アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

Red Bearの活躍~DF200

2021-07-29 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

DD51に代わる新しいディーゼル機関車DF200も、量産からすでに26年もの歳月が経っていることに驚かされている。今年春の改正で、DD51の定期列車が消滅し、いよいよDF200が本格的に活躍の場を広げてくると思っていた矢先、そのDF200でさえ四半世紀もの時を経ていることに、少々感傷的になってしまったのだ。「いつの間に・・」というのが正直な感想だが、今後は、こんな感覚が増えていくのかもしれない。こんな時世、1日1日を大切に過ごしたいものである。

初めてこの機関車を見た時、とても重厚でデカイ機関車というイメージを持ったが、今でもそれは変わらない。こんな機関車が長いコンテナを楽々と牽く姿は、当時から北の大地にはピッタリだと感じていた。中京地区にも進出し、新たなバージョンも増えて益々の活躍を願いたい。掲載写真は、現在休車状態らしい試作機901号機の牽くDF200の臨貨。再び元気な走行シーンを見たいものだ。

1999-05-01    9057ㇾ  DF200-901   JR北海道/室蘭本線:静狩-礼文


ある夏の思い出から~EF81「北斗星」

2021-07-24 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

ブルトレ「北斗星」が消滅してもうすぐ丸6年になる。孫にブルトレが見たいとせがまれても、どうにもならない切ない気持ちは、これからも続いてしまうのだろうか。アントンKにとっても、ブルトレを意識し撮影をしていた時間は、1975年から2015年までの40年間でしかないが、出来ることなら本物を一緒に見て、共感したかったと無いものねだりをしてしまうのである。

東北へ遠征する時の行きがけに、必ず線路端へ立ち寄り撮影したブルトレ「北斗星」。どうしても時間的制約を受け、かつメインターゲットではないから、妥協の産物が多くなることは致し方が無いところ。しかし意識の上で、定期列車で存在しているかいないかは、大きなことで、アントンKの行程に少なからず影響を与えていた。掲載写真の日も、遠征途中に立ち寄った物。夏の湿気の多い曇天の朝だったと思い出している。有名ポイントだが、曇天ならではの右頭構図で狙っているようだ。

2001-07-06    4ㇾ   EF8181 北斗星  JR東日本/東北本線:蒲須坂付近

 


長野にいた我が青春の電車たち~長電3500形

2021-07-23 20:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

今回遠征した長野で、途中見かけた電車がとても懐かしくなり、須坂に立ち寄ってみた。営団地下鉄3000形、そして東急8500形のステンレス電車たちである。

アントンKは、学生時代東急沿線に長年通学していた関係で、いまだに私鉄では東急電車に興味が沸くが、その当時毎日乗車していた電車たちが、やはり今ではとても懐かしく思う。東急線では、5000系・6000系・7000系・7200系・8000系等に毎日お世話になった。そして同時に日比谷線直通で東横線に乗り入れていた営団3000形も、当時からお気に入りの電車だったのだ。下校時には、わざわざ営団3000形の時刻に合わせて学校を出たこともしばしば。とにかく静かで乗り心地が大変良かった印象がある。ただ夏場は、非冷房なので暑かったことが、おぼろげに思い出される。中目黒から日比谷線直通となる電車は、当時日吉始発で結構あったように記憶している。いまや、日比谷線直通電車は無くなり、渋谷が地下駅へと変わり、副都心線へと繋がっている。東急線の線路を東武や西武の電車が我が物顔で走っているのだ。当時を知る者からすれば、とても同じ路線とは信じがたく、逆にあの頃が懐かしいのだ。

引退が近いとされる長野電鉄3500形電車。当時を偲ぶのには、結構無理がいるが、それでも、派手なコルゲートの車体や独特なお顔立ちは変わらない。リンゴが実る頃、また出会いたいものだ。

2021-07     長野電鉄:須坂にて

 


配給列車はお好き?~EF80

2021-07-22 16:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

現代では、「機関車がけん引する列車」、というだけでかなり貴重に思える時代になった。もっともこれは、旅客列車に限った話で、貨物列車の分野では、種類こそ簡素化されつつあるが、まだまだ機関車けん引の輸送形態は維持されているのだが・・

先日走った秩父鉄道の電機による客車列車も、まじまじと列車を目撃してみて、こんな地方私鉄の列車でさえ、どこか懐かしさを感じてしまうようになってしまったのだ。今では、機関車けん引列車というと、貨物列車に混じって、新車の輸送や、検査転属などの車両の輸送を行う配給列車の人気が高いようで、ますますエスカレートしているように感じている。これには、近い将来、これらの列車たちも、機関車けん引ではなくなり、全く新しい電車に交代すると噂されているからだろうか。毎月のように走っている、これらの配給列車も、いよいよ過渡期を迎えているのかもしれない。

掲載写真は、国鉄時代のキハ58形転属配給列車。この時代も、ダイヤ改正を前後して、この手の配給列車が見られたと思う。仲間内では、やはりEF58の50系客車回送やキハ40形の気動車回送が有名で、どこのゴハチが牽くのかが毎回話題になっていた。みんなで早朝から線路端に何回繰り出したことか。思い出を語るのは事欠かない。ここでは、友人達には人気がなかったEF80の配給列車をあえて掲載しておく。いつどこへ行っても同業者の姿はなく、アントンKが全てを独り占め、自己満足の塊となった瞬間であった。

1980-10-09  回9445ㇾ  EF80 28 マニ+キハ28形x3 常磐線:北千住にて


初めての南九州「真夏の思い出」~ED76

2021-07-21 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

正に梅雨明け10日、酷暑が東京も続いている。頭ではわかってはいるが、やはり暑いとどうしても動きが鈍くなるアントンK。日が長く眩しい太陽は好きだが、昨今の暑さは尋常ではない。外出が億劫に感じるのは、年齢のせいだけではないだろう。

夏休みに鹿児島電化直前の南九州を廻った思い出がある。この時の行程は中々凄かった。山口線の蒸機復活に合わせて東京を経ち、広島区のEF58を狙いながら、C57と掛け持ち、そしてその後、南九州青井岳を目指したのだ。帰京するのに、帰りがけの駄賃とばかり紀勢周りでゴハチを撮影しまくり、へとへとで帰宅した思い出深い旅行だった。今はこんな行程体力的にとても不可能だろう。血気盛んな年頃のなせる業かも・・・

掲載写真は、その時日豊本線で撮影した寝台特急「富士」西鹿児島行き。この日から、本務機DF50の前に訓練でED76が連結されて姿を現わした。当時はまだヘッドマークの復活が無かった時期にあたり、今となっては物足りなく感じてしまうが、前日東京を出て、昼夜ひた走り、ようやく目の前に現れたブルトレ「富士」に痛く感動した想いが蘇ってくる。とても印象に残っている写真なのである。

1979-08-10 7ㇾ  ED761012+DF50532 特急「富士」 日豊本線:日向沓掛付近