「好天に誘われて江戸東京たてもの園(その1)」のつづきです。
きのうの記事「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・最終回)」に桂昌院の実家の家紋「繋ぎ九つ目結」を登場させましたが、この記事は「隅立て四つ目結」紋から始めましょう。
江戸東京たてもの園のとある建物の玄関ホールにある天井灯です。
この天井灯の美しいガラスのボールは、かのルネ・ラリックの作品だとか。
アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の作品を調度に使える人といえば、、、
そう、この天井灯は「日本の近代史に三井財閥として名を残した三井同族11家の総領家、三井八郎右衛門高公(たかきみ)」氏の第二次世界大戦後の邸宅」のものです。
三井家の家紋が、お馴染みの「丸に井桁三」ではなく「隅立て四つ目結」であることは、2年前の記事「井桁と菱を調べてみた話」で書いたとおりでありまして(この記事には今も地道なアクセスが継続しています)、
「知る人ぞ知る」感じの三井家の「隅立て四つ目結」紋ですが、三井八郎右衛門邸の仏壇(幅1間半)には、大々的にフィーチャーされておりました。
なお、仏壇のある仏間は、その宗教的性格上なのか、撮影禁止です。
さて、前回は外観だけ拝見した三井八郎右衛門邸、今回はじっくりと内部を拝見させていただきました。
そうだ 前回の訪問時に気づかなかったけれど、鬼瓦にも「隅立て四つ目結」紋がありました
さて、この建物は、「江戸東京たてもの園 解説本」によれば、
1906年(明治39)年以降の本邸であった今井町(現、港区)の邸宅が戦災により焼失したために、財閥解体を経た1952年(昭和27)に麻布笄町(現、港区西麻布3丁目)に新しく本邸を建築した。
というものなのですが、ゼロから出発したわけではなくて、
西麻布は、京都油小路・神奈川県大磯・世田谷用賀・今井町にあった三井家に関連する各施設から建築部材、石材、植物などがあつめられて建てられている。このため、邸内からは財閥が繁栄していた頃の男爵三井家の威勢をうかがうことができる。
だとか。
さすがは日本を代表する財閥の総領家ですなぁ。
ところで、蔵の中の展示物(撮影禁止)の一つに、今井町のお屋敷の平面図があったのですが、それが、街のブロック一つか二つを独り占めするような広大さで、ほとんど「大名屋敷」。いやいや、能舞台があるは、国宝の茶室「如庵」はあるはで、そんじょそこいらの大名はひれ伏すしかありません
それが、
豪華絢爛たる今井町邸も昭和20年(1945)5月25日の空襲により、蔵の一部を残して焼け落ちてしまう。美術品や書類も大部分が失われた。(三井広報委員会のサイトより)
なんともったいないこと…
ただ、幸いなことに茶室「如庵」は、1937年から5年がかりで大磯に移築されて空襲の難を逃れ、その後、名古屋鉄道に売却されて、今は犬山市に現存しています(如庵の見聞録はこちら)。
そうそう、私が三井八郎右衛門邸を見学しているとき、同じタイミングで小学生くらいの男の子を連れたお父さんも見学していまして、お子さんに「あささんのお父さんの家」と説明していましたが、それは違う
NHKの朝ドラ「あさが来た」の主人公、白岡あさのモデルになった広岡浅子さんは、三井総領家ではなく、三井同族11家の一つ、「小石川三井家」の出でいらっしゃいます。
でも、言い出せなかった…
さて、三井八郎右衛門邸の2階は、御当主夫妻のプライベートゾーンになっていまして、寝室2部屋と仏間がありました。
屋敷の主、三井高公さん(三井総領家の当主は代々「三井八郎右衛門」を名乗る)はちょいとユニークな方だったようで、純和風といってもよいこのお屋敷の中では外履きで通していたのだとか。ちなみに、他の家族や使用人たちは、玄関で履き物を脱いで、普通に暮らしていたそうです。私なんぞは、靴どころか靴下も脱がないと寛げないもので、高公さんの感覚が信じられません。
もうひとつ、高公さんの寝室を見て気づくかもしれませんが、
どうしてなのでしょうかねぇ
もしかすると、仏間に足を向けて寝るのを嫌ったのかも…
それにしても、ご当主の寝室は(奥様の寝室も)、意外にも質素でした(6畳間)。
ところが、2階の仏間の前の廊下には、、
なんとも見事な、っつうか、場にそぐわない感じのChandelier
もともと、このシャンデリアは、第一国立銀行(みずほFGの前身)にあったものだそうで、三井家の大磯邸を経て、笄町の三井邸にやって来た由。
三井家と銀行といえば、旧三井銀行(現・三井住友FG)を連想しますが、元を辿れば、第一国立銀行は、三井組と小野組の合弁だったんですな。
その主導権を握れないこと(第一国立銀行の初代頭取は元大蔵官僚の渋沢栄一)に業を煮やしたのか、三井独自に設立したのが三井銀行だったということらしい。(下の写真は、当初三井銀行の本店が置かれた三井本館:現三井住友銀行日本橋支店)
「国立銀行」については、こちらのサイトが判りやすくて、そしてトリビアたっぷり
三井八郎右衛門邸の内部を拝見して、もっとも衝撃的だったのは「台所」でした。
なに、これ
毎晩、晩餐会を開催していたのではないかと思うほどの、立派かつ広大なキッチンです
ここで調理され、配膳された食事が供された食堂はといいますと、
和風のお座敷にカーペットが敷き詰められ、テーブルと椅子が並んでいる、まるで明治維新期のような風情です
にわかには信じがたいのですが、間取り図を見ると、確かに「食堂」です。
一家団欒の食事を摂るにはちょっと派手すぎやしませんか?
その食堂の外を廻る、幅1間(畳の長辺の長さに相当)の「入側」とよばれる、いわゆる廊下の風情といい、
庶民は落ち着けません
ここは二条城か って感じです。
もっとも、三井総領家のご自宅だったわけですから、常識・感覚が私と違うのも宜(むべ)なるかな…ですな。
三井八郎右衛門邸は、外観以上に面白い建物でございました。
つづき:2016/10/21 好天に誘われて江戸東京たてもの園(その3)
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