半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

「日本ほうれん草やまと」 に大変お世話になりました

2021年12月25日 | 自己紹介・このブログについて

今年1年の野菜作りを振り返ると、全体的に昨年より恵まれていたと感じます

昨年はやっぱり雨が多かったし、夏は暑かったし、異常気象を感じる年でしたが、今年は2月がとっても暖かくて暖冬を感じましたが、夏はまあ適度な雨も降り、季節の狭間で雨が多かったり色々ありましたが、昨年と比較すると良かったと思います。

その中で、私の畑でいえば、「日本ほうれん草やまと」 に大変お世話になりました

私が作っている栽培物は、ニンニク、ラッキョウ、スナップエンドウ、大根、小松菜、ホウレン草、春菊、カボチャ、空心菜、人参、ゴーヤ、キュウリ、インゲン、ウリ、サツマイモ、ヒマワリ、といったものです。

空豆はアブラムシが多いので止めてしまいましたし、落花生はネズミか何かが酷いので止めてしまいました。

また、ホウレン草は「日本ほうれん草」という昔の部類のほうれん草で、なかなか畑が肥えていないと良い塩梅では育たないのですが、今年はがっつり種を蒔いてみました。その結果、出荷が出来るぐらい大量に育ったのです

今年は気候が良かったので、カボチャが早く上がりました。その結果、栽培スペースがきちんと確保出来た事。それでいつもあんまり良く出来ない日本ほうれん草やまとを、「美味しいけど出荷出来るほどは作れない」という今までの状態を打破すべく「今年は沢山まいてみよう」といつもの3倍ぐらいの種を蒔いてみた結果、まあ、良く出来たのです

ということで、秋から今も「ほうれん草には困らない」日々を送っています

改良種ではあるのですが、やはり日本ほうれん草は西洋種と違って、この時期はごわごわしていてがっしりしていて、何より赤茎が砂糖のように甘い美味しいんです

西洋タンポポと日本タンポポの違いのように、一般的なホウレン草は、ほぼ西洋種。葉が丸みを帯びてきちんと立って育ちます。一方、日本ほうれん草は葉がギザギザしているので茎の比率が多くなり、かつタンポポのように地べたに這いつくばるように育ちます。

見た目や収量など面倒な事が多く、まあどんな野菜もそうですが、美味しさより流通のしやすさを最優先して作られてしまっているので、日本ほうれん草はなかなかお目にかかれません。しかし、「味がやっぱり違う。美味しい」ということで、作り続けています

霜が何回も降りて「寒締め」となっているので、子どももパクパク。今年は豊作で、販売も出来、そして野菜に困らない生活を送れています。本当に大変お世話になりました

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雨でも楽しく「田んぼと畑の耕育教室」!

2021年10月17日 | 自己紹介・このブログについて

10月は収穫の秋

この(土)(日)の「田んぼと畑の耕育教室」では枝豆の収穫&シルクスイートの収穫&天日干し米を沢山食べました

シルクスイートは今年も豊作

お芋掘りはみんなやっぱり好きですよね~

また、人気スポットになったのが籾殻の山。

先月もなかなかの人気でしたが、今回はさらに人が集まり、ひたすらずっと1時間ぐらい遊んでいる子ども達でした

そして日曜日は

キャンセルもあったけど、それでも70人以上が来て、雨の中、テンション上げてもらって楽しんでもらいましたよ~ 

それでも頑張ってみんな収穫し、お昼もたっぷり、根本さん家の柿も美味しかった

昨日が運動会であったご家族が多く、今日は雨だしどうかな~、と思っていましたが、みんな沢山来てくれました

有り難いですね~

みんな元気、お土産たっぷり、雨なんてへっちゃっらです

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晴れが続いて畑仕事!

2020年01月31日 | 自己紹介・このブログについて

いや~、ようやく晴れてきました

なんでも、10日間で1時間以上日照があったのが1回だけ、という状態でしたから、いかにこの冬は雨や曇りが多くおかしなことになっているか、というのがわかります。

夏が猛暑になり「最近、おかしいんじゃない?」と街の人も気づき始め、そして一昨年の西日本豪雨、昨年の東日本の台風と長雨で、日本全国「ちょっと、気候がおかしいよね?」となってきた気がします。

農の現場では10年前から「何十年も農家をやってきて、こんな気候、初めてだ」という言葉が飛び交ってきました。

ついに、それが日本国民全体の意識にも出てきた気がします。

それほど、この冬は曇天・雨天続きで、しかも暖冬でした。

 

何より、雨が降り続けると畑に入れないのが農の現場です。

私の家庭菜園の40坪ぐらいの畑も、久々に草刈が出来ました

久々に2時間半ぐらい、がっちり畑に入れると、お天道様の有難さを感じます

草刈メインで、作物は今はほとんどありません。

 

越冬させて春に収穫するのがスナップエンドウ。

品種を寒さに強い「スナップ753」というのにしているので、ここ2年、霜でやられていましたが、今年はほとんど生き残っています

まあ、暖冬の影響もあるのでしょうしょうね。

 

こちらはラッキョウとニンニクです。秋のお彼岸までに植えて、6月ぐらいに収穫します。

毎年順調です

ホウレン草はかなり食べられています。これはおそらく野鳥ですね。

ブロッコリーの葉っぱなども良くヒヨドリみたいのがついばんでいます。

冬は青草が少なく、柔らかく美味しい葉物は、鳥さんも大好物

 

これはまだ葉っぱがしっかりしているホウレン草。

ギザギザ葉の日本ホウレンソウです。

今の子供達は、ほぼ、日本ホウレンソウを食べた事がないでしょうね。

西洋より収量は少ないのですが、やっぱり美味しい

 

ちなみに、いつもは冬の寒さで完全に枯れる春菊が枯れていません。

このままいくと、新葉が出てきて春に春菊が食べれるかも

 

まあ、こんな畑ですが、草刈りをすると色々な雑念が湧いてきます。

それもふと、青空を見上げると気持ちを切り替えられます。

そういった畑仕事、やっぱりいいです。

人は体を動かさないとろくな事を考えませんからね。

そして食べものを供給してくれる畑とお天道様に感謝です

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フォルケホイスコーレ

2019年11月18日 | 自己紹介・このブログについて

先日、寺田本家のお勉強会に行ってきました。

というのも、私がずっと考えている「大人も子供も学べる寺子屋のような第2の学び場」の参考として、北欧にある「フォルケホイスコーレ」に関わるデンマークの人がやってくる、という事だったからです。

前置きですが、私は大学のサークル活動をやっている時ぐらいから、「誰でも、今は輝けなくても、その人が輝ける場が必ずあるはずだ」という思いを持つようになりました。

そして、勉強なりサークル活動なり何なりと、良くわからない問題を自分で理解し体得したものを、新しい人にわかりやすく教える事が、特技であり、自分が大好きであることにも気づきました。

サークルでも「パッション先生」と呼ばれていて、教育は自分の転職と気づいていました。
ただ、「好きなものはやらず苦手なものを選ぶ」という習性があるため、先生にはあこがれがあったものの、教育には進みませんでした。

しかし、大学時代に「誰でもその人が輝ける場が必ずあるはずだ」という信念と、社会人3年目ぐらいで出会ったcoactive-coachingの「誰1人間違っている人はいない」という鉄則を学ぶことで、自分の中の人に対する芯は固まっていきました。

その後、まあ色々ありましたが、自営業になり、疑問に思う事を自分なりに学び続けてきました。

そして、子どもの問題をとやかく言う大人がいる世の中で、「そんな子供を育てたのは大人じゃないか」といつも思っていましたし、そんな大人が出来てしまう理由は「社会のせいじゃないか」という思いになり、結局は、大人が学ばないと社会は良くならない、子ども達のためにもならない、という結論に達しました。

良く「勉強しなさい」という親が沢山いますが、ずっと思っていることは「でも、、そう言う親が子ども以上に勉強していないじゃないか。それならそう言う権利はないでしょ」という思いを持っています。

だから、私の場合は、自分が学んだ以上のこと、自分が努力してきた以上の事を子どもには絶対言わないようにしています。

子どもに言えるように、あるいはお手本になれるように、自分を磨くのが大人の責任だ、と思っているのです。

だから、「大人も子供以上に学ばないと」という思いに至っているわけです。

その形は学校とは違うオルタナティブ、日本語訳としては「代替となる」学校ということで、「オルタナティブスクール」というものが必要と思ってきたのですが、オルタナティブという単語は日本ではそれほど浸透していないので、「第2の学び場」「セカンドスクール」というコンセプトで、学び場を作りたい、とずっと思ってきたわけです。

で、体調も少しずつ整ってきたので、今年はその1歩としてちょっと家庭教師をやったり、「セカンドスクール」の形を具体的に考えてきました。

しかし、どうも「大人の学び場」というのがすっきりはイメージがつかない。

そんな時に出会ったのが北欧の「フォルケホイスコーレ」だったのです。

「フォルケホイスコーレ」は、北欧にある大人が行く民間大学みたいなところで、私の考えにまさにぴったりくるものでした。

具体的には寮生活をしながら勉強を学び直したり、陶芸や大工仕事など趣味や職業訓練も出来ますし、また、サマースクールのように2週間とか1週間といった短期滞在型の学びの場もあります。

海外によくある短期集中型の研修のリトリートのような感じで、集中してコミュニケーションを取りながら自分の変容を目指すものもあります。

あまりそういった研修を受けている人は日本では一部大企業や外資系の企業、あるいは人事の人しか知らないでしょうが、私が受けたco-actve-cochingの研修では、そういったことに関心がある人が沢山来ていました。

で、先日、成田で開かれた「オーガニックフェス」でお友達が寺田本家さんの今回の企画のチラシを私にくれたのです。

そこには「デンマークの食と学び」についてが書いてあったので、寺田さんのブースで当主の奥さんに「私、最近、フォルケホイスコーレに関心があるんですよね~」と話したら、寺田聡美さんが「凄い!ちょうど、今回来る人がフォルケホイスコーレをやろうとしている人が来るんですよ!」と教えてくれたのです。

そんな感じで参加してみた寺田さんの所の勉強会。

内容としてはデンマークの「民主主主義」がいかにつくられているか、という事がほとんどでしたが、よくぞまあ、そこまで民主主義を頑張って活かしているな~と思いました。

まあ、その内容はさておき、フォルケホイスコーレの事が少しわかりました。

予習として、たまたまネットでスウェーデンのフォルケホイスコーレの論文を見つけて読んだところ
・大学はエリート向けだったが、民衆にも学ぶ場が必要ということで始まった
・ところが、戦後、国が国民全体が勉強出来る場として学校を作り替えていったので、そういった民衆向けという位置づけのフォルケホイスコーレの位置づけは低下した
・今は、高校をドロップアウトした人、大学に行けなかった人、移民で言語教育が不足している人、あるいは就職に必要な技能が身についていない人が、社会できちんとした仕事を得るための「学び直しの場」としてフォルケホイスコーレがある

ということが分かりました。

あれ?これは私のお持っているのと違うな~と思って、今回の寺田さんの勉強会で聞いてみようと思ったのです。

ところが、聞いてみると「スウェーデンとデンマークは違うのです」という事でした。

デンマークのフォルケホイスコーレは
・もともとギャップイヤー、つまり、高校卒業後、あるいは就職や大学に行く前に1年間、自分で興味がある事に時間を費やす習慣が普通にある
・そういった文化の中で、社会人になっても退職後、例えば陶芸をやったり、と必ずしも就職のためではなく、自分がやりたいと思っていたことをやるという文化がある
・高福祉国家として、そういった時でも生活が保障されているから、好きなように出来る
・国としても、認可したらそのフォルケホイスコーレを設立した団体に運営費の半額を助成する、といったことがある
・そういった「誰もが好きなことを学ぶ権利がある」という民主主義が徹底している
ということでした。

これは日本と根本的な歴史や文化の違いで、国民の「学び」に対する民度も違うわけです。

日本という国家がそういった民度には、そう簡単にはならないだろうな~、と思ってしまいました。

ただ、誤解してほしく無いのですが私は日本の教育のレベルは高いと思っています。

海外の教育が素晴らしい、という人の中で、日本の教育を批判する人が多いですが、きちんと学べば、日本の教育は世界トップレベルだという事がわかります。

それは「誰もが広く学びを得れるよう」に徹底的に作られているからです。

例えば、集団行動、マナー、と行ったところで言えば、韓国のトップレベルのビジネスマンは日本の企業風土を学びに、お金ではなく企業経営を学びに転職してきます。

あるいは、アフリカやアジアの学校が、日本のカリキュラムを学んで学校を作っています。

海外は、人権尊重、民主主義で素晴らしい、というイメージがありますが、逆に言えば、「最初から仕事につくための目的的な学校」という位置づけが強く、「出来る子は上へ行きなさい。出来ない子は就職しなさい」と、身分が成績でしっかり決まる文化があります。

「出来ない子は出来ない子なりに自分で選択を考えて進めば良い」という感じですね。

日本は逆に「頑張って出来る子になりなさい」という文化です。

一長一短がありますが、「1億総中流社会」になったのは、このおかげです。

ただ、その締め付けがどんどん強くなっていっている気がします。

特にアメリカの影響のせいでしょうが、地域文化や歴史文化が壊されてきたために、「もっと学校で教えなくては」という流れになり、集団教育からしつけ、あるいは道徳まで学校で教える状態になりました。

学校に深入りしている私だから、その辺の人よりは詳しいと思うのですが、知れば知るほど「まあ、よくぞそこまでやってくれるな」と学校には頭が下がる思いなのです。

それだけ、今の日本は学校の依存しているのです。

逆に言えば、今の公教育が欧米と同じになったら、例えばサッカーやラグビーでゴミを拾ったり他国の国家を歌ったりして賞賛されている日本人らしさ、というのは無くなってしまうだろうな、というのが私の思いです。

と、話がずれましたが、大人が自ら学ぶような場、という意味で、デンマークのフォルケホイスコーレのようなものは日本ではまだまだ合わないな、と思ってしまいました。

ただ、ファシリテーターの人が「日本でも一応、3つ、フォルケホイスコーレがあります。また、そのままの形でなくても、例えば、国がお金を出して若者を地方で1年間、魅力を発掘させて起業させたりする『地域起こし隊』がありますが、あれも形はちょっと違えどフォルケホイスコーレみたいなものですよね?今の若者はきちんと情報を発信すれば反応してくると思いますよ」といった話をしてくれました。

なるほどな~、と思いました。

私も色々考えていますが、私の基盤は「農村」にあるわけだから、もともとやっている事業を中心に、カリキュラムやプログラムを追加して整備する形で設立した方が、筋が通るな、と。

この勉強会中、私は耳で刺激を受けながら頭は自分の「セカンドスクール」の作り方を色々考えながら構想を紙に書きつけていた時間になりましたが、「吸収する場」としてよりは、「刺激を受けて自分を活性化する場」として、しばらく久々に外に出てみるのもよいな、と思いました。

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はじめに~何かしらのご縁で、このブログを読んでくださる皆様へ~

2009年04月14日 | 自己紹介・このブログについて
<自己紹介>
こんにちは、アツです。2008年秋に、パニック障害、という精神的な病気になり、2週間会社を休みました。それまで、12年間、バリバリ働いてきましたが、自分で「最終的にはビジネスには向いていない」ということは、自覚をしていて、ただ、会社の仲間とみんなで仕事をしていく中で、「せねばならないこと」に対する責任感と、自分の心の中にあるものとの乖離が起きて、最終的には病気になったのだと思います。
 病気になったことで、本当に、自分の人生が変わりました。本当に、病気は、神様からのお告げみたいなもので、本当に今では、有難い、来るべくして来てくれた、と感謝しています。
 
 病気になった時、たまたま、妻が、「生活クラブ生協」の会員であり、そこで紹介されていた「半農半Xの種を撒く」という本を購入してあって、それを会社を休んでいる時に読んだのがきっかけで、「こういった生活っていいな~」と思うようになりました。パニック障害、というのは、電車やバスにも乗れない、すぐに気持ちが悪くなってしまう病気で、当時は、本当に苦しい思いをしました。で、休みの最後の方で、せっかくの休みだから、この「半農半Xの種を撒く」に載っている方々のところに行ってみたい、と思いました。精神的な病気でなよなよしていたのですが、頼れる我が妻が後押しをしてくれ、「鴨川自然王国」と「ブラウンズフィールド」、という千葉県のすばらしい場所に行けました。夏頃から、「べランダ菜園」を始めていたこともあり、「土に触れる生活」に対する欲求が高まっていったのと、このすばらしい場所に出かけたことをきっかけに、その後、週末は、ほとんど、農的生活に関係ありそうなところへ出かけるようになりました。会社も、病気の私を暖かく受け入れてくれて、時たま気持ち悪くはなりましたが、無理はしないよう、環境を整備してくれた為、辞める、というより、体調の様子を見ながら仕事をさせてもらいました。
 ただ、世界も、そして日本もどんどん不景気になり、私が勤めていた会社も、どんどん業績が悪くなり、リストラの嵐が吹く中、「このまま100%戦えない自分がいるのは会社にとっても自分にとっても良くない」という思いが募り、2009年3月末をもって、退職をさせてもらいました。大学卒業後、12年間、1つの会社に勤め続けましたが、本当に、最後は感謝の気持ちをもって退職が出来ました。
 
 そして、今(2009年4月現在)は、退職後、新居を探し、新しい「半農」が出来る暮らしの場所、そして、「X」を求めるスタートを切りました。そんな、日々の生活の事、出会った人、体験した事などを「自己表現」するために、ブログをはじめました。
 
 現在、家族は妻と、子供2人の家族です。1人目は、6月で3歳、2人目は、ちょうど3月末に生まれたばかりで、今は、炊事・洗濯などの家事全般と、1人目の遊び相手、そして、新居探しが日課です。

 新しい出会い、新しいご縁を大切にしながら、これから、心が満ち溢れる生活を目指していきたいと思います!

<このブログについて>
 このブログは、2009年4月から書いています。在職中は、なんだかんだいって、ブログを書く余裕が無かったのと、ブログの書き方がわからなかったからです。ただ、時系列に書いた方が、自分が何をしてきたかの整理にもなりますし、読んでくれる人もわかりやすいだろうと思いますので、あえて、過去のものは、その時の日付で書いています。


◆2008年秋~2009年3月◆
→農的生活に関心を持ち始めてから、退職を決意し、実際に退職するまでの生活を綴ります。(と思いましたが、昨年のことを書くのは、やっぱりいいや、という気持になりましたので、やめました)

◆2009年4月~◆
→退職後、いよいよ、新しい生活に向けて、歩み始めた軌跡を綴ります。

その他、番外編で、世界一周したときのことなども、時間を見つけて書こうと思います。

では、よろしくお願いします!
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