アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

貨物機EF15とオールグリーン車の衝撃!

2020-07-28 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

デッキ付き旧型電機ばかり続けてきたが、今回で一区切り。

当時を思い返してみて、一番印象に残っているのはどのシーンだろうと考えてみた。EF15でくくると、引退まで数々にシーンに出会えたのだが、やはり当時高尾臨と呼ばれた客車をけん引したシーンは、どれも忘れることが出来ない。普段は貨車を黙々と牽くEF15が、ブルーの客車を颯爽と牽いて目の前を通過していく。正月明けのまだ肌寒い晴れた日の思い出深い光景である。普通あり得ない客車をけん引するEF15は、この時ばかりはスター電機に見え、誇らしく思えたものだ。そしてこんな列車の最上級に位置する列車は、今回掲載するロザを牽くEF15だろう。中央線から首都圏管内まで往復した団体列車で、最初運転計画を認知した時には、何しろぶっ飛んだ。スロ81系と言えば、当時アントンKがメインに撮影していた団体臨時列車用の客車たちであり、時間とともにグリーン帯が消されつつあった時代なのだ。幸いにしてこの時点では綺麗に帯は揃っていて大満足だったことを思い出すが、当日の天候が今一つで、カラーポジで残せていないのが残念。多少無理してでもカラーで撮影しておくべきだったと、今さら悔やんでしまうのである。

掲載写真は、現在でも撮影可能な原宿宮廷ホームをバックに撮影したEF15のオールグリーン。この時のシーンを思い出すと、何度か中央線から乗り継いで撮影出来たが、どこも撮影者は少なく、出会ったファンは身内だけという状況。まだファンが少ないのか、はたまたEF15が人気薄なのか判らないが、全てが消滅してしまい、伝えることが出来なくなってしまった現在、こうして自分を振り返りながら、拙ブログでお伝えできることは、ある意味幸せなことかもしれない。

1979-11-17   回9544ㇾ  EF15 45     81系ロザ(沼津)編成  山手貨物線:原宿


EF15定期重連に明け暮れた日々

2020-07-27 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

デッキ付き電機シリーズ、EF14については時代背景が異なりお目にかかることもなかったので、いよいよ真打EF15を掲載したい。

ラストナンバー202号機まで、デッキ付き旧型電機としては大所帯だったEF15だが、両数も多い分、機関車自体の形態も様々で、ちょうどEF58と同じようにとても趣味性の強い電機だった。ただ普段は貨物列車を地味に牽いていた機関車だから、ファンの間でも話題になることは少なく、旅客電機と比較すれば人気が無かったと思われる。

ここでは、僕等が当時熱くなり日々追いかけたEF15の重連貨物列車を懐かしく掲載したいと思う。1978年10月改正で登場したこのEF15重連列車は、八王子区のEF15による回送を兼ねた重連運転であり、中央線~山手貨物線経由で新鶴見までの運転だった。この1978年10月ダイヤ改正は、いわゆる「ゴーサントウ」(昭和53年10月)と鉄道ファンの間では呼ばれた歴史に残るダイヤ改正であり、EF58の重連荷物列車で有名だった、かの荷35列車が消滅したダイヤ改正なのだ。ゴハチの定期重連が無くなり、落胆していた矢先、今度はEF15の定期重連が誕生した訳であり、嫌が上でも仲間内では盛り上がってしまったのである。特定の貨物列車の撮影回数を数えたならば、今でこそ継続している重連貨物列車(8094ㇾ→8097ㇾ)に軍配が上がるだろうが、それまではおそらく一番撮影回数が多い貨物列車だろうと思われる。その中で今回は最も代表的な高架線をいく重連貨物列車と、個人的に思い入れのある三鷹電車区脇を通過する重連列車を掲載しておく。若き青春の群像を見るようで、ただただ懐かしい限りなのだ。

(上)1978-12-27     5472ㇾ    EF1579+61        中央東線:阿佐ヶ谷

(下)1978-12-23     5472ㇾ   EF1554+74         中央東線:武蔵境-三鷹


東海道を行くEF13型 の思い出

2020-07-26 15:00:00 | 国鉄時代(カラー)

デッキ付き旧型電機、今度はEF13型。

前出しのEF10やEF12に比べれば、残された写真は多い。もちろん廃止された年がより後年だったこともあるが、まだ稼働機が多く、比較的よく出掛けていた中央線沿線での貨物運用があったため、鉄チャン初期の段階から出会える機会があった。これは八王子機関区所属のEF13がまだ活躍していたことに他ならない。オレンジの101系や103系に混じって、時折姿を見せる茶色の旧型機EF13は異彩を放っていた。しかし、この当時を思い返してみると、彼等旧型電機は、鉄道ファンにはあまり人気が無く、電機ならEF58や、EF65のブルトレの時代だったように思う。

ここで掲載するのはEF13だが、当時所属していた新鶴見区、八王子区ともに独自の運用は持たず、いずれもEF15と共通運用だった。当然ながら圧倒的勢力を誇っていたEF15に出会う機会の方が多く、撮影コマ数でいったらEF15の方が断然多くなる。機関区に問い合わせをして撮影に行ったことはなく、いつも一期一会のチャンスだから、常に気合が入り、緊張していた若き時代を思い出してしまった。いつ出会えるか判らないから、おのずと構図は単調になり、コレクションとしては詰まらない画像ばかりだ。もう少ししぶとく、何にでも集中して取り組むべきだったと、こんな画像から考えさせられる。東海道貨物線をいくEF13の貨物列車。横浜羽沢貨物駅が出来るずっと前の写真であり、現在では横須賀線として存続している線路だ。Hゴムなしの窓で原型を保ったEF13 6が登場。今ではコンテナばかりで単調だが、貨車もバラエティに富み楽しかった思い出が蘇った。

1976-03-06   1977ㇾ  EF13 6   東海道貨物線:保土ヶ谷-戸塚


首都圏では希少に思えたEF12

2020-07-24 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

首都圏での旧型電機を続けている。EF10に始まり、次のEF11には間に合わず撮影は出来ていない。当時、八王子に数量まとまっていた覚えがあるが、カメラを持ち出す頃には休車状態であり、わざわざボロになった機体を撮影する気持ちにはなれなかった。今でもそうだが、廃車待ちのような哀れな姿をカメラには納めたくはないと思っているからだ。やはり電気機関車は、パンタグラフを上げてモーターが作動してナンボの世界。一番自然な美しい姿で残してやりたいと思うのである。

そしてEF12型電機。この形式は、首都圏の新鶴見区以外に高崎第二区にも配置されていて、両毛線、吾妻線に出向けばいつでも会える状況だった。年代からして、北関東での活躍ぶりは随分カメラに収めることができた。特に印象に残るのは、吾妻線を往く団体列車で、普段は貨物に従事しているEF12が、お座敷や12系客車を牽く姿には興奮を覚えたものだ。今回は、偶然にも都内で撮影できたEF12の貨物列車。当時は山貨の北行は赤羽の先で撮影することが多く、今では考えられない場所での記録が多く残っているが、これはどういう訳か、ホーム先端からシャッターを切っている。本線の出発信号機が目の前に鎮座し、とても見られたものではないが、これが赤羽かと思えるほどのうっそうとした背景の森や、鉄道施設が懐かしく、EF10の時代と合わせて特別に掲載させて頂く。EF10 の記事でも触れたが、EF10・12・13・15と共通運用で、当時は中々捕まえられず苦労した思いが残っている。貨物列車の本数も現在とは比較にならず、しばらく待てば、何かしらの貨物列車が現れた時代。本線でも東北・上信越線の優等列車が引っ切り無しに通り、どれにカメラを向けて良いか迷うほど。鉄道全盛期真っ只中の世界だったのだ。

1976-08-06   3488ㇾ   EF12 8    東北本線:赤羽にて


山貨で最後の活躍をするEF10

2020-07-23 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

前出の身延線と前後してしまうが、同時期の画像を続けてしまおう。当時は、首都圏でもデッキ付きの電機は珍しいことはなく、縦横無尽に走っていた感覚だったが、ことEF10に限定すると、都内近郊では豆に動かないと出会えない、そんな印象だった。それは他形式と共通運用であるためで、事前に調査することもなく、運を天に任せた撮影だったことを思い出している。当時、EF10の運用を事前に調査して撮影していたファンがどのくらいいらしたのかは判らないが、調べて撮影するまで、EF10という電機はそこまで目立たず、ファンには人気が無かったと思われる。現代なら、機関車形式の機番指定で狙っているファンも存在するのだから、世の中変わったものだ。

掲載写真は、山手貨物線をいくEF10 34の牽く貨物列車。デッキ左右のステップが白に塗られているのが、共通した東京区の機関車の証。EF15と共通運用だったから、現れるまで何が来るか判らない。今では考えられないくらいの期待感を以って、ずっと列車を待ち続ける快感は、とうに忘れかけている。いまだHゴム化されず原型の窓のEF10が現れた時は、気持ちが高ぶったものだ。後方に103系山手線でも入ればさらに良かった何て、当時は、贅沢を言ったものだった。

1976-08-06  1690ㇾ  EF10 34     山手貨物線:田端-駒込