半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

初めての電子回路作り

2019年08月30日 | 素敵な家族・子供との時間

夏休みももう少しで終わり。

っていうか、同じ市内でも既に始まった中学校もあったりと、地域で始業式って違うものなんですね

さて、今週1週間は仕事から帰ってきたら、ひたすら小5の息子の自由研究のバックアップをしていました

 

昨年は、「回転しながらパクパクする魚を釣るおもちゃ」を作りたい、となって、あれこれ手伝ったのですが、最後はモーターをダイレクトにつけて「高速回転する魚釣りおもちゃ」が出来ました

 

そして、今年はなんと「立体ゾートロープ」

昨年、三鷹のジブリ美術館に行って見たトトロのゾートロープが感動ものだった、というのが理由だそうです

こんなやつです。

これが回転して、そこに点滅するフラッシュがたかれると、アニメーションのように動いて見えるのです。

ゾートロープというのはアニメの原型らしく、パラパラ漫画の原理を活用した感じ。

「絵」を円柱の側面に描いて、それを回転させて、それを隙間を空けたさらに一回り大きい円柱の隙間から覗くと、アニメみたいに動く、というやつです。

(説明が難しい…)

しかし、この「立体ゾートロープ」は、3次元の「人形」を回転させます。

そして「隙間から覗く」という代わりに、フラッシュを高速で点滅させることで、アニメのように動いて見えるものです。

 

まあ、細かく知りたい人はググってもらうと、動画が沢山出てきて「お~」となりますよ。

 

そんでもって、これを作るために色々調べるのがまた大変でした

まずは絵をかいてコマのように回してみて、そこに自転車のストロボを炊いてみたんですが、上手く動いて見えないんです

さらに調べてみたら、なんと「モーターの回転とフラッシュが同期する必要がある」とのこと

「ゾートロープの回転数」と「フラッシュの点滅の速度」が合わないと上手く動いているようにみえないんですね~。

む~、これは難関

 

同期させるといっても、それぞれ違うものなのだから、、「モーターの回転数を変えられる」か「フラッシュの点滅速度を変えられる」状態にしないと、この「同期」をさせるのはなかなか難しいことがわかりました。

で、さらに調べた結果、安めの「点滅速度を変えられるフラッシュ」=「ストロボスコープ」があったので、福井のメーカーの直接注文をして何とかゲット。

そして、さらに調べてジョイフル本田で「これが良いであろう」というギア比のモーター&ギアボックスを購入。

さらに、「現物を見ないとよくわからん」ということもあり、子どもと先日「千葉市科学館」で立体ゾートロープを見学したのでした。

 

ここまでがまず第一次準備段階。

 

次は組み立てです。

まずはギアボックス。

子どもに任せたのですが、なんか違って上手く回らないのです。。。

で、調べて部品が違っていたので、組みなおし。

さらに電池BOXは学校の実験で使っていたのがあったので、それと合体。

ギア比を2種類変えられるやつで、回転数も同じはずなのだが、組み立ててみたらどうも計算と違う。。。

モーターの回転数とギア比をかければ、1秒間に30~60回転ぐらいするはずだったのでしたが、どうも違うのです。。。

モーターを買ったのもギアを買ったのも私は初めてだったので、良くわからん。

むむむ~。必要に応じて買いなおしか?

 

しかし、実際にこれに人形を載せた回転盤をくっつけると、その重さで、回転速度はまた変わるわけです。

なので、まずはいったん保留に。

生まれて初めてギアボックスを組んだと思うのですが、何事も経験とはいえ、もし私がミニ四駆とか好きだったら、詳しかったんでしょうね。。。

 

そして、一番大変だったのがストロボスコープ

届いたものを見たらびっくり

電子基板にコンデンサーなどが無茶苦茶沢山入って来ていて、それを「自分でハンダで組み立てるキット」だったのでした

電子回路作りなんて、私、生まれてから一度もしたことありません

まあ、何事も経験ということで、中学生ぶりにハンダをやりました。

説明書もさっぱりしたもので、「これで良いのかな?」と考え考え組み立てました。

 

何が一番大変だったかって、やっぱりハンダづけです。

集中しないと出来ないので、誰も家にいない時間帯を狙って、2時間集中して何とか作りました。

 

しかし、電池BOXをつけた瞬間だけしか光らず、何だろう?と思って試行錯誤した結果、ハンダが甘いところがあったので、そこをやり直し。

すると、見事に光ったのでした

 

これで何とかモーターと電子回路のフラッシュはそろったわけです。

 

しかし、これはまだ立体ゾートロープの基幹部品が揃っただけ。

 

実際に子供が円盤の上に人形を作って、それをモーターに取り付けて回してみて、さらにフラッシュをたいて同期するか、そして、それら全体を1つの箱にしなくてはいけません。

そういった、全体の部品や箱を作ることなのでさらに1日かかりました。

 

さあ、残り2日で組み立ててみて、必ずうまく行かないところが出るはずなので、それを残りの日数で修正できるか

夏休み、最後の大仕事です

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8月の「食と命の教室」

2019年08月24日 | 農的体験・生活

あっという間に8月も残りわずかです。

この1週間ほどは猛暑というより蒸し暑い日々になりました。

蒸し暑いと体力が削られますが、それでも猛暑のように命に関わる暑さではないので、助かっています

朝晩もだいぶ涼しく眠れるようになりました

 

さて、今月の「食と命の教室」は、普段なら暑くて何も出来ないので、ひたすらスイカを食べているのですが、今年は高柳家で「この10年でこんなことは初めてだ」と言う事件が起きました。

それは、スイカが全部食べられてしまったのです

ただ、蒸し暑い感じであっても猛暑ではないので、先月同様に、午前は田んぼの草取りをし、午後はひたすら「夏野菜を好きなだけ持って行っていいぞ」という言葉の通り、ミニトマト、モロヘイヤ、青シソ、オクラ、ナス、ゴーヤ、空心菜など、高柳家で作っている夏野菜を好きなだけ収獲して持ち帰りました

 

午前の田んぼの草取りは写真が撮れなかったのですが、まずは鎌研ぎをみんなで見学。

鎌研ぎって、各農家さんでそれぞれやり方があるのですが、刃を指で触ってひっかりが出来ることが重要、ということで、言われてみればそのとおり。

その引っ掛かりが草を刈るわけですよね。

色々な研ぎ方やポイントを教わるのは、勉強になりますね~。

 

そして、みんなで1時間半、たっぷり汗を流した後は、いつものように美味しいお昼ご飯

 

写真には入っていませんが、ナス味噌、ゴーヤチャンプルーなど、とっても美味しかったです

 

午後の収獲もたっくさん

特に、ゴーヤのトンネルは、奥行き50m以上あって、中に入ると周りと比べると温度が2~3℃違うのにびっくり

熟れた黄色のゴーヤの種の周りの赤い果肉が美味しいですよ、と勧めたら、みんな夢中になって食べていました

 

ヒマワリもぎっしり種が入りました。

 

8月は毎年そうなのですが、暑いので参加者も少な目。

その分、ヒマワリの油を搾るための種の収穫時期、乾燥の仕方も細かく教えてもらい、また、稲の事、千葉県近隣の有機農家さんやオーガニックライフスタイルを実行している人たち、ベジタリアンとビーガンの話など、暑い中でも色々なお話をみんなで楽しく出来ました

さあ、これから稲刈りです。

農家さんが1年で一番忙しくなるシーズン。

7,8月は「乗り越える時期」ですが、いよいよ「1年食っていくための収獲」が始まります。

本番に向けて、私も準備して参ります

 

 

 

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お盆です

2019年08月15日 | 農的体験・生活

 夏休みど真ん中、お盆ですね。

 農村では当たり前にお盆があり、今でも帰省してくる人が沢山いて、提灯をもってお墓にお迎えに行ったり、この1年で亡くなった方がいる家では新盆をしたりと昔ながらの風習が残っています。

 ただ、私は実はこういった親父が亡くなるまでお盆とは縁がありませんでした。

 小4で成田に引っ越してきたのですが、それまでは東京暮らしで、親父は岩手出身で、帰省したのは確か1回だけです。

 東京の団地で仏壇が無い暮らしでしたし、親もそういった事は関心が無いのかよくわかりませんが、お盆というものを体験したことが無かったのです。

 そのため成田の団地に引っ越してきてからもそういった生活は変わらず、そのまま東京へ就職。その後、親父が亡くなり、仏壇や墓を買って初めてそういった習わしに触れるようになってきました。

 それでも最初は形だけで、東京から香取市に移り住んだ頃、お盆の時に提灯をもってお墓に歩いている人を見て、「あれは何だ!?」とびっくりしたことを覚えています。

 田舎の農産物直売所でバイトをしていた時も、お盆は掻き入れ時で仏花を大量に仕入れ、それが大量に売れる。客数もいつもの何倍になり「へ~、お盆になるときちんと実家に帰ってくる人がこんなにいるんだ」とびっくりしたのです。

 それだけ私は子供の頃に帰省やお盆の習慣が無い家で育ったので、驚きだったのです

 ただ、今は農家さん達と仕事をし、人が亡くなるのが当たり前になり、その供養をするのも当たり前、その家々につながる歴史という縦の糸と地域という横の糸に挟まれて自分たちがいる、という事を少しですが実感させて頂ける生活を送るにつけ、お盆が毎年ある日本は素晴らしいな~と思うようになっています

 うちの奥さんと子供はお盆中は毎年どこか旅行に行ってしまうので寂しい限りなのですが、送り火か迎え火かの片方はやってくれるので、何にもしなかった私の子供時代よりは、まあ良いかな、と思っています

 ちょっと前の私ではわからなかった世界ですが、若い頃は自分ばかりが前へ出て、「自分がどうしたら幸せになれるか?」「何をやったら自分は満足出来るのか?」みたいな若いからこその探求心、外へ求める心があります。

 しかし、年を重ね、「今ある生活に感謝」が出来るようになると、それが自然と幸せ感へと繋がります。

 

 今は60を過ぎた良い大人が、未だに若い頃の生活の延長のまま暮らしている団塊世代を中心に多くなっている気がします。

 定年して暇とお金があるからといって、海外旅行を楽しんだり、孫にこれでもかとお金を使います。

 そのことを、ある団塊世代の方に話したら「それでいいんじゃない。それが楽しみだから」と何とまあ素直な意見。

 でも、私はそうは思わないんですね。

 もう60も過ぎたら、自分の人生はもういいだろう、今度は世のため、人のために生きよう、というようになって欲しいのです。

 そういった「まともな大人」が増える事が、子ども達のためになると思うのです。

 そういった大人が少なくなってしまったから、私達世代も「立派な大人になろう」という意識が希薄になり、それが今の子ども達に繋がってしまっています。

 そういう意味で高柳さんを始めとした農村の一部の方々には、まだ少し世相に遅れている分、伝統を大事にしていて、生き様、死にざまを普通に歴史の中でとらえている人生観が残っています。

 それに触れるにつけ、自分の事より人の事、おかげ様、お互い様、で生きているちょっと前の日本人の暮らしに思いを馳せ、「本来、こういう生き方だったな~。」と思うのです。

 お盆もその1つ。大切です。

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本:哲学する子どもたち バカロレアの国 フランスの教育事情

2019年08月11日 | 素敵な本

「哲学する子どもたち バカロレアの国 フランスの教育事情」という本をたまたま見つけたので、読んでみました。

 

私の今の一番の関心事は「教育」で、自分の子ども時代と大人時代を比較し、さらに今の子ども達の教育環境と子ども達の生き方を見て、自分なりに考えています。

そして、考察するときに一番良いのは「比較」するということ。

過去と未来はもちろん、外国とも比較するのもとても勉強になります。

例えば、以前、「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書」という本の事を書きましたが、びっくりしたのが「アメリカの小学生が学ぶ歴史は戦争の歴史」という事でした。

日本の子は、日本という国が2000年以上続いている、という事を当たり前に思っていますが、私はピースボートで世界一周をした時に、「母国語が普通に話されている国」は世界では稀有だという事を気づいてびっくりしたのです。

つまり、世界中のほとんどの国は、イギリス、スペイン、ポルトガル、アメリカなどの植民地にされ、母国語と占領された宗主国の原語が普通なのです。

そして、独立国家としてきちんと体を成したのはこの数十年なのです。

国によっては2000年以降に設立しているところもあります。

ところが、日本は歴史もあるし、言語も日本語だけ。

つまり、そういった国は世界で稀有だということにびっくりしたのです。

同じように、アメリカの小学生が学んでいる教科書を見て、第1章が「アメリカ大陸の発見から植民地まで」から始まり、インディアンの虐殺に触れ、「独立戦争と新国家」「南北戦争」…「第二次世界大戦と冷戦」と、すべの章が「戦争」なことにびっくりしました。

これも「比較」することで、日本の歴史教育とアメリカの歴史教育の差異で気づかされることですよね。

 

という事で、他国の教育を見ると自国の教育の特徴がわかるので、フランスの教育本を読んでみたのです。

そして、まず根本的なところの違いとして著者があげていたのが「バカロレア」という制度で、なるほど、と思いました。

ざっくり言えば、「高校卒業資格=大学入学資格」みたいな感じなのですね。

 

日本では小中は義務教育で留年が無いですし、高校もその延長で留年はめったにありません。

そして、大学は「試験一発勝負」が基本です。

そして、大学卒業は、ゼミなどで論文を書いて先生の承認してもらって初めて卒業です。

 

ところが、フランスでは日本の大学のように「先生の承認してもらって進学」と言うのが基本なのです。

日本では大学入学はテスト一発勝負ですが、フランスではそもそもの受験資格が高校の成績の内申点次第で、高校の勉強の評価が悪ければ「あなたは〇〇大学の普通科は難しいので、技術系にいきなさい」と先生に学校や学科を割り振られてしまうのです。

イメージで言えば、日本の大学の4年生のゼミのようなものが、中高で普通にある。

「高等教育を受けるのは権利である」と、以前、バイオリストの五嶋みどりさんが本で書いていましたが、その通りなんですね。

勉強をするのは権利であり、しかし、勉強が出来ないならその上へ行く資格がない、というのが当たり前なんです。

 

フランスでは小中でも勉強が出来なければ「留年しなさい」というのも当たり前で、それも社会的に傷のような見方はされていません。

例えば日本でいう小学校から中学校に上がる際に、「1年留年したら」と勧める先生もいて、確かに無理に上へ進んでついていけず、内申点が低くなり、日本でいう高校への進学の際に選択肢が「あなたは普通高校は諦めて、商業高校にしなさい」となるなら、日本でいう中学に上がる際に日本でいう小6をもう1年やった方が良い、というのは学歴=仕事につながる社会であれば、正論といえば正論ですよね。

 

そして勉強が出来ないなら「高等教育が受けれる普通科への進学は認めません」と言う先生も、日本で考えれば凄い違いだな、と思います。

フランスでは、普通科と言うのは高等教育が受けれる学科で、いわゆるエリートコース、ホワイトカラーコースというのが明白です。

普通科に行けないならせめて理系、理系がダメな子は技術系に行きなさい、という学科によっての「ランク」が、日本以上の露骨に決まっているのです。

 

私も高校時代から「何で大学に行くんだろう?」とずっと思っていました。

高柳さんが「大学は真理を追究するところでしょ?」と言いますが、そんなことを思っている人はほとんどおらず、私の世代の親もそんなことを期待して子供を大学に行かせているわけでは無かったでしょうし。

私の世代は超氷河期と言われていましたが、やはり「良い大学に行って、良い会社に入りなさい」というイメージだったのではないでしょうか?

そして最近の日本の親御さんの話や社会情勢をみて、日本は結局は「大学に行きなさい」は、まあ、単純に言ってしまえば「大企業のホワイトカラーになりなさい」と言っているようなだという事がわかったのです。

というか日本の社会がそうなっている。

「ある程度の大学に入っているなら、採用しても問題ないでしょう」というのが企業側の論理でもあるわけです。

まあ、それが合理性を求めるフランスなどでは、日本以上に至極当然で当たり前なのです。

 

だから、フランスでは「良い仕事」に就くために「良い大学」に行く、そのために「中等教育」がある、その「権利」を得るために、評価を求める。

逆に高校卒業資格=大学入学資格を得るための中高なのだから、日本のような入学式は無く、部活も基本的には無く、あるとすれば先生の善意である活動ぐらい。体育祭なども当然、目的から離れているのでありません。

修学旅行も学校ではなく、担任やとっている授業の先生がたまたま「今度、ベネチアに行くから30人連れていくよ」となった場合、その先生とご縁が深ければ連れていってもらえる。

そういった先生がいない世代、あるいは「〇〇君はおしゃべりで集団行動を乱すから連れていきません」というのは当たり前に通る社会なのです。

「全員平等に」という事を一応掲げている日本と比べると、より合理的ですね。

 

日本の話で、知り合いのママさんが子供を私立中学に入れたのですが、中1の最初の入学式直後に「これから食っていける仕事とは?」という講義を親子で受け、今の子ども達が大人になっても食っていける仕事を考えて、それにあった学校に入るための6年間、という事を話しています。

非常に合理的な考えですよね。

ある意味、フランスに似ているというか、あいまいとしていた進学の事を「目的」=「良い仕事に就く」と明確にしているわけです。

 

一方で、私の中高時代を思えば、「勉強以上に大事なことがあったじゃないか」という思いもあります。

それは部活であったり、学園祭だったり、みんなで力を合わせて何かを必死にやり切った経験だったり。

私の中にあるのが、「子ども時代が大人になる準備期間である」とあまりに決めつけてしまうと、例えば思春期だからこその迷走するという経験、人間の振れ幅が狭まってしまって、大人になった時にそれこそ器が大きくならないんじゃないか、と思うわけです。

私の好きな哲学者の岸見一郎さんの「子ども時代は大人の準備期間ではない」という言葉は、私は大好きなのです。

 

日本の教育で言えば、知育、体育、徳育があり、一番大切なのは徳育だと私は思っています。

子どもに言っていますが、小さい内は「よく食べ、良く遊び、良く寝る」事が仕事。

中学ぐらいになると、「よく食べ、良く部活し、良く学び、良く寝る」事が仕事だと思います。

その上で、生きていく目的、勉強する目的はシンプルで「誰かの役に立つこと」、これが最大の目的です。

そして、生物界を見れば当たり前のことなのですが、「子孫のために役に立つこと」をするのが大人、成体なのです。

人間は「社会的動物」ですが、そうなると極めてシンプルに考えれば、「全ての大人は子ども達のためになる社会を作るために存在している」という結論になるのです。

 

そして、いずれ大人になる子ども達に伝えるシンプルな教育は、「どんな時も笑顔で誰にでも大きな声で元気に挨拶出来るようになりなさい」と言うのが、社会でやっていける一番の秘訣だと言っています。

基盤となる心を鍛え、体を鍛える。

そのためには、部活動のような集団で規律を守り、体を鍛えながら精神も鍛える、という活動はとても大切だと思います。

その上で、社会的動物であるからこそ、社会という事を考え、知的格闘をして社会問題を解決するために知性を鍛える、と考えています。

 

しかし、今の子は中学生で塾に行くのが当たり前。それも「勉強がわからないから」行く子もいれば「受験のため」に行く子もいます。

私の時代以上に勉強にキューキューとなっているように見えてしまいます。

それは何のためかというと、フランスのように明確ではないにしろ、やはり「進学=就職」という事になっています。

 

ただ、1つ根本的に違うのが、フランスの中高のテストは口頭論述や小論文みたいなものが多く、〇×や選択肢から選ぶ、というものではないんです。

だから、評価は毎学期、全教科の先生が決めます。

「成績決定会議」というのがあって、そこに先生達と保護者代表、児童代表なんかも出て決める。

先生が点数をつけて答案を返して、最後の通知表を渡す日本とはまた違うんです。

 

だから、フランスでは毎学年が大切で、受験直前に缶詰で気合が入れば短期間で出来るようになる、という質のものでは無いんですね。

だから、小・中・高と論理性や弁術力を鍛えて積み上げていかないと、とても無理。

だから、フランスではついてこれない子は「留年」を勧められるし、進学の岐路毎に「あなたは普通課は無理だから技術系(レベルの低い学校)に行きなさい」と割り振られてしまう。

そういう意味で、日本のようにテスト一発試験という制度は、良く言えばそれまで勉強が出来なかったとしても、一念発起さえすれば誰にでも高いレベルの学校に入れる門戸が開かれているとも言える、と著者は書いていました。

 

その他、所得層=住む地域=学校のレベルも日本以上に分かれていて、選択肢というのが所得、住む地域で予め結構制限がかかっているという違いもあります。

また、労働権利の意識が強く高3の担任が「産休」に入る場合、代理の先生も不足していて、かつ、「休職の1カ月前にならないと教育委員会は探さない」ため、受験前の3カ月担任が不在、なんてこともあるそうです。

日本のように「引継ぎが当たり前」と言うのは、日本だから常識であって、フランスでは「担任が不在になる」なんていうのは、良くあることだそうです。

また、試験で「喜びとは何か?」というレポートを理数系でも書かされるので、そういった事に付き合えるのは塾ではなく親であったり、家庭教師だったり。高校で親が勉強につきあう家は多いようで、塾はほとんどないそうです。

 

昔、カルロス・ゴーンの本を昔読んだ時も思ったのですが、日本以上に「出来る子はエリートへの道へ」、お勉強が出来ないなら「技術系に行きなさい」というのが明確になっているのが欧米。

日本は明治に作ったシステムを今も引継ぎ、また全国民に義務教育を課し、努力次第では国家公務委員や高収入も期待できる会社に入れる。

外国に暮らして子育てをして、「日本の教育が世界一だ」という本を読んだことがありますが、やはり、基本を積み上げてしっかりと誰でもわかってもらいたい、という事や、「学級経営」という事で集団行動や公を学ぶという所でいえば、日本は世界一なのでしょう。

例えば、アメリカではいじめや何かがあっても担任ではなく「それはスクールカウンセラーの仕事」というのが明確になっています。

合理的なのです。

そういう意味で、日本の教育事情は、日本独特の「公」や「集団の中の自分」というを意識させ訓練させられますし、先生も「学科の内容をマスターさせること以外にも、1人1人の事を考える」という事も大切と思われていて、特別なんだと思います。

もちろん、集団最優先で軍隊みたいになったり、フランスみたいに「いじめにあったら転校すればよい」という軽い感じでも無く、集団に所属出来ない時の問題もあったり。

でも、まあ、やっぱり日本人として育つなら、日本の教育が一番なんだろうな~と思うわけです。

あとは、学校に何でも責を求めないことですね。

高柳さんが昔、師匠に言われたことで「子どもの教育は親7割、学校2割、地域1割」というのがあったそうですが、本当に、教育というのは、一番は親次第ですからね。

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サツマイモのシュークリーム♪

2019年08月08日 | 農的体験・生活

連日猛暑です

もう暑いから朝しか仕事が出来ません

先週、旅行に行ってホテルで冷房で1日暮らしてしまってからは、自宅でもクーラーが効いていて、28℃でも寒いぐらいなのですが、かといって常温では暮らしていけないので、「倒れず、必要な仕事をして乗り切る」のを目標にしています。

ということで、今日もおかげさま農場の事務仕事の前に、朝に畑。

先日、刈った草はもう枯草になっていました。この暑さだからでしょうが、凄いですね~

そして太陽熱マルチをやって人参を蒔く畝を消毒中ですが、中はとんでもない蒸し風呂になっているんでしょうね

これで雑草の種、病原菌や虫をやっつけ、さらに水蒸気で肥料を水溶化させています。

 

そんな中、ゴーヤがすくすく育っています

たまに「ゴーヤの実がつかないんです」という人がいますが、あれは土の量が足りない、肥料が足りない、水が足りない、という他に、ゴーヤにとって暑い日差しが必要な時期にはゴーヤの苗を早く植えすぎて、ゴーヤが力尽きちゃった、というのがあります。

路地なら8月に入ってから実がバンバンなり出すのがちょうど良いのです。

オクラも実をどんどんつけ始めています。

ただ、今年は長梅雨のせいで木そのものが生育しておらず、例年に比べて背丈は低く、実なりの量もまだまだ少な目です。

プロ農家さんの話でも「例年より全然実がならないな」と困っていました。

そんな暑い畑で一仕事すると、体は汗でびしょびしょ

着替えをしてエアコンをつけて帰宅して、シャワーを浴びてお昼寝、という日々なのですが、今回はお家に帰ったらご褒美が

なんと、長男がシュークリームを久々に作っていました

実は昨年作ったサツマイモがまだ残っていて、芽がニョキニョキ出ていて可哀そうだったので、焼き芋は暑くても食わないだろうし、ちょうど生クリームが冷蔵庫にあったので、冷やしスイートポテトでも作ろうと、蒸して皮を剥いたのですが力尽きてそのまま置いておきました。


するとそれが翌日にはサツマイモ餡?のシュークリームに変身していたのです

老若男女が好きな間違いない味でした「ついでに作った」と言うイチゴチョコシュークリームもお店の味でした

「むっちゃ美味いから、これバザーで売ったら?」という話から始まり、「夏のお祭りで3つで300円はどう?」「そんな高いの買う人いないでしょ」「いやいや、リンゴ飴なんて小さいので300円、大きいのは500~600円するぜ」とか談義しながら、美味しくいただきました

ちなみに奥様は「お菓子作りのポイントはきちんと計量することだよ」とアドバイスしているのですが、シュークリームのクリームの甘さがあまりにも絶妙だったので「これ、計量したの?」と聞いていました。

すると、「いや、適当だよ」と、目分量とのこと。

さすがでございます

やっぱり料理人は目分量、加減というのを感覚でわからないとね

今夏、我が家にはカボチャが死ぬほどあるので、今度はカボチャを蒸して皮と身を外すところまでやって置いておけば、パンプキンシュークリームを作ってくれるかも

 

 

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英語のお勉強

2019年08月07日 | 自分の時間

お友達ママさんのご紹介で、以前から顔見知りのママさんのお子さんの英語を見てあげました。

今、1人、中2の子の英語を見てあげているのですが、大人になって改めて中学英語を見ると「ああ、なるほど、こりゃ混乱しちゃうよね」という所がわかるのです。

今回、見てあげた子も全く同じところでつまづいていました。

単刀直入に言えば、「be動詞と一般動詞の違い」が良くわかっていないから、「I am do'nt~」 という文章を作ってしまうのです。

be動詞、つまりam, are, is というのは、1つ目の役割は「イコール」つまり、右と左の物は同じですよ、という事であり、もう1つの意味は「在る」という事なのです。

特別なもので、これを動詞と言っているから混乱の原因になっているんですね。

当たり前のこととして「投げる、打つ、走る、泳ぐ、といった動作を表す言葉が動詞」とすればいいのですね。

それを「be 動詞」と「一般動詞」としちゃっているからわからない。

 

そして、「動詞を助ける言葉が助動詞」という位置づけで、

don't,can,must,willなどは全部「一般動詞」を助けるために、前につける「助動詞」なんだよ、というのをわかってもらう。

be 動詞は「イコールではない」という事を示すために、後にnotをつけて打ち消す、という感じで理解してもらう。

 

ここが「肝」であり、これがわかっていないのに、授業が前へ進んでしまうんですね。

 

なんて、書いていても、まあ伝わらないでしょうが、一番の問題は「学校のカリキュラムで英語の何を学ぶのか」がごちゃごちゃになっていること。

学校の教科書は「Nice to meet you.」から始まり「Where are you from?」など、がレッスン1にあるんです。

これは「文法のごちゃまぜ」なんです。

だって、そもそもの「Nice to meet you.」は文法的には主語と動詞が省略されているイレギュラーな言葉だし、「Where are you from?」なんてyes/no疑問文ではなく一番難しいWhereなどを使っているオープンクエスチョンで、それがレッスン1で混ざってしまっているのです。

つまり、本来は I am、 He is 、 You are 、といったbe動詞の肯定文を習い、次に否定文を習い、次に疑問文を習う。これが本来レッスン1にすべきなのです。

次にレッスン2で、I play soccer.を習って、この否定文をならって、次に疑問文を習う。

こういった事をきっちり違いを見につけさせて、それが出来てから、初めて5W1Hなどのオープンクエスチョンを習い、これをもって「現在形」の一通りを理解する。

これが出来てから、ようやく次のステージの「過去形」に進む、といったカリキュラムにすべきなのです。

ところが、英語というのは「読めること」「音読出来ること」「書けること」「聞けること」「話せること」といった事を出来るようにならなければいけない「言語」なので、何故か英会話学校のテキストのようになっちゃうんです。

これがすべての間違いです。

色々な英会話の教材がありますが、「聞けること」と「話せること」は全く違うスキルであり、使う脳みそも全然違うのです。

そういった「言語学習」の当たり前をわかっていないから、無駄に時間を費やして、結局マスターできずに終わる日本人がなんと多い事。

まあ、私もマスターしているわけじゃないのですが、中学英語ぐらいなら本来、すべての大人がわかっていなければいいけないのに、わかっていない事自体、カリキュラムがおかしい証拠ですよね?

 

自分の子どもが英語が得意でない、と思っている親御さんはいますか?

 

もしいたら、塾に通わせてもお金がもったいないです。

とにかく、 I am He is You are といったbe動詞の肯定文を習い、次に否定文を習い、次に疑問文を習う。

これを「わかる状態」にしてあげてください。1日で出来ます。

次にレッスン2で、I play soccer.といった一般動詞を1つ書いて、この否定文、次に疑問文をマスターする。

英語で50点とれない子は、ここまでがマスター出来ていなんです。

是非、ここまでをきっちり出来るまでは、過去形などには進んでは駄目ですよ。

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5時からの畑

2019年08月05日 | 農的体験・生活

ここ数日、草取りに没頭しています。

水曜日に熱中症になっちゃいましたが、土曜日はボチボチ出来ました。

日曜日は「田んぼと畑の耕育教室」の根本さんの畑でミニトマトの収獲と落花生の草取り。

ただ、暑かったので、これはすぐに終えて帰ってきましたが。

そして今日は朝5時から8時まで休み休みしながら、ボーボーになった畑を草刈り。

ずっと伸び放題で「やばいな」と思っていましたが、高柳家から刈払い機を借りての草刈です。

とても手で処理出来ないほど生えてしまったので、お借り出来たこのチャンスに、と思い、とりあえず畑の周りは刈り終え、何とか人様にご迷惑がかからない程度にはなりました

約40坪の周りにボーボーに生えた草を刈るのは、なかなかの一苦労なのですよ

長いと草が絡んで、いちいち絡んだ草をほどく作業が必要で、効率が悪いのです。

まっ、そこまで伸ばした私が悪いのですが

畑の周りは道路に隣接しているので、見た目が良く無いのです。

畑の中も「草の種を落として、しょうがないな」と貸してくれている高柳さんに叱られながら、頑張っている次第です

 

これで畑の外周が一段落したので、あとは畑の中ですね。

今一番凄いのはメヒシバというやつです。

種をもう落とし始めてしまっているので、早急にと思いつつ、ここ数日頑張っていますが、何せ暑くて仕方がありません

こんな暑くても「暑いな」と言いながら畑で昼間も普通に働いている農家さんは凄いとしか言いようがありません。

 

私は元気なら30℃ぐらいはギリギリ問題ありませんが、一度熱中症にかかると、その夏はずっと30℃を超した中で体を動かすときついのです。

なので、朝の時間が勝負。

朝早く起きて、朝日に感謝しながら一日を始められるのは気持ちが良いものですよ

そして暑くなる8時過ぎまでが勝負です。

大体、5時ぐらいから仕事をすると、まず7時半ぐらいの日差しの暑さでいったんグッと気温と体温が上がるのを感じます。

それから8時半から9時ぐらいでもうやばい、という感じなのです。

 

そしてこの暑さは夏野菜にとっては嬉しい暑さなんですね

超豊作のカボチャは未だに元気で、小さな実もまだバンバンついています。

これは色がつく前のカボチャなのだと思いますが、もしかしたら変種でこういった白っぽい日本カボチャみたいなのが突如現れてしまったのかもしれません。

これが普通の西洋カボチャ。ほっこりという品種です。美味しいですよ

長梅雨で一番調子が悪かった青シソですが、通りかかった知り合いの農家さんに診てもらったら「いじけちゃっているから、いったん切ったらどうだ?」というアドバイスをもらって、いったん全部剪定しました。

そしたら復活しました

さすがプロの目は違いますね~

 

そして私の畑の夏の王様、空心菜です。

虫がつきずらく、バンバン生育して増えていくので、味はイマイチですが夏に重宝する葉野菜なのです。

 

これで作物が一通りきちんと見えるようになったので、あとは、カボチャで覆いつくされた隙間から生えているメヒシバという草を中心にコツコツやってきれいにしたいです。

 

今日の草刈は3時間かかったので、途中休み休みでした。

ハアハアいいながら「草取り」という仕事にひたすら没頭していますが、体に熱がこもると動かなくなり、息を整えるために休むわけです。

そして息が落ち着いたらまた動いてしまうのですが、8時頃はもう動きたくても動けなくて「こりゃやばいな」と意識して10分ぐらい休んでいました。

そんな時に、ふと見上げた空がとてもきれいで、また受粉しているマルハナバチを見たり、その辺であちこち跳ねているバッタをみたり、風を感じると、「そんなに頑張らなくても、本当はこうやってのんびりした方が良いのにね」という思いが、ふと湧いてきました。

そんなことを思う自分に苦笑いしたり

 

農村は本当はゆっくりと生活する場。

しかし「草刈」という目的があると「終わるまで」一生懸命頑張ってしまうわけです。

昔、お世話になった80歳過ぎのおじいちゃんは、のんびりした動きながら1日中畑仕事が出来て「凄いな~」と思った事を久々に思い出しました。

 

畑仕事は仕事なんでしょうが、私の場合は自給用なのだから、もう少し余裕をもって、こういった息を抜く時間を楽しみたいものですね。

そして、畑に限らずz、どんなことでも本当は余裕をもってのんびり周囲の景色を楽しめるようになりたいものですね

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朝の畑仕事

2019年08月03日 | 農的体験・生活

水曜日に今年初の熱中症で倒れ、木曜日は朝のおかげさま農場の野菜セットの手伝いをした後、やはりまだ後遺症があったのですぐに帰宅し、ゴロゴロしていました。

しかし、畑の草が、、、と思いつつ、体が言う事をきかず、金曜日もゴロゴロ。

そして、土曜日、暑くなる前に、という事で、朝5時半から2時間ほど草刈に行ってきました

 

これがいわゆる「草畑」。

ニラ、アスパラなどは収獲しやすいように草を細目にとっていますが、カボチャが畑全体に広がってしまい、その間から出てくる草を放置していたら、草だらけになってしまいました

で、まずは無理する体がやばいので、最低限必要な夏野菜の収獲です。

長梅雨があけて一気に大きくなってきたのがゴーヤ、白瓜、空心菜。暑くなると大豊作になる暑さが好きな野菜たちですね

まず、ゴーヤ。いつも面倒くさいので地這えにしていたのですが、今年はスナップエンドウのネットをカットしてネットに張ったら、あらま、実がぶらさがるように成っているので見つけやすい事

かわいらしいですね~

こちらは空心菜。

迫りくる雑草を刈らねば、と思いつつ、一気に生育してきたので、「朝採れ野菜BOX」に入れる予定です

 

そして、アスパラやニラもとって、ようやく次にやるのはカボチャの収獲と整理です。

特に今年は何故かカボチャが爆発的に生育していて、「何なんだろう?」とびっくりしています。

既に高柳さんや知り合いの農家さんのカボチャは枯れていて「不作」らしいのです。

私の場合は「こんなの初めて」というほどで、5月に植えたら今頃葉っぱが3~4割枯れてボチボチ終わりも近いな、というのが普通なのですが、今年はまだ葉っぱがほとんど枯れておらず、今もなおぐんぐん枝を伸ばしていて、これから収穫となる青い実がバンバン今もついてきちるんです。

そして、そのツルの勢いが凄く、40坪ぐらいの畑一面を覆うようになり、畑を占領しています

ちなみに今まで収獲したカボチャは現時点でコンテナ2つ=40kgはあいます。

今の実なりから言えばあ、さらに20~30kgは余裕で収獲できそう

今年はニンニクやラッキョウ、ニラが大豊作で、カボチャも大豊作。

世の中的にはジャガイモや玉ねぎも豊作らしいです。

唯一、収量が少ないのはアスパラかな?

ただ、草が凄いので、何とかコツコツ少しずつ無理しないようにしながら、草取り、頑張りたいと思います。

いや、頑張るとまた倒れてしまうので、ボチボチね

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暑い夏

2019年08月01日 | 農的体験・生活

暑い日が続きます
これだけ暑ければ熱中症にもなるもんです

私は一度体を壊してからは、ここ数年の暑さはどうにも堪えられるかどうか、という感じで過ごしています。

元々寒いのより暑いのが好きだったので、暑さの中で汗を出して働くのが性にあっていたのです。
ところが、働き過ぎて体を壊し、暑さや労働に耐えれなくなってからは、ボチボチ過ごすようにしか生きていけないようになったわけです。

とはいえ、1年1年、少しずつ体力は回復しています。
ただ、それを上回るほどこの数年は暑くなってきました

昨年も暑かったのですが、その暑さが気持ち良いばかりにちょっと頑張ってしまい、熱中症になり、その週末の「田んぼと畑の耕育教室」を死ぬ思いで過ごしたわけです

責任ある仕事で、しかし体は言う事を聞かない。

そのジレンマでストレスもたまり、余計体が動かなくなり、呼吸や手のしびれなども出てくるんですね。

 

年に1度はそういった事を経験し、「こりゃ控えねば」となるのです。

今年はまあ大丈夫かな、と思っていましたが、それはやはり長梅雨のおかげでした

先週の水曜日、午前中は30℃を超えて、ハアハア息切れしながらハウス関係の仕事をしました。
それでもまあ大丈夫だったのですが、それで「無理をしない」という事に少し自信が下手についてしまったのでしょう。

この(月)(火)で海に行き、体力を消耗した中で(水)の8時~9時の1時間だけ畑仕事をしたのですが、それでノックダウン。
気持ち悪く息切れもし、エアコンの聞いた部屋で休んでいましたが、しゃべるのもつらく、やってしまった、という感じでした

という事で、エアコンをつけたのですが、一度エアコンの暮らしに入ると、もう戻れません

例年はエアコンは夏に2~3日しか我が家は使わなかったのですが、一昨年ぐらいから、出来るだけ使わずに過ごしながらも、暑さがやばいレベルになったらエアコンオン。
それからは猛暑が通り過ぎるまで、エアコン暮らしです。

今年も猛暑が続いています。

1度熱中症にかからないと、その暑さに対する自分の抵抗力の弱さを実感しないのは毎年の事ですが、今年もこれ以上は倒れないよう、ボチボチ過ごしていこうと思うのでした。

 

明日、明後日は異常の中でさらに異常な高温です。

みなさんもどうぞご無理をなさりませぬように

 

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