OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

覆水を盆に返すべく

2020-09-30 19:37:32 | Weblog

何の因果か……、スマホが不調だと思ったら、大切なデータが消えていて、愕然とさせられました (>_<)

現在、必死の復旧作業中のため、これにて本日は失礼させていただきます。

う~ん、本当に一寸先は闇でござんすねぇ…… <(_ _)>

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グレッグ抜きでもオールマン兄弟バンドは始まっていた

2020-09-29 20:47:36 | Allman Brothers Band

Jacksonville Beach 1969 / Allman Brothers Band (Leftfield Media = CD)

  01 Don't Want You No More
  02 Rock Me Baby (imcomplete)
  03 Crossroads (imcomplete)
  04 Born In Chicago
  05 Willie Jean Jam (imcomplete)
  06 Born Under A Bad Sign
  07 She Has Funny Cars
  08 Hey Joe
  09 New Shoes Blues (imcomplete)
  10 Travellin' Music Jam

掲載したのは、オールマン・ブラザーズ・バンド名義の音源としては、最も古いというか、オールマンズがオールマンズと名乗ったばかりの頃、つまり暫定的な歴史としては、グレッグ・オールマンが未だ合流していない時期だった、1969年3月30日のライブギグが聴けるというだけで、ファンにとっては歓喜悶絶!

もちろん、これまでもブートの世界ではお馴染みの音源であり、ネットでも流通してはいるんですが、あらためてハーフオフィシャルとはいえ、プレス盤CDになっていたもんですから、サイケおやじは速攻ゲットさせていただきました。

しかも、内容が全長版と申しましょうか、部分的には様々に収録したブツもあったんですが、今回ご紹介するのは、それなりに音質が安定している様な気がしています。

なにしろ基本的にはライン録りのステレオミックスになっているんですねぇ~~♪

ただし、それでも楽器の定位はグラグラしていますし、ボーカルが全体的にオフ気味……。

ところが、それゆえにデュアン・オールマンのギターが相当に迫ってくる鳴り方でして、まあ、このあたりの感想は十人十色と思います。

で、肝心の演奏メンバーはデュアン・オールマン(g,vo)、ディッキー・ベッツ(g,vo)、ベリー・オークリー(b,vo)、ブッチ・トラックス(ds)、ジェイ・ジョニー・ジョハンソン(ds,per)、リース・ワイナンズ(key,vo) とされていて、そのリース・ワイナンズこそが、後にスティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルに加入するという歴史を鑑みても、なかなか興味深く聴けると思いますし、その饒舌なオルガンプレイは失礼ながら、グレッグ・オールマン以上の力量が聞き取れるはずです。

しかし、逆にグレッグ・オールマンが不参加ゆえのボーカルパートの弱さは否めず、だからこそ歴史的な意味合いを求めての聴き方になってしまうのが、偽りの無いサイケおやじの本音です。

そこで、サイケおやじの知っている範囲だけではありますが、あらためてオールマンズ結成までの道程を要約すれば、やはり最初はデュアンとグレッグのオールマン兄弟が地元フロリダでのセミプロ活動を基盤として、1965年頃にオールマン・ジョイスと名乗るバンドを結成し、ブルースロックやR&B等々に根差した幾つかのレコーディングを残したあたりが最初のスタートと思われます。

ちなみに、この当時の音源はオールマンズが大ブレイクしてから纏めてLP化されたり、所謂アンソロジー盤等にも収録されているので、興味のある皆様には、ぜひとも聴いていただきたい貴重な資料(?)であります。

そして、1967年頃になるとオールマン兄弟はローカルツアーやライブセッション等々で意気投合したジョニー・サンドリン(ds)、ポール・ホーンズビー(key)、メイブロン・マッキーニー(b) と共にアワ・グラスと名乗る新バンドを結成し、リバティレコードと契約!

ついにLAに進出してメジャーデビューを果たすのですが、1969年初頭までに制作した2枚のアルバムと数枚のシングル盤は何れも売れず、その要因は当時流行のサイケデリック風味のロックとオールマン兄弟以下の面々がルーツとしていたアメリカ南部丸出しのブルースやR&B、あるいは創世期カントリーロック風味の歌と演奏が馴染まず、またレコード会社側からの要請で白人アイドルバンドっぽい雰囲気を求められたから!?

なぁ~んていう、今となっては失笑するしかない現実の壁にブチ当たったらしいのですが、後にサイケおやじが実際に当時のアワ・グラスのレコードを聴いてみたら、確かに中途半端な印象はありますが、グレッグ・オールマンのボーカルは、かなりイケていると思いましたですねぇ~~~!?

ただし、肝心の演目がキャロル・キングの作品だったり、ジャクソン・ブラウンの初期作品を強引にソウルっぽく演じてみたりして、このあたりは現在、容易にCDで聴けますので、ご確認いただきたいところです。

そして結局のところ、アワ・グラスは消滅し、デュアン・オールマンは地元へ帰郷したんですが、グレッグ・オールマンだけは、やはりボーカリストとしての才能をレコード会社に認められていたらしく、そのまんまハリウッドに残留したのも、実はアワ・グラスとしての契約が残っていた所為という説も有力です。

つまり、デュアン・オールマンが単独行動でスタジオセッションや様々なバンドでトラをやりながら、再起を目指して集めた面々が、今回ご紹介の音源で確認出来るというわけで、歴史的観点からすれば、グレッグ・オールマンが兄から新バンド結成の連絡を受けたのが、1969年3月だったそうですから、兄弟が実質的に揃わないうちから既に「オールマン・ブラザーズ・バンド」を名乗っていたというのは、ど~にも不思議な気がするわけでして、もしかすると、この音源のステージには当初、別のバンド名で出演契約を結んだのかもしれませんし、当然ながらオールマンズがロックの歴史に名前を残している今となっては、「オールマンズ」で売られても納得するしかありません。

そして、ここでの演奏は実際に楽しめるんですよ、ファンにとってはねぇ~~♪

もちろん、普通のロック好きにとっても、興味深々の音源という事実は変わりません。

そこで肝心の演目について、まずド頭「Don't Want You No More」は言わずもがな、オールマンズのデビューアルバム、その初っ端に収められていたミディアムテンポのブルースロックで、有名なのはスペンサー・デイビス・グループのバージョンではありますが、オールマンズのインストバージョンも侮れませんねぇ~~♪ デュアン・オールマンのギターにサイケデリックロック風味も強いオルガンのアドリブ、そして芯の強いベースの蠢きっ! たまりませんねぇ~~♪

そして続く「Rock Me Baby」はフェードインでスタートしますが、アップテンポで炸裂するオルガンソロが熱く、ボーカルが物足りないとはいえ、デュアン・オールマンのスライドも聴けますし、ちょいと期待してしまうのがクリームの決定的な大名演がある「Crossroads」には、それと同じリフを使っての展開の中で、デュアン・オールマンとディッキー・ベッツのギターユニゾンやアドリブ対決もありまして、これがフェードアウトしてしまうのは残念無念……!?

しかし、これまたバターフィールド・ブルース・バンドでお馴染みの「Born In Chicago」は思わせぶりな導入部からテンポアップしての演奏に熱くさせられますし、再びテンポチェンジしてからのデュアン・オールマンのギターが如何にもの「節」全開で嬉しくなりますよ♪♪~♪

ですから、曲タイトルどおりにジャムセッションっぽいアドリブ合戦が繰り広げられる「Willie Jean Jam」は最後がちょいと尻切れトンボではありますが、それは18分超の長丁場であっても、なかなか興味深く楽しめますし、アルバート・キング畢生の「Born Under A Bad Sign」におけるデュアン・オールマンのギターにサイケおやじは悶絶!

また気になるツインドラムスの見せ場と申しましょうか、それこそが「She Has Funny Cars」でして、まだまだ確定された展開ではありませんが、以降のオールマンズを予想させる演奏でありながら、実はアワ・グラス時代のサイケデリック~ビートポップスの味わいを引き継いだ雰囲気は面白いと思いますし、ジミヘンバーズでお馴染みの「Hey Joe」にしても、未だ自らの進む道を模索しているオールマンズという聴き方が出来るとすれば、中途半端なコーラスやグイノリのギターの凄み共々に、やっぱりファンには嬉しいトラックだと思います。

う~ん、特に11分近い熱演の「Hey Joe」は個人的に大好きになりそうですよ♪♪~♪

その意味でフェードインして始まる「New Shoes Blues」はボーカルが妙にグレッグ・オールマンっぽい雰囲気のスローブルースで、この思わせぶりと暑苦しさこそがオールマンズの土台なのかもしれません。

こ~して迎える大団円は「Travellin' Music Jam」がアップテンポのシャッフルブルースってのは、お約束!

ちなみに全体的に左チャンネルのギターがデュアン・オールマン、右チャンネルがディッキー・ベッツという定位かと思っていたんですが、この演奏に関しては左チャンネルから両者のギターが鳴っている感じでして、だとすれば、ここまでのサイケおやじの聴き方にも大いに問題があるわけですが、それが途中から右チャンネルからもギターが聞こえたりして、なんだか分からなくなるという……。

しかし、それはそれとして、あれやこれやと最初期のオールマンズを楽しめる事は請け合いです。

それでも、これは録音の状態にもよりましょうが、未だツインドラムスの存在感が希薄だったり、ボーカルパートは主にディッキー・ベッツかもしれませんが、デュアン・オールマンが歌っている様なところもありますので、皆様にご確認願いたところです。

ということで、気になる音質は現代のレベルからすれば劣悪かもしれませんが、サイケおやじと同世代の皆様であれば、全く普通に聴けるはずですし、音割れとか定位の不安定さも含めて、これが往年の「ロックの音」とご理解いただければ、結果オ~ライと思い込んでおります (^^;)

オールマンズ、永遠なれっ!

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眩暈は突然に…

2020-09-28 17:56:41 | Weblog

昨日は失礼致しました <(_ _)>

実は昼前から、これまで体験した事の無いほど強烈な眩暈に襲われ、立っていられないどころか、その場に蹲っても、周囲が逆転するほどの視界は、これ如何にっ!

頭は微妙に痛くなるし、吐き気も強く、思いっきり4回ばかりゲロ吐いて、横向きに寝ていたら、夜になって症状が改善しました (◎_◎;)

もちろん、休日だったので、何時もの医院には行けず、このまんまだと救急搬送か……?

と思ったりもしたんですが、おそらくは担ぎ込まれる病院にコロナ患者が入院している事もあり、朝まで安静にしていたら、ど~にか動ける様になった次第です。

で、今日は、しっかりと診察してもらったところ、耳の中の三半規管内にある「石」が不自然に動いたのが原因らしく、そんな時は寝たままで頭を動かすとか、そんな療法を教えられたんですが、そ~いえば昨日は仰向けよりは、横向きに寝ていたら急に楽になってきたんで、件の「石」が、あるべき場所に戻ったのか!?

そんなふうに納得して、今は普通に生活出来るというわけです。

でも、一応は眩暈の薬を出してもらったんですけどねぇ (◎_◎;)

また、当然ながら、最悪の状況の最中、最近次々に鬼籍に入ってしまわれた有名人の事が胸の内に浮かんでは消え……。自らの三途の川への旅立ちも様々に考えてしまったですよ……(~_~)

でも、全ては「寿命」というもんだと、半ば諦め、ちょっぴり居直りの気分に浸っているのも、本音です。

ということで、今日は仕事にも行けましたし、明日からも、前向きにブログを綴らせていただく覚悟です。

どうか、今後とも、よろしくお願い致します <(_ _)>

 

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夏も過ぎたが岡本舞子

2020-09-26 19:19:33 | 歌謡曲

ナツオの恋人ナツコ / 岡本舞子 (ビクター)

掲載したのは、これまた先日ゲットした獲物の1枚なんですが、主役たる岡本舞子って歌唱力は優れていたのに、何故かテレビじゃ~、バラエティ番組に出ていた記憶しかありません。

それでも、確かデビューした昭和60(1985)年にはアイドルとして各種の新人賞を獲得していたはずですから、それなりに発売されていたシングル曲が妙なタイトルばっかりだったのも、不思議な印象……。

昭和61(1986)年6月に出した掲載盤A面にしても、なんとっ!?

「ナツオの恋人ナツコ」なんですから、明らかに夏向きアイドルソングを狙ったとしたら、それはそれで作詞:FUMIKO &作曲:和泉常寛、そして編曲:山川恵津子の制作スタッフは、それを見事に具象化していると思いますし、アップテンポでド派手にアレンジされた楽曲構成を真正面から歌いきった岡本舞子は大健闘!

と書きたいところなんですが、肝心の曲タイトルと歌詞の中身がサイケおやじには理解不能というか、ついていけない、アヤフヤな世界観に感じられ、それは基本的に「OLDWAVE」なサイケおやじの体質や感性には相容れない要素のはずが、それでも妙に惹きつけられてしまうのは、岡本舞子の歌いっぷりの潔さでありましょうか……?

そんなこんなをモヤモヤにして抱え込んでいたもんですから、リアルタイムじゃ~~、ど~してもレコードが買えずに幾年月、ようやくゲットしてみれば、おぉ~~、このジャケ写に登場している岡本舞子のキュートな佇まいは、所謂ガテン系の様でもあり、キャンプ場でバイトしている女子高生の様でもあり、失礼ながら着エロモデルみたいなイメージも、なんだか憎めません♪♪~♪

結局のところ、彼女は特段の大ブレイクも無いままに引退されたのでしょうが、芸能的な資質の素晴らしさは絶対だったと思いますので、グラビアアイドル~女優としての活動が長く続いても良かったと思うばかりです。

ということで、昨日から急に寒くなったので、今夜は熱いコーヒーに好きな映画や音楽のソフトを楽しもう!

コロナ蔓延の今、風邪をこじらせるのは、本当に怖い!

どうかご自愛くださいませ。

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バブルの中のブルージン・ボーイ

2020-09-25 20:21:10 | 歌謡曲

ブルージン・ボーイ / 森下恵理 (RVC)

所謂「1980年代アイドル」が最も勢いを増していたのは昭和60(1985)年頃だったと思えば、時代は例のバブル期の入り口にあったということで、どんな業界においても、やればやれるだけ、どこまでもやれそうな現実を感じていたのですから、芸能界も例外では無かったのでしょう。

実際、その頃にデビューした女の子アイドルが残したレコードは夥しくも、しかも、決して有象無象とは言いきれない、それなりの魅力がきっちりと刻まれた作品になっており、もちろん本人達の個性だって、アイドルのステレオタイプでありながら、それが今に至る人気の要因になっている事も、これまた決して否定出来るものではありません。

本日掲載のシングル盤で昭和60(1985)年に公式デビューした森下恵理も当時、そ~した勢いで売り出されていた新人だった印象で、なにしろ件のA面曲「ブルージン・ボーイ」は作詞:安井かずみ&作曲:加藤和彦という、その頃には洋楽マニアからも一目置かれていたソングライターコンビから提供されたという事はばかりではなく、プロデュースまでもが加藤和彦!

それがウリにされていたのは、一般的なイメージとしての歌謡曲が洋楽に劣らないセンスと存在感を認められていたればこそっ!?

平たく言えば、それまでは洋楽ばっかりを第一義としていたリスナー、殊更往年のポップス少年が三十路前後の年齢に達していた事とも無関係ではなく、つまりは堂々と歌謡曲や歌謡ポップスを「アイドル」という括りで聴ける環境が出来上がったからだと思うんですが、いかがなものでしょう。

その免罪符(?)がソングライターのクレジットを確認するという作業である事は言わずもがな、そこに「加藤和彦」を確認出来れば、後は自ずと素直になれたのが、あの頃だった様な気がするほどです。

で、肝心の森下恵理が演じる「ブルージン・ボーイ」は、アップテンポのオールディズ系アイドル歌謡ポップスであり、ちょっぴり儚げな印象ながら、実は芯の強い声質と意想外とも思えるロックっぽい節回しが披露されるという、これが実にマニア泣かせの仕上がりなんですねぇ~~♪

全くのアイドル歌謡でありながら、ガールバンドのプログラムとしても相当にイケるんじゃ~ないでしょうか。

しかし、当時は確かテレビではバラエティ番組で天然ボケみたいなキャラでも活躍していたのは、ちょいと中途半端な芸能活動?

そんなこんなの所為もあり、サイケおやじとしては、「森下恵理=ブルージン・ボーイ」というのが最高の輝きであり、歌手としても、これ以上のヒットは無かったと記憶していますし、バブルが弾けた頃に引退されというのであれば、それも絶妙の選択だったと思いたいところです。

ということで、「バブル経済」なんてものは、もう二度と広まる事は無いでしょう、少なくともサイケおやじが生きているうちには……。

しかし、そんな実態の曖昧な社会にあっても、確実に残された事象は夥しく、例えば冒頭に述べた「アイドルのシングル盤」でさえも、今となっては様々な意味で「宝庫」でありましょう。

今日はちょいと当時の仕事関係者と久々に会ったという事もあり、急に森下恵理が聴きたくなったのも、偏に懐かしさだけではない、あの時代の狂騒と夢の残滓に浸りたかったという、つまりは希望の再燃を願っているというわけです。

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今日も明日も虚空遍歴

2020-09-24 19:26:32 | Weblog

本日は定期健診で眼底検査を受けたので、例によって、目の前が真っ白です。

とても文字入力が長く出来ないので、これにて失礼させていただきますが、ちょいと泣き言……。

それは不整脈と低血圧が改善していなくて、薬は変えられるし、医師からのアドバイスも空しい感じでした。

どの道も、行き着く先は蓮の花なんですけどねぇ~~ (+_+)

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Get Back to ドクラ・マグラ

2020-09-23 19:16:35 | ミステリ

このところ、1ヶ月ほど、ビートルズの「ゲット・バック・セッション」関連の音源を毎日聴いておりまして、ついには生涯聴く事も無いだろうと思っていた、例の83枚組CD「Complete Get Back Sessions (Moon Child)」にまで着手してしまったもんですから、さあ……、大変!?

これまでも度々述べてきたとおり、全くダラダラとしたセッションの中身は断片的な歌と演奏がほとんどで、その合間の会話部分、つまりビートルズのメンバー各々の存在が確認出来る部分の諸々なんて、きっちりした英語力が無くったって、人間関係の悪さがモロ出しになってる時間が多いという、いやはやなんともの苦行を強いられるんですねぇ……。

でも、やっぱり、それを乗り越えないと、末期ビートルズについて、あれやこれやと語ったり、文章にしたりする行為は、何処かしら自分で納得出来ない気がするわけです。

そして、これと同じ体験をサイケおやじは若い頃に通過していたなぁ~~、と思いを馳せれば、それこそが日本ミステリ文学の暗黒巨星とも云える「ドグラ・マグラ」という小説でありました。

そうです、およそミステリに興味を抱く者ならば、一度は必ず突き当たるのが「ドグラ・マグラ」という、異様なタイトルを持った作品ではないでしょうか。

これは夢野久作によって昭和10(1935)年に発表された長篇で、探偵小説でありながら、当時から「読んだ者は一度は精神に異常をきたす」とまで言われる奇書であり、幻想味が強い反面、非常に理知的に組立てられた本格物でもあります。

したがって、これを読むのにはかなりの努力が必要とされますが、しかし、一度虜になると何処までもズブズブとのめり込んでしまう恐れも秘めた、正しく「日本一幻魔怪奇の本格探偵小説」という当時の宣伝文句に偽りがありません。

その物語とは――

     
 ブゥゥ~ンという蜜蜂の唸る様な音で覚醒した私は、木綿の着物を着せられ、コンクリートの壁に囲まれた小さな部屋にいることに気がつきますが、いっさいの記憶を失っており、現状を認識出来ません。
 そこへ馬面の大男が入って来て、自分は九州帝国大学法医学担当の若林教授だと名乗り、ここがその精神科病棟であり、私は精神病科担当の正木教授の新学説に基づく実験材料であると教えられます。
 そして正木教授は1ヶ月前に自殺したので、自分=若林教授が後を引き継いでいるという事から、私の記憶を呼び戻すための実験が始められます。
 まず学生服を着せられた私は二十歳位の男子学生になっており、隣室で寝ている美少女に対面させられますが、彼女については何の記憶もありません。しかし、彼女は私に気がつくと「お兄様~っ」と言いながら縋りついて来るのです。
 若林教授の説明によれば、彼女は私の従妹にして許婚だったのですが、半年前の挙式前夜に起こったある事件により、ここに収容されているというのですが……。
 次に正木教授の研究室に案内された私は、不気味な標本群の中から「ドグラ・マグラ」と題された綴じ原稿を発見します。その題名は長崎地方の方言で「幻魔術」という意味らしく、内容は同じ病院に収容されている若い大学生が正木教授と若林教授を登場人物にして書き上げた超常識的な科学物語だとか……。
 そしてその中には次のような事柄が含まれているらしいのです――

 ●「精神病院はこの世の生き地獄」という事実を含んだアホダラ経
 ●「世界の人間は一人残らず精神病者」を立証する科学者の談話記録
 ●進化に根ざした胎児の夢についての論文
 ●脳髄について演説した精神病患者の記録
 ●意味不明の遺書
 ●中国・唐時代に描かれた死美人の腐敗画像
 ●それに影響されたかのような現代の猟奇殺人事件の調査書類

 非常に興味をそそられながらも、私はそれを読むのが怖くなり、ふっと見上げた壁にある肖像写真に惹きつけられますが、そこに写っている禿げ頭の老紳士こそが正木教授なのでした。
 実は正木と若林は大学医学部の同期生であり、正木は驚異的な卒論「胎児の夢」によって賛否両論の騒ぎを起こしながらも最高の成績で卒業、そしてその直後に行方不明~欧米放浪、8年後に帰国して精神病院における治療の内幕を暴露した「キチガイ地獄外道祭文」を配布、さらに「脳髄論」を発表して母校の教授に就任したそうです。
 そして狂人の解放治療という実験を推進しますが、自殺!
 結果的に事後を託されたのが若林教授であり、私と前述の美少女が実験材料だとか……。
 また残された資料には次の文献が――

 ●「キチガイ地獄外道祭文」
 ●「地上は狂人の解放治療場」という新聞談話
 ●「胎児の夢」
 ●「脳髄論」
 ●「空前絶後の遺言書」
 ●「心理遺伝論付録」

 何故か私は釣り込まれる様にそれらを読み続けたのですが、最後の文献は呉一郎(くれ・いちろう)が関わった殺人事件の顛末が記されていました。それは――

 大正13年3月、呉千世子が自宅で殺害されました。
 どうやら就寝中に絞殺されたらしく、さらに遺体は陵辱されており、事件発覚時に熟睡していた息子の一郎が重要参考人とされましたが、決定的な証拠が無く、事件は迷宮入りとなりました。
 しかし、若林教授は、一郎が性的衝動と心理遺伝のために夢遊病の発作を起こし、母親を殺害したとの推論を組立てます。ただ、心理遺伝とはいっても、一郎は母親と二人暮しで父親については何も知らされておらず、母・千世子も一郎の父親の行方を捜していたというのですか……。
 そして大正15年4月、大学生になった一郎は従妹のモヨ子との挙式当日に彼女を殺害し、土蔵の中でその遺体を写生しているところを発見され、さらに叔母の八代子にも怪我を負わせるという事件を起こしてしまいます。
 しかし一郎には、その自覚が全く無くありません。
 どうやら直前に見ていた絵巻物に謎が隠されているらしく、それは死美人の遺体が腐敗・変容していく様が描かれており、呉家の先祖から伝えられたものでしたが、誰がそれを一郎に見せたのかは不明でした。

 ――と、私がここまで読んだ時、正木教授が現れて、自分が自殺したというのは若林教授の作り話であり、実験と称して様々な文献を見せたりしたのは、私を呉一郎だと思い込ませるための策略だと言いつのります。
 そして、全く訳がわからなくなった私が狂人解放治療場を眺めると、そこには自分とウリ二つの青年が!?
 正木教授はそれを私の離魂病のせいだと明かすのですが……。
 果たして私は呉一郎なのでしょうか、それとも……。

     
物語はこの後、精神病研究のために呉家の血統に目を付けた正木と若林が、学術上のみならず、呉千世子をめぐっての恋愛闘争までもあったという、所謂恋の仇敵であることが提示されるのですが、これまでのストーリー展開からも明らかな様に、何処までも二重構造の繰り返しが執拗に綴られていきます。

したがって、登場人物の「私」ばかりか、読んでいる者でさえも、どちらが真実なのか、現実なのか、はたまた幻想なのか分らなくなるという凄さが最後まで持続していくのです。

ただし、そこまでドツボに落とされるためには、前掲した「キチガイ地獄外道祭文」を筆頭とする恐ろしいまでの文章地獄を通過せねばなりません。

ここが辛くて、最後まで辿り着けない読者がほとんどだと思われます。

しかし、この部分を読んでおかないと、後に作者によって仕掛けられた幻想感覚の度合いが全然違ってしまいます。

実は6回もこの部分で挫折したサイケおやじが言うのですから、間違いありません。

ですから、ここは、どうしても突破していただきたい関門なのですが……。

まあ、読めずに挫折したならば、そのままにして時をおき、最初から再挑戦するのが宜しかろうと思います。

ちなみに、これは先輩からのアドバイスによるもので、実際、サイケおやじは、そ~やって正解でした。

ということで、「ドグラ・マグラ」はミステリに興味を抱かれる皆様には、ぜひとも味わっていただきたい空恐ろしい程の作品なのですが、欠点は読み通すのが至難という事です。

しかし嬉しい事に、この作品は、かなり原作に忠実に映像化されております。それが次の映画です――


ドグラ・マグラ(昭和63年10月・活人堂シネマ)


 製作:活人堂シネマ
 監督:松本俊夫
 原作:夢野久作
 脚本:松本俊夫、大和屋竺
 美術:木村威夫、斉藤岩男
 出演:桂枝雀(正木教授)、室田日出男(若林教授)、松田洋治(私・呉一郎?)
   :小林かおり(呉千世子)、江波杏子(呉八代子)、三沢恵理(呉モヨ子)
   :森本レオ、渡辺文雄 他

告白すれば「ドグラ・マグラ」が映画化されると知った時、全く期待していませんでした。

理由は言わずもがなですが、古来から有名ミステリの映画化で成功した例はあまり無く、特に原作に強烈な存在感がある場合ほど惨めな結果しか残せていないと感じていたからです。しかも今回は超理知的&幻想的な「ドグラ・マグラ」では……。

という様な思い込みから軽い気持ちで観に行って、仰天させられたのがこの作品でした。

それはまず、物語そのもの、そして映像や演技者の雰囲気が非常に原作に忠実であった事でした。

中でも桂枝雀が演じる正木教授は本当に原作どおりのイメージでしたし、若林教授役の室田日出男の抑えた演技もシブく、また、松田洋治のヘタウマ感覚が記憶喪失者の戸惑いを上手く表現していて、これも結果オーライでした。

映像面では名匠・木村威夫を中心とした美術陣が本領を発揮し、大正末期~昭和初期の雰囲気を見事に再現しておりますし、幻想部分でのセットの色使いや衣装との兼合いも素晴らしく、松本監督の意図に見事に応えていると思います。

そして、その松本監督の演出と脚本は原作の「めくるめく部分」を最高に上手く映像化しており、もちろんそれは照明、カメラワーク、編集等々の隅々にまで細心の手綱捌きが感じられます。特に原作に対しての忠実度という点では、一番難しいと思われる「キチガイ地獄外道祭文」の扱い方が。とても上手く処理されていると思います。

また、サイケおやじ的な見方としては、モヨ子役の三沢恵理が見せるロリ体形のヌードが妙に艶めかしく、全く豊かさが感じられない彼女の乳は、その辺りの愛好者には堪らないものと推察しております。もちろん、さりげなく大人のお色気を醸し出す小林かおり、クール・ビューティな和服の着こなしを見せる江波杏子も素敵ですよ♪♪~♪

ということで、とにかくこれは絶対オススメの素晴らしいミステリ映画です。

そして平成16年、ついに狂喜乱舞のDVD化!

本来、この作品は、まず夢野久作が精魂を込めて書き上げた文章で地獄に落とされるのが本当のところでしょうが、しかし、この映画版「ドラグ・マグラ」の完成度の高さからみれば、映像で真実と虚構・幻想の世界を引きずり回されるのも、けっして邪道とは言えないと思うのですが……。

皆様にはぜひとも一度はご覧いただきとうございます。

よしっ! 再び「ゲット・バック・セッション」へ落ちていくぞぉ~~っと!

 

注:本稿は、2004年2月12日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章の改稿です。

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秋でもないのに、秋に聴く

2020-09-22 20:15:02 | 歌謡曲

秋でもないのに / 本田路津子 (CBSソニー)

暑苦しい夏から、ようやく秋めいた雰囲気の中、取り出したのが本田路津子のメジャーデビュー作となった本日掲載のシングル盤でして、もちろん、お目当ては収録A面曲「秋でもないのに」というのは、既に皆様ご推察のとおりです。

いゃ~~♪ これが言わずもがなではありますが、本田路津子の清涼な歌声と爽やかにして芯の強い節回しにジャストミートの歌謡フォークでありまして、作詞:細野敦子&作曲:江波戸憲和が作り上げたのは所謂カレッジフォークの味わいを強く感じさせながら、歌謡曲保守本流の大衆性を打ち出す馬飼野俊一のアレンジとの相性も、バッチリなんですねぇ~ ♪

う~ん、アコギーのスリーフィンガーピッキングと流麗なストリングスアレンジの妙、さらにマリンバやエレピ、口笛、あるいはフルート系の笛で奏でられる繊細なカウンターのメロディ等々、なかなか奥が深くて、すんなりと馴染んでしまうカラオケパートがあればこそ、本田路津子の丁寧な節回しは冴えまくりですよねぇ~~♪

正に、これが発売された昭和46(1971)年の歌謡フォーク大流行という社会現象を煽った名曲にして、名唱だと思います。

そして、もうひとつ、素晴らしいのが歌詞の世界で、「秋」=「センチメンタル」という公式を逆手に活かし、青春の懊悩と言えば大袈裟極まりないんですが、思春期通年の心のモヤモヤ、せつなさも哀しみも涙も熱血も、さらには他の諸々も包み込んでしまうが如き、その汎用性の高さは見事!?

なぁ~んて書いていながら、実は……、この「秋でもないのに」が大ヒットしていたオンタイムでは、歌謡フォークは軟弱! と言い放っていたサイケおやじにとっては、自己矛盾の象徴のひとつが、本田路津子の存在であった事を告白せねばなりません。

うむ、全く自らの天邪鬼が自業自得の恥かき地獄であります (^^;

ということで、自分に正直でいる事は、とても難しい!?

それが本日の結論であります。

好きなものを好きっていうのは、苦しい時もありますねぇ……。

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中村晃子の思わせぶりが憎めない

2020-09-21 20:47:34 | 歌謡曲

湖は天使の涙 / 中村晃子 (キングレコード)

ついにっ、これっ、買いましたっ!

と思わず力んでしまったのは面目無い所業ではありますが、それこそ、中村晃子が昭和45(1970)年秋に出した本日掲載のシングル盤でして、一応は中村晃子のファンを自任するサイケおやじにしては、これまでに……、なかなか良い出会いが無かったという事は、結局リアルタイムじゃ~決してヒットしたとは言い難い状況がありました。

つまり、人気そのものが凋落しつつあったんですよ、失礼ながら……。

もちろん、彼女だって当時はアイドルシンガーらしくもないセミヌードまで披露していたのは皆様ご存知のとおりなんですが、肝心の歌の仕事に精彩を欠いていたのは、このA面曲「湖は天使の涙」にしても、作詞:横井弘&作曲:小川寛興、そして編曲:森岡賢一郎という制作スタッフが、あのメガヒット「虹色の湖」と同じであり、この「湖は天使の涙」が、そのエッセンスを微妙に携えているにも係わらず……。

ですから、レコードそのものが、それほど売れていないという事であれば、中古市場でも、それなりの出回り方しかなかったのかなぁ……。

なぁ~んて、独りゴチたのですが、皆様ご存知のとおり、中村晃子は翌年発売する「裸足のブルース」で再び上昇気流!?

ということで、その後の中村晃子は紆余曲折のマイペースであり、歌手としての活動ばかりか、声優や女優としての「顔」にも自信が満ちていた様ですし、ついにはヘアヌードまでやってしまったのは、ファンとしては嬉しくも、そこはかとない……。

しかし、しかしですよ、それも中村晃子の真骨頂!

うむ、掲載したジャケ写のサイズが小さくて申し訳ございませんが、良~く見ると着エロ的な思わせぶりが、憎めませんよ ♪♪~♪

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やっと……、人里

2020-09-20 21:00:08 | Weblog

いゃ~~、現代の日本に、まさかネットが使えない地域があるなんて、思いもしませんでした (◎_◎;)

ポツンと一軒家、どころじゃ~ない、独り野宿やってる相手が意外な有名人でした。

意味不明なところは、ご容赦下さい。

明日早朝、帰宅しますんで、これからも、よろしくお願い致します。

 

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