OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

嘆きの大晦日にはシンミリ歌謡フォーク

2019-12-31 17:26:02 | 歌謡曲

無縁坂 / グレープ (ワーナーパイオニア)

ついに本日は令和最初の大晦日、妙に生暖かくて、不可思議な気分のサイケおやじです。

しかし、それにしても保釈中のカルロス・ゴーンが、どうやら無許可で出国したらしいというニュースは、真実なのかっ!?

それが本当なら、またまた日本の司法はコケにされた情けなさで、先日の万歳三唱の無期懲役囚と同じだぜっ、カルロス・ゴーンって奴はっ!

と思わず熱くなってしまいましたが、確かに今年も世間を呆れさせた大バカヤローが様々に登場したわけで、それを総括するだけでも大晦日の意義はっ!?

なぁ~んて事まで考えさせられてしまいました。

しかし、だからこそ、今日はシンミリ系の歌を欲するということで、さだまさし&吉田正美が組んでいたグレープが昭和50(1975)年末からロングセラーの大ヒットにした「無縁坂」のシングル盤に針を落としました。

楽曲については説明不要かと思いますが、さだまさしが作詞作曲した主題は、老齢の母に想いを寄せる息子の心象風景ということでしょうか、東京の湯島に実在する坂道を舞台にした、如何にもシンミリ系の歌謡フォークは、確かに琴線に触れますねぇ~~~。

当時も今も、周囲からはサイケおやじが、こ~ゆ~歌は嫌いだと決めつけられておりますが、そりゃ~、これまで積み重ねた日頃の言動からすれば、そ~思い込まれても当然という自覚はあるものの、個人的には決して歌謡フォークが嫌いではありませんし、名曲名唱は素直に認めているわけで、何よりも中古盤ではありますが、そんなこんなのレコードはきっちり入手している現実について、これ以上の言い訳は苦しくなるばかりでしょう。

心底、さだまさしの天才について、サイケおやじは尊敬もしていますし、驚愕感服もしているのです。

そして、この「無縁坂」は、中でも特に好きな1曲 ♪♪~♪

また、本日これを取り上げたのは、実は昨夜、所要で無縁坂の傍まで出向いたからでして、そんな余韻も確かにありましたですよ。

ということで、今年も例年どおり、光陰矢の如し!

年頭には、なんとか今の仕事からリタイヤするべく画策し、前半はそれに向かって、それなりに努力もしたつもりだったんですが、結果は……、最低でも、あと3~4年は辞められないという状況に追い込まれ、それならと居直ったのが今年の後半でありました。

このブログを、なんとか再開する事が出来たのも、全く件の居直りによるもので、当然ながら日々、訪れて下さる皆々様の応援のおかげと、深く感謝しておりますし、多くのコメントに、お返事も疎かになってしまった事にも、心からお詫び申し上げます。

来るべき新年は東京オリンピックも予定されているので、グッと浮かれた世相になりそうな予感がある一方、社会的な不条理や天災による悲惨な状況は改善する兆しが見えず……。

特に冒頭に述べた、カルロス・ゴーン海外逃亡事件にも象徴される様な、ど~にも我が国の司法は社会的な地位が高い者や大金持ちに甘いという、大きな間違いが目立った1年でした。

そして、本来ならば法務大臣、あるいは総理大臣は、そんな司法のデタラメ的ユルフン状態を国会で追及されねばならないはずが、ボンクラ野党は相変わらず「桜」云々で新年を押し通すみたいですから、永田町はゴクツブシ集団の溜まり場と化しているのが、現在の日本でしょう。

結局、今年も嘆き節で終わるのかと思えば、自嘲するばかり……。

しかし、来年こそはっ!

そ~ゆ~気持ちは持ち続けたいと思っております。

どうか皆様、来年もよろしくお願い致します (__)

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赤い鳥がロックバンドだった頃

2019-12-30 19:18:10 | 日本のロック

紙風船 / 赤い鳥 (東芝)

日本のフォークグループの中でも赤い鳥は素晴らしいコーラスワークをウリにしていた事から、今となっては、所謂アンプラグドな音楽性ばかりと思われがちですが、きっちりバンド形態としてのエレクトリックな歌と演奏にも魅力がありました。

もちろん、赤い鳥のフォークグループとしての存在感は否定出来るものではありません。

それは後藤悦治郎(vo,g)、山本俊彦(vo,g)、平山泰代(vo.p)、新居潤子(vo)、大川茂(vo,b) という編成だったデビュー期においては、古い日本民謡を素材にした「竹田の子守歌」をヒットさせるという瞠目すべき偉業は永遠に記憶されるべきと思いますが、同時にメンバー全員の優れた歌唱力を活かしたコーラス&ハーモニーの力量は業界の注目を集め、メジャーデビュー期のアルバムにはバート・バカラックが書いた有名ヒット曲やサイモン&ガーファンクル、ビートルズ等々の良く知られた売れセンのカバーバージョンが収録されていたのですから、やはり当初はソフトロックのレールが敷かれていたのでしょう。

実際、シングルヒットした「誰のために」「翼をください」「忘れていた朝」等々はハリウッド制作の洋楽ポップスにも負けない魅力が確かにあり、決してアンプラグドではないのです。

高校生だったサイケおやじは、ラジオで聴くだけでしたが、そ~ゆ~赤い鳥が好きでしたねぇ~~♪

ところが当時、つまり昭和45~47(1970-72)年頃の我が国は狂熱的な歌謡フォークのブームが最高潮でしたから、例えば校内同好会のフォーク組の連中はアコギを弾きながら男子も女子も一緒になって赤い鳥のヒット曲を歌っていたという、エレクトリックなバンドに拘泥していたサイケおやじにしてみれば、本音で羨ましい状況を斜めに見ていたという……。

いやはや、なんとも僻み根性が全開の青春時代はお恥ずかしいかぎりなんですが、その溜飲が下がったのが昭和47(1972)年のゴールデンウイークのある日に接した赤い鳥のライブステージで、そこには前述5人のやオリジナルメンバーに加え、大村憲司(g) と村上秀一(ds) という、今やレジェンドの天才プレイヤーが顔を連ね、各々の演奏楽器もエレクトリックに持ち替えられていたのですから、最初の音が出た瞬間、思わず歓声の記憶は今も鮮明です。

しかも演じられていたのは、サイケおやじにとっては馴染みの無い曲が多く、持ち前のコーラスのバックでは唸るエレクトリックなギターソロ、そしてベースとドラムスが強いビートを出し続けるという、ちょいとジェファーソン・エアプレイン風のスタイルさえも披露していたんですねぇ~~♪

もう、完全に日本のロックでしたよっ!

さて、そこで本日掲載したのは昭和48(1973)年春に発売された、これが和製サイケデリック~アシッドフォークと申しましょうか、殊更作詞:黒田三郎&作曲:後藤悦治郎、そして編曲:瀬尾一三&赤い鳥とクレジットされたA面曲「紙風船」は抑揚の緩いメロディラインに起承転結が曖昧な、それこそ呪文とも誤解されそうな歌詞の奇妙な同居を描くいた如き、なかなか摩訶不思議な歌と演奏が展開され、当然ながら蠢くエレキベースと淡々としたドラムスのビート、モード系のギターソロがボーカル&コーラスのバックや合間で流れているという仕上がりですから、これがライブステージで演じられ時には、なかなか熱いエネルギーが噴出されていたんですよっ!

その頃の赤い鳥のステージの雰囲気を伝えるジャケ写にも嬉しくなりますし、今では貴重な記録と思いますが、いかがなものでしょう。

しかし、当然の如くと書けば失礼千万、この頃から赤い鳥はシングルヒットには無縁となり、それでもアルバムはプログレっぽい方向性も感じられる秀作を出しているのですが……。

皆様ご存知のとおり、赤い鳥は昭和49(1974)年に分裂解散し、後藤悦治郎と平山泰代は赤い鳥の正統を継ぐフォーク系の夫婦デュオ「紙風船」、一方の山本俊彦も新居潤子と結婚し、大川茂を加えた「ハイ・ファイ・セット」を結成し、それぞれにヒット曲を放っていったのは現在、ニューミュージックと称されている新しい雰囲気の歌謡曲が創成されていく歴史でもあろうかと思います。

もちろん、その現場には大村憲司(g) と村上秀一(ds) の両名がスタジオセッションや有名スタアのバックバンドで目覚ましい活躍を繰り広げた事実も、決して忘れられないところです。

ということで、赤い鳥が我が国の大衆音楽の世界で果たした役割は計り知れないものがあるのですが、その前期のスタイルはアマチュアのグループでも模倣されながら、後期のエレクトリック&プログレ風味に傾いていた頃の歌や演奏は、それほど親しまれていないんじゃ~なかろうか……。

そりゃ~、とっつきにくい要素があるのは確かですし、サイケおやじも大昔の若かった頃に入れてもらっていたバンドで、そんな事を画策した事もあったんですが、結果は周囲の理解を得られず、頓挫しています。

しかし、今ならねぇ~~~。

あっ、でも最初にコーラス&ハーモニーが素晴らしく出来上がっていなけりゃ~、冗談にも笑い話にもなりませんねっ!

やっぱり、赤い鳥は凄いグループでありました。

最後になりましたが、既に述べたとおり、赤い鳥分裂解散を経て後藤悦治郎と平山泰代が結成したのが「紙風船」と名乗ったのは、この曲との関連が何かしらあるんでしょうか?

それも美しき謎と思うばかりです。

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酒場にて

2019-12-29 17:45:48 | 歌謡曲

酒場にて / 江利チエミ (キングレコード)

いゃ~、それにしても昨夜連れていかれた飲み屋に居合わせた酔客の度胸には、驚かされました。

それは、もはや暴言の類とかではなく、ひとつの演説でもあり、憂さ晴らしの戯言でもあったのでしょうが、現職代議士の実名を挙げて様々な裏の所業を暴露しているだけに留まらず、その信憑性を云々する以前にターゲットにしたセンセーの過去や人間性、及び人間関係等々、よくもまあ、そこまで知っているもんだなぁ~~!?

率直に申し上げて、呆れるほど詳らかに喋っているとはいえ、周囲は誰も相手にしていないという状況は、ありがちな酒場の風景でありましょう。

しかし、それがエスカレートし、ついには奴を殺せの何と言い放ち始めては、流石にたまりかねたのか、おそらくは連れの面々でしょう、店外へと引き出されて行ったのは至極当然の成り行きだったんですが……。

なんとっ!

路上でも同様の主張を声高に!?

ということで、その場に警察官までやって来たという顛末は、なんとも人騒がせな御仁でした。

ただし、件の酔客の話の内容は決して蔑ろに出来るものばかりじゃ~なくて、サイケおやじには正直に感銘共感される部分も多々ありました。

中でも、今もって全く反省の色さえもない代議士・丸山某に関しては、それこそケチョンケチョンで、店内には拍手さえも沸き上がったのですから、なかなか侮れない人物と思いましたですねぇ~~。

もちろん、日々のストレスや鬱憤を抑えきれなかったであろう事は推察に易いところです。

ということで、本日掲載したのは、そんなこんなの様々な情景が連日繰り広げられる酒場に因んだ名曲として、江利チエミが昭和49(1974)年にヒットさせた「酒場にて」を取り出しました。

皆様ご存知のとおり、作詞:山上路夫&作曲:鈴木邦彦、そして編曲:高田弘というヒットメーカートリオが提供の「酒場にて」は、今や歌謡曲のスタンダードとしてカバーバージョンも多数制作され、またカラオケの定番としても親しまれて名曲ですから、あれやこれやとサイケおやじが書き連ねる必要もないでしょう。

それでも本日、久々に江利チエミのオリジナルバージョンを聴いてみたら、エレキベースの硬質なノリや疎外感さえ滲むエレピ、ニューソウルっぽいストリングス等々、どうにも演奏パートに歌謡曲保守本流の味が薄い様な気がしつつも、江利チエミの節回しにグッと情念が入っている感じで結果オ~ライ!?

なんとなく違和感を覚えるのは、ど~してなのかは解せませんが、やはり昭和歌謡曲の底力を堪能させてくれる名曲名唱と思うばかりです。

さて、いよいよ今年も最終盤、サイケおやじは断捨離作業を強要されてはおりますが、それが出来るぐらいなら、とっくの昔にやってますよぉ~~~、と居直るばかり……。

それゆえに自宅に居辛い様な雰囲気で、しょ~がないので、とりあえずのブツを纏め、借りているトランクルームへ明日は向かいます。

でも、そこもねぇ……。

好きな物に囲まれて生活出来る環境が、本当に欲しいと願っているのでした。

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真夜中のソウルサキソフォン

2019-12-28 16:51:34 | Soul Jazz

Soul Of The Ballaad / Hank Crawford & The Marty Paich Orchestra (Atlantic)

  A-1 Blueberry Hill
  A-2 I Left My Heart In San Francisco
  A-3 Stormy Weather
  A-4 Sweet Slumber
  A-5 If I Didn't Care
  A-6 Stardust
  B-1 Any Time
  B-2 Whispering Grass
  B-3 Time Out For Tears
  B-4 I'm Gettin' Sentimental Over You
  B-5 There Goes My Heart
  B-6 Have A Good Time

帰宅するのは、ほぼ連日午前零時を過ぎた深夜なので、その後のリラックスタイムに自室で鑑賞する音楽にしても、音量を抑えて聴きつつ、心に染み入るレコードを取り出す事が多く、本日掲載のLPは最近のヘビロテ盤であります。

それはタイトルもスバリとそのまんま、ソウルジャズ派のサックス奏者としては名前を知られているはずのハンク・クロフォードが、有名スタンダード曲をマーティ・ベイチが編曲指揮したオーケストラをバックに、じっくりと吹いてくれるという、本当に偽りの無いアルバム ♪♪~♪

いゃ~~、なにしろ上記した演目をご覧下さいませ。

このアルバムが世に出たのは1963年と思われますが、それゆえにジャズ者やポップス愛好者にはお馴染みの曲が選ばれていますし、例え知らない曲名であっても、実際にハンク・クロフォードが吹いてくれるメロディに接すれば、あぁ~~、この歌はっ!

と感じ入る事は必至でありましょう。

しかも、ここでのハンク・クロフォードはテーマの原メロディを素直に吹いているだけで、そのフェイクは聞かせても、アドリブなんて無粋なものは、すっぱりと切り捨ている潔さは最高 ♪♪~♪

そ~ゆ~演奏に対し、イノセントなジャズファンからは、これはジャズじゃ~なくて、ムードミュージックだっ!

という烙印が押される事も、そりゃ~確かにあるでしょう。

それはマーティ・ベイチのアレンジによるストリングスが本当に美しく、同時にリズム隊が慎ましいという仕上がりがアルバム全篇の味わいを決めている結果にもポイントはあるかもしれません。

しかし、他のジャズミュージシャン、例えばジョン・コルトレーン(ts,ss) にしても、スタンダード曲のスローな演奏においては、ほとんど素直にメロディを吹奏するだけでリスナーを気持ち良くする結果を鑑みれば、ハンク・クロフォードをジャズの世界から疎外する必要も無く、当然ながらジャズだのソウルだのというジャンルに拘泥するのは愚の骨頂!?

このアルバムは、それをサイケおやじに教えてくれましたですねぇ~~♪

美しく魂の入ったハンク・クロフォードのアルトサックスの音色と紡ぎ出されるお馴染みのメロディに酔わされつつ、その日を終えるのが、最近のサイケおやじの日常であります。

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この年末の土壇場で

2019-12-27 19:12:46 | Weblog

頼みの綱のスマホが昇天してしまったです……。

原因不明の作動不良で、画面がフリーズして、どうにもなりません。

現在、新品にデータ移行中のため、本日はこれにて失礼させていただきます (__)

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ふらりのグルーヴ

2019-12-26 18:07:07 | 歌謡曲

ふらりふられて / 由紀さおり (東芝)


昨夜から、仕事諸々であっちこっちに振り回されたもんですから、今日は朝イチ、掲載した由紀さおりのシングル盤A面曲「ふらりふられて」が聴きたくなって、あぁ~~、レコードに針を落とした瞬間の至福を皆様にお裾分けという次第です。

なにしろ宇崎竜童が附したメロディには独特のR&Bというよりは、俗に言うリズメン歌謡っぽいノリが横溢し、若草恵のアレンジもクラリネットや、もしかすると電気アタッチメントを装着したリードセクションがチンドン系南部ソウルのリフやソリをやらかしますから、あてどない恋模様を綴った島武実の作詞にもジャストミートの説得力があるんですねぇ~~♪

ファンキーなリズム隊やソウルフルな女性コーラスもイイ感じ ♪♪~♪

そして当然ながら由紀さおりの素晴らしい歌唱力は、こ~したオトボケムードをマジに変換させる節回しの上手さがありますから、聴いていて本当に気持ちが良いわけですよ ♪♪~♪

ちなみに発売されたのは昭和51(1976)年の12月ですから、正しく師走のお気楽モードが全開!?

少なくとも今のサイケおやじの心境には、これ無くしてやっていけないっ!?

てな衝動が抑えきれず、速攻でスマホに取り込んで、車の中やメシ喰ってる時間に浸り込んでおりますです。

ということで、ソウル歌謡でもあり、コミックソングの様でもあり、しかしこれは由紀さおりにしか歌えない世界が堪能出来る裏名曲じゃ~ないでしょうか。

機会があれば皆様にも、ぜひお楽しみいただきたいと思うばかりです。

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クリスマスの博多みれん

2019-12-25 17:15:19 | 歌謡曲

博多みれん / 野口五郎 (ポリドール)

我が国歌謡界の大スタアとしてヒット曲もどっさり放って来た野口五郎が、そのデビュー作はド演歌「博多みれん」であった事は有名過ぎる逸話ですから、お題にするにも特筆すべき事も無いんですが、やはり全くヒットしなかった件のシングル盤の現物を目の前しては、中古であるほどにゲットせざるを得なかったという、なかなか強烈なインパクトが眩しいばかり!?

説明不要ではありますが、野口五郎は次作からポップス歌謡へと路線を変更し、「青いりんご」のメガヒットで一躍男性アイドルスタアの仲間入りを果たしたとはいえ、そ~なればなるほどに「デビュー曲がド演歌だった!」という事実がネタになり続けて今日に至っている事は、なにやらリジェンド的扱いとも思えます。

で、昭和46(1971)年5月に発売されたデビュー曲「博多みれん」は作詞:鳳司哲夫&補作詞:大日方俊子、そして作曲:荒井英一が提供した、これがちょいと森進一っぽい感じで、竹村次郎のアレンジがベタなもんですから、野口五郎も声質は違いますが、節回しが森進一に近づいているあたりは、なかなか起用な歌唱力を披露しているんですねぇ~~!?!

ご存知のとおり、野口五郎は両親が歌謡曲のローカルスタア、そして実兄が作編曲家&マルチプレイヤーという音楽一家に育ちましたから、幼少期から音楽的な才能は開花していた事が知られていた期待の星でありながら、デビュー曲がド演歌であった事で当時の芸能週刊誌の中には「長良川にロックを捨てた」というタイトルのグラビアが掲載されたという伝説も残されています。

そして野口五郎本人も、正統派歌謡曲が好きだったと云われていますから、デビュー当時の路線はそれほど的ハズレではないのかもしれませんが、やはり恵まれたルックスと歌唱力があるのですから、歌謡ポップスにシフトしての大ブレイクは必然でしょう。

繰り返しますが、今となってはネタ扱いのデビュー曲「博多みれん」ではありますが、これがあったからこそ、後の大ヒット曲「私鉄沿線」等々における純粋な歌謡曲の魂が「作り物」に感じられなかったのだと思うばかりです。

さて、本日はクリスマスでありながら、何故にド演歌「博多みれん」の掲載か?

という真相は現在、仕事で来日している関係者が西洋人でありながら日本の歌謡曲に惹かれ、特に野口五郎のレコードを欲しているというので、サイケおやじとしてはクリスマスプレゼントに供したのが、この「博多みれん」のシングル盤です。

もちろん、皆様ご推察のとおり、サイケおやじは朝イチで針を落とし、別れを惜しんだのでした。

メリークリスマス ♪

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クリスマスは胸キュンで

2019-12-24 17:43:09 | 歌謡曲

雪にかいたLOVE LETTER / 菊池桃子 (vap)


今年も残すところ 1週間ということは、つまりはクリスマスがド真ん中なんですねぇ~~、世間は。

しかしサイケおやじは齢を重ねる度に、そんなキリスト教の行事に、なんで仏教徒が!?

なぁ~んていう融通性を欠いた天邪鬼な心持になりつつも、所謂クリスマスソングは大好きという自己矛盾を毎年繰り返しているんですから、自嘲する事で取り繕う場面が多々あり……。

そこで本年の1枚は、昭和59(1984)年末に発売された菊池桃子のシングル盤A面曲「雪にかいたLOVE LETTER」であります。

皆様ご存知のとおり、最近はキャリア官僚との再婚でマスコミを騒がせたりした彼女は、そのデビュー時から女の子アイドルの王道路線を歩んでいながら、必ずしも全てが順風満帆ではなく、その迷い道も回り道も、ファンが許容する以上に現在の彼女の存在意義(?)に結びついている様な気がするわけですが、それはそれとして、やはり芸能活動の初期段階では例のグラビア雑誌「Momoco」とのタイアップ的な売り出し方が賛否両論だったという……。

それは後に「おニャン子クラブ」へと継承されていくトーシロ芸能人の礎!?

と規定すれば体裁は良いんでしょうが、裏を返せば、一部のマスコミ優先という制作側の方針が、結果的に菊池桃子に対する風当たりの強さになっていたという側面は否めません。

しかし、それでもスタアとして輝いたのは、やはり菊池桃子の資質と努力でありましょう。

サイケおやじは決して彼女のファンではありませんが、それについては大いに称賛すべきと思っています。

そして歌手として発売されたレコードにも、なかなか素敵な楽曲が多いんですねぇ~♪

もちろん、それなりの歌唱力は褒められるレベルではありませんが、制作側の思惑をしっかりと体現するべく頑張った雰囲気が伝わって来るあたりが好きなんですよ ♪♪~♪

で、この「雪にかいたLOVE LETTER」にしても、秋元康が綴った歌詞は所謂「クリぼっち」であり、菊池桃子みたいな美少女が、そんな気分はロンリーを歌うところにミエミエの狙いがあろうとも、林哲司の作編曲にはマイナーでビートの効いた十八番の節がテンコ盛りですからねぇ~~、彼女のファンにとっては、あの甘え口調の歌いっぷりが結果オーライだったはずです。

実際、なんとなく置かれた感じのストリングスや産業ロック系のキーボードサウンドは洋楽の売れセンであり、他のアイドル歌謡とはちょいと別次元の仕上がりを狙っているところは、未だそれほど様々な音楽に親しんでいない若年層のリスナーの優越感さえ満足させるものでしょうし、菊池桃子の虚弱系ボイスにはドンズバ!

極言すれば、ジャケ写スリーブの彼女のポートレートと同じイメージの声が楽しめるのです。

うむ、こ~ゆ~裏切りの無さもアイドル歌謡には必要なんですねぇ~~♪

ということで、クリスマスソングには思いっきり楽しいか、あるいは胸キュンっぽい歌の二極分化が成立しているとすれば、アイドルがせつない感傷を聴かせてくれるレコードほど、ファンには好まれるんじゃ~ないでしょうか?

もちろん、普通に音楽が好きというリスナーにしても、クリスマスに事寄せてのセンチメンタルな気分はキリスト教徒で無くとも、何か特別なんでしょうねぇ~~。

まあ、それだけキリスト教が良くも悪くも世界に根を下ろしている証と云えばミもフタ無く、お叱りは覚悟しなければなりませんが、少なくとも素敵な歌がゴマンと作られて来た事は歓迎すべきと思います。

世界に平和を!

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センセー、それは不埒ですよ

2019-12-23 19:13:17 | Weblog

今日は、あきまへん……。

なぁ~んていう関西弁の嘆き節でお詫びを申し上げなければならないのは……、関西から出張って来たお偉いセンセーにすっかり振り回されているからでして……。

今に至るも埒のあかない繰り言ばかりですから、マジギレしそうですよ。

我慢を重ねるのも任侠の道かどうかは知りませんが、本日は行く先が見えないので、ここで失礼させていただきます (__)

明日は、なんとかしないとなぁ~~~。

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言いきって痛快

2019-12-22 16:42:30 | 歌謡曲

1/2の神話 / 中森明菜 (ワーナーパイオニア)

今となってはツッパリ歌謡アイドルのトップスタアという称号にも哀しいものがありますが、しかし中森明菜が登場したからこそ、昭和50年代後半の歌謡曲には勢いがあった様な気に思います。

それは所謂「ポスト百恵」という立ち位置から、さらに個性を確立して行く過程で発表していた歌謡ロック系の楽曲がサイケおやじは大好きで、中でも昭和58(1983)年2月に出された本日掲載のシングル盤A面曲「1/2の神話」は傑作!

なにしろイントロからアップテンポのハードロックが炸裂し、タイトなリズムと激したギターに導かれて歌い出す中森明菜のボーカルにはアイドルらしからぬ捨鉢フィーリングが全開で、まあ、このあたりは山口百恵からの影響は打ち消せないんですが、曲構成にはテンポを落としたりするプロのワザが仕込まれていますから、中森明菜にしても自分だけの「味」を懸命に出そうとする、その意欲が上向きのベクトルを描いているんですねぇ~~♪

ちなみに作曲を担当した大沢誉志幸はクラウディ・スカイと名乗る、個人的には注目していたロックバンドをやっていた才人で、後には「そして僕は途方に暮れる」の自演ヒットも出した事は有名ですが、この当時はソングライターとして主にアイドルに楽曲を提供していた事から、こ~ゆ~歌謡ロックも手際が冴えていたのでしょう。

萩田光雄のアレンジとも相性がバッチリと思います。

そして、それ以上に強力なのは売野雅勇が綴った歌詞の思いっきりの良さで、それは曲タイトルどおり、未だ完全にツッパリきれていない少女から大人の女性への不安定さを言いきっているとすれば、それを断言するが如き中森明菜のスバっと痛快な勢いが実に最高なんですねぇ~~~♪

 いいかげんにしてぇ~~~

このキメ&捨て台詞が、痛快至極!

ですから、もうひとつ、特筆しておきたいのが、このジャケ写の素晴らしさで、ご覧いただいたとおり、全く可愛い彼女が、歌の世界ではツッパリまくりという、まさに「1/2」=「半分」ずつが女の本性!?

レコードを鳴らしながらジャケ写スリーブを眺めていると、なんとも倒錯的な感度は良好というわけです♪♪~♪

ということで、最近の世相における諸々の不条理に対しては、嘆く事より「いいかげんにしてぇ~~」と言い放ちたい気分にジャストミートなのが、この歌というわけです。

この年末の流行語にならないかなぁ~~~。

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