半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

さつまいも話

2020年11月25日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

今週の朝取り野菜ボックス「みみずフレンド」のお手紙です。

 成田市周辺はサツマイモの大産地です。

サツマイモというと鹿児島のシラス大地を思い出すかもしれませんが、成田市周辺も関東ローム層の赤土なので、とてもサツマイモに土質が合うのです。

 火山灰土の土は軽くて根物が作り易いので、ゴボウ、大根、人参といった根物の栽培が盛んですが、需要と供給のバランスで、定年退職した方が数十年ぶりに自分の畑をやり初める当たってサツマイモを作り始める、なんて言うこともあるのが成田周辺です。

 サツマイモは昔は金時芋などを作っている方が多くいました。

「高系」と言われる品種で、焼き芋にするとほくほくとしっとりの間で、とても美味しかったのですが、作りにくいということと、人気が安納芋のような甘さ重視になってきているので、作る人はほとんどいなくなってしまいました。


 ベニアズマも80年代後半から増えていき代名詞になりましたが、10年ほど前に登場した紅はるか、そして8年ほど前に登場したシルクスイートが大人気となり、ベニアズマはこの3年で急激に減ってしまいました。

 ベニアズマはホクホクした食感でご年配の方が好きですね。

「サツマイモはあのホクホクが美味しい。紅はるかは甘すぎるしベチョベチョしているから好きじゃないのよ」という声を良く聞きます。


 知り合いの農家さんも「俺が出している道の駅ではベニアズマを作る人が3人いたんだけど、今年はみんな止めちゃって、逆に俺だけになっちゃって、出してくれ、出してくれという引き合いが後を絶たないんだよ」と言っていました。やはりベニアズマのあのホクホク感こそがサツマイモ、という方はまだ多いんですね。


 一方で、私や子供達の世代では、紅はるか、シルクスイートが人気です。

 紅はるかは収穫仕立てだと全く美味しくないので、1ヶ月寝かしてから出荷するのが通常となっています。

 また、月日が経つほど甘くなるので、年越しのは本当にとろけるようになり、3月ぐらいまで寝かせると芋ようかんより甘く柔らかくなりますよね。シルクスイートはその名の通りシルクのような舌触りが特徴で、寝かすと美味しさが増しますが、穫れたてでもしっとりした食感でとても美味しいです。

 ちなみにサツマイモを作るとわかりますが、売っているサツマイモのように、あんなまっすぐきれいな形で全てが育つわけではないのです。

 まずA、B、Cといったランクで分けがあり、箱ものはA、ちょっと形が悪いBは袋で、Cは規格外です。

 また大きさで2L、L、M、S、SSといったように分けられます。形や大きさで値段が変わるので、仕分け作業は欠かせないのがサツマイモです。


 さらにここに虫食いが入ります。

 コガネムシの幼虫や線虫という見えないほどの小さい虫にかじられると、痕が出来るので、一般流通のサツマイモは燻蒸剤で土を滅菌・殺虫します。

 もちろん畝間は除草剤を撒きますし、大和芋や長芋ほどではありませんが、農薬は結構使います。


 一方、みみずの会のように無農薬で作っていると虫食いなどは多少は出てきますが、土作りが出来ているので農薬を使っている畑よりは線虫などは出ませんし、市場より規格を厳密にしないことで、出荷が出来ています。


 まあ、それはともかくサツマイモは植物性繊維が多く腸内フローラを良くする健康食です。

旬のものでもあり、冬を乗り越える力をつけてくれます。特に、無農薬のサツマイモなら安心して皮まで食べれますので、丸ごと頂きましょう

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仕事と務め

2020年11月24日 | 素敵な人・友人との時間

たまたま、「おかげさま農場」の仕事中、かかってきた電話を受けたら、過去に1度だけ会った事がある若者でした。

その若者は、最初は「農業研修をやりたい」という話でしたが、いざ会ってみるとそうでもなく、色々あって、心身のバランスを崩している若者でした。

詳しくはありませんが、「やりたい仕事」と思って手を出したものが、色々あって上手くいかなかったようです。

 

そんな若者に対して、髙柳さんは特にその原因を追及するわけでもなく、

「自分が普通じゃない状態という事はわかるんだな?」

「人生は悩みの連続だよ。悩む事も大事だぞ」

「私だってこの年で人生が何かわかっていないよ(笑)」

「生きているだけで奇跡なんだよ、有り難い事なんだよ」

「人生って何かわかるかい?それは生きてみないとわからないものなんだよ」

と、悩みの原因を聞き出すわけでもなく、過去、自分のところに来た悩める若者の事例を伝えつつ、人生の先輩という立場から言葉を投げかけ包み込むのです。

私にとって髙柳さんの存在は大きく、人の生き方を学べる師匠という存在で、この若者にしても、こんな人に会ったことは無かったでしょう、何かしらの刺激になったと思います。

 

髙柳さんも「最近は老人も逝き方、弔い方さえわからなくなってしまったからな」と嘆いていますが、「それは核家族と言う言葉が出始めた時ぐらいから、あぁ、もう日本人は駄目になるな、と思ったんだよ」と言います。

それは「介護施設だって何だ?という感じだったんだ。親父もお袋もじいさん、ばあさんを看取ったわけで、その親父やばあさんを介護するのは当たり前なんだよ。だって、順番だろ?そう言っている自分もいずれ介護されるわけになるんだ。そしてじいさん、ばあさんが逝く姿を見て、逝き方を学ぶわけだ。そういった事が全部断ち切られてしまったのが今なんだよ」と。

髙柳さん達は、上の世代、またその上の世代から、さらに上の世代の話を聞きながら育ち、そして見送り、生き方、死に方を学んできたと言います。

そういった髙柳さん達の話を聞くと、私もかつてはそうでしたが、今の人は「あっちでふらふら、こっちでふらふら」している人が多い気がします。

家庭中心で生きられる人、仕事中心で生きられる人はまだ良いのです。

仕事に充実感を覚えず、家庭にも充実感を覚えられない人は、セミナーやワークショップに行っては刺激を受け、またしばらく経つと現実に悩み、時に心にぽっかり穴が空く、という感じで満たされない人が多い気がします。

 

一方で、髙柳さん世代は「務め」という言葉を大事にします。

「俺らの時代は、中学卒業したら、半分が家を継ぎ、半分が高校に行く時代だったな」と言いますが、15歳で働き始めるのが大半だったわけです。

そして家業、まあ昔は大半が農業で、それ以外に、左官屋、大工、薬屋、酒屋など色々仕事があったわけですが、じいさん世代、親世代の仕事姿を見て育ち、「仕事とは与えられた務めを果たす事」という考えが体にしみこんでいました。

逆に時代としては「農業なんかしていないで、会社の勤め人になった方が楽して安定的にお金がもらえる」という時代で、親が継がせない時代にも入っていましたが、いずれにしろ「生計を立て家族を食わしていけるために働く」というのは大人になった責務でした。

髙柳さんも「仕事が楽しいかどうか、なんて考えたことは無かったな。俺らの時代は『務めをちゃんと果たしているか』、といった感覚なんだよ。そこが今の人達とは根本的に違うな」と言います。

例えば、髙柳さんの奥さんが、前述の若者と話しているときに「私の幸せはね、そうね、お父ちゃんと仕事が一緒に出来ることですかね」と言うのです。

体が動いて仕事が出来る、それが幸せ。

こういった感覚は、近代の自己啓発本などにはありませんよね?

 

今のセミナーや本などは、ほとんどが欧米の個人主義からきているものです。

しかもある程度有名になった著名人の本。

著名人というのは、一般の人より少し目立つ事をした人、多くはお金儲けに上手くいった人の話です。

そういった人が「こうしたら良い」と言いますが、それは一般的な人には当てはまりません。

それが出来ている人は、そんな本は読む必要がありませんから。

 

一方で、日本は「修身」が基本教育でしたし、ベースは論語です。

自分が良ければ良い、まずは自分が楽しい事をすべきだ、というのは、欧米から来た快楽主義がベースですが、自分を律する事、人のために働く事、家族のために働く事、といった、今までの価値観は「押しつけられた古き時代の悪習慣」といったようになってしまいました。

「我慢しなくてよいんだよ。あなたはあなたの人生を生きる価値があるんだから」

「自分の人生は自分のもの。自分で切り開いて行けば良い」

「自分が楽しくなければ人を楽しくさせることは出来ない。自分がまず幸せになろう」

「自分のやりたいことをやればよい。その上で人を幸せにできたら最高だよ」

こんな言葉が多いですよね?

でも、これって一面では正しい事だと思いますが、その裏側の根っ子の部分が無いと思うのです。

 

髙柳さん世代の言葉で言えば、「命は与えられたもので、心臓も自分で動かしているんじゃない、勝手に動いてくれているんだよ」という感覚です。

「ご先祖様がいて、親父・お袋がいて、そして俺がいる。そして自分の意思で心臓を動かしているんじゃなくて、心臓が動いてくれている。これは自然に生かされていること。それだけでも凄いことだよな」

こういった「感謝の心」が前提にあり、だから、与えられた命、人生をきちんと生きるためには、ご先祖様に恥じないような生き方をしなくちゃいけない、務めをきちんと果たさなければいけない、子孫に自然や田畑をきちんと渡していかなくてはいけない、といった責任をもって生きている。

今の言葉で言えば利他主義になるのかもしれませんが、髙柳さん的には「務めを果たす」という事ですね。

例えば、歌舞伎役者の家が顕著ですが、家の代々の仕事があり、世襲制度があり、それは「継がないといけないもの」ですが、年を重ねる事で「その意味」がわかってくる。

つまり、自分の私欲よりもっと大きな存在のために生きている、という充実感でしょうか。

能の世界もかじったのですが、例えば「この笛と鼓は今は良い音が鳴らない。しかし、50年後か100年後には名器になる」というものがあったら、自分の代で良い音が鳴らなくても気にせず将来のためにそれを使い続ける、という習慣が今も残っているそうです。

髙柳さん世代も同じで「この田んぼは、いつの誰かわからないけどご先祖様が手で開墾して作ったわけだよ。手で開墾なんて想像を絶する仕事だよ。それで代々、命が繋いでこれたわけだよ。だから私の代は預かっているだけで、渡していくものなんだよ」

髙柳さん達、農村の大先輩達とつきあっていて思うのは、人として立派だな~、という事。

それは自分の心を満たすためではなく、務めが何かわかっていて、それをきちんと果たそうとして生きている事、ではないかと思うのです。

日本の伝統的な暮らしというのが、近代化、特にアメリカ文化の個人快楽主義が輸入されたことで否定されてきてしまったのがここ数十年じゃないかと思います。

でも、よ~く考えればわかる事のような気がします。

 

人間も自然界の動物と思えば、何のために生まれてきたか、といえば、極端にシンプルに言うと「子孫繁栄のため」です。

これを馬鹿にしてしまう人が多いと思いますが、私は「そりゃそうだ、子孫のために生物は生きているんだ」と本気で思っています。

子供を産み、子供を育て、立派な大人にしていくこと。

これ以上の素晴らしい仕事は無いと思います。

これが大人の務めだと思います。

「鬼滅の刃」の煉獄さんの言葉じゃないですが「強い者が弱い者を守る。そうして弱い者も強くなったら今度は弱い者を守る立場になる」とか「俺は俺の務めを果たす」という言葉は、まさに日本の正義、という言葉だと思います。

今は子供がいないご夫婦、あるいはシングルの方もいますが、それは動物社会で言えば悲しい事ですが、人間社会は知性というのがあり、社会というものを作ってきたので、自分の子か他人の子かどうかは関係ありません。

人間は社会的動物ですから、自分の子供がいなくても、子供達のために立派な社会活動をしている人は多くいます。

結局は、大人になるのは子孫を守り育てる社会をつくるため、というのがシンプルな目的だと思います。

 

そうすると、自分を充実させよう、というのは若者の考えであって、立派な大人は他人や子供達のために精一杯力を使って言える人じゃないか、と思うのです。

1960年ぐらいまでは、日本の7割が農家だったと言いますから、昔の大人は、家を守って家族を食わせるのが精一杯だったということもあるでしょうし、じいさん、ばあさんもみんなで田畑仕事をしていたというのもあるでしょう。

その分、「務め」がシンプルだったというのがあると思います。

 

今は物質的には豊かな時代で、「昔の王様よりも享楽的な暮らし」を一般家庭でも出来るようになりました。

ボタン1つで料理が出来、洗濯も出来、好きな音楽や動画も見れ、沢山の娯楽が選べる時代になりました。

その分、生活を必死にしなくて良くなったためか、務めがわかりにくくなってしまった事もあると思います。

その反動が、家庭菜園ブームだったり、DYIやキャンプブームにあらわれていると思います。

農家からすれば、家庭菜園もDYIも普段の生活の仕事の一部ですし、キャンプなんてわざわざなんで外で寝るんだ?という感じですから

 

まあ、長々と書いてきましたが、今の若者は、どちらかというと「地球環境」や「コミュニティ-」という言葉が好きで、そういった仕事に就こうという子が一気に増えてきたと思います。

私の20代よりよっぽど意識は高いのですが、残念ながら、私の子供時代より便利な子供時代を生きてきてしまったので、生活力が乏しい子が多いです。

そんな子達が、「地球環境のためになる仕事」を目指して農業に足を踏み入れる事は良い事ですが、その根っこにある、自然やご先祖様に感謝し、その感謝があるからこそ、自分のやりたいことという以上に自分の務めとして仕事を捉え、根っこを育てていってもらいたな~と思います

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成田山公園の美しい紅葉

2020年11月23日 | 素敵な空間・イベント

11月下旬とは思えない温暖で気持ちが良い日 

洗濯日よりで、干していても洗濯物がすく温かくなるのを感じます

洗濯機も3回、回りました

(土)(日)は教室で疲れておりましたので、新嘗祭の今日はスーパー銭湯か成田山公園に行ってのんびりしよ~、と思っておりました。


昔はほとんど関心が無かった紅葉に関心を持つ年頃になり、ちょうど成田山公園が紅葉祭り中なので、温泉は止めて1人お散歩に。

地元の人ぐらいしか知らないでしょう、成田山公園の裏側から行くと、ほとんど人に会わずお散歩出来ます。

途中の木々の紅葉が美しい

 

若い頃は成田山は「人が混み合う場」としか思っていませんでしたが、大人になり、その裏の公園を知ってからは「外国のお友達はここに連れてきたらびっくりするだろうな~」と思うほど、その美しさに心打たれております。

こんな池に鯉なんで泳がせてしまって、周りは紅葉で、日本人でも美しいと感じるのですから、外国人なんて、ほんと、しびれちゃうでしょうね~。

やはり紅葉はきれいだし、こういった日本の美の感性に、外国の方がたまげるのもわかります。

花鳥風月と言いますが、10年前は食える野菜しか関心が無かった私。

農家のお母さん達は忙しくてもお花を庭に植えたりしていて「花が無いなんて考えられない」という言葉を聞いて、「あ~、昔の人は、仕事が大変な中でも、お花を愛でる余裕はもっていたのだな~」と思うようになりました。

最近は男性はもちろん女性でも、お花を愛でる人って、あんまり聞かないですが、これも社会がそういった余裕を感じる暇があったら働け、といった社会圧のせいなのでしょうかね~。

それとも、子供の頃、お花に水やり、といった事が出来ない団地暮らしが流行ったせいか、子供の頃からのお花が美しい、といった感性が育たなくなってしまったからなのか。

私はその顕著な例なのでしょうが、畑をやり始めた時も、花には関心が全くわかず、せいぜい雑草の花ぐらいしか覚えませんでした

しかし、最近は畑の隅に花を植えているところを見つけると、「あぁ、いいな~」と思えるようになったし、玄関に花が飾っている家、庭に花壇がある家、もちろん町の中の花壇も「あ~、きれいだな~」と思えるようになりました。

そして「木々もきれいだな~」と思えるように。

齢は積み重なり、感性も変わってくるものですな~

次は鳥か、はたまた風・月か。

私は地元に帰りましたが、退職後には「ふるさとに還ろう」という人も多くなるようで、齢を重ねると「ふるさと」というのはどこか心に響いてくるはかなくも無くてはならない存在になってくるようです。

雅を求める心、とは、ちょっと違うのでしょうが、美術や芸術もそうだし、社会的に作られたものから離れていく年頃になると、そういった本質的なもの、感性的なものを求めるのが人なのかもしれませんね~

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「田んぼと畑の耕育教室」今年も蕎麦打ち、美味しく出来ました♪

2020年11月22日 | 農的体験・生活

今月の「田んぼと畑の耕育教室」は落花生の収穫と蕎麦打ちです♪

田んぼが9月に終わると、畑仕事のみになります。

ただ、子供達が楽しい収穫は10月に終わり、11月は落花生を収穫しています。

まずは落花生の説明です。

落花生を掘ったことのある人はなかなかおらず、かつ「千葉半立」という品種のことはもっと知らないので、その辺りをきちんとお伝えします。

千葉県の名産といえば「落花生」。

でも、私もそんなことは認知しておらず、東京から戻って農村コーディネーターになってから、「へ~、千葉県って落花生が有名なんだ」という事を知りました

最近の子供は煎り落花生を食べることもほとんどないようで「ピーナッツと何が違うの?」と聞いてきますが

 

まあ、それはさておき、落花生は千葉県産が有名ですが、さらに「産地」の八街市産がブランドなので高いです。

だから「千葉県産落花生」が中レベルとすると、「千葉県八街産落花生」が上レベルとされます。

しかし、品種はそれぞれ。

野菜というのは品種改良でどんどん新しい品種が出来てくるのですが、落花生に関しては、過去50年を振り返っても「千葉半立ち」という品種は「落花生の王様」と言われて、小粒であるものの、甘み、コクといった美味しさが段違いなのです。

ただ、収量が少なめ、ということで、広くは作られないのですが、やはり「ブランド」なので、まだ作っている人がいます。

そうなると、「千葉半立ち落花生」というのは、先ほどの「千葉県八街産落花生」と同じ上物として取り扱われるのです。

そして、最高ランクが「千葉県八街産千葉半立ち」なのです。

なので、百貨店で贈答用に売られていて、「八街産落花生」や「千葉半立ち落花生」が売っていても、「八街産千葉半立ち」はなかなか無く、あればそれた「最高レベル」なんですね。

まあ、落花生に関心が無い人にはどうでも良い話ですが

 

さて、落花生の収穫です。

実は落花生の収穫は9月が普通です。

ただ、教室の都合上、11月に何も収穫する物が無い、ということで無理矢理引き延ばして11月に収穫してます

今年はプロ農家さんも「大不作だ」と嘆くほど

落花生は雑草よけの黒マルチを張って、種を蒔き、カラスよけに釣り糸などを張る人もいます。

そして、花が咲いて子房柄(しぼうへい)という針のようなものが地面に刺さり、地中に実をつけます。

それが出る前にビニールマルチをはがします。

そして9月になると引っこ抜いて逆さにして乾燥させますが、この時点でカラスや獣にどうしても食べられます。

そして乾燥したのをさらに積み重ねて「のう」というのですが、さらに干します。

ここでもカラスが横からつついて食べます。

そしてクライマックスが、脱穀です。

埃まみれに体を真っ黒にしながら脱穀をするわけです。

だから、大変

昔は農家と言えば「落花生」と「小麦を」を輪作に入れていました。

つまり野菜を毎年作るのではなく、間に土を肥やす豆科の落花生や土を掃除する稲科の小麦を育て、畑を休めたりしていたのです。

しかし、小麦は海外産が流れてきて大赤字で誰も作らず、落花生も高齢化とともに最近は農業法人など大きな会社が青田刈りのように、実が入る前に機械で一気にかってハウスで乾かす、といったやり方に変わってしまいました。

そんな大変な落花生ですが、さらに「千葉半立ち」は昔の品種で収量が少なめで、かつ外れも多いらしいのです。

今年は大外れの年で「3反分、脱穀しても実が入っているのが2割ぐらいだから、もう燃やしちまおうと思う」と知り合いの農家さんが言ってました

一方、この教室ではコロナで例年より1ヶ月遅れで6月上旬に種を蒔いたのですが、過去9年で一番カラスに食われほぼ壊滅

仕方なく下旬に苗を作って植えました。

その結果、11月にしては葉っぱがまだ青っぽく「これはもしかして、逆に良かったかも?」と思ったのですが、残念ながら実がまだ熟しておりませんでした。。。

もうこの後の寒さでは実が入る前に葉っぱは枯れちゃうでしょうから、仕方なく掘って、「沢山食べたい人は茹で落花生にしてくださいね」と伝えました

さて、次は蕎麦打ちですが、ちょうど9月蒔きの蕎麦があったので、みんなで1粒ずつ実をとって、皮をむいて、そば殻やそば粉がどうなっているか見てみました。

なかなかみなさん興味津々で「これを集めたらそば粉になるんだ」とびっくりしてました

さて、いよいよ蕎麦打ちです

詳細はカットしますが、子供もやるという前提で3:7蕎麦を打ちました。

根本さんが収穫した無農薬栽培の蕎麦は1分間18回転の低速石臼でひかれて「挽きぐるみ」という挽き方で、あえて少し皮を入れることで風味が増すそうです。

さらに挽きたてなので、香りと甘みが違います

手出し口出しる親御さんもいれば、子供に任せる親御さんもいて、いろいろな形の蕎麦が出来上がりましたが、細ければのどごしも良く、太ければ良く噛むことで甘みを感じられるので、どっちにしろ美味しいのです

材料が良ければ、絶対美味しいのが蕎麦なんですよね~

こちらは根本さんが作ったそば。最高に美味しかったです

毎回、準備でヘトヘトになりますが、毎回、子供達やご家族が楽しそうなのに救われます。

そして来月はいよいよ今年最後の教室です。

来月もコロナに負けず、頑張ろう、楽しもう

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今週の朝採り野菜ボックス「みみずフレンド」

2020年11月18日 | 朝取り野菜ボックスのお手紙

先週からきちんとアップし始めた「朝採り野菜ボックス」の中に入れているお手紙。

今週もアップします

ちなみに、今週の野菜の内容は以下の7品でした。

さつま芋(紅あずま)
ミニ白菜
カブ
小松菜
大根
サニーレタス
春菊

写真を撮ってみたものの、玄関でスマホでパシャリだと、まあこんな品質ですね

本当はきちんとしたのを毎週撮ってあげるべきなのでしょうが、まあ、仕方ない

これで成田市住民で事務局に自ら引き取りに来てくれる方は、値引きも入って最安値は1250円ですから、まあ、お得ですよ

宅急便は送料や梱包が入ってしまうので値引き無しの2600円ですが、今の時期はそれにしてもお得です

100サイズの箱にぎゅーぎゅーで、ネット通販を通してこの無農薬野菜を買ったら、1.8倍~2.5倍しますからね。

さて、そんな野菜ボックスに入れた手紙は、先日の「食と命の教室」の事を書きました。

 先日の土曜日、おかげさま農場の高柳さんを教室長として開催している「食と命の教室」の今年最後の回でした。高柳さんは私の師匠で、公私ともに生き方、暮らし方を学ばさせて頂いてきました。その学びを共有したく、始めたのがこの教室です。
 2月のミニトマトの種まきから始まり、夏の田んぼ、冬の稲わら納豆を作りなど、様々な体験を経ながら、食と命の関係、有機農業の思想、昔の日本人の自然に沿った暮らしなどをみんなで楽しく学びあいます。

 今回は今年最後の回ということもあり、また1年の振り返りを行いましたが、今年は「感慨ひとしお」でした。

というのも今年はコロナ禍の中で、全く動じずに「いつも通り暮らせば良い」という高柳さんに会える事、そういった場があること、気さくに語り合える仲間がいることは、今まで以上に大きかったようです。

「本当に家にこもりっきりで、ここで人と会える事が救いでした」という方もいました。また、毎回、高柳さんの奥様が出す野菜だけで作った数々のお料理が美味しく、率直に「野菜が美味しいという事に気づいた」「誰かを家に呼ぶ時はメニューを考えるのがおっくうだったけど、ここで普通の家庭料理を出せば良いんだ、と気づいて、人を呼べるようになった」という方もいました。


 それぞれの感想がありましたが、私が「高柳さんのように根付く生き方」をお伝えしたことに共感して「地元の富山に帰る事にしました」という30代の女性もいました。コロナで都市生活から田舎志向が増えている中で、高柳さんの生活に触れ、故郷に対する気持ちが増勢されたのかもしれませんね。

 私は2011年の原発事故が大きな人生の転機となったのですが、コロナは大事故の衝撃というより、真綿で生活を締め付けられていくようなものなので、じわじわと生活が困窮していく人が増えていく災害のような気がします。

その分、世界はもとより、日本全体でも生き方、暮らし方を変えていく大きな一因にこれからもなっていくんじゃないかな~と思います。

私も今年の前半は動揺しましたが、高柳さんと1年、時間を共にしたことで例年通り落ち着いて暮らせた事はとても有り難かったです。

 また、「あっちでウロウロする人はこっちでもウロウロする」という言葉があるのですが、情報過多の時代で与えられる情報に左右されて、結局、何も積み上がらず不安定な方が多くいる気がします。

特にコロナは情報過多で原発の時のように必要以上に揺さぶられているような気がします。

そういうものとは対照的なの「師に学ぶ」という事だと思いまします。

そういう意味で、高柳さんの生活に繰り返し触れて学びを深めていける立場の私は、幸せ者だな~と思います。

また高柳さんに多くの人に会ってもらいたいな~とも思います。

 さて、新年度の「食と命の教室」は2月13日(土)からスタート予定です。今年は女子大生から73歳のご年配の男性まで参加した回でしたが、新年度も沢山の方々とご縁が出来るのか楽しみです。

ご関心がある方は、是非、お越し下さいね♪

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出来ました!稲わら納豆♪

2020年11月17日 | 食べもの

出来ました稲わら納豆

土曜日の「食と命の教室」で仕込んだ稲わら納豆。

例年に比べて、トップレベルの出来です

例年、3日間保温しているのですが、今年は2.5日で保温を止めましたが、それも良かったのかも?

稲わら納豆というのは、そもそも納豆の元祖なので「稲わら」とつける必要は本当は無いのです。

納豆菌というのは自然界に存在している枯れ草菌の仲間で、バチルス・ナットーとか言うのですが、それが大豆に働いて納豆菌が増え、大豆のタンパク質をアミノ酸にしたり、ネバネバ成分を増やしてあの納豆になるのです。

そこから臭みが少ないなど今の消費者の嗜好にあう納豆菌を選抜・育株して各会社毎に独自の納豆菌を作っているわけです。

普通は蒸したり煮た豆に納豆菌を溶かした液を噴霧して、パック毎、保管して作ります。

 

しかし、昔の作り方を農家さんに聞くと、とてもシンプルで稲わらで作った容器に煮た大豆を温かい内に入れて、籾殻の中に突っ込んでおいたり、農家さんによっては土に穴を掘ってそこで火をおこして灰を作り、そこに入れて土をかぶせて保温して作る、などやっていたそうです。

「食と命の教室」では、煮た大豆を稲わらで編んだ容器に入れて、コタツに入れたり電気カーペットで包んだりして保温するのですが、去年の参加者は「紙袋ごとだっこして一緒に布団に入って寝た」そうで、話を聞くと、過去最高のできだったようです。

農文教の本では、「18時間」と書いてあって、それ以上やるとアンモニア臭がしてきてしまうそうなのです。

ただ、純粋に稲わらだけでやると、3日ぐらいやらないとなかなかネバネバにならないのです。

かといって、4日、5日と置いていくと乾燥してかちこちになってきますし、ビニールで包むと嫌気になって臭くなるので、なかなか上手にいかなかったのです

で、3年ぐらい前から高柳さんが市販の納豆を3粒ぐらい煮豆の中に種菌として仕込むように変えたのです。

その結果、ネバネバが出てきて美味しい納豆が比較的安定して出来るようになりました

今年は2.5日で保温を止めたのも良かったのか、例年より硬いところも少なく、粘りもあって美味しかった

稲わら納豆の美味しさは何かと言えば、1つは大豆が高柳さんの小糸在来種という青豆系の大豆なので、豆そのものがとても美味しいという事、そして何よりも稲わらの香りが香ばしいんですよね

かつおのたたきもワラのすすの香りですが、稲わら納豆も少し似たところがあって、美味しいのです

今年は2束しか作りませんでしたが、それでも普通のパックの10パック分ぐらいあるので、しばらく納豆三昧です

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コロナ禍だからこそ際立った、今年の「食と命の教室」

2020年11月14日 | 農的体験・生活

昨日、今年の「食と命の教室」が終了しました。

まだ寒い2月からミニトマトの種を蒔き、小さく育った苗を鉢替えし、それを畑に植え、田んぼの季節を過ごし、暑い夏の中で草を取り、秋の収穫の季節を迎え、長雨を乗り越え、寒い冬にまたやってきたわけです。

高柳さんの言う「昔の日本人は1年を1つの単位として暮らしていたんだよ。今の人みたいに1週間単位で日曜日は休む、というのは無かったんだ」という事を少しでも体験してもらえたらと思います。

寒い冬から始まり、季節は巡ってまた寒い11月の稲ワラ納豆作りで今年1年が締めとなりました。

そんな今年最後の教室は、人気の「稲ワラ納豆作り」がメインですが、その前に、午前中はまずは年明けに出荷するサニーレタスの苗をみんなで植えました。

15人でやると1時間も経たずハウスの半分ぐらいの苗植えが出来ました。

まあ、植え方にはちょこっと問題があるのしろ、やはり農業は人手ですね~。

そしてお昼はいつものお母さんのご飯

肉魚はほぼ出ず、お野菜だけですが、毎回みんな「美味しい~」と言ってお腹いっぱい食べます。

ある方は「ここに来て、ホームパーティーというか、家に人を呼んでご飯を出すのが気楽に出来るようになりました」と言います。

それは「昔は人を呼ぶとなったら、色々メニューを考えなくては、と思っていたのですが、普通に自分が食べているものを、そのときにあるものを出せば良いんだ、とわかったからです」と言います。

また、率直に「野菜が美味しいと思えるようになりました」とか、「そのことで、野菜が自然に食卓に沢山のぼるようになって、便通が良くなりました」という方も。

食事は当たり前のことですが、健康や命を支える物。

しかし、肉食中心、加工食品中心の生活をしている人が、食生活を変えるのはそう簡単ではありません。

それが、月に1回ですが、野菜だけでこれほど多数の料理があり、それがこれだけ美味しい、という事を体験したことで、大きく変わったと聞くと、お母さんの献立はこの教室で有り難い存在だな~と思うわけです

そして今回はデザートも

無類の柿好きの高柳さんが持ってきたのは「はちや柿」。

渋柿なので、渋を抜くか、あるいはあんぽ柿のように干し柿にするか、完熟させて食べる柿です。

そして、高柳さんは完熟してとろけるようにしたのをスプーンで食べるのが、大好きなのです

「今年は成り過ぎたので大きさは少し小さいんだけどな」とおっしゃっていましたが、十分な大きさですよね~。

高柳さん自ら包丁で切って全員に分けてくれました

いつも1日1個、奥様と半分こずつして食べているそうです

本人も本当に美味しそうに食べるんです

参加者も「うちのおばあちゃんも、1日1個、大事そうに食べていたのを思い出しました」という感想も。

その後、なんとスイカも出てきました

十分甘かったのですが、遅めにハウスで作ったのを冷蔵庫に保管していたそうです。

こんな時期に食べたのも初めてでした

さて、午後はいよいよ待望の稲わら納豆作り

薪でコトコト煮た高柳さんが育てた小糸在来を煮て、無農薬栽培の稲わらを手で編んで「つと」という容器を作り、その「つと」に煮豆を入れる、という作業です。

わらは「わらすぐり」と言って、葉っぱや余計なゴミを取り、なるべく茎だけにします。

ちなみに、このすぐって出たゴミのようなわらを「すぐりわら」と言いますが、これで「わら布団」を作り、昔はそこで冬を越したそうです。

「50㎝ぐらいの厚さになるんだが、気持ちよかったぞ。お天道様の匂いがするんだ」とのこと。

高柳さんのお話だと、そんな布団も1ヶ月でペちゃんになるそうで「まあ、春までの今でいうマットだな」。

 

さて、わらをすぐってほぼ茎だけにした後、濡らしたり叩いたりして柔らかくした「編みわら」を縦に、乾いたわらは横にして編んでいくのです。

昨年参加したメンバーはさすが上手

まあ、誰もが1回目は上手に出来ませんが、コツをつかむと、これはもう素養として器用か不器用かの差が顕著に出てくるんですね

終わった後、すぐりワラを焼いてたき火。「最近、たき火も出来ないから久々です」とみんなも大喜びです

そして活動が終わった後は、最後の締めとして1年の振り返りをしました。

今年は参加人数が多かったのですが、2月にスタートした頃はまだそれほど広がっていなかったコロナが急激に広がりました。

しかし、逆にとても今年はまとまりも良く、締めの今回が感動的ですらあったその一因はコロナかもしれません。

1年間の感想で、「コロナで人と離れた生活になった中で、逆にそんなことは関係無いように受け入れてくれるこの教室の存在は有り難かったし、ここで人に会えるということは支えでした」という方が多かったのです。

2月~3月は、コロナが急拡大したところで、例えばおかげさま農場の若手農家や私はマスク必着でした。

しかし、高柳さんを初めとした大御所はみんなマスク無し。

「騒ぎすぎだよな」「もしこれでコロナで逝ったらそれまでだな」という達観ぶりです。

最初は「大御所こそマスクしなくちゃいけないのにね」と若手では言い合っていたのですが、その大御所達の姿に触れ感化され続けた結果、「確かに、騒ぎすぎかもな」と思うようになりました。

この教室も最初はマスク必着で、また1回は「休校」にしました。

しかし、高柳さんの「コロナ騒ぎがありますが、人は昔からウイルスと生きてきたわけです。共存してそれに耐えるべく免疫を獲得してきたのです」という当たり前の話を聞き続け、また、農村ということで人とほとんど触れる時間は無い生活は結局は昨年以前と変わらないので、お店に入るときはマスクをしますが、そうじゃない時はマスクはしなくなりました。

そして教室でもスタートはマスクをしているのですが、結局、昼ぐらいには暑くてむしろ熱中症になる危険もあり「自己判断」という事にした結果、みんなマスクは自然にしなくなりました。

普段の生活では農薬や地球環境の事をまじめに語ると、変な人に思われてしまう。

これと同様に、コロナは騒ぎすぎだ、と言うと、変な人と思われてしまうのが今の日本社会です。

 

そういった事があるからこそ、「この教室は有り難かった」という思いが、例年以上にみなさんの心に生まれたのでしょう

もちろん、「都市部生活はやはり限界がある」という思いが募っていて「いつかやっぱり農村に拠点を置きたい」という思いを改めて強くされた方もいましたが、これもコロナが一因ですね。


私が原発によって「自分の事ばかりだった生き方」を猛省し、「子孫に胸を張れる生き方」にシフトしようとしたように、このコロナで大きな変化をした方が多いと思います。

原発は衝撃的でしたから、農業や食べ物に関わる人は大きなインパクトがあったかと思いますが、全体への衝撃はむしろ自身や津波の方が大きかったかもしれません。

今回のコロナは、原発のような衝撃では無く、じわりじわりと生活が真綿で絞め殺されていくような災害ですから、インパクトの大きさというより、広く全体に生き方の変更を迫る存在なのかもしれません。

結果的に、コロナの方が原発よりも大きな変化を生み出すのかもしれませんね。

この教室でも、コロナだからこそ自然に則した生き方、自給&自立的生き方、在野の哲人の高柳さんの生き方に学ぶ事は今まで以上にインパクトがあったと思います。

また、率直に「野菜の美味しさを知って、食卓が変わった」「なんだか花粉症も治まった」とか「便通が良くなった」という人も。

昨年に続き、今年も別の方ですが女子大学生が参加しましたが、「社会の色んなことに疑問を持つようになった事は成長でした」と言い、また、「高柳さんのように根付く生き方」について私が語ったことで「あの話に影響を受けたんです」と30代にして世田谷暮らしから実家のある富山に帰ると決めた女性もいました。

 

いずれにしろみなさん、「ここは居心地が良い場所で、温かい雰囲気で迎えてくれて感謝してます」と言ってくれて、こちらも良かったな~と思います


この教室は高柳さんがほとんどしゃべるので、私は場をホールドするのが仕事なのですが、毎年、学びが深くなります

やはり師匠という存在がいること、そして師匠とは常に離れない事で学びがどんどん深まります。

自分の生活に目を向けず外部の情報に反応し、「あっちでウロウロ、こっちでウロウロ」する人が多い気がしますが、結局、そういった生き方は「根」が無いので、育ちません。

私が11年前に「生きることとは、生活することそのもなんだ」と鴨川で気づき、その後、東城先生や高柳さんから学び続けていますが、「生活」は「積み重ね」なので、頭で情報を得ても、結局、生き方は何も変わらないんですよね。

だから、常に学び続ける事で、常に深め続ける事で積み重なる。

人生は時にむなしい事がありますが、生活を積み重ねて行くことで深く楽しくなっていくものですね。

今、家庭菜園やDIYがブームですが、その底辺にあるのは、結局は「何でも与えられてしまう物質的には豊かだけで心が満たされない近代社会の生活」に対し、「自分で作り出す喜び」、つまり「生活を自分の手で作ること」の一環だからだと思います。

そういったことを流行もそうですが、先祖代々、続いてきた日本人の「自然に感謝し、自分で出来る事は自分で全部行う」といった事をやっている最後の生き残りの高柳さんに触れる事は、本当に今の時代、ますます価値が高まっていると思います。

まあ、そんなことで、ほんと、今年も良い教室でした

そして高柳さんとのご縁が出来る場をこれからも提供し続けていきたいと思います

来年度の「食と命の教室」、2月13日(土)からスタートしますので、ご関心がある方は、是非、ホームページをのぞいてみて下さいね

 

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鬼滅と古事記

2020年11月13日 | 素敵な家族・子供との時間

この年になって、昔の人の生活を学びながら、最近は古事記、能の世界にも触れ始めた46歳です

そんな私に、昨日、小6の子供が「鬼滅の刃にかすがいカラスが出てくるけど、なんであれって、カラス何だろうね?」という話が出ました。

そこで、たまたま古事記に出てくる八咫烏の事を知っていたので、ちょこっとその話をしました。

「古事記っていう、日本で一番古い神話のお話にもカラスが出てくるんだよ。カラスって神様の遣いで、日本では神様の案内役がカラスだったんだよ。鬼滅のカラス達も丹次朗たちを任務地に案内するじゃん、だからそこかとったんじゃない?」

「サッカーの日本代表の青いユニフォームにの胸のところにカラスのマークがあるんだけど、あれは八咫烏って言って、勝利に導く、っていう案内役として描かれているんだよ」

と伝えたら「あ~、黒いのあるよね」と反応してくれました。

私も話しながら「本当にそうかもね~」と思い始めました。

 

ついでに「柱っているじゃん。あの柱ってどういう意味があると思う?」と聞いてみました。

すると、息子は「みんなを支える強くてしっかりしたっていう意味?」ともっともな事を答えてきました。

「なるほど、その通りだね。そういう意味なんだろうね。あと、もう1つあって、さっきの話じゃないけど、昔から日本では神様のこと、1人、1人とか数えるんじゃなくて、1柱、2柱って、数えるんだよ」

とも伝えました。

そんな話をしながら、またまた「あれ?これって結構正しいじゃないの?」と自分でも更に思うようになりました。

 

そして今日、たまたま神様・仏様にも詳しい農家さんのところで色々話していたら、その農家さんが「そういえば、鬼滅の刃の映画、観たぞ。あれは凄いな」という話をしてきました。

その農家さんは鬼滅をほとんど見ていないのですけど、お孫さんと一緒に映画を観に行ったそう。

その農家さんが「あれは感動したな清らかだなあれは神道だな」と言うのです。

「そもそも鬼滅っていうの鬼退治だろ、あれは桃太郎の話だな」とか「岩を割ったのがあるけど、あの岩、実在するもんな」と、色々ご存じの神社などの知識と織り交ぜられた感じで、興奮していました。

そんなお話を聞いて、鬼滅って、大正浪漫っぽいところもあるし、神楽などの神社や神話のお話も関わってくるけど、古事記など日本の昔の歴史や文化についても作者の方は色々知っている方なんだろうな~と思いました。

 

さてさて、真実はいかに

公式ガイドブックとかに載っているんでしょうかね

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今週の朝採り野菜ボックス「みみずフレンド」

2020年11月11日 | 仕事の中で

毎週水曜日は「朝取り野菜ボックス」の発送日。

お試しされた方が定期購入になる確率は感覚ですが9割以上。

野菜そのものが新鮮で美味しい、ということに尽きるのですが、私の手紙もたまに「楽しみに読んでいます」というコメントを頂くので、2割ぐらいのお客様には楽しんでいただけているのかも

その時に手紙を入れているのですが、もう9年になってしまいました。

そのお手紙を水曜日は載せていこうと思います。

・・・・・・

野菜が充実しています♪

今回も大根やキャベツなどの大物がたくさん入り、盛りだくさんでもうギューギューです。みなさんからすれば「お得な時期の到来」ですよね♪

 農家さん側からしても、今は出荷のピークでもあり忙しい日々ですが、秋冬野菜の準備は夏から始まっています。梅雨が明けてまだ地中に水分が残っている間に堆肥や肥料などを振って透明ビニールマルチで地表を覆う「太陽熱養生」を行います。すると太陽熱で地中の温度が熱々になり、水分が水蒸気になり地表の透明ビニールがあるところまで上がってきて、虫や病原菌や雑草の種をやっつけると同時に、肥料分を溶かし水溶化します。その水蒸気は夜になると冷えるので下に沈むため、肥料分が地中までくまなく広がり、野菜にとっては、肥料分の偏りがなく根っこが素直に伸ばしやすい状態になるのです。
 さらにここ最近の研究では、この太陽熱養生を行うことで、悪い菌は激減するのですが、グラム陽性菌といわれるような植物生理にとってはプラスに働く菌は増えるということもわかってきています。いったん、全体の菌を減らし、その後に復活して増えてくるのは良い菌の方が優勢になるんですね。

 まあ、大体の有機農業をやっている農家さんは「雑草が生えにくくなる」というのが一番の理由なのですが、これにより、確かに草の量が激減するのです。そして、2週間ぐらい太陽熱処理をやったら、透明ビニールマルチをはがして種を蒔きます。

 人参は7月末から8月上旬が蒔き時です。これより早くても暑さでやられちゃいますし、これより遅いと冬までに生育が間に合わないのです。ただ、この10年で夕立というのが無くなってしまい地表はパサパサ。さらにこの数年は異常気象レベルの猛暑で地表は焼き尽くされるような状態ですので、潅水設備がない畑では人参は栽培できなくなってしまいました。私も畑で作っていますが、2日1回、じょうろで20リットルぐらいの水を撒いて頑張りましたが、そろそろ限界を感じています(^^;)

 8月上旬までに人参の種を蒔いたら、8月下旬はキャベツや白菜の種を蒔きます。そして9月6日頃から大根、小松菜、ホウレン草などの一般的な葉野菜の種を3~4日おきぐらいにずらし蒔きします。秋冬野菜は気温がどんどん低くなっていくので、1日種蒔きが遅れれば収穫が1週間遅れる、と言われています。そうやって蒔いて育てた野菜が今、収穫のピークとなってみなさんの食卓に届いています。

 どんな野菜も旬が一番無理なく健康的に育ちますし、その命を頂く人間の体にとっても良いものです。旬の野菜をたくさん食べて、本格化する寒さに負けないよう体を整えてまいりましょう。

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プチ断食?

2020年11月10日 | 自分の時間

週末、人生で多分初めて30時間、ご飯を食べなかった、いや食べれなかった。。。

昔から「プチ断食」は良いと聞いていたのですが、どうしても耐えきれず、その後の反動でドカ食いをしちゃうので、「結局、規則正しく食べる方が良いな~」と思ってはいたのですが。。。


事の発端は週末の慣れない作業のストレス。

週末に実家(といっても我が家から50m先)の壁紙貼りを人生で初めてやったのです。

親が年を取ると「暗い」と騒ぐのですが、電気は明るくても壁が茶色いのが問題なので、それ以上は明るくならないのです。

英語劇を学生時代にやっていた時、大きなホールでディレクターをやった事があったのですが、その照明テストの時にどうも舞台がぱっとしないな~と思っていたのですが、素人ながら「壁が無いからだ」と気づいたことがあるのです。

ようするに、ライトがあってもそれを反射する白い壁が無いと全体が明るく見えないんですね。

そんなことを思い出して、木の焦げ茶色の壁に囲まれていれば、照明を多少明るくしても、老化した親の目では「暗い暗い」となるので、「白い壁紙貼るしかないよ。素人で上手く出来なくても良いならやるよ」という事で、初めて壁紙にチャレンジしたのです。

まあ、やってみたらわかったのですが、例えば畳み1枚分を貼るとなると、どうしてもヨレが出来てしまうし、スイッチや家具などがあると、そのところをくり抜いて貼らなければいけないし、思った以上に大変なのです。

ということで、神経使ってヘトヘトになって疲れ果て、終わった後に普段は飲まない仏壇にある缶コーヒーをもらい、家に帰って飲んだのですが、これが甘い

甘すぎてとても飲めなかったので牛乳で割って飲んだら、まだまだ甘く、結局、都合、牛乳3杯、たぶん6~700㎜リットルぐらい一気飲みしたわけです。

そりゃ美味しかったですよ、疲れた後の冷たくて甘いコーヒー牛乳ですから

ただ、その後、お風呂に入って2時間ぐらいした後から、「どうもお腹が調子が悪いな~」とゴロゴロし始めたのです。

そして、夜ご飯タイムになる直前、「これはまずいんでは」とトイレに行ったら、もうそこからが大変

何年ぶりぐらいか思い出せないのですが、トイレにこもり1時間ぐらい悶絶する状態に

一気に出せればそれですっきりするのですが(お食事中の方、失礼)、出ないのです。

つまり、お腹の中が必死になって動いているのですが、それが痛くて苦しい

あまりに痛くて、その緊張のせいか手は冷たくなってしびれてきたし、脂汗は出るし、「このまま失神するんじゃないの俺、大丈夫」と、鬼滅の善逸のような状態になっておりました

苦しんでいる時間も、子供がトイレに来て「大丈夫?餃子、食べちゃって良い?」と心配しつつも、狙いは父の餃子。

「食って、、、良いよ。。。ぐふっ」となっている父を置いて、「食べていいってよ~」と立ち去る息子。

そんな中、「そういえば若い頃、牛乳1リットル一気飲みしてたまにこんな風にお腹痛いとか1年に1回ぐらいやっていたな~」とか、「この年齢になると冷たい牛乳3杯でこんなになるのか~、やっぱり牛乳分解酵素は日本人には無いのね」とか思いながら、多分、1時間ぐらい動けなかったのです。

その後、ベッドに入り、ひたすら回復をまったわけですが、翌日もどうも調子が良く無く、全く食欲も無く、下痢の時って水分とった方が良いと聞いたことがあったのですが、水分も受付けず、まあ、コップ1杯ぐらいは飲みましたが、無くなり、気づいたら30時間経っておりました。


そんなこんなで、久々のご飯はほんの少し、100回噛んでドロドロにして、胃腸がびっくりしないように食べました。

その後も、梅干しと白湯、サツマイモ、ご飯は少しで良く噛むを3日ぐらい続けております。

そろそろ普通の食欲が出てきていますが、まだ胃袋はそれほど大きくなっていないので、あと数日は今回の戒めということで、摂生を続けてようと思っております。

若い頃は牛乳1本グビグビ飲んでいたこともありましたが、やっぱり牛乳はあくまで嗜好品、冷たいのは特にガブ飲みは止めましょうね、はい。

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