2015年11月16日(月)
浄発願寺奥の院入口・・・堂宇跡・・・(梅の木尾根)・・・四辻・・・日向山404m・・・
・・・四辻・・・日向薬師・・・「日向薬師」バス停
今回歩いた区間はハイキングコースとして整備されていた為か、予想以上に歩きやすいルートになっていました。 程よく変化に富み、距離、所要時間共に丁度良かったと思います。 梅の木尾根に乗ってからは、基本的に下り基調の尾根歩きという事もあって、アップダウンの負荷をそれほど感じないままのんびりと歩く事ができました。 眺望にはあまり恵まれないルートですが、なぜか印象に残るハイキングコースでした。 日向山のピストンはちょっとしたおまけという事でしょうか(苦笑)。
浄発願寺(じょうほつがんじ)奥の院入口 右手の入口に立つと
※左の道路は前方が「ふれあいの森キャンプ場」方向で、この少し先に「九十九曲ハイキングコース」の登山口や「日向ふれあい学習センター」があり、手前が「日向薬師」バス停方向です。
橋と説明板、東屋などが見えます。
「浄発願寺奥の院」について 説明板によると
無常山浄発願寺は慶長13年(1608)、弾誓(たんせい)上人開山の天台宗弾誓派総本山である。・・・4世空誉(くうよ)上人の時代が全盛期で「男の駆け込み寺」として知られ、放火・殺人以外の罪人は駆け込めば助かった。また、木食行(穀物を避け、木の実・草の実などを火を通さないで食べる)の戒律を大正初期まで守り続けた。
昭和13年(1938)の山津波で諸堂宇が壊滅し、昭和17年(1942)に約1㎞下の地に再建された。以後この地は浄発願寺奥の院と称するようになったという。・・・伊勢原市指定文化財(史跡)
「一ノ沢橋」 日向川を渡って
東屋と宝篋印塔
東屋の所には「閻魔堂跡」という案内板が立っていて、かつて地獄の王閻魔を安置した御堂があったそうです。(大正12年の関東大震災後の山津波で流失)
宝篋印塔は元禄5年(1692)に名古屋城主徳川綱誠(つななり)の正室瑩珠(えいしゅ)院殿を弔うために建立された。大正12年(1923)の山津波で流失したが、昭和5年(1930)に再建された。
宝篋印塔の右手に参道入り口 左側には墓石、石仏などが並び
右側に六地蔵? 本来の頭部がないので、少々異様な雰囲気があります。
「山門跡」 南岳悦山の「無常山」の山号額が架けてあった浄発願寺の山門跡
ほんの僅かな水が流れる一の沢に沿って
所々に石仏、供養塔等が置かれた参道を進みます
「五十三段の石段」 四世空誉上人の代に駆け込んだ53人の罪人が一段ずつ築いたという。
石段を登り切った所が堂宇跡 説明板によると
昭和13年(1938)秋の山津波で倒壊するまで浄発願寺の本堂・庫裡などはここにあった。 本堂は 貞享2年(1685)4世空誉(くうよ)上人の時代に完成したが、寛政7年(1795)の火災で焼失、その後速阿(そくあ)上人によって再建された。・・・三方は自然の岩を掘り割って排水溝とし、非常の時は貯水槽にしたという。・・・10月の「お十夜法要」には本堂・庫裡等が信者であふれ、相模の三大十夜と称され、昭和初期まで盛大であったという。(三大十夜 鎌倉の光明寺・平塚の海宝寺・浄発願寺)
「本堂跡」
文化7年(1810)、22世速阿上人により再建された間口7間(約12.73m)、奥行12間(約21.81m)の本堂があった所
説明板の前を通って「奥の院の岩屋」へ 小さな木橋を渡るのですが、この下の水路が説明板にあった「自然の岩を掘り割って」の部分でしょう。
正面の石碑、石仏の左側を巻いて 岩屋はここから更に7~8分ほど登った山の斜面にあり、同時にこの道が梅の木尾根に通じるハイキングコースのルートにもなっています。
「子安地蔵跡」(浄発願寺本堂前の唐金地蔵跡)
「鐘楼跡」 名古屋城主徳川綱誠とその夫人奉納の鐘があった場所
湿った落ち葉がかなり積もっている山道ですが、こういう場所で一番気になるのはヒルの存在です。地域的にはヒルがいてもおかしくないところだったので、始めの内は足元に注意しながら歩いていたのですが、最後までその姿を見る事はありませんでした。さすがに11月の半ばにもなればと思っていたのですが、なんと自宅の洗濯機の底から1匹死んだ状態で出てきたのです。
これには本当に驚かされました。 私は過去三度、実際にヒルの被害に遭っているのですが、その最初がやはり近くの三峰山を歩いた時でした。冬になるまでは、油断は禁物ですね。
正面に墓石が並んでいる場所に突き当たります。左が梅の木尾根へのハイキングコースで、右に岩屋という地点です。
指導標 左、日向薬師2.6Km ⇔ 手前(歩いてきた道)、日向林道0.5Km
右手の岩屋へ
「岩屋」 説明板より
弾誓上人によって開かれた岩屋。 この世の浄土と考えられていた。岩屋中央に弾誓上人の石像があり、右側に瑩珠院殿、・・・の墓石が並んでいる。・・・明治末年、大正12年、昭和13年等の山津波で埋没していた歴代住職の墓石等は、平成3年春発掘して復元された。
(これを見ると、地形的にかなり危険な場所にあったという事なのでしょうか)
岩屋を後にして梅の木尾根を目指します
主尾根の梅の木尾根から派生する支尾根に乗るまでは、やや注意を要するトラバース道があります。
距離は短いのですが、今日は下が濡れていたので慎重に歩きました。
正面に支尾根の稜線が見えてきたところ
指導標 手前、浄発願寺奥の院岩屋0.2Km ⇔ 右、日向薬師2.4Km
ここで右へ鋭角的に曲がりながら支尾根に乗ります。
左側に小さな指導標 「←登山道→」
支尾根にはこのような木の根が張り出している所が多いのですが、歩行上は何の問題もありません。
大山でよく見たタマネギ石
指導標 手前、浄発願寺奥の院0.5Km ⇔ 右、日向薬師2.1Km
ルートはここから支尾根を離れ、右方向に緩やかに曲がって行きます。
指導標の所から左方向にも踏み跡があったのですが、これは大山方面に向かうためのものでしょうか?
ルートは主尾根(梅の木尾根)に沿うような形で進み、少しずつ主尾根に接近して行きます。
正面に梅の木尾根の稜線が見えてきました。
梅の木尾根に乗ったところ 合流点には休憩用のベンチ
ベンチ傍の指導標 手前、浄発願寺奥の院0.9Km ⇔ 右、日向薬師1.9Km
左方向は特に標示はありませんが、大山・唐沢峠方面です。
右の日向薬師方面へ ごく小さなアップダウンはありますが、四辻までは下り基調の道が続きます。
鞍部から最初の小ピークへの登り
小ピーク はじめ、ここが標高点537mのピークかなと思ったのですが、どうも次の小ピークのようです。 左手の立て札には「水源林管理用経路 行き止まり・危険個所があるため関係者以外立入禁止」と記されています。
次の小ピーク ベンチあり ここが標高点537mのピークと思われますが・・・
左手に現れた数少ない眺望 北側、標高500m~600m程度と思われる山並みですが、名前などは分かりません。
小ピークへ
小広いスペースがある平坦な小ピーク
指導標 浄発願寺奥の院1.0Km ⇔ 日向薬師1.7Km
どんどん標高を下げて行きます。
指導標 「 日向薬師→ 」
ここからほんの僅かな距離ですが、急な下り(ロープ場)が始まります。
少しばかり岩場もありますが、ゆっくり進めば問題はありません。
ロープ場が終わって
小ピークへ
小ピーク
小ピークから少しばかり下ると
分岐点 直進して日向薬師方面へ
指導標 左、弁天の森キャンプ場0.4Km
直進、日向薬師の森0.45Km 日向薬師1.3Km
手前、浄発願寺奥の院1.7Km
神奈川県 浄発願寺奥の院から日向山を歩く(2)へ
No.475
浄発願寺奥の院入口・・・堂宇跡・・・(梅の木尾根)・・・四辻・・・日向山404m・・・
・・・四辻・・・日向薬師・・・「日向薬師」バス停
今回歩いた区間はハイキングコースとして整備されていた為か、予想以上に歩きやすいルートになっていました。 程よく変化に富み、距離、所要時間共に丁度良かったと思います。 梅の木尾根に乗ってからは、基本的に下り基調の尾根歩きという事もあって、アップダウンの負荷をそれほど感じないままのんびりと歩く事ができました。 眺望にはあまり恵まれないルートですが、なぜか印象に残るハイキングコースでした。 日向山のピストンはちょっとしたおまけという事でしょうか(苦笑)。
浄発願寺(じょうほつがんじ)奥の院入口 右手の入口に立つと
※左の道路は前方が「ふれあいの森キャンプ場」方向で、この少し先に「九十九曲ハイキングコース」の登山口や「日向ふれあい学習センター」があり、手前が「日向薬師」バス停方向です。
橋と説明板、東屋などが見えます。
「浄発願寺奥の院」について 説明板によると
無常山浄発願寺は慶長13年(1608)、弾誓(たんせい)上人開山の天台宗弾誓派総本山である。・・・4世空誉(くうよ)上人の時代が全盛期で「男の駆け込み寺」として知られ、放火・殺人以外の罪人は駆け込めば助かった。また、木食行(穀物を避け、木の実・草の実などを火を通さないで食べる)の戒律を大正初期まで守り続けた。
昭和13年(1938)の山津波で諸堂宇が壊滅し、昭和17年(1942)に約1㎞下の地に再建された。以後この地は浄発願寺奥の院と称するようになったという。・・・伊勢原市指定文化財(史跡)
「一ノ沢橋」 日向川を渡って
東屋と宝篋印塔
東屋の所には「閻魔堂跡」という案内板が立っていて、かつて地獄の王閻魔を安置した御堂があったそうです。(大正12年の関東大震災後の山津波で流失)
宝篋印塔は元禄5年(1692)に名古屋城主徳川綱誠(つななり)の正室瑩珠(えいしゅ)院殿を弔うために建立された。大正12年(1923)の山津波で流失したが、昭和5年(1930)に再建された。
宝篋印塔の右手に参道入り口 左側には墓石、石仏などが並び
右側に六地蔵? 本来の頭部がないので、少々異様な雰囲気があります。
「山門跡」 南岳悦山の「無常山」の山号額が架けてあった浄発願寺の山門跡
ほんの僅かな水が流れる一の沢に沿って
所々に石仏、供養塔等が置かれた参道を進みます
「五十三段の石段」 四世空誉上人の代に駆け込んだ53人の罪人が一段ずつ築いたという。
石段を登り切った所が堂宇跡 説明板によると
昭和13年(1938)秋の山津波で倒壊するまで浄発願寺の本堂・庫裡などはここにあった。 本堂は 貞享2年(1685)4世空誉(くうよ)上人の時代に完成したが、寛政7年(1795)の火災で焼失、その後速阿(そくあ)上人によって再建された。・・・三方は自然の岩を掘り割って排水溝とし、非常の時は貯水槽にしたという。・・・10月の「お十夜法要」には本堂・庫裡等が信者であふれ、相模の三大十夜と称され、昭和初期まで盛大であったという。(三大十夜 鎌倉の光明寺・平塚の海宝寺・浄発願寺)
「本堂跡」
文化7年(1810)、22世速阿上人により再建された間口7間(約12.73m)、奥行12間(約21.81m)の本堂があった所
説明板の前を通って「奥の院の岩屋」へ 小さな木橋を渡るのですが、この下の水路が説明板にあった「自然の岩を掘り割って」の部分でしょう。
正面の石碑、石仏の左側を巻いて 岩屋はここから更に7~8分ほど登った山の斜面にあり、同時にこの道が梅の木尾根に通じるハイキングコースのルートにもなっています。
「子安地蔵跡」(浄発願寺本堂前の唐金地蔵跡)
「鐘楼跡」 名古屋城主徳川綱誠とその夫人奉納の鐘があった場所
湿った落ち葉がかなり積もっている山道ですが、こういう場所で一番気になるのはヒルの存在です。地域的にはヒルがいてもおかしくないところだったので、始めの内は足元に注意しながら歩いていたのですが、最後までその姿を見る事はありませんでした。さすがに11月の半ばにもなればと思っていたのですが、なんと自宅の洗濯機の底から1匹死んだ状態で出てきたのです。
これには本当に驚かされました。 私は過去三度、実際にヒルの被害に遭っているのですが、その最初がやはり近くの三峰山を歩いた時でした。冬になるまでは、油断は禁物ですね。
正面に墓石が並んでいる場所に突き当たります。左が梅の木尾根へのハイキングコースで、右に岩屋という地点です。
指導標 左、日向薬師2.6Km ⇔ 手前(歩いてきた道)、日向林道0.5Km
右手の岩屋へ
「岩屋」 説明板より
弾誓上人によって開かれた岩屋。 この世の浄土と考えられていた。岩屋中央に弾誓上人の石像があり、右側に瑩珠院殿、・・・の墓石が並んでいる。・・・明治末年、大正12年、昭和13年等の山津波で埋没していた歴代住職の墓石等は、平成3年春発掘して復元された。
(これを見ると、地形的にかなり危険な場所にあったという事なのでしょうか)
岩屋を後にして梅の木尾根を目指します
主尾根の梅の木尾根から派生する支尾根に乗るまでは、やや注意を要するトラバース道があります。
距離は短いのですが、今日は下が濡れていたので慎重に歩きました。
正面に支尾根の稜線が見えてきたところ
指導標 手前、浄発願寺奥の院岩屋0.2Km ⇔ 右、日向薬師2.4Km
ここで右へ鋭角的に曲がりながら支尾根に乗ります。
左側に小さな指導標 「←登山道→」
支尾根にはこのような木の根が張り出している所が多いのですが、歩行上は何の問題もありません。
大山でよく見たタマネギ石
指導標 手前、浄発願寺奥の院0.5Km ⇔ 右、日向薬師2.1Km
ルートはここから支尾根を離れ、右方向に緩やかに曲がって行きます。
指導標の所から左方向にも踏み跡があったのですが、これは大山方面に向かうためのものでしょうか?
ルートは主尾根(梅の木尾根)に沿うような形で進み、少しずつ主尾根に接近して行きます。
正面に梅の木尾根の稜線が見えてきました。
梅の木尾根に乗ったところ 合流点には休憩用のベンチ
ベンチ傍の指導標 手前、浄発願寺奥の院0.9Km ⇔ 右、日向薬師1.9Km
左方向は特に標示はありませんが、大山・唐沢峠方面です。
右の日向薬師方面へ ごく小さなアップダウンはありますが、四辻までは下り基調の道が続きます。
鞍部から最初の小ピークへの登り
小ピーク はじめ、ここが標高点537mのピークかなと思ったのですが、どうも次の小ピークのようです。 左手の立て札には「水源林管理用経路 行き止まり・危険個所があるため関係者以外立入禁止」と記されています。
次の小ピーク ベンチあり ここが標高点537mのピークと思われますが・・・
左手に現れた数少ない眺望 北側、標高500m~600m程度と思われる山並みですが、名前などは分かりません。
小ピークへ
小広いスペースがある平坦な小ピーク
指導標 浄発願寺奥の院1.0Km ⇔ 日向薬師1.7Km
どんどん標高を下げて行きます。
指導標 「 日向薬師→ 」
ここからほんの僅かな距離ですが、急な下り(ロープ場)が始まります。
少しばかり岩場もありますが、ゆっくり進めば問題はありません。
ロープ場が終わって
小ピークへ
小ピーク
小ピークから少しばかり下ると
分岐点 直進して日向薬師方面へ
指導標 左、弁天の森キャンプ場0.4Km
直進、日向薬師の森0.45Km 日向薬師1.3Km
手前、浄発願寺奥の院1.7Km
神奈川県 浄発願寺奥の院から日向山を歩く(2)へ
No.475