アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

今をときめくスター機関車その昔~EF65PF

2021-08-27 23:00:00 | 国鉄時代(カラー)

アントンKの拙いブログも、懐古趣味化した古い画像ばかりになってしまった。昨今の時世から、なかなか演奏会にも出歩けず、音楽に関する内容も減ってしまっている。本当は、こんな今だからこそCD鑑賞の感想などを書き綴っておきたく、書き溜めているものがあるが、どうまとめてブログに掲載していいか後回しになっている。そのうち載せていきたいが、そのうちと言っていて、忘れ去られることも多々あるのでご勘弁・・・

鉄道写真も、昨今撮影していない訳ではない。ライフワークとして川崎界隈には回数は減りつつも出向いているし、それなりに楽しんでいる現状だ。演奏会は、現状は新シーズンへのはざ間でいよいよ来月から定演も開始されるはず。こんな時世だからこそ、足を運び生演奏で本来の音楽の大きさを感じ心に潤いを与えたいと思っているのだ。

さてその川崎界隈でも、お若いファンが圧倒的に増えるのは、人気あるスター機関車がお目見えする時だ。新鶴見区でも今や唯一の元広島更新色である2127号機もその1台で、唯一無二というところがファンの心をくすぐるのかも。貫通扉の色からか「カラシ」と呼ばれ、機関車ファンの心を鷲づかみしている。

アントンKからは、その「カラシ」の国鉄時代の古い画像を掲載。当然ながら65PF型は1000番代の機関車で、やはり今の2000番代よりどこかしっくりくることも事実。約40年前、将来まさかこんな人気カマになるなんて想像出来ないのは、当たり前のことだったのだ。

1983-05-22   12ㇾ   EF651127  あさかぜ2号  東海道本線:早川付近

 


風光明媚な磐越西線へ~DD51

2021-08-25 20:00:00 | 鉄道写真(DL)

8月も下旬になると、随分と日の入りが早いと感じるようになってきた。そろそろ秋の気配と言いたいところだが、日中はまだとんでもなく暑く過酷な日常なのだ。特にマスク装着での外出は、ただでさえ閉口するが、こう暑いと耐えがたいのである。9月を迎え、秋色を感じに遠出したい気持ちに駆られるが、現在の感染状況を考えると、それも気が重い。確か夏には、感染が少し収まるのでは?と春先聞いた覚えがあるが、あれはいったい何だったのか!ワクチン接種が進むとは言え、これからの季節を考えるとさらに不安になってしまうのだ。

この秋には、大好きな磐西へ行きたかった。昔から何かと縁があり、よく通っていた時期もあったが、最近ではご無沙汰と成り、そんなこんなで何もかも心晴れずにいる、アントンKの悶々とした気持ちを吹き飛ばすような、自然美、原風景をじっくり楽しみたいのだ。蒸機中心を狙うのも良いが、飯豊連峰に積雪がある頃の、山深い紅葉の美しさと光の神々しさは、何処にも負けていない。頭に描くだけで、心落ち着きほっと出来る気持ちになれるのだ。

そんな気持ちから、昔撮影した磐越西線での1コマを掲載しておく。まだ世の中に活気がある時代、磐西にも毎週のように団体列車の運転があった頃、アントンKもよく出向いて撮影を楽しんでいた。当時の人気機関車DD51の745号機の牽く、12系新潟お座敷列車。ボンネットの上に1灯追加され、前照灯3灯は北海道出身の証。最後まで孤軍奮闘していた745号機は、磐西の地にベストマッチだったと思っている。

1993-11-07  9224ㇾ    DD51 745  12系座敷ニイ     JR東日本/磐越西線:上野尻-徳沢

 


孫と出掛けた鉄道博物館にて~EF15

2021-08-23 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

夏休みを使って大宮の鉄道博物館へ足を運んできた。

むろん最近富に鉄道好きになった(ってしまった!)孫連れではあるが、残暑まだ厳しい夏の1日を楽しんできた。今回はリクエストもあり、行きは東京からE4系新幹線に乗車。帰りはE5系で乗り鉄を楽しんだが、どちらも孫にとっては初体験となり、興奮した気持ちを抑えるのが一苦労。たった30分の列車旅だったが、この日一番の思い出になったのではないか。この夏は、東急に始まり、小田急、京急と鉄道博物館を廻ったが、やはりここ大宮の鉄博は一番スケールが大きく、実物の車両たちも充実しているので、とても1日ではゆっくりとは回れない。アントンK自身、懐かしい車両たちに久しぶりに会い、現役当時の気持ちに自然と還っていた気がしている。孫の代までこれらの車両が保存されていて、とても熱い気持ちになってしまった。

久しぶりに下車した大宮駅の変貌にも唖然とさせられた。いまだ親戚があるとはいえ、自動車で動くことがほとんどとなり、昔のように大宮で乗り継ぐことが激減したため、その変わりように絶句したのだ。もっとも、今ではどこの駅にも言えることだが、個性的で際立つものは無くなり、どの駅も同じ印象なのは、少し寂しい気がしている。テレコやカメラをもって1日中ホームをうろついていた時代を知っているからなおさらなのだ。

1978-09-20  2660ㇾ  EF15124     東北本線:大宮駅


元東京区のEF65PF引退に想う~EF65 1104

2021-08-21 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今週、田端区所属のEF651104が引退したとネットを賑わしている。近年事業用列車でしか仕業を持たない彼等にとって、新製配置されたキヤE195系の進出は、致命的な打撃だったのか。今後田端区に在籍している電気機関車たちも同じ運命だと思われ、ここ数年でまた大きく動きがあるのだろう。昭和時代、いや国鉄時代はますます遠くなってしまった。

SNSを覗いていると、各々思い出深い同機の画像が所狭しと閲覧できる。その中心は、ブルトレを知らないお若い世代だと推測できるが、ここ10年くらいの懐かしい画像を見ることが出来て、とても刺激を受けた。アントンK個人としては、PF1104号機と言われても、元東京区の65PF としての意識しかなく、今までも特別な想いは皆無だった。EF65P型からPF型へとブルトレけん引機が代わり、その当時から撮影していたのなら、それも当たり前の事に思える。言ってしまえば、1104号機だろうと、あの時増備された65PFはどれも同じに見えていた。ただ、新製間もない綺麗な電機がヘッドマークを掲げて走るブルトレの姿は、今思い出しても良い被写体だったのだ。もっともあの時代には、まだEF58が現役で、個性豊かなゴハチの機体に目がいくのは、自然な成り行きだろう。どうしてもEF65PFは二番手となってしまっていた。その65PFたちも、今では随分数を減らし今後の展開が気にかかる。

掲載写真は、EF651104けん引の6ㇾ「みずほ」。今回皆さんの画像を見ながら、自身で撮影したEF651104号機の画像を探ってみた。当然のことかもしれないが、近年の画像より、東京区時代の画像の方が圧倒的に多かったのは、現状怠けている証拠かも。想いを新たにした良いきっかけとなった。

1981-07-25  6ㇾ  EF65 1104 みずほ  東海道本線:袋井-掛川

 


ゴハチ団臨の象徴「お座敷」を追って~EF58

2021-08-18 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

一番撮影したかったハネを連ねた団体臨時列車は、とうとうまともに撮影出来ずに終焉を迎え、次なるターゲットは、まだ全国に配置されていたスロ62系のグリーン車やお座敷車たちへと移行していった。しかし、そんな想いもつかの間、あれよあれよという間に客車のグリーン帯が消されていく。何というタイミングだろうか。客車に限らず、この頃電車においてもグリーン帯が消えていった時代だったのだ。

たとえ東海道や横須賀線のグリーン車でさえ、帯があると無いとでは、編成美からしても雲泥の差。乗客になったとしても帯が無ければ、今一歩優越感に浸れなかったのではないか。そう思わせるほど、アントンKには、ある意味このグリーン帯は憧れだった。

掲載写真は、福井のお座敷編成をけん引する、長岡区のEF58106号機。まだ運よくグリーン帯が綺麗に6両とも揃っていて感無量だったことを思い出している。アントンKにとって、ゴハチの団臨は、こういったお座敷編成を牽く姿が最も象徴的な画像として未だ脳裏に残っているのだ。高崎線の旧神流川橋梁も懐かしく思える。

1979-03-01  8701ㇾ   EF58106 金フイ座敷  高崎線:神保原-新町