アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

急行「津軽」に魅せられて・・EF58

2020-06-30 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

客車急行全盛の時代から10系客車が好きで、将来は模型で編成を組んで楽しみたいと思いつつ数十年が過ぎてしまった。アントンKが鉄道撮影を始めた時代(1976年以降)、全国の10系客車は徐々に減少していった。今見返すと、全く大した記録も出来ず誠に残念至極だが、上野駅地上ホームにずらりと並んだ10系寝台車の独特の雰囲気は今でも忘れることは無い。何回かの乗車も叶ったが、その時は乗るより撮る方が良かった記憶が残っている。当時客車不足だったのか、10系寝台を連ねた東海道線の団臨を何度か見かけた記憶もあり、まだスタイルの綺麗なEF58が日中堂々と走る姿は目に焼き付いている。

さてここでは、比較的最後まで残った10系寝台車を編成に組んだ急行「津軽」を掲載しておく。かなりいい加減な画像で情けないが、この時普通座席車が12系化しているのを見てがく然とした記憶が蘇る。それでも機関車の次位からマニ+スロ62+オロネ10+スハネ16と続く編成美は大好きで、その後も何度か撮影に出ている。栗橋の大カーブを往く急行「津軽4号」。冬の日差しを車体一杯に受け東上する姿は、華やかなブルトレとは、また一味違う渋い編成美であり、どこか郷愁を感じる美しさだ。

1978-12-30   406ㇾ  EF5870 津軽4号  東北本線:古河-栗橋


特急列車 快走~485系「つばさ」

2020-06-29 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

昔、「電気機関車 快走」という鉄道撮影ガイドブックがあった。もちろん国鉄時代のもので、全国各地の華やかな特急列車のカラーページが巻頭にあり、続いてモノクロページで、具体的な撮影地ガイドブックが載っていたと記憶している。まだ当時、撮影駆け出しのアントンKには、どれも刺激的なガイドばかりで、食い入るように毎日その本を開き、ついにはボロボロになるまで読んだ思い出がある。確か巻末には、1時間目の列車ダイヤグラムが付いていて、何度もコピーしては撮影計画を立て想いに浸ったものだった。現代にはそんな思いが残る印刷物はあるのだろうか・・・。あるはずがない。今や撮影直後、SNSに画像が上がり、それを見た他力本願とも言えるファンが、その画像を頼りに現場に出向く有様。何とも気忙しい時代なのだ。こんな撮影ガイドなど無用の長物と化してしまっている現状が理解できるのである。これも時代の流れ、新たな楽しみ方を模索するしかなさそうだ。もっともこのガイドブックは、1980年代の話だから、かれこれ40年も前のこと。全てが変わって当たり前なのである。

さて、せっかく当時を思い出したので、あの時代の写真を探して掲載しておく。上記に書いた「電気機関車 快走」の続き、シリーズで「特急列車 快走」という特急電車版の撮影ガイドブックも刊行され重宝したものだが、こんなガイドを横目で見ながら撮影に出かけた東北特急電車の思い出深い習作画像を出してしまおう。ペンタックス67を導入して間もない時期ながら、当時の35㎜カメラニコマートFT2にて「追い撮り流し」に徹底していた時代。もちろん列車が前から来る、いわゆる「流し撮り」も未熟で、どう撮りたいのか定まっていない時期だが、過ぎ去る最後尾を写し留めることに集中して繰り返していたものだ。結果的に流れ方が気に入らず、何より「後追い」という、鉄道写真の中ではランクが一段下がる撮影になってしまうため、以降この「追い撮り流し」は封印している。

画像は、そんな練習を繰り返していた時代のもの。マニュアルフォーカスの1枚切りのカメラだから、どうしても画像バランスが悪く、特にアントンKの場合、列車と画面との隙間バランスが少なすぎる癖があり、現像するまで気が気ではなかった思い出が蘇るのだ。

1978-12-30         1043M つばさ3号  Tc481      東北本線:栗橋-古河


人気カマも朝露に濡れて・・~EF66 27

2020-06-26 13:00:00 | 鉄道写真(EL)

孤軍奮闘のEF66が今日も走っている。我等がスターEF66 27だ。若者から「ニーナ」などと愛称をもらい、日夜東奔西走を繰り返している。アントンKはと言えば、若者たちに交じって撮影に・・とは決して思わないが、こう運転情報だけが飛び交うと、何かと絡めて撮影したくなるのが、鉄チャンの定のようなもの。いつも気には留めている。

EF66という電機自体は、マイナーチェンジされた100番台を含めてまだ30数両の世帯をもち、未だ貨物列車の要の電機として活躍している現状だが、いよいよ今後動きが出てきそうな気配を感じている。そんな中、唯一の0番台であるこの27号機は、貴重というより希少なのだろう。この機関車が通る時間には、沿線の撮影地ではブルトレけん引時代を知らないようなお若いファンで埋め尽くされてしまうのだ。しかし、目的の機関車が通過していくと、スマホ片手に、耳にはイヤホン姿で、さっさと立ち去っていくような誠にスマートなスタンスなのである。その行動からは、憧れや深い思いや熱さは感じられず、ブームに乗っただけの浅はかなもののように感じてしまうのだ。アントンKが彼等の世代の頃とは、まるで違うことに少し寂しさを感じる場面が最近増えているように感じている。

毎日のように出向いている川崎界隈にも、この人気者がよく顔を出してくれる。とても頼もしい気持ちとともにカメラを向ける。縫うように走る短絡線でニーナを狙う。しとしとと降り続く梅雨空の中、綺麗に咲き誇る紫陽花がニーナを出迎えた。

2020-06   EF6627           JR東日本/尻手短絡線にて

 


DD51重連「北斗星」の衝撃!

2020-06-24 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

国鉄が分割民営化されてから生まれた列車は、多々存在しているが、アントンKにとって当時とてもショッキングな思い出の列車は、DD51が重連で走る「北斗星」だった。関東人であるアントンKは、凸型ディーゼル機関車といえば、入れ替えに従事している地味な機関車をイメージしてしまい、当時の八高の重連貨物列車でさえ驚愕には値しなかった。が、ヘッドマークを掲げ、全開で北海道の大地を揺るがすかのごとく突っ走る姿を初めて見た時、「これは凄い!」と心が熱くなったことを今でも思い出せる。それまで見たことが無かったブルーのDD51も、ひと際締って見えて重厚でカッコ良いのだ。

初めて撮影が叶ったのは1989年のことだから、すでに30年以上の時間が流れてしまったが、ファーストインプレッションの衝撃ははっきりと脳裏に刻まれている。この時の渡道は、メインがC62ニセコ号として渡道したのだが、あまりにもブルトレ「北斗星」が魅力的に思えてしまい、予定変更、毎月渡道して陸の王者C62とブルトレ「北斗星」を全力で追ってしまった。

確かにアントンKの経験上だが、鉄道写真の被写体の中で、「御召列車」と並んで「C62ニセコ号」は、最高の被写体だったといまだに思える。こんな列車とDD51重連のブルトレ「北斗星」とを両方狙えるなんて、とんでもなく贅沢な時間だったと今更ながら考えているのだ。

掲載写真は、初めて衝撃を受けた時のDD51重連の「北斗星」。もちろんデジタルカメラではなくカラーポジフィルムで撮影している。この時、今のようなデジカメがあれば、C62もデジタル撮影出来た訳で、そう思うと機材の進歩とともに、趣味の世界も広がりを見せるものだということが理解できる。噴火湾からの朝霧が濃く、とても暗い中、重低音を響かせながら突進してくる重連のDD51は、独特の雰囲気があり魅力的だった。

1989-06-03   5ㇾ  DD511054  北斗星5号  JR北海道/室蘭本線:豊浦付近


東北特急の誇り「ひばり」~485系ボンネット

2020-06-23 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

東北新幹線開業前の東北本線は、今考えてもまさに電車特急街道だった。ざっと思い出しても、上野を毎時「ひばり」が発車していき、これを追う形で「やまびこ」「はつかり」「やまばと」「つばさ」たちが入れ替わり立ち代わり姿を現す。この時代から存在感が大きかった583系電車も、「はつかり」そして時に「ひばり」でもその雄姿が見られ興奮したが、もちろん主役は485系特急電車だった。ひとくくりに485系と言っても、当時はボンネットから1500番代まで姿を見せていて、なかなか見ごたえがあった。アントンKのお好みは、やはり姿がひと際美しいボンネット型。181系電車と同じく、国鉄特急電車の象徴として最も記憶に残っている電車だろう。

そんな思い出の中から今回は、大宮駅で撮影した485系ボンネット型電車。やはり絵入りマークよりシンプルな文字のみのヘッドマークは、気品がありゴージャスに映る。実際この列車は、東大宮までの回送列車で、乗客はなく運転停車中。この時のメインは、この後続々とやってくる夜行列車群の撮影だったようだ。

1981-08-29  回1076M     Tc481x12      東北本線:大宮駅