アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

列車番号に「試」が付いた珍客

2020-10-29 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

秋が深まり、過し易い気候が続いている。今日のような真っ青な空を見ていると、今年起こった様々な厄介ごとも消え去っていくように思える。あと2か月で今年もお終いかと思うと気忙しいが、何事にも集中できるこの季節を楽しみたい。

現在でも列車番号に「試」を唄った列車の設定はあるのだろうか。田端区の機関車の乗務員訓練列車には、確か「試」があったと思うが、列車ダイヤグラムにはスジの記載がないはず。アントンKの周りでも、列番やスジに富んだお仲間が複数いるから、今度聞いてみよう。掲載写真は、東海道線を走る試運転列車6991ㇾ。この列車スジは、1時間目ダイヤにも記載があり、容易に時間の把握は出来たと思う。結構な頻度で、走っていたと思うが、はてどうだったろう。列車自体現れないと、どんな編成なのか判らず、そういった意味では普段とは別の愉しみがあった。東京区の運用で、特にロクイチだからと期待もせず待っていると、遠方から茶色の機体が現れた時の緊張感は、未だに身体が忘れていない気がする。もっとも最近では、そんな緊張すらしていないから、刺激が少なく詰まらなくなったことを実感してしまうのである。

1985-02-23 試6991ㇾ    EF5861  マニ+24系x3+マニ  東神奈川付近


秋の信濃路を往く~EF62+12系

2020-10-28 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

10月は何かと慌ただしく、あっという間に過ぎ去っていく印象だ。今年に限っては感染症の影響で、何に就けても二の足を踏んでいる想いがしていて、どうにも落ち着かないのである。音楽鑑賞については、仕切り直しを余儀なくされ、高鳴る気持ちを抑えることに苦労した。今後もこんなことがどこまで続くのかということを考えるだけで、気が滅入ってしまうから、最近は深く考えず自己防衛と他人に配慮を徹して行動している。今月が早かった分、来月は色々と計画しているが、果たしてどこまで実行に移せるだろうか。

秋の信州にも再訪してみたいと思っている。掲載写真は、ちょうど今頃撮影した信越線を往く団体列車。まだ碓氷線が存在していた時代。とはいっても、ロクサンを絡めた客車列車は、それまでにおよそ撮影してしまったから、峠に固執せず、もっと足を延ばして開拓を始めていた時期だった。紅葉したカラ松林が美しく懐かしい光景だ。今ではしなの鉄道と名を変えているが、ロケーションはどうなっているのだろう。

1996-11-07   9335ㇾ   EF62  12系  JR東日本/信越本線:御代田付近


見違える「武蔵小杉」変貌した南武線~EF15

2020-10-27 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今月で愛孫の送迎業務から解放された。娘家族の引っ越しを契機に、保育園とも近くなりお役御免となった次第。本当は、解放ではなく自らかって出たことなのだが、この2年数か月の間、日課だった貨物撮影を中断して付き合ってきた訳だ。

「武蔵小杉」って若者に人気がある街らしいが、そんなに良い街なのか?アントンKには、まだ理解できないでいる。確かにここ数年で、高層マンションが立ち並び、街の景色が一変した。東横線や南武線の離れたホームは昔のままだが、今ではさらに遠く離れた無理くり作った横須賀線のホームが新幹線に沿って出来ている。都心への乗り入れも多様化し、乗り換えなしで動ける鉄道網は一見便利に見える。しかしこの街、一気に人口が増えたためか、朝夕のラッシュ時の人の流れが凄まじく、合わせて自動車の大渋滞が毎日のように起きているのが現状だ。子供の数も増えて学校や保育園が足りず増設中とか。いやはやアントンK爺は心配なのだよ。愛孫がこの街でどんな風に成長していくのか・・これも大きなお世話と取り越し苦労なんだろうけど、っね。

いまだアントンKがイメージする「武蔵小杉」ということで、また古いところから引っ張り出して掲載しておく。国鉄時代の南武線、武蔵小杉駅ホームを通過するEF15のオイル列車。学生だった当時、学校が至近距離だったこともあり、南武線沿線には出向いていた。まだED16が現役で活躍していて、専用貨物列車の設定がたくさんあった時代。この時は、敢えて立川区のEF15を狙いたくてホームで撮影したようだ。奥に見える高架になった部分が東急東横線の武蔵小杉。位置関係は現在と変わらないと思うが、ホーム施設はもちろん、周りの建物はすっかり変貌を遂げてしまった。茶色の電機と茶色のゲタ電が南武線の印象。今ではスマートなE233系が無機質に走っている。

1976-03-10   5165ㇾ  EF15177         南武線:武蔵小杉駅

 


根府川を通過するEF58から見えてくるもの

2020-10-23 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

忘れ去られた画像シリーズが続いている。デジカメが普及し、写真をデータとして保存しようなどと思わなければ、二度と見ることが無かった写真だろう。ある意味、それだけで新たな発見で、自分自身でシャッターを切り撮影した画像には間違いないから、嬉しいやら恥ずかしいやらで落ち着かない。鉄道写真の履歴とするなら、まあこんな画像を綴ることも許されるかな・・・

鉄道撮影に本気になって1年少々の時代。今感じる1年は、矢のよう過ぎ去ってしまうが、当時の1年は日進月歩。今とは密度が違っている。よくわからないが撮影が楽しくて仕方がなかった時代なのだ。1時間目ダイヤを片手に東海道ブルトレの撮影。定番の根府川に始発で来て立っている。手持ちフィルムも限られていたから、今のように無造作にシャッターは切れない。1コマ1コマ数えながら、綺麗に36枚撮り切るように考えながらの撮影だ。掲載写真は、根府川駅を通過する宗教臨。もちろん東京区のゴハチが牽いてくる。いつもの12系客車ではなく、一般型でやってきたから少し得した気分になったろう。それにしても、根府川駅も当時は随分広かったように感じる。手動のポイント逆転機が見えているが、上下線に側線があったようだ。また切通しに花壇がありツツジが満開の花をつけているのがわかる。ゴハチ154号機も当時は何も感じなかったが、今では不思議と懐かしい想いだ。

1976-05-05   6313ㇾ  EF58154    東海道本線:根府川にて

 


旧国に揺られて安曇野へ・・・戦前型クモハ60形

2020-10-22 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

上越線をメインとした撮影旅行の最期に立ち寄った大糸線沿線。上越ではEF16が最後の活躍をしている時代で、EF58との臨客がメインターゲットだった。合間にやってくるローカル電車に70系の姿はなく、すでに115系に全て置き換わっていた。長い間、石打の電留線に70系の姿があったことを思い出す。

朝の松本駅ホーム。70系電車に出会えなかったからではないが、大糸線へと立ち寄った時の一コマ。大糸線のローカル貨物列車は、まだED60型で残っていて、その撮影に沿線に出た。この線区には、直通で165系・183系などの優等列車たちも姿を見せるが、地元ローカルには、戦前型の旧国電車が元気に活躍していた。朝、アントンKを出迎えてくれたのは、半流型と呼ばれていたクハ55。Hゴム改造もない綺麗なお顔に朝日が当たり、ただそれだけで興奮してしまったことを思い出すのだ。彼等戦前型旧国電には、飯田線でも身延線でも出会い乗車もしているが、全てがスカ色と呼ばれる紺とクリームのツートンカラー。ここのスカイブルー一色の旧国には、最初戸惑ってしまったのである。奥に見えるクモハ60とともに、まだまだ鉄道に活気が宿っていた時代なのである。

1979-02-16  227M Tc55041   大糸線:松本駅