2014年3月31日(月)
浅間山より
高麗山(こまやま)への道 樹林の中も歩けるように整備されて
「関東ふれあいの道」
分岐点とベンチ 左、「地ごく沢」へ15分
分岐点 指導標 浅間山0.5Km 湘南平0.8Km ⇔ 高麗山0.4Km 高来神社1.0Km
八俵山山頂 その1 指導標 高麗山0.2Km 高来神社0.8Km ⇔ 浅間山0.7Km 湘南平1.0Km
八俵山山頂 その2 標高160m 説明板によると、八俵は仏教用語の八表(隅の意味)から転じたと考えられる。古くは毘沙門堂がここに建てられていたという。
堀割 高麗山が城郭としての役割を果たしていた時代もあったので、往時の空堀の跡といわれる。
小さな岩場
堀割の傍に分岐点 右、高来神社へ
高麗山(大堂)山頂 その1
高麗山(大堂)山頂 その2 上宮(高麗権現社)跡
高麗山(大堂)山頂 その3 石祠
高麗山(大堂)山頂 その4 標高167.3m
説明板によると 奈良時代の頃、高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く、その中に高句麗王族のひとり高麗若光(こまじゃくこう)もいました。若光は一族を連れて海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山の麓の化粧坂(けわいざか)あたりに住み高度な文化をもたらしました。こうした事からこの地が高麗(こま)と呼ばれるようになったという。
大堂から正面の石段を最初の分岐点まで降りて振り返ったところです。今日は東天照経由で高来神社に降りるのでここから左(写真では右)に進みます。
東天照(とうてんしょう)への道
分岐点 左、「けやきの広場」へ ここから登りに転じて
この辺りが東天照かなと思ったのですが、何の標識も無かったので良く分からないまま写真だけ撮って進みました。
少しばかり緩やかに下った後
東天照 その1 ここが東天照でした。 展望はありません。
東天照 その2 標高135m 説明板によれば、高麗山の三峰のうち最も東側に位置する峰で、鎌倉時代には白山神社が祀られていたという。
東天照から1~2分のところに広いスペースをとった休憩所があり、ここには高麗山の自然林(神奈川県指定天然記念物)や野鳥に関する説明板が設置されていました。
休憩所下の分岐点 右、「生涯学習館」方面へ進みます
小さな山ですが、東側斜面は急傾斜で予想以上の長い九十九折りが続きます。
突然現れた展望台 初めて歩くルートはこういうハプニングがあっていいですね。
展望台より 左寄りに江ノ島が見えました。下の写真説明板では江ノ島の右側に大楠山があるようですが区別がつきませんでした。ましてやこの写真では・・・
展望台 今風の地蔵も置かれていました。
分岐点 「生涯学習館」方面に直進します 左手前は「地ごく沢」へ
分岐点 右折してここから高来神社方向に進路を変えます
高来神社へ
分岐点 左へ ここで高来神社から上って来る女坂ルートに合流します。右に進めば女坂ルートで大堂へ
女坂ルートを下ります。
ゴール地点の高来神社境内の裏手にやって来ました。 右手の祠が平嘉久社で、真っすぐ進めば男坂に入ります。
平嘉久社(ひらかくしゃ) ここが高麗山への登山口で、男坂と女坂の分岐点になります。
指導標 高麗山(男坂) ⇔ 高麗山(女坂)
平嘉久社から見た高久神社境内 左が神輿殿 右が高来神社 社殿
境内の方から見た平嘉久社・登山口
神輿殿
高来神社(たかくじんじゃ 旧観音堂) 社殿 古くは高麗寺と称したが、明治に入って神仏分離の政策により、明治30年に高来神社と改称された。
高来神社 拝殿 祭神は神皇産霊尊(かみむすびのみこと) 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
高来神社略縁起
桜の花が見えたので、表参道の鳥居のところまで進んみました。
鳥居傍にあった指導標
狛犬 阿像
狛犬 吽像
表参道の桜
No.377
浅間山より
高麗山(こまやま)への道 樹林の中も歩けるように整備されて
「関東ふれあいの道」
分岐点とベンチ 左、「地ごく沢」へ15分
分岐点 指導標 浅間山0.5Km 湘南平0.8Km ⇔ 高麗山0.4Km 高来神社1.0Km
八俵山山頂 その1 指導標 高麗山0.2Km 高来神社0.8Km ⇔ 浅間山0.7Km 湘南平1.0Km
八俵山山頂 その2 標高160m 説明板によると、八俵は仏教用語の八表(隅の意味)から転じたと考えられる。古くは毘沙門堂がここに建てられていたという。
堀割 高麗山が城郭としての役割を果たしていた時代もあったので、往時の空堀の跡といわれる。
小さな岩場
堀割の傍に分岐点 右、高来神社へ
高麗山(大堂)山頂 その1
高麗山(大堂)山頂 その2 上宮(高麗権現社)跡
高麗山(大堂)山頂 その3 石祠
高麗山(大堂)山頂 その4 標高167.3m
説明板によると 奈良時代の頃、高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く、その中に高句麗王族のひとり高麗若光(こまじゃくこう)もいました。若光は一族を連れて海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山の麓の化粧坂(けわいざか)あたりに住み高度な文化をもたらしました。こうした事からこの地が高麗(こま)と呼ばれるようになったという。
大堂から正面の石段を最初の分岐点まで降りて振り返ったところです。今日は東天照経由で高来神社に降りるのでここから左(写真では右)に進みます。
東天照(とうてんしょう)への道
分岐点 左、「けやきの広場」へ ここから登りに転じて
この辺りが東天照かなと思ったのですが、何の標識も無かったので良く分からないまま写真だけ撮って進みました。
少しばかり緩やかに下った後
東天照 その1 ここが東天照でした。 展望はありません。
東天照 その2 標高135m 説明板によれば、高麗山の三峰のうち最も東側に位置する峰で、鎌倉時代には白山神社が祀られていたという。
東天照から1~2分のところに広いスペースをとった休憩所があり、ここには高麗山の自然林(神奈川県指定天然記念物)や野鳥に関する説明板が設置されていました。
休憩所下の分岐点 右、「生涯学習館」方面へ進みます
小さな山ですが、東側斜面は急傾斜で予想以上の長い九十九折りが続きます。
突然現れた展望台 初めて歩くルートはこういうハプニングがあっていいですね。
展望台より 左寄りに江ノ島が見えました。下の写真説明板では江ノ島の右側に大楠山があるようですが区別がつきませんでした。ましてやこの写真では・・・
展望台 今風の地蔵も置かれていました。
分岐点 「生涯学習館」方面に直進します 左手前は「地ごく沢」へ
分岐点 右折してここから高来神社方向に進路を変えます
高来神社へ
分岐点 左へ ここで高来神社から上って来る女坂ルートに合流します。右に進めば女坂ルートで大堂へ
女坂ルートを下ります。
ゴール地点の高来神社境内の裏手にやって来ました。 右手の祠が平嘉久社で、真っすぐ進めば男坂に入ります。
平嘉久社(ひらかくしゃ) ここが高麗山への登山口で、男坂と女坂の分岐点になります。
指導標 高麗山(男坂) ⇔ 高麗山(女坂)
平嘉久社から見た高久神社境内 左が神輿殿 右が高来神社 社殿
境内の方から見た平嘉久社・登山口
神輿殿
高来神社(たかくじんじゃ 旧観音堂) 社殿 古くは高麗寺と称したが、明治に入って神仏分離の政策により、明治30年に高来神社と改称された。
高来神社 拝殿 祭神は神皇産霊尊(かみむすびのみこと) 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
高来神社略縁起
桜の花が見えたので、表参道の鳥居のところまで進んみました。
鳥居傍にあった指導標
狛犬 阿像
狛犬 吽像
表参道の桜
No.377
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます