OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

レッツ・ボンバー・アゲイン

2023-07-17 17:43:34 | 山下達郎

レッツ・ダンス・ベイビー c/w ボンバー / 山下達郎 (RCA)

しばらく日本を離れている間に様々な出来事・話題が続発していたのは、まあ……、それが世の常、これまでも度々あった浦島現象(?)ではありますが、流石に今回の山下達郎騒動には強い違和感を覚えてしまったサイケおやじです。

もちろん、リアルタイムでの騒ぎの広がりについては、完全に後追いで知った情報ばかりとはいえ、やはり数か月前から社会問題化していた「故・ジャニー喜多川氏の性加害問題」を批判した音楽プロデューサーの松尾潔を山下達郎本人が深く経営に関わっている芸能事務所「スマイルカンパニー」から契約途中解除で放逐し、おまけに自分がDJを務める、云わばワンマン番組として長くラジオで放送されている「サンデー・ソングブック」で公式な言い訳としか思えない「ジャニーズ擁護」の発言から、最後には ――

 このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。
 きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。

―― という、実に強烈なファン突き放し宣言としか思えない決意表明!?

既に述べたとおり、サイケおやじはリアルタイムでのラジオ放送は聴けませんでしたので、知り合いから件のラジオ番組の音源ファイルを送付してもらっての後追い聴取だったんですが、これには……、長年のファンであったサイケおやじにしても、納得出来かねるものが確かにありました……。

あらためて述べるまでもありませんが、山下達郎は基本的に保守的な人物だと思えば、やっている音楽そのものにしても、決して時代に迎合したサウンドやメロディは作っておらず、むしろ所謂オールディズ感覚に満ちた作風の中に自らが信じた音楽的要素を取捨選択した芸風(?)が、あの特有の「達郎節」の個性として受け入れられていると思っておりますし、平たく言えば、サイケおやじの趣味趣向と山下達郎のそれが合致するところが多いというあたりは、以前に記した「山下達郎との出会い」という拙文で掲載しております。

つまり……、なかなか山下達郎は頑固な性格であり、義理と恩義を大切している心情は、今回の騒動中でも浮彫りになっているわけで、それはジャニーズ事務所とのベタベタな関係というか、もちろんビジネスに関しての「持ちつ持たれつ」の相互信頼は、他人が否定するべきものではないでしょう。

それでも、前述したラジオでの発言「きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」と言い放たれてしまえば今後、山下達郎の音楽を聴く事は「故・ジャニー喜多川氏の性加害問題」を肯定・容認する事になっちまう気がするんですよ、サイケおやじは……。

古くからのファンには説明不要とは思いますが、山下達郎は自らのリスナーを突っぱねながらも、それなりにファンを喜ばせるサウンドを追求していたはずですし、逆に言えば、山下達郎本人の趣味性で作っている様々な楽曲が受け入れられている今日までのキャリアからしても、ここらで一定の距離間を作ろうとしての発言だったとしたら、なんとも……、やるせない気持ちしかありません。

さて、そこで本日掲載したのは、山下達郎がソロシンガーとなって初めて公式発売されたシングル盤でして、まずは何と云っても山下達郎がブレイクする端緒となった作詞:吉田美奈子&作編曲:山下達郎によるB面曲「ボンバー」が、これが世に出た昭和54(1979)年初頭のサイケおやじを感涙悶絶させた和製ファンク歌謡の決定盤!

それは、山下達郎が、おそらくはアイズリー・ブラザーズを意識して作り上げたであろう、ファンキーロックであり、スラップ&チョッパーの妙技を披露するエレキベースの印象的な使い方があればこそ、血沸き肉躍るとは、こ~ゆ~歌と演奏だと思いましたですねぇ~~♪

また、一方のA面曲「レッツ・ダンス・ベイビー」は山下達郎が作編曲した軽やかなメロディラインにカーティス・メイフィールドやトッド・ラングレンの味わいを塗した、これが素敵なポップス歌謡なんですが、驚いた事には、ここでの作詞が演歌&歌謡曲保守本流で活躍する吉岡治!?!

―― だったという真相は、後に知ったところによれば、楽曲そのものがキング・トーンズに提供したものだったというのですから、当時の山下達郎の下積みを披歴する証左かもしれません。

ちなみにライブの現場では、この「レッツ・ダンス・ベイビー」をやると、途中の歌詞 ――

  心臓ぉぉぉ~にぃ、指鉄っ砲ぉぉぉ~~♪

―― のパートで観客がクラッカーを鳴らすという恒例行事があり、山下達郎本人も演奏を一瞬中断させるという、ありがたくない(?)「お約束」が昭和の時代にはあったんですが、最近は……、ど~なんでしょうかねぇ~~ (^^;

もう、かなり長い間、山下達郎のライブステージには接していないサイケおやじとしては、時には説教ジジイと化しているらしい御大の寛容な姿勢が懐かしいとも思えますが、だからこそ、今回の騒動における自らの立ち位置を明確にした発言・態度は、なにやら理解出来る気も…… (^^;

しかし、だからと云って、サイケおやじは山下達郎の今回の発言を認める事は出来ないでしょう。

個人の性的嗜好は決して否定されるべきではありませんが、そこに「加害」という問題が発生するのであれば、やはり穏やかではありません。

日本の夏と云えば、山下達郎の歌と演奏は定番であり、さらに年末には「クリスマス・イブ」が流れるというのが、季節の風物詩ではありますが、サイケおやじは当分の間、山下達郎を聴く気にはなれません。

まあ、各々の道は、自らが歩んで行くということなんでしょうねぇ……。

願わくば、この「ボンバー」にハナからケツまでシビレさせられた、あの当時のサイケおやじの高揚感を再び、山下達郎には期待するところであります。

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山下達郎との出会い

2020-08-19 19:56:56 | 山下達郎

DOWN TOWN / シュガーベイブ (ナイアガラ / エレック)

それはサイケおやじが希望に燃えて(?)の学生生活をスタートさせたばかりの昭和49(1974)年5月中頃、なんとか入れてもらったバンドの先輩から、「ビーチボーイズ、好きだったよねぇ~」と声を掛けられ、手渡されたカセットテープが、今となっては最初の出会いでありました。

それは無造作に「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」とラベルに書かれただけのコピーカセットでしたから、おそらく件の先輩がサイケおやじの趣味性に合わせて作ってくれたビーチボーイズの選曲集かと思ったので、何を今更……? だって、「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」はサイケおやじの愛聴盤であるビーチボーイズの「サンフラワー」に収められている大名曲ですからねぇ~~! そんな生意気な気分も打ち消せないまま、とにかく自宅で再生してみたら、これが吃驚仰天!

なんとっ!

何処の誰かは知る由もなかったんですが、ちゃ~んとファルセットやベースパートまで歌ったハーモニーコーラスを使うビーチボーイズ系がモロのボーカルグループが、そのビーチボーイズやエヴァリー・ブラザーズ等々のオールディズヒットを演じていたんですねぇ~~!

それも、見事にっ!

もちろん、これは皆様ご存知のとおり、山下達郎がアマチュア時代に仲間達と自主制作したLP「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」からコピーされた音源だったわけですが、そんな事は当時のサイケおやじには知る由もなく、当然ながら、後に日本の歌謡界に大きな足跡を残す山下達郎という偉人の存在についても、また然り!?

ただただ、この世の中には奇特な趣味人が居るんだなぁ~~、なぁ~んていう驚きと羨ましさに気持ちが揺れ動かされましたですねぇ~~♪

ちなみに説明不要かもしれませんが、件の自主録音された各楽曲は、きっちりとボーカル&演奏パートがステレオミックスされ、ダビング作業も丁寧に行われているあたりは、所謂「宅録」でありながら、極めてプロ意識(?)が高く感じられ、それは後に知った事ではありますが、その頃にヤマハから発売されていた簡易汎用ミキサーが使われていたというのですから、やっぱり成功する人は最初っから本格志向だったと感服するばかりです。

そして、そんなこんなの感想と感謝御礼を先輩に伝えたところ、件のLPは既に2年前に製作販売されていながらも、あんまり実売数は無かった様で、その先輩にしても知り合いからの貰い物だったそうですが、山下達郎が人気を集めて以降はファンクラブでも販売されているので、気になる皆様は、一度は聴いてみる価値があろうかと思います。

閑話休題。

しかし、既に述べたとおり、それが山下達郎との最初の出会いだったとしても、サイケおやじが山下達郎という名前を意識的に確認するに至ったのは翌年初夏の事でした。

それが本日掲載したシングル盤A面曲「DOWN TOWN」で、とにかく最初にラジオで聴いた瞬間、流れて来たイントロが、その頃のサイケおやじが夢中になっていたアイズリーズの傑作アルバム「3+3」に収録されている「If You Were There」にクリソツ! しかも曲全体から如何にもの影響が濃厚に感じられたのですから、たまりません♪♪~♪

率直言って、リアルタイムの我が国じゃ~、アイズリーズはロックをやっている黒人グループみたいな受け取られ方さえあったほどの継子扱いでしたから、そんな雰囲気の楽曲を日本語で演じているシュガーベイブって、何処のだぁ~れ!?

そんな興味津々に突き動かされ、ゲットしたのが掲載の私有盤というわけなんですが、もちろん、この名曲名演にしても、リアルタイムじゃ~ヒットしたどころか、マスコミ的には注目されるまでは至らず、どうにか大瀧詠一が子飼のバンドらしいという存在感がやっとだったという気がしています。

しかし、同時期に発売されていたシュガーベイブのLPは殊更アメリカンポップスをメインに好む洋楽マニアには評判になっていた様で、そこには業界の一部からの熱烈な支持もあったもんですから、サイケおやじとしても前述したとおり、大好きなアイズリーズ系のバンドという認識に縋りつつ(?)、今となっては唯一残された公式アルバム「SONGS」をゲットし、ここでようやく山下達郎に辿り着いたというわけです。

で、本日のお題となったシングル曲「DOWN TOWN」は、そのLPのA面の2曲目にも収録されていたんですが、一聴してアルバムとシングル盤では曲の印象が妙に違っているあたりが気になりましたですねぇ……。この感覚は今でも不思議なんですが、最初に聴いていたシングル盤の「DOWN TOWN」が発売された昭和50(1975)年にしては珍しいほどのモノラルミックスで、厳密に聴けば、完全なるモノラル仕様では無いとは思うんですが、だからこそ、アルバムに収録された「DOWN TOWN」のチープなステレオ感が逆に疑似ステレオっぽく聴こえてしまったというのが、素直な感想です。

このあたりはプロデュースを担当した大瀧詠一の如何にもの趣味性がモロに出たのかもしれませんが、それを許容した作詞:伊藤銀次&作曲:山下達郎のソングライターコンビの意図も、当時は測り難いものに思えましたですねぇ……。

ちなみに演じているシュガーベイブは前述したアルバム裏ジャケのクレジットから山下達郎(vo,g,key,per.etc)、大貫妙子(vo,key,etc)、村松邦男(vo,g,etc)、鰐川己久男(vo,b,etc)、野口明彦(ds,per,etc) というのが基本メンバーだったらしく、そこへ上原裕(ds)、木村真(per)、布谷文夫(vo)、そして大瀧詠一(vo) が加わってのレコーディングが実相だったらしいんですが、サイケおやじが唯一接した彼等のライブギグでは、メンバーチェンジが行われていた様で、それについては追々に記する所存ですので、本日はここまでとさせていただきます。

皆様ご存知のとおり、リアルタイムではアルバムもシングル曲もヒットしなかったのは、やはり制作が大瀧詠一の個人レーベル「ナイヤガラ」であり、発売元がこれまたインディーズの「エレック」だったという現実がある事が否定出来ません。

特に当時、発売元の「エレック」は昭和45(1970)年から吉田拓郎の初期作品群を製作発売した事から急速に大きくなった活況も今や昔、放漫経営の果てに吉田拓郎や泉谷しげる等々の看板スタアに逃げられ、事実上倒産していたというのですから、こ~ゆ~ところも所謂名盤誕生に纏わる伝説といえば、贔屓の引き倒しでしょうか……。

しかし、後に知ったところでは、シュガーベイブは山下達郎の完全なるワンマンバンドだったらしく、そのレコーディング現場の仕切りも比較的自由に行えたというのは、発売元の不安定な状況が逆に良い方向へと作用していたと思うのはサイケおやじの妄想と暴言かもしれませんが、今となってはルーツ・オブ・ニューミュージックの傑作が、この「DOWN TOWN」と思うばかりです。

ということで、まだまだ山下達郎については書き足りず、またサイケおやじの稚拙な文章力では、とてもとても全てを正確に書き記す事も出来るとは思いませんが、とりあえず本日は、山下達郎との出会いについて、サイケおやじの原体験を皆様にご一読していただきまして、心から感謝申し上げます。

う~ん、あの日は遠くなっても、忘れられないのでした。

コメント (2)
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