半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

農家さん

2014年12月30日 | 農的体験・生活
昨日は「自然薯掘り」のイベント日でした。

とはいえ、天気予報は1週間ぐらい前から雨

前日でも「雨」だったのですが、農家さんも「出来るでしょ」という感じで、参加者も、なんと愛知県から来る気合の入れようで、開催を希望したので、多少、雨でも開催することにしました。

しかし、、、やはり雨は強く、寒さは激しく、お昼まで雨が止むか待とう、ということなり、屋外でず~っと待機していました。

でも、その寒いのなんの

特に足先が凍りつきそうなぐらい寒く、気持ち悪くなりかけるほど体が冷え切ってしまいました


その上で、結局、雨が止まず開催中止に。。。


今日に順延となったのですが、私は他の仕事が終わったので、申し訳ないのですが農家さんに参加者を委ねて開催していただき、仕事が終わったあと、19時30頃にお邪魔しました。

その農家さんは朝は5時過ぎから仕事をし、昼は自然薯堀をし、また20時過ぎから直売所へ野菜を置きにいく、、、という無茶苦茶働き者。


今日は比較的、暖かかったのですが、しかし夜は十分寒かったです。
そんな夜でも屋外で仕事をしている姿を見て、頭が下がりました。

自然薯堀の参加者に、自然薯汁のご馳走を出したそうなのですが、その残りがありましたので、温め直してくれて、また炭火で餅を焼いて頂き、夜空の下で一緒に汁をすすり、餅を食べながら雑談しました。


帰りの車で思ったのですが、どんなに寒くても、ずっと仕事をしている現場の農家さんって、やっぱり凄いよな~、ということ。

私のように「農村コーディネーター」ということをやっていると、農家さんと触れ合う時間が多く、そういった思いは年を追うごとに強まっていくものです。

そして、色々な農家さんがいる中から、特にご縁が深まり、毎年、色々なイベントをさせて頂ける自分の立場にしみじみ感謝の気持ちが沸いてきました

ご縁があってできた農家さんとの繋がり、来年以降も少しずつ、深く深くしていきたいな~と思った時間でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルバーデモクラシー

2014年12月28日 | 自分の時間
シルバーデモクラシーという言葉を聞いて、今後について考えさせられました。

シルバーデモクラシーとは、「シルバー世代によるシルバー世代のための民主主義」ということです。
つまり、若者より高齢者の方が有権者数も投票率も高いということです。


2008年に日本史上の人口の頂を超え、4人に1人が65歳以上になった日本ですが、あと20年ちょっとで人口は40年以上前と同じ1億を下回り、しかし3人に1人が65歳以上の高齢者になります。

しかも高齢者は数が多いだけでなく投票率も若者の倍。


私が前々からいつも「こんなおかしいことがまかり通っているなんて、本当におかしな社会だ」と思っていることは、年金なり医療問題など、社会福祉が全て団塊世代以上の方に行き渡っていることです。


国の税収がこの20年で60兆から50兆に減りました。
なのに、社会保障費は11兆から30兆に約3倍になりました。
その最たる原因は「年金」と「医療費」です。

そして100兆円以上あった積立金が切り崩され、あともう少しで底をつきます。

どんな子供だって「あぁ、いまのおじいちゃん、おばあちゃんはたっぷり年金と医療費をもらって、お父さんお母さんの時代はもらえないという不安があるのね。だったら、自分達の時代はどうしようもないね」とわかることです。

それなのに、大の大人が「俺達が年金もらっていたら、子や孫は、自分達をどう思うのだろうか?」といった疑問をもって、自分達の年金を減らしたり、医療費の問題を解決しよう、という声をあげない社会なんですね。

まともな人だったら、誰でも「世代間格差」を感じ、じいじ、ばあばに「ずるいじゃないか」というはずなのですが。。。


しかし、投票者の母数も、投票率もシルバー世代が若者を圧倒しているのですから、いわゆる「既得権益」を自ら放棄したい人はいないわけで、「老人にとって優しい社会が民主主義だ」ということになるわけです。


私のような団塊ジュニアが60を超す時代は、そういったことが3人に1人が65歳以上の社会になるわけです。

今でさえ団塊世代は人口母数がどの世代よりも多いため、有権者数も多く、投票率も高く、かつ社会保障は「人生後半型」になっているわけですが、私のような団塊ジュニアが60歳を超したとき、今の団塊世代と同じような社会保障(年金、医療など)を団塊ジュニア世代が求めたら、社会保障に対するシルバーデモクラシーはさらに強くなってしまいます。

日本の人口ボリュームの山である「団塊世代+団塊ジュニア」は、日本の基本的なマーケティングの基盤であり、今の商売のほとんどが、この「団塊世代+団塊ジュニア」をターゲットに練られています。

子供向けのおもちゃだって、「団塊世代+団塊ジュニア」が購買者層ですからね。

日本は、どうあがいたって「団塊世代+団塊ジュニア」が数であり、数こそ力であり、日本を動かしています。


だからこそ、「団塊世代+団塊ジュニア」が力を合わせて、団塊世代がお金を持っている今のうちに、今の子供達を優先した「若者向けの社会保障」と「教育」を考えないといけないと思います。

ちなみに社会保障の「高齢者:現役世代」の社会保障の比率はスウェーデンでは1:8であるのに対し、日本では7:3だそうです。

スウェーデンでは地方議会では学生も議員をやっているそうで、学校でも社会保障についての教育を強く推し進めているそうです。


こんな私のコメントに対し、オランダに住む友人が「日本と欧州では『権利』という言葉の重みが全く違う」という返信がきました。


『権利と義務』ですよね。

でも、その根本は、つまるところ「教育」なんだと思います。


学校で、文字面の「民主主義」という単語を覚えさせても、本当の意味で「民主主義」とか「自由主義」ということを教えていませんものね。


でも、行き着くところまであと20年で行ってしまうわけです。


そのまでに、社会問題を真剣に考える若い世代を育てないといけない、と思う今日この頃です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜜ろうキャンドルの灯りの中で

2014年12月24日 | 素敵な家族・子供との時間
24日はクリスマスイブ。

私は今年最後の野菜の配達で、午前の畑仕事で体調不良。。。
昨日の寒い中での餅つきが体にたたったようです

しかし、家に帰ると、なんと豪華なクリスマスチキンに、ケーキに、ポトフにシャンパンに、と奥様が気合入りまくりでびっくり

そして、もりこびさん(童歌サークル)で作った蜜ろうキャンドルやお人形さんで、これまた凄いディスプレイが


う~ん、いつもは小汚い我が家ですが、ここまで気合を入れるとは、凄い

美味しいご飯を食べ満腹になった後はお休みの準備。
サンタさんにお手紙を書いていた子供たちは、自分達でもサンタ帽子をかぶって、蜜ろうキャンドルに点火。



とてもきれいですね~


ゴージャスな食事でテンションがあがりまくっていた子供は「パパとママの手を握るのが世界で一番安心」なんていう可愛いことを言ってくれながら、蜜ろうキャンドルの灯し火の中、すやすや眠りました


そして、もちろん、サンタさん、来てくれました

大人自身はクリスマスはもうどうでもいい、みたいになっちゃうけど、やっぱりクリスマスは、可愛い子供たちのためにあるんですね~

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も餅つき

2014年12月23日 | 素敵な空間・イベント
天皇誕生日は、恒例になった「農家の出張もちつき」です。

根本さんと一緒に、近くのゴルフ場にお呼ばれし、合計5回、ペッタンペッタン。

このゴルフ場は今時珍しい独立系なので、そこそこの値段がかかるのです。だからお客さんもお金持ちが多いはず。
ただ、平均年齢は60~70ぐらいなので、昨年に比べて、餅つきに参加する方も少なく、根本さんと二人で基本的にはペッタンペッタン。

しかし、4時間ぐらいの間に5回つくので、つくのは10分、まつのは40分ぐらいというペースで、待っている間は、日陰で風もビュービュー吹いて、とても寒かった

でも、毎年お呼び頂いているので、有り難いです
ご担当者からは、「天皇陛下が崩御されたら、開催日は来年、どうしましょうか?」というお話も。
なるほど、確かに御年ですものね。

いずれにしろ、お呼び頂ける限り、毎年、頑張りたいと思います
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついに、鳥を絞める

2014年12月21日 | 農的体験・生活
日曜日、ついに鳥を絞めました

前々から、「食べ物は命を頂くこと」ということを頭ではわかり、子供にもそんなことを言ってきましたが、結局は自分で食べるために命を奪ったことが無かったので、自分の言葉は薄っぺらく、いつかせねばならぬ、と思って来ました。

そして、田畑を持ち鳥を飼っているけど自分達では鳥を絞めたことが無いお友達家族と一緒に「今回、やってみよう」ということになり、ついに初めて鳥を締めさせて頂きました。

お友達家族の70を超すお父さんも鳥を絞めたことがなかったそうですが、2日前に一度試しに絞めてみた、ということで、今回は、リードして下さいました。

そして、お友達の夫婦がいたって陽気に鳥を絞め、羽をむしっていたので、私もドキドキしてどうなるか・・・とも思っていたのですが、無事絞めることができました。


今回は小さな「うこっけい」を絞めさせて頂いたのですが、お友達のご家族が絞めた大きな名古屋コーチンが、命が消え行く中で目を閉じていく姿はとても印象的でした。


羽をむしった後、内臓も取り出しながらさばいたのですが、内臓の作り、骨格なども学ぶことができました。

頂いた命は、全部まるごと使ってスープにして食べさせて頂こうと思います。
命を有難うございました。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年最後の古事記勉強会

2014年12月20日 | 自分の時間
土曜日、今年最後の「古事記勉強会」でした。

先月は自分主催のイベントがあったため参加できませんでしたが、今回も「あ~、いいな~」と思いました。

先生の小野善一郎さんという湯島天満宮の方なのですが、とにかく毎回、「これを知って欲しい」ということを繰り返し熱く語ってくれるのです。

・日本の「かみさま」は、一神教の「god」ではなく、天地(あめつち)があって、そこから生まれた。
・江戸時代までは、日本人はみんな外国からきたgodは天主であり、それとかみさまはきっちり区別されていたが、明治時代にかみさまをgodと同じようにしてしまった。
・天地には木もあり、風もあり、水もあり、山もあり、土もあり、あなたもいて、私もいて、机もいて、全てにかみさまがやどっていて、同じかみさまでもある。だから、木のかみさまも、風のかみさまも、水のかみさまも、山のかみさまも、土のかみさまも、あなたも私も机も全て同じかみさまがいる。
・日本人は、それを当たり前に知っていたし、山のかみさま、田のかみさま、お米1粒1粒にもかみさまが宿っている、そんな中で生活をしていた。
・私もあなたも他人も子供もみんなかみさまで、穢れたら祓う、という考えをもっていた。
・穢れとは怒り、傲慢、妬み、恨み、人を見下すなどの気持ちであって、それは自分が作るもの。それに包まれると自分の中のかみさまが覆われてしまって、自分が作ったものだけが鏡として写し出されてしまう。だからそういった気持ちを祓う。
・古事記を読むと、かみさまだって穢れ(怒り、傲慢、妬み、恨み、人を見下すなど)に覆われると失敗をするし、その都度、そういった穢れを祓ってきた。
・大祓詞(おおはらへのことば)は、古事記が出来る前、はるか昔から日本に伝わる言葉で、一言一句変わっていない。それが2000年以上たった現代でも、毎朝、9時なると全国8万8千ヶ所以上の神社でこの「大祓詞」があげられる。こんなことは世界でも日本しかない世界では遺跡となっているもの。それが神代の時代から今も延々と続いてきた。
・この8万8千ヶ所以上の神社で今も大祓詞があげられているということこそ、神代の時代から魂が永遠と続いてきた証になる。これが私は何年もわからなかった。しかし、これがわからないと古事記の本当の意味を読み取れない。これがわかると、自分の命が神代の時代から続いてきたものと繋がっている、流れの中にあるものだということがわかる。こんな凄いことは無いという思いが湧く。
・神道は「道」。茶道も華道も書道も全てつきつめると、己の穢れを祓い、自分の中の天地のかみさまそのものになることと同じ。


毎回毎回、上記のような内容を語られるのです。

そして、ご自身の著作の古事記の本について解釈をしていきます。

私のような生活の中に神棚に手を合わせるということをしてこなかった家に育ったものにとっては、神仏はどちらかというと「儀礼」的なものでしたが、農村に出入りするようになり、地域に根ざし生きていく上で神仏は欠かせないものであり、それは考え方や思想、あるいは生き方にも通じるものだということがわかってきました。

また、世界をみても、自国の発端となる歴史を学ばない、他国の人に当たり前のように語れないというのは恥ずかしいことですし、そういう意味からも古事記を学びたいと思っていましたが、日常生活ではどうしてもそういった学んだことから離れてしまうんですよね

毎月1回、この場で日本人の歩んできた道、祓うという生き方を学べることはなんとも有り難いことです。

ということで、出来るだけ今後も通い続けたいと思います
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

干し納豆、干し菊芋、そして干し大根!

2014年12月19日 | 農的体験・生活
今日は朝から菜洗いです。

菜洗いとは、葉っぱを洗うこと。

昔話の「舌切り雀」にも「菜洗いどん」が出てきたのを覚えていますか?

意地悪ばあちゃんに舌を切られた「おちょんスズメ」が外に逃げていったのを追いかけたおじいさんが、「菜洗いどん、菜洗いどん。おちょんスズメを知らんかね?」と声をかけると「この菜を洗った泥水を飲んだら教えてやる」といった職業です。

昔は、とった菜っぱなどを川で洗う仕事があったんですね~。


大量の野菜を洗っていると、いつもこの「菜洗いどん」のことを思い返します


今日は、お風呂場で、水曜日に畑でとってきたダンボール一杯の春菊、小松菜を洗い、菊芋を洗い、そしてたくあん用に大根を洗いました。


いや~、手が冷たかった
でも頑張りました


そして、大根はベランダへ


昨年、畑で作った大根が大量に余り、もうどうしようもなくなったので作った自家製たくあんが、想像以上に美味しかったので、今年芋作ることにしたのです

昨年は葉っぱをとったのですが、今年は葉付きです

しかし、団地のベランダで洗濯物の横に干される大根というのは、見た目もおかしいですね~


その他、これまた大量にとって余っていた菊芋を外に干していました。
ついにカラッカラになりました


漢方ではお茶にしたり色々用途があるらしいけど、どうしようかな~?


そしてそして、極めつけは「干し納豆」

11月末に高柳さんとやっている「食と命の教室」で作った「稲ワラ納豆」ですが、ビニールで覆いっぱなしだったせいか、最初のいくつかは美味しかったのですが、長く置いておいた方の納豆は、アンモニ臭がちょっときつかったのです

農文協の本だと、納豆は保温は18時間ぐらいでよいそうで、それ以上だとだんだんアンモニア臭がすると書いてありました。
一方、高柳さんは3日間が標準で、あまり発酵が上手くいかない時は1週間ぐらい保温する場合もあるのです。

環境によるのでしょうが、ちょっと匂っていたので、「干し納豆」を作ろうと思い立ち、1ヶ月ほどお外に置いておきました。


そして、見事に水分が完全に飛んでカピカピのカラカラの干し納豆になりました

食べてみると、お~、噛めば噛むほど、後からくる味わいが深い
これは正に珍味
貴重な酒の肴になりますな~


冬の食物として乾物は欠かせませんが、こうやって1つ1つ自分で自給していくと、面白いだけでなく、美味しいものが食べれるのでプチ幸せです

今年は播種時期が遅かったので大根が小さいけど、余ったもので切干大根でも作ろうかな?


干し物、おもしろいですよ~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お風呂は最高!

2014年12月18日 | 素敵な家族・子供との時間
いや~、本当に寒い日々が続きます

しかし寒いと空はきれいだし、特に夕焼けや、夕焼けの中の山々のシルエットがとってもきれいですよね~

そして、何より、お風呂が最高

入る時はちょっと熱いけど、手足がジンジンして、お風呂でも温泉気分に「あ~、極楽じゃ~」となるわけです

そして今日は、久々に子供が背中をゴッシゴシと洗ってくれました

いや~、気持ちいい~

あったかいお風呂に入って、子供に背中を洗ってもらえて、私や幸せ者ですな~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊芋の酒粕&味噌漬け

2014年12月17日 | 食べもの
菊芋の「酒粕&味噌」漬けが出来ました

菊芋との初めての出会いは、実は寺田本家さんの作っている「酒粕&味噌漬け」でした。

菊芋も美味しかったけど、どちらかというとその漬けてある「酒粕&味噌」が美味しかったんです

でも今回作ってみて食べてみたら「う~ん・・・」という感じ

いや、味は美味しいのですが、酒粕があまり無かったので味噌が多くなった分、普通の味噌漬けと余り変わらない味になってしまったんですね

まっ、これはこれで美味しいからいいのですが、今度やる時があったら、もっと酒粕を入れようと思ったのでした
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の体についての振り返り

2014年12月16日 | 自分の時間
年末ということで、この1年の振り返りを。

今年の一番の振り返りは、やっぱり「動けなくなった体」についてですね。

どんなに暑くても、朝5時から19時まで草刈をしたり、暑くても体温が下がる体という自覚があり、暑さだけにはめっぽう強いと自負していましたが、今年は5月頭にぶっ倒れ、人性で初めて3日間、体が全く動かず寝込むという状態になってしまいました

それからというもの、ほんの少し体を動かす、例えば1時間草刈をするだけで、気持ち悪くなって、気持ち悪くなると2~3日、長いと1週間ぐらいそれが続く、という状態になってしまいました。

熱中症という状態でもどうやらないし、医者にも2箇所行ったけど、どうにも原因がわからず、体力を戻すしかない、という感じで、結局9月ぐらいまでは、月に1~2回は気持ち悪くなってまた動けない、ということを繰り返してきました。

気温が下がった10月ぐらいから、体力の消耗が少なくなってきたのか、ようやく気持ち悪くなることは無くなりました。
ただ、子供たちと9時過ぎに寝ると朝4~5時には目が覚めて、朝の仕事をする、というパターンにはならず、体力がまだ以前のようには戻らないことは未だに感じています。

そしてこれは「60歳、あるいは70歳に向けて体に目を向けて、一生動き続けれらるよう手入れをしなさい」というメッセージと受け止めるようになりました。

今まで、腰痛に対して意識を向けることはあったけど、体全体のことについて考えることは、ほぼありませんでした。

私は伊達政宗の「この体は今生の借り物」という考え方が好きで、例えば腰痛で5時間寝れない日々が30代半ばに2年ぐらい続いたのですが、痛いのは自分ではなく借り物の体が悲鳴を上げているという発想で、自分のことと体のことを意識の中では切り離せていたので「まっ、しょうがないな」という感じでした。

しかし、今回は体を動かしたくても動けない、という状況で、本当にあらゆることが、どうにもならない感じでした。
田畑イベント主催者なのに、それこそお客様に意識を向けるよりも、イベントを乗り切れるか自分の体の方が心配だったり、ノートに将来へのプランややりたいことなどを書きまくっていたのに、そういった湧き上がる思いさえ出てこないし

今回の件で、「体が動かなければ、何を持ってしても始まらない、どうしようもない」ということが良く良くわかりましたし、これは「60歳ぐらいになってからようやく体のことを気にしても、もう遅いよ、今のうちに意識しなさい」というメッセージとして理解するようになりました。


ということで、親からもらった体をそろそろ意識してメンテナンスしなくちゃいけないよ、というメッセージとして、体に意識を向け初めています、

今年は、新しいことを春から始めようとしたのですが、そういった大きなチャレンジをいったん中止になったのですが、それが中止になったのがかえって有難く、乗り切れた感じがします。

また、昨年の延長の仕事だけで貯金を切り崩さなくても生活していけるぐらいにようやくなってきたし、あえて今、新たなチャレンジをするのではなく、時運が来ていないというか、まだその流れがきていないと解して、その時を待つこととします。

その間、しばし、自分の体はもちろん、家庭や頂いたご縁に目を向けるようにしたいと思います。

来年の春の芽吹きの頃には、また色々な思いが沸きあがればいいですよね。

そのためには体を大切にし、食べものも、言動も、物事に対する姿勢も、もちろん物理的な体操など体のメンテナンスなどもしていきたいと思います
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ