山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

育鵬社の「新編 新しい日本の歴史」を見て

2015年07月05日 16時58分54秒 | Weblog
 今日(2015・7・5)港区民センターに行ったら、フロアの隅で中学校の教科書展示をやっていた。育鵬社の歴史教科書を手にとった。右翼団体・新しい歴史教科書をつくる会が分裂して、その片割れが発行しているのが、育鵬社版「新編新しい日本の歴史」だ。
 時間がなかったので初めの方だけ見た。びっくりしたのが、大仙古墳(仁徳天皇陵)を写真、絵図、コラムで3回取り上げていることだ。30p写真では「秦の始皇帝陵の約4倍の面積がある」と解説し、31p大仙古墳・始皇帝陵・クフ王ピラミッドを重ねた絵図ではいかに大きいかを見せ、「大和朝廷の国力と技術は驚くべきものです」を説明する。33p「古墳は『語る』」というコラムでは、「最大の前方後円墳である大仙古墳(仁徳天皇陵)はサンタンジェロ城はもちろん、エジプトのクフ王(前27世紀ころ)のピラミッドや秦の始皇帝陵をも上回り、墓面積としては世界一の規模とされています。このことは、当時の日本も、高度の土木技術に支えられた文化をもっていたことを示しています」と書いている。
 わたしが1961年に中学2年の時の歴史の先生(教頭)は、戦前の教育を引きずったような人で、日本列島は太平洋に向かって弓なりになって堂々と胸を張って自分を主張していると教えた。だが、日本列島の形は地殻運動の結果であって、地形が太平洋の向こうにあるアメリカなどに主張するために形をつくっているのではない。ずいぶん前、「あたらしい歴史教科書」を見たときには、近現代の項で、朝鮮半島を日本列島に突き付けられた匕首(あいくち)だと表現していた。昔の授業でその先生は「仁徳天皇陵は、秦の始皇帝陵や、エジプトのピラミッドよりも大きく、世界一だ」ともいった。
 戦前戦中の「国史」をひきずっていた昔の授業の記憶を呼び覚ましたのが、育鵬社の歴史教科書だ。陵墓の面積の競ってもあまり意味はないし、大仙古墳が5世紀前半、始皇帝陵が紀元前3世紀、クフ王が紀元前26世紀(育鵬社教科書の前27世紀はまちがい)であって、600年、3000年の差があるものをいっしょにして比べるのはどうかと思う。
 大仙古墳は堺市の発表によれば、古墳全体としては840m×654mで、墳丘は長さ486m×前方部幅307mだ。
 クフ王のピラミッドは、230m×230mで高さ138・74m(もと146・59m)。2・5トンの石を270万個積み上げてできている。
 秦の始皇帝陵は今なお、全容が解明されていない。地上の陵墓は350m×350mだが、中国では始皇帝陵外城を東西940m×南北2165mとしている。1974年に陵から1・5㎞東の地点で兵馬俑抗が発見された。1~3号抗のうち1号抗だけが発掘調査され、研究がすすめられている。数年前に見学したが度肝を抜く規模の遺跡だった。兵馬俑は陵を守るために東向きで並んでいる。陵の西・北・南にも同様の兵馬俑抗がある可能性がある。陵区の総面積は5525haといわれている。陵墓の地下には、墓室を中心に地下宮殿があることがほぼわかっている。だが発掘計画はない。
 教科書に記述するなら、すくなくとも1974年の兵馬俑抗発見とその後の研究をふまえた記述をすべきだ。高校の日本史教科書では、大仙古墳とピラミッドと始皇帝陵の面積比べをするという非学問的なことはしない。戦前の「国史」意識で歴史教科書を記述するなどもってのほかだ。歴史は歴史科学なのだ。育鵬社版でさえも、仁徳天皇陵とは書かずに大仙古墳(仁徳天皇陵)とせざるをえないところまで研究がすすんでいるのだから、比べるにしても正確にしてもらわないと、子どもたちに誤った歴史認識を与えることになる。この教科書の50~51pには2ページにわたって神話を記述している。何を目指しているのかがわかる。
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