2016年3月16日(水)
「小田原こどもの森公園わんぱくらんど」より
わんぱくらんど正面入り口を過ぎるとすぐに四叉路
直進、小田原厚木道路荻窪IC方面 左、小田原市役所方面 右、水之尾毘沙門天方面
陸橋手前を右に入って、水之尾毘沙門天(みずのおびしゃもんてん)を目指します。
このルートの左側に辻村植物公園、右側にわんぱくらんどが広がります。
左右に車止めのある所が分岐点
分岐点左側
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 左、水之尾毘沙門天900m
分岐点右側 「小田原こどもの森公園わんぱくらんど 辻村植物公園側入り口」
静かな植物公園の中を歩きます。 ベンチが置かれ、左手は
梅林とその向こうに相模湾 素晴らしい眺望です。
梅花の見頃であれば更に良いのですが
指導標 左、水之尾毘沙門天770m
散策路を左へ 右方向は通行止め
ロータリーのようになっている所を右に入ると、すぐに分岐点が現れます。
分岐点指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
手前、わんぱくらんど440m・いこいの森1,160m・小田原フラワーガーデン5,500m ⇔ 右、水之尾毘沙門天670m・コース分岐A1,050m
右方向、毘沙門天方面へのルートはロープで塞がれているのですが・・・
ロープに取りつけられた標識には「ウォーカーのみ通行可 ※ロープ内は私有地のため畑に入らないでください」とありました。 ロープを跨いで進みます。
ロープを跨いだ分岐から2~3分でこのルートにぶつかります。 左へ (この地点はN35°15′24″ E139°07′38″と思われます)
指導標 左、水之尾毘沙門天600m ⇔ 手前、わんぱくらんど300m・いこいの森1,420m
左カーブの所に分岐点 指導標に従ってを右側のダートのルートに入ります。
分岐指導標 水之尾毘沙門天500m・コース分岐A880m ⇔ 辻村植物公園170m・わんぱくらんど600m・飯田岡駅(大雄山線)7,880m
車止め
指導標 水之尾毘沙門天 ⇔ 辻村植物公園615m・わんぱくらんど745m
水之尾毘沙門天の鳥居が見えてきました。 (N35°15′15″ E139°07′39″)
一旦社殿(右寄りに参道の石段が見える)に向かい、戻ったら左手方向へ道なりに進みます。
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 荻窪用水コース分岐180m ⇔ 辻村植物公園770m
説明板「水之尾毘沙門天」(北向毘沙門天)より ここ風祭字水之尾は石切山と言われ、昔から小田原石の産地として知られていた。小田原北条氏の頃、その石切りに纏わる出来事から毘沙門天が祀られるようになったという。
鳥居をくぐると、参道は左へ
かなり急で狭い石段 でも手摺があるので安心して登れます。(南側に女坂があるようですが、ここからは遠そうですね)
社殿
毘沙門天を後にして南東方向に坂を上ると四叉路に (N35°15′14″ E139°07′42″)
ここは直進
数分で、二つ目の広い道路に突きあたります。 (N35°15′09″ E139°07′45″)
ここで左折するとゴール地点の小田原駅まで、ほぼ東方向に歩き続けることになります。(地図上で全行程を大雑把にみると、カタカナの「コ」の字を逆にしたような形)
「サンサンヒルズ前」バス停(箱根登山バス)
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
水之尾毘沙門天700m・辻村植物公園1,470m ⇔ 箱根板橋コース 松永記念館1,315m・小田原駅コース 白秋の散歩道 かたらちの花の小径360m
右手に相模湾 写真中央付近に、小田原漁港(早川)を跨ぐ小田原ブルーウェイブリッジ
分岐点 左へ 「白秋童謡の散歩道」に入ります。
分岐指導標 左、白秋童謡の散歩道 からたちの花の小径
分岐点説明板「白秋童謡の散歩道」より
北原白秋(明治18年~昭和17年)は大正7年3月から大正15年5月までの間小田原で暮らし、「からたちの花」「揺籠のうた」「赤い鳥小鳥」「アメフリ」「待ちぼうけ」「砂山」など数多くの詩歌をつくりました。 豊かな自然の中で、白秋のまなざしをとおして、美しい詩歌が生みだされたといえるでしょう。
「散歩道」を歩きます。
松田山から曽我丘陵、その奥に丹沢の山々
曽我丘陵、相模湾方面と散歩道
左手一帯に小田原城跡
説明板「国指定史跡小田原城跡 小峯御鐘ノ台大堀切西堀(こみねおかねのだいおおほりきりにしぼり)」より
この場所には箱根外輪山から続く尾根を断ち切るように築かれた三本の堀切(小峯御鐘ノ台大堀切)のうち、一番西側の堀がありました。現在はその大半が埋め立てられていますが、北側には空堀と土塁が良好に残っています。 小田原市教育委員会
土塁の一部でしょうか
右側に「御鐘ノ台」標石
標石に記された説明によると、ここは小田原城の西端にあたり、中世城郭遺構が最も良く残っている所である。地名の由来は小田原攻めの時、この地に陣鐘が置かれていたという。
「からたちの花の小径」の石碑
説明板「からたちの花」 (山田耕作 作曲) より
からたちの花が咲いたよ 白い白い花がさいたよ
からたちのとげはいたいよ 青い青いとげだよ
からたちは畑の垣根よ いつもいつもとおる道だよ
・・・
御鐘ノ台を少しばかり下ると左折するのですが、その左折方向を示した指導標
《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 (小田原駅西口コース)
左、小峯の大堀切220m・井上康文文学碑460m
右折地点指導標 右、井上康文文学碑350m・小田原駅西口1,290m
右折地点 説明板「揺籠のうた」 (草川 信 作曲) より
揺籠のうたを、カナリヤが歌ふよ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
揺籠のうへに、枇杷の実が揺れる、よ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
揺籠のつなを、木ねずみが揺する、よ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
・・・
小峯の大堀切 この説明板の後方がその大堀切なのですが、肝心なところが撮れていません。
説明板より 小田原北条氏時代の小田原城は全国でも稀にみる大きな縄張りをもった城郭として知られている。その構築法は、内城(本丸、二の丸、三の丸等)と城下町を囲んだ大外郭を設けて、場外に雄大な防禦線を張ろうとする構えであり、当時これを「総構」「総曲輪」と呼んだ。
また、大外郭は土塁とその外堀で造られていることから「総堀」とも言われている。
現在、ここに見られる空堀遺構は小田原城にとって最も重要な所と思われ、この空堀・土塁は小田原城現存遺構の中で最大のものである。
大堀切を後にして、下り坂が続きます。
慰霊塔前の説明板「毒榎平・八幡山周辺の原始・古代の遺跡」より
慰霊塔のある城山公園周辺や小峯配水地は小田原城のうち毒榎平と呼ばれた場所に位置している。八幡山周辺には、小田原城より古い時代の遺跡も数多く発見されている。市内でも事例の少ない旧石器時代の石器や神子柴型石器と呼ばれる縄文時代最初期の石器なども複数点確認さており、さらには弥生時代後期~古墳時代前期の集落跡なども見つかっている。
城山公園 (戦没者)慰霊塔
横断して直進 左方向に城山陸上競技場
小田原高等学校前
歩き易い石段の坂道を下って 正面に小田原の市街地と相模湾
新幹線のガードが見えたら
小田原駅西口
No.489
「小田原こどもの森公園わんぱくらんど」より
わんぱくらんど正面入り口を過ぎるとすぐに四叉路
直進、小田原厚木道路荻窪IC方面 左、小田原市役所方面 右、水之尾毘沙門天方面
陸橋手前を右に入って、水之尾毘沙門天(みずのおびしゃもんてん)を目指します。
このルートの左側に辻村植物公園、右側にわんぱくらんどが広がります。
左右に車止めのある所が分岐点
分岐点左側
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 左、水之尾毘沙門天900m
分岐点右側 「小田原こどもの森公園わんぱくらんど 辻村植物公園側入り口」
静かな植物公園の中を歩きます。 ベンチが置かれ、左手は
梅林とその向こうに相模湾 素晴らしい眺望です。
梅花の見頃であれば更に良いのですが
指導標 左、水之尾毘沙門天770m
散策路を左へ 右方向は通行止め
ロータリーのようになっている所を右に入ると、すぐに分岐点が現れます。
分岐点指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
手前、わんぱくらんど440m・いこいの森1,160m・小田原フラワーガーデン5,500m ⇔ 右、水之尾毘沙門天670m・コース分岐A1,050m
右方向、毘沙門天方面へのルートはロープで塞がれているのですが・・・
ロープに取りつけられた標識には「ウォーカーのみ通行可 ※ロープ内は私有地のため畑に入らないでください」とありました。 ロープを跨いで進みます。
ロープを跨いだ分岐から2~3分でこのルートにぶつかります。 左へ (この地点はN35°15′24″ E139°07′38″と思われます)
指導標 左、水之尾毘沙門天600m ⇔ 手前、わんぱくらんど300m・いこいの森1,420m
左カーブの所に分岐点 指導標に従ってを右側のダートのルートに入ります。
分岐指導標 水之尾毘沙門天500m・コース分岐A880m ⇔ 辻村植物公園170m・わんぱくらんど600m・飯田岡駅(大雄山線)7,880m
車止め
指導標 水之尾毘沙門天 ⇔ 辻村植物公園615m・わんぱくらんど745m
水之尾毘沙門天の鳥居が見えてきました。 (N35°15′15″ E139°07′39″)
一旦社殿(右寄りに参道の石段が見える)に向かい、戻ったら左手方向へ道なりに進みます。
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 荻窪用水コース分岐180m ⇔ 辻村植物公園770m
説明板「水之尾毘沙門天」(北向毘沙門天)より ここ風祭字水之尾は石切山と言われ、昔から小田原石の産地として知られていた。小田原北条氏の頃、その石切りに纏わる出来事から毘沙門天が祀られるようになったという。
鳥居をくぐると、参道は左へ
かなり急で狭い石段 でも手摺があるので安心して登れます。(南側に女坂があるようですが、ここからは遠そうですね)
社殿
毘沙門天を後にして南東方向に坂を上ると四叉路に (N35°15′14″ E139°07′42″)
ここは直進
数分で、二つ目の広い道路に突きあたります。 (N35°15′09″ E139°07′45″)
ここで左折するとゴール地点の小田原駅まで、ほぼ東方向に歩き続けることになります。(地図上で全行程を大雑把にみると、カタカナの「コ」の字を逆にしたような形)
「サンサンヒルズ前」バス停(箱根登山バス)
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
水之尾毘沙門天700m・辻村植物公園1,470m ⇔ 箱根板橋コース 松永記念館1,315m・小田原駅コース 白秋の散歩道 かたらちの花の小径360m
右手に相模湾 写真中央付近に、小田原漁港(早川)を跨ぐ小田原ブルーウェイブリッジ
分岐点 左へ 「白秋童謡の散歩道」に入ります。
分岐指導標 左、白秋童謡の散歩道 からたちの花の小径
分岐点説明板「白秋童謡の散歩道」より
北原白秋(明治18年~昭和17年)は大正7年3月から大正15年5月までの間小田原で暮らし、「からたちの花」「揺籠のうた」「赤い鳥小鳥」「アメフリ」「待ちぼうけ」「砂山」など数多くの詩歌をつくりました。 豊かな自然の中で、白秋のまなざしをとおして、美しい詩歌が生みだされたといえるでしょう。
「散歩道」を歩きます。
松田山から曽我丘陵、その奥に丹沢の山々
曽我丘陵、相模湾方面と散歩道
左手一帯に小田原城跡
説明板「国指定史跡小田原城跡 小峯御鐘ノ台大堀切西堀(こみねおかねのだいおおほりきりにしぼり)」より
この場所には箱根外輪山から続く尾根を断ち切るように築かれた三本の堀切(小峯御鐘ノ台大堀切)のうち、一番西側の堀がありました。現在はその大半が埋め立てられていますが、北側には空堀と土塁が良好に残っています。 小田原市教育委員会
土塁の一部でしょうか
右側に「御鐘ノ台」標石
標石に記された説明によると、ここは小田原城の西端にあたり、中世城郭遺構が最も良く残っている所である。地名の由来は小田原攻めの時、この地に陣鐘が置かれていたという。
「からたちの花の小径」の石碑
説明板「からたちの花」 (山田耕作 作曲) より
からたちの花が咲いたよ 白い白い花がさいたよ
からたちのとげはいたいよ 青い青いとげだよ
からたちは畑の垣根よ いつもいつもとおる道だよ
・・・
御鐘ノ台を少しばかり下ると左折するのですが、その左折方向を示した指導標
《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 (小田原駅西口コース)
左、小峯の大堀切220m・井上康文文学碑460m
右折地点指導標 右、井上康文文学碑350m・小田原駅西口1,290m
右折地点 説明板「揺籠のうた」 (草川 信 作曲) より
揺籠のうたを、カナリヤが歌ふよ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
揺籠のうへに、枇杷の実が揺れる、よ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
揺籠のつなを、木ねずみが揺する、よ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
・・・
小峯の大堀切 この説明板の後方がその大堀切なのですが、肝心なところが撮れていません。
説明板より 小田原北条氏時代の小田原城は全国でも稀にみる大きな縄張りをもった城郭として知られている。その構築法は、内城(本丸、二の丸、三の丸等)と城下町を囲んだ大外郭を設けて、場外に雄大な防禦線を張ろうとする構えであり、当時これを「総構」「総曲輪」と呼んだ。
また、大外郭は土塁とその外堀で造られていることから「総堀」とも言われている。
現在、ここに見られる空堀遺構は小田原城にとって最も重要な所と思われ、この空堀・土塁は小田原城現存遺構の中で最大のものである。
大堀切を後にして、下り坂が続きます。
慰霊塔前の説明板「毒榎平・八幡山周辺の原始・古代の遺跡」より
慰霊塔のある城山公園周辺や小峯配水地は小田原城のうち毒榎平と呼ばれた場所に位置している。八幡山周辺には、小田原城より古い時代の遺跡も数多く発見されている。市内でも事例の少ない旧石器時代の石器や神子柴型石器と呼ばれる縄文時代最初期の石器なども複数点確認さており、さらには弥生時代後期~古墳時代前期の集落跡なども見つかっている。
城山公園 (戦没者)慰霊塔
横断して直進 左方向に城山陸上競技場
小田原高等学校前
歩き易い石段の坂道を下って 正面に小田原の市街地と相模湾
新幹線のガードが見えたら
小田原駅西口
No.489
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