2014年12月19日(金)
鷹取神社より
鷹取神社 社殿 祭神は木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
説明板より この神社の創建は天長3年(826年)と伝えられ、創建当時は「直下社」(なおもとやしろ)と言われた。・・・小田原北条氏の信仰も篤く、多くの社領の寄進があったという。・・・鷹取山は古くは栗原山等の名があったが、現在の名は徳川家康が平塚の中原で鷹狩りを行った時、その愛鷹がこの山まで逃げてきて捕えられた事から名付けられた。・・・
狛犬 吽像
狛犬 阿像
境内左手のようす
説明板より 鷹取神社周辺はうっそうとしたスダジイやタブノキなどの常緑広葉樹林で囲まれ・・・この社叢林は近くの高麗山の樹林とともに、神奈川県の郷土を代表する樹叢として景観的に貴重であるだけでなく、この地の原植生の面影をとどめる学術的にも貴重な樹叢です。(県指定天然記念物)
神社境内に設置されていた指導標
月京バス停3.0Km 大磯海岸 ←(関東ふれあいの道)→ 南平橋5.9Km 弘法山9.6Km
神社の裏手に回ると、林道の終点になっています。
写真左手の少しばかり小高くなっている所が鷹取山の山頂部と思われ、三角点が設置されています。
鷹取山山頂 その1 やや左寄りに三角点
鷹取山山頂 その2 三角点
山頂部はほとんど展望がないので、富士山を望めるような場所はないかと林道の先を少しばかり歩いてみることにしました。(かつて歩いた事があるので期待できない事は承知していたのですが)
箱根連山と富士山
偶然見つけたのがこの場所です。 林道右手にかなり目立つ落書きがあった所で樹木が伐採されていたのが目に入り、もしやと思って登ってみました。(林道から目と鼻の先で作業道もあるのですぐにこの場に立つ事が出来ます)
前掲写真のところから鷹取神社の裏手に戻ってきました。
鷹取神社を後にして、先ずは東の池に向かいます。
分岐点 左、月京方面へ 直進は私が最初に取り付いた地点に向かうルートです。
舗装された林道を一気に下って行くのですが、このルートは前に一度歩いているので気楽に歩けました。
左側のそれほど急な斜面でもない所が崩壊 ルートは仮復旧
「関東ふれあいの道」
小田原厚木道路下のトンネルを通って
生沢集落 右へ 右角に指導標と農産物の無人販売施設あり。
県道63号線に出ました。 右へ
バス停「生沢」(いくさわ) 前方左側に「東の池」
東の池の小さな島に鎮座する厳島神社(東の池の弁天さん)
厳島神社 祭神は多岐都比売命(たきつひめのみこと)
神社裏手より 東の池 8月~9月頃、蓮の花が一面に咲くそうですよ
説明板より この池は江戸時代、附近五町歩余(約50,000㎡)の農業用水として、当地の皆川氏が掘削し、農業振興に大きく貢献したと伝えられる。池の広さは約四反歩(約4,000㎡)
大磯は旱魃の被害を受けやすいところだったので、このような灌漑用の施設が必要だったと思われます。 なお、「西の池」というのもあったようですが、現在は埋め立てられているそうです。
往路と同じ道を通って帰途に着きます。
不動川にぶつかったところ 右へ 指導標あり
諏訪の下橋 左へ
バス停「馬場」
交差点 右折 直進は大磯運動公園方面へ
右手の畑を見ながら歩いていて、ふと遠くに目をやると富士山が・・・往路では気がつかなかったのですが
東海道線のガード下を
「本郷橋」バス停
バス停傍に大磯城山公園 西門
案内板からこの後歩いた地点を確認すると
西門 → 不動池 → 山野草植栽地 → 流れ → ひかりの広場 → 最高地点? → 休憩所 → 展望台 → 南門 ということになるでしょうか。 まだ足を踏み入れていないところがありますが、今回はこの程度にしておこうと思いました。
右手は茶室
不動池
不動池
山野草を集中的に植栽しているところのようです。もちろん花は見る事が出来ませんが。
このような石段を何度か登って行きます。
左側が「流れ」と書かれていた辺りでしょうか
ひかりの広場へ
ひかりの広場から最高地点へ
最高地点? 前方が城山公園の最高地点と思われます
休憩所 前掲写真の地点から少しばかり西側に下った所
休憩所からみた大磯の海 三浦半島方面がすっきりと見えました。
展望台より 鷹取山方面へ出発する前に撮影した場所です。 お昼を過ぎても出発時とさほど変わらぬ眺望に驚かされました。
これは展望台の少し下から見た大山方面です。
* 県立城山公園について(神奈川県公園協会の紹介文より抜粋)
この公園内からは縄文時代の遺跡や横穴墓、鎌倉古道などの文化遺産が発見されている。また中世には小磯城が築かれた。 明治31年(1898)この地が三井財閥本家の別荘地となり、数々の貴重な建築物が建てられたが、財閥解体後・・・別荘跡地の再利用案として公園化計画が生まれた。これにより、昭和62年(1987)の部分開園を経て平成2年(1990)に正式開園した。 現在は旧吉田茂邸の庭園も含まれるそうです。
No.423
鷹取神社より
鷹取神社 社殿 祭神は木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
説明板より この神社の創建は天長3年(826年)と伝えられ、創建当時は「直下社」(なおもとやしろ)と言われた。・・・小田原北条氏の信仰も篤く、多くの社領の寄進があったという。・・・鷹取山は古くは栗原山等の名があったが、現在の名は徳川家康が平塚の中原で鷹狩りを行った時、その愛鷹がこの山まで逃げてきて捕えられた事から名付けられた。・・・
狛犬 吽像
狛犬 阿像
境内左手のようす
説明板より 鷹取神社周辺はうっそうとしたスダジイやタブノキなどの常緑広葉樹林で囲まれ・・・この社叢林は近くの高麗山の樹林とともに、神奈川県の郷土を代表する樹叢として景観的に貴重であるだけでなく、この地の原植生の面影をとどめる学術的にも貴重な樹叢です。(県指定天然記念物)
神社境内に設置されていた指導標
月京バス停3.0Km 大磯海岸 ←(関東ふれあいの道)→ 南平橋5.9Km 弘法山9.6Km
神社の裏手に回ると、林道の終点になっています。
写真左手の少しばかり小高くなっている所が鷹取山の山頂部と思われ、三角点が設置されています。
鷹取山山頂 その1 やや左寄りに三角点
鷹取山山頂 その2 三角点
山頂部はほとんど展望がないので、富士山を望めるような場所はないかと林道の先を少しばかり歩いてみることにしました。(かつて歩いた事があるので期待できない事は承知していたのですが)
箱根連山と富士山
偶然見つけたのがこの場所です。 林道右手にかなり目立つ落書きがあった所で樹木が伐採されていたのが目に入り、もしやと思って登ってみました。(林道から目と鼻の先で作業道もあるのですぐにこの場に立つ事が出来ます)
前掲写真のところから鷹取神社の裏手に戻ってきました。
鷹取神社を後にして、先ずは東の池に向かいます。
分岐点 左、月京方面へ 直進は私が最初に取り付いた地点に向かうルートです。
舗装された林道を一気に下って行くのですが、このルートは前に一度歩いているので気楽に歩けました。
左側のそれほど急な斜面でもない所が崩壊 ルートは仮復旧
「関東ふれあいの道」
小田原厚木道路下のトンネルを通って
生沢集落 右へ 右角に指導標と農産物の無人販売施設あり。
県道63号線に出ました。 右へ
バス停「生沢」(いくさわ) 前方左側に「東の池」
東の池の小さな島に鎮座する厳島神社(東の池の弁天さん)
厳島神社 祭神は多岐都比売命(たきつひめのみこと)
神社裏手より 東の池 8月~9月頃、蓮の花が一面に咲くそうですよ
説明板より この池は江戸時代、附近五町歩余(約50,000㎡)の農業用水として、当地の皆川氏が掘削し、農業振興に大きく貢献したと伝えられる。池の広さは約四反歩(約4,000㎡)
大磯は旱魃の被害を受けやすいところだったので、このような灌漑用の施設が必要だったと思われます。 なお、「西の池」というのもあったようですが、現在は埋め立てられているそうです。
往路と同じ道を通って帰途に着きます。
不動川にぶつかったところ 右へ 指導標あり
諏訪の下橋 左へ
バス停「馬場」
交差点 右折 直進は大磯運動公園方面へ
右手の畑を見ながら歩いていて、ふと遠くに目をやると富士山が・・・往路では気がつかなかったのですが
東海道線のガード下を
「本郷橋」バス停
バス停傍に大磯城山公園 西門
案内板からこの後歩いた地点を確認すると
西門 → 不動池 → 山野草植栽地 → 流れ → ひかりの広場 → 最高地点? → 休憩所 → 展望台 → 南門 ということになるでしょうか。 まだ足を踏み入れていないところがありますが、今回はこの程度にしておこうと思いました。
右手は茶室
不動池
不動池
山野草を集中的に植栽しているところのようです。もちろん花は見る事が出来ませんが。
このような石段を何度か登って行きます。
左側が「流れ」と書かれていた辺りでしょうか
ひかりの広場へ
ひかりの広場から最高地点へ
最高地点? 前方が城山公園の最高地点と思われます
休憩所 前掲写真の地点から少しばかり西側に下った所
休憩所からみた大磯の海 三浦半島方面がすっきりと見えました。
展望台より 鷹取山方面へ出発する前に撮影した場所です。 お昼を過ぎても出発時とさほど変わらぬ眺望に驚かされました。
これは展望台の少し下から見た大山方面です。
* 県立城山公園について(神奈川県公園協会の紹介文より抜粋)
この公園内からは縄文時代の遺跡や横穴墓、鎌倉古道などの文化遺産が発見されている。また中世には小磯城が築かれた。 明治31年(1898)この地が三井財閥本家の別荘地となり、数々の貴重な建築物が建てられたが、財閥解体後・・・別荘跡地の再利用案として公園化計画が生まれた。これにより、昭和62年(1987)の部分開園を経て平成2年(1990)に正式開園した。 現在は旧吉田茂邸の庭園も含まれるそうです。
No.423
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