今回は読響の定期演奏会に出向いてきた。シモーネヤングがR.シュトラウスをやるというので以前から狙っていた演奏会だ。
昔はブルックナーに限らず、大所帯のオケを要する楽曲の実演に触れることは珍しかったため、そういった演目があると、可能な限りホールに出向いて聴いたもの。それは学生時代に聴いたブルックナーの演奏会で新たな発見に気づかされ、それ以来考え方が変わったと言って過言ではない。今回のアルプス交響曲もその楽曲の一つに数えられる難曲なのだ。朝比奈隆が現役の時代に一度だけ実演に触れることができたが、ご本人も大好きな楽曲と見え、大きな景色が目の前に広がるスケールの大きな演奏だったことを今でもはっきりと思い出す。
このアルプス交響曲にも、名盤とされるレコードは数々あり、ケンペやベームなど色々と聴き込んだものだが、その後のカラヤン/BPOの演奏に納得させられ、流石にカラヤンは凄いと感じたのもつかの間、その後初めて実演に触れて、あまりの聴こえ方の相違に愕然としたのも懐かしい出来事だ。ここでは多くは触れないが、それほど大仕掛けの楽曲であり、実演でも会場によったり座席位置でも印象は大きく変わるはずだ。
さて今回のヤングのアルペンであるが、色彩感の際立った良い演奏だったと言えるだろう。アントンKの好みからすれば、まだまだ上の演奏は存在し、それを打ち破るまでにはいかなかったものの、早めのテンポで朗々と歌うパッセージに心ときめいたことも事実である。座席が最前列だったこともあり、特に弦楽器群の熱演は凄まじいものだったが、指揮者ヤングの大ぶりな指揮にオケが全力でついていく様は、まさに息を飲み聴衆にも緊張が伝わってきた。特に「氷河」~「頂点」へ至る音色の充実、そして「嵐」のあとの「下山」から「日没」の暖かい密度の濃いハーモニーには、目頭が熱くなる。歌劇場で研鑚を積んでいるヤングにとって、メロディの歌わせ方はお手の物なのだろう。そこここに歌が生きていたのだった。
アントンKにとって、このアルプス交響曲は好きな楽曲の一つだが、基本的にこういった表題音楽はあまり好まない。音楽から来るイメージの幅が極端に狭まり、自由度が無くなってしまうからだ。今回の演奏でも、登頂していく部分、そしてその経過部や日がだんだんと陰っていく部分で、アントンKとは違ったイメージの音楽が鳴った。しかしこれは、そもそも表題から来る自分の印象であり、演奏そのものは素晴らしいものだったと思うのだ。
そして今回は、何と言っても読響の素晴らしい演奏に触れない訳にはいかないだろう。ヤングの棒にどこまでもついていったオケの実力は相当なものだと確信できた。弦楽器の均一感のある密度の濃い音色。低音部の深い充実感。木管群の郷愁漂う響き、打楽器群の雄弁さ、そして何と言っても金管楽器群の美音と主張。どこをとっても今までの日本のオケでは最上級クラスのものだったと断言しておく。つまりこれは、海外の一流オケとも引けを取らないことを意味している。まあこれが信じらないというのなら、一度自分の耳で確かめることを勧めておきたい。
なお演奏会前半のプロコフィエフも、とんでもなく強烈な演奏だった。この件は長くなるので別の稿とさせて頂く。
2017-06-24
読売日本交響楽団 第569回 定期演奏会
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 OP26
R.シュトラウス アルプス交響曲 OP64
(アンコール)
チャイコフスキー
「6つの小品」よりノクターン
シモーネ・ヤング指揮
ベフゾド・アブドゥライモワ (P)
東京芸術劇場コンサートホール