OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

今こそ必要なハッスル!

2012-06-30 15:51:06 | Soul

ハッスル / Van McCoy & The Soul City Symphony (Avco / 日本ビクター)

ここ数日、有名芸能人の訃報が続きますねぇ……。

それも伊藤エミ、地井武夫、小野やすし……、故人が押し並べて七十代になったばかりとあっては、現代我国の長寿社会を鑑みて、やはり早すぎるという思いを禁じ得ません。

もちろん、この世には、そこまでも生きられなかった命が夥しく、何が天寿なのかの答えを出せるはずもありません。

さて、そこで本日の1枚は、何故か最近、またまた耳にする事が多くなった掲載シングル曲「ハッスル / The Hstle」で、この名曲を世に送り出したヴァン・マッコイという早世の天才を偲びたいと思います。

で、故人の偉大なる業績としては、今では普通になっているディスコミュージックの基盤を築いたというか、昔っからダンス音楽の需要が高かったアメリカ東海岸地区における1950年代からの活動の中、一応はキーボード奏者としてよりも、どちらかと言えば作編曲家やプロデューサーとしての立場が明確であり、グラディス・ナイトやスタイリスティックス等々への縁の下の力持ちとして、熱心なファンや業界からは高い評価を得ていたようです。

しかし、一般的な我国の洋楽リスナーがヴァン・マッコイを痛烈に意識したのは、この「ハッスル / The Hstle」が極みでしょう。

それはスバリ! 聴いているだけで腰が浮いてしまうほどの快楽性が大変な魅力であり、同時に調子良く踊れてしまう事は言うまでもありません。

本国アメリカでは1975年に発売され、忽ちの大ヒットになった流れに沿うように、日本でもディスコはもちろん、街角の商店街やパチンコ屋、夜の居酒屋やストリップ劇場でも流行りまくっていた事は、今も刷り込まれた記憶になっていますから、今日まで様々なCMに同曲が使われてきたのも納得して当然!

これほどウケてしまう要因のひとつとして、ヴァン・マッコイは決してジャズやソウルといった黒人音楽保守本流に拘る事なく、ロックもラテンもエスニックも、とにかく世界中の素敵なリズムやメロディを偏見無しに融合させるテクニックに長けていた、とサイケおやじは思います。

そして、それを具象化する為のバンドが、掲載した日本盤シングルのピクチャースリーヴには「スタイリスティックス・オーケストラ」と記載されていますが、実際は「The Soul City Symphony」という覆面演奏集団で、メンバーはスティーヴ・ガッド(ds)、ゴードン・エドワーズ(b)、リチャード・ティー(key)、エリック・ゲイル(g) といった、後のスタッフの面々に加えて、リック・マロッタ(ds)、ジョン・トロペイ(g) 等々の凄腕セッションミュージシャンが大集合♪♪~♪

う~ん、件のスタッフの結成デビューアルバムがヴァン・マッコイのプロデュースだった事も、これで頷けるのではないでしょうか。

ちなみに日本盤のクレジットを「スタイリスティックス・オーケストラ」としたのは、おそらく本家のスタイリスティックス人気にあやかったと想像しておりますが、これまた肯定は易いのでは?

ということで、こういうイージーリスニング系のソウルインストがディスコでウケまくり、時を同じくして所謂クロスオーバーからフュージョンと呼ばれ始めたジャズ系快楽音楽が、なかなか共通のメンツで制作されていたというあたりは、時代の要請だったように思います。

そこではヴァン・マッコイが文字通りハッスルしまくった活躍をした事が、今は懐かし思い出になってしまった現実があり、ディスコミュージックが下火になりつつあった1979年、39歳の若さで天に召された事は非常なる運命のいたずらなのでしょうか……。

しかし少なくとも、この「ハッスル / The Hstle」が今も各方面で愛されている事は不滅の証であって、こんな停滞を通り越して消耗に向かいつつある現代にこそ、腰が浮いてしまう音楽の必要性を訴えているわけです。

個人的信条としては、矢鱈にアッパーな行動は慎む事を是としておりますが、たまには空っぽの徳利のように浮きあがってみるのも必要かと思う次第です。

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カーペンターズの最高に有名な歌は、これ?

2012-06-29 15:49:25 | Pops

青春の輝き / Carpenters (A&M / キングレコード)

あたらめて言うまでもなく、カーペンターズは20世紀を代表する音楽界の大スタアで、世界中で愛され続けているヒット曲は数知れずではありますが、その中には当然、時の流れによって変化変容が確かにあります。

例えば本日ご紹介のシングル曲「青春の輝き / I Need To Be In Love」は、1976年の発表当時において、カーペンターズにしては地味なチャート成績しか残せなかった歴史が刻まれながら、今では我国で一番(?)知られたカーペンターズの歌になっているんですからねぇ~!?

それは皆様もご存じのとおり、1996年にTBSで放送されたテレビドラマ「未成年」のラストテーマに使われた事がきっかけであり、CDシングルによる復刻、またこの曲をメインに編まれたベスト盤が百万枚単位で大売れしてしまった現実は、元々根強い人気が続いていたカーペンターズの現役時代を知らない若年層にまで、その魅力を存分に知らしめたのですが……。

さて、それでは「青春の輝き / I Need To Be In Love」がウケてしまったポイントはと言えば、もちろん人気ドラマの毎週の展開の余韻という要素は大きいとは思いますが、個人的には「さりげなさ」じゃ~ないか?

そんなふうに感じています。

実はこの歌が収録されたカーペンターズのオリジナルアルバム7作目「みつめあう恋」が制作発売された1976年当時、カーペンターズの内部事情は最悪で、それは過密スケジュールの巡業やテレビ出演、レコード制作や諸々の現場におけるブレッシャーが積み重なった揚げ句の果ではありますが、妹・カレンの病気や兄・リチャードの悪いクスリ問題が表面化してしまっては、人気に翳りが……。

しかも前述のアルバムそのものの出来がイマイチという評価は、決して業界からだけではなく、ファンにとってもそう感じざるをえないほど、何か虚ろなものがあったと思います。

ただしそれは「カーペンターズという世紀のスーパースタアにしては」という、絶対的な余地があって、流石にじっくりと全篇を鑑賞すれば、なかなか丁寧に作られたポップスの名品集と確認出来るのです。

そこで前述した「青春の輝き / I Need To Be In Love」の最大の魅力になっている「さりげなさ」が、かなり思惑優先主義で作られたであろう件のアルバムの中にあって、これが素敵な清涼剤であり、また同時に絶妙のスパイスの役割も果たしているのですから、あえて出来が良くとも、シングルカットするには些かのアクが足りなくて当然!?

つまり、前述したとおり、ある意味での前段があってこその名曲であり、それゆえにドラマのラストテーマという位置付けは大正解であったのでしょう。

ところが、そう書いていながら、これが何度も聴きたくなる名唱である事も確かであって、ちょい聴きには地味~な曲メロを持ち前のアルトボイスでソフトに歌い出し、サビでジワッ~と盛り上げていくカレン十八番の節回しが、実に感動的なんですねぇ~~♪

ちなみに曲を書いたのはカーペンターズのファンにはお馴染みの兄・リチャードとジョン・ベティスの共作コンビに加え、あの「カリフォルニアの青い空 / It Never Rains In Southern California」等々で有名なアルバート・ハモンドが参画しているのですから、一説によると妹・カレンが最高のお気に入りだったというのも納得されますよ。

う~ん、それを知ってから、サイケおやじは、ますます「青春の輝き / I Need To Be In Love」と妹・カレンの歌が好きになりました。

ということで正直、サイケおやじは「平成」という時代は好きではありませんが、例えなんであろうとも、こういう歌が人気を集めるんですから、捨てたもんじゃ~ありませんねぇ~~♪

それは表面的にはすっかり失われてしまったハートウォームなメロディやムードを強く求める現代人の希求と思い込んでしまうほど、個人的には嬉しい事象です。

輝け、青春!

お若い皆様ほど、こういう再発見に勤しんでいただきたいと思っております。

そして最後になりましたが、実はこの曲のオリジナルバージョンをアルバム収録テイクとすれば、アナログ盤シングルのバージョンはイントロのピアノを編集したものであり、また既に述べたCDシングルはアルバムと同じバージョンであった事から、リアルタイムで楽しんでいたファンからすれば、幾分の違和感は否めません。

さらに後発で何種類か出たベスト盤収録のバージョンにしても、様々な国によってミックスやエディットが異なっている事が今では常識的に知られているのですから、厄介ですよねぇ……。

まあ、そんなこんなも音楽鑑賞の楽しみのひとつではあるんですが、あえて要注意としておきたく思います。

 

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全てがザ・ピーナッツのハーモニー

2012-06-28 15:15:42 | 歌謡曲

大阪の女 / ザ・ピーナッツ (キングレコード)

昨日、ザ・ピーナッツの姉=伊藤エミの訃報に接し、またひとつ、日本が本当に元気のあった時代の終焉を感じました。

言うまでもなく双子の美人姉妹であった伊藤エミとユミはザ・ピーナッツとして、我国芸能界のポップス系歌謡部門に大きく貢献した事は永遠に不滅!

とにかくナチュラルなハーモニーの魔法を駆使した音楽的魅力は、まさに双子ならではの特性なんでしょうが、追従した多くの双子歌手の何れもが、失礼ながらザ・ピーナッツの実績や存在に及ばなかったのは、やはりエミとユミの音楽性の高さと共に、そのキャラクターの素晴らしさも忘れられないところです。

それはサイケおやじと同世代の皆様ならば、特に東宝特撮作品「モスラ」に出演した小美人役が絶対であり、劇中で歌った「モスラの歌」こそが、ザ・ピーナッツ最大のヒット曲と断言される事も必然性があるほどです。

また、テレビではバラエティ系の音楽番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」におけるレギュラーとしての活躍が、子供心にもスタア性と親しみ易さの両面において、これまた絶対的な印象になっていると思います。

特に後者の中の名物コント――

 おとっつあん、お粥ができたわよ

――という台詞のハーモニーは、すっかり刷り込まれているんですねぇ~♪

そして肝心の音楽面の活動としては説明不要、デビュー曲と思われる「可愛い花」から和製ポップス確立への貢献はもちろんの事、歌謡ポップスの先駆けともいえる「ふりむかないで」から「恋のバカンス」「ウナ・セラ・ディ東京」、そして「恋のフーガ」等々、のど自慢やカラオケの定番になっている楽曲の他にも、挙げたらキリがありません♪♪~♪

もちろんその間には多種多様なカパー曲、童謡や民謡のアレンジ曲、極めて正統派に接近した演歌調の曲まで、全てがザ・ピーナッツだけのハーモニー感覚で歌われていたのですから、その一貫性は恐るべき領域!?

例えば本日掲載した「大阪の女」は昭和45(1970)年秋のヒット曲なんですが、作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、そして編曲:森岡賢一郎という制作陣が、どの程度「演歌」を意識していたかは知る由がなくとも、極めてそれに近い味わいを狙っていた状況は明らかでありながら、そこは流石にザ・ピーナッツが本領発揮!

ここまで洋風の歌謡演歌が披露されてしまえば、以降に数多作られた同系歌謡曲への影響は絶大と思うばかりですし、サイケおやじは、この歌が好きでたまらず、恥ずかしながらカラオケで歌ってしまう事もあるんですよ。

ちなみにザ・ピーナッツは普通、姉のエミがハーモニー、妹のユミがリードを歌うことが多いようですが、カラオケではきっちりハーモニーのパートが入ったバージョンもあるんで、何か良い雰囲気のデュエットをやっているジコマン天国に誘われてしまうのも嬉しいところ♪♪~♪

ですから我国以外でも熱心なファンが多く、特にドイツでは圧倒的な人気があるんですよ!

これは実際、1990年代に当地へ赴くことが多かったサイケおやじが体験した異国の文化であって、その頃の日本では入手不可能とさえ思われていた音源が復刻されていたり、また仕事関係で知り合ったドイツ人からザ・ピーナッツの日本盤レコードや復刻CDを探してくれるように頼まれた事が何度もあるほどです。

そしてもちろん、ドイツでも前述した「モスラの歌」は大人気♪

レコードの他にもザ・ピーナッツが出演した特撮作品のポスターまでも集めているファンが夥しい現実は驚異でもあり、少し前には膨大な音源を集成した欧州盤CDも発売されていましたですねぇ~♪

ということで、何かあまりにも存在が普通に偉大すぎる感が強いザ・ピーナッですが、彼女達のようなスタアは二度と現れない気がしています。

それは双子云々とは別に、時代のムードと求められるものが一致した時のエネルギーが、ザ・ピーナッツという稀有のタレントの登場を促したが如き勢い、そうしたものが今は感じられないからであって、とすれば彼女達が引退後に全く芸能界と関係を断ち切った生活をしていたのも納得されるのです。

報じられた伊藤エミの訃報にしても、既に過去形であった事が、せつなくもあり、またそれが正解と思うほど……。

伊藤エミ、安らかに……。

そしてザ・ピーナッツ、永遠なれ!

合掌。

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Bogalooか、ブガルーか!?

2012-06-27 15:43:00 | 日本のロック

レッツ・ゴー・ブガルー / 寺内タケシとバニーズ (キングレコード)

未だにサイケおやじが意味不明と思っている音楽用語のひとつに「Bogaloo / ブーガルー」があります。

なんか、どうやらアメリカで1960年代後半に流行ったダンスのリズムを指す言葉らしいんですが、「Bogaloo / ブーガルー」が付いた楽曲をレコードで聴いてみても、ある時はソウルジャズ、あるいはラテン風味のジャズロック、はたまた当時最先端のニューロックをヘタウマに解釈したような演奏が多く、中にはこれで本当に踊れるのかっ!?

なぁ~んて、不遜な事を思わざるを得ないものさえあるんですからねぇ……。

しかし「Bogaloo / ブーガルー」が付けられたレコードがヒットしていたのは紛れもない事実であって、特にモダンジャズ~ソウルジャズで大活躍していたルー・ドナルドソン(as) が1967年に出した「Alligator Bogaloo」は、多種多様なカバーバージョンが各国で作られたほどの有名曲!

我国でもGSのホワイトキックスやパニングス・フォー等々が積極的にレコーディングしていた事は、皆様もご存じのとおりです。

と言う事は、少なくともその頃、「Bogaloo / ブーガルー」というリズムか音楽様式が業界ではしっかり認知されていたわけで、それにノレない音楽好きは遅れている事を自覚する他は無いのでしょうか……。

さて、そんなブームの最中、やっぱりやってくれたのがエレキの神様として揺るぎない寺内タケシで、まさに本日ご紹介のシングル曲「レッツ・ゴー・ブガルー」は、そのものスバリ!

実は今日では有名なネタになっているんですが、結論から言えば、寺内タケシ作編曲とクレジットされていながら、曲メロのキモはジミ・ヘンドリクスが十八番の演目「Spanish Castle Magic」と極力似ているんですねぇ~~。

しかも寺内タケシのギターの暴虐性はジミヘンに勝るとも劣らない熱さであって、告白すればサイケおやじは「Spanish Castle Magic」よりも、こっちの「レッツ・ゴー・ブガルー」を先に聴いていたので、ジミヘンのバージョン(?)に最初に接した時は、なんともミョウチキリンな気分にさせられました。

このあたりをちょいと考察してみると、寺内タケシとバニーズのシングル盤が出たのは昭和43(1968)年5月であり、一方ジミヘンが「Spanish Castle Magic」収録のLP「アクシス・ボールド・アズ・ラヴ」を英国で発表したのは前年末という歴史が残されていますから、確かに寺内タケシがそれを聴いていなかったとは言えないでしょう。

しかし、これも皆様が良くご存じのとおり、実はジミヘンがオリジナルとしている楽曲の多くには、古い黒人ブルースや伝承歌を自分なりにアレンジしたものが相当にあって、問題の「Spanish Castle Magic」も激しいニューロックではあるものの、基本はブルースですから、もしかしたら他にネタ元があるのかも知れず、だとすれば「レッツ・ゴー・ブガルー」をパクリ云々と決めつける事は出来ないでしょう。

あと、これはあくまでも個人的な考えなんですが、ブルースというジャンルは音楽の構成様式がある程度固まっていますから、あとは歌詞の中身の問題が大切であって、しかもそれにしたって常套句と定番比喩の組み合わせが多いとあっては、著作権とか独自性なんてものをあれこれ詮索するのは野暮じゃ~ないかと……???

で、この「レッツ・ゴー・ブガルー」が痛快だったのは、なんといっても演奏と歌詞の昭和元禄的奔放感でしょう。

なにしろテンションの高いピートリフをバックに歌われる歌詞が――

 キ~ポン ブッガル~~
 ブッガル~ ブガルゥ~ビ~~

という繰り返しだけなんですからっ!

おまけに演奏の合の手には「ベイビ~! もっと! もっと!」なぁ~んていう刹那の囃し言葉がロック的に用いられ、当然ながらSEとしてゴーゴー喫茶風の観客のざわめきがびっしりと被せられているあたりは、流石に当時の雰囲気が万全だと思います。

もちろんサイケおやじはリアルタイムで楽しんでいたのですから、そういう感慨も深いわけですが、お若い皆様が「昭和元禄とは?」という疑問を抱かれた時、このあたりを聴いていただければ、その一部なりとも解消されるように思います。

ちなみに当時のバニーズのメンバーは黒沢博(g,vo)、鈴木義之(g.vo)、荻野達也(key)、小野肇(b)、井上正(ds,per,vo,etc) という最強の布陣であり、寺内タケシはプロデューサ的な立場であったという説もありますが、やはりレコードでは唯一無二のエレキを存分に披露していましたし、それが無くてはファンも納得出来ないのですから、何時しかバニーズだけでステージ巡業をやるようになった時、御大がブルージーンズを復活させたのもムペなるかな!

このシングル曲あたりが、その境目だとしたら、ジャケットに「囲み」で登場しているのも意味深です。

またB面に収録された「サマー・ブガルー」は、これまた「Bogaloo / ブーガルー」が用いられた曲タイトルからは離反した、完全なるGS歌謡ロックの隠れ名曲!

あぁ、だから「Bogaloo / ブーガルー」が分からなくなるんですよ、ますます。

しかし、あえて言い訳的な納得を書けば、この寺内タケシのレコードは「ブガルー」であって、「Bogaloo」では無いんですけどねぇ~♪

う~ん、確かにそのとおりであって、なにがなんでも「レッツ・ゴー・ブガルー」における寺内タケシとバニーズの演奏は強烈至極!

ニューロックなんて、ブッ飛ばせっ!

そんな意気込みがビンビンに伝わってくるわけですが、寺内タケシにとっては意識する以前の問題であった事も、また真実だったと思うばかりです。

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弾き語りも熱いぜっ! ライ・クーダー

2012-06-26 15:38:03 | Ry Cooder

Down At The Field / Ry Cooder (Leftfield Medio  = CD)

近年のミュージシャン側主導によるアーカイヴ音源商法は、何かと尤もな批判はありますが、しかしファンにとっては蔵出し大歓迎♪♪~♪

なにしろこれまでブートという違法行為でしか接する事の出来なかった「お宝」に堂々とお金を払っていただく以上、その品質の保証は当然ですし、自らの存在意義さえ問われかねないとあっては、中途半端は許されないでしょう。

しかし、その間に第三者的な発売元が関与すると、それはそれで幾分の誤解が発生してしまう問題が……。

例えば本日ご紹介のCDは、ライ・クーダーが1974年に出演したラジオショウ音源を復刻したもので、内容は昔っからブートの優良ネタになっていたものです。

そして今回の復刻盤ではジャケットにエレキを持ったライ・クーダーの写真が用いられていながら、中身はアコースティックな弾き語り!

結果として、そこに欺瞞を感じてしまう皆様も大勢いらっしゃる事は想像に易いわけです。

ところが、だからこそ、この音源に愛着を覚える事も確かと思うのは、サイケおやじだけでしょうか?

☆1974年5月20日:コロラド州デンバーで録音
 01 Too Tight This Rag Of Mine
 02 You've Been Doing Something Wrong
 03 Blind Man Messed Up By Tear Gas
 04 Instrumental
 05 How Can A Poor Man Stand Such Time And Live
 06 Slow Consumption
 07 Forget That Folding Bridge
 08 Fool For A Cigarette / Feelin' Good
 09 Crazy 'Bout An Automobile
 10 Feelin' Like A Submarine
 11 Don't Take Everybody To Be A Friend
 既に述べたとおり、ラジオ放送用のレコーディングなんですが、あまり大きな会場ではないのでしょうか、なかなか雰囲気が所謂アットホーム♪♪~♪
 それだけライ・クーダーの弾き語り大会は心和む集会なんでしょうが、もちろん当時からライ・クーダーというミュージャンは決してメジャーではなく、レコードだって、ベストセラーなんてことはなかったでしょう。
 ただし評論家の先生方や同業者にはウケが最高に良く、そんなところから一度は聴いてみよう! と決意実行の後に熱烈なファンになってしまうリスナーの多くが、生ライプで尚更に憑依されるという、まさに素晴らしき円環が今に続いていると思われます。
 その意味で、この音源にはライ・クーダーの根源的な魅力に迫れる貴重な機会がぎっしり!
 しかも未だ正式契約レコード会社ではレコーディングが成されていない曲もあったりして、例えば「Don't Take Everybody To Be A Friend」は、近年のライ・クーダーが積極的にコラボしているバハマ諸島のミュージシャンの演目であり、それを1974年から既にやっていたというのは、なかなか興味深いところでしょう。
 また「Slow Consumption」も、おそらくはこれが初出?
 あと、「Crazy 'Bout An Automobile」はサイケおやじがお目当てだったシンコペイトしまくりのR&Bなんですが、ここでは肩すかし気味の別アレンジがかえって快感!?
 そんなこんなの積み重ねが、卓越したアコースティックのギターワークとマンドリンを駆使したセルフの伴奏で歌われていくのが、この音源の真相です。
 しかも呆れかえるほど上手いギターは、率直に言えば、ど~やって弾いているのか分析も理解も不能の世界で、おそらくはチューニングの変則性や独自の運指、あるいはピッキングの天才的コントロールがあっての事だけはなんとか分かるんですが、ほとんど神の領域でしょうねぇ~~♪
 そして今回、目からウロコだったのは、ライ・クーダーの歌の上手さ!
 というか、言葉は完全に分からなくとも、非常な説得力が感じられるんですよっ!
 この点はライ・クーダーを鑑賞する場合、今後は留意しなければならないと思うばかりです。

☆1974年5月16日:ニューヨークのボトムラインからの放送音源
 12 The Tattler
 13 One Meat Ball
 14 Preacher
 15 Vigilante Man
 さて、こちらは大都会のニューヨークとあって、リスナーもある意味で慣れ切った耳で楽しんでいるようなファンが多いようで、なんとなくコアなマニア性の熱気が感じられます。
 しかし、もちろんライ・クーダーは自然体なんでしょうねぇ~♪
 妙に気負うなんて雰囲気よりは、ライプの現場ならではの熱の入れようで、なかなか楽しい歌と演奏が披露されています。
 特に「Preacher」のギターは凄いですよっ!
 とても独演とは思えない、スライドと強靭なピッキングの複合技には悶絶させられますねぇ~~♪
 ちなみに「The Tattler」は初出と思っていたら、実はアレンジ違いで「パラダイス&ランチ」に収録されていると思いますが、う~ん……。

ということで、全体的に音質良好の素晴らしいライプ盤だと思います。

ただ、それでも部分的に左右への音揺れがあるのも確かですし、ギターの音色そのものにクリアさが失われているパートがあることも事実です。

そして演奏が弾き語りということで、これからライ・クーダーを聴いてみようと決意されている皆様には、決してオススメ出来るものではありません。

しかし、中身の充実度は圧巻で、ライ・クーダーが好きであればあるほど楽しめるはずですし、当然の如く様々な不平不満も噴出するはずですが、それもまた、ファンにとっては宿業的な喜びじゃ~ないか♪♪~♪

と思っています。

また、ちょっとアコギも練習してみようかなぁ~~、と決意を新たしたくなるかもしれませんよ。

少なくともサイケおやじは、そんなモードに入りそうです。

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サイケな街で精神の安逸

2012-06-25 16:00:25 | 歌謡曲

サイケな街 / 万里れい子 (日本コロムビア)

ここ数日、街を歩くと矢鱈に目立つのが、例のストーズベロマーク!

理由は皆様ご存じのとおり、某ビール会社のタイアップキャンペーンで、これにはストーンズ側もノリノリなんでしょうか……? とにかくストーンズバーだとか、数十種類の缶パッチ、ノベルティのセン抜き、ポスター&ポストカード、揚げ句はヒット曲選集のミニCD等々、何か後年、持っていないと安心出来そうもないブツが、これ見よがしにディスプレイされていますが、結局は一般人が買える物、関係者しか貰えないアイテムがごっちゃまぜなんですねぇ~。

う~ん、既に多くの商品や非売品が世界中のネットオークションに出品されているのは、ストーンズ命のサイケおやじにとっても、完全についていけない世界です……。

もちろん、そうは言っても、結局は意志の弱いサイケおやじですから、万難を排してゲット出来るブツには極力、手を出していますので、情けないかぎりです。

しかし正直、昔ほど熱くなれないのも確かであって、そりゃ~、メーカーは本気でしょうし、ストーンズ側だって美味しいビジネスなんでしょうねぇ~、なにせ結成五十周年ですから!

そこに疎外感を覚えるサイケおやじは結局、天の邪鬼なんでしょう。

というか、そこまでヘソが曲がりっぱなしなのであれば、ノベルティ等々には手を出さないのが真っ当なはずなのに、このあたりは何か今の政権与党のゴタゴタと所属代議士のジレンマを笑う事が出来ないのと似ていますねぇ……。

あぁ、情けない、お恥ずかしい……。

そこで希望的観測から、サイケおやじ本来の道に立ちもどれば、素直にストーンズを楽しみたいわけですし、そんなベロマークが未だ存在してないかった昭和元禄の街が懐かしい!

本日ご紹介のシングル曲を出してしまうのも、そうした心持には素直に従いたいだけと、皆様にはご理解願います。

で、とにかくジャケットからしてモロ! でしょう~~♪

お若い皆様には如何にも「ぶっとび」に見えてしまうファッションも、これが出た昭和43(1968)年には当たり前だのクラッカーだったんですよっ!

もちろん楽曲そのものも強烈至極!

アップテンポでビシバシにシャープなドラムスは、後に言うところのハウス系の先取りかもしれませんし、何よりもノリにノッた万里れい子の歌いっぷりが、如何にも昭和のコブシと先端R&Bファンクにジャストミート!

う~ん、万里れい子は歌が上手いなぁ~~♪

と思っていたら、彼女は昭和52(1977)年に「青春時代」の大ヒットを飛ばした森田公一とトップギャランのメンバーに入った渡部玲子だったんですから、そのリズム感の素晴らしも含めて、流石としか言えませんよ。

しかしリアルタイムの現実では全くヒットしておらず、それが今世紀に入って再発見的にコンビレーションCDに収録され、所謂「廃盤ブーム」の隠し玉という存在になりましたが、私有盤は偶然にも知り合いの引っ越しの手伝いで掘り出したものを譲ってもらったラッキーアイテム♪♪~♪

確かに盤はそれなりに痛んでいましたし、ジャケットも掲載写真はちょいと修正したほどボロが出ていても、そんなの関係ねぇ~~♪

音はCDで楽しみ、現物は持っていることが安心感に繋がるという、言わば精神安定剤というわけです。

えっ、それじゃ~、ストーンズバーとなんら変わらないって!?

そういう声が確かに聞こえますが、全てはサイケおやじの意思の弱さ&無節操と、ご容赦願うばかりでございます。

ということで、何は無くともネットで音源は流れていますんで、ぜひとも昭和元禄サイケデリック歌謡曲をお楽しみ下さいませ♪♪~♪

素直にノレますよ♪♪~♪

 

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ボブ・シーガーという剛毅なロッカー

2012-06-24 15:07:54 | Rock

Ramblin' Gamblin' Man / The Bob Seger System (Capitol)

往年の洋楽には我国だけというヒット盤が多数ありましたが、それは諸外国でも同様の事情が確かにあり、それは現在の様な情報過多の時代ではなかったゆえの、それはそれでなかなか味わい深い現象だったと思います。

つまり日本じゃ~、全く人気が無いどころか、その存在さえも一般には知られていなくとも、本国ではスーパースタアというミュージシャンが相当に存在しており、例えば本日ご紹介のボブ・シーガーは、1970年代から本国アメリカにおいて絶大な人気を集める実力派で、率直に言えば似て非なるスタイルのブルース・スプリングスティーンよりも大衆的なリアルロッカーと決めつければ、それはなかなか信じてもらえないほどでしょう。

しかし実際、1970年代中頃から年間200本以上のライプ巡業をやり続け、新譜レコードを出せば放送メディアはそれを流しまくり、シングル&アルバムはベストセラーになっていたのですから、何故我国でブレイクしなかったのか?

それは今でも疑問に思うほどです。

で、サイケおやじがボブ・シーガーを知ったのは1976年晩秋、ラジオのFEN=米軍極東放送で聴いた「Night Moves」という、アコースティックな哀愁ロック曲でありましたが、なによりもボブ・シーガーのガッツ溢れる歌い方とソウルフルな深い味わいには、瞬時にグッと惹きつけられましたですねぇ~♪

速攻で件の「Night Moves」が収録された同名アルバムをゲットしたのは言うまでもありませんが、例によって本人の過去を探索してみると、予想していた以上にそこまでには苦節の長いキャリアが残されていて、しかもサイケおやじが気に入ってしまう要素がどっさり!?

中でも特筆すべきは、ボブ・シーガーがアメリカ中西部のデトロイト出身であり、既に1960年代前半からセミプロ、そしてプロとしての音楽活動には当地独得のR&B的手法を取り入れた剛球ロックをやっていたという事実です。

まあ、このあたりはミッチー・ライダーにも通ずる魅力であって、しかもボブ・シーガーの場合はサイケデリックロックの洗礼を受け、さらにはシンガーソングライター的な方向性を模索した時期もありますから、所謂アメリカンロックの王道たる部分を確実に表現し続けて来た事は、未だ地元のマイナーレーベルに細々とレコーディングをやっていた駆け出し時代の音源はもちろん、すっかり大物となった今日までの諸作を聴けば明白でしょう。

そして何よりも楽しんでいただきたいのが本日掲載のアルバムで、これはボブ・シーガーの初めてのビッグヒットになった1969年の「Ramblin' Gamblin' Man」をウリした最初のLPとはいえ、やってしまった事の気合いの入り方は半端ではありませんっ!

 A-1 Ramblin' Gamblin' Man
 A-2 Tales Of Lucy Blue
 A-3 Ivory
 A-4 Gone
 A-5 Down Home
 A-6 Train Man
 B-1 White Wall
 B-2 Black Eyed Girl
 B-3 2 + 2 = ?
 B-4 Doctor Fine
 B-5 The Last Song

ちなみにボブ・シーガー(vo,g,p,org) は、ここではバンドスタイルのボブ・シーガー・システムを名乗り、メンバーは他にダン・ホネイカー(b,vo)、ペブ・パーリン(ds,vo) と組んだトリオ編成がレギュラーであり、レコーディングには助っ人としてマイク・アールワイン(hac)、ボブ・シュルツ(org) の参加がジャケットにクレジットされています。

しかし、それでいて演奏が薄っぺらなんて事は決して無く、むしろサイケデリック&ハードロックな熱気が充満しているんですから、ボブ・シーガーのボーカルも勢いと熱血がストレートに伝わってくる快唱ばかり!

まずA面ド頭にヒットした「Ramblin' Gamblin' Man」が置かれているのは美しき慣例とはいえ、ドカドカ煩いドラムスと唸るオルガンに煽られてツッコミ気味に歌うボブ・シーガーは、まさにブルーアイドソウルですよねぇ~♪ しかもバックコーラスの幾分ダサいフィーリングが逆に良い感じ♪♪~♪

ですから以降、ヘヴィなピートにファズギターがたまらない「Tales Of Lucy Blue」や「2 + 2 = ?」、ドタバタなドラムスが剛直なソウルビートに直結している「Ivory」、骨太ハードロックの「Down Home」や「Black Eyed Girl」の真っ向勝負が後のGFR=グランド・ファンク・レイルロードみたいだったりするのには、思わずニヤリでしょう。

また一方、アコースティックギターを使ったアシッドフォーク調の「Gone」や「Train Man」にしても、決して流されない強いピート、あるいはサイケデリック本流のドロドロ感がハードに煮詰められているあたり、なかなかの曲者です。

そしてサイケデリック歌謡曲みたいなイントロからソウルっぽいベース、ハードエッジなファズギターが絡み合って長いアドリブに突入し、最後には見事な構成力を痛感させられる「White Wall」は、完全なる確信犯!?

同様の手口は短いオルガンインストの「Doctor Fine」から「The Last Song」へと続く大団円で、なんとっ! ほとんどバーズ直系のフォークロックが、ギターやコーラスワークの使い方も含めて、非常な高揚感を醸し出す不思議なハードロックに精製されているんですから、実にリアルタイムの生々しさです。

もちろん全篇随所に聴かれるギターソロにはファズが惜しみなく使用され、同時にコーラスワークが妙にウエストコーストしていたりする等々、如何にもアメリカンロック過渡期の作りが記録されてしまった点も要注意でしょう。

気になる楽曲そのもののは、決してメロディ優先主義ではなく、むしろ「ノリ一発」で「やっちまった感」の強いトラックが多いんですが、それがまたボブ・シーガーの直球勝負的な根性ボーカルスタイルには合っているんですねぇ~♪

そこでこのアルバムは、ハードロックファンやアメリカンロックファンには無論、ガレージだとか、パンクだとか、そんなあたりにシビれている皆様にこそ、強く聴いて欲しいと願うばかり!

実際、これを初めて聴いた1977年頃のサイケおやじは、AORやフュージョンに憑依されていた時期だったんですが、完全に目が覚めましたですよ。

ということでボブ・シーガーは、このアルバムを出した1969年から本格的にロックど真ん中の活動をスタートさせ、時には回り道のようなレコードも作っていましたが、大半はアメリカンロックの王道路線を突き進んで、今日に至っています。

そして当然ながら、その流れの中にはカントリーロックやAORといった流行のスタイルも自然に入っていますが、イヤミではありません。

ただし好き嫌いの点から言及すれば、サイケおやじは初期のブルーアイドソウルに染まり抜いた歌と演奏が一番好きですから、この最初のアルバム「ランブリン・ギャンブリン・マン」や通算3作目であろう「モングレル」への愛着も強いのです。

機会があれば、皆様にも、ぜひっ!

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ドラムの若大将

2012-06-23 15:49:21 | Rock

Cheetah Beat / Sandy Nelson (Imperial)

特に1960年代の洋楽ヒット盤にはエレキに代表されるインスト物が少なくありませんが、同時に売れていたのが、ドラムスを前面に出した同系レコードでした。

それは基本的にはエレキインストのキモと同じく、制作された同時代のヒット曲をギターやキーボード、あるいはオーケストラを用いてキャッチーにアレンジし、その中で強いピートを活かした伴奏やドラムソロを聞かせていくという、なかなか直截的な企画ではありますが、それゆえに大衆音楽の好ましい要点を掴んでいると思います。

平たく言えば、聴いていて思わず腰が浮く♪♪~♪

あるいはリズムとピートの刺激に浮かされる♪♪~♪

そんな気分の高揚がたまらないんですねぇ~♪

このあたりは古来から人間にとっては普遍の歓喜であって、原始最初の楽器がパーカッションであったとされる定理はもちろん、映画演劇でも例えば邦画の傑作「嵐を呼ぶ男」のクライマックスがドラム合戦の場面であったり、とにかく分かり易い快楽主義が、ドラムス盤の魅力でしょうか。

そして当然ながら、そうした歴史の中では今日まで、大勢のスタアドラマーが登場しており、本日ご紹介のサンディ・ネルソンはロケンロール~ロックのジャンルにおける決定的な人気者!

そのブレイクのきっかけは、1959年秋に大ヒットとなった「Teen Beat」という、そのものスバリの8ビートドラミングを聞かせるエレキインスト物なんですが、初っ端からシンプルなスタイルを押し通すサンディ・ネルソンをジワジワと盛り立て、後半からはグイグイと野性的な狂熱を呼び覚ます流れに導いていくバックの演奏とアレンジは、単純にして意外に奥が深いのでしょう、ハッと気がついた時には完全にノセられているんですよねぇ~♪

ちなみに曲を書いたのは、そこでギターも弾いているリッチー・アレンという、後にはスリー・ドック・ナイトやブルース・イメージのプロデューサーとしても有名になる才人なんですが、実際のアレンジとプロデュースはサンディ・ネルソン本人というのが定説で、そこに以降継続していく人気の秘密があるというのは、サイケおやじの独断と偏見かもしれませんが、この点については後述します。

また、無視出来ないのが、そのヒットを出す以前の経歴で、カリフォルニアに生まれ、高校生の時にはプロ級の腕前だったという若き白人ドラマーが、様々なバンドに参加するローカルスタアになっていた事、そして同時にフィル・スペクターやジーン・ヴィンセント等々のスタジオレコーディングに参加していた実績は侮れません。

しかもルックスが如何にもティーンエイジスタアの要件を満たしていた事もあり、言わばドラムの若大将!

レコードもシングルヒットよりは、インスト系アルバムをメインに量産体制へ入っていた事は、同じ系列のレーベルに所属していたベンチャーズと歩む道が似ています。

ところが好事魔多し!

なんとっ! 1963年にバイクで事故っての片足切断の大怪我は、ドラマーにとっては致命傷と同じでしょう。

しかし流石は天才ドラマーの覚悟は違っていたというか、懸命のリハビリで翌年にはカムバック盤を出し、世界中のファンを感涙させています。

さて、そこで本日のご紹介は1967年に出た、サンディ・ネルソンの数多の人気アルバムの中でも、特にサイケおやじが好きなLPで、もちろん当時のR&Bを含む洋楽ヒットの数々が「お約束」のアレンジで演奏されています。

 A-1 Happenings Ten Years Time Ago
 A-2 Money
 A-3 You Got Me Hummin'
 A-4 I Don't Need No Doctor
 A-5 Mustang Sally
 A-6 Words Of Love
 B-1 Winchester Cathedral
 B-2 Good Things
 B-3 Please Don't Ever Leave Me
 B-4 Frea Beat
 B-5 Pandora's Golden Heebie Jeebies
 B-6 I Need Somebody

と、書きながら、上記演目をご覧になれば、皆様にしても何が「お約束」なのか、ちょいと戸惑われるかと思います。なにしろサイケデリックもモータウンもサザンソウルもソフトロックも、さらにはノスタルジックポップスも万屋的な選曲は、日和見というよりは無節操?

しかし、ここでサンディ・ネルソンが貫いているのは、全く最初のレコードヒットになった「Teen Beat」と同じリズムとビートの高揚感をシンプルに煽る手口であって、そこに非常にテクニカルな隠し味を織り交ぜる手法は本人が自家薬籠中の十八番ということです。

ただし、であればこそ、サイケおやじは根深い疑問を抱き続けている事を告白しなければなりません。

それは既に述べたとおり、サンディ・ネルソンが事故で片足を失っているという点であり、お叱りを覚悟で書いてしまえば、そういうドラマーに、ここまで素晴らしい演奏が出来るのか!?

という部分なんですねぇ……。

以下は全くのサイケおやじの根拠の無い推察であり、妄想とお断りしておきますが、おそらくサンディ・ネルソンは件の事故以降のリーダー盤において、スタジオセッションでは敲いていないんじゃ~ないでしょうか?

つまり有能なスタジオプレイヤーが代行していたのでは?

という疑念は確証が無くとも、少なくともサイケおやじの中では納得して聴けるところまで固まっていますし、もしかしたらデビュー当時から、レコーディングの現場では同じ事が行われていたような気がしています。

しかし、それでもサンディ・ネルソン名義の演奏が魅力なのは、そのスジの通ったドラム魂で、ロックやソウル、あるいはジャズやラテンであろうとも、出来上がって来るものは常に明るく楽しく、そして激しいという、全日本プロレス最盛期のような、わかっちゃいるけど、やめられないものばかりなんですねぇ~♪

言いかえればサンディ・ネルソンはプロデューサー的な役割であって、また自身のイケメンを活用したイメージキャラクターでもありながら、立派に看板を務めるだけの才能と力量があったからこそ、幾枚もヒット盤が出せたのでしょう。

ということで、個人的にも写真で見るサンディ・ネルソンにはスタアドラマーの佇まいを強く感じている次第です。

それは実際に敲こうが、敲いていなかろうが、スタアはスタアにしか醸し出せない雰囲気の証明だと思うばかりです。

う~ん、まさにドラムの若大将!

コメント (2)
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末期ヴィレッジ・シンガーズの素敵な名曲♪♪~♪

2012-06-22 16:09:50 | 歌謡曲

ノーチェ・デ・渋谷 / ヴィレッジ・シンガーズ (CBSソニー)

流行歌はその言葉のとおり、ヒットしてこそ価値があり、全てはそれを狙って作られているはずなんですが、現実的に売れるものは一握りであり、また、そうだからこそヒット曲は流行歌として生き残っていくのでしょう。

ところが、これまたひとつの真実として、ヒットしなくとも所謂「良い曲・良い歌」ってのはどっさりあって、それが流行歌の楽しみのひとつである事は、皆様も先刻ご承知だと思います。

で、本日はそこに拘った1枚ということで、歌謡フォーク系とはいえ、一応はGSだったヴィレッジ・シンガーズがブームの終焉と共にムードコーラス系のグループに変転していた昭和45(1970)年初夏に出した、これが素敵な隠れ名曲♪♪~♪

実は掲載したジャケ写からも明確ですが、当時のグループはリードボーカルの清水道夫を殊更前面に出したプロデュースにより、さらにコーラスパートとのコラポレーションを追求していた時期で、まあ、そう書いてしまうと「ノーチェ・デ・渋谷」という曲タイトル共々、ますますムードコーラス歌謡にどっぷりと思われしまうかもしれませんが、聴けば一発!

そんな先入観念とは真逆のお洒落なラブソングなんですねぇ~♪

しかも阿久悠の綴った歌詞が女性の視点であり、好きな男から誘われた素直なな喜びがいよいよの期待を含んでいるのに合わせ、中村泰士の書いた曲メロがジンワリ染みてくるジェントルフィーリングなんですから、たまりません。

既に述べたように、当時は全くヒットしていませんが、こういうソフトロック歌謡こそ、案外とヴィレッジ・シンガーズの本質だったように今は思っているほどです。

軽快なピート感を打ち出した小谷充のアレンジも素晴らしいですよ。

ということで、演奏パートにはストリングやホーンもがっちり使われていますから、本来のフォークロックが得意なバンドとしての持ち味は薄いかもしれませんが、これはこれでジャストミート!

あぁ~、こういうレコードが作られていたんですから、昭和歌謡曲の楽しみは尽きません。

機会があれば、ご当地ソングとしての面白さも含めて、カラオケで歌ってみたいなぁ~♪

と思っているのでした。

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ラマタムとエイプリル・ロートンの愛おしさ

2012-06-21 15:08:26 | Rock

Whiskey Place / Ramatam (Atlantic / ワーナーパイオニア)

1970年代初頭のロック界でひとつの流行だったのが、所謂スーパーグループ!

言うまでもなく、そこに集う面々各々は、既に名を成していたバンドでの在籍経験やヒット曲を出したミュージシャンというキャリアの持ち主であり、特にクロスビー・スティルス&ナッシュ=CS&Nが大成功して以降は様々な新グループが誕生していましたが、本日ご紹介のラマタムも、そのひとつとして、1972年のデビュー当時はかなり話題になったバンドです。

なにしろメンバーはブルース・イメージからアイアン・バタフライを渡り歩いたマイク・ピネラ(vo,g)、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェル(ds) が中心というだけで、これはハード&ヘヴィなサウンドは既にお墨付きと納得させられるものがあったんですねぇ。

さらにプロデュースが当時メキメキと評価が高まっていたトム・ダウトであった事にも、強い説得力がありました。

そして、もうひとつ、ロックファンを熱くさせたのが、唯一の女性メンバーであったエイプリル・ロートン(g) の存在で、その美貌と凄腕の相反する魅力は絶大♪♪~♪

もちろん当時は、女にロックは出来ねぇ~~!

という今日では間違いが判明している常識ゆえに、尚更注目されたというわけですが、実際、それは珍しさを超越した部分で話題を独占するほどの実力が認められていたのです。

ちなみにラマタムには他にトミー・サリバン(key,reeds,vo)、ラス・スミス(b,vo) という些か無名な二人も在籍していますが、なかなかの実力者であったことは否定出来ません。

ところが結果的に発売されたレコードはヒットせず、最初のアルバムも成功したとは言い難い時点において、中心人物のマイク・ピネラとミッチ・ミッチェルが脱退!?! ラス・スミスも一説によるとクビになったらしく、結局、どうかに2ndアルバムに仕立て上げられたセッションは、エルプリル・ロートンとトミー・サリバンのデモテープ紛いの音源を加工したものに……。

という、ブレイクしなかったスーパーグループがラマタムの一般的概要ではありますが、リアルタイムで一度でもラマタムの歌や演奏に接したロック好きであれば、それが生ライプであれ、レコードあれ、自らの音楽魂を惹きつけられていた瞬間を思い出す機会があろうかと思います。

それほどラマタムはフックの効いたバンドあり、特に掲載したシングル盤A面曲「Whiskey Place」は瞬発力抜群のドキドキロック! 本気で騒ぐ血潮を抑えきれませんよ♪♪~♪

サイケおやじが当時、ラジオでこれを聴いた翌日にレコード屋へ直行してしまった事についても、後悔は一切ありません!

また、一緒に出ていたデビューアルバム「ラマタム」も最高に素晴らしく、これは経済的な理由から後で買ったんですが、見事に多彩なバンドの内幕と才能を記録しており、詳しくは何れ取り上げたいと思いますが、やはり最初の印象に残ったのはエイプリル・ロートンの素晴らしいギタープレイなんですねぇ~♪

特にドライヴしまくったノリは、失礼ながら女性とは思えない豪胆さがあり、と言うよりも、女のくせに生意気なほど巧みな構成の早弾きフレーズやピートの付け方が憎たらしいばかりで、おそらくはジャズの素養もかなりのもんだと推察出来ます。

しかも既に述べたとおり、美女と言う他はないルックスなんですから、たまりません♪♪~♪

ちなみに使用ギターはレスポールのようですが、それにしても幾分薄いサウンドに作られているのは、マイク・ピネラとのコンビネーションを考慮してのことでしょうか? ツインリードで両者の個性が出るように計算されているあたりは、トム・ダウトの手腕も流石だと思います。

で、そのマイク・ピネラは例によって鬱陶しいボーカルが全開で、ほとんどブルーアイドソウルの味わいは好き嫌いがあるにせよ、サイケおやじは気に入っていますし、無味無臭の音色で奏でる変態フレーズ(?)が十八番のギターも良い感じ♪♪~♪

今となっては二流の人に甘んじているマイク・ピネラも、ここらで再評価が必要なのかもしれません。

ただし、不幸(?)な事に、ラマタムでは美貌の天才ギタリストだったエイプリル・ロートンばかりが注目され、それは今日でも変わらない現実ではありますが、結局バンドがブレイクしきれなかったのも、そのあたりに何かしらの要因が……???

正直に告白すれば、そんな事を書いているサイケおやじにしても、ラマタムのレコードを聴くのは、ほとんどエイプリル・ロートンのプレイが目的なんですよねぇ。

残念ながら、決して真っ当な評価を得たとは言い難いラマタム、そしてエイプリル・ロートンなんですが、残された音源を楽しむ価値は絶対にあると思います。

最後になりましたが、彼女は2枚目のアルバムを出し終えてほどなく演奏活動からはリタイアし、ギターの装飾やペインティングの仕事に携わったとか、既に故人という確証の無い噂まで流れているのは悲しいところ……。

あぁ、エイプリル・ロートンが愛おしい♪♪~♪

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