OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

クラシカル・ガスの魅力、そしてギターインストも!

2016-08-31 19:12:08 | Rock
クラシカル・ガス / Mason Williams (Warner Bros. / 東芝)
 
インスト曲でヒットを狙おうと企図すれば、結局歌詞が無いわけですから、そのまんまキャッチーなメロディが必須でありましょう。
 
もちろん、それはラジオが音楽鑑賞において重きをなしていた時代であればこそ、一発でリスナーの耳と感性を魅了するものが求められますから、演奏やアレンジも大切な要素であることは、あらためて述べるまでもないでしょう。
 
そこで本日掲載のシングル盤A面収録の「クラシカル・ガス / Classical Gas」は、メイソン・ウィリアムスというアメリカ人の作編曲家にしてギタリストでもあった才人が1968年に出した人気曲で、哀愁滲むメロディをクラシックギターというか、ガットギターのフィンガーピッキングでクラシック調に弾き、さらに途中からは幾分大袈裟なオーケストラまでもが導入されるという、これぞっ! 一度聴いたら忘れ難い印象と余韻が残る名曲にして大名演♪♪~♪
 
実際、この「クラシカル・ガス / Classical Gas」は特に欧米のギター教則本の中~上級者向けのコースには入っている事も多いそうですし、ちょっとでもギター演奏に興味を抱かれている皆様であれば、思わずコピー意欲を刺激されると思いますが、いかがなものでしょう。
 
しかし告白すれば、サイケおやじが「クラシカル・ガス / Classical Gas」というギターインストの名曲を知ったのは、決してメイソン・ウィリアムスのオリジナルヒットバージョンではなく、例によってベンチャーズのカバーバージョンであり、それは昭和45(1970)年に、おそらくは我が国独自の編集によるLP「ゴールデン・デラックス」に収録されていた、当然ながらリードギターがジェリー・マギーと推察されるテイクだったんですが、これが実に最高でしたねぇ~~♪
 
ちなみに件のアルバムには他に「京都の恋」「白鳥の湖ロック」等々も入っていたんですが、同時に「朝日のあたる家」とか明らかにノーキー・エドワーズがリードを弾いていた往年の傑作トラックも再収録していたので、本国アメリカでは、どのような企画で吹き込まれていたトラックなのかは不明です。
 
しかし、これが名演であった事は翌年からのベンチャーズ来日公演では人気の演目になっていた事でも明らかですし、前述したとおり、メイソン・ウィリアムスがクラシック調のフィンガーピッキングで弾いていたメロディフレーズをベンチャーズではジェリー・マギーにしろ、ノーキー・エドワーズにしろ、カントリーロック系のリックで聞かせてくれるという嬉しさは格別でしたねぇ~~♪
 
気になる皆様は、その頃に我が国で制作されたベンチャーズのライブ盤をぜひともお楽しみ下さいませ。
 
緩和休題。
 
で、肝心のメイソン・ウィリアムスが出した掲載盤は、当然ながらベンチャーズのバージョンにシビレきった後にサイケおやじが中古でゲットしたブツでありまして、なんともサイケデリックなバスの写真パネルをバックにした本人の佇まいが、本当に普通っぽいのが逆に強い印象というか!?
 
かなり後になって知ったことではありますが、メイソン・ウィリアムスは決してミュージシャンが専業ではなく、テレビやラジオの制作スタッフとか、写真撮影やデザインの仕事等々も同時並行的になっていたそうで、しかも芸能界が基本的に嫌いだったとかで、1970年代前半には音楽業界からフェードアウトしたらしいですよ。
 
未確認ではありますが、このジャケ写の背景にあるバスの写真も本人の撮影だという話も聞いたことがありますし、「クラシカル・ガス / Classical Gas」という楽曲そのものが、メイソン・ウィリアムスの関わっていたテレビ番組の為に自作自演されたというのは、なかなかの才人!
 
本当に、そう思うばかりです。
 
ということで、サイケおやじの記憶としては、このメイソン・ウィリアムスの「クラシカル・ガス / Classical Gas」は日本でヒットしていたという印象が無いんですが、これがベンチャーズによって広く知られたという実情があるのならば、冒頭で述べたとおり、インストヒットはメロディの魅力の宝庫ですよねぇ~~♪
 
今の音楽から、そ~ゆ~ところが欠如しているのは残念というか、悲しい現実かもしれません。
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これはドゥービーズ歌謡だぜつ!

2016-08-30 17:43:12 | 歌謡曲
真夜中のエンジェル・ベイビー / 平山三紀 (CBSソニー)
 
洋楽テイスト溢れる歌謡曲シンガーといえば、平山三紀は外せないひとりでしょう。
 
その個性を決定づける唸るようなハスキーボイス、「ノリ」と言うよりも「グルーヴ」という言葉を用いたくなるリズム&ビート感を伴った歌いっぷりは、ロックやソウルミュージックの歌謡曲的展開には欠かせない魅力でしたから、殊更そのあたりの要素を取り入れた作風に秀でていた作編曲家の筒美京平がお気に入りだったというのも納得されます。
 
で、本日掲載のシングル盤A面曲「真夜中のエンジェル・ベイビー」は昭和50(1975)年夏に発売された歌謡ロックの傑作として、作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平が徹頭徹尾バンドサウンドに拘ったとしか思えない仕上がりが実に秀逸!
 
なにしろイントロからイケイケのギターカッティング、そして激しく追い上げてくるベース&ドラムスとのコンビネーションでツカミはOK! というところからグイノリの節回しを全開させて歌いまくる平山三紀が最高に痛快ですよっ!
 
あぁ、この疾走感が本当に好きでしたねぇ~~、リアルタイムから♪♪~♪
 
これはサイケおやじの妄想ではありますが、もしかしたら筒美京平の狙ったところは当時全盛期だったドゥービー・ブラザーズを意識していたんでしょうか?
 
だって、このギターカッティングやドラムスのリズムの間合い、ベースのドライヴ感やバンドアンサンブルのキメ等々は、ど~してもそれを想起させられるものですよねぇ~~。
 
そして告白すれば、これまでも拙ブログで度々述べてきたとおり、学生時代のサイケおやじは入れてもらっていたバンドでドゥービー・ブラザーズのコピーに勤しんだ過去があり、そのきっかけとなったのが、一学年下の抜群にギターカッティングが上手い後輩とウマが合った事でして、しかも発端が決してドゥービー・ブラザーズではなく、この平山三紀が歌っていた「真夜中のエンジェル・ベイビー」だったという、いやはやなんともの思い出がありまして、これをもっとドゥービーズっぽくやれればいいよなぁ~~♪
 
ってなことを話し合っていたのは、如何にもお気楽な学生時代なればこその逸話でありました。
 
もちろん残念ながら、そんな願いは先輩達から簡単に却下されたわけですが、それでも自分達が月日を重ね、それなりに発言力が増してからは、ドゥービー・ブラザーズのコピー演目の練習の間隙におちゃらけ気味にやってはウケを狙っていましたですよ。
 
ということで、平山三紀の代表曲のひとつとなった「真夜中のエンジェル・ベイビー」にはプロのバンドからも相当にリスペクトがあるようで、幾つかのカバーバージョンがレコーディングされているはずですし、これが好きな歌謡曲愛好者は決して彼女のファンだけではありません。
 
それを断言したくなるほど、イカシた「歌謡ロック」というよりも、「日本のロック」かもしれませんが、やっぱり汎用性と雑食性を兼ね備えた「歌謡曲」という素晴らしい大衆芸能があればこそっ!
 
そしてジャンル的には「ベンチャーズ歌謡」とか「ビートルズ歌謡」、あるいは「クラプトン歌謡」が成立していることに鑑みて、ここに「ドゥービーズ歌謡」を加えたいのが、平山三紀の「真夜中のエンジェル・ベイビー」というわけです。
 
最後になりましたが以前、雪国で常勤していた頃に入れてもらっていたおやじバンドには抜群に歌が上手い熟女さんボーカリストが在籍していまして、あれやこれや楽しい演奏をやっていたんですが、今となっては何故か、このドゥービーズ歌謡「真夜中のエンジェル・ベイビー」を外してしまったのが悔やまれます……。
 
うむ、またの機会を待ち望むばかりです。
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賭けるほどの人生って、素晴らしいはず

2016-08-29 19:46:03 | Rock
この人生に賭けて / Joe Walsh (Asylum / ワーナーパイオニア)
 
今となってはジョー・ウォルシュもイーグルスでのキャリアが一番に輝くロックスタアという認識が強いわけですが、サイケおやじとしては、それ以前のジェイムズ・ギャング時代やソロ名義での諸作も大好き♪♪~♪
 
音楽スタイルとしては様々な流行物を意識しつつも、アメリカンハードな本質は常に保っていたように感じますし、なによりも天衣無縫というか、その時々にやりたいようにやった結果としてのレコード制作が賛否両論とはいえ、そ~ゆ~幸せの御裾分けに共感している次第です。
 
そこでご紹介したいのが、1978年に発売された自己名義のLP「ロスからの蒼い風 / But Seriously, Folks...」からシングルカットされた、如何にも「らしい」大ヒット「この人生に賭けて / Life's Been Good」で、もちろん皆様ご存じのとおり、その頃のジョー・ウォルシュは参加していたイーグルが驚異のメガヒットアルバム「ホテル・カリフォルニア」を出した後だったというのに、そのプレッシャーなんか何処へやら!?
 
なぁ~んていう印象さえ滲みまくりの態度が全開というか、バーニー・レドンに替わってイーグルスに参加したのが1976年末、そして約10ヶ月を要したという前述のアルバム「ホテル・カリフォルニア」の制作においては、持ち前のハードロック魂を存分に発揮し、それこそが新生イーグルスの頂点への道にはジャストミートだったことは否定出来ない真実のひとつだったのですから、そんなこんなの大成功の後に、自己名義とはいえ、お気楽なレコードなんかは出せないはずというファンや業界周囲の思惑に対し、見事な肩すかしをキメてみせたのが新作アルバム「ロスからの蒼い風 / But Seriously, Folks...」であり、そこからの大ヒットシングル曲「この人生に賭けて / Life's Been Good」だったんですねぇ~~♪
 
なにしろハードロックがガチガチのギターリフから入って、アコースティックギターのコードカッティング、さらにはレゲエのリズムを用いてメロディアスな主旋律が歌われるという、ある種の組曲っぽい、なかなかバラエティな作風がニクイばかりで、実はアルバム収録のバージョンは8分ほどの大作だったものを、このシングル盤では約4分半に編集した短縮バージョンという真相があるにせよ、これにはナチュラルにノセられてしまうツボが絶対にあるわけです。
 
それと特筆しておきたいのが歌詞の面白さで、結論から述べさせていただければ、「大金持ちになってマンションや高級車も持っているけれど、旅回りのホテル住まいも捨てがたい人生さ」なぁ~んていう庶民からすれば羨ましいかぎりの男の独白(?)が歌われた後に、「もちろん文句は言えないが、それでも時々は言ってしまう……」等々、なかなか皮肉な自嘲がオチになっているあたりが、なんとも憎めません。
 
実は、この歌の主人公はザ・フーのキース・ムーンであるという説が広く流布されているんですが、思い返してみれば、ジョー・ウォルシュが最初にブレイクしたのは、そのザ・フーの前座を務めていたジェイムズ・ギャングに在籍していた時であり、ザ・フーのメンバー各々から絶賛されたと言われるジョー・ウォルシュのギタースタイルがあればこそ、アメリカンハードの美しき流れがイーグルスに注がれたのもムベなるかな!?
 
当然ながらイーグルス本隊がデビュー盤制作において、イギリスで敢行したレコーディングの成果により、それまでの西海岸ハリウッドポップスやサイケデリックサウンドとは一線を画した新しいウエストコースロックのイメージを確立させたことに鑑みても、ジョー・ウォルシュのギタースタイルに明確に表れているブリティッシュロックっぽさがすんなりと馴染んでしまうのも不思議ではないわけで、だからこそ偉大なロックスタアに成り上がったという世評を逆手に活かしたようなレコード作りが出来たのかもしれません。
 
ちなみに「この人生に賭けて / Life's Been Good」が入っている本篇アルバムの邦題が「ロスからの~」なぁ~んていう気を惹くウリになっているのは、原題「But Seriously, Folks...」、つまり「でも、俺はマジだぜ」という意味合いにおいても笑って許してのイメージでしょうか?
 
あくまでも、これまでの活動歴を追っているサイケおやじの感性ではありますが、本質的にユーモアとか稚気を大切にしているジョー・ウォルシュのことですから、そっちがOKならば、こっちもねっ♪♪~♪
 
てなもんだったと思いたいですねぇ~~♪
 
一応、追記事項になりますが、件のアルバムのレコーディングはロスではなく、マイアミで行われていたんですが、その所為でしょうか、何時にも増してお気楽で陽気なムードが横溢した作風が全篇のイメージを決定づけていますし、このシングル盤のジャケ写だけでは分かりにくいかもしれませんが、実はプールの中でディナー(?)を楽しむという趣向が如何にもです♪♪~♪
 
最後になりましたが、ジョー・ウォルシュがイーグルスに途中参加した経緯について、実は本人とイーグルスが同じエージェントに所属していたという実情に加え、両者のレコードプロデューサーがビル・シムジクであったという関係の深さ等々、歴史には、そ~ゆ~必然性・蓋然性があるんだなぁ~~、という思いを強くしているのでした。
 
うむ、まさに「この人生にかけて / Life's Been Good」に偽り無し!?
 
あっ、イーグルスが1980年に出したライブ盤「イーグルス・ライブ」では、「この人生に賭けて / Life's Been Good」のイーグルス・バージョンが楽しめますので、よろしくです♪♪~♪
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須藤薫を思い出す

2016-08-28 20:04:01 | 歌謡曲
セカンド・ラブ / 須藤薫 (CBSソニー)
 
「昭和歌謡曲」の亜種とも云える「ニューミュージック」というジャンルには、それ以前の「歌謡フォーク」や「日本語のロック」とは似て非なる特質として、特段に自ら曲作りをやらずとも、一丁前に「アーティスト」なぁ~んて気取っている自薦他薦の者も少なくなったと思うのは、もちろんサイケおやじの独断と偏見にすぎませんが……。
 
そんな中でボーカリスト、あるいはシンガーとして、自分だけの歌いっぷりというか、あくまでもボーカリストが本業というスタンスで人気を集めていたのが須藤薫の魅力だったような気がします。
 
と書いたのは、既に彼女は今から3年前の春、鬼籍に入っており、生前には残念ながら特段の大ヒットも出せなかったとはいえ、ニューミュージックや歌謡ポップスの愛好者からは根強い人気があって、それはおそらく業界でも同様だったんじゃ~ないでしょうか?
 
なにしろ昭和54(1979)年の公式レコードデビュー以来、年に1枚ほどのペースで制作されていたアルバムには大滝詠一、ユーミン、来生たかお、杉真理、竜真知子、山川啓介等々の有力なミュージシャンやソングライター陣が楽曲を提供していましたし、実際に発表されたレコードを聴けば、その収録曲は何れも洋楽趣味溢れる良質な歌謡ポップスでありました。
 
ただし、その「洋楽趣味」というのが、時にはオールディズ指向へと傾き過ぎていたきらいも少なくなかった事に加えて、演奏パートやコーラス&ハーモニーのサウンド作りに新しい響きがあった所為でしょうか、なんとなくお洒落過ぎたところが時代にアクセス出来なかったというか……。
 
かなり素敵な歌を出していながら、思惑ほど売れなかったのは、なかなかせつないものがあります。
 
例えば昭和57(1982)年秋に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「セカンド・ラブ」にしても、作詞:呉田軽穂=ユーミン&作曲:杉真理、そしてアレンジが松任谷正隆と杉真理の共同作業という豪華な布陣がそのまんまの素晴らしい仕上がりで、もちろん須藤薫の洋楽テイストな歌いっぷりも良かったんですが、結果的に空振りだったのは残念至極でした。
 
とにかくユーミンの綴った歌詞のキメが決して「初恋」じゃ~ないという本音と現実のアンバラスだったところに、杉真理の附したメロディが十八番のビートルズ、それもジョン・レノンのあの曲の印象的なフックがそのまんま用いられているところが、なかなかニクイですねぇ~~♪
 
また、ビーチボーイズ風のコーラスが如何にも当時の我が国では業界主導的に再評価されていた本家へのオマージュかもしれず、だからこそ夏の終わりから秋にかけての今の時期に聴きたい名曲名唱だと思います。
 
ところが、この須藤薫が歌った「セカンド・ラブ」がヒットしなかった不運(?)のひとつとして、なんとっ! 中森明菜がデビューから3枚目のシングル盤として同名異曲の「セカンド・ラブ」をA面に入れ、これがメガヒットしてしまったという強烈な現実があったんですねぇ~~。
 
おかげで、本当は中森明菜よりもちょっと早く世に出ていた須藤薫の「セカンド・ラブ」の影が薄くなった事は否めず、今となっては伝説でもありますが、作詞を担当したユーミンが不貞腐れたという逸話も残されていますし、中森明菜の「セカンド・ラブ」を作った来生えつこ&来生たかおのソングライター姉弟の心境は如何に!?
 
緩和休題。
 
しかし、それにしても須藤薫が大ヒットとは無縁の人気シンガーであったのは、全体的に「下世話さ」が不足していたように思いますし、逆にそれが強く表出していたとしたら、薄っぺらな人気しか保てなかったんじゃ~ないでしょうか?
 
う~ん、大衆芸能は、そんなところも難しいジャンルであり、面白いところかもしれません。
 
最後になりましたが、須藤薫は学生時代から局地的に知られていたボーカリストで、実はサイケおやじも当時の彼女のライブに接したこともあったんですが、それでも後年、須藤薫がユーミンや某アイドルのバックコーラスシンガーとして業界で重宝され、ソロシンガーとして堂々のレコードデビューを果した時は驚きましたですねぇ~。
 
あぁ、なんだか当時を思い出してしまいましたよ、今日は。
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ジャクソン・ブラウン登場

2016-08-27 19:39:06 | Singer Song Writer
Doctor My Eyes / Jackson Browne (Asylum / 東芝)
 
ジャクソン・ブラウンは説明不要、アメリカの有名シンガーソングライターであり、ウエストコーストロックを牽引した人気者ですから、我が国でもレコードはそれなりに売れていたと思いますが、本人の存在意義としての資質というか、殊更英語が日常の言語ではない日本においても受け入れられたのは、自作のメロディに乗っかる歌詞の語感の良さじゃ~ないか?
 
というのが、例によってのサイケおやじの独断と偏見です。
 
もちろんレコードやライブステージで披露される演奏には、常に西海岸派のロック系ミュージシャンが参加しているところから前述したとおり、典型的な1970年代の所謂ウエストコーストロックが楽しめるわけですし、それに安心して身も心もゆだねてしまう心地良さがジャクソン・ブラウンの声と節回しのナチュラルな魅力なのかもしれません。
 
そこで掲載したのは、1972年に発売されたジャクソン・ブラウンの公式デビューシングル盤で、なんとっ! A面収録の「Doctor My Eyes」がいきなりアメリカのヒットチャートではトップテンにランクされるという大快挙として、我が国でもラジオの洋楽番組等々で注目されたほどのキャッチーな人気曲でした。
 
なにしろピアノとベースがリードするイントロからしてボール・マッカトニーが十八番の節というか、ちょっぴりブギウギ調の楽しさが全開ですし、そんなウキウキしたグルーヴをバックに歌い出すジャクソン・ブラウンのボーカルにはちょっぴり諦めムードというか、ヒネクレタ感じさえ滲むロック的な反抗を伝えているような気分にさせられるんですねぇ~、サイケおやじには。
 
それは英語なんか理解出来ないに等しい高校時代に聴いた感性がそのまんま、今でも変わることのない印象でありまして、実はその歌詞の本質には諦観滲む皮肉が込められていた事を後に知ってみれば、ジャクソン・ブラウンの歌の説得力の強さには感服するばかりです。
 
ちなみにレコーディングにはジャクソン・ブラウン(vo,p,g) 以下、ジェシー・エド・デイビス(g)、リー・スクラー(b)、ラス・カンケル(ds,per)、デヴィッド・クロスビー(vo) 等々が参加し、流石の良い仕事をやっている結果は、この「Doctor My Eyes」を含むアサイラムでの最初のLP「ジャクソン・ブラウン1st」でも楽しめますが、こ~ゆ~サウンド作りこそがウエストコーストロックの基本のひとつに認定された事を思えば、同時期に世に出たイーグルスとの親交やシンガーソングライターの大ブームを象徴する存在になったことについても自然に納得させられてしまいますねぇ~~。
 
そして、だからこそ冒頭で述べたとおり、ジャクソン・ブラウンが自作の歌詞には歌う場合の語感までも練り込まれた深慮が感じられるんじゃ~ないでしょうか。
 
ということで、我が国でも同じ頃には歌謡フォークの大ブームがあって、所謂「四畳半」とまで呼ばれていたマイナーなミュージシャンが自作自演をウリにすれば、続々と大手の会社からレコードを制作発表出来ていたという、なかなか幸せな時代があったんですが、ボブ・ディランやエルトン・ジョン、あるいはローラ・ニーロあたりはそれらしく(?)真似出来ても、不思議なことにジャクソン・ブラウンに関しては演奏の雰囲気はコピー出来ても、特有の節回しや語感の心地良さまでは日本語の歌詞には不向きだったようです。
 
逆に言えば、それゆえにジャクソン・ブラウンが英語で歌うレコードには需要があったんですかねぇ~?
 
正直、当時はそこまで真剣に考えていなかったのがサイケおやじの本質でありますから、ただただ、心地良いウエストコーストロックを楽しむというポイントにおいて、ジャクソン・ブラウンを聴いていたのです。
 
それは本日も変わりなく、偽りのない気持ちというわけです。
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葉山レイコもアイドルだったのねぇ~~

2016-08-26 21:31:19 | 歌謡曲
オフショアの恋人 / 葉山レイコ (lollipop / ポリドール)
 
本日の主役たる葉山レイコは、もちろん「監禁逃亡」とか、エロス満載のVシネマやソフトなAV、あるいはグラビア系の仕事も印象深い、平成のセクシー女優という認識だったんですが、ひょんな事から先日、掲載のシングル盤を発見して即ゲットしたところ、ほとんどアイドルシンガーという趣向も不思議なほどに素敵なニューミュージック歌謡だったのがA面収録の「オフショアの恋人」でした。
 
なにしろ作詞作曲:小島由美=児島由美、そして編曲:阿部隆雄が企図したのは、穏やかなリゾートミュージックであり、もちろん夏の日の恋が歌われているんですが、しかしそれにしても葉山レイコの可愛らしくて清涼な声質と節回しのせつなさには胸がキュンキュンさせられましたですよ♪♪~♪
 
う~ん、人に歴史あり!?
 
なぁ~んていう至言以上の真実の重さとでも申しましょうか、今更ながらアイドル時代もあったという葉山レイコの芸風の深さにはちょっぴり感動のサイケおやじであります。
 
ちなみに発売されたのは昭和61(1986)年、グラビアでヌードを披露してブレイクしたのが昭和63(1988)年頃でしたから、ここまではありがちな進路(?)だと思いますが、同年秋には現在でも鮮烈な記憶になっている大ヒットAV「うぶ毛のヴィーナス」に出演して世間を騒がせたんですから、やっぱり葉山レイコの芸能人としての資質は半端じゃ~なかったわけですねぇ~~♪
 
もちろん既に述べたとおり、サイケおやじがきっちり「葉山レイコ」という存在を認識したのは大評判となっていた件のAVであり、以降のエロアクション系Vシネマ諸作だったわけですから、その彼女がアイドルど真ん中の活動をしていたなんてこたぁ~、過言ではなく、ひとつの衝撃!
 
当然ながら、今後は彼女の歌の世界での活動を探索すべく、レコードやCD蒐集等々、精進を積み重ねる所存です。
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胸キュン流れ雲

2016-08-25 19:51:01 | 歌謡曲
流れ雲 / 石坂智子 (東芝)
 
まだまだ残暑真っ盛りで、本日も暑苦しいわけですが、そこで気分はど~しても初秋を求めてのせつないフォーク歌謡を欲しているようで、ついつい今朝は石坂智子が昭和56(1981)年に出した掲載のシングル盤A面曲「流れ雲」を鳴らして和み、ついでにデジタル化してスマホにも仕込んでのヘビロテ状態というサイケおやじです。
 
いゃ~、イントロからペダルスチール&アコースティックギターの爽やかなカントリーロック風味、そして往年の歌謡フォークにどっぷりのメロディラインが秀逸で、しかも穏やかにしてせつない曲調を自然体で節回す石坂智子の声質が、これまた胸キュンの絶品♪♪~♪
 
それは作詞作曲:伊藤薫&編曲:鈴木茂という、昭和40年代中頃からの歌謡フォークブームを実地で知り抜いたプロフェッショナルの仕事でありましょうか、とにかくこれは永遠の名曲名唱だと思いますし、今こそリメイクされてしかるべきでしょう。
 
ちなみに石坂智子について、サイケおやじは当時、ほとんどノーマークだったんですが、この「流れ雲」を飲み屋の有線で聴いた瞬間にグッと惹きつけられ、もちろんその時は曲名さえ知らなかったんですが、それでもど~にかレコード屋の店頭で邂逅したお目当てのブツのジャケ写に再び衝撃を受けまして、だってそりゃ~、彼女が石野真子にクリソツでしょう、これはっ!?
 
でも、ウリのA面「流れ雲」の曲イメージにはジャストミートしているのも、また確かな真実でした。
 
しかし、石坂智子がちょっぴり不運だったというか、公式デビューした昭和55(1980)年と云えば河合奈保子、柏原芳恵、松田聖子、三原順子等々のアイドル有望新人が続々と登場していたわけですから、成り行きだったんでしょうか、サイケおやじがこの「流れ雲」を契機として後追いで彼女のレコードを聴き進めてみれば、シングルを出す度に作風が変化している感じで……。
 
特に「デジタル・ナイト・ララバイ」なんていう歌は、ほとんどビートルズのあの曲のパクリというメロディが出たりしますんで、流石は「東芝」とニンマリさせられたんですが、やはり個人的には「流れ雲」が一番に大好きでした♪♪~♪
 
ということで、ちょっと吃驚してしまうのが、またまた台風がやって来そうな不穏な天候が嫌ですねぇ~~~。
 
まあ、「流れ雲」とは無縁でありますように……。
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松原みきへの熱い願い

2016-08-24 20:22:21 | 歌謡曲
IN THE ROOM / 松原みき (ビクター)
 
失礼ながら、ジャケットは些か素っ頓狂なイメージですが、収録A面曲「IN THE ROOM」はプログレ風味のアレンジが面白いブラコン歌謡の決定版という、昭和63(1988)年に出された、おそらくは松原みきにとっては第一線から退く直前の名曲名唱です。
 
それは作詞:竹花いち子&作曲:林哲司、そして編曲:鷺巣詩郎というプロの手際の素晴らしさであり、加えてクールで熱い彼女の歌いっぷりが素敵なんですねぇ~~♪
 
ただし、ちょっぴり残念なのが、このスタジオバージョンが聊か生硬な仕上がりというか、実はライブバージョンを聴いてしまうと、そっちにグッと惹きつけられるのも正直な気持ち……。
 
実はサイケおやじは某ルートから入手した彼女のライブ音源を入れたカセットテープを愛聴していまして、つまり本音としては松原みきの正規ライブ音源を集成発売して欲しいわけです。
 
既に彼女が鬼籍に入られてから幾年月、今こそ松原みきの真髄とも思えるライブステージの素晴らしさは、彼女のリアルタイムの活動をご存じない後追いの皆様はもちろん、オンタイムで聴いていたファンにしても、発売されるスタジオレコーディングの音源がその時々で統一性が感じられなかったという感想も少なからず抱かれていたと思えば、ライブの現場における松原みきの魅力には完全KOされていたことは言うまでもありません。
 
本日もサイケおやじの独断と偏見ではありますが、それもこれも松原みきが好きという気持ちの切なる発露とご容赦いただければ幸いでございます。
 
失礼致しました。
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ホッとしました

2016-08-23 19:51:56 | Weblog

昨日からの大雨で借りているトランクルームから連絡が入り、一部で雨漏りがあるようなので、確認して欲しいだなんてっ!?!

そんなわけで仕事は紛糾しているのに、本日は全く気持ちが乱れてしまい、ようやくさっき様子を見にいったら、無事でした。

でも、ひとつ隣はかなり雨水が浸み込んでいるみたいなんで、管理会社は懸命に対応に追われていましたですよ。

当然、責任&信用問題ですからねぇ~~。

幸いにも今回、サイケおやじの預けてあるブツは無事でしたが、油断は禁物と覚悟を決めてきた次第です。

で、ついでに洋楽関係やネットで買って、そのまんま開封していなかったブツを持ち出してきたんで、明日から追々に掲載していきたいと思います。

ということで、本日はこれで失礼させていただきますが、被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。

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雨の中のラブ・イズ・フィ~バ~♪

2016-08-22 18:05:11 | 歌謡曲
悪魔にくちづけ / フィーバー (東芝)
 
台風がやって来て、またまた暴風雨になっていますが、さらにしつっこい蒸し暑さも加わって、ど~にも本日は鬱陶しい気分です。
 
でも、そんな中、朝イチに遭遇した嬉しい光景が、タンクトップに短パンでびしょ濡れになってランニングしていた4~5人のスポーツウーマンのグループで、おそらくはどこかの運動部なのか、あるいはモデルの卵達なのかは不明なれど、そ~ゆ~予期せぬプレゼントには凝視させられてしまいますねぇ~~♪
 
願わくば、もっと近くで拝みたかったんですが、そこでふっと思い出したのが本日掲載のシングル盤ジャケットで、朝飯もそこそこにレコード棚を探索したら、あったんですよ、目的のブツが!
 
ど~です、これも美しき昭和芸能界の遺産とでも申しましょうか、主役たるフィーバーは渡井なおみ、岡広いづみ、北川まゆみの三人組で、もちろんこのシングル盤でデビューしたのが昭和54(1979)年春ですから、前年に解散したキャンディーズの後継グループであったことは説明不要と思います。
 
実際、今回あらためて裏ジャケを確認してみたら、きっちりキャンディーズと同じ渡辺プロの所属だったわけで、だからこそ必然的にテレビや雑誌グラビア等々への登場も多かったと記憶しています。
 
そして特筆すべきは、まあ、これはサイケおやじだけの思い込みかもしれませんが、フィーバーはキャンディーズよりも明確にセクシー路線を企図されていたんじゃ~ないでしょうか。
 
ただし、それが聊か中途半端というか、フィーバーを組む前までのメンバー各々にそれなりのキャリアがあった所為もあるんでしょうが、とにかく既にデビュー時に二十歳前後だった彼女達の佇まいを考慮すれば、もっとイケイケでもOKだったのでは?
 
なぁ~んて、サイケおやじは今も昔も、そんなふうに思ってしまいますよ、このジャケ写を眺める度に♪♪~♪
 
中でも、特に人気が高かったセンターの渡井なおみは女優として特撮ドラマや2時間サスペンスにもちょくちょく顔を出していたわけですし、歌の世界で勝負するならば、ソロデビューも可能だった時期に、あえてポストキャンディーズですからねぇ……。
 
失礼ながら、なにやら勿体ないという気がしてなりません。
 
で、肝心のA面収録曲「悪魔にくちづけ」は作詞:森雪之丞&作曲:佐藤健、そして編曲:船山基紀が提供した、これまた如何にもキャンディーズっぽい曲タイトルばかりが先行したイメージが逆効果のような歌詞が強烈!?
 
 くすぅ~ぐられるのは 耳たぶだけじゃないのよぉぉ~~♪
 
なぁ~んていうフレーズはアイドルとしてはアブナイ雰囲気がたっぷりですよねぇ~~♪
 
しかし、それでいてメロディラインやアレンジが、ど~にも普通っぽいのか、またまた勿体ないですよ……。
 
結局、フィーバーはそのデビューからグループ名のような熱狂は呼ばず、それでも昭和55(1980)年に出した裏人気作「シェイク・タッチ」、そしてテクノ歌謡ポップスの最高峰とまで云われている畢生の名曲名唱「デジタラブ」を残している事が、最高の実績だったのかもしれません。
 
ということで、ふっと最近気がついてみると、女の子のファッションに1980年代フィーリングが蘇っているような感じでしょうか?
 
ヘアスタイルとか、往年の原宿辺りのスポーツ系の着こなし、あるいは赤坂や六本木周辺に出没していたパンスケみたいな、ちょっと見には簡単にイケそうな女性が目立つような……▼?▲
 
何時もながら、そんなことを何気なく思ってしまうサイケおやじです。
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