半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

最近の健康話

2015年01月30日 | 素敵な本
昨年は体調不良があり、色々、自分の体について意識を向けてきましたが、年末から新しい年を迎えるにあたり「来年は、やはり今後もやっていける体にすることだろうな~」ということで、図書館で本を借りていました。

そして、実は今年に入って、少し「悟り」を開き、そのせいか、年末借りても読まなかった本を読み、実際にここ2週間ぐらい、毎日「寝ヨガ」なるものを実行して、体調が少しよくなっている気がしています


その「悟り」とは「この体こそ大事にしないと」という愛情を持つ感覚が芽生えたのです

どういうことかというと、私は元来、我慢強い方というか、何かあっても「それはそれで、自然の流れの中で起きていることだから」と受け止める気質みたいなものを持っていまして、例えば、腰痛で5時間以上睡眠が出来ない期間が2年ぐらい続いても、それはそれで、頑張って我慢をしてきたというより、「仕方が無いこと」みたいな感じで流してきました。

病気になっても決して人前では寝なかった戦国武将の伊達政宗の「この体は今生の借り物」という思想も好きで、体は親からもらったもので、この体が痛いことと、自分のことを多少切り離して考えているという感じでした。

ただ、それは若いから良かったのであって、昨年は体の痛みではなく、気持ちが悪くなったりと言う「体調不良」で、体を動かしたくても動かせないという状態が頻繁に起きておりました。

で、今年に入って、外から帰ってお風呂に入った時に、とても気持ちよかったのですが、その時に「あぁ~、この体が喜んでいる。あぁ~、体ちゃん、良かったね、有難う~」みたいな気持ちが沸いてきたのです。

それが昨年の体調不調を経験してきたことが積もっていたせいなのか、「お風呂を開発した人は天才だ」みたいなことは、いつも思っていたのですが、今回は、そんなレベルではなく、「あ~、やっぱり体を大切にしなくちゃ」といったように、何か悟った感じなのです

それをきっかけに、昨年借りっぱなしだった本をちゃんと読んで実行するようになりました。

その1つが、パーキンソン病の患者さん達では結構知られている方だそうなのですが、橋本先生という方が書いた「寝ヨガ」の本です。


この先生は、西洋医学だけでなく、東洋医学の考えも持ち込み、また自分の経験からヨガがとても良いことに気づき、診療所の2Fでヨガ教室もやっている人です。

整体などで骨盤のゆがみをとったり、色々ありますが、自分できちんと体を整えていくために、自分の経験から気孔などもあわせて、ヨガが良いということにたどり着き、また立ってヨガが出来ない方でも、少しずつ出来る「寝ヨガ」を中心に、全体を整える「基本ポーズ」と、痛みがあるなど具体個別の症状別のポーズの2つを整理しています。

内容はとてもシンプルですが、パーキンソン病からうつ病など、様々な症状の患者さんが、きちんとヨガをやり続けることで、治っていったという実例もあります。

私も朝起きて「寝ヨガ」の基本ポーズをやってから起床するということを続けているのですが、最初の3日間ぐらいで、「ありゃ?腰が痛くて目が覚めず、今日は朝まで寝れたぞ」という感じになり、かなり睡眠がとれるようになってきました

効果を実感出来るのは、人によっては1週間~1ヶ月ぐらいと期間は変わるそうです。
ただ、大切なのは「毎日、コツコツ続けること」だそうで、その通りだと思い、続けております

思うに、「ストレッチなどは毎日やった方が良い」というのは頭ではわかったつもりでも、本当に心の底から思わないと、毎日続けることは出来ませんものね。

そんな私が続けられている理由の1つに、もう1つの本「はじめてのきくち体操」を読んだことがあげられます。


この本には偉く感動しました

かなり昔から有名な方で、私も「そういえば聞いたことがあるな~」と思って何気なく借りた本なのですが、びっくりしたのが「体は命」ということを思想・信念をもって書かれていること。

まさに「食は命」と表裏一体をなす言葉じゃないかと思ったのです。

「食は命」というのは、有機農業をやっている高柳さんや、自然療法の東城先生など、色々な方が真実としていることです。
体を作っている分子レベルでは、食べたものがそのまま分解されて、分子結合してアミノ酸になりタンパク質になり体になっているということ、食べ物こそが命を支えている源であること、おてんとさまからの命を頂いているということなど、物理的にも思想的にも生き方にもつながる言葉です。

ただ、食べ物が良ければ健康かというと、私のとおり必ずしもそうではないわけです。
本来の食べ物を食べているから腰痛が治るか、というと、そうではないわけですね。

一方で、菊池先生は元々体育教師だったそうですが、子供達の体がどんどんおかしくなっていることに気づいていき、体育の教師として教えるべきことは、跳び箱が飛べたとか、見た目が良いダンスができるとか、そういったことではないという思いをもったそうです。

菊池先生が伝えているのは「この体で一生生きていくのよ。この体は色々なところがつながっていて、支えあうようにして出来ているの。この体を動かさなければ生きていけないの。動かさなければ新しく生まれ変わる力も病気と戦う力も育っていかないの。好きとか嫌いではなく、この体で一生生きていくの。だから大切にしようね。動かしてね」ということなんですね。

「体は命」。生きているというのは、まさにこの体が、筋肉が、細胞1つ1つが動いているから生きている。

そして、菊池体操は「生涯、生きるのはこの体しかない。命に感謝し、この体を育て、磨いて、一生生きていくという実感を味わう体操」なんです。

筋肉がむきむきになるとか、何分で走れるとかは関係ないんですね。

例えば、腰が曲がって、バスにさえ乗れなくなった70歳のおばあちゃんが、バスに乗れるようにぐらいにはなれないものか、と菊池体操に通い始めて、90歳にして、背筋がピンとして歩くことができ、開脚して胸がペタンと床につく、なんてことも起きるわけです。

例えば、長座といって、足をまっすぐ伸ばして、膝の裏が地面にペタリとつくぐらい伸ばして、腰を90℃に上半身を立てて座れる子供はどんどん減っているそうです。
壁によりかかるとか、手を後ろにつけないと長座ができない。

みなさんはどうですか?

あるいは、長座から足を1cmでも良いから宙に浮かして20秒我慢する。
そういったことが出来なくなっている。

私も腹筋や太ももが、かなりプルプルします

でもそうすると、座るというのは、実は太ももの力だった、ということがわかってくる。

そして、太ももの筋肉と腹筋が繋がっているということがわかる。


あるいは、足の指1つ1つの間に手の指1つ1つを入れて、足と手で握手をする。
それが痛くて出来ない人が多い。(私は出来ました

そして握手をしながら手ではなく足の方を主にしながらぐるぐる足首を回す。

きれいに円運動にならないでカクカクと四角っぽく回ってしまう人が大半。(私もそうです

菊池先生の書いてあることを確認しながらそういったことを1つ1つやっていくと「あ~、体ってこうなっているんだ」ということを実感できるわけです。


そんな「意識革命」みたいなのが起きてですね、例えば最近、体のことが少しずつわかってきました。

例えば、腰をかがめて半日草取りをしていると腰が痛くなるんです。
そうすると、今までは、たまに立ち上がって伸びをしてました。

でもですね、実は腰が痛いというのは、腹筋を使っていない証拠で、腰を伸ばすには、その逆の腹筋に力を入れると、その反対の腰がゆるむ、なんてことも実感としてわかってきたんです。


思えば、「この体で一生生きていくんだ」ということを教えることが体育の主目的であるとするならば、整体やマッサージなど「誰かに整えてもらう」のではなく、自分で整えるしかない、という思想と技術が身につける授業になるはずなんですよね。

私が腰痛で、理学療法士の友人に相談しても「う~ん、、、難しいよね。結局、こちらがやっても、自分で治そうとしないと、結局元に戻っちゃうんだよね。骨盤のゆがみをいったん整えても、結局、筋肉の偏りとかバランスがあるし。筋肉なんだよね。そういったのを、自分で普段から治していくしかない、というのが本当のところなんだよね」と以前言っていました。

「そうだよね~」と私もあいづちをうちましたが、それを本当にそうだと思って、毎日、整える運動をするなんていうことは、やってきませんでした。

それが少しですがやれているので、「おっ、これは1年続ければ、やっていける体が出来るかも?きちっとやり続ければ、じいちゃんになっても現役でいけるかも?」という淡い期待が持てるようになってきました

ということで、齢40にして、残りの人生を「この体で生きていく」ために、体は親から借りてきたもの、ではなく、自分が生きていくそのもの、という思想で、労わり、愛情をかけながら、育てていきたいと思います
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息子のお寿司

2015年01月28日 | 素敵な家族・子供との時間
今日のわが息子の作品です。

紙ねんどで作ったそうです。

う~ん、旨そう

さすが、食いしん坊のわが息子。
そしてやっぱり工作の天才だ
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田んぼと畑の耕育教室「味噌作り♪」

2015年01月25日 | 農的体験・生活
1月~2月の「田んぼと畑の耕育教室」は、味噌作り教室です

今月2回目の味噌作り教室は、根本さんが不在なので私が講師で開催

味噌作りはいたってシンプルで、「大豆・糀・塩」だけで出来ます。

ただ、大豆をコトコト煮るのと、混ぜ合わせた材料をつぶすのが1人でやると結構ハードなんです

昔は隣8件が集まってやっていたという味噌作り、今ではこんな教室としてやっていますが、集会所とかで開催すれば、出来なくも無いんですよね。

そして、自分で仕込んだ味噌は、無茶苦茶美味いんです
それは市販の味噌が、3~4ヶ月で作っちゃうから。
ちゃんと作ると、今の寒の時期に仕込んで、ゆっくり気温が上がるのにあわせて味噌も熟成していき、大体10月ぐらいから食べられますので、10ヶ月ぐらいは寝かせないといけないんですよね。
だからこそ市販のものに比べて、じっくり微生物くんたちが働いてくれて、美味しい美味しい味噌が出来るんです

ということで、昨年参加して、「とっても美味しくできたので、また来ました」というリピーターが半分、またお友達家族もきてくれて、年間会員さんとあわせて全員が面識がある方々ばかりで、和やかに味噌作り

子供たちもワイワイガヤガヤ。泥や砂遊びと一緒で、楽しいんでしょうね~


中には昨年やった「足踏み」をやる方も。
足踏みをマスターすれば、ミンチもいらないですし、「自分で作った」感もありますからね


ちなみに、味噌を作る時に、大豆をコトコト煮るのですが、その時に出来る「大豆の煮汁」が無茶苦茶美味しいんです

今年初めて参加した方も「これ、本当に大豆だけなんですか?砂糖入っていないんですか?」とびっくりしていました
イソフラボンたっぷりで、自然の甘みがあって、栄養がたっぷりで、飲むとお腹が膨れるとても美味しくて素敵な煮汁なんですよ。
ちなみに、今年は新しい釜のおかげで水分が少なくて煮えたので、しばらく煮汁を置いておいたら、下の方にゼリーのようにぷよぷよにたまりました

これで味噌を溶いて即席味噌汁を作ったら美味しかった


味噌作りが終わった後は、いつもの子供たちは縄跳びしたり、自由に遊んでいました
だからこの場所はいいんですよね~。


寒い季節に今年の秋以降の食材である味噌を仕込み、1年の準備をする。
まさに日本人の伝統の生活文化ですよね~。

そして無茶苦茶美味しい味噌が出来てしまう

2月は空きがまだまだありますので、宜しければ、味噌作り、おいでください。
詳しくは→ホームページから

一度作ったら、市販の味噌は食べれなくなる、という意味がわかりますよ~
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雨降り幼稚園

2015年01月22日 | 素敵な家族・子供との時間
今日は久々(今月2回目?)の幼稚園のお見送り

いつも奥様と行っているので、それになれてしまっているのでしょう、昨年は良く一緒に走っていったのですが、今月は歩いて行きたがりません

今日も「寒いから車か自転車で行きたい~」という中、「はしかだいっ子は歩こうよこどもは風の子、さあ行くよ」と頑張って外に連れ出し、寒い中、一緒に走りながら幼稚園へ。

最初はグズグズしていても、結局、寒い風を切りながら走ってしまうのが子供のかわいいところ

一緒に幼稚園に走っていく時間は何事にも換えられない幸せな時間です


そして帰りは雨の中

お迎えに行くと、みんなお迎えが終わっていて残るは数人でびっくり
半分以上が車でお迎えだったらしい。。。まあ寒いからそうだろうね

そんな中、合羽を着せて先生に「さようなら~」。

黄色い合羽に小さい傘で表情は見えませんが、息子は鼻歌交じりでご機嫌そう
最後にはあんぱんマンやドラえもんの話をしていたらお家に到着。

雨が降ろうが風が吹こうが、ご機嫌であればどんな時でも楽しいのが子供。
そんな子供が一緒であれば、雨で靴がびちょびちょでも大人も楽しい時間を過ごせますね

雨の中のお迎え、楽しかった~

幼稚園の行き返りを子供と一緒に過ごす時間は、親にとっては人生最高の時間の1つ。

卒園までの残りわずかな時間、出来るだけ共有したいと思います
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東城百合子先生の講演会

2015年01月21日 | 素敵な空間・イベント
日曜日の古事記勉強会で、3日後の今日、東城百合子先生の講演会のチラシをもらいました。

前回、千葉まで聞きにいった時は、まさかのお怪我で、行って見たら怪我でお休みされて、お会いできずじまいでした。
御年89歳の東城先生。会えるうちに会っていかなねばと思い、いつものお仕事をお休みさせて頂き、我孫子までいってきました

登壇される時は、噂どおりの御年で、ゆっくりと杖を突きながらマイクに向かうのですが、お話が始まった途端、その声量や芯の通った声がビンビン響いてきました。

そして冒頭から「女性に生まれてよかったと思っている人は手を挙げて?・・・ほら、これしか手を挙げない。これが今の日本の現状なんですよ」という言葉が始まり、「男性と女性の使命は違う。男性は外に出てお金を稼いで家を支える。女性は子供を生んで育てる。それは自然がそう作った」というお話、「女性だけが次世代、それは次世代のお父さん、お母さんの両方を育てられるの」「手足を使わないで家事を放ったらかして怠け者になっている」「家の仕事をまずきちんと出来るようにして、その上で、学校の勉強も頑張りなさいと私達は教えられた。今は逆。家の仕事は学校の勉強だけしなさい。学校の勉強は頭だけでしょ。手足を使わない。それではきちんとやるべきことを出来るようにならない。」などなど89歳とは思えないパワフルな講演でした。

そしてわずかに生き残っていらっしゃる「日本人の母」を見ることが出来ました。

同時に、私がいつの間にかおてんと様を意識して生きてきたことが、日本人の本来の姿、DNAとかそういったものなんだろうな~という思いも。

大変痺れた講演会でした。

昨年は同年の無着成恭さんのお話を聞いたり、DVDですが辰巳芳子さんのお話を聞き、今年は東城百合子さんのお話を聞きましたが、そういった「こうであったはずの日本人」のある意味生き残りにお会いできるのもあと10年は無いと思います。

私達世代が色々なことを引き継げるよう、色々な方にご存命のうちに、出来るだけこつこつとお会いできればと思います。
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たくあん三昧

2015年01月20日 | 農的体験・生活
毎年大量に出来る大根。
それをたくあんにするようになってから2年目です。

団地のベランダに干される大根は、とても粋な風景です

そして先週ぐらいから、漬けあがったたくあんを毎日ボリボリ食べています


味が本物というのもありますが、やっぱり自分で作ったものは愛情もひとしお
そして美味しいですね~
うちの家族では下の子ぐらいしか食べてくれませんが、しばらく美味しいたくあんが毎日食べれて幸せです
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今月の古事記勉強会

2015年01月18日 | 自分の時間
昨日も古事記勉強会に参加しました。

この勉強会は、正確に言うと「日本を元気にする古事記の『こころ』」という本を、著者の小野先生(湯島天満宮の権禰宜(ごんねぎ)という役をされている方)が解説しながら、「古事記のこころ」「日本人の昔から戦前まで持っていた当たり前のこころ」を教えて頂くというものです。


毎回、お話を聞くたびに「そうだよな~」とエネルギーを頂くのですが、ようやくおっしゃることを会得し始めた感じです。


古事記そのものは、神代の頃の物語なのですが、それは西欧のものとは違う物語です。

そこには、何か絶対的な西欧の神様がいて、その神様が世界を作った、というものではなく、また、絶対的な神様や指導者を崇拝するのではなく、まず天と地があって、そこから日本でいう「かみさま」が生まれて、その「かみさま」が山や木や風や火やあなたや私や机や椅子などあらゆるものにも宿っているという「日本人が戦前からもっていたこころ」が表されています。

全国の神社・社は8万以上あると言われていますが、多くが国家が出来る前から、もう数千年も続いているそうで、こんなことは世界では在り得ないといいます。つまり、そんな古くあるものは「遺跡」となるものが、実際は日本では未だに普通に存在しています。

それは、教義や戒めがある「宗教」ではなく、日本人のこころを表したもので、言葉には出来ないけど古の時代から脈々と続いてきた日本の根底にあるもの、人の「自我」の更に奥にあるものだから、と言います。

逆に言葉にしたり、経典にしていたら、こんなに長くは続かなかったろう、ということも。

それが、仏教の末法思想というものが表れて、世界は終わりだ、といって自殺者が多数出るようになってきたので、伊勢神宮などで、神道を伝えられるものにしようという運動もあり、少しずつですが、古から続いてきた祭祀というか、お祓いなどが世の中にも伝わり始めたようです。

それは、神代の時代の最初に姿を現したかみさま、世界の万物に宿るかみさま、そしてあなたや私に宿るかみさまは、みんな同じで、みんな繋がっているということ。
自分の魂はかみさまでもあり、清らかなもので凄い存在であること。
しかし、自我と呼ばれる傲慢、妬み、人を見下す気持ち、怒りなどが表れてくるので、それが表れるたびに「祓う」ことで、きれいなこころ、自分の奥にあるかみさまと一体になること、それが日本人の生き方だった。

そういうことを毎回毎回、繰り返しお話いただくのです。


毎回、そういったお話を聞くと「こういったこころを戦前までの日本人の多くが持っていたのか。そうだろうな~」と思うのですが、日常に戻るとすぐまた忘れてしまうわけです。

ただ、さすがに今回でもう何回目かなので、少し会得してきた感じをもちました。

私も小さい頃から、木々や森や空やおてんと様に何か大きなものを感じていたし、木と会話出来るような感覚を持っていました。

しかし、戦前ぐらいまでの日本人の多くは、農村や自然の中で暮らしていたわけだし、自分のやりたいことを自分のやりたいスケジュールでやるというのではなく、あくまで自然や季節に委ねて、また季節季節のお祭りなどの節目にあわせて暮らしていたわけですから、私が感じる以上に、当たり前のように万物に「かみさま」を見て生きてきたというのもわかります。

山や風やご飯などあらゆるものに「かみさま」を見ていて、「有り難い」という気持ちをもって生きていた。
他の宗教のように「対象」を崇拝するのではなく、あらゆるものが自分と繋がっていて「同じ命の源から来ている」という「感覚」を持って生きていたということ。

なるほどな~、深いな~、と思います。


私が農村に足を踏み入れ始めたとき、鴨川の長老達が山と一体化して暮らしている姿、東庄でお堂を毎月「有り難い」と言って掃除するおばあちゃん達をみて「あ~、こうやって生活してきた人達は幸せだよな~」と思い、あこがれ、そういった生活を目指してきました。

それが言葉や教義で表せないけど、しいていえば「神道」や「古事記のこころ」、「日本人の生活の根底に奥にあるもの」だったわけですね。

いわゆる宗教とはちょっと違う。

生活の根底に流れるもの、ですよね。

日本ってほんと素晴らしいな~、と思った時間でした。
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授業参観の日

2015年01月17日 | 素敵な空間・イベント
今日は小2の長男の授業参観の日

土曜日ですが、時間割は通常授業ということで、久々のお弁当です。

子供も幼稚園の時はお弁当なので、久々のお弁当を楽しみにしている様子でした


ところが、前夜、息子自身が「自分で作る」というようになり、「明日は朝6時に起こして。寝ていたら叩き起こしてね」と、いつも朝はぐーたらしている息子が、気合入りまくり

話を聞くと「ジバニャンのお弁当を作る」と言うのです


どんなお弁当になるかわかりませんが、希望ということで、今朝は6時に起こしてあげました。

起きてからは、まずはチャーハンを作ると、人参を細かく刻み、「色が無い」と言っているので、何色かと聞くと「赤色」が欲しいそうなので、ケチャップを使うことをアドバイスすると、まあ上手にチャーハンを作ること

しかも、食べてみたら美味しい

む~2年生でこの腕は、将来恐るべし。

そして、チャーハン作りと同時に茹でていた卵は、妖怪ウォッチ(時計)にしていました。

これが、我が子が作った「ジバニャンのキャラ弁」です(ちなみに、黒いのは海苔です)


幼稚園の頃から料理は良くやっていたのですが、いつの間にか人参をみじん切りに出来るようになり、また工作で手先が器用になっていたせいか、思いつきにしろ、それをある程度形に表せるとはなかなかですな~。

これを見た周りのお友達は、どういう反応だったんだろう?



ちなみに、授業参観でびっくりしたことが2つ。

1つは授業中にスマフォで自分の子供の写真を撮って投稿しているお父さん。。。
いや~、我が子が可愛いのはわかるけど、授業中に撮影しているのをみてちょっとびっくりしました

もう1つびっくりしたのが図工の時間。
今回の時間でカッターを始めて使うということだったのですが、先生が「カッターを使ったことがある人は手を挙げてみて」と言うと、クラスで手を挙げたのはたった4~5人

「えっ、本当?」とびっくりしてしまいました。

うちの子は工作好きのせいか、カッターは幼稚園ぐらいの時から使っていますし、最近は糸のこも使っているので、工作関係は普通の子より早いとは思っていましたが、カッターって普通は2年生まで使わないんだ、とびっくりしたのです。

まあ確かに自分の子ばかり目がいっていると、当たり前に思うことはありますが、実はそれは思い込みだったのですね。

みんな家では使わず小学2年の後半で初めてカッターを使うんだ、と意外な事実にびっくりしました。
もちろん、何回か使ったことはあるけど、普段は使わないから手を挙げなかった子もいるでしょうけどね。

そんなこんなで、授業参観、楽しく参加させて頂きました


先生もみんなもお疲れ様でした
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朝から色々

2015年01月13日 | 自分の時間
体力が多少戻ってきたのか、昨日も21時半ぐらい寝たため朝4時におきだし、デニーズでコーヒー片手に色々、昨年の振り返り。

5~6年ほど前に「ご縁に沿って生きていく」という農村の生き方に感銘を受け、そうやって生きてきました。

毎年1つ1つコツコツ積みあげてきましたが、昨年は「わんぱくプレパーク」を引き継いで、「秘密基地作り」もしようと家屋と敷地を借りる予定でしたが、貸主の都合でお流れ。

しかし、心底やりたいというモチベーションがあったわけでもなく、時勢、流れがまだなんだろうな~とさっぱりしていた気分でした。

ところが、5月頭にぶっ倒れて、昨年は体調不良が続き、「やらなくて良かった・・・」というのが振り返りでした。

しかし、色々振り返ってみると、一昨年のものが昨年は、ほぼ倍増しているのです。

「田んぼと畑の耕育教室」しかり、「食と命の教室」しかり、「朝採れ野菜ボックス」しかり。


これは時勢、流れ、と言うしかありませんね。

ただ、教室関係はもうキャパいっぱいですし、野菜ボックスも奥様お知り合いは一巡したし、今年は、よりきちんと体制を整え、ご縁を整え、ご縁があった方との関係を深め、更に継続できるように、というのが主眼としたいな~と。

あとは、40にして体が不調なので、もう一度体力作り


朝、根本さんつ打ち合わせ、その後、畑の草取りをした後、高柳さんと打ち合わせ。

さすがに4時から起きているとまだ体はきつくて、9時には爆睡。。。


色々考え、色々行動しても、やっぱり大事なのは「体」だな~と思いました


そんな時、図書館で見つけたのが「きくち体操」の本。
まだ最初の数ページしか読んでいないのですが「体は命」という、まるで高柳さんのようなことが書いてありました

そうだよね~、体は命そのものだよね~。

今年は夏を乗り越えられる体を作ろうと、また決意を新たにしたのでした。
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田んぼと畑の耕育教室~味噌作り~

2015年01月12日 | 農的体験・生活
月曜日の成人の日はm今年最初の「味噌作り教室」でした

毎年のごとく盛況で、ワイワイガヤガヤ楽しい~

その中で、昨年の参加者の1人が「昨年作ったのがカビているみたいで怖くて開けられなかったので持ってきたんです。見てもらえますか?」と味噌樽を持ち込んできました。

どれほど凄いのだろう?と開けてみると・・・

全く問題なしで上手に出来ていました

上澄みの醤油のような液体と味噌がビニールの反射で模様のように見えていただけでしたが、初めての方から見ると怖かったのですね

何事も経験ですね。


ということでその方はまた今年も安心して10kg仕込んでいきました。

やっぱり、作って楽しく、食べて美味しい。味噌は手作りに限りますな~

(作業に没頭していたので、写真は無しです)


1月もほぼ満席で、2月はまだ余裕ありです。

参加したい方は、ホームページから→こちら
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