アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

全国へ旅立った新製50系客車~EF58

2020-09-30 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今回は、50系客車繋がりで東海道を往く新製車回送のシーン。

EF58の活躍に陰りが見え始めた1970年代後半、雑形客車に代わる新しい客車50系がお目見えした。12系や14系などの青い車体から一転、真っ赤に塗られた車体は当時新鮮に映ったもの。栃木の富士重工で落成された新車が、次々と地方へと旅立っていった。現代でいうところの甲種回送のようであり、生まれたての車両を牽く機関車との組み合わせもとても魅力的に思えた。

ここでは、定番根府川を往く50系新製車回送。当時は、EF58の機番を追っていた時代でもあったため、このゴハチとの組み合わせには注視していた思い出がある。東京区の124号機が曇天の根府川に現われた。この季節に曇られると、露出が無くメゲたことを画像から思い出している。前出のレッドトレインもインパクトがあるが、ゴハチのブルーとのコラボもなかなか良かった印象が残っている。

1979-02-21 回8111ㇾ  EF58124   50系客車10両  東海道本線:根府川-真鶴

 


米処 秋田の通勤列車たち~ED75 700番代

2020-09-28 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

今日は久しぶりの晴天に気持ちも晴れやか、気分良く1日過ごすことが出来た。先週までの曇天に、いつの間にか慣らされてしまい、こんなに青い空、高い雲を忘れていたよう。朝からこんな日は、カメラを持って出かけたい気分となるが、それも叶わず・・10月は気分よく送りたいものだ。

まだ全国的に普通客車列車が走っていた時代、メインをそんな日常の客レにスポットを当て、遠征したことがある。今回は、一番思い出深い秋田近郊に多く走っていた普通客車列車を掲載してみる。こんな普段の在り来たりの日常を撮影しようと思い立った時には、すでに客車は50系客車に置き換わり、赤い機関車とのコラボ、いわゆるレッドトレインとして走っていた。朝の通勤通学時には、数十分おきにED75の客車列車が走り、50系編成のほか、気動車との併結運転や、ED75のプッシュプルで50系13両編成など、バラエティに富み慌ただしく撮影を楽しんだ思い出が蘇るのだ。ここでは、一般的な6両のレッドトレイン。広大な八郎潟の緑に、赤い列車を目立たせようと、アントンKとしては、普段撮らない角度で構えている珍しい写真。

1993-05-29  1624ㇾ  ED75 754     50系  JR東日本/奥羽本線:八郎潟-羽後飯塚


国鉄末期の夜行急行列車たち~EF65PF「能登」

2020-09-27 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

引き続き、国鉄時代晩年のEF65PFの雄姿を掲載。

上信越線を走ったEF58が引退してしまうと、当時の夜行急行列車は、EF65PFにけん引機がスイッチされ、客車の方も、10系寝台+雑形客車から、14系寝台+座席車へとリニューアルされている。EF58時代から比べると、出撃回数も極端に減ってしまったが、日の長い時期には、よく計画を立て沿線に歩を進めた。

これは上越新幹線開通に伴い、上越線経由から信越線経由に変更されてからの急行「能登」号。廃止された急行「越前」のルートと同じ碓氷を越えるルートになったが、注目なのは、機関車がEF62ではなく高崎からEF65PFに代わっていること。この辺り、稼働数が減少した里に下りたEF62たちとの関係性もあるのかもしれない。14系の混合編成も、当時は珍しかったが、これ以降、こういった編成に全国的に変わっていくのである。

早朝の高崎線を上る急行「能登」。鴻巣付近での撮影だが、今では宅地化が進み、田畑など皆無ではないだろうか。

1985-06-07  602ㇾ  EF651023     能登   高崎線:北鴻巣付近


九州ブルトレ再考察~EF65PF時代「みずほ」

2020-09-26 21:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

長距離を走破する寝台特急が消えて随分と時間が経ってしまった。最後まで残ったブルートレインは、北海道まで走った「北斗星」だったが、この列車もJR化後の目玉列車の一つだった。青函トンネルが開通し、夜行で北海道へと渡れることは、やはり当時は夢だったように思う。しかしアントンKにとっては、やはり「ブルートレイン」というと、九州まで走った一連の列車達をまず思い出してしまう。新幹線が開通する前から走り出し、数々の名シーンを残して消えていった列車達には、背負っている重みが違うと感じてしまう。自分の記録を振り返ると、EF65P時代はごくわずかな写真しかなく、正確に数えた訳ではないが、EF66と比較してEF65PFけん引のブルトレ画像が一番多そうだ。今思えば鉄道写真の成長期にあたり、当時まだ走っていたEF58とともに撮影を楽しんだもの。当時のゴハチのお仲間と撮影に出た際、やはり早朝上ってくるブルートレインから撮影していたことも、今では懐かしい想い出となっている。

「あさかぜ」「富士」「はやぶさ」「みずほ」「さくら」の順番だが、お仲間を最後の「さくら」まで付き合わせるのが常だった。そりゃEF58は、今で言うネタ列車だから、気合も入っていたが、合間に来るブルトレだって負けない魅力を放っていたのだ。

ここでは、おそらく最も撮影回数が少ないであろうEF65PFけん引「みずほ」を掲載しておく。よく見ると、この「みずほ」のマークはキラの番で、反射して文字が見えづらい。おそらく何種類かマークの種類が存在していたのだろう。

1979-03-18   6ㇾ  EF651111 「みずほ」  東海道本線:根府川


山男ロクヨン!木曽路を往く~EF64

2020-09-25 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

先日家族で行楽へと出かけ、勝沼へ行った際、帰りがけにJRの駅にも立ち寄ってみた。駅前広場の片隅にあるEF64を久しぶりに眺めたかったからだ。

しかし、見ない方が良かった・・・

継ぎはぎだらけの塗装で見すぼらしく、かつての重厚で精悍な趣は感じられなかったのだ。パンタグラフこそ上がっていたものの、見てるだけで可哀そうになる。管理者不在なのだろうか?誠に残念だった。

それでもこのカマを見た愛孫は、しきりに「カッコいいねっ!」を繰り返し、その場を離れても、何度も確認するように言葉にしていた。そのことが何とも愛おしくで溜まらない。「本当は・・」と話したかったけれど、今は止めておこう。将来、きっと話せるときが来ることを期待して・・・

駅前広場に鎮座しているのは、EF6418だったが、画像を探せなかったので、晩年の現役の貨物列車の雄姿を掲載しておく。

2005-12-09  5883ㇾ  EF6430+67       JR東海/中央西線:木曽平沢付近