アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

追憶の彼方へ~板谷のスイッチバック

2019-10-27 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

国鉄がJR化されてから改軌されミニ新幹線が走り出すまでの約5年間、福島-米沢間の板谷峠には毎年訪れることができたが、後半の新幹線工事が開始されてからは足が向かなくなっていった。むしろ峠を越えた米沢以北の方が出撃は多い。今になってみれば、重機の入った峠道ももっと記録として残すべきだったとも思うが、後の祭りはいつものことで仕方がない。

振り返れば、あの頃最も力を注いでいた列車は、板谷峠を行く特急「あけぼの6号」だったが、早朝この列車が通過すると山を下りてしまったことが多い。何せこの「あけぼの」は、峠を通過する時刻は午前4時台であり、もちろん夏至を境にしか撮影は困難を極めた。ここでもアントンKは、限られた日程の中、天気予報と格闘し峠を目指したが、ほぼ予報は当たらない。空が明るくならないと、全く露出はなく、当時では写真に残すことが厳しく、写真は諦めビデオを回してお茶を濁したことも度々あった。山の天候の厳しさを思い知らされたのだが、それでも判を押したように毎年トライしたことが懐かしい。

掲載写真は、新幹線化が報道され、いよいよファンも増え始めた頃の画像。赤岩ー板谷ー峠ー大沢とスイッチバック駅が連続する、奥羽本線のまさに最大の難所を黙々と走るEF71のローカル列車。この時代は、すでに50系客車に置き換わっていて、それも2~3両編成だったため、短編成が解らないようシャッターを切った思い出が残っている。物々しいいくつのもポイントを渡り、スノージェットを潜り、一気に33‰を上り詰めるEF71は、峠の守り神に思えたもの。力強さに溢れていた。

1990-07-01   429ㇾ  EF714   JR東日本/奥羽本線:板谷付近にて


ローカル客レは夢の中へ

2019-10-25 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

懐かしい普通客車列車の画像を続けていく。

憧れのブルートレインの20系客車や14系・24系客車等の華やかな列車シーンも良いが、前回掲載したような雑形客車を長大に繋ぎ、終着駅が遥かに遠い長距離列車の魅力も忘れがたいシーンだった。そしてもう一つ、地方のローカル列車として運用されていた客車列車には、長距離列車とは違う独特の雰囲気があり、乗車すると遥かなる地を肌で味わう寂しさと、どこか暖かい安堵の空気感を感じたものだった。こんな感覚は、現代では薄らいでしまった情緒であり、とても切なく思う。今では地方何処へ行っても、同じような車両が走り、乗車しても誰もがスマホに夢中。そんな印象しか持てず、まるで普段の通勤下と同じ光景が広がるのだった。

掲載写真は、スイッチバック駅の赤岩駅を後に、ゆっくり38‰の下り勾配を下りてきた朝一のローカル列車。ご存知奥羽本線の最大の難所、板谷峠を往くシーンだが、現在は新幹線が通る道へと様変わりしている。アントンKは、当時からこの特殊ともいえる勾配区間専用に生まれたEF71やED78が好きであり、国鉄時代にも何度か訪問する機会を持った。磐西のED77とともに、この交流機関車たちは、それぞれ個性に溢れ、どれも好んで撮影に明け暮れていた時代であった。そんな撮影旅行の折、数々乗車したローカル客車列車が、今はとても懐かしくノスタルジーを感じてしまうのだ。もうセピア色に変わってしまった情景は、今では夢の中でしか見ることができない。

1980-03-24   422ㇾ  EF7115    奥羽本線:赤岩-庭坂


長距離普通列車の魅力

2019-10-24 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

国鉄時代には、今にして思えば数知れない魅力的な列車が存在した。あの時代、アントンKには特急列車はまだまだ高根の花に感じ、もっぱら移動は周遊券を駆使して急行列車が多かったように思う。時には、急行券すら惜しんで、普通列車を乗り継いで遠征したことも多かった。食費も削って何とか現地へ向かった旅行は、不思議と今では楽しい思い出に変わっている。もっとも現代で同じような旅行は、出来るはずもなく、無意識のうちに素晴らしい体験をしていたものだと感慨にふけっている。

アントンKは、当時から夜行急行列車がお気に入りだったが、普通列車にも夜行列車が存在していて、なんとB寝台車まで連結されていて感動したものだ。そんな夜行普通列車には、ちゃんと名称があり、友人が好んで乗車していた北海道の「からまつ」はとても思い出が多い。また紀勢本線の「はやたま」は、EF58  牽引でよくお世話になった列車。また乗車は叶わなかったが、山陰線に「山陰」、長崎本線にも「ながさき」という夜行普通列車が走っていたと記憶している。こんな夢のような列車が、現代に存在していたら、日常を忘れて心往くまで乗車してみたかった。

今回は、北の玄関上野口に入っていた普通客車列車から、常磐線経由の列車を掲載する。当時は、東北線、高崎線そして常磐線にも客車列車が設定されていた。東北、高崎線はEF58が担当だったからか、ファンの姿にもよく遭遇していたが、常磐線のEF80には全くといって良いほど同業者には会えなかった。昼過ぎに上ってくるこの普通列車は、平(現:いわき)発の長距離列車だが、結構の乗車率を誇り、また撮影するのにも光線が好ましくよく狙っていた列車だった。

1980-03-10  424ㇾ  EF8027    常磐線:佐貫-牛久


正面二枚窓の80系電車

2019-10-23 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昭和30年代に流行った鉄道車両の顔には、2枚窓を持つものが多いことに気づく。もっとも代表的なものとして、国鉄70系や80系電車の顔を思い浮かべるファンも多いのではないだろうか。

アントンKにも、どこか昔から親しみが沸き、愛着すら感じる前面スタイルなのだが、その訳は、幼少の頃から最も身近な鉄道が、この湘南型2枚窓だったからに他ならない。京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)井の頭線は、当時はデハ3000系が主力であり、ラッシュ時に現れるデハ1000系、1900系をもこの前面2枚窓形状だった。この顔をいつも見て学生時代を送っていたのである。

当時このスタイルは、かなり斬新だったと思われるが、京王に限らず、全国の私鉄にまで影響を与えた前面スタイルは、それ以後あっただろうか。思えば、あのEF58でさえ、この正面2枚窓のスタイルではないか。実に個性的だが、未だに憎めない愛着の沸く顔に思えるのである。

今回は、東海道線を往く80系普通電車。ろくな写真が残っていないのでどうかご容赦。長大編成で釣りかけモーター音全開で驀進する80系は、当時は異彩を放っていたと思う。もっと乗車しておけば良かったと今でも悔いが残る。

1975-12-06     821M Tc86354   東海道本線:大森付近


懐かしき時間~EF80

2019-10-22 06:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

夏のお盆の時期、そして年末年始の時期、もっとも臨時列車が動くこの時期を狙って撮影に出ていたことをデータを見返しながら思い出している。

アントンKが撮り鉄(こんな呼び名、当時は夢にも思わなかったが・・)として意識をもった時代は、EF57全盛時代だったから、1日でたくさん狙える多客時を狙ったのはある意味真面な行動だった。局報というものを知らず、ただただ来るものを撮影していた時代。「ゴーナナ来ないかな?」という単純な発想は、待つことの試練を身をもって教そわった。そんな時代を経て、「情報」の恩恵というものを教わり、「効率」という概念を考えるようになっても、しばらく年末年始の撮影行きは続けていた。よく「撮り納め」、「撮り始め」などと新年を迎えるにあたりこじ付けて撮影に行っていたことも懐かしい。現在も似たようなものだが、ちょうどこの頃から撮影パターンは築かれていると、あまり進歩のない自分自身が愛おしく思える。

今回は、正月早々に出向いた時のもの。撮影目的は何だったのか?EF57が引退し、目がEF58に移っていったのか、定かではないが、アントンKの場合どちらかと言えば、当時は掲載のEF80に興味があったといっていい。バケペン(PENTAX67)を導入して間もない時期でもあり、おそらくそのテストも兼ねているはずだ。夜明けが遅く、露出が稼げずに苦労したことが画像から伺える。この時ももちろん上野を目指して上ってくる優等列車たちを数々撮影しているが、同時間帯に下る列車たちも、ここでの楽しみの一つだった。写真は、常磐線を上野へ上った「ゆうづる」が、東大宮まで回送列車として下るシーン。この時代、機関車にヘッドマーク装着がないのが残念だが、長い24系ブルートレインを牽いて颯爽に通過するハチマルは一番頼もしく見えた。

1979-01-05   回68ㇾ EF8027    東北本線:南浦和付近