゃ叶わないのだから」と、男と女の役割を明確にしています。「お茶をくむなんてことは、男がやるんじゃないよ」「今の男の人は家に帰ってもご飯を奥さんが作っていないのか?可哀想だな」というような話の一方で、「他の家とのもめ事や商売の話は男の仕事だよ。男がちゃんと前面に出てやんないと」といった感じです。

村で共同の施設の利用や祭りなどみなで一緒にやらないといけない調整仕事も多々あります。そうすると、どうしても家内と家外仕事の役割分担が必要になってきます。

また、我が師匠の高柳さんの話では「旦那というのはインドのダーナが語源で、本来は一家全員が生きていくようにお金や食べ物や一切のことを責任を持つ人のことなんだよ。今の人達の旦那さんといった軽い感じじゃ無いんだぞ。どんな集団も船頭が多いとまとまらないんだよ。だから細かい家事は任せて少し俯瞰して一家の事を見て切り盛りしていく役割が必要だったんだ」とのこと。

確かに最後は旦那さんが決める、という文化がまだ農村にはあるな~と思います。また、私より若い農家さんも「あ~、仕事、面倒くせぇ。でも親父から旦那を譲られたから俺が頑張るしか無いんだよな」と言うように、自分が旦那なんだという自覚があるのは凄いな~と思います。

 今の私達世代のように「自分が楽しい」という事を中心に考えているのでは無く、自然に合わせて仕事をする、村のしきたりに合わせて生きていくという文化、家族みんなの生活を第一優先にする思想が未だに残っている農村。そうしないと家族が生きていけなかったからでしょうが、良く言えば利他的な生き方ですよね。だから農村の農家さん達は、面倒見が良くて親切で人のために働く事を厭わない人が多いのでしょうね

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自ら根と本葉を出し学ぶこと

2023年03月15日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です

 

 いや~、春爛漫ですね

 お米農家の根本さんは既に稲の種を蒔いて育苗が始まり、畑作農家さんも春人参や春大根などの草抜きや夏野菜の畑の準備、苗の育苗でてんやわんや、農村は繁忙期に入っています。

 さて、先日の「食と命の教室」では、2月に播いたミニトマトのゴマ粒のような種が本葉を3枚ほど出し根も回ってきたので、ポットに移し替える作業をしました。

 それにしても自然界を見ると動物も植物も同じだな~と思います。植物の「種の力」は「親からもらった力」なので、その力で最初は根を出し双葉を出し、自分が生まれ落ちた環境=土に根付こうとします。適切な気温、水分があることで種に封印されていた生命力で芽吹き、親からもらった力である程度生きることが出来たら、ようやく本葉を出します。

双葉は親からもらった葉ですが、「本葉」は「自分が出した葉っぱ」。自分で出した本葉で自分で本格的な光合成を始め、そこから地力である根を更に伸ばし育っていきます。「本葉が3枚出たら移植しても大丈夫」と言われていて、もう多少根っこが切れたり新たに畑に移植されても再び根を生やしたくましく生きていく、という「自立」を迎えます。

 動物、人間も同じですよね。最初は親の力が無いと生きていけませんが、自分で動き始めエサの取り方、食べ方を学び、自力がついてくることで親は子供を追い出し、子供は自力で生きていけるようになる。ここで言う人間が親から離れて自力で生きて行ける根や本葉というのは、生物的には「自分で狩猟・採集が出来て食べていける力」となるのでしょうが、近代社会ではどちらかというと「良い大学を出てある程度の仕事に就いた状態」といったような経済的な安定になるのでしょう。

 ただ、毎年野菜を作ったり自然界を見ていると、「今の人間社会は偏っているな~」と思います。生物の究極的な存在理由は子孫を残す事です。子のために自分の体をエサにしてしまうハサミムシ、あるいは交尾が終わったら用無しになるオス、卵を産んだら力尽きてしまうメスが多いのですが、人間も究極的にはそうでしょう。実際、日本の田舎では「子を立派に育て、孫が7歳になったらもう隠居して跡を譲る」という社会でした。

 一方、今は3人に1人は結婚しない時代です。もちろん、子供がいなくても社会貢献をしながら生きている立派な方もいます。ただ、まだまだ狭き難関大学の門を目指し、一流と呼ばれる企業に就職する、あるいは起業する事が是とされる時代でもあります。良く言えば多様性のある世の中ですが、見方を変えれば生きている事が有り難いとか、家族に対する価値が薄れている社会でもあるよな~と思います。

 まあ、そんな堅苦しくなくても、気持ち良く挨拶が出来る事、相手の気持ちをわかろうとする心、自ら学ぼうとする力など、学校の成績では無く社会で生きていく根本的な非認知能力は大事だと思いますし、それは教えられるものではなく経験を通して自分で身につけていくものですよね。子供達がそういった力を身につけ発露されるよう、大人は学校の成績ばかり意識するのではなく、子供の話を尊重し良く聞くこと、本葉を出す時期をきちんと待つこと、根が張れるような環境を整え育む事を大事にしていきたいですよね

 

■中学生向け英語の寺子屋「second note」新学期に向けて募集します♪

今の小学生の大半が「英語が嫌い」で、さらに学習指導要領の改訂で中学英語はぐちゃぐちゃになっています。まず「嫌い」から「好き」に気持ちを切り替え、英語学習の楽しみ、本質的な学びを自分から行う姿勢と心を育む中学生向けの寺子屋はもうすぐ2年目が終了し、新たにやりたい子がいれば募集します。どんな子供も新学期は気持ちが新たになる絶好のタイミングです。もし、興味がある方はお声がけ下さい

 

 

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中学生向け英語の寺子屋secondnote

2023年03月13日 | 自分の時間

「second note」 という名前で、公民館で英語の寺子屋をやっています。

小学校の英語授業の弊害で、全員が「英語は嫌い」から始まった中学生向けの英語の寺子屋ですが、2年目がもうすぐ終わります。

ずっと勉強はあまりせず、でも「英語は好き」という状態で来ていた子が、今日の授業で、とうとう自らテストの復習をしてきたノートを持ってきて、30分ほどあれやこれや質問をしてくれた

その姿は感動的でもありました。いや~素晴らしい

この状態が続くならグングン伸びるでしょう。

 

 小6卒業時、全員が「英語は嫌い」という話を聞きショックを受けた私は、中1は「英語を嫌いにしない」が第一方針でやってきました。私が好きな関先生という英語のカリスマ教師も「一番大事なことは、親御さん、英語を嫌いにさせないで下さい」というメッセージで、私も同感していたのもあります。

大概、勉強なんてその教える先生が好きか嫌いかで変わりますし、一度嫌いになったらもう嫌い、という感じですからね。

ということで、限られた時間の中で、伝えられる事や教えられる事を絞り込み、「英語学習の根っこや学びへの姿勢」を育んできました。結果、1年目は、全員が「英語は嫌いじゃない。まあ好きな方」になり達成

 

 2年になり1学期はそのままでしたが2学期からは少しずつワークシートも取り入れ反復練習も開始。英語は積み上げなので、わかれば1番簡単な教科だけど、わからなければどんどん難しくなるので、2年生の2学期は「もう、半分はわからない」という状態の子もいました。ただ、一番大切な心だけは「英語は好き」が続いていました。

 

 2年生の2学期は3年生を見据える時期でしたが詰め込まないように注意しながら、育む事を基本に、しかし「そろそろやらないとまるっきりわからなくなるよ~」という話も混ぜつつ、ワークシートなどの練習も混ぜ込んでいきました。

 周りから暗黙のプレッシャーがかかる中、この寺子屋はそういった場にはせず、自らやりたくなる心を育む安全地帯にしようとやってきた結果なのか、今日、自らテストの復習ノートを持ってきたので、私にとっては感動的でほんと、嬉しかったのです

 

 私の学生時代と違って勉強するのが当たり前、塾に行くのは当然のようになっていて、そういった暗黙のプレッシャーの中で内心は嫌々で塾に行く子が多いのでしょうが、それにしても今の子供達は良くやっていると思います。

受験に向けて子供達の勉強をコントールする事は大人はある程度出来ると思うのですが、それはある意味半強制なので、やらせ過ぎると心を疲弊させちゃいます。


 自らやった学びなのか、お尻を叩かれての勉強なのかは、大げさに言えばその後の人生、学びに対する姿勢に影響しちゃうと思うんですよね。だったら取り組み意義や学びに対する姿勢、そういった心を育む事が第一だと思うのです。といっても大人数授業や成績重視の営利塾じゃ無理でしょうけど。

 来年は3年生。このまま続けるか、続けるならどうやるか思案中です。学年が替わる新学期の最初はどんなに斜に構えているように見える子供でも心を新たにするので、大切な時期ですよね~

 そして新1年生の問い合わせがあるかな?あればまた新たにやってみたいとは思っています。

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土を学ぶ「食と命の教室」

2023年03月11日 | 農的体験・生活

土曜日は今年2回目の「食と命の教室」。今年は気温が高いので花粉がすごく、花粉症の方は大変そうでした

みんなで「花粉症って何なんだろうね~」「食事が問題じゃないんですかね」など色々会話が飛び交いましたが、それにしても花粉がきな粉をばっと撒き散らしたように飛んでいるのが見える田舎の人より都会の人の方が多いというのは、何何でしょうかね~。

さて、今月の教室は前回、種を蒔いたミニトマトの鉢替えです。1ヶ月保温しながら育てたことで、ミニトマトが小さな苗と育ったので、セルトレイの小さな土だと根が回って栄養素もなくなってしまっているので、ポットへ移植作業をしました。ポカポカ陽気でハウスの中は汗ばむぐらいでした

まず、前回と同様、苗床となる土を混ぜ混ぜしてポットに詰めます。

たっぷり水をあげたあとに移植作業。高柳さんがお手本を見せてレクチャーです。

ポットに穴を空けて、そこに苗を移植していきます。そのあとちょっと押すことで根が活着しやすくなります。

これをまた1ヶ月育てることで、ちょうど畑に移植出来るぐらいの苗になります。日々のハウスの開け閉めなど管理が大切なのですが、こうやって2月に種を蒔いたものが4月に苗として畑に移せるようになるんですよ~。

お昼はいつもの通りてんこ盛り

今年初の参加者も「お昼が美味しくて」と絶賛していますお野菜だけで満足出来る食事って、ある意味、今の時代では凄い事なんでしょうね~

さて、お昼休憩の後は、「土」のお勉強です。

まず、例年と同じように実際には目では見えない土の世界を電子顕微鏡で覗いたDVDの視聴です。1gの土に1億以上の微生物が住んでいると言われていますが、そこには多くの生物の生態系があり、1つのカビがはこびることはなく、1つが多くなるとそれをやっつける酵母菌がまた増える、といったようにバランスをとっているのです。それが生物多様性の一番の特徴なんでしょうね。

その後は実際に土の見学。と、その前に、いつもおかげさま農場で使っている肥料も家庭菜園をやりたい人は買えるよ、ということで、肥料の説明。

アミノ酸系肥料、鶉糞、そして蛎殻石灰に椿油の搾りカス(忌避剤)といったようなものを説明。今年は家庭菜園をやる人が多いので、是非つかってもらえたらと思います

さて、土の現物です。これは刈草を野ざらしで積んでいるところ。風雨にさらされることで、2~3年で土になります。

こんな感じでほじくると、いわゆる「土」が出来ています。腐葉土、あるいは腐植の塊といった感じで、野ざらしにした草が土になっている様子に驚いている人が多かったです。

また、「窒素が多すぎると虫がくるんだよ。なんでも過多は良く無いんだよ」という高柳さんのお話には、「凄く感銘しました。人間も同じだと思いました。食べ過ぎるとガンや肥満などで色んな悪い物が集まってきますよね」と言う参加者も。

土の話を色々した後に、お土産のサニーレタスの収穫。今はこんもり育ってこんな感じです

みんなで、収穫タイム。これが一番楽しいですよね~

今日の活動はこれにて終了。各自から質問や感想を言ってもらい、交流タイムです。

その中でも、前回同様、食品の成分分析をしていた方のお話も興味深かったです。身内が次々と病で倒れて3人も亡くなってしまったことをきっかけに、食について勉強し直したという方ですが、

「以前は、例えば家畜のエサに抗生物質がちゃんと入っているか、というのを調べて、ちゃんと入っている、という事だけを確認していてそれ自体に疑問は持たなかったのです。それが、自分で勉強するようになってからは、そもそも抗生物質入りのエサで良いのか?と思うようになってきたんです」

とか

「コロナワクチンを推進する担当に社長から任命されて、治験が終わっていない安全かわからないものを推奨する事は出来ない、と断ったんです。会社では部署で摂取率が管理されて、最後の1人になってしまってプレッシャーが凄かったです。今は退職したので、個人的に元同僚からワクチンについて相談がきたら個人的に意見を言えるようにはなったんですが。でもこういったことを普通に話せるのはこの教室ぐらいです」

など。

それぞれの参加者に様々なパーソナルヒストリーがあり、こちらもとても勉強になっています。一昨年参加したかたもカムバックで再受講している方もいます。

今年も、楽しく刺激的に学び合っています 主催者ながら、私も毎回とても楽しく勉強になっています

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春の忙しさ、貯蔵物の美味しさ

2023年03月08日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の朝採り野菜ボックスのお手紙です

 温暖な日が続いていますね。(月)は二十四節気の啓蟄(けいちつ)で、畑ではモグラがあちこちで地表にぼこっと盛り土を作ったり、小さな羽虫が飛んだり、テントウムシを見る機会も増えてきています。それにしても3月上旬で最高気温が20℃を超えるというのは私の記憶ではありません。昨年の9月~12月上旬まで、過去100年で最も気温が高かったと聞きますが、この春はどうなるのでしょうか?

 さて、3月に入ると農村は一気に忙しくなってきます。というのも虫が動き草が伸び始める時期は、当然、野菜にとっても萌える時期なわけです。そのため、まずは畑の草を取りのぞき、元肥を入れ、畝を立て、種蒔きや苗の定植が出来るよう畑を整理をする必要があります。

また、夏野菜の育苗も始まっていて、スイカやトマトなどの種はもう1ヶ月ほど前からハウスで育苗をしています。ハウスの中でさらにビニールトンネルを張り、必要に応じて温床で育苗するのですが、日が照ると30℃、40℃となってそのままだと出たばかりの芽が枯れてしまいます。かといって開けっ放しだと温度が上がらず全く育ちません。ということでその日の天候に従って開け閉めが必要なので、毎日、気が抜けないのです。

 また、今出荷している野菜の多くは貯蔵物かハウスやトンネルで育てたものです。今の時期の野菜は12月下旬から種を蒔いて育ててきたものなので、生育中は寒さ厳しき露地では育たたないのです。しかし暖かくなってくると今までは大丈夫だった草が急に繁茂してきます。特に5月以降に出荷する春人参や玉ネギは、今のうちに草を取らないと草だらけになってしまいます。そのため、トンネルの裾を上げて上半身を突っ込みながら草を取り、その後にまた閉めて、というような面倒な作業が必要なのです。


 と同時に田んぼが待っています。田植えを4月下旬頃から始めるとすると、それまでに田んぼの耕転、畦や排水路の整備、あるいは機械の手入れが必要です。更にそろそろ種を蒔く時期で、一度、種を蒔いたらもうノンストップ。野菜と同じで毎日様子をみながら育苗し、田植えまで一直線です。こんな風にこれからの米や野菜の準備と今育っている野菜の出荷を同時にするという意味で、春は最も忙しい時期の一つなんです。

 そしてもう1つ大変なのは野菜不足です。冬野菜が終わり夏野菜が出てくるまでの繋ぎとして、真冬にハウスやトンネルで育てた春野菜があるのですが、どうしても種類が限られます。そのやりくりとして、サツマイモやジャガイモなどの貯蔵物があります。

ただ、今の時期は萌える時期。芋類は芽が出てくる時期なのです。特にジャガイモは冷蔵庫保管していてもニョキニョキと芽が出てきます。そのため芽を掻いて出荷しているのですが、見た目はどうしても悪くなります。ただ、でんぷんは糖化してとろけるように甘く成り、驚くような美味しさになるんですね

 今回、おかげさま農場の北アカリをご注文頂いた方が多いのですが、見た目はシワシワで触感はぶよぶよしていて、一般的な硬いジャガイモとは違うと思います。ところがこれが農家のみなさんが口を揃えて言う「本当に一番美味しい時期なんだよ」ということ。良く言えば超熟成ジャガイモなんですね

見た目が悪いと一般流通しないけど、実際には現場ではこっそり食べている、なんていうのが色々あるのです。サツマイモは見た目はあまり悪くならず、採れたてより熟成させた方が美味しいという事を知っている人が多いのですが、ジャガイモは芽が出たら捨てちゃう人もいます。でも、本当はそのぐらい熟成させた方が美味しいんですよ

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本:エネルギーと私たちの社会 デンマークに学ぶ成熟社会

2023年03月07日 | 素敵な本

「エネルギーと私たちの社会 ~デンマークに学ぶ成熟社会~」という本を読みました。

北欧は社会福祉が充実し、かつ、エネルギーについてもきちんと考えられている国家、というイメージがあります。

その一つのデンマークも「成熟社会」に向うために、どのようにエネルギーを考えるべきか、大きな議論が70年代にあったそうです。

というのは、デンマークはエネルギー、つまり石油などは海外に依存しており、2度の石油危機、特に1973年の石油危機直後に合計15カ所の原子力発電所を建設する計画を国が発表したそうです。これに大反発した市民団体が「エネルギー政権を民衆が決める権利」を主張するキャンペーンをはったそうです。

この対立は議会と国民を2分する大きな対立に発展し、原子力計画は膠着状態に。この時の市民側は「原発ではなく自然エネルギーと天然ガスを用いる」という方針だったそうです。

そして次の1979年の第二次石油危機に際し、政府が改めて原子力計画を発表します。それに対し、今度は市民側は「省エネルギー」に力点を置いた対抗案を提示。その対抗策のベースになったのがこの本だそうです。

シンプルに言えば、物に溢れた成熟社会で、これからは「高エネルギー社会」を選択するのか、「低エネルギー社会」を選択するのか、という事を議論しまとめている本です。

事例が沢山の切り口で出てくるのですが、例えば高エネルギー社会は新しいものをどんどん買い、使い捨てていきながらよりエネルギーを使った生活で幸せを求めていく社会。一方で、低エネルギー社会は物を長く大切に保有する事に喜びを持ち、あまりエネルギーをかけずとも自分達の時間を大切にしていくことに幸せを求めていく社会です。

そして、「今よりもっと働いて収入を増やしどんどん使っていく社会」より、「もう十分に持ったから、働く時間を減らして自由な時間を増やし、生活を充実させていく社会、つまり低エネルギー社会」を選択したデンマークから学ぼう、という本です。

 

もっともの話で、私も全く同感です。私の持論とぴったりな本でした

私は原発事故で大きな衝撃を受け、「そもそも原発に頼らなければいけない生活がおかしい」ということに気づきました。また、エコロジカルフットプリントという概念(食べ物や木々を育てる大地、空気、水、資源など、今の生活を保つのにどれだけ地球が必要なのか)というを知った時、日本人は既に地球約3個が必要な生活をしている、という事に更に大きな衝撃を受けました。

つまり、日本人と同レベルの生活を世界中がしたら、地球は2個じゃ足りなくなる、ということです。こんな馬鹿な話はないな、と今でも思っていますし、そんな生活をして地球を壊している大人を子供達が尊敬出来るわけない、とも思ったのです。

 

ちょっと私のことを書きますね。

原発事故があった時に、まず、無駄に電気を使っていること自体がそもそもの問題だと気づきました。原発は電気を作るためにあるわけですが、日常生活を見ると非常に無駄な電気の使い方をしていることに気づいたのです。

具体的に言うと、電気は火力発電であれば重油や石炭などを燃やして、原子力であれば核融合反応を使って、いずれにしろほとんどが「熱エネルギー」で水蒸気を作り、その蒸気でタービンを回して作ります。それを電線で運んでくるわけですが、それを今度は電気ストーブやIHなどに「再び熱エネルギー」に変えると50%ぐらいが損失されてしまうのです

つまり、「電気を熱に変えるほどあほらしいことはない」と知ったのです。そりゃそうです。ガスであれば各家々で燃やして直接熱エネルギーを取り出してお湯を沸かせるわけで、エネルギーの損失は極めて少ないですよね。ところが各家々が電気で発熱をしているのであれば、それは遠くの原発や火力発電所で燃やした「熱エネルギー」を、わざわざタービンを回す「運動エネルギー」に換えて、それを送電の時に抵抗で大分むだにしながら送られてきて、それをわざわざ最初の「熱エネルギー」に戻しているのです。小学生でもわかる、むちゃくちゃ非効率で不経済な話ですよね。

ということで、原発事故後、我が家ではトイレのウオシュレットの電源を抜き、電気ポットは止めて、お湯はその都度ガスで沸かすようにしました。

お茶が欲しい時にその都度飲む分だけお湯を沸かす、その手間ぐらいかけるのは誰でも出来るエコですよね。

 

また、資源の無駄遣いの話もあります。

例えば、今はLEDばかりになっていますが、私はLEDが一気に推進された時に「何を馬鹿な事をやっているんだ」と思いました。「LEDはエコ」と全世界に一気に広げられ、東京では買い換え補助金が出るほどで一気に増えていきました。

しかし、私からすれば、限られている資源を使って生きている事を棚に置き、今まで使っていた蛍光灯やライトを一気に「使い捨て」をしている愚かな行為に見えました。

一番のエコは「それを使いきり、壊れても修理して出来るだけ長く使っていくこと」だと思うのです。これは一時期、ブームになった「motainai」の精神でもありますよね。

しかし、LEDを推進するために、蛍光灯など今まで使っていた物を、まだ使えるのに大量破棄しました。まるで冷蔵庫などの家電が「年間の電気代が従来品より◎%減り、省エネになるから新しいのに買い換えよう」というキャンペーンと同様に。

そのくせ「ブルーライトは目に良くないから」と、家電製品の多くが「ブルーライトを従来品の99%カット」というPRをしています。もう20年も前にアメリカ・カルフォニア州では、夜間のLED照明で睡眠障害を引き起こすということで、州法で夜間の使用を制限しています。自然界に無かった光を創りだし、使用するエネルギーが少ないからといって健康被害は多少目をつぶってでも使おう、というのは、原発は多少のリスクはあるけどコントロール出来るしクリーンだから使おう、と言う論法に少し似ていませんか?

蛍光灯が壊れたら、随時、LEDに切り替えていく、ということであればまだ良かったのでしょうが、一気に切り替えた方が買い換えキャンペーンで経済指標も上がるし、製造側の経済効率も良い、ということで推進されました。しかし、それは経済コストの問題です。環境や資源の問題よりその時の経済効率優先で一気に変更して大量な破棄を出した事を、マスコミは騒ぎませんでした。

 

地デジのテレビもそうでした。我が家は未だにブラウン管を使っています。壊れないからです。あの時も地デジに切り替える、という名目で、大量のテレビが捨てられました。何故、壊れていないものを、使えるものを捨てなくてはいけないのか?と、うちの妻と母が怒っていたのを今でも覚えています。

昔は家電は20年でも30年でも持つように作られていました。ところが、「古い物は嫌われる、新しい物が良い」という価値観というか商業主義が日本でも広がってしまったため、「モデルチェンジ」という名のもと、次々と新しい物を買い換える文化になってしまいました。メーカー側も「長く持つ良い物を」という発想から、「5年、7年経ったらもう壊れて良い設計」にしてしまい、「買い換え」が当たり前になりました。修理費用も高いので、壊れたら買い換えるのを推奨する国になりました。motainai精神はどこかへいってしまったようです。

買い換えるということは、今までのを廃棄する、捨てる、ということです。そして新しい物を作るための資源が掘り起こされ続け、製造にエネルギーがどんどん使われていく、ということです。資源をゴミ化するのが消費なわけで、出来ればその速度を抑えたいですよね。

 

車もそうです。中古車市場的に言えば、3~4年で買い換えていくのが一番お得だと言われています。しかし、そんなことは実はないのです。我が家は10年落ちまでの中古車を50万ぐらいで買い、それを壊れたら直しながら10年乗りつぶします。壊れたら直す、というのが一番と思っています。

次々と買い換えるというのは、この本で言えば「資源を沢山使い続ける高エネルギー社会」そのものです。

車業界と言えば今は「EVだ」と世界中が騒いでいます。EUが先導したキャンペーンですが、無理やり推進するEUに対して日本の政府が舵取りが甘かったので、日本でも推進するしか無くなってしまいましたが、これも「見た目はエコ」に見えますが、実際は環境破壊や資源の無駄遣いや競争を生んでいる「高エネルギー社会」の実例だと私は思います。SDG'sと同じで、見かけ上は良いことをやっているように見せて、実体はエコでは無い、という典型です。

アメリカはもちろんEUも「その産業が世界的競争で勝つために規制を作る」のが当たり前です。日本人はのんびりしていて、安全とかのために規制があると思っていますが、そんなことはありません。

例えば、日本の車が世界を席巻した時に、欧州自動車業界は燃費でも勝てない、コンパクトさや乗り心地、コスト競争でもボロ負け。それで出てきたのが「日本車は燃費を追求してフレームを軽く作っていて壊れやすい。EUでは剛性など安全基準を作って、それをクリアーしていないのは売れないようにしよう」として規制を作りました。それでボルボなど「事故でも安心」というPRで一気に復活しました。

ところがそれも余裕で日本は改良してしまったので、今度は「排ガス規制だ」と言うのを作りました。そうしたら、今度はお膝元のフォルクスワーゲンが偽装で排ガス規制をクリアーしていないことがばれてしまい、大問題になった事件にまで発展しました。

そんなこんな動きがある中で、4年ほど前のEUで大々的にドイツを中心に爆発的に広がった「地球温暖化を防がないとこのままでは大変な事になる」という警鐘の波は、排ガス規制とも絡み合い、世界で最先端の環境先進国が集まっているEUとして、一気にEVシフトを戦略的に決定しました。当たり前の話と言えばそうなのですが、環境問題だけでなく、自動車業界とくっついて出てきたのがEV推進です。

自動車開発で遅れていた中国、環境と自動車業界の復建を目指すEU、国の基幹産業である自動車業界を守らないといけないアメリカは、今までの内燃機関=エンジン開発とは切り離され、全く新しい技術で一から勝負が出来るEVに国を挙げて無茶苦茶な補助金を出して、デファクトスタンダード競争に打って出ました。

LEDや家電と同じで、ハイブリッドや古い車を破棄してEVに一気に切り替えた方がエコなのか、というと、そうではなく、むしろ無茶苦茶な大量廃棄、そして買い換え、そして、爆発的な資源の乱開発が起きています。とても環境負荷が大きいのです。

この前、トヨタの豊田社長がついに会長に退きました。豊田社長は本当に素晴らしい経営者だったと、私は尊敬しているのですが、昨年までは「EVにシフトしようとしている世界に対して、日本政府は何も対策を打たない。自動車業界は日本の基幹産業の1つで、このままでは日本の産業がダメになる。雇用も失われる。日本もなんとしてくれ」と、必死に訴えていました。

日本一の会社はトヨタであり、日本の産業はやはり自動車が軸で、そのサプライチェーンの中に多数の会社、技術、雇用が関わっていたからです。その中心がガソリンエンジンでありEVへのつなぎとなるハイブリッド車だったわけです。

そして、EVはもちろん、ガソリン車もハイブリッド車も平行で進めていくんだ、フルラインナップでやっていくんだと豊田社長が頑張っていたもう1つの理由は、リチウム電池など電気自動車には大変な環境負荷があり、資源採掘競争があり、決して地球全体ではエコではないのにも関わらず二酸化炭素排出量だけを規制して、そこだけを考えているヨーロッパの異常な規制に反対をしていたわけです。

あるいは日本政府として、あえてEVへうって出るなら同様の補助金を出して国を挙げて世界と戦わなければいけないし、そうではなくトヨタのようにフルラインナップでバランスを取りながらやっていくのか、どっちに方針の舵を取るのか決めないと、自動車業界は後手に回ってしまう、という危機感からでした。

ところが、日本政府はもたもたして、その第一陣の波に乗り遅れてしまいました。トヨタは独自でリチウム電池の鉱山開発に着手しつつ、同時に一番良い落としどころを探していましたが、ついに、中国・EU・アメリカの攻勢にこのままでは負けてしまうと判断し、EV主体に切り替えるべく、戦略転換を行うことになり、後任に社長を譲りました。

もう30年前だと思いますが、トヨタがプリウスを出した時に良く言われていましたが、「プリウスを1台作る時に、膨大な二酸化炭素が出るから、結局ガソリン車と比べてエコではない」ということ。それが今も起きています。

ちなみに、これは原発の論理と同じですね。

原発推進派は、原発を稼働している時に二酸化炭素の排出量は少ないから「エコでクリーンなエネルギー」と言いますが、安全基準を満たすための建設コスト、あるいはウランなどの資源採掘、そしてそれを運び込み、、、という事を考えると、決して二酸化炭素排出量は少なくなく、かつ、原発誘致や安全保障のために多大なお金が支払われ、稼働中も多大な管理コストがかかり、かつ事故が起きた時は取り返しがつかない、と言うことを計算に入れたら、決してクリーンなエネルギーでもエコでもないのです。ランニングコストだけ見るのではなく、開発から最終処理までのトータルコストで考えれば、原発は経済効率は悪いわけです。

今の電気自動車は決してエコでは無く、ちょっと言葉を悪くすればクレージーなレベルだと私は思うのですが、その資源競争で世界が大変な事になっており、かつ、電気は再生可能エネルギーを使えば良い、ということで邁進しています。だから「電気が再生可能エネルギーだけでは足りないのだから、原発も必要だ」という論理になるんです。

それは40年前のデンマークの原発反対派の論理と同じですね。「足りない分は再生可能エネルギーで補填すればよい」というのでは、結局、「どっちが経済効率が良いか」という同じ土俵の議論になってしまったわけです。

その議論から次元を変えたのが、2回目のオイルショックの際に「そもそも、電気を無駄に使う高エネルギー社会に未来があるのか?」という投げかけをしたこの本なんですね。そして、「幸せというのはGDPといったお金に換算する指標では表わせないものである」という事、それが「低エネルギー社会であり成熟社会のあり方である」という事、そういった事を言えるのは、政府や産業ではなく市民であるということ。

 

地球環境問題を本気で議論するなら、全体最適を考えていたトヨタの豊田社長のフルラインナップで計画的に変化させていきながら、最適解を世界ですりあわせをしながら進めるべきなんですが、それは国家間の競争があるから、理想論に過ぎないと言われてしまうでしょう。でも、そういう事を続けてきたから、地球温暖化はここまで来てしまったわけですよね。

環境問題も経済優先で話を進めるから、「誰が一番早く動いて先行車メリットを受益するか」といった競争になってしまう。

 

じゃあ、今のデンマークがどうなっているのか、というと、この本はもう何十年も前の本なので書いていません。ただ、その何十年も前に、「生活の豊かさはGDPでは測れない」という思想のもと、無駄なエネルギーを使わない、という発想に立って政策を作り、様々な解決策を実行してきたという事例が沢山あること自体、今でも参考になるのは間違い無いと思います。

 

ちょっとしたことの例として、本に書いてあることを抜粋すると、例えば、昔は徒歩や自転車で通える場所が仕事場だったのが、今は校外に家を建て車で30分かけて通うのが当たり前になってしまった。一見、幸せな生活になったようで、実際はその自動車の維持費やランニングコストをまかなうために働く時間も増え、かつ通勤時間は結局は変わらない。

昔は食物を作ったり買ってきて家で作るのが当たり前だったのが、外食中心になることで、作ってくれる人の人件費やお店の利益の分まで含めて高コストで料理にお金を払うようになった。そこで外食の時間は楽しみになっている反面、自分で作るよりもより多くの時間を働いてお金を稼がなくてはいけない生活になった。

今の人が趣味と言っているキャンプ、釣り、DIYなどはそもそもは日々の生活の仕事の中にあって、そもそも仕事には楽しみがあった。ところが今は組織の中の一部で区切られた仕事をさせられるので、仕事への誇りや楽しみが失われ、その穴埋めとして余暇にお金をかけて趣味の時間をわざわざ持つようになった。

どれもGDPには表されることで経済的に幸せになっていると思ってしまうが、自分でやるのではなく外部から持ち込んだり使い捨てて新しい物を買ったりと、高エネルギーを使った社会を維持するためのお金を稼ぐために、自分の人生の時間を使わなくてはいけない、というので本当に良いのか?という投げかけが、この本には細かく書かれています。

今の日本では半農半Xだとか、田舎暮らしといった切り口で、都市部の消費社会から離れようとしている人が爆発的に増えていると思いますが、これを「高エネルギー社会」と「低エネルギー社会」という切り口で分けてみる、という視点は、案外面白い視点かな、と思います。

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花粉が凄い!

2023年03月03日 | 自分の時間

花粉が凄い

私は花粉症じゃないので直接の害はないのですが、車が花粉だらけ

うちの車だけじゃなく、お隣さんも周りで走っている車も、もう花粉だらけです

今日の朝の天気予報で

「飛散量は『非常に多い』です。この『非常に多い』は1日で1㎠センチで50個以上が基準なんです。ただ、今日は1000個以上の予報なんです」

と言っていました。

「非常に多い」が1㎠で50個ぐらいからなら、1000個なんていったら「尋常なじゃいほど多い」という基準があったら、そういった表現の方が正しいぐらいですよね

洗車してもすぐに汚れるから、自分で水で洗い落とすぐらいやりましたが、ここまでの花粉が連日続いているのは初めてかも。ホント凄いです。

まあ、車の汚れ程度でびっくりしている私ですが、実害がある多くの花粉症の方々にとっては、今年は本当に大変な事になっているんでしょうね

 

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普通の有り難さ、喜び♪

2023年03月02日 | 自分の時間

今日は普通に暮らしています。

胃腸炎になり、昨日はバナナ半分でお腹がいっぱいになる、というように、まあ、胃袋が小さくなっているというか、荒れているというかで、食欲がそれほどなかったのです。

去年のコロナの時に購入したレトルトの高級おかゆがあったので、今朝とお昼はそれを食べました。美味しかった

 

また、腰が人生でこれほど痛かったのはなかったのではないか、という痛みが、ようやく引きました

いわゆる一般的な腰痛と違って、仙骨の中心というのでしょうか、そこがズコーンと砕けるように痛かったのです

出産の時の痛みとか、ガンになった時の痛みって、こういうのかもしれないな~と思いながら、もう寝るのはあきらめて、ひたすら腰をマッサージすることに明け暮れたのが火曜日の晩。それが昨日の晩は気にせずに寝れたので、朝起きたら「うわ~、ちゃんと寝れた。なんて幸せなことでしょう」というのが目覚めの一番の喜びでした

10年前ぐらに農業手伝いをやり過ぎて体を壊し、3日ぐらい動けず、その後も体が戻らず今になっておりますが、あの頃は、日々生きるのがつらいほどでした。あの時期は1ヶ月の内に体調が良い日が3日あるかないか、という感じでしたので、それを思うと、だいぶ体が回復したな~と思います。

そういった積み重ねがあって今、生きているわけですが、12月から出版業務を中心に駆け抜けてきたので、疲労が溜まっていたということもあり、それが気が抜けた時に胃腸炎という形で発症した、というのもあるのでしょうね。

体を労ること、仕事もボチボチが良い事、改めての学び治しです。はい

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