アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

娘が母になった日・・

2016-04-30 15:00:59 | 日記

時間に追われて日々過ごしている身で、我に帰る間もなかなかない昨今・・・

年齢を重ねるたびに時の流れの早さを痛感する。

趣味活動のなかでは、この春のダイヤ改正や、気に入った演奏家の実演に触れることで、その時の流れを普段は感じることが多ったが、ふと身近にもっと目をやると、自分の家族を見ればいつでも感じることができたことなのだ。そのことに気づかないで、ただただその日暮らしに徹していた自分自身がどこか情けなく思う。

こんなアントンKでも、娘たちが幼いころは、家族の時間を大切にして一緒によく遊んだもの。小さな手の感触や温もりは、いまだによく覚えていると言っていい。こういう写真やビデオでは伝わらないことが、将来の心の糧となっていくのだろうか。

成長につれて、自分の知らない娘へと変わってしまったことに、一抹の寂しさを覚えたのも随分昔のことになってしまった・・・

病院・・・

出来れば避けて通りたい場所。しかし今回は少し違っていた。

辛い想いが続いた場所のはずが、明るい光に満ちているように感じる。

こんなに「生」ということを改めて意識し考えたこともなかったのでは?

また「死」ということも同時に感じたことも書き記しておきたい。

娘が母になった日、アントンKは爺になった・・・

(2016-04-27  06:17 記)


最近のブルックナー鑑賞

2016-04-29 21:00:32 | 音楽/芸術

しばらく多忙につき間ができてしまった。ご訪問頂いた方々には大変申し訳なく思っている。これに懲りず今後ともお付き合い頂ければ有難く思う。

PCに向かう気持ちも余裕も無くなった日々でも、ブルックナーの演奏会は、わが心の泉となり、まるで喉の渇きを潤すように通っている。書き溜めていた内容なので、時間的には、少しかい離してしまったが、このまま載せておく。

 

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今年も早三月も半ば、関東では桜の開花が気になる季節に代わっているが、この3カ月余りで今年の場合、特にブルックナーの第8の演奏会に恵まれた。以前に記事にもしたアマオケながら坂入氏の演奏会、そして「極致のブルックナー」と銘打ったスクロヴァチャフスキの2回の特別演奏会。そして今月、井上道義氏の「いざ、鎌倉シリーズ」のラストを飾り、これまた第8番の満を持っての演奏会だ。

この短期間に計4回もの第8に恵まれたことは、アントンKにとってもちょっとした衝撃だった。長年コンサートを聴きながら、ここまで第8が集中したことは無かったのではないか。これに、あのバレンボイムの全曲演奏会の2回(サントリーHとミューザ川崎)の第8を加えたら新記録達成だろうが・・・バレンボイムの演奏会は、最後の最後まで行くかどうか迷っていたが、結局行かずじまい。しかしそれで正解だと思っている。バレンボイムの第8は、かつてシカゴ響来日時に聴いて憤慨したイメージがいまだに脳裏に残り、その力づくの演奏は、自分の求めるものとはかい離していた。今回のチクルスなら、むしろ第5や、第3、そして第9が気になっていた。

(アントンKは、ブルックナーの交響曲では、どれか一つと言われたら、第7や第5ではなくやはり第8を取る。次は第3かもしれない。それぞれの楽曲に思い入れが多々あるので、一概には言えないが、多分そんな質問の答えは、その時々で変わるのだろうと思う。)

ここでそれぞれの演奏会について書き記しておくべきなのだろうが、ずいぶんと時間が経ってしまいタイミングが合わなかったので、印象的な部分を少しだけ列記しておきたい。

アントンKの中では、やはり後世に伝え継がれる演奏会として1月のスクロヴァチャフスキの2日間の特別演奏会を上げておきたい。「極致のブルックナー」と銘打たれたこの演奏会。やはり印象的なのは、アダージョ楽章だった(第3楽章)。少なくともこの日の演奏は、人間界から逸脱した響きの世界に満ち溢れていた。今まで何度も聴いてきた楽曲であるにもかかわらず、新しい瞬間がそこここに溢れていて、深遠な音楽に身をおくことができたことは、本当に幸せだったと思う。演奏時間が速いとか遅いとか、そういった表向きの印象とは違い、アントンKには時間的空間からの意識は無くなっていた。すべてが終わって我に返ったとき、初めてその感覚が芽生えることを悟っていた。ここまで精神性の高い演奏は、今まで無かったのではないかと思わせるほど、内容が詰まっていたように今でも感じている。確かに指揮者スクロヴァチャフスキは、今年92歳。その年齢から次の来日は?といった、言わば不謹慎な想いが会場にあったことは認めたい。しかし我々ファンに渾身の演奏を披露しているスクロヴァチャフスキの姿は、力強くブルックナー愛に満ち満ちていた。クライマックスでシンバルが鳴り、コーダに差し掛かる部分から終結部までの何という体験だろうか。これは絶対に録音では伝わらない。今そこで生まれた音楽に身を置くことでしか解らないことなのだ。そういった会場の雰囲気に堪え切れず涙が頬をつたったが、心を無垢にした境地では、何の恥じらいも無い。CD録音でもブルックナーは評判の高いスクロヴァチャフスキだが、実演奏は遥かに桁違いだと断言しておく。

それに比較すると、井上道義の演奏はまだ若い。

決して「若い」と言って、否定しているわけではない。むしろトータルでみれば、アントンKにとってはこちらの方が好みの演奏内容であった。今思い出しても決定的なのは終楽章だろう。出の弦楽器の解釈は、まるでアルノンクール。一つ一つの装飾音符の扱いが個性的であり、かつテンポが師と仰ぐチェリビダッケ張りだから、その表現も圧倒的だ。しかしアントンKが一番気に入っている部分は、展開部からの終結に至るまでの大きさ、深さだ。こうして文字にしてしまうと、駄文のため自分の思いをうまく表現できず歯がゆいところだが、個々に解説することなどナンセンス。こうして思いだしても、また聴きたくなってしまうのだ。これは、井上氏自身が大病を患い、それを見事に克服した境地を得て初めて到達した領域なのだろう。かつての井上道義には感じなかった音楽表現だといっておきたい。この時のNHK響も凄い。時に保守的なN響も、この日は井上の指揮の下、全快の演奏でやはり日本のオケにN響在り、と言わしめていた気がしている。

井上のブルックナー、次回は関西で第1を聴く。この大フィルとのシリーズもそろそろ中盤に差し掛かり、オケと指揮者との呼吸もハマってきているはず。今から期待して待つことにしたい。