アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

客レに乗った夢を見た・・EF58けん引

2019-12-31 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昨晩、ゴハチけん引の列車に乗って旅する夢を見て、すこぶる目覚めが悪かった。

初夢とは真逆の、年の瀬にこうしてみる夢は何というのだろうか・・普段から夢は滅多に見る方ではなく、珍しいくらいだからとても印象に残ってしまったのだが、どこへ向かったのかは解らない。カメラは持っていなかったように思う。列車に振られながら、とても悔しい想いが今でも残っているから、寝起きが悪くなったのだろう。昔味わった体験が知らず知らずに夢として現れたのなら、ちょっと気味が悪い。

そんな夢の中で見たEF58を探して、今回も古いものから1枚掲載。高崎線に残っていた上り普通列車。もちろんEF58けん引だった。115系の普電に混じって設定されていたが、高崎第二区のゴハチは、どれも似たような形態で当時はあまり注目に値しなかったと思う。写真は、多くの分岐を渡りホームに侵入してくるEF58121の普通列車。客車列車というだけで旅情が沸きあがるように思うのはどういうことだろう。夢の続きをまた見てみたい。

1976-02-19     2322ㇾ  EF58121           高崎線:大宮駅にて


「歓喜の歌」~朝比奈隆

2019-12-31 08:00:00 | 音楽/芸術

今年も年末恒例となった、ベートーヴェンの「第九演奏会」には行かずじまいで年を越す。音楽鑑賞自体には、随分と自分の中でも歴史が出来てしまったが、年末の「第九」演奏会についても過去には数々の演奏会に出向くことが出来た。これだけ、オーケストラがこぞって「第九」を演奏する風潮は、世界を見回しても日本だけだそうで、昔から続くこの習わしに、アントンKも乗っていたのである。

ベートーヴェンは好きな作曲家で、とりわけこの「第九」と呼ばれる交響曲第9番ニ短調は、アントンKにとっても交響曲の中でも別格扱いしてきた。これだけ精神性の高い音楽芸術を年末に聴き、その奏でられる響きの中に、その1年の真実を見出せると思っているからだ。一番ピーク時には、第九をあちこち掛け持ちで聴き回ったりもしたが、そんな機会に限って心には響かない内容だったようにも思える。そしてある時から、数ある演奏会を選択してからホールに出向くようになっていった。アントンKにとって、第九演奏で一番印象深いものは、どうしても朝比奈隆の演奏会となってしまう。ちょうど暮のこの時期、朝比奈の第九を聴きに大阪へと向かう。まだ中之島にあるフェスティバルホールが昔のホールの時代で、どこか上野の文化会館とダブった感覚が懐かしい。今にして思えば、朝比奈晩年の4年間は大阪で第九鑑賞となり、5年目の2001年の第九演奏会は叶わず涙を飲むということなってしまうのだ。演奏会終演後、大フィルの合唱団が舞台に残り、「蛍の光」を唄う行事は今でも続いているのだろうか。初めて接した時、これが関西流かと感激した想いが蘇るのである。

久々に朝比奈の話題になったので、氏の画像を掲載しておく。1993年に埼玉所沢での演奏会終演後、楽屋口からお出ましになった朝比奈隆氏。この時は、第九ではなく、同じベートーヴェンでも第5がメインプロだった。お付きの方とともに足取りも軽く、出迎えたファンに向かって微笑む朝比奈氏は、舞台を降りても姿勢が良くキリっと見え、立ち姿だけでもエンターテイナーだった。

1993-11-23   朝比奈隆    所沢アークホール楽屋口にて


最盛期の山手貨物線にて~EF15

2019-12-30 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

首都圏の鉄道網の歴史を振り返ると、昭和時代いや国鉄時代とはまるで変化していることに気づかされる。アントンKにとって、その最たる鉄道は東京地下鉄網だが、それ以外の多種多様な路線網にも圧倒されてしまう今日この頃。特にJRと私鉄の乗り入れ、JRと私鉄、私鉄と地下鉄など、3線4線の乗り入れは、今や当たり前となっている。通勤に鉄道を利用している身としても、極ごく限られた路線で、頭で便利になったことは何となく理解できたとしても、実際には着いていっていないのが正直な感想だ。

それを最も身体で感じたのは、東急東横線がメトロ副都心線との相互乗り入れを開始した時期だった。長年地元の足として乗車してきた東横線が、一気にバラエティ豊かなメジャー路線に成り上がった雰囲気がして、ちょっぴり寂しく感じた事を思い出す。メトロの電車ならいざ知らず、東武や西武の最新車両まで顔を見せ、我が物顔で東急線を闊歩するのだから、隔世の感は否めなかったわけだ。

ここで掲載する山手貨物線も、現在ではご承知の通り、多くに列車が乗り入れをして、本来の貨物列車は肩身の狭い思いだろうに。しかし移動手段としては、確実に便利になったことは間違いない訳で、過去の路線網など風化してしまうのだろう。

掲載写真は、まだ貨物線としての機能が残っていた時代の山手貨物線をいくEF15の貨物列車。当時は、新宿副都心の高層ビル群が、新しい東京の象徴とされ、何とかそれをバックに撮影出来ないか、線路端を探し回った。今にして思えば、まだ緑が多く、高い建物が少ない事に気が付く。貨物列車に並走した春闘で落書きされた103系山手線も懐かしいが、シャッターのタイミングが最悪で、当時からボツ写真だったもの。まだ駆け出し時代だから、周りまで見回す余裕など皆無だったのだろう。半世紀近く経った今、敢えて見直してみることにした。

1975-05-05     568ㇾ  EF15           山手貨物線:代々木付近


越後中里ループを往くEF16

2019-12-28 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年も残すところ数日となり、もうすぐそこまで新年が迫ってきている。いつもの事ながら、実感はなく、年の瀬特有の気忙しさや、ワクワク感も近年失せてしまった。いつからだろうか、こんなに感じなくなってしまったのは・・やはり学生時代のときめきは懐かしいしまだ憧れる。

幾度となく掲載していた上越線の重連貨物列車。現在と違って、最も撮影ピークだった時期だから画像も多く、同時に思い出も数々思い出されるのだ。掲載写真の越後中里は、当時はよく出向いた撮影地だった。土樽側であり、上下線がセパレートして離れてしまう線形。現在ではあまり写真も見かけなくなったから、現在は撮影など出来なくなったのだろう。中里が撮影地に事欠かない事を知ったのは、もっと後になってからで、比較的駅から近いこちら側で撮影していたようだ。

画像は、連続してやってくる朝の下り貨物列車、EF16+EF15の重連運転。雪解けが進み、天気は良いが当時は不満足だった想いがこの画像から伝わってくる。しかし今見ると早春の雰囲気が伝わり、これも許容してしまうほど、大らかな気持ちになっている。それだけ歳食ったということか・・・

1979-02-13   763ㇾ  EF1631+EF1576         上越線:土樽-越後中里にて


ロクヨン(EF64)たちの集い

2019-12-27 08:00:00 | 鉄道写真(EL)

まだ明けやらぬ松本界隈。出区前のロクヨンが連なっている。

雪こそ積もっていないが、極端に寒い朝。息でメガネが曇る。

この時期は石油輸送もフル運転で、山男たちの集会場といった様相。

新鋭機ブルサンもロクヨンの前では肩身の狭い思いだったのか、隅っこに追いやられていた。

今日も日の出とともに、ロクヨンの熱い一日が始まる。

2006年1月7日  南松本にて