半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

晴れが続いて畑仕事!

2020年01月31日 | 自己紹介・このブログについて

いや~、ようやく晴れてきました

なんでも、10日間で1時間以上日照があったのが1回だけ、という状態でしたから、いかにこの冬は雨や曇りが多くおかしなことになっているか、というのがわかります。

夏が猛暑になり「最近、おかしいんじゃない?」と街の人も気づき始め、そして一昨年の西日本豪雨、昨年の東日本の台風と長雨で、日本全国「ちょっと、気候がおかしいよね?」となってきた気がします。

農の現場では10年前から「何十年も農家をやってきて、こんな気候、初めてだ」という言葉が飛び交ってきました。

ついに、それが日本国民全体の意識にも出てきた気がします。

それほど、この冬は曇天・雨天続きで、しかも暖冬でした。

 

何より、雨が降り続けると畑に入れないのが農の現場です。

私の家庭菜園の40坪ぐらいの畑も、久々に草刈が出来ました

久々に2時間半ぐらい、がっちり畑に入れると、お天道様の有難さを感じます

草刈メインで、作物は今はほとんどありません。

 

越冬させて春に収穫するのがスナップエンドウ。

品種を寒さに強い「スナップ753」というのにしているので、ここ2年、霜でやられていましたが、今年はほとんど生き残っています

まあ、暖冬の影響もあるのでしょうしょうね。

 

こちらはラッキョウとニンニクです。秋のお彼岸までに植えて、6月ぐらいに収穫します。

毎年順調です

ホウレン草はかなり食べられています。これはおそらく野鳥ですね。

ブロッコリーの葉っぱなども良くヒヨドリみたいのがついばんでいます。

冬は青草が少なく、柔らかく美味しい葉物は、鳥さんも大好物

 

これはまだ葉っぱがしっかりしているホウレン草。

ギザギザ葉の日本ホウレンソウです。

今の子供達は、ほぼ、日本ホウレンソウを食べた事がないでしょうね。

西洋より収量は少ないのですが、やっぱり美味しい

 

ちなみに、いつもは冬の寒さで完全に枯れる春菊が枯れていません。

このままいくと、新葉が出てきて春に春菊が食べれるかも

 

まあ、こんな畑ですが、草刈りをすると色々な雑念が湧いてきます。

それもふと、青空を見上げると気持ちを切り替えられます。

そういった畑仕事、やっぱりいいです。

人は体を動かさないとろくな事を考えませんからね。

そして食べものを供給してくれる畑とお天道様に感謝です

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ウイルス話

2020年01月30日 | 仕事の中で

コロナウイルスが流行っています。

日本はどうなるのか?

うちは成田なので「イオンにはしばらく近づくな」となっています

成田空港から沢山の観光客がイオンに来るのですが、やっぱり中国の方が多いんですよね~。

そういえば、田舎暮らしをしていて「農家さんって風邪をあんまりひかないよな」ということで、抵抗力が抜群にあるんだな、と思っていましたが、それだけでなく、やはり人混みにいかない、というのもあると気づきました。

私もそういう意味で人混みに行かないので、田舎に引っ越してきてインフルにかかったことがありません。

子どもはたまに学校からもらってきてインフルになりますが、そういう意味で私の抵抗力がついたのか?

はたまた、やはりウイルスにあまり感染しない生活をしているのか?

まあ、どっちもでしょうね

 

さて、私の師匠の高柳さんがブログで書いていたのが、福岡伸一さんの「生物と無生物の間」という本です。

私も昔読んで「へ~」と思ったのですが、その本に書かれていた内容を高柳さんが文字打ちしていたので、拝借してコピペします。

「ウイルスのことで思い出したのが、福岡ハカセの「生物と無生物の間」です。改めて読み返してしまいました。ウイルスは大腸菌をラクビーボールとすればピンポン球かパチンコ玉くらいに小さく光学顕微鏡では見えず、電子顕微鏡が発明されて見ることが出来るようになった、という。

 しばらく引用・・・ウイルスは栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。一切の代謝をしない。

 科学者は病原体に限らず、細胞一般をウエットで柔らかな大まかな形はあれどそれぞれが微妙に異なるやく弱な球体と捉えているが、ウイルスは違っていた。ウイルスはメカニカルな構成で、同じウイルスは全く同じ形をし、そこには大小や個性といった偏差がない。限りなく物質に近い存在であり故に結晶化することが出来るという。

 ウイルスは単独では何もできない。細胞に寄生することによってのみ複製する。ウイルスはまず細胞の表面に付着させる。その接着面から細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。宿主細胞は何も知らずそのDNAを自分の一部と勘違いして複製を行う一方、DNA情報を元にせっせとウイルスの部材を作り出す。細胞内でそれが再構築されて次々とウイルスが生産される。それら新たに作り出されたウイルスは間もなく細胞膜を破壊して一斉に外に飛び出す。

・・・それがウイルスの増殖メカニズムのようです。」

改めて読むと「へ~」と思います。

ウイルスは自分で自己増殖が出来ないのです。

DNAを注入して寄生した細胞に増殖をさせる「コントローラー」のようなものなのです。

なので、本のタイトルが「生物と無生物の間」ということで、何をもって生物というのか?という問いになっています。

ウイルスは菌とは全く別物なのですね。

そのウイルスの中で出てきたのが「コロナウイルス」です。

これまた高柳さんの話でもありますが、地球は、というか自然界は1つの生物の増殖を好みません。

例えば、センチュウという虫が畑に一定以上になると、それを食べるバクテリアが繁殖してバランスをとろうとします。

肉食獣と草食動物のような関係もそうですね。

 

そう考えると、人間という1生物は地球環境で「異常繁殖」していると言います。

つまり、自然界は「人間」という生き物が多すぎるので、必然的にバランスを取ろうとして、その「人間」という生き物をエサにする、あるいは寄生する存在を増やす、という説です。

そういった説を唱える学者の中では、「じゃあ、人間の存在を脅かす存在が現れるとしたら、やはり菌ではないか」と言ったそうです。

今回のコロナウイルスは「菌」では無いのですが、エイズしかり、人間という生物が多くなり過ぎた結果、様々な脅威が襲いかかるリスクは増えてくるわけです。

私は人間が絶滅するのはもちろん、自分や家族や親しい人の事を考えたら、是非、出来るだけ人間という種が長く生き延びて欲しいと思うのですが、地球の長大な歴史を考えれば、まあ、いずれ絶滅するのも自然なのかな~と思います。

なんでこんなこと書いているかというと、手塚治虫の漫画の1つで、人間が絶滅した後、今度はナメクジが進化して、ナメクジ星人が地球の支配者となって「昔、サルが進化した人間という種が地球を支配していたらしいよ」と、ナメクジの親がナメクジの子に話している場面があったのです。

「凄い事を手塚治虫は考えるな~」と感心したのですが、地球温暖化やコロナウイルスなどを考えると、人間が生まれた頃と環境はだいぶ変わってしまって、バランスが崩れてしまっている環境に私たちは暮らしているんだな~と思います。

地球温暖化を止めるには、2050年までに二酸化炭素の排出量が地球の緑が吸収する量と同じにしてプラスマイナス0にしないといけない、そのためには2030年までに二酸化炭素排出量を今の半分にしなくはいけなく、という明確なゴールが国連から出されました。

そうしなければ、2100年まで温度上昇は止まらなくなり、ゆくゆくは北欧しか人間は住めなくなる、という学者もいます。

そういった気温だけでなく、地球温暖化が進むと今までなかった菌やウイルスが猛威を振るい(湿度と温度があればより繁殖するため)、今以上に色々な病気が流行ってしまうのでしょうね。

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80㎏以上仕込んだ味噌作り教室

2020年01月19日 | 農的体験・生活

1,2月は田畑イベントがない分、味噌作りなどで土日が半分以上埋まっています。

そして日曜日は今年2回目の味噌作り教室。

午前&午後のWヘッダーで、まあ相変らずハードな運営

翌日はヘロヘロになりますが、小名木は80kg以上が完売

そして、半分以上がリピーターなので、慣れた子ども達も多く、みんな楽しんでくれました

味噌の説明でいつもするのは、「手作りを食べたら、もう市販の味噌には戻れませんよ~」という事。

というのも、手作り味噌は美味しいのです

市販のもので1kg400円ぐらいまでのものは、たいてい、普通の材料は使っていません。

味噌は大豆、糀、塩の3種類で作るとってもシンプルな食べ物。

材料が普通であれば、誰でも美味しく作れます。

ところが70年代ぐらいからと聞いていますが、「もっと安く作ろう」という事で、今まで家畜のエサにしていたようなものを材料に味噌が作られ始めました。

「丸大豆使用」と例えば書いてあるのが高級っぽく聞こえますが、本来、大豆というのは丸いのは当たり前。逆に書いていなければ丸大豆を使用していないのです。

じゃあ何を使用しているか?

大豆というのは油分が多いので、薬品で油を分離してサラダ油などを作るのですが、その残った大豆カスは今までは家畜のエサか肥料に使っていました。

この「大豆カス」を使えば安くなる、となったのです。

また、糀も本来、普通のお米に糀菌を振って作るのですが、「くず米」と呼ばれている、虫食いだったり実りが甘かったりして主食にはとても出来ないものは家畜のエサにしていました。

この「クズ米」も味噌の材料に使うことになっていきました。

そして「塩」は今でこそ海水塩が当たり前に売られていますが、1971年に「塩田で塩を作ってはいけない」という法律が施行され、化学工業塩しか作ってはいけなくなりました。

2001年まで、法律の網をかいくぐった伯方の塩や青い海など以外は、まともな塩はなかったのですね。

その「大豆カス」「くず米を使った糀」「化学工業塩」を使うと、原価が100円とか200円で「味噌もどき」ができます。

また、本来、半年以上熟成させるものを加温・加圧することで3カ月で見た目は味噌っぽく出来るのです。

しかし、当然きちんとした発酵を経ていないこともあり、また材料も粗悪なので、増粘剤やら発色剤やらアミノ酸などを入れて「味噌っぽく」しているのが通常の味噌なのです。

普通の「丸大豆」「主食で食べれるお米を使った糀」「海水塩」を使ったら、普通に考えて原価は最低3400円ぐらい1kgでかかるんですね。

だから、「普通の材料」で「本来の味噌」を食べたことが無い人が、手作りして食べてみると、今まで食べた市販の味噌とあまりにも違うので「美味しい」となり、「もう市販の味噌には戻れない」となるのです。

ということで、味噌作りの時期は過去のリピーターが最も多く、今回は、6年前ぐらいから来ていた家族も来てくれました。

娘さんは今年の4月に高校生になるということで、もはや子供は来ず、夫婦だけで参加していて、昔話に花が咲きました


 この教室をきっかけに「手作り味噌」を始めた家族も多いわけです。

本物を食べて育った子供達、農村体験として田んぼで泥だらけになったりお米が出来るところなどを体験してきた子供達が、もう高校生なわけです。

早いものですね~。

これも8年やってきた成果ですね 

小さい頃から毎月、田畑で農村で様々な原体験していた子供達がどんな青年になり、大人になるのか楽しみです

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NHKスペシャル 10 Years After 未来への分岐点

2020年01月17日 | 自分の時間

元旦にやっていたNスぺの録画を見ました。

いや~、ほんと、NHKってこういった番組をきちんと作ってくれるので私は有難いです

良く、高柳さんとも話しますが「トップはさておき、現場のディレクターにはまだまだ良心がある人がいっぱいいるんだな」と。

中高生にはこういったものを勉強させた方が良いと私はいつも思います。

 

さて、その内容は「2030年」に色々な問題が分岐点にくると言われている、という事でした。

「あと10年をどうするかで、人類や地球の未来が大きく変わる」というテーマです。

 

まずは「温暖化」問題。

これは私も良く知っている分野ですが、昨年のドイツから来た谷口さんという青年が言っていた
「あと0.5℃世界の平均気温が上がったら、地球は取り返しがつかなくなる」という事ですね。

もう1つはAI問題。

アメリカ、中国は「AI搭載の自動兵器を2030年までに稼働させる」という目標を掲げているという事。

また、水の問題、格差や紛争問題なども取り上げられていました。

 

まずは地球温暖化問題。

日本のメディアでは、ほとんど取り上げられませんが、ヨーロッパではトップニュースに毎日出てきます。
というのは、「タイムリミット」が明確に告げられていること、それに対して若者が反応していることがあります。

産業革命時から地球の平均気温が1℃上がっているそうです。

それが1.5℃、つまりあと0.5℃上がると、「もう取り返しがつかなくなる」、と世界の科学者、そして国連も警鐘を鳴らしています。

以前のブログにも書きましたが、ドイツやヨーロッパは「あと1年ちょっとで行動を変えないと間に合わない」というタイムリミットが宣言されていて、学校をやめて集会にいったり、経営者は飛行機に乗るのを止めたり、と大変な状態だそうです。

細かいことはその時のブログに書いてあります→こちら

 

それに比べて日本は「石炭火力」を止めようとせず、世界中から批判を浴びています。

ドイツは環境問題に6兆円の投資を決めて9月の環境問題に臨みました。

その6兆円も補正予算は組まず、カーボンオフセット、つまり、環境対策してⅭO2削減できたと計算出来た分を日本などにお金で売って得る計画です。

一方で、大臣になったばかりの小泉環境大臣は何も策を持たずに参加したので、非常に冷たい評価を得ましたが、日本のメディアはそういった事より「セクシー発言」ばかり取り上げていました。

まあ、それはともかく、話を戻すと、そもそも自然というのはバランスを取ろうとします。

二酸化炭素が増えれば、それを吸う緑が増えます。

例えば二酸化炭素は海水に溶けるので、海中の緑も繁茂します。

気温が上がれば植物の生育も良くなるわけです。

しかし、自然とは離れた行為を私たち人間は行ってきました。

具体的には化石燃料を掘り上げ燃やしたり、森林を伐採したり、大規模な灌漑施設を使った農業で砂漠化を推し進めたり、家畜を大量に育てることでメタンガスを大量排出したり。

そのことにより、自然のバランスでは賄いきれなくなってきてしまいました。

例えば、海水中の二酸化炭素は飽和に近くなり海に溶けなくなってきました。

二酸化炭素やメタンガスの温室効果で、宇宙に逃げていくはずのエネルギーが地球の中にとどまり、気温が1℃上がってしまったのです。

この「1℃上がる」というまでには、例えば空気より温まりにくい海水が頑張って温度を蓄熱していたのです。

しかし、海底海が温度が上がってしまい、海表流も上がり始めて気温も上がってきました。

あるいは、ヒマラヤなどの氷河や南極や北極の氷が溶けることで、宇宙から飛んでくる太陽エネルギーを反射していた鏡の役割の氷が減り、蓄熱スピードが進みました。

また、氷解熱というのがあって、氷が溶ける時に熱を発します。

そういった事が積み重なって「1℃」上がったのです。

そして、あと0.5℃上がると、「温暖化は加速度を増し、今世紀末には4℃上がることになる」といわれています。

0.5℃上がると、森林火災はもっと増え、氷が溶け、海が温まりきり、もう後戻りがつかなくなり4℃上がることが科学的に計算できると言われています。

その「0.5℃以内の気温上昇に抑えないといけない期限」が2030年と言われています。

具体的には、2050年には「森林などが吸収する二酸化炭素量と排出する二酸化炭素量がブラスマイナス0」にしなくてはいけなく、そのためには2030年までに、現在の二酸化炭素排出量を半分にしなくてはいけない、と言われています。

「まずは現在の二酸化炭素排出量の増加を止め、それをあと10年で半減しなくてはいけない」

これが大命題であり、これが出来なければ、アマゾンなどの森林は自然火災で減ったりサバンナや平地の砂漠化が進み、南極大陸の棚氷などが溶けて海面が上昇し高潮の被害などが相次ぎ、世界中で住む場所を失う人が増え、熱帯地域では人が住めなくなり、土地争奪戦、水争奪戦が起き、さらに食べ物が不足し飢饉が起き、持つものと持たざるものとの格差がさらに開き、紛争が多発する、と言われています。

そういう事から国連が「紛争や戦争を無くすためにも、これから10年が勝負だ」と緊急宣言を出しているのです。

といった事を、まともに放送するのはNHKしかないんです。

お笑い番組を観ている場合ではない、というのがヨーロッパの若者達で、だから世界中の若者がデモなどに走っています。

日本で言えば、江東区など東東京などは人が住めなくなり、例えばスカイツリーは4m海に沈む計算になっています。

経済優先の前に、住むところが無くなり、子ども達の世界が大変なことになる、ということに対し、テクノロジーの発展を待つだけでなく、消費活動を抑える事も必要なわけです。

私は原発事故が直接の原因でしたが、未だにブラウン管のテレビやガラケーを使っていて、車も中古車で十分、フライパンもテフロンなどではなく私が1人暮らしの時に買った鉄のフライパンを使っていたり、子ども達の学習机も貰い物やリサイクル品にしています。

お金がないということもありますし、ある意味、意地になっているのもありますが、「だって、もったいないじゃない」という気持ちや「そんなに消費しているから原発が是という事になってしまうんじゃないか」と思ってきました。

それが今は「温暖化という人間が住む場所が無くなって、他の生物も絶滅に追い込んでいる」原因になっているんですね。

原発どころの騒ぎじゃない。

TEDで以前、話されていた内容で衝撃を覚えたのが「世界70億人のうち、洗濯機を使えている人たちは20億ぐらい」という話でした。

そして「世界中の人が洗濯機を使える消費レベルになったら、地球環境は終わってしまう」ということ。

衝撃を受けました。

「洗濯機を使える生活水準は、地球を破綻させるの!?」って。

そういうのもあり、さすがに洗濯機を手放すのはつらいけど、無駄な消費は出来るだけ止めよう、自分で直せるものは直そう、ものを大事にしよう、という思いになっています。

子ども達は「テレビ買い替えて」と叫んでいますが、いつか大人になった時に「うちはブラウン管だったな~」という記憶が、消費行動や生活について考える種になると信じています。

 

また地球温暖化だけでなく、戦争もAI搭載兵器が中心になり、アメリカと中国が2030年までに覇権を争っているようですが、既にAI搭載のドローンなどは開発されています。

そして人間が指示をしなくても、過去のデータに基づいてAIが自動攻撃をする、というのが実現出来ているそうです。

しかし、誤った事件が既に発生していました。

アメリカのジャーナリストがシリアなど内戦地域に入り込んでいたのですが、過去の通信記録や出入りした地域などからAIが「キル・リスト」を作り、その「キル・リスト」を基に暗殺を試みて、そのジャーナリストは乗用車を爆破されて、後部座席に乗っていたので一命をとりとめたそうです。

またオフィスも攻撃されて、近くにいた10歳ぐらいの子や仲間が殺されてしまった、ということも。

AI自体が完璧ではない、そこを制御できないまま実用化が始まっているそうで、シミュレーションで、ドローンの集団が学校のドアを破壊して、授業を受けている「テロリスト候補の学生」を教室中から探し出し、暗殺する、なんて映像が流れていましたが、恐ろしいですよね~。

他にも高校生の時に「海のプラスティックゴミを無くしたい」と思い立ち、TEDで発表し、活動をしたら1000万円のお金が集まり、NPO法人オーシャンクリーンアップを設立し、その後、大規模海洋ゴミ収集に初めて成功したり、今は44億のお金が集まり「河口で海へのゴミの流出を食い止める船」を開発し、いくつもの国に導入が決まっていたり、と凄いことをしている若者がいました。

そんな事例を紹介しながら、あと10年、どう生きるかを問う番組でした。

学校の授業も大切っちゃ大切ですが、中高生に是非見てもらいたいと思いました

 

 

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今年1回目の味噌作り

2020年01月13日 | 農的体験・生活

2019年度最後で今年最初の「田んぼと畑の耕育教室」は「味噌作り教室」です

例年、年始早々の1回目は午後の参加率は低いのですが、今年は午前&午後も両方満席で、まあ賑やかな味噌作りでした

仕込んだ量も午前と午後を合わせて80kg

これだけ仕込む農家さんも最近はなかなかいないのではないでしょうか

味噌の作り方はシンプルで、大豆&糀&塩を混ぜてつぶして寝かすだけ。

しかし、シンプルだからこそ材料と寝かす期間で味は雲泥の差になります。

私は最初、手作り味噌を食べた時に「こんなに美味しいんだ」と感激し、それから10年ぐらいずっと手作り味噌で、もう市販の味噌には戻れなくなりました。

ただ、今思えば「今の味噌が本当の当たり前の味噌で、それまではちゃんとした味噌じゃなかったんだな~」とわかり、そういった事を参加者のみなさんにも伝えています。

ちょっと前は「無添加味噌」というのが流行り、今はちょっと良いものは「丸大豆使用」というキャッチフレーズがつきます。

実は無添加というのは「アルコール無添加」のこと。

スーパーは「棚持ち」を優先するので、味噌は置いておくと発酵が進んで色味も悪くなるのです。

だから「アルコール添加」することで、発酵を止め、色味を良くするのですが、酵母菌が動かなくなるのでそれが良いのかどうか。

また、「丸大豆使用」というのは、逆に言えば、そう書いていないのは「丸大豆不使用」という事です。

農的生活をしていれば「大豆が丸いのは当たり前」なのですが、70年代ぐらいから「味噌を安くするために」と考えたメーカーが、「大豆カス」を使い始めました。

大豆というのは油分がたっぷりあるため、菜種油やヒマワリ油以上に油をとることができます。

そのため、「サラダ油」というものは、原材料の主が大豆です。

その「油を搾った残った大豆カス」は、肥料や家畜のエサに使われていたのですが、「これで味噌を作れば原材料費が抑えられるじゃないか」とメーカーは考えたのです。

また、糀は普通のお米を使うと高くなるので、いわゆる「くず米」と言われているお米を使います。

塩も天然塩よりやすい「99.9%NaCl」の食塩を使います。

そうすると、1kg300円台という安い味噌が出来るわけです。

また、スーパーの要望に応えていつでも出荷できるよう、仕込んでから3カ月ぐらいで出せるよう「加圧・加温」することで、見た目は味噌っぽいのが出来ます。

しかし、例えば2月に仕込んで10月に食べられるようになる普通の手作り味噌は、8カ月熟成させているわけで、その中で糀菌がミネラルや大豆をパクパク食べてアミノ酸を排出して美味しい味噌になるのに比べ、3カ月で作る味噌は見た目は良くても味は全く良くありません。

そこで、増粘多糖類やらアミノ酸やらいろいろ入れて、「だし入り味噌」という事で売るわけです。

そういったものが外食やインスタント味噌汁では主なので、普通の手作り味噌を食べると「全く違う」となるわけです。

普通の味噌は1kg600~900円ぐらいが相場です。

高いな~と思うのはわかりますが、よくよく考えると、例えば無農薬大豆は1kg600円ぐらいはしますし、糀や天然塩を使うとなると、原材料費が500円以上はいくのです。

そこに手間賃を考えれば、そりゃ、そのぐらいしない味噌の方がおかしいよな、とわかるんですね。

という話を前振りで参加者にしながら、子ども達があきないように、みんなで楽しく味噌作りをしました

材料を混ぜ合わすだけなのですが、みんなの共同作業で美味しくなるよう、工夫しながらやっているので、途中で脱走する子もいるのは当然としながら、頑張った子は褒めながら、午前と午後で3回しこみました。

そして、ミンチは子供達の興味をそそるもの

機械が動く音で興味をしめし、にょろにょろ出てくる味噌にこれまた関心を示すわけです

そして自分で仕込んだ味噌を家で使って味噌汁を食べる、素晴らしい体験じゃあ~りませんか

そんなこんなで、今年1回目の味噌作り、無事に終了しました。

 

ただ味噌作りは、個人的には大変なイベントなんです

午前の部&午後の部のWヘッダーで昼ご飯をとる時間も無く、洗い物&準備→実施→洗い物&準備→実施→洗い物&片付けと、8時から16時まで駆け抜けなくてはいけません

楽しいと言えば楽しいですが、短期集中型のイベントなので、気遣い&体を動かす量も半端ありません。

しかし、みなさん楽しく参加してくれて、そして味噌作りだけ5年ぐらいリピートしている方もいて、人気の回なので、気合を入れて頑張りました

 来週19日も既に満席で、それが終わると今度は2月です。

 1~2月は週末のイベント続きですが、風邪などひかぬよう頑張り走り抜けます

 

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オンラインゲーム体験記

2020年01月08日 | 自分の時間

昨年、実はオンラインゲームをやってみました

まあ、私もファミコン世代でしたから、中学生までゲーム中毒になっていた時期もありました。

朝5時に起きて1時間やり、朝の部活に行き、なんてね。(夜は部活の午後練でヘロヘロなのでやる体力は無し)

そしてテスト3日前は部活が無くなるので、2日間はひたすら友達とファミコン。そして1日でテスト勉強を仕上げるのが習慣でした

なので「ゲーム中毒」というのは体験的にわかっています。

「もう止めよう」と思っても、ついついやってしまうんですね~。

そして、中3の部活が終わり、9月になりゲーム三昧になれる環境になった時に、受験勉強も始まる時期だということも気づき「このままやったら人生終わるな」と思い、ファミコンをしまったのでした。

あれから30年以上経ちました。

はっきりわかることは、「当時、あれだけ面白かったゲームが、数十年の開発競争を経て未だに生き残っている。そんなのは、私の子ども時代とは比べ物にならないほど面白く作られていて、かつ、はまるように作られている」という事です。

そんなことを思いながら子どもがゲームにはまるのを見ると「そりゃ、大人が頭をひねって作っているのだから、子どもがはまらないわけないな。大人の問題だな」と思うわけです。

しかし、世の中は大人がゲームを当たり前にする時代になってしまいました。

「そりゃ、子どもにゲームをするな、なんて言えないよな」と思う時代になりました。

良い年したおじさん、おばさんがゲームしているのですから。

ゲームを小さい頃にやると、そりゃ脳の育成に問題出るでしょ、眼も悪くなでしょ、と私は当たり前に思いますし、とは言ってもゲームが世の中的には大人でさえ当たり前にやっている環境で、「何でやっちゃいけないの!?」という子供にきちんと対応できる大人も少ないとは思います。

うちも小5まで何とか引き伸ばしましたが、「そろそろ頃合いだな」という事で、ゲームを買い与えました。

しかし、世の中は「ゲームは別に悪く無い」という風潮でした。

ところが、昨年になって「ゲーム中毒」が世界的に、そして日本でもやたら報道され始めました。

その中心は「オンラインゲーム」です。

 

実は私も昨年、1カ月ぐらい、試しにやってみました

なんでって、ガンダム好き世代だからです

やたら広告がネットに出るので興味は持っていましたが、台風の後片付けが少し落ち着き、試しにガンダムのオンラインゲームをやってみたのです。

数十年ぶりのゲーム。やってみてわかったのが、「なるほど」とういうものだったのです。

何がなるほどなのか?

・ゲーム自体は実はそんなに面白く作られていない

・ゲームを止められなくなるような「仕組み」が整っている

というものなのです。

 

私の知り合いでゲームを作っている人が「仕組みはみんな同じで、外側だけキャラクターとか変えているんですよ」と言っていましたが、まさにそうなのしょう。

 

はっきりいって、普通にソフトとして売られている物の方が、作り込まれていて面白いんですよ。

じゃあ、何が凄いのかっていうと、「やめられない仕組み」です。

・「ガチャ」と言われる確率でレアキャラが当たる仕組みが中心。宝くじ的要素「当たる?当たらない?」が興奮を誘う

・「ガチャ」を出来るメダルなどを獲得するのがゲーム内のバトルなどの「報酬」になっている

・レアキャラを適度な頻度でゲットできるので、飽きる前にご褒美が与えられる

・レアキャラを1度ゲットしたらそれを使いたい、あるいは育てたいから止めたくならない

・レアキャラを自分で強化できるので、育成ゲーム的要素がある

・細かな任務が設定されていて、それを1つずつクリアーしていくと少しずつご褒美がもらえるようになっているから、次へ次へと止まらない

・時間短縮、レアキャラがあたる確率を上げる、など、ゲームを効率良く進めるために「アイテム」が色々作られている(いわゆる課金)

・オンラインなので仲間とコミュニケーションが取れたり、他の人より有利な立場になれる

・新ステージやイベントがオンラインなので続々と登場し、刺激を受け続ける。逆に言えばラスボスを倒すというゲーム終了が無い

こんな感じですかね。

先日、甥っ子が「ジャンプヒーローズ」というのをやっていたので見たけど、全く仕組みは同じでした。

これがスマフォで出来るからやっちゃうよね。

でも、はっきりいって、面白くは無いんですよ。

大人がパチンコにはまるのと同じですね。

 

私は止めたくてもガンダムがゲットできたので、大して面白くなかったのですが止められなかったのですが、まあ、やっぱり時間の無駄だな~と思って1カ月で止めました。

でも、普通の人はどうなんでしょうかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今年も手作り沢庵♪

2020年01月07日 | 農的体験・生活

今年も沢庵が出来上がりました

沢庵は本当は「沢庵大根」と呼ばれている、白い細長い大根で作ると良いのですが、素人の畑ではなかなか大変なので、私はいつもは愛知県周辺の地大根の「宮重青首大根」を使っていました。

一般的な青首大根の原種の1つで、漬物にも良く使われていた青首大根ですね。

ところが、去年は台風で私の大根は全滅

どうしようかな~、今年は直売所で売っている沢庵大根を買おうかな~と思っていたら、今年はいつもの農家さんが沢庵大根を作っていなかったのです。

なので、別の農家さんから頂いた短めの青首大根で漬けました。

いつもは干し過ぎて水が上がらず困っていました。昨年は「そんな場合は塩水を入れると良い」というテクニックを教えてもらいました。

そして今年は、干し具合&塩具合&重し具合がちょうどよかったのでしょう、1週間できちんと水が上がってきました。

ただ、塩具合は大体適当で、ちょっと塩加減が足りない感じだったので、塩を足して1カ月。

掘り上げたところ、例年まれにみる良い出来の沢庵になりました

きちんと手作り生活、発酵生活をしている人は糠床をもって1年中漬物を食べているのでしょうが、私には手を毎日入れるなんてとても出来ません

なので、冬季のみの糠漬け三昧です

沢庵樽の中は乳酸菌など発酵菌でいっぱい

なので人参やらカブやら突っ込んでおくと、糠漬けがあっという間に出来るのです

梅干し、味噌、沢庵はもう10年ぐらい手作りです。。

やっぱり手作りが一番美味しい

そして、やっぱり日本人は漬物だな~

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今年も房総のむら

2020年01月02日 | 素敵な空間・イベント

1月2日は恒例の「房総のむら」デーです

いつから通い始めたか覚えていませんが、成田周辺に戻って来てから成田ゆめ牧場やらいろいろ行きましたが、ここが一番の私にとっての体験型施設です

古い町並みがあり、生活があり、技も学べ、さらにお正月などでは季節行事で昔の風習を楽しめる。

近代化されて四季折々の行事を行わなくなってしまった地域の者としては、今の農村以上にかつての生活を体験できる、有難~いところです

 

ここでの定番は「お琴」→「茶道体験」→「獅子舞にかぷり」です

毎年、お正月らしさを味わえるし、子ども達にとっても「それが普通」になってくれるのは、日本人として日本のお正月を原体験させられてあげるので、とても有難いな~と思っています

今年、初めて見たのが印旛漁協さんがやっている「鮎の塩焼き」。

私が気づかなかったのか昨年もあったのか知りませんが、きちんと炭火で焼いているので焼き上がりに時間がかかり、回転率がえらく遅いため、1日中、常に行列

しかし、焼いている髭のお爺さんがとっても渋く、雰囲気が最高で、30分ぐらい並んで買いました

 

鮎の塩焼きなんて、旅行に出かけたどこぞの観光地で買った事があるのをうっすら覚えているだけで、美味しかったのは覚えていますが、どんなだったかはもう忘れていました。

で、ここの鮎はなんと「子持ち鮎」。

つまり、ししゃものように卵がたっぷり入っていて、とっても美味しかった~

お琴を聞き雅な心になり、鮎でお腹を見たし、茶道でちょっと身を引き締めつつ心をほっこりさせる。

そして獅子舞や大黒様で有難い福を今年もいただきました

やっぱりお正月は、房総のむらだね。

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あけましておめでとうございます

2020年01月01日 | 自分の時間

明けましておめでとうございます

令和2年が始まりました。

昨年末は、今までと違い大掃除、仕事、年賀状と何とかやりきり、30日、31日は心の余裕をもって、ある意味何にもしないのんびりとした時間を過ごせました。

怠惰と言えば怠惰なのですが、何にもしないでテレビをしたりたまにはゲームをしたりと、子ども達とのんびり過ごすのも良いものです。

心の余裕があると、いつも色々考えても最終的にたどり着くのは

「家があって、食べ物に困らなくて、家族が健康に過ごせていることが一番幸せだな~」

という結論に達します。

 

令和元年は千葉県の農に携わる者にとっては、未曽有の災害の年だった、という記憶しか残らないのですが、年末をゆったりとした気持ちで過ごせることは、有難かったです

 

そして令和2年が始まりました。

元旦は、近くの森林公園でご来光を崇めるのが恒例となっているのですが、今年は曇っていて、残念ながらご来光を見る事は出来ませんでした。

こんなことはなかなか無いのです。

初日の出は何故か見れるのです。

元旦という1年の始まりの日は科学的には季節柄晴れる時期なのでしょうが、日本人の魂を持った者としては、「お天道様の力が一番発揮される有難い日」という気持ちになるのです。

「あ~、元旦は晴れるんだな~。凄いな~」

といったように。

ただ、今年は雲が空を覆ていて、「あ~、初日の出を拝めないんだ」という感じでした。

例年の元旦は、朝日が差し込み始めると、辺り一面がオレンジ色の光に包まれます。

眩しさと共に暖かさを感じ、また木々はオレンジ色に染まり始めますが裏面は陰で黒くなり、とても幻想的なのです。

そういった「元旦」という特別な日のご来光で1年の始まりを感じ、力を頂き、「今年も宜しくお願い致します」という気持ちを持つのですが、昨年末からの続き、流れというか「特別な年末年始」という感じではありませんでした。

つい、「今年はこういった年にしよう」と考えてくる習慣があったのですが、今年はそういった頭でっかちではなく、自然と調和しながらある意味、周囲は流れに身をゆだねながら素直に頑張り過ぎずに生きていこうかな、とぼんやり思いました。

 

そしていったん眠ったあと8時過ぎぐらいに起きると、だんだん雲が少なくなり晴天に

やっぱりお正月は晴れの日、お天道様の光を浴びて過ごすのが一番で、「あ~、良かった~」と思いました。

また、たまたまですが、家族で初詣をして、ちょっと買い物をし、夕方の帰り道に坂の上で妻が「見てみて富士山が見える」と叫んだのです。

成田は空がきれいに晴れると場所によっては富士山が見えます。

ちょうど、夕日をバックにオレンジ色の美しい夕焼けの中で富士山のシルエットがくっきりと

ただ、次男が「見えなかった」という事で、坂の下に降りたらUターンをして、また坂の上に上り、コンビニの駐車場をちょっと拝借して、車から降りて改めてじっくりと富士山を眺めました。

美しかったな~

写真を撮ったのですが、ガラケーはやはりそういった時はきちんと映りません

こういった時はスマフォが良いですよね。

まあそんな感じで、素敵な富士山、そして元旦のお日様を崇める事が出来て良かったです。

 

そしてお正月は、気持ちを新たにするために、大概読むのが「あなたと健康」の東城先生と常岡先生の文章なのですが、ちょっと思い出したのが、昨年亡くなられた2名の方。

1人が緒方貞子さん。国連の難民高等弁務官のトップを務めた方です。

もう1人が中村哲さん。昨年、銃撃された人道医師とでも言うべき方です。

 

私は「立派な大人になりたい」という思いを原発事故以降、ずっと持って生きているのですが、その時に出会えたのが農家の高柳さんです。

そして、心の師となっているのが、「あなたと健康」の東城百合子さんと、その師匠でもある故・常岡一郎さんです。

毎月、お二人の言葉を心に刻みながら、日常でついつい荒れてしまう心を整えています

そうやって、道行き詰まりながらも自分で決心をした時に「師」というものに出会い、色々過去や教育を考えた時に「あ~、世の中、お手本になる立派な大人にほとんどで会えなかった。そういった人がほとんどいないんだ」という事に気づき、逆にそういった「師の有難さ」というのを感じられたのが2011年の原発以降の私です。

そういう「立派な大人」「凄い人」「感服してしまう人」が何人かいますが、緒方さんも中村さんも凄い人で尊敬をしていました。

緒方さんは世界的に有名な方で、日本以上に海外の方が評価が高いと思います。

日本人が誇りにして良い1人であり、世界で100万人規模の難民という未曽有の状態が初めて出現した時に、国連の難民高等弁務官のトップになった方です。

「過去に無い未曽有の事態」に対し、「過去に無い姿勢、行動、手法」で難民の命を救済した方です。

私も詳しくは知りませんでしたが、NHKの追悼番組では「台所から国連に来ました」と、いう自己紹介から始まり、アジア人初のトップになり、過去の無い事例で多くの難民救済の手を打ちました。

今もアフリカなど過去の内戦地域で「オガタサダコ」という名前の少女がいる事が、先日のNHKの追悼番組で放映されていましたが、「自分の子どもに偉人の名前を付ける」というのが海外は良くあるのでしょうが、「オガタサダコ」というアフリカの少女がいる事自体、どれだけ命を尽くして、どれだけ過去のトップと違うことをやったかがわかります。

 

また、中村哲さんは、世界中からある意味「見捨てられた」アフガニスタンに入り、医師として活動しましたが、結論として「ここに必要なのは医師ではなく水だ」という事で、医師でありながらなんと「水」を引いたのです。

NHKの番組を数年前に見て衝撃を受け、図書館で本を借りて読んで「こんな凄い人がいるんだ」と感動したことを覚えています。

 

お二人に共通していることは、「人道支援」です。

言葉だけでなく本当の「人道支援」であり、「命の救済」でした。

アフリカな中東など様々紛争地帯の多くは、列強の欧米各国が入り引き起こしたものです。

「内戦」という言葉が使われていますが、内戦を生んだのは、武力とお金の力で「発展途上国」と言われている国をぐちゃぐちゃんにした外部の国でした。

そういった外部の国を中心に作られた「国連」は、こういったぐちゃぐちゃにしてしまった国を「紛争地帯」と呼び、かつ何とかしようと手を取り合うのではなく、放置、あるいは見捨ててしまったのですね。

例えば、イラクもそういった国の1つで、何とかフセインがまとめていた国を、湾岸戦争という名前の侵略でぐちゃぐちゃにしてしまいました。

「大量破壊兵器」は結局見つからなかったのに、「武力侵略をする根拠が無かった国を破壊してしまった。その連合軍の責任問題」は誰もとりあげず、今のイラクがあります。

「無法者が荒らしたイラクを、その後、放置した国際社会」というのが浮かびあがっています。

そういった国が沢山あるわけですが、そういった国々に立場は違えど、積極的に入り込んでいったのが緒方貞子さんであり、中村哲さんでした。

「命をかけて命を救う」というのは、そうは出来る事ではありません。

心があり、その上で、行動力があり、胆力もあり、色々な人、機関との折衝・交渉能力もあり、まあ何とも凄い方々でした。

そういった方々のおかげで「日本人は素晴らしい」と思ってくれている海外の方がたくさんいます。

 

そういった方々の存在を知ると、「あ~、遠く及ばないな」と反省し、何とか少しでも人の役に立てるように生きたい、という思いを強くするわけです。

 

今年はどんな年になるか、どんな年にしたいか、と毎年思うのですが、いつも思いや思考はあっちにいったりこっちにいったりします。

そして結局、行動が伴わないと世界は切り拓かれていきません。

心の師、お手本となる偉人は日本には沢山いますし、そういった人たちに刺激を受けながら、自分も子ども達に誇れる存在になっていきたいと思います。

そのために自分はどうする?

と自問自答しますが、カーっと心を熱くしても長続きはしない、というのがまだまだ青い、という事なのでしょう

頑張りすぎると体調を崩してしまうのもまだ引き続きあります。

 

今年は頑張り過ぎない事、頭を使い過ぎない事をとりあえず目先の指針にしながら、周りと調和しながら生きていきたいと思います。

いつも笑顔で周りと上手くやっていく。

自然からの学びは「調和」ですから。

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