半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

1年、元気で幸せに過ごせて、ありがとう

2010年12月31日 | 素敵な家族・子供との時間
 大晦日です

 昨日、今日と窓ガラスや照明器具、キッチン、そして2時間以上かけて愛車のトッポちゃんを洗車しました

 特に、車はいつも水拭きするぐらいだったのですが、初めて洗車用の洗剤で洗い、ガラス、ボディー、プラスティックのところ、など場所に応じて3種類のワックスを使ってピカピカりんにしました
 
 洗車&ワックスがけって、こんなに大変なんですね~。でもこんなにきれいになるとはびっくり
 
 家の掃除もしかり、洗車もしかり、お世話になった家や車をきれいにしていると、自然に感謝の気持ちが沸いてきます
 そして、来年もよろしく、という気持や愛着が沸いてくるんですね~
 きれいにすると、これからもきれいなままで大事にしていきたい、という気持が沸くからなんですかね?


 さて、そんなどたばたの中、近くの神社に新しいお札をもらいに行きました。
 お参りの際に私は、いつもと同じで「今年も1年間、家族みんなが大きな事故や病気も無く元気に過ごさせていただきました。有難うございました。来年もどうぞ宜しくお願いします。」というご挨拶をしました。
 その横にいた長男に「●●(長男の名前)は、どんなことお願いする?」と聞くと、出てきた言葉が
 「●●が生まれて来させてくれて有難うございます」という言葉でした

 我が子ながらびっくり
 大晦日に、自分が生まれてきたことに対してありがとうと言う4歳児なんで、いるのかいな?
 こちらこそ「生まれてきてくれて、そして4年半もの間、元気に過ごしてくれて有難う」なのに。。。まさかそんな言葉が4歳の長男から大晦日に聞けるとは、本当にびっくりしました。

 夜、ベットで1年を振り返りながらも、この長男の言葉が思い浮かんで、思わず涙くんでしまいました。

 今年も1年間、家族みんなが元気に幸せに過ごさせていただき、本当に有難うございます。これ以上の幸せは本当に無いですよね。心からそう思います。
 本当にありがたい、素敵な1年でした。

 
 年越しそば、ちょっとショウガを入れたら美味しかったです 
 みなさんも、良いお年をお迎え下さい 

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龍馬伝

2010年12月30日 | 自分の時間
 年末の特集でNHKの龍馬伝の総集編を見ました。

 私はこの龍馬伝を全く見ておらず、今回の総集編で初めて見たのですが、面白かった

 演出が映画調というかなんというのかわかりませんが、少しトーンを昔風にし、また顔のアップが多く、BGMも多様され何だか凄い凝っているつくりでしたがそれも含めて面白かったですね~

 まあ何よりも「やっぱり福山はかっこいい
 そして、龍馬が色々な人に人間として好かれ、魅了していくキャラクターが見事に演じられていて、全国の龍馬が好きな人々の多くの期待を裏切らなかったのではないか?と勝手に思ってしまいました まさに適役

 そんな龍馬伝の総集編を見ていて思い出したのが私が29歳の時に乗ったピースボートの世界一周旅行。実は、そこでの英語でのスピーチコンテンスとで、私は坂本龍馬のことをネタにしたんですね

 あの頃は司馬遼太郎の小説を良く読んでいて、特にもんもんとしていた時期なので坂本龍馬の生き様にあこがれていました。そして最終巻を旅のお供として持っていったのでした。

 どんな内容だったかざっくり言うと、世界一周して「ほとんどの国の言語が英語などの言語で、日本語のような母国語を第一言語である国がほぼ無かった。それはほとんどが欧米に侵略された歴史の爪跡の結果であり、そんな中で日本が日本の文化や母国語を守り自主独立が出来たのは、奇跡に近かった。その役割を担った中心人物の坂本龍馬のことを思った」というものでした。

 ちょっとPC探したら、当時の原稿が出てきました 一番下に、その記事をコピペしておきましたので、お暇な方は翻訳ページとかで見てみてください
 
 さて、昨日今日と龍馬伝を見て思ったこと。それは、ちょうど今日何かのTVで聞いた言葉なんですが「若い頃は、自分が何か出来るんじゃないか、そして何かを成し遂げたい」と思っていました。
 そんな時に坂本龍馬の本を読んだりしてその存在・生き方を知り、あこがれた男の子は日本中にたっくさんいたと思います。私もその1人でした。

 じゃあ今の私は?というと、坂本龍馬のように「国のため」とか、「社会を変えるため」といった志は今は持ち合えていません
 今は自分の在り方、生活スタイルを固めながら、生きている実感を持てる生き方を目指しています。
 そういった「地域に密着した安定した生活・生き方」が在る程度様になってきた時に、初めて世に影響を与えたい、とか自分に関心を持ってくれる人に貢献していきたい、といった欲求が沸いてくるんだと思っています。

 ただ、龍馬伝の総集編を見た影響もありますし、以下のピースボートで書いたスピーチを読み返して「あ~、高知、やっぱり行って見たいな~」と改めて思いました

 「その時」が来たら、流れに身を委ねながら行ってみたいと思います。

<以下、スピーチの文。やっぱり文法が固いね。。。>

Peace Boat lead me to meet “Ryouma Sakamoto”

Hello, everyone! What are you going to do after returning back to Japan?
I’m thinking of going to ”Kochi”, one of the “Shikoku” prefectures to meet and touch Ryoma Sakamoto’s history.

Maybe you’re wondering why I am so interested in my own country as I sail around the world…Let me tell you. On this voyage, I found it strange to visit so many countries so far way from Europe that have European languages as a mother tongue.

Realizing these things, I started to think of Japan. I think it’s remarkable that Japan was able to keep it’s original culture through out it’s long history without being forced to change. Thinking of these things, Ryouma Sakamoto appeared in my mind.

He was the incredible person, who recognized our country as a single “Nippon”.  He also introduced democracy to Japan, and prevented the occupations of England and France, and thus brought Japan into a new era.

For the past couple of years, I have been interested in Ryouma’s life story, but I’ve never thought of visiting his hometown until now. Through this trip, I’ve learned that although a picture is worth a thousand words, an experience is worth a thousand pictures. So, I find myself pulled toward his hometown to see how he lived first hand and hopefully absorb some of the energy he has left behind.

Our Peace Boat trip is going to end soon, but it has given me another trip plan to consider my future and what I plan to leave behind. I want to think of my life mission, sitting by the seashore as Ryouma Sakamoto did thinking of a New Japan.                   
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1週間ぶりの田畑

2010年12月25日 | 農的体験・生活
 クリスマスの日は、毎年奥さんの実家で甥っ子・姪っ子が集まって子供がたっくさん集まった合同クリスマスパーティーがあります。

 ということで、今年も奥様は子供達を連れて実家に行かれました。
 ファミリーカーを売った我が家では、奥さんと子供達は成田から東京へ電車でお出かけ
 特に次男は、生まれて始めて電車に乗った次男は、電車に乗っている最初の頃はずっと「ガタンコトン、ガタンゴトン」と言っていたそうです可愛い


 さて、私は一人の時間が出来たので野良仕事へレッツゴー

 まずは久しぶりの多古の田んぼ
 私の田んぼは「冬季灌水」といって冬も水を貯める方法の田んぼです。鳥居先生から排水するために切った畦を修復することと、脱穀した時のワラを撒いておくように11月ぐらいから言われていたのですが、なかなか時間が取れず、今回久々に田んぼに行った、というわけです。

 まず秋に稲から籾を脱穀する際に取り除かれ、野ざらしの状態で積まれた稲わらを取りに行きました。


 わらとかススキとか、稲科の植物は結構固くて素手で引っこ抜こうとすると抜けずに逆に「痛っ」て手が切れてしまうこと、ありますよね?

 あれは、稲科はまず根っこを深く張るという性質がありなかなか抜けないこと、そして何よりも体に「ケイ酸(正確にはケイ酸カルシウム?)」といって、ガラスと同じ元素がたくさん入っているとか。手が切れちゃったり、稲を半そでで抱えると、腕のあちこちがチクチクしてカユイのはその為なんだそうです。
 植物が骨が無くても体が頑丈に固い性質をもっているのは、ケイ酸のおかげらしいです。
 で、話を戻すとケイ酸は肥料としても有用で、早く分解する落ち葉はすぐに腐葉土になりますが、稲科(顕著なのが竹ですね)のように固くて分解されるのに時間がかかるのは、その分たっぷりとケイ酸が入っているんですよね。

 でそんな稲わらも、2~3ヶ月野ざらしにされていると、奥の方は結構腐食が進んでいい感じでしたこれをずた袋5~6個に詰め込みました。

 ちなみに、稲わらが積んである横は、落ち葉がたっぷりと重なるように積まれていました。奥の方は稲わらとは比べ物にならないほどグチュグチュに腐食が進んでいて、触るとまさに「これが腐葉土の原型だ~」とわかるほど、やわらかく細かく見事に分解されていました。


 ちなみにここは「カブトムシの幼虫」がたくさんいるらしく、今回もすれ違ったおじさんに「カブトムシでも採りにきたのかい?」という質問を受けました。

 さてこの稲わらをもって久しぶりの田んぼへ。

 田んぼの風景は、やっぱり素敵ですね~
 特に谷津田(小山の間の谷間にある田んぼ)の風景は、日本の文化と言えるぐらい素敵な景観をもたらしてくれます。心が和みます


 稲は稲刈した後、更に新しい葉っぱを出し少しだけ実をつけます。(ひこばえ、ですね)。でもそれは寒さで枯れてしまいます。



 人がほとんど足を踏み込まない水路には、ほたるが好んで食べる貝が大量に繁殖していました。


 春の七草の1つのセリは、畑の野菜と同じで寒さで葉が少し赤紫色に変色していましたが、相変わらずたっくさん生えていましたよ


 さて、畦を修復し、稲わらを撒き終わった後は、先週引っ越した家へ

 網戸の張替えが出来ていなかったので、まずは網戸に張替え。その後、畑の見回りです

 地力がまだまだ無い私の畑でも、小松菜君は元気に育ってくれています


 芽が出た後から絶好調のにんにく君も元気です来夏に期待


 かぶは結局これ以上大きくならなかったので収穫。まあ昨年は全く出来なかったのに比べれば良いんでしょうね~。


 あっ、大根が落ちていた。。。これは先週の引越しの時に相手にしてもらえない子供達が引っこ抜いた大根1週間たってさすがにしなしなになっていましたが、もったいないのでお持ち帰り~


 スナップエンドウもかなり伸びています。


 まだ完全に終えていなかった防寒対策として枯れ草と稲わらでマルチ。


 1つの畝には不織布(ふしょくふ)で更に防寒。ちなみに支柱やツタを這わせるネットはしまう場所が無いので、この時期にセッティングしてしまいました


 ワケギ(小ネギの一種ですね)も穫り、ぼちぼちの収穫となりました。


 この畑にはずいぶんお世話になりました
 冬場は特に野菜のお世話をすることはなく、昨年は霜で凍って地べたを這うように寒さに耐えている野菜が、朝日を浴びると徐々に霜が水に変わり、葉っぱをピンと立ててくる様を観察して楽しんでいたぐらいでした。

 今年はもう頻繁には来れませんが、来春、スナップエンドウとそら豆がたくさんの実りをもたらせてくれるでしょう。

 それまで、管理者不在ではありますが、健やかにみんな育って欲しいですね

 来年も田んぼと畑を続行します。来年は畑がど~んと拡張するのでこうご期待
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素敵なクリスマスイブ♪

2010年12月24日 | 素敵な家族・子供との時間
クリスマスイブですねみなさんはどう過ごされましたか?

今日はうちの奥さんが「ノエル」という木の形をした(?)ケーキを作ってくれることになっていたんです

まあ、引越しのドタバタで「なんで材料買っちゃったんだろう。。。面倒くさい」とうちの奥さんはぼやいていましたが、手作りケーキに期待大

というのも、今年の3月にうちの次男の誕生日に奥さんが作ってくれたホットケーキ&フルーツデコレーションが、無茶苦茶見た目が素敵で美味しく、子供達も含め私も大満足だったからです
→3月の誕生日のブログはこちら

ぶっちゃけ私達夫婦は、誕生日とかクリスマスは特段、何か特別な日という感覚は無く、互いに何かプレゼントを贈りあうわけでもありません。
ただ子供達が喜ぶイベントとしてやる、というのが目的です。

たまたま会社でもらった100円ショップのサンタ帽子を子供達にかぶせたら、やっぱり可愛い
今年は全くクリスマスの飾り付けをやりませんでしたが、少しだけクリスマスっぽくなりました


そんなクリスマスですが、買ってきた美味しいケーキを食べるのもいいんですが、奥さんが手作りケーキを作ってくれるとなると、子供もお手伝いでイベントに参画できる楽しみもあるし、奥さんがどんなケーキを作ったかを見る楽しみ、そして食べる楽しみもあるんですよね~


ということで、わくわくしながら帰宅すると、和風のクリスマス料理と、そして待ちに待ったケーキの登場

まずは、バナナとイチゴで作られた小人達~
(画像ボケボケ・・・


そしてノエルというケーキ
・・・ケーキ全体像の写真撮るの忘れてしまいました
カットしたのはこれ

これにチョコのお菓子の「キノコの山」をつけて、出来上がり
素敵~

ちょっとチョコクリームたっぷりで、子供達はバナナとイチゴの小人さんとキノコの山、そして
缶詰のフルーツばかり食べていたので、私が子供のケーキ部分をたべました。。。
(食べ過ぎて夜中に気持ち悪くなった・・・

でも、やっぱり手作りケーキっていいですよね~

買うよりも愛情がこもっているし、子供にとっても「ケーキは買うものではなくてみんなで作るもの」といった家族の共同作業で作るのが当たり前になるし、毎回どんなケーキになるか楽しみになるわけです
料理もどんなものでもやっぱり買ってくるものより手作りの方が良いですものね

これからは、是非奥さんにパーティーはケーキを作ってもらおうと勝手に決めたのでした

そして寝る前に、子供とベランダに出て「サンタさん~、おばあちゃんのお家はここだよ~」と叫びました。
なんでかというと、引っ越したことをサンタさんが知らないと新しい家に来てくれないから
かつ、新しい家はまだ荷物だらけでおばあちゃんの家で暮らしているから、間違わずに着てもらうためにです

子供は純粋にサンタさんが持ってきてくれることを待ち望んでいます。そしてその姿を見れる親というのは本当に幸せ者ですね

話は少しそれますが、ラジオでアメリカのある有名な話を聞きました。
それは、100年ほど前に8歳の子が新聞に「みんなはサンタがいないと言うんです。親は新聞はいつも正しいことを書いている、と言いいます。編集者さん、サンタさんはいるんですか?」という投書に対し、有名な編集者が「もちろんいるよ!世の中に愛や寛大な心、献身さがあるように、サンタもちゃんといるんだよ」と答えたそうです。
ちなみにウイキで「サンタはいるの」で調べたら、このこと載っていました(さすがウイキ!)

目に見えない、それが居ないという証拠にはならない、、、ということ。
サンタが「居る」おかげで、子供達の素敵な姿が見れる。

子供達の中にはサンタがいるし、子供達を通して親も大人もサンタを感じることが出来るんですよね

物理的にプレゼントを誰があげるか、という話ではなく、子供と一緒に過ごす意識や時間の中に、確かに我が家ではサンタが居ました
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やっぱり、前から好きだったことをやりたかったんですね~

2010年12月22日 | これからしたいこと、すること♪
 引越しの際に、車で前の家と今の家を1日2回は往復する日々が続きました
 そんな車の中でラジオを聴きながら、ふと色々考えました。
 
 今年の1月から通勤で車に乗り始め、最初はこわごわと乗っていましたが今では立派なドライバー
 そして車に乗ると、自分だけの時間や空間になります。そんな車内では、普段聞かないラジオを聞くようになりました

 主にFMはbay-fm、AMはNHKになります。

 AMって何聞くの?と思うかもしれませんが、それは「英語」なんですね~

 行きの朝の8:30から5分ほどは、時事ニュースを英語で。
 帰りで早く帰れるときは18:45から基礎英語Ⅰ、基礎英語Ⅱ、基礎英語Ⅲと立て続けに流れてきます。夜遅い場合も、21:00ぐらいから同様に基礎英語がやります。

 また、たまに土曜日の朝は「心に響く英語ドラマ・リトルチャロ2」がやっています。
 
 別に誰か外人さんの友達がいるわけではないのですが、やっぱり私は英語が好きなんですね~

 昔、シドニーシェルダンのゲームの達人とか家出のドリッピーとかが流行った時に、借りてきて聞いたものの何がそんなに面白いのかわからず、また言っていることもあんまりわからず、すぐに聞かなくなってしまいました。
 (ちなみに私のベスト英語教材は「小林克也のアメリ缶」でした

 ところがチャロは面白いかわいいだから聞いちゃうんですよね~

 そんな感じで車の中で何となく英語に触れてきた1年でしたが、振り返るとやっぱり「私は英語が好きなんだな~」と思います


 ふとそんなことを考えていると「昔いいな~と思ったことが、結局今自分が好きなこと、やりたいことなんじゃん」と気づきました。

 私の座右の書(?)の1つのわくわく生きるってことを書いた名著『ソース』。
→詳しくはこちら

 ここに書いてある通り、色々な固定概念・外部からのメッセージのせいで「好きなこと」をやるのはなかなか難しかった。。。
 好きなことを好きと普通に思ってそれに触れるっていうことが出来ずに、というか気づかずに、「自分は何をしたいのか?」をもんもんと考えていた時代もあったわけですよね。

 でも、この1年半でずいぶん気楽に好きなことを普通にやれる柔軟性がついてきました


 そんな自分になったから気づいたのかもしれませんが、結局、灯台下暗し、身近なところに好きで触れ続けたいものがあったんだな~と気づけるようになりました

 例えば前述した「英語」もそうですし、「自然と触れ合った生活をすること」もそうですし、「誰かにものを教えること」などは、ぜ~んぶ、学生時代などで既に「やれたらいいな~」と思っていたこと。

 大学受験では英語は趣味のように言語の成り立ちとかが面白くてはまっていたし、大学入学後はESS(英語会話サークル)に入りました。更にコミュニケーションギャップを教えるイギリス人講師(スターマン先生という方でした)の英語の授業に、理学部だった私は単位にはならないのに興味本位で参加して楽しんでいたし。。。

 農に触れたいと今思って色々やっていますが、若い頃から森とかに行くとちょっと恥ずかしいけど、木に耳を当ててみて「木の呼吸が聞こえるか?」と確かめたり、頬を木にくっつけると何ともいえない暖かさを感じて何だか木と会話している気分になったり、目を閉じて風を感じてみたり。。。

 10年以上も前の新聞記事にあった塩見さんの半農半Xというコラムを切り抜いて「これは面白い考えだな~」と眺める時期を過ごしたり。。。(当時は今とは違い無名に近かったはずです)

 国内、海外問わず、旅行といえば建物や風景を見たり、カジノとか娯楽をやってもちっとも面白くなく、一緒に行った友達と会話するかその土地に根ざした人達の生活に触れたりすることが関心の対象だったり。。。何でかな?と思っていましたが、一昨年、鴨川のじいちゃん達の「生活」に触れて、「自分は生きている実感を持てている生活スタイルを明確にして、生きて生きたいんだ」ということに気づき、だから、旅行も「生活」が見えてないと今一つまらなかったんだな~、と思えたり。

 そういえば大学の最後の旅行は、ニュージーランドのアウトドアスクールで、英語とアウトドアを満喫しに2週間ホームステイすることを選んだんですよね。

 その他に、頑張っている中学受験生に勉強を教えてあげると、愛情が湧いてきたり、また一方で自分はやっぱり「教えるって好きなんだな~」と再認識できたり。

 そうこうして引越しの荷物から、昔自分が書いたプランに「英語や自然の中でアウトドアをする学校を設立したい」とか「自然が溢れて、そこにいるみんながそれぞれのギフトをを活かせるフィールドがある村を作って村長になる」(笑)と書いてあるものを発見したり。。。

 
 というように、「やっぱり」昔に「いいな~」と思ったことって、「やっぱりずっといい」んですね~


 そういったものに、何となくでいいので触れ続ける時間や心の余裕、スペースがある生活があることって重要ですよね~。

 やれ目標設定だ、やれどうやってやるか?といった方法論を考えるのが、どうしてもビジネスに足を突っ込むと「考えなければいけないこと」として頭に刷り込まれてしまっていたんですよね。
 しかしそういったものから解き放たれて、「何となくやりたいこと」に対して「最初の一歩」を踏み出せる生き方、、、そんなことが少しずつ出来るようになりました


 変な話ですが、私は田舎の長老達の生活を見て、最終的にはどうやって老いて死んで行くのか・・・といったことを考えながら今の人生を送っています。

 そういった「自分の求める生活像」が大体イメージできているってこと、それは素敵なことだと思います。

 そしてその「イメージ」は、かって漠然とでも自分が学生時代などで既に持っていたものとさほど変わらないものなんだな~、ということに気づきました


 やっぱり好きなものは好き、興味があるものは触れてみる。そんなことを当たり前に出来る生活を今後も過ごしていきたいと思います






 
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引越しドタバタ記②

2010年12月21日 | 素敵な空間・イベント
 金曜日に引越ししたものの、土曜日の午後から大家さんと不動産屋の立会いがあるので、それまでに残った荷物の引き上げと掃除をすべく、この日もドタバタしました

 最近の習慣である子供が寝ているまだ暗い時間に起き出し、残った荷物を取りに昨日引越しがばかりの家へゴー

 ところが・・・なんと鍵を忘れた

 とはいうものの、どこか空いていないかと家に向かって色々調べると、ベランダの雨戸は閉めていたのですがガラス戸の方は鍵を閉めていなかった ラッキー

 そこでまた、どたどたと荷物を載せて新居にトンボ帰り。

 そして入れ違うように奥さんが掃除に向かい、私は子供の相手をした後、もう1台の車で再び前の家へと奥さんを追いました。

 
 台所周りや風呂周り、そしてフローリングについたシールのような跡がこびりついていたり、玄関やベランダがまだまだ整っていなかったり、、、と、とても大家さんが来る13時までにキレイにはならない

 結局、大家さんが来てしまったのですが、「あとは●●するだけです」みたいな説明で乗り切り、立会いが終わったら時にはもう、おなかはペコペコ。

 そこで、みんなで最後になるかもしれない家の近くの田んぼが見渡せる喫茶店「ゆうゆう」でお昼ご飯を食べました

 顔なじみのおばちゃんがやっているお店で、神崎の人の溜まり場ともなっている「ゆうゆう」。斉藤一人さんのイベントか何かがあったらしく、お昼時は車がたっくさん停まっていて、私達が行ったときには後から、寺田本家(日本酒の酒蔵さんです)の寺田社長が他の数人と一緒にやってきて、斉藤一人さんのお話をしていました。
 
 サービスでいちごをもらったり、ロールケーキセットを頼んだりと、たっぷり食べた後、家に帰り奥様は家の最後の掃除を、私は畑の手入れをしました。

 畑では朝に霜が降りるようになったので、12月に入っても頑張って実をつけていたピーマンは、葉っぱも小さな実もしおれていました
 霜にあたっても大丈夫な小松菜や大根などの冬野菜と、寒さには勝てない夏野菜のピーマン。野菜によって特性がよ~くわかる例ですね


 でも、大きくなっていたピーマンは、霜にもやられていませんでしたよ。3つは十分に大きくなっていて霜にもやられていなかったので、子供と最後の収穫をしました


 陽がくれそうになってきたので、最後にファミリーカーとして使っていたRVRを買ったところで売却し、残った軽自動車のトッポちゃんにみんなで乗って成田へ帰りました

 どたばたして疲れ果てましたが、とにかく無事に引越しが終わってよかったよかった

 さらば、我が家よ。でも畑と神崎には定期的に来るからね~

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引越しドタバタ記①

2010年12月20日 | 素敵な空間・イベント
 ようやく引越ししました

 できるだけ自分達で運べる荷物は自分達で運ぼう!というプランだったので、深夜から朝に荷物を車に載せ、それを妻が日中、新居に運ぶ、という大変な日々でした


 そして、、、引越し当日の金曜日更にどたばたでした

 当日になってもやっぱり荷物がたくさん残っていたので、まず子供が起きる前の朝1で荷物を新居に運び入れ、戻ってきてからは、妻不在の中準備を開始なにせ、妻の免許更新がスケジュール調整を誤って、なんとこの引越し当日の午前中になっていたのです。。。
 
 ところが子供達はストレスがたまっていて色々やってくれます。
 最近、夜な夜な親がなにやらやっているので、たまに深夜に「何しているの~?」と眠い目をこすって起きてくることもありました。そんな子供に「何でもないよ、さあ寝よう寝よう」といって寝かしつけたりしていました。
 しかもたまの休日、パパと遊ぶことを楽しみにしているのに、全く相手にしてくれないので、色々な荷物を崩したり兄弟げんかが始まってしまうなど、子供達は子供達でストレスがたまっているようで大変。。。なので外の公園に連れ出し、久々に3人で楽しく最後の公園を楽しみました(当日なのにね。。。

 それから、妻が帰ってきたのでお昼ご飯を食べて、さあ午後の最終戦開始

 私は、先週不在だった管理組合の人をようやく捕まえて刈払い機を借り、畑周りの雑草をブイ~んと刈りまくり。子供達は「何が始まったんだ?」と離れて眺めていました。
 そして奥様は、クリーンセンターという粗大ゴミや何でも持ち込めるゴミ処理場へ片道40分ぐらいかけてゴミ捨て、、、。


 さあ、そうこうしているうちに、エアコンの取り外し屋さんがやってきました。まだ準備終わっていないのに、、、やばい。。。

 するとついに引越し屋さんもやってきて、妻不在の中、荷物の運び出し開始

 「冷蔵庫の中身がまだ入っている」とか、運ぶたんすの上に荷物がまだ乗っているなど、どたばたしながら運んでもらっているところにようやく妻も戻ってきて、一応運び出し終了。

 引越し屋さんをお見送りした後、妻と子供を先に新居に向かわせ、私は一人、家でもくもくと後片付け。

 カーテンも無く、寒~くて薄暗い部屋の中で、一人もくもくと散らかった小物などを整理していました。すると、炊飯ジャーにご飯が残っているではあ~りませんか

 疲れが溜まっていたので、スーパーで惣菜を買ってきたものの、電子レンジも無い家で、私はポツンと一人、冷たいご飯に冷たい惣菜、唯一コンビニでお湯を入れたスープ春雨だけが私を暖めてくれました

 そして、、、ほとんど整理し終わったと思ったら、まだ布団が押入れに残っているじゃあ~りませんか

 とても1回で運びきれない量で、ここでノックダウン。。。

 翌朝、またお掃除に行く事にしてフラフラになりながら新居に向かったのでした。。。

                                              (つづく・・・)
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前日の朝ですね

2010年12月16日 | 自分の時間
さてさて、今日は引越し前日です

毎日夜中か早朝に起きて、夫婦共々引っ越し準備をしている今日この頃ですが、昨日、今日と、私は陽が出てくると家の畑に出ます。

ただ、今日は引越し前に行きたかったところに行って来ました。
それは神社です。
たまに書いていますが、私の理想とするのは千葉県の鴨川で出会ったじいちゃん達の暮らし方
その集落に住み、その集落で採れたものを基本的には食べ、先祖と同じその土地に還っていくのが、長老達の生き方です。
米や農作物を作るのは生きる基本。だから自然とお天道様に対する畏敬の念、そして五穀豊穣や収穫を祈り感謝するお祭りが生活の中に根付いています。
鴨川に泊まった時、翌日はその地域を見守ってきた大山不動尊に歩いておまいりをしてきました。
そのとき、神社や寺をおじいちゃんやおばあちゃんが何で足繁くお参りするのか、初めてわかった気がします。

私にとって、安心した落ち着いた生き方をするには、「ここで生き、還って行く場所」が必要だと強く思ったのもその頃からでした。

この1年半の間住んだ今の家はさよなら、ですが、今まで大きな事故も無く過ごさせていただいた土地の神様に感謝の気持ちを伝えてきました。

神社って、そこだけが別世界
パワースポットなんて、最近は言われるけど、昔ながらの「鎮守の木」が生えており、人も余り通らないので、早朝に来ると凄くすがすがしい気分になれます
今朝は曇りだったので、木々の間から見た空は、白々しい冬の空に見えました。


さて、家に帰ってからはスナップエンドウの防寒対策と農業用具の整理。
明日は最低気温が-1℃らしいので、もう霜対策が必要です。その為に保管しておいた稲ワラを敷き詰めました。
また、色々な野菜を支えるために使った支柱を引っ越す先に持っていくのも意味が無いので、来春に向けてエンドウのつるを這わすためのものを、この時点でセッティングしてしまいました


ふと気づいたのがバジル君。いつの間にやら木のように枝が太くなり、いつのまにやら茶色く枯れていたのですが、種がついていました。そりゃシソ科だから当たり前なのですが、小さな種でしたよ~


ごま粒のような種ですね


なんでもこれを「バジルシード」といって、水に入れると30倍ぐらいに膨らんでタピオカみたいになるとか。

手ですりつぶしてみたら、確かにバジルと何かスパイシーな香りがして、チャイティーなんかに入れたら合いそうな香りがしました

でも別に食べる気はしないから、放っておきま~す

まだスナップエンドウの準備が終わっていないので、明日の引越し当日の朝もやるか
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ミニ田んぼも畑もさようなら~

2010年12月15日 | 農的体験・生活
 さあ引越し直前です

 ミニ発泡スチロール田んぼをベランダで昨年やり始め、昨年は小さいながらも色々観察させてくれたものの、今年はちゃんとした田んぼを借りたので、面倒をきちんとみてあげれませんでした
 ただ珍しいお米の花を見ることができて、それはそれで素敵な経験を与えてくれたのです

 しかし、やっぱり引越しすると邪魔になるし、来年も田んぼを借りれるようなので残念ながら処分することにしました。

 20年無農薬で田んぼを耕さないで稲を育ててきた佐原の藤崎さんの田んぼの土をベースに、庭土を入れて作ったミニ田んぼ。


 ひっくり返すと、ようかんのように見事に固まっていました


 崩してみると細かい根がびっちり 小さな空間で稲も雑草も頑張って根を伸ばしていたんでしょうね~



 そして今朝は、久々に朝日が出る前に畑へ。藍色と朝の白々しい空の間に、まだ輝く星が見えました。明け方東の空に見える星は何星なんでしょうかね?ネットで調べてみると金星のようですが。。。もの凄く輝いてきれいですよ

 また雑草置き場(プチ堆肥場?)を掘り返したら、冬眠しかけ?の白っぽい茶色のアマガエルが出てきました。カエルって本当に土の中にいるんですね~。初めて土の中から出てきたカエルを見ました

 さて明け方の畑にまず目につくのは朝露をつけた小松菜。野菜につく朝露は、いつ見ても素敵ですね


かぶや小さいながらも良く出来ました


にんにくは昨年よりも生育が良いので、来夏にはそこそこの大きさになるでしょう


どれも雑草と仲良く一緒にすくすく育っています

そら豆くんには、11月に霜が降りたので霜でやられないようススキの葉を刈って置いた枯れ草をマルチ替わりに敷き詰めておきました。今では適度な大きさに育ってくれたので、これなら大きすぎて霜にもやられる、っていうことは無いでしょうね。


ピーマンとししとうはこんなに寒い時期ですが一応実をつけています。小ぶりではりますがどさっと収穫しました。


そんなピーマンの葉っぱの中に、なにやらクローバーのような不思議な葉っぱが・・・、あっ、これはスナップエンドウだ


長さがわかりにくいので、私の手のひらから肘にかけて這わせて見ましたが、この長さ、50cmはあるんじゃないですかね


他の畑では20cmにもなっていなくて、このまま冬を越します。
なのにこの子は、ピーマンの葉っぱに陽射しをさえぎられて、頑張ってここまで伸びたんでしょうね~

悪くいえば「徒長(とちょう)」といって、ひょろひょろと長くなっちゃっったんでしょうが、それにしても環境によってこんなに1節1節の間が伸びて全体もこんなに長くなるもんなんですね~。朝からビックリさせてもらえて嬉し&楽しかったです

私以外は、家族の誰も「作物が植わっている畑」と「畝間」の違いがわからない私の畑
当たり前に家の前にあったこの環境が無くなるのはち、ちと寂しいのですが、ぼちぼち通って交流したいと思います











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トンカントンカン、おもちゃ作り

2010年12月14日 | 素敵な家族・子供との時間
 引越しのために色々運ぶもの、捨てるものなどを分別しているところですが、私が作った初の大物作品に「おままごとキッチン」があります。


 ホームセンターで木材を買ってきて始めて作った時が懐かしい。。。
 ブログを見返してみると、なんと昨年の大晦日に完成させていたんですね~まあ忙しい時によくやったものだと思います
 妻いわく「仕事が始まる前に完成させようとしたんじゃなかったけ?」。なるほど、昨年はきちんと仕事もしていなかったんですよね。ブログってようは日記のことですが、過去を振り返ると懐かしいことなどが画像付きで見返せるんですね~、面白い。
去年の12月のブログ

 さて、そんなおままごとキッチンですが、横幅180㎝もあるので残念ながら解体することになりました。
 作った後、子供達に自由にお絵かきさせたり、上に乗って遊ぶのでぐらぐらするのを補強したり、手を洗う蛇口をつけたり、、、色々改良したおままごとキッチン。思い出深い作品でした

 
 しかも材料費は結構かかっているんですよね。
 日曜大工をやってみると、いかに既製品が安いかがかわります。材料費だけでも売っているものよりかかってしまうんだから、作る手間を考えたら買った方がお徳だよね~、と。

 ということで、私の「おままごとキッチン」はバラバラに解体した後、出てきた材料でおもちゃを作ることにしました(引越し前になにやっているんだか、、、という突っ込みは無しよ

 うちの子供も久々に日曜大工のお手伝いをしてくれました。以前からノコギリでギコギコ切るのは好きでしたが、今回は何と「釘抜き」をマスターしました
 4歳で1人で釘抜きができるとは凄い

 こうやって日曜大工を小さい時から手伝っていれば、子供も色々出来るように育つんでしょうね 
 私は小さい時にそういった経験が無かったから、今やっていることが楽しいけど、子供の時にやるのはまた違った楽しさ、そして何かしらの感性が育つんでしょうね

 そして板は畑の堆肥置き場(?)の囲みに使い、キッチンの足として使っていた角材はギコギコと子供と一緒に切り離しました。

さあ、これで何を作ったかというと・・・





 電車と車で~す

 まだ全部作りきれていないのですが、こういったリサイクルみたいなのも楽しいですね~
 結局、引越しするときに何か新しいことをやってしまう、というサイクルに見事に入りましたが、楽しい時を過ごせました
 与えられた「組み立てキット」で何か作るのはそれはそれで楽しいですが、見た目は気にせず適当にある材料で「自分で作る、やってみる」という本物の創造は、それはそれで違った楽しみがありますよ
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