アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

陸奥はED75の天下~「あけぼの」

2020-04-29 21:00:00 | 国鉄時代(カラー)

緊急事態宣言のままGWへと突入。通常のGWとは、かなり様変わりした光景がニュースで流れている。何気ない日常が、いかに大切なのか、尊いものなのか思い知る。将来このブログを読み返した時、今の想いが伝わるように綴っておこう。

「踊り子」からEF58が続いてしまったので、今回は交流機で口直しと行きたい。関東圏で生まれ育ったアントンKだから、身近な機関車は、直流機関車なのは当然だが、逆に滅多に出会えない交流機関車だからこそ、普段から憧れは強く、若い頃は深紅の機関車を早くこの目で見てみたいとずっと思っていた。そんな思いでいたアントンKだったが、本格的に鉄道撮影に目覚めてから3年経って、ようやく交流区間へと足を踏み入れることが出来た。当時のことを思い出すと、交流電機はまさに最盛期の時代で、ED75はもちろん、ED71やED77、ED78、EF71といった強者たちも健在で、とても一度の訪問では把握しきれないくらい魅力的に思えた。中でもやはり群を抜いてED75という電機の活躍は凄まじく、特急をはじめとする旅客や貨物列車を日夜を問わず突き進む姿は、頼もしく憧れたものだ。しかし、後のヘッドマーク復活で、全て撮影のやり直しという嬉しい誤算も重なり、当時の思い入れも益々強くなった気がしている。

今回は、奥羽本線をいく特急「あけぼの1号」で秋田区のED75700番台けん引。ごく最近まで残存していた(とはいっても廃止から早5年)ブルートレイン「あけぼの」だが、この当時は、新幹線がまだ未開通であり、本来の東北~奥羽経由での運転。EF65PFで上野を出発、ED75~ED78/EF71~ED75とけん引機が青森まで3回も代わるという豪華列車だった。掲載写真は、大釈迦峠を全開で越えるED75746「あけぼの」。アントンKにとって、700番台はナナゴの中でもベストではないが、それでもこの時代の700番台は端正で凛々しく、「あけぼの」マークもお似合いだ。

1986-05-04 1003ㇾ  ED75746  あけぼの3号  奥羽本線:大釈迦-鶴ヶ坂

 


美しきゴハチ永遠なり~EF58

2020-04-28 16:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

鉄道趣味界の中、「EF58」という機関車の大家とされるマニアの方々は東西限らず大勢いらっしゃる。それぞれが独自の視点を持ち、そのウンチクはスジが通っていて清く正しいことばかり。アントンKもそんなお仲間に刺激を受けながら、多々教育され現役当時を振り返ると、ゴハチにまつわる楽しい思い出が浮かんでくる。今思えばあの時がまさに青春ど真ん中だったことが改めて理解できるのだ。

お若い鉄道ファンの方々には、ゴハチというと茶色い61号機を思い浮かべる方がほとんどだろうが、実際にアントンKが知りうるEF58という機関車の印象はまるで異なっていた。その最たる要因は、172両もの機体がそれぞれ特徴をもち、個性丸出しで疾走していたからだろうと思える。御召列車の時の61号機は特別に美しいが、普段の定期列車を牽くEF58も十分に魅力的だったのだ。ゴーナナ(EF57)を追いやったEF58は、最初は憎きカマだったものの、知れば知るほど魅力的な機関車に代わっていったとも言えるか。現代の電機と比較すると、より人間臭い機関車のように思えたのだ。

今回は、東北線をいく宇都宮区のEF58。中でも一番お気に入りだったEF5873号機を掲載。原型小窓の美しい顔立で、これぞゴハチと思えるスマートな機関車だった。ゴーナナが引退してから、初めて出向いた栗橋だったが、昔のようには撮影出来ず、がっかりした思い出が残っている。列車は、晩年の急行「津軽」座席車は12系へと変わっていた時代。

1980-02-21   406ㇾ  EF5873  急行 津軽4号  東北本線:古河-栗橋


那須連峰バックの美しき EF58

2020-04-27 16:00:00 | 国鉄時代(カラー)

世の中未体験のことばかりで、そんな日々の生活にもようやく慣れつつあるが、同時に疲労感や倦怠感が身体を襲い、精神的に不安定になる瞬間がある。とりわけ近所の子供達を見ていると本当に可哀そうになる。外遊びも出来ず学校へも行けず、友人にも会えない状況。この状況を理解できない幼児だって、我慢を強いられているようで切なく感じてしまう。こればかりは、誰にもこの先のことは解らず、まさに神のみぞ知り得る。

SNSでも在宅時間を利用してデータ化が進んでいるのか、昔の画像が増えているようで嬉しい限り。アントンKもそうだが、やはりこんな時世、昔に想いを馳せ、郷愁を感じて心が癒されると、随分リフレッシュ出来るように感じてしまう。その画像から忘れていたことが思い出されたり、自分にも刺激を貰って有難いことだ。

今回はまたEF58でも、イメージ画像のようなアントンKには比較的珍しい画像。夜明け直後にやってきた荷物列車を美しい那須連峰バックに捕らえてみた。もっとも日の出が遅い時期、典型的な冬型なのか客車は雪だらけ、そんな北国の便りを牽いて青いゴハチがゆっくりと現れた。

1984-12-30   荷44ㇾ   EF58       東北本線:蒲須坂付近

 


最後の特急運用~ゴハチの花道!

2020-04-25 14:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年2020年という年は、世の中大きな節目を迎え、変化点と成りうる時代の幕開けになるのではないかと想像している。こんな時世だから、今の段階では何もかも悲観的に考え過ぎてしまいがちになるが、発想を転換すれば好機到来と考えられなくもない。要は心の持ちようでこの先が見通せる気がしてならないのだ。

アントンKにとっても明日への活力を見出すべく、自粛ながらの愉しみは怠らないよう心掛けているが、この履歴簿が示す通り、ここ数か月線路端やコンサートホールに出向ないでいる心の空洞は穴埋め出来てはいない。楽しみにしていた列車たちもことごとく運休になり、またここ数年来、集中して鑑賞してきた新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会も途絶えてしまった。年間プログラムを心の支えとして生きていたアントンKだったから、楽しみにしていた楽曲たちが次々とキャンセルされる現実を恨んだ。そんな想いが心に募って重怠くのしかかっていた時、SNSで彼等のテレワーク演奏を聴き涙が止まらなくなった。コンマスの崔氏をはじめとした、オーケストラメンバーの方々の演奏姿が、小さなマス目に散りばめられたネット上での合奏は、ホールで聴く生演奏に匹敵するほどリアルに心を熱くし、彼等の演奏したい舞台に立ちたいという気持ちが、その数分の中に爆発していたのである。その蓄積された彼等の想いが、いつかきっと演奏に反映されるだろう。その感動を彼らとともに味わいたい。その日が来るまで、アントンKはずっとずっと待ち続ける。

客車列車「踊り子」も今回で一区切り。こんな時世でなかったら、集中して昔を思い出すことも無かっただろうから、良かったと考えることにする。東京機関区の最後の特急運用ということで、当時は注目していたこの「踊り子」号だったが、一通りの撮影を終えてしまうと、自分の中ではマンネリ感が生まれいい加減な撮影になりがち。将来のことをもっと考慮していればもっと違っていたのかもしれないと、残された画像を見ながら振り返るのは毎度のことだ。

曇天の日を狙ってモノクロで挑んだ客車「踊り子」。東京区EF58129号機けん引。機関車が茶色ではないと、ファンもまばらな時代だった。

1983-12-24   9027ㇾ   EF58129   踊り子   東海道本線:東神奈川付近

 

 

 


「踊り子」の異端児~「お座敷踊り子」

2020-04-23 17:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今後機会がないかもしれないので、ゴハチけん引の客車列車「踊り子」も続けてみたい。客車列車の「踊り子」は、伊豆への観光客を当て込んでか、通常では週末の午後発の設定となっていたが、多客時には変則的な列車設定が現れ、我々も注視していたことがあった。その一つは、お座敷客車を使用した「踊り子」号。団体使用が閑散期に入るお盆時期に設定されたと記憶しているが、どのくらい設定されたか等詳細は調べていない。当時、品川客車区に配置されていたスロ81系のお座敷客車を、ヘッドマークも掲げて牽いていたのであった。確かに団体客以外で、お座敷車に乗車する機会も滅多に無かっただろうから、そんな列車自体珍しかったかもしれない。しかし被写体としては、当時大して貴重ではなく、普段の団体列車で頻繁に見られたから、アントンKにはあまりインパクトがなく、記憶の底の方へと埋もれていたのだ。

掲載写真は、その特急「お座敷踊り子」号。EF5861牽引。おそらくEF65PFとの共通運用だったろうが、EF65PFの「お座敷踊り子」は記憶にない。天候も悪く、ただ撮影しただけという、何の気持ちも感慨もない駄作しか残せず残念だ。

1983-08-14 9021ㇾ   EF5861    お座敷踊り子   シナ座 東海道本線:小田原付近