アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

生誕200年を前に変化するブルックナー演奏~レミ・バロー

2022-05-15 19:00:00 | 音楽/芸術
長年、心の友として愛聴してきたブルックナー(1824-1896)ではあるが、ここにきて2年後に迫った生誕200年の記念すべき年を前に、演奏される内容に変化が見られるので記述しておきたい。
アントンKが最近手に入れたCDの中に、レミ・バローの指揮するブルックナーの第4交響曲がある。数年前からブルックナーの交響曲を録音しており、3→8→9→6→5→7→2の順でCDを発売、今回はその最新盤の第4ということだ。日本では、あまりメジャーとは言えぬ指揮者バローではあるが、あのチェリビダッケの愛弟子ということで、アントンKも最初からその演奏に興味を持っているのだ。
演奏内容の変化とは、使用楽譜の選択肢が広がってきているということだ。ブルックナーの交響曲には、いつも付きまとう使用楽譜の問題。没後120数年の歳月の間、研究家が次々と新たな楽譜を出版して世に送り出している。今聴いているバローの第4番も、1888年第三稿・コーストヴェット校訂版とのクレジットがあり、鑑賞してみれば、今まではほとんど演奏されることが無かった第三稿、いわゆる弟子たちによる改訂版の内容に近い。というより、昔一時期狂ったように聴きまくったクナッパーツブッシュのレーヴェ改訂版そのものだった。長年第4交響曲では鑑賞してきたハース版やノヴァーク版とは違い、大幅なカットが散見され、演奏効果を狙った打楽器追加など、明らかに改訂版の匂いがしていて、ブルックナー特有の素朴さは感じられなかった。シンバルが何度も鳴ったり、とって付けたピッチカートなど、あまりに効果を狙いすぎていると感じたのである。
しかし何度も聴き返していくたびに、ここにも新たな発見があり、アントンKにとって全否定する内容ではなく、むしろ新鮮な感覚で面白くなってきたのだ。今回の第4番だけとっても、第一稿(初稿版)、第二稿(ハース版orノヴァーク版)、そして第三稿と4種類の演奏が鑑賞できる時代となった訳で、素直に喜ぶべきことなのだろう。生誕200年を前に恵まれた時代になったものだとつくづく考えているところだ。このレミー・バローという指揮者、演奏するたびに、スケールが増し自分のスタイルが明確になってきたと思うが、全てブルックナーゆかりの教会でのライブ演奏だからか、録音が明瞭でなく残念。但し響きから伝わる雰囲気は最高に良い。昔、目白のカテドラル教会で聴いた響きを思い出させるに十分なのである。またブルックナー研究家でオルガニストであるシャラーに続き、リンツ・ブルックナー管弦楽団の監督マーカス・ポシュナー全稿で全交響曲録音と、新たな企画も目白押しのようで益々楽しみになっている。



相次ぎ発表されるリバイバル特急~485系「はつかり」

2022-05-13 20:00:00 | 鉄道写真(EC)
今年は鉄道開業150年という節目にあたり、この時点で全国的に数々の企画の発表がされている。かろうじて残存している185系電車を使った新幹線リレー号が計画されているようだし、特急「ひばり」、特急「はつかり」の特別運転もあるようで、何時になく活気づいてきた印象を持った。中でも、新幹線E2系電車の200系新幹線塗色化には、当時を彷彿とさせるイメージが湧いてきて、今から楽しみなのだ。
方や、鉄道各社の決算発表が相次ぎ、コロナ不振からか存続の危機とされる多くの路線が明白になった。特に地方ローカル線の衰退は、さらに顕著となりとても不安に思う。今後、日本の鉄道における原風景は、ますます消滅してしまうことを思うと、どこかやり切れなく心がざわついてしまうのだ。
掲載写真は、登場時これが485系?と思うほどショッキングな姿でデビューしたリニューアル車3000番台。新幹線からのリレーで津軽海峡を渡り函館まで走った特急「はつかり」号を掲載しておく。黄色の派手顔に大きく形式がレタリングされているのは、当時見初めだったと思われる。今年運転予定のリバイバル特急も、現在のE653系での運転らしいが、当時を回顧できるような心境を感じられるだろうか。
1999-04-30  485系3000番台 はつかり JR北海道/ 釜谷付近

専用機関車不在の現実を見つめて・・・ED75 711

2022-05-11 20:00:00 | 鉄道写真(EL)
かつてのJR各社には、専用機関車が存在していた。その象徴とも言うべき機関車は、EF5861号機という御召用電気機関車だろうが、国鉄時代とは違って、民営化されて以降は、全国各社それぞれに趣向を凝らした客車列車を持ち、合わせてその編成をけん引する機関車を持っていた。今にして思えば、何とも贅沢な華やかな時代だったのだ。その名残が、現在でも現役機を貫いているEF8195号機のレインボー機、そしてEF651124号機のトワイライトEXP機ということになるだろうか。しかし、ペアを組む客車そのものが引退してしまい、けん引機だけが残っている現実は、かつての栄光を今に引きずっているようでどこか物悲しい。実際には、専用機と言えども、常にペアを組んでいた訳ではなく、一般機が牽くことも多く、だからこそ機関車と客車がマッチしてやってきた時は、心底嬉しかったことを思い出す。
客車そのものがここまで減少した現代で、専用機関車を望むのであれば、やはり年々増加傾向にあるブロックトレインを牽く機関車の専用塗色化だろうか。ブロックトレインとは、トヨタロンパスに始まり、西濃運輸、福山通運と全国を縦断している専用特急コンテナ列車のこと。それぞれの列車に専用機関車が登場すれば(もちろんヘッドマーク装着で)、PR効果は抜群であり、さらに環境問題が重要視されている現代において、鉄道貨物輸送の発展に繋がっていくのではないかと期待してしまう。鉄道路線の存続意義のみがとり正されている現代で、本来の鉄道の底力を見せてほしいと切に願いたいのである。
掲載写真は、仙台地区に所属していた和式客車「オリエントサルーン」を牽く専用のED75711号機。当時はブルートレインとはまた違った魅力に刺激を受けていたアントンKだった。
1993-11-06    9227    ED75711     JR東日本/磐越西線・更科信号所付近

新北陸色?! 消滅でも無関心~413系・475系電車

2022-05-09 19:00:00 | 鉄道写真(EC)
”新北陸色”と言われて全くピンと来なかったアントンK。もちろんJR西日本、北陸線には関わりは今までも少なく、特に民営化後、そして北陸新幹線開通後になってからは、全く縁と遠くなってしまった。今回絵柄を見て、ようやくそんな塗色の電車が走っていたかも、と他人事のように思い出してきた。
とにかく最近感じることは、現時点での鉄道趣味的見地から、自分自身が随分と現実離れしてきたという事だ。機関車でも最近現れた機関車など番号種別などは無知で解らず、電車に至っては一目で〇〇〇系何番台と判別出来なくなってきた。
国鉄時代はこうではなかった!と言ったら、年寄りそのものだが、今ではとにかく車両一つとっても、多種多様に入り乱れ複雑化しているように感じるのだ。先般の189系の記事をとっても、数年の間に外観、用途が編成単位で変更され経過していたことが今更ながら解った始末。同じ様なことが身近に走っている東急線などでも散見でき、把握できていないことに気づかされているのだ。生涯現役を貫くつもりなら、もっと精進しないと継続できない瀬戸際に立たされていると再認識したのである。
話題にした新北陸色の電車の写真を掲載しておく。当時は夏場に北陸の地に出向き、夜行列車の撮影を中心に据えて、昼行特急とともに、大好きだった急行顔である475系などの撮影に興じていた。交直流急行色であるピンク色ではなく、クリーム塗装車が現れた時は、常磐線の415系電車を彷彿とさせたことを思い出す。当時から無関心、今でも無関心。記事にでもしないと闇に葬られる塗色。全く情けないことだ。
1995-08-05      350M 475系・413系 JR西日本/北陸本線:大聖寺付近


三つ目DD51晩年の日々~DD51 745

2022-05-08 16:30:00 | 鉄道写真(DL)
鉄道趣味の世界で、アントンKを長年ご指導下さった先輩が他界して早1年の歳月が過ぎてしまった。国鉄蒸機時代の逸話は、今でも仲間内では鮮明で、おそらく生涯に渡り語り継がれていくのだろう。しばらく会えずにいた所に訃報が舞い込んだから、未だに心から信じられないでいるのが正直なところ。蒸機、ゴハチなど、当時の中心的被写体の渦中で、数えきれないほどの経験をご一緒させて頂いた。こうして彼を思い出すと、どこか身の引き締まる想いが湧いてくるのだ。
今回はそんな想いから、その先輩と同行した時の画像を掲載してみる。まだ磐越物語号の運転前、不定期でSLの運転があった時代のものだ。この時は、秩父にいるC58363を借り入れて磐越西線を走り、列車後部には、これまた当時新潟にいたDD51 745号機が援護していた。ボンネットの真ん中に3つ目のライトを装備しているのは、北海道からやってきたことの証。北海道全てのDD51がこの形態ではないが、だからこそファンにはとても人気があったカマだった。当日は、雨雲が垂れ込め、とにかく暗くて撮影出来ない諦めようかと思うくらいの天候。この画像も露出不足で、ポジをデータ化する際、ブレをごまかしている。

1997-03-08      9236      DD51 745  JR東日本/磐越西線:三川付近