半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

食と命の教室:人には何かがある

2022年06月25日 | 農的体験・生活

土曜日は「食と命の教室」でした。いや~暑かった

暑い中、「農家も暑い中、がんばっているんだ」と言って、高柳さんがハウス仕事でキュウリの誘引を昼間に実行したのですが、さすがに大変でした。とにかく暑かった、というのが一番です

ただ、午後のジャガイモ掘りは一転してみんな「新ジャガ」といって楽しんで掘っていました

私の畑の横だったので、参加者の一部からご希望があったスベリヒユという雑草、だけど抗酸化力が抜群で山形やギリシャなどではサラダで食べられているものをたっぷりプレゼントしました

暑かったので私も写真やらなにやら余裕が無く、耳が聞こえない方が参加しているので、その方の横でみなさんの話を文字に起こすのを1日やっているので、なかなか疲れるのです

ただ、本人が一番つらいでしょうし、それでも勇気をもって参加したということは尊敬に値するわけで、出来る範囲のことはさせて頂こうと思って今年はやっています。

もちろん、高柳さんのお話も今回もグイグイ心に刺さる言葉が連発でした。

まず、この時期は「日本家屋の話」をしてもらうのですが、簡単に言えば「ローンをして一生をかけて家を買うけどそれを1代限りでおわらしてしまう、というのは戦後の文化で、日本にはそんな考えは無かった」というもの。

建築家の隈研吾さんの話にもあったそうですが「日本では人間より家が先に亡くなる時代になってしまった」という嘆きがまさにそれ。

高柳さんの代までは「家は孫の孫ぐらいまでは持たせるのが前提」として建てたそうです。

自分の山で木を育て、雨漏りなど建て替える時期がたまたま自分の代の時にきたならば、それは「番がきたな」という発想で、棟梁に頼んで必要な木材を聞き、それを自分で山で切ってきて製材所に運び木材を作る。そしてその山には木を植えることで、100年先かいつかわからないが、また「番になった代の者」が家を建てれるようにしておく。

そして、棟梁と一緒に家を建てていく。

お金が無い家は、まずは屋根と柱と皆が住む部屋だけ作り、またお金が出来たら次の部屋や天井を張る、といったように、中には完成まで10年かける家もあったそう。それでも「ローンを組む」という考えはなく、自分の代ではなくみんなが住んで行くより所としての住まいだった、ということ。

そんな話はみなさんも知らないので、自分の欲や高く売れるからというので選ぶ家ではなく、1つの大きな流れの中にある家、というのを聞いてしみじみしていました。

また、そういった話はそうなのですが、毎回、1日の終わりで感想を言う際に涙ぐむ方が出てくるのが今年の特徴で、それが今回もおきて、ふと「あ~、この教室では当たり前になっていたけど、そうだよな~」というのがありました。

昔はガン患者さんや看護士さんや何か問題にぶち当たっている方、あるいは農薬とか環境とか言う人はちょっと変わり者という世の中だったので、4年前ぐらいは一般的な人とは違った人が来ている、という感じだったのです。

ところが、ここ3年は普通の人が普通に「無農薬」とか「地球環境」とかを言葉に出す時代になり、楽しそうにしながら普通に学んで行く時代になりました。

今年もそういった感じだったのですが、ふと思い出すと、今年も抗がん剤治療を終えて髪の毛が生えてきたばかりの人とそのご家族、大人になってから耳が聞こえなくなった人、看護士や元看護師、10年ほど前にガンになってその後に神職になったけど体調を崩した方、アトピーで夜も眠れず苦しんできた方などなど、苦しみや人生の理不尽さを感じたりつらい事を体験してきた方が多いわけです。

私も東京で働いているときにメンタルをやられ、9年ほど前に農作業のしすぎで身体を壊し、と、まあ順調ではないのですが、自然の大きさと高柳さんのような農家さんと一緒に生きてきました。

ここに参加する方はパッと見では明るい楽しそうな方が多いのですが、実際は現代社会の食、教育、医療、生き方など色々な問題にぶつかって、違う道を探したり学んでいる方ばかりなわけです。

「人には言えない悩みがある」というのが無着先生の言葉だそうですが、50歳近くで何かしら1つぐらい身体の不調や人間関係の悩みなどは持っているのが普通の世の中。それでもきちんと自分に矢印を向け自分を磨いて来た人もいるわけですが、大体がそこから不調が拡大しているのだと思います。

そこに在野の哲人の高柳さんの生き様と言葉が刺さるのでしょう。元々は有機農業の精神、自然が無ければ人は生きて行けない、人間も地球環境の中で生きているのであって自然を征服なんて出来ない、といった話が多かったのですが、ここ数年は人はどう生きていくべきか、という主題の中で自然とのつきあい方などが語られています。

それが参加者の心に響いているのですね。

私も毎年学ばせてもらっていますが、みなさんにとっても良き出会い、良き学びの場となっていて本当に素晴らしいご縁になっていな~、と実感しております。

私にとっても幸せな事です。有り難いな~と

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の夏も異常に暑そうです

2022年06月22日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

朝採り野菜ボックスのお手紙です

 いや~、今年の梅雨は空梅雨ですね。雨が降らない。そして暑い!この(土)(日)にお米農家の根本さんと「田んぼと畑の耕育教室」をやったのですが、(日)は晴れて無茶苦茶暑く、茹で蛸のようになりそうでした(^_^;)。梅雨時期でこの気温は異常ですね。数年前の猛暑を思い出します。今年はまたとんでもない暑さがくるのか~と思うと、げんなりすると同時に田畑では無理をしないように注意をして過ごそうと思っています。

 90年以前は大体8月の平均最高気温が28℃ぐらいだったのが、90年以降は真夏日(35℃以上の日)がぐんと増えてきたそうです。そして今や6月下旬で28℃以上の日が立て続けに出てしまうようになってしまいました。私の子どもの時代は3日に1回は夕立が来たもので、自然現象として気温が高くなると蒸発量が多くなり雲が出来て雨が降って地表を冷ます、この当たり前の循環が無くなってしまいまいた。晴れるときはとことん晴れて気温が上がり、雨の時はとことん雨続きで豪雨になる。こういった不安定性がとても高まっているのが近年です。

 そういえば、数年前の長野の新幹線が水没してしまった大型台風ありましたよね?あの台風が襲来したのが大潮の日で、たまたま干潮の時だったそうですが、もし6時間ずれて満潮だったら東京沿岸は大災害になっていた可能性が高かったそうです。岡山・広島大洪水のような事が東京でも起こっていたかも知れないと思うと、ゾッとしますよね。

 有機農業の世界では92年のリオ・サミットでセヴァン・スズキが行ったスピーチが有名ですが、多分、一般の方は知っている人は少ないでしょう。12~13歳だったセヴァンが「どうやって直すのかわからないものを壊し続けるのはもうやめてください。子どもにするなと言うことをどうして大人がするのですか?」という内容なのですが、当時の大人はあざ笑うかのようでした。過去に無いほどの超大型ハリケーンや局所的豪雨と局所的干ばつが起き始めた時代で、それでも「地球温暖化の問題など無い」とブッシュ大統領は言っていました。しかし学者やゴア元副大統領など色々な見識者の発言と実際に大災害が立て続けに起きたことで、国連も温暖化を認めるようになり、「温暖化は危機的だ」という情報発信がされるようになったことで、ようやく世界の常識となりました。

 日本では西日本豪雨や超大型台風の襲来などはここ5年ぐらいのことなので、日本人で温暖化を真面目に考えるようになったのは世界の中では遅い方だったと思います。しかし農の現場では、もう20年も前から「こんな気候は初めてだ」と毎年言われていました。それでも「自然に合わせて仕事をする」のが当たり前のため、一般の街中に住む人々に比べて気候変動に対して柔軟な気がします。「暑い、寒いも仕方無い。自然には勝てないからな」と。気候に一番左右される職業をしている農家さん達が一番自然に寄り添って生きているって、なんだか凄いですよね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「田んぼと畑の耕育教室」今日は暑かった!

2022年06月19日 | 農的体験・生活

今日は暑かった
 先週の土曜日、この(土)(日)で「田んぼと畑の耕育教室」を今月は3回開催しましたが、今日は晴れてしまって、ホントに暑かった

農作業は基本は長袖なのですが、暑いのでわかっているけど半袖にしたら、案の定、今年一番の日焼けをしてしまいました

 

さて、まずは午前の気温が上がる中で照り返しがある田んぼで草取り。みんな結構熱中していましたが、日焼けするんですよね~。

またそのまま12時頃にジャガイモ掘りをしたのですが、これが体に堪えました

でも、子どもはみんな元気でした。凄い


 午後はザリガニ釣りもあり、終了時刻が16時過ぎということで2日に渡ってやるともうヘロヘロです。でも、みなさん満足そうで楽しそうでした。良い休日になったのでしょうね~。


 とはいえ、この暑さはやばいね。数年前、夏に35℃ぐらいいった猛暑がありましたが、あのときは、倉庫下の日陰でも30℃いった時がありました。いや~、7月はちょっと心配です

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷河期世代 今や争奪戦の対象に

2022年06月17日 | 自分の時間

日経ビジネスの記事で「氷河期世代、ゆがんだ組織の犠牲者 今や争奪戦の対象に」というのが、なかなか衝撃的です。

「多くの先輩、少ない同期。氷河期世代は肩身の狭い思いをしてきた。組織の中核となる年代を迎えたが、絶対数が足りない。マネジャー層の不足に悩む企業では一部、取り合いの様相も呈している。」

という記事で始まるのですが、私の世代、つまり団塊ジュニア世代、この記事によると「1993~2004年に学校卒業期を迎えた世代を指す」の就職は氷河期と名付けられています。

私の2個上の先輩には実際、ホテルで1ヶ月間缶詰め接待で他社にいかないような拘束を受けている人がいました。

私は1997年卒なので、まさにこの世代に当たるのですが、2つ上の先輩、つまり、1994年卒の先輩でこういった接待を受けている人がいたので、1993年から氷河期といっても業界によっては徐々に、ということだったのかもしれませんね。

就職氷河期の背景には

・バブル崩壊の景気低迷と、それまでの過剰な人員の採用

が原因だったのですが、97年の山一証券や拓殖銀行の破綻でさらに厳しくなり、これ以降は超氷河期と言われています。

 

この世代の特徴は、正社員になれなくてもなれなかった人が1/3ぐらいいたと聞いていましたが、記事によると40万人以上ということです。また、正社員になれても今の40代はその上の世代、つまり、バブルまでの92年頃までの入社組が沢山ひかえいてポストが空かず、かつ、その世代に比べて同期が少なくて肩身が狭く、さらに年収も10%少ないそうです。

また色々な構造のひずみがあるのですが、まず、高卒で就職希望者はほとんど就職ができていたのが、この時代、工場などが海外に転出することが一気に増え、高卒者の就職率が50%を切り、仕方無く大学に行くという「大学生急増世代」というのもあり、かつ、仕事場も減るということで、大卒就職率が低下だけでなく、日本全体で「働き口」と「就労希望者」のバランスが一気に崩れた時代でした。

私の友人の奥さんは、先生になるのが夢で教職免許をとって卒業したのに、29歳まで枠があかず「講師」という立場のまま。結婚するか、というタイミングでようやく正式な先生になれるお鉢が回ってきて、結婚するか先生になるかというのを悩んでいた、という話を思い出します。今は構造的な教員不足ですから、今の先生からみるとびっくりするでしょうね。

で、私も知らなかったのですが、小泉内閣の時代にこの氷河期世代は本人の努力や才能の問題ではなく、国の政策の問題だったということで「30万人を雇用する」としたんですって。ところが全く成果がなく、今は岸田さんもこの世代に改めて「公務員採用枠をこの世代に向けて増やして就職の場を与える」という事をやっています。

小泉さんの時だったか今の岸田さんの時だったか3万人しか採用出来なかったというのを聞いています。

この記事の関連記事で宝塚市が2019年に3人の募集枠を提示したら1800人が殺到し、倍率が600倍になったそうです

200社受けても受からなかった、という感じでパートやアルバイトで暮らしていった人が、30代になり、40代になり、もう正社員になれず、結婚も出来ず、、、という負のスパイラルに入っていった世代が私の世代なのです。

シルバーデモクラシーというのがありますが、私の上の世代、つまり今、50代の人達までが「ほぼ、全員就職、同期も沢山」という世代で、その上の60歳以上の人達は「年功序列で定期昇給、退職金ありで年金あり」の世代ということで、世代格差がどんどん広がっていますが、シルバー、つまり、70歳以上の団塊世代が一番の人口ボリュームゾーンで、そこに焦点を当てた政策が中心でした。

しかし、今や人不足。団塊ジュニアの我々世代は、まだ部活は水を飲むな、のスポ根世代で、若い世代と比べると上下関係を重んじ、組織行動が出来、言われたことをサービス残業してやる、という世代だったらしく、企業側からすると「欲しい人材が集まっている世代」だそうです。

だから、今は「欲しがられる層」だそうです。

もちろん、そんな中で、ブラック企業に入っても「なんとかつかんだ正社員の席だから」といって、辞められずに無理して体を壊す人も多いわけです。

とはいえ、公務員に関してはそこまでの労働環境は中央官僚じゃない限りないでしょうから、ほんの少しですが救いの手が政策でもたらされているのは、批判する輩もいますが、むしろこんなにも放置されてきたのだからもっと支援するべきじゃないか、と私は思います。

まあ、こういったのが記事となっている時点で、問題が今まで解決されてこなかった、というわけですからね。

 

今は労働力不足ですが、正社員や公務員に向かう子もいれば、パート・アルバイトでも暮らせていけるからいいや、という子もいて2極化している気もします。

大手企業は「有名大学のさらに優秀」と思われる層を狙い、学生達も狭き門を目指して頑張っている、というグループがありますが、大学入学しかり、企業就職しかり、ものすごいこだわりが無い限りは席はある、という時代です。

でもね、なんか変な気もするんですよね。

例えば、農村では働き手が今だけでなく1990年代も少なかったわけで、私もそうですが「大学→企業就職」という流れしか、見せない、知らせないという構造自体がおかしかった、というのもあると思うんです。

今は学生起業とかも普通に選択肢にある時代ですし、農村へ最初から進もうとしている学生もいます。あの頃は、レールが1本しか敷かれていなかった、それしか知らなかった、というのもありますよね。

きちんと働きたい、という欲求があって、それを満たす受入れ先がきちんとあって、という時代は最低限の話で、その需供を調整していくのが一番大事な仕組みなんでしょうね。

 

「あいつは働き者だ」というのは、農村では褒め言葉です。一方で「どこの大学を出たか知らんが、仕事で使いものにならねぇ」というのは良く聞く話です

「働く事は美徳である」というのが昔ながらの日本人の感性だったはずで、その流れで企業戦士とか24時間働けますか、というノリが出きてしまった暗黒の時代もあったかと思いますが、なんていえば良いかわかりませんが、きちんと真面目に働けない人がいたり、きちんと真面目に働いてもそれだけでは十分じゃ無いという人がいたり。そこも問題だな、と。

きちんと真面目に働けばそこそこの生活が出来て暮らしていける、そこに幸せを感じられる時代じゃ無くなってしまったのかな~という気はします。寂しいというか、何か違うよな~、という気はしています。

何書いているのかわからなくなったので、これにておしまいにします

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅とザリガニの数

2022年06月15日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です。

 さて、週頭に今年の梅干を漬けました今年は昨年に比べれば梅は沢山採れました

 梅干を漬けたことがない方はわからないと思うのですが、本当に美味しい梅干はフルーティーなのです。梅はすぐに黄色く熟し傷んでしまうので、流通しているのは基本的には青梅です。それをすぐに漬けてしまうとカリカリ梅になってしまいますし、多少おいて黄色がかってきてフルーティーな香りがしてきたのを漬けても、やはり少し硬めになります。ところが梅が完熟して地面に落ち、少し黄色がかった傷む寸前の梅を付けると、果肉も柔らかくフルーティーな梅干が出来るのです

 売っている梅干しできちんと18%の塩分濃度で漬けているものは、今は減塩志向でほぼなくなり、また、きちんと塩漬けして赤しそが出来たら追加し、7月の土用の丑の日前後に天日に当てて干す梅干もほとんど無くなりました。当たり前の作り方のものが市販ではなくなってしまうのは、変な話なのですが、なんでも効率主義になっちゃうんですよね。きちんと漬けた梅は健康の源で、整腸作用と殺菌作用があり、万病を防ぐ家宝級の食べ物なんですよ

 そんな梅を拾った時に気づいたのですが、今年は蚊の発生が遅いな~ということ。去年は蚊の襲来に耐えられなくなって梅拾いを終えたのですが、今年は攻撃が少なかったのです。実は野菜の虫食いもそうで、ほとんど虫食いがないまま来て、先週末ぐらいからキャベツなどに急に虫食いが発生し始めました。それでふと思ったのが、先週の土曜日のザリガニ釣りです。

 お米農家の根本さんとやっている「田んぼと畑の耕育教室」でザリガニ釣りをいつもやっているところで、11年目にして過去最悪の不漁だったのです

大体、1時間で1家族10匹は釣れるのが普通だったのですが、多くても4匹、少ない家族は1匹という悲惨な結果でした。「水温が低いからかな?」と根本さんは言っていましたが、よく観察すると大物しか釣れずこの時期に育ち始めた小物がほとんど釣れないのです。今の時期は7割ぐらいが小物で、これから大きく育つのが釣れるのですが、恐らくまだスルメで釣れるほど育っていないのだろうと予想しています。

 4月から今と同じぐらいの曇天・小雨続きだったせいで、例えば藻などの発生が遅くなり小さな生き物の生育が遅れ、それを狩る肉食生き物の発生と生育が遅れているんじゃないかと予想しています。一見、関係無いようで、蚊とザリガニの数の少なさは同じ環境要因が原因なんじゃないかな~と思っております

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都市と農村の仕事の差

2022年06月14日 | 自分の時間

NHKスペシャル「夢見た国で〜技能実習生が見たニッポン〜」というのを見ました。

NHKのHPを見るとこう書いてあります。

「3年半にわたり取材してきたベトナム人技能実習生たちが、コロナ禍の日本で次々に姿を消した。何が起きているのか?SNSコミュニティ“ボドイ(兵士)”では、実習生たちが闇金融や犯罪組織にからめ捕られていた。さらにビザに関する国の特例措置で無保険になる人が続出。借金を抱え、命の瀬戸際に追い詰められる人も。憧れを抱きやってきた「夢の国」の過酷な現実。それは、日本の未来に何をもたらすのか。調査ルポから迫る。」

 

私は農村に身を置いているので、この内容を見て「なるほどな」と思いました。

何が「なるほどな」と思ったかというと、「農村と都市部の差、立場の差でこうも変わるのか」というものです。

例えば、私が東京に住んでサラリーマンしていたら、「酷い話だ」と思っていたと思います。

しかし、私は農村の農家さんとおつきあいをしているので、「農村と都市部はこんなに違うのだな、なるほどな」と思ったのです。

 

番組内で技能実習生制度に関わった元官僚の話や繊維業界の方の話も出てきましたが「建前は国際貢献だけど、実体は労働力確保です」と言っている通り、いわゆる「出稼ぎ労働者」なわけです。

昔は日本でも東北や貧しい農村から、冬の仕事が無いので都市部に出稼ぎにお父ちゃんは行っていたのです。

それが日本が近代化し、仕事もあるので、出稼ぎも少なくなってきました。

そして少子高齢化で人手が少なくなってきたので、国が制度として作ったのが「技能実習生制度」です。「日本の技術を学んで自国の発展に寄与出来る人材になろう」という建前で、昔は中国、今はベトナム、フィリピン、モンゴルといった辺りから技能実習生がやってきます。

その斡旋団体、企業というのがいて、海外から人を集めて日本に来てもらい、1ヶ月の日本語研修などをして、静岡や愛知の工場、千葉や茨城の農家へ送ります。

そこで受入れた工場や農家が、「労働力」として技能実習生に働いてもらうのです。

これは農村では周知の事実、誰もが知っていることで、私も何人かと話したことがありますが「離婚して子ども残してきている。ここで稼いで家を建ててみんなで暮らせるようになりたい」とか、2年とか3年頑張って、「自分の村で楽に暮らせるようになりたい」という覚悟を持ってくるのです。

ベトナムやフィリピンの農村というのは、都市部よりまだまだ貧しいわけで、首都に出稼ぎに行く人が多いわけです。昔の日本と同じですね。どうせ出稼ぎに行くのなら、日本に行った方がお金が違うので、日本の来たがるわけです。

実際に同じ村で「家を建てた人」がいると、なおさら「私も日本に行きたい」という人が増えるわけです。

これは「国の所得格差」なので、例えば中国で貧しい村が発展してくると、もうそこは日本にわざわざ行かない、あるいは中国の都市部で十分、となるので、まだまだ国の所得格差があるところから出稼ぎとしてやってくるのです。

 

ここで問題があるとしたら

1:斡旋団体、企業が悪質かどうか

2:受入れ先の工場や農家が悪質かどうか

だと私は思います。

 

私がおつきあいしているのは農村の農家さん達ばかりなので、はっきりいって働き者ばかりです。悪質な農家というのは私は会った事がありません。農村ではそういった人はあっという間に噂が広がって、みんなから「あいつのところは」となって、おつきあいが出来なくなります。

あえていえば「儲け主義の金銭主義」というレッテルを貼られる人が悪者扱いされますが、やっかみであって、外国人労働者を家畜のように扱うなんて人は、私の周りでは聞いた事も見た事もありません。

むしろ「今回の研修生は外れだな。言ってもきちんと働かない」といった感じで、研修生の質の善し悪しがある、と思っているぐらいです。それほど貴重な労働力で、真面目にきちんと働く人は、農村では重宝されるわけで、日本人であろうと外国人研修生であろうと構わないわけです。むしろ外国人研修生の方が確率としては今の日本人よりよっぽど真面目にきちんと働いてくれるわけです。

また、令和2年までは「母国に住んでいる研修生の家族も扶養家族なら保険対象となり、雇い主が面倒をみなくてはいけない」という法律がありました。これに憤っている農家さんもいました。「俺の知っている人のところで働いていた中国人が、家族を呼び寄せて病院に通わせて。それを俺たちの税金でまかなってあげる必要があるなんて、馬鹿らしくないか?」。この制度は令和2年で無くなったそうですが、確かに農家さんの憤りも一理あると思いますよ。

そして、研修生の手取りが月8~9万と言われますが、これも実際は月給が18万としたら、斡旋企業に数万、また研修生用のアパートと水道光熱費や食費で数万など払うと、手取りは10万以下になることも別におかしくないのです。

それでも「自国で働くよりよっぽど良い」という研修生が来るのです。

 

こんな感じで、私の周りの実態を知る限り、研修生が無くてはもはや農業は回りませんし、特に茨城は全国の確か3割ぐらいの農業研修生を集めているはずで、日本人の国産野菜は食べられなくなるのが実態です。

繊維工業や労働集約型の業種は、外国人技能実習生が無ければストップしてしまうのが実態で、これは良くも悪くもお互いのためになる制度でもある、とは言えると思います。

 

ところが、さっきも書きましたが

1:斡旋団体、企業が悪質かどうか

2:受入れ先の工場や農家が悪質かどうか

というところに問題が発生しているわけです。

 

こういった権益ビジネスには怪しい人達が入りやすく、そういったところにお金や人材を国は直接まわしません。というか、国家として中小企業や工場、農村といったところの人手確保をどうするか、という解決策を打てなく、この研修生制度が一つの解決策となってきた、というのが今までの歴史です。

 

そして、海外から日本に来る研修生はとても不安で何もわかりません。そこの全てを握る斡旋企業が悪意があれば、いくらでも悪いことが出来てしまいます。斡旋企業が悪ければそれを受入れる企業側も差別的意識を持って外国人労働者を扱うこともあります。

でもこれって、日本人労働者にも当てはまるな、と思いました。

都市部でたまたまブラック企業に入社してしまって、でも正社員でいたくてぼろぼろになるまで働いて、最後は体を壊して辞めざるをえなくなり、さまような日本人が実際にいます。そこにつけこむ闇ビジネスも多数あります。

 

そう思うと、都市部と農村のそもそもの差があるよな、と思います。

農村ではちょっと一昔の考えというか、本来の生きること、つまり衣食住が足りれば人は生きている、という当たり前の思想、生活が残っています。

都市部はお金が無いと生きて行けません。食べ物はお金で買うものです。

この差は体験したことが無い人にはわからないほど、生き方に大きな差があります。

例えば、体が動くのであれば、半日農家さんのところで働ければ、バイト代と食べ物が頂けます。食うに困っている人で、真面目な人なら農村では誰かが助けてくれます。食べ物が手に入ります。

実際に、家賃1万円、食べ物の半分はもらったり自給、あとは光熱費やちょっとした買い物で月10万あれば普通に生きていける、というのが農村です。

そういった生活に居心地差を覚え、農村でそういった暮らしをしている元都市部人間は結構います。まあ、私もその1人なのでしょうが

 

ちょっと話がずれましたが、外国人研修生も日本人もそうですが、都市部で過酷な環境で働かされているのと、農村で自分以上に良く働く農家=雇い主の下で働くのでは、全く意識が違うよな~、と思いました。

ほんと、農家は良く働きます。そこで働いていると仕事によっては5倍速いのです。まとま人なら「自分が戦力になっていないな」と思うわけで、それでもお金をもらえる、もっと仕事を早くやれるようにならなくちゃ、と思えるわけです。

工場などで指示だけ出されて偉そうにしている雇い主の下で働かされる環境とは、地道な繰り返しの仕事ばかりであっても、決定的に違う精神状態になるんじゃないのかな~、と思いました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑の野菜と梅

2022年06月12日 | 農的体験・生活

梅雨時は晴れ間がなかなか無いので、草取りもままならず、収穫ぐらいで手一杯の日々です

そんな中で、ちょっとした晴れ間で少し余裕があったので写真を撮ってみました。

まず、あれま、カボチャが出来はじめていた(写真はボケボケ)

そしてようやくパクチーの収穫が出来ました今年初

パクチー自体は生ではとても食えないのですが、ニンニク&塩&オリーブオイルで食べると、長男と私はもうたまらん、という感じで箸が止まらないのです

そして、今年、初めて種を蒔いたのがおかひじき。

食感がシャキシャキが美味しい、ということで、子どもが好きというので、種を蒔いてみたのです。まあ、大体、オクラとかと同じで「好き」と言われると沢山作り、毎日収獲すると「もういらん」と嫌われてしまうんですけどね

こちらもふと気づいたら、あっという間にモサモサになって食べきれないほどになっていました

そして今日は梅採り

今年はなかなかの量がとれて、黄色い熟したのは漬けまして、残った青梅は1晩置いて黄色くなってきたら漬けたいと思います。

梅仕事、まさに梅雨の時期の仕事でなかなかタイミングが難しいのですが、これで元気に生きていけます

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅干しとラッキョウは手作りが一番♪

2022年06月08日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の朝採り野菜ボックスのお手紙です

 いつの間にか梅雨入りしました いや~、ちょっと前までは晴れが続いていたのですが、結局、また曇天・雨天になってしまいましたね。今年は4月からずっとこんな天気が続いているので、何かと野菜が育たず困ったものです


 特に玉ネギやニンニクが不作。つまりユリ科が上手に育たなかった年です。みみずの会でも玉ネギが不作、私の畑ではホワイト六片のニンニクを自家採取して6年ぐらい経ったのですが、今年は過去最悪の壊滅的な状態で、もしかしたら来年の種も無いかもしれません

 ユリ科といえばラッキョウがこの後に収穫が控えていまして、ラッキョウも種をとり続けて6年ぐらい経つのですが、我が家の必須食品なので、無事に育っていてくれたらいいな~と思います。

 私はこういった農の世界に入ってから梅干しとラッキョウは必ず漬けるようになりました。梅干しは「その日の難を除ける」と言われ、実際に殺菌、整腸作用が優れているので、伝染病が流行ったり食あたりの時などは昔から重宝されてきたそうです。

今の人は胃酸過多、あるいは低胃酸症と両極端で便秘と下痢の人が多いのですが、梅干しはどちらにも良く効くそうです。我が家は私と次男がほぼ毎食食べていたのですが、昨年から味覚が変わった長男も、1日1回は食べるようになりました。手作りした物を子どもが食べてくれると嬉しいものです

 ラッキョウも奇病、疫病が流行ると「魔除けになる」と言われ、その薬用で腸をきれいにし、ビタミンやカルシウムの吸収を助けるそうです。梅干しはきちんと海水塩で漬けて赤シソを入れ、土用の丑の日あたりに3日間天日干しをするとずっと持ちます。梅干し作りはどちらかというとそれほど大変ではないのですが、ラッキョウ作りは毎年ギブアップしたくなるほど手間がかかります

 まず、我が家は仕込む量が多いので、収穫したラッキョウの泥を洗い落とし、薄皮と根を切り、準備を整えるまでに5時間はかかります。毎回、ここまでで嫌になるのですが、気持ちを切らさず頑張って塩漬けにして2週間ほど置きます。そうすると発酵してなかなかの臭いが漂よい始めるので、それから1日かけて塩抜きし、湯に通し、砂糖とお酢と唐辛子で作った漬け汁に漬け、1ヶ月ほど漬けると出来上がりです。売っているラッキョウは発酵食品では無く、調味液に漬けただけのものなんですよね。

 梅干しもラッキョウも昔は「何があっても漬けろよ」と言われてきた食品だったそうなのですが、今はそういった家も少ないようです。また、まともなものはほぼ売っていませんので、自分で作る姿を子ども達に見せ、本物を食べさせることはとても良い教育だと思っています。何より美味しいですしね。

長男が梅干し同様にラッキョウも昨年から急に沢山食べるようになったので、今やラッキョウは一夏で食べきってしまうようになりました。作るのは大変ですが、心の中では「してやったり!」と思っています

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチン2回の陽性率、半数世代で未接種上回る 厚労省再集計で判明

2022年06月02日 | 自分の時間
「ワクチン2回の陽性率、半数世代で未接種上回る 厚労省再集計で判明』という記事が日経に載っていました。
 
コロナワクチンについては、賛成派と反対派がまるでヒステリーみたいに戦っているので、私は一歩引いて見ております。テレビでも、たまに副作用で困っている映像が流れたり、でも8割はワクチン促進の映像であったり。
 
そんな中で、岸田さんが「感染を防ぐ」という事を言っているし(感染を防ぐのではなく発症や重症化リスクを低減する可能性がある)、まあ、日本特有の「雰囲気」作りばっかりで、理路整然と説明出来る人が少なすぎて、まあ、一歩引いているのです。
 
で、日経さんは経済新聞なので、最近は「出口無きコロナ戦略」みたいな風潮になっていて、「出口戦略を早く示しなさい」という論調が多くなってきました。
 
その流れで、今回の記事は「40代~70代までで言えば、2回摂取済みの人の陽性率が未接種の人より上回った」そうな。
 
言いたいことは「ワクチン打った方が陽性率が多いというのはどういうこと?」ということですが、もう1つの問題はそのデータが、「データ集計法を修正したら発覚した」というところ。
 
厚労省が今までは「未記入、摂取済みと答えても日付未記入者は全部未接種にカウント」していたそうで、それをもとに「未接種の方が陽性率が高い」というデータが出来上がり、そのデータを根拠に「ワクチンを打ちなさい」という話になっていたわけです。
 
それを、外部から指摘を受けて集計しなおしたら判明したそう。「ねつ造じゃないか?」と言われますね、普通の一般会社なら。
 
まあ、それはともかく、ワクチンを2回打った人の方が未接種の人より陽性率が高い原因は不明で、抗体がかえって免疫細胞などに感染を促進するAEDという現象が起きているかもしれないとか。
 
まあ、そもそもの陽性率という指標が欧米はともかく日本には意味をなさないと思いますが。
 
それはそうと、ロシア石油輸入ストップを議論していたEU首脳会合ではもうみんなノーマスクでしたね。あれを見て、「日本もそろそろ落ち着いて欲しいものだな~」と思いましたが、スペイン風邪は4年後ぐらいに再び第二波のビックウェーブが来たらしいですし、どうなんでしょうね。
 
ワクチンは対処療法ですし、結局、アジア人のファクターXは見つかっていないのでしょうから、最終的には集団免疫を獲得するしかないわけですよね。
 
と書いていて、イギリスの初期始動の「集団免疫を獲得する」といってあえて放置した結果、無茶苦茶ひろがって失敗した、あの施策を思い出しました
 
正しくたって、目の前で多くの死亡者が出て重症患者が増えて病院経営も破綻していたわけで、まあ、目の前の問題に処理しないと袋だたきに会うのが国政ですからね。政治家は本音と建て前を上手くつかいこなさないといけないわけですが、コロナはその顕著な対象で、政治家の中には「ワクチンってあまり意味あるとは言えないけど、それしか言うことないしね」という事でワクチン施策にのっかっていた人もいるでしょうし、難しいですよね~。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の人は自分の命を自分で診て養生出来た、というお話

2022年06月01日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の「朝採り野菜ボックス」のお手紙です

 先週の(土)は大人向けの「食と命の教室」でした。今年で10年目なのですが、どちらかというと今まではガンの方や看護士さんなど、何かしらニッチな方が多く来ていました。

ところがコロナになった辺りから都市部から田舎への移住も増え、SDG'sの認知も広がったためか、純粋に「農のある暮らしを学びたい」という方が増えてきました。

今月の教室もとても盛り上がったのですが、テーマは「高柳家の伝統療法・養生話」でして、ちょっと共有させて頂きますね。

 おかげさま農場の代表で私の師でもある高柳さんは、昔から伝わる伝統療法を今も実践しています。お父さんが脊椎カリエスという病気になった時、同じ病気の仲間は病院で全員死んでしまったのですが、お父さんは「赤本」という民間伝統療法を独学して生き残った、という経緯があります。

昔は無医村が当たり前で、例えば「マムシに噛まれたら○○じいさんの家にかけこめ秘伝の薬があるぞ」とか、が当たり前だったわけです。そういう幼少期を過ごしていたので、打ち身にはマムシの焼酎漬け、調子が悪い時は梅肉エキスを舐めたりゲンノショウコを煎じて飲む、といった事を今も実践していて、それがダメな時に医者に行く、というスタイルです。

「猫や犬を見てみろ。あいつらは調子が悪かったらご飯も食べずにずっと動かないで寝そべって休んでいる。生き物には本来治す力というのがあるんだ。それを今の人間は体調が悪くても仕事があるから、といって無理して医者にいって薬をもらったり。もっと言うと自分の体調が悪いかどうかさえわからない。それで無理して病気になる。自分の命を見る力というのかな、抵抗力が備わっていてそれは自分の意思ではなく遺伝子に組み込まれているんだから、それを発揮出来るように養生することが大事なんだよ」

 また、「日本の国家予算は命を育む食料費より治すための医療費の方が多いんだぞ。農業界も同じで肥料代より農薬代は倍なんだよ、おかしな国だよな」と言います。

「今の人間の医療を見ていると有機農業の野菜と同じだよ。キュウリが例えば病気にかかると葉が縮こまってしまってくしゃくしゃになる。それでも元気だと次の葉っぱはまたしっかり広がって出てくる。それを病気や虫が付くといけないからといって農薬を撒く回数や種類を決めて防除歴に従って撒く。本来、野菜だって病害虫に抵抗する力をもっているのだから、そういった生命の力が発揮されるような環境を整える事に力を注ぐのが農家なのに、そういった思想というのかな、考えをもった農家がいなくなっちゃったんだよ。それは人間にも言えるよ。何かあればすぐに医者に行く。そうでなく自分の抵抗力や免疫力が発揮されるように養生する、という事が最近の人は出来ないんだよ」

昔は変わっている人と思われた高柳さん、今はこういった話に教室の参加者はみんな「その通りだと思います」と言います。温故知新、そういった時代になったのでしょうね

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ