半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

小中学生のスマフォトラブル対策教室

2018年10月29日 | 仕事の中で
先日、この辺の小学校3校と中学校1校の「合同教育ミニ集会」なるものがありました。

先生向けに研修は沢山開催されているそうなのですが、保護者も参加可能で、かつ、地域合同でやる初めての研修とのこと。

9割学校の先生が参加者で、保護者は1割ぐらいだったと思いますが、私は学校評議員というものになっていて、その流れで参加してきました。

内容は「スマフォ、snsトラブル」について。


講師の先生は、初音ミクの産みの親の1人だった人だそうで、今は千葉大とかの先生をやったり、全国で講演をしたり、スマフォの対策アプリの販売をする会社を運営もしているそうです。

ちなみに、初音ミクというのはボーカロイド、人口音声とアニメで作られた架空のアイドルとでも言えば良いのでしょうか?
私にはもはやついていけませんが、最初はオタク(もはや死語?)相手のものと思っていましたが、どうやら一般アイドルなみにファンがいて、経済効果も凄いらしく、今の若者には当たり前の存在なのでしょうね


さて、研修の内容ですが、SNSトラブルというのは、ラインなどで誹謗中傷などがあったり、1人を招待して徹底的に叩いて仲間から外す、とか、まあ酷いのがあります。

自分撮りした横に、たまたま変な顔をしている友達が写っていた場合、その変な顔の子のことがつっこまれて拡散して、その子がいじめられたり。


ただ、それだけではなく、可愛い女の子はストーカーのようなことが簡単に起きてしまうということ。

例えば、ある女の子が家でカップラーメンを食べている写真をアップした。

すると、その子がかわいいので、そういうのをウォッチしているおじさんが、その子の過去の写真を徹底的に調べたら、制服を着ている写真があった。

その制服とアップされている写真から日常行動を調べて、どこの電車で通勤しているか、まであぶりだした。

そして、ある時、「いつも君を見ているよ」というコメントと一緒に、その子が電車でスマフォをいじっているところを撮影した写真が送られてきた、、、とか。

お~、怖い

講師の先生からいえば、自分の身元が特定される制服を着たまま自画撮りしてアップするのは無謀極まりないもので、スマフォの情報リテラシーが無いのと同然で、今の子供はジャングルを自分を守る武器を持たずに歩いているのと同じだ、と言います。

「でも、そういった意識は子供には無いんです」とのこと。

例えば、メールのように1対1でクローズドのやり取りと思っても、そんなものはあっという間に広がるのがsnsの世界。

「本人たちは秘密のやりとり」と思っているのを、簡単にアクセスできる人たちが沢山いるという前提をわかっていない。

また、相手がプリントスクリーンで写真にしてしまえば、それがあっという間に拡散されてしまう、ということもわかっていない。


最近は小中学生のあこがれの仕事№1が「YOU TUBER」で、ある低学年の可愛い女の子の小学生が「いいね!」やチャンネル登録が欲しいばかりに、「自分の住んでいるところは」と言いながら、「ヒント」としてマンションの外観の写真をアップしちゃったり、そして「次はもっと具体的なことをおしえま~す」みたいな動画をあげていると、もうその時点で調べられる人は調べられていて、玄関を出たら4~5人の男の人がたむろしていた、とか。

お~、怖い


講師の先生の方の結論は「入口で防ぐしかない」というもの。
一度入ったら、もう解決できる出口が無い、というのがsnsの問題というところ。

ということで、フィルタリング機能や充電器を管理するとか、色々ありますが、「親子でルールを決めていますか?」という事に関しては、今回、合同教育集会に参加した中学校では、新任の校長が「スマフォ持ち込み禁止」にしたらしく、また、親にもルール作りを促したそう。

とはいっても、親の方から「ルール作りって?」という反応もあったので、例えば「1日〇時間」とか「〇時まで」とか「宿題が終わってから」とか、「メールの内容は見せる」とか、色々な事例として10か条を提示し、その後、1年経った今年に「アンケート」を取った結果が、今回の研修で発表されました。

そうすると、時間を守るとか、そういったルールを作れているのが6割いて、その他を抜かすと2割ぐらいはルールが作れていない、守れていないそうんですね~。

まあ、親が子供に言う以上はきちんとすべきですが、今は親の方が日々スマフォやってますからね~。

ある教頭先生が「子に対するルールなのか。家の中での全員のルールなのか」と言っていましたが、まさにその通りだと思いました。

親がろくに守れていないのに子に言っても説得力無いですからね~。


実際、知り合いの子はスマフォが手放せなくて、夜もずっとピコピコやっていて問題になっていました。
返信が気になって夜も手放せないんですって。
そんなスマフォを取り上げることが親にも簡単に出来ない時代なのでしょうかね?

まあ、色々話がありましたが、結局は親のしつけの問題、親がどれだけ自らきちんとルールを家で守れて、渡す最初の時に約束をし、その約束が守れない時には毅然とした態度が取れるかどうか、次第、ということ。

スマフォはダメ、と言っている時代ではないですが、世の中、良い大人がゲームやったり漫画読んだりしている時代で、タバコによるちょっとした時間つぶしが、今はスマフォになってしまっている時代ですから、まあ私が子供の頃に比べて変わりましたよね~。

ゲームも面白いし、漫画も面白いけど、それにず~っと時間を費やしているのが「なんだか無駄だな~」と思わないのでしょうかね~?

まあとにもかくにも、我が子にもいずれスマフォを渡す時が来るわけで、それまでに、食べ物と同じで、家庭教育をしっかりしておかないとね。
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収獲の秋の「田んぼと畑の耕育教室」

2018年10月21日 | 農的体験・生活
(土)(日)と「田んぼと畑の耕育教室」。
収獲の秋という事で、一番お土産が凄い月です

まずは、今が旬の丹波黒大豆の枝豆。
夏の枝豆より12月の大豆になる前に早どりする今の枝豆の方が、圧倒的に美味しくて旬ということ、半分以上の方は知らないのです。
私も農村に足を踏み入れるまでは知らず、これを知ってから「そりゃ、秋の枝豆の方が美味いわさ」と納得したわけです。

夏の枝豆は品種がそもそも違うわけで、早く出来るものは、晩生のものに比べて味が薄いのはどんな野菜も同じです。
しかも、大豆の王様「丹波黒大豆」の枝豆は、普通は流通しないので、幻の枝豆ともいわれています。
超高級で、実は大きくて旨味が詰まっていて、昨年参加した方が「これを食いたくて」と久々に参加するほど

「1家族2株」という制限ですが、1株で上手くいけば両手いっぱい以上とれるのです。
ということで、沢山ある中から、「これだ」というのを2株みんな選んで抜いて、収穫です


また、鞘を外すだけでなく、葉っぱを外して「枝と鞘」だけ残した「本当に枝に豆がついている状態」のもデモンストレーションで作って見せたら、「なるほど、だから枝豆なんですね」と、正真正銘の「枝豆」の方ににするべく、みなさん頑張って葉っぱを外していました。


茹でるとこんな感じで、激うまでした



また、最近、一番人気のさつま芋、「シルクスイーツ」を1家族コンテナ半分ぐらいお土産に。
今年は土が締まって固かったので、いつも元気なお父さんも「こりゃ、なかなかきついですね」と頑張りながら弱音も


でも、やっぱり収穫は楽しく、あちこちで写真撮影が。
子供と一緒に田畑体験、大人も子供も楽しめるっていうのは、やっぱりいいですよね~
しかも、1家族で10~15kgぐらいのお土産だから、ほんと、お得な月です。


さらに里芋掘って「親芋、子芋、孫芋」という里芋のでき方を説明すると「へ~、こうなって出来るんですか」と大人も勉強になっていたようです。
小さなお子様には葉っぱを「トトロの葉っぱだよ」と言って渡すと、みんな大喜びでした


お昼は、先月みんなで稲刈りして作った天日干し米を食べ放題
超具沢山の豚汁や高級卵、根本さん家の甘柿も出ました

贅沢過ぎる月なので、(日)は約90人参加で、これだけの人数を1人で運営するともうヘトヘト
受付だけでなかなか疲れます
昼休みに、年間で来てくれた方にお米を25kgプレゼントするんですが、これがまた、20家族以上いるので、合計400kgぐらい手渡しするので、これも体力使いました

でも、いつも来てくれるお父さんが手伝ってくれて、ほんと、良い参加者に恵まれて、有難いです

今月はお料理スタッフの都合がつく方がいなかったので、奥様も1人で大量の料理を作ってました。偉かった

寄る年波には勝てず、思えばこれを始めたのが7年前ですから、あの頃は30代だったわけです。
7年経つとさすがに体力も落ち、参加人数も100人近くと当時の何倍にもなっていて、毎回、設営などでヘトヘトになりますが、なんだかんだ言って子ども達の笑顔がたまらないんですよね。

小さい子達の純粋な笑顔の可愛いこと
「かたおかさん、あのね」とか声をかけられると、もう、保父さんになって気持ちです

そんでもって、小さい子連れでのんびり田畑仕事を家族みんなで楽しめる場所もなかなか無いわけです。

東京など遠くから毎月通って下さるみなさんがいる限り、あとは体力が続くまで頑張ろうと思う教室でした
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ドイツに居た方からのお言葉

2018年10月17日 | 仕事の中で
毎週水曜日には「朝採れ野菜BOX」を仕事で配達しています。

そこに入れるお手紙の内容を、こちらにも載せてみました


 日本にいると、日本の常識が当たり前になってしまいます。
その中で、時代がどう進んでいて、それが世界や地球、そして日本や自分たちにとってどういう影響を与えていくのか、考えながら過ごすには、他を知って比較する必要がありますよね。

 ところが、日本では会社生活をすると、なかなかそういった事が出来ないんですよね。
 私も自営業になり、農村に根付くようになってから、ようやく、都市部と農村、世界と日本、過去と今の違いを学び、人生を豊かにし地域や社会にどう自分を活かしていくかを考える日々を送れるようになりました。

 特に農業や食べ物を考えれば、アメリカに次いで日本は世界的におかしな国であることは明白です。
 明白なのだけど、普通に暮らしているとそういったことを疑問に思えないで日々が通り過ぎてしまいますよね。
 
 例えば、世界中の人がアメリカ人と同じ暮らし方をすると地球が5個あってもたりないといいます。
 同様に、日本人と同じ暮らし方を世界中の人がすると地球が2個あっても足りないと言います。
 世界中から食べ物を買い集め、1/3を捨て、お金に物を言わせて消費が喜びとなっている生活文化は、かつての大地に根差し、自然と共に生きる生活文化とはだいぶかけ離れてしまいました。

 そんなことを良く考えますが、たまたま私が主催している「寺田本家酒蔵見学会」に、デンマーク人の方と結婚して、ドイツに12年住み、4年前に帰国された方からお申込みがありました。

「オーガニック大国ドイツから帰国し、日本における有機食材のあまりの浸透のなさや世界トップクラスの農薬大国であることを嘆く一方、日本でもこうして有機の重要性に真摯に向き合っている生産者さんがいることを頼もしくも思っています」

 というコメントを頂きました。

 このコメントを見て「あぁ、やっぱり世界と比べないと日本がいかにおかしいかはわからないよな~」と思いました。

 「有機食材のあまりの浸透のなさや世界トップクラスの農薬大国」と、我々日本に住む日本人がそうは思っていないのですから。

 例えば、神経毒のネオニコチノイド農薬が数年前に世界トップレベルの使用基準に「規制緩和」されました。
 日本の基準はまあまあ厳しかったのですが、アメリカの農産物が輸出出来ない、と外圧がかかり、アメリカと同様の使用量に緩和されたのです。

 ネオニコチノイドはヨーロッパでは、ミツバチに多大な影響を与え、子どもには胎児の脳神経形成に害を与える危険性があるとされ、使用禁止の国もあります。

 かつては、家畜の肉を柔らかくするホルモン剤使用規制もヨーロッパが先で、アメリカと闘っていた時、日本はその分を輸入すべく規制緩和していました。

 狂牛病の時も同じですね。結局アメリカに従っていました。

 遺伝子組み換えの表記についても改訂されることになりました。
 今までは「5%」までは多少混じっていてもよし、95%まで遺伝子組み換えでない、と証明できていれば、「遺伝子組み換えでない」と表示して良かったのです。

 それが、来年からはダメになります。5%も入っているのか、と思う人もいますが、そうではなくて、そこを認めない、となると、一見して良い気がしますが、べらぼうにコストが上がるのです。

 となると、普通の価格では「遺伝子組み換えでない」と表示できないので、「じゃあ、遺伝子組み換えでも良いか」となり、本当の「遺伝子組み換えでない」という食品は、高価なものだけになる恐れがあります。

 一応、5%のものでも、そう表示をしては良い、という抜け穴は作っているようですが、さてさて、どうなることか。

 結局、アメリカのための改定であって、環境先進国から学んでの改定、というのは日本ではあまり無いんです。
 家畜のホルモン剤使用の原則禁止も、ヨーロッパから比べて10年以上経ってからようやくです。それだけアメリカの外圧に弱いのでしょうが。

 国が食べ物や環境問題について率先して動けないなら、やはり1人1人が勉強していくしかないですよね。

 子供や孫に「消費活動こそ人生」「楽しいことをやるのが人生」、なんて思わせないように、大人は無駄な消費を自制し、もっと勉強しなくちゃいけませんね。



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今月の「食と命の教室」は糀作り、小糸在来の枝豆など

2018年10月13日 | 農的体験・生活
土曜日は今月の「食と命の教室」でした。

10月は17日より前に開催されると「糀作り」をします。

なんで17日か?

それは10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)」の日で、この日に神様に甘酒をお供えする日だからです。


10月17日の神嘗祭に続き、11月23日が今は勤労感謝の日となっていますが、戦前までは「新嘗祭(にいなめさい)」の日でした。

今も宮中神事としてやっていますが、新穀を神様にお供えし今年の五穀豊穣を感謝し、そしてこの日からお下がりをもらって初めて新米が食べれる日が新嘗祭。

日本の神事で最も重要な行事の1つ。

今も天皇陛下は11月23日までご飯を食べません。

うちの奥様のお義母さんも、11月23日までは新米を食べないんです。私は既に食べていますが

で、11月23日は新嘗祭ですが、その前に、まずは、五穀豊穣を感謝するお祭りが10月17日の神嘗祭なのです。

まあ、新嘗祭と神嘗祭は厳密には分けるのは難しくて、伊勢神宮と皇居の神事の両方とも歴史があって今の形になっているのですが、まずは神嘗祭で今年の五穀豊穣を感謝し、新嘗祭ではさらにお供物を備えてかみさまに食べて頂き、人間も食べれる、と思って下さい。

昔は今より1月ずれていましから、9月下旬の中秋の名月の時は、まだお米はとれていませんでしたので、ススキを使っていました。

10月17日もとりあえず稲刈りをした感じですが、まだ乾燥、脱穀、など終わっていない時期でもあり、まずは稲刈りを出来たことに感謝。

11月に入ってから、ようやくご飯を食べて、落ち着いて感謝する、という感じだったんでしょうね


で、高柳家は、今でも10月17日は神嘗祭をやっていて、毎年、この日に甘酒をお供えします。

仏壇、大黒様、えびす様、荒神様、氏神様、産土神様など、合計7カ所に甘酒をお供えしています。

日々の生活の中でも、神棚、仏壇、荒神様のところには朝に炊いたご飯をお供えしています。

昔はどこも甘酒を作ってお供えをしていたそうです。

以前、神崎町の酒屋さんと話した時には「昔は、この時期は糀や甘酒の注文が入ってね。かき入れ時だったんだよ」と言っていましたから、戦後ぐらいからは酒屋さんに注文をしてこの行事を各家庭でも行っていた時代があったんでしょうね。

で、高柳家は今もやっているわけで、17日に甘酒を作るために、糀を作らないといけないわけです。

「この村でも、もうこんなことをやっているのは1~2件になっちゃったけどな」と言います。


さて、教室としては、まずは鎌でご飯を炊いたところからスタートです。
この風景を見るだけで、「いいですね~」とみなさん、嬉しそう


いつもはコシヒカリですが、今年は寺田本家という酒蔵に卸している酒米の美山錦を初めて蒸してみたそうです。
みんなで味見しましたが、コシヒカリと違って、パラパラしている感じで、酒米はやはり違うな~と思いました。

さて、この蒸したてのお米をワッセワッセと運んで


むしろの上に引いた木綿の布ところに空けます。
これで7升半ぐらいだそうです。


糀作りのポイントは、米をなるべくパラパラにばらすこと。
塊が出来てしまうと、糀菌がなかなか中に入っていかないのです。
蒸したてのお米をみんなで広げたりほぐしたりしていましたが、みんな「熱っ」と手を真っ赤にしながら頑張ってくれました。


このお米に糀菌を振って混ぜ混ぜします。
よく、テレビなどでやっているのは、振りかけのようなもので薄く降るわけですが、高柳家流は、まずは蒸したお米の一部をボールにとり、そこに糀菌を入れてまぜます。
その糀菌がからまったお米を、改めて全体に振りかけ混ぜる、というやり方です。


みんなで改めて混ぜ混ぜした後、真ん中にお山になるように集めて熱を保つようにし、その上にムシロを何枚か重ねて終了です。

あとは、8時間ごとぐらいに広げては混ぜほぐし、を繰り返し、全体に糀菌が広がるのを3日かけてお手伝いして完成です。


さて、糀の仕込みが終わった後は、畑の収獲。

最近、雨続きで畑になかなか入れないので、ちょっとした仕事になってしまいますが、ちょうど小糸在来の枝豆の収獲適期だったので、みんなで収獲。
小糸在来というのは、小糸地域に伝わる在来種の大豆。
12月に出来る大豆を今の時期に早どりするのが本来の枝豆で、夏の枝豆に比べると圧倒的に美味しいのです。
さらに、この小糸在来は小粒な分、味がぎゅっと詰まっていて、美味しいんですよ~

また、「枝豆」と言うことで、葉っぱをとって枝と豆にするやり方をお伝えしましたが、世の中には「枝」にどうやって「豆」がついているか、知らない人も多いのでしょうね~。


この採り立てを10分も経たず茹でて食べました。そりゃ~、間違いない味でしたよ


お昼ご飯は「モチでも食べよう」という高柳さんの提案で、高柳家が2~3年前にかった機械でモチ作り。
まん丸で可愛いモチですね~


黄な粉は砂糖の分量を変えて3種類、また、あんこ、雑煮、その他、いつもの定番のおかずたっぷりで、食べきれないほどでした


お腹いっぱい食べた後は、散歩がてらに柿もぎ。
先日の台風24号で破壊されたハウスの跡地も見て「凄かったんですね。。。」とみんな、びっくりしていました。

そして、いつものお話タイム。

お昼に食べた黄な粉は、大豆を炒って、それを粉末にしてふるいにかけたお手製なのですが、そのふるいにかけた際に残った皮など目の粗いものを集めて、お母さんが焼き菓子を作ってくれました

超美味しかった

昔の日本人は1年の季節の行事に沿って生きてきた、ということで、お正月、節分などから始まり、色々な話に。

例えば、この地域で300年続いている「伊能歌舞伎」というのは、春に行う「おあそび」の1つだそうです。

「おあそび」というのは、笛や神楽や歌舞伎やらいろいろを総称して言うらしいのですが、春に山から降りて来た田の神様に、五穀豊穣を祈る神事で、これが終わると、「さあ、田植えだ」とみんな一声に田植えをするわけです。

そして夏は祇園、お盆、秋に入って神嘗祭、七五三、新嘗祭、と続くわけです。

七五三は村長がその村の7歳になった子を大須賀神社に連れてきて、近隣の村の子供が一斉にお祝いされたそうです。
「今は1人だけどな。昔はその家の跡取りが立派に育ったというだけでなく、村の後継者も立派に育った、という意味もあったから、村のお祝いでもあったんだ。また家によってはお金がないところもあったりするから、それを村がやってあげよう、なんていう意味もあったな」

そんな話から、「自然と人類」といったような大きな話にもつながってきたり、参加者も「何かをしなくてはと思うけど、何からするか」といった話が出るなど、今年も残りわずかとなり、この教室も佳境を迎えている感じがします。

次回は最終回で「稲ワラ納豆作り」

なんだかんだいって、今年もあっと言う間だったな~、という思いが沸いてきた教室でした。
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絵本:三コ

2018年10月11日 | 素敵な本
うちの子も大きくなり、絵本を読む機会は減りましたが、「三コ(さんこ)」という絵本を読みながら、私は号泣してしまいました

奥様も子供もひくぐらい

「マジで泣いているの?」みたいな。


みなさん、国語の教科書に載っていた「モチモチの木」は覚えていますよね?

怖がりで寂しがり屋の寝小便小僧が、ある夜、じいちゃんがお腹が痛い、と苦しんでいるのを受け、怖がりのくせに夜に一人で飛び出して医者の所に駆けている時、勇気がある者しか見ることが出来ない、というモチモチの木に灯る雪明りを見る、というお話です。

斎藤隆介という児童作家が文章を、そして滝平二郎という木版&切り絵作家が挿絵を入れた、名作です。


特に滝平二郎さんの挿絵は強烈で、私も未だに覚えていて、うちの子どもの教科書に載っているのをみて「お~、まだ載っていたのか。懐かしいな~」とジーンとしました。

それほど、あの絵は強烈な印象を与え、本物は子供心に残るものなんだな~、と思っておりました。

さて、この2人はコンビを組んでいて、その他にも多々、名作があります。


色々あるのですが、今回、その1つ、「三コ」という絵本を読んで、グッときて感極まってしまったのです。



あらすじはこんな感じ。

昔の秋田の話で、農村では長男は総領として家を継ぐわけですが、次男、三男などは家を出て生きていかなければいけない。
しかし、畑は無く、家も仕事もなく、遠くに出稼ぎに行ったり、あるいはのたれ死ぬ、というのもあったわけです。

彼らは「オンチャ」と呼ばれています。

ある村のオンチャ達が途方に暮れていると、伝説の巨人「三コ(さんこ)」が現れて、はげ山に木を植えてくれるのです。

そうすることで、オンチャ達は「木こり」として食っていけるようになる。

ここまでで、まず感情移入が出来ます。

我が家は農家ではないのですが、成田の農村に携わって10年ぐらい経ちますから、「俺らはまだ3代目だけど、親父からじいさん達が苦労して森を開墾して、今の畑を作った、という話は良く聞いたな。今の畑が草が出ないのも、じいさん、ばあさん達が草を何十年も取り続けてきたからで、良く、周りからは『お前のところの畑は宝ものだぞ』と言われるんだけど、その意味はわかるんだよ」と言ったような話を聞きます。

明治になって、あるいは戦後もそうですが、「開墾」と言うのが一気に増えました。

「お上の土地を開墾したらその分、下げ与える」という時代です。

例えば、千葉県で落花生で有名な「八街」は8番目の開墾地、成田から富里に渡る「十余三」という地域は、千葉県で13番目の開墾地だから「十余三」です。

開墾時は、それこそバラックや掘立小屋、中には茅葺の小屋で暮らしていた、という話も聞きます。

ほんの100年前の話、私がつきあっている農家さんの親の世代の話だから、真実味があります。

しかし、昔はそういった土地が無かった。
秋田ならなおさらそういった土地はなく、かつ気候が厳しい。

次男、三男は家には必要のない存在で、そういった人たちが生きていけず途方に暮れて集ったところに、はげ山に木を植えて、生きていけるように「三コ」と呼ばれる巨人がしてくれたのです。

「三コ」も昔はオンチャだったそうです。
それがいつの間にか巨大化したという。なんとも昔話風なファンタジー感があります。


ところが、ある日、木を植え、オンチャ達が生きていく糧を与えてくれていたその山に大事件が起きます。

それを解決するために、「三コ」がとった行動は・・・・。

という話です。


自分のことを投げ出して、命をかけてオンチャ達、あるいは村人たちのことを救おうとする「三コ」にもう号泣でした

もともと感動しやすい、涙もろい、というのはありますが、以前読んだ時はそれほど感動はしなかったのですが。。。

農村の歴史、昔の農民のことをより親近感というか感情移入を出来る年頃、あるいはそういったバックグラウンドが私に出来てきたのでしょう。

そして、人と言うのはそこまでして人のために動けるのか、という事が、物語として、読み物としてだけではなく、農村に今も残る「人への優しさ」を持つ農家さん達のいる世界で10年間生きてきたからでしょうか、より真実味を感じられるようになったのかもしれませんね。

「三コ」を読んで泣く人は、今の時代になかなかいないのでしょうが、多分、田舎のじいさま達に読み聞かせたら、多分、ぐっと来る絵本だろうな~と思います。

大人に絵本を読み聞かせする、というのはとても価値があると言います。
その事を知ってから、「あぁ、これは大人になってから読んでもいいな~」という思う絵本に気づくようになりました。

それはさておき、特に斎藤さんの文章と滝平さんの挿絵は、双方相まって芸術の域に達していますから、子供も大人も良いですよね。

特に、文章のすばらしさ、絵の美しさと迫力溢れる「三コ」を私の愛読書にしようと思いました。

ちなみに、斎藤さんはこの「三コ」を生みだした後、色々なメディア用に十数年かけて十数回書き直したそうです。
それで、やっとこの絵本の「三コ」に落ち着いたそうです。

また、この「三コ」は昔は教科書に載っていたそうです。
「三コ」は時代背景からか教科書ではお見かけできなくなりましたが、「モチモチの木」は今も残っている。
今後もこの2人の絵本が教科書に載り続けることを願っています
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LEDって

2018年10月05日 | 自分の時間
最近、LED照明の車や街灯が増えてきていて、私には、まぶし過ぎて困ってます

LEDって、なんだか自然じゃない光だよね、とか、おかしいよね、と、夜に車で対向車線に並ぶ光を見るたびに思ってます。

ってなことを思っている人は、まあ世の中にはほとんどいないでしょうが

何か月か前、池袋のビックカメラに行ったら、東京都がLED交換に助成する、という小池知事のポスターが貼ってあって、「あぁ、東京オリンピックに向けて、エコ都市とかうたいたいんだろうな~」と思ったものの、「それでいいのかな~」と疑問に思ったのです。

まあ、世の中全体が「LEDはエコ」という感じで、疑問を持つ人はいないのでしょうけど


ブルーライトは目に悪い、ということで、何年か前に、JINSがブルーライト用の眼鏡をヒットさせましたが、そもそも論で「LEDは辞めた方が良い」とはならないのでしょうね。

でも、私にはどうも自然光と違い過ぎて、また蛍光灯とも違って、生理的に嫌だな~、と感じるのです。

まあ、LED反対派もネットを調べるといて、色々な諸説がありますが、要するに自然光はプリズムを通すと虹色になるように、色々な波長が混ざっているわけです。

ところが、LEDは単色、つまり一定の波長が出すもので、自然界には存在しえない波長の光を出します。


例えばブルーライトと言われる紫外線に近い青色の波長が出ますが、赤色の波長は出ません。

まあ、正確には赤色の長い波長を出すLEDもありますが、一般的なのは波長が短いブルーライトで、それに黄色っぽい波長を混ぜて、白っぽく見えるようにしています。


青の方が波長が短く周波数が高い。

赤い方が波長が長く周波数が低い。


青い方は紫外線に近く、赤い方が赤外線に近いと思えばいいかもしれません。

太陽さんはもちろんのこと、人工的に光を作るとなると、自然界は燃えて光が出る、つまり赤外線を含んでいるのが光の特徴で、昔の電球などは電気を熱に変えて明るさを出していました。(電気を熱に変えるから効率が悪いと言われる所以です)

だから、火から出る自然の光に近いといえば近いのです。

蛍光灯は紫外線を出すのですが、赤外線なども含んでいて、まあ不自然ではあるのですが、光の分布は紫から赤までまんべんなくあるので、自然界に存在する光といえばそうなのです。

ところが、LEDは、電気を熱に変えずに単色を発光出来るし、効率が良く消費電力が少なくて済むのですが、波長が短いブルーライト中心の光、というのは自然界には無いわけです。


イメージで言えば、昔の塩は「海水塩」だったのが、「NaCl99%」の塩化化合物を「塩」とした歴史に似ていますよね。

海水の塩は、ミネラル、つまり、マグネシウムやマンガン、カルシウムなど様々な微量要素と呼ばれるものがあった。
生物はそれを前提に生まれたわけです。

ところが、工業優先で、ビニールを作るための塩化化合物を作る海浜地帯を作るために、日本はいわゆる塩田法で、塩田を法律で70年代に禁止しました。

そこで、工業的に作られたのが、日本専売公社がNaCl99%の昔の様々なミネラルが混ざっていた塩とは全く違う物を作り、70年代から2002年まで、海水塩、つまり自然塩と呼ばれるものを作るのを禁止しました。

そして、70年代に生まれた私とかはずっとそういった「NaCl」を「塩」として摂り続けてきたわけです。

しかし、「赤穂の塩」とか「海の精」など、法の網をかいぐぐりながら「本当の塩」を作り続けてきたところもあり、専売公社が解体された後、ようやく「普通の海水から作る塩」が解禁されたわけです。

私の師匠の高柳さんは、「ある生物学者も言っているが、自然界で純度99%以上のものなど存在しない。それは単なる化学物質だ、というが、それはあながち間違いじゃないと思う」と言っていました。

その通りだと思います。

植物だって、昔は「窒素、リン酸、カリの3大要素があれば育つ」といって、化学肥料が広がりましたが、途中で病気が横行し、「微量要素」、つまり、鉄、マンガン、マグネシウム、カルシウムなどのミネラルが光合成の葉緑素には必要、という事が広がりました。

人間も同じです。

今はミネラルが足りないと騒がれ始め、「にがりは体に良い」「天然塩は味が違う」というようになり、かつての「化学物質のような塩」は下火になりました。

ただ、70年代に作られた人造塩が「あれは自然界に存在しない、おかしなものだった」と、反省は無いわけです。


だから、いつか、LEDも「あれは、おかしかった」とはならないのかもしれませんが、「自然界で単一で存在するものは無い」、という事は、とても大きな示唆だと思うのです。


農業で言えば、堆肥など、1gに1億の微生物が住んでいます。

小さな小宇宙、という人もいますが、そこに「億単位の生物の多様性」があり、例えば、センチュウというのが増えようとすると、それを襲うようにバクテリアが爆発的に増えます。

生物多様性というのは人間が作った言葉ですが、自然界は1つのものが爆発的に広がる、という事が無いよう、生態系を作り、バランスを整えています。

そして、色々な微生物の排泄物、死体などがいわゆる「タンパク質、アミノ酸」として、また葉っぱなどが分解されて出た「水溶性炭水化物」などが植物の根から吸われ、植物は健全に育つわけです。

土壌燻蒸剤で土の中を完全殺菌殺虫し、そこに窒素、リン酸、カリの3種類の化学肥料を入れて作った野菜は、栄養価もなく、健康ではなく、虫や病気にやられてしまう、という事実が、「多様性のない世界はおかしくなる」という事を示しています。


同じように、光のも波長の分布があり、それが何十億年も前から前提で生物の遺伝子は育ってきたわけです。

そこに単色、つまり一定の波長を取り出して浴びせられたら、そりゃ、目だけでなく生体として、細胞レベルでおかしいと感じるのは、当たり前だと私は思うのですが、そんなこと、忙しい現代で考える人はいないでしょうね。

今、科学的に問題視している人としては、例えば、アメリカでは「夜間のLEDの照明の光度を下げる」というのがあるそうです。
夜にブルーライトを浴びると、目の組織を修復する機能が働かなくなるからだそうです。

昼間に赤外線に近い赤色の長い波長の光を浴びることで、昼間でも紫外線を浴びつつも修復も同時の行われている、という学者がいます。

それがブルーライトになると、昼間の修復が進まず、夜もまた同じことが続き、将来、大きな目の病気になるリスクがある、と訴えています。

また、そもそも波長が短い、つまり周波数が高いブルーライト自体が、体に有害な電磁波として悪い、という人もいます。
携帯電話の電波、電子レンジの電磁波と同じ理屈ですね。


色々な諸説があるようですが、この流れはどうにも止まらないのでしょうね?

とにかく眩しいし、理屈抜きにして、生理的にどうも受け入れないんですよね~。
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農村、いろいろ話

2018年10月02日 | 農的体験・生活
農村、いろいろ話。
その1:台風凄かった

 先週末の台風、凄かったですね~夜中にゴーっと音がして、「こりゃ凄いな」とびっくりしました。
幸い成田市は停電無く過ごせましたが、他地域はまだ停電しているところもあるそうです。
 とはいっても、農村地帯の被害はやはり大きく、私の畑ではオクラやシソがすべて斜めに傾いたままでした。
 また、生育中の小松菜など葉物は風でなぎ倒されてしまった感じで、復活まで時間がかかりそうです。
 農家のみなさんも、小松菜など葉物が多少なりとも被害が出たもようで、またハウスがつぶれてしまった農家さんもいました。
 天災と言いますが、災害級の出来事が毎月何かしらあり、地震や高温、台風や長雨などの「災害国家」に日本はなってしまったんだな~と、つくづく思います。


その2:ゴーヤの佃煮
 夏野菜の残りでゴーヤがまだ少し取れます。
 ゴーヤチャンプルーは飽きたので、ここ1カ月はもっぱら佃煮作っています。
 切り昆布、鰹節、生姜入れて、汁気が無くなるまでコトコト煮詰めると、結構これがいけるんです
 苦みと佃煮の甘辛いのがたまらない年頃になりました


その3:首にムカデ
 生落花生を日暮れまで掘っていました。
 引っこ抜いた落花生をどっこいしょ、横に移していたら、首に「ヒンヤリ」とした感触が。
 「土でも乗っかっちゃったかな?」と思って、手で払ったのですが、また何だか「ヒンヤリ」とします。
 「何だろう?」と改めて手で払ったら、ポトリ、と落ちてきたのを見たら、でっかいムカデが
 全く動かなかったので写真を撮りましたが、まあでかいこと15㎝ぐらいはありました
 刺されなくて良かった
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