(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

神奈川県 石砂山を歩く(2)

2014-04-15 23:22:41 | ウォーキング
2014年4月15日(火)

石砂山山頂より


石砂山山頂を後にして  送電鉄塔365号付近より  西野々辺りでしょうか


送電鉄塔365号付近より


右手北西側にはゴルフ場が見えます。


菅井分岐まで戻ってきました。  次の目標は城山なので、右に道を取り菅井方面に進みます。


菅井分岐指導標  伏馬田入口バス停2.6Km ⇔ 石砂山1.1Km  右、菅井


菅井分岐から間もないところで次の指導標が現れます。 ここは右に鋭角的に曲がるので、指導標が無いと直進しそうな所です。




指導標 菅井 ←《東海自然歩道》→ 石砂山・伏馬田入口バス停   右側にもルート?


ここに来て正面は城山への稜線のように見えました。そのせいか近づいてみると踏み跡らしきものも・・・


城山分岐  
左側の指導標 左、尾崎城趾  これは小屋根のついた立派な指導標です。  
右側の指導標 菅井 ←《東海自然歩道》→ 石砂山・伏馬田入口バス停  左、伏馬田城跡

二つの指導標が出ていました。城山方面はルート的にもう一つ良く分からないところがあったので一安心でした。これなら最後まで問題なく行けそうです。

ところでこれから向かう山は城山(じょうやま)と思っていたのですが、この山には他にいくつもの名前が付いているようです。尾崎城趾、伏馬田城跡、伏馬田城山烽火台、尾崎山・・・まだあるらしいですよ


植林帯の中の階段道を登ります




階段道を登りきったところに壊れたベンチ




手前の小さなピークが城山のようです。


一息ついて


もう一度ダウンです。


最後の登りで分岐点が現れました。これは全く予想していなかったもので、右に下ると菅井への近道になるようです。
指導標 東海自然歩道 ⇔ 尾崎城趾  右、菅井


分岐点にあったベンチ


正面が城山山頂のようです。手前の窪みは城郭の遺構(堀切?)のようにも見えます。


城山山頂 その1 到着直後の山頂のようす


城山山頂 その2 
城山は北條氏の家臣で津久井衆の一人、日連村の尾崎掃部助が守っていたことからこの山を尾崎城趾ともいい、平地を尾崎原と呼んでいるそうです。


城山山頂 その3 山頂部はそれほど広くはなく、いかにも烽火台という印象を受けました。


城山山頂 その4 現在はこの程度の展望しかありませんが、かつては道志川沿いの街道を監視するには丁度良い位置にあったと思われます。特に武田氏の動きに注意を払ったことでしょうね。


城山山頂を後にして、先程の分岐点まで戻ってきました。 左折して菅井への近道を行きます。


植林帯の中へ


植林帯を抜けると


オヤ?!と思うような光景が現れました。


畑のようですが、どうも普通の畑地ではないようです。


柵に挟まれた細い道を進むと(右側は電柵)


尾崎城趾への指導標


「仁の丘」  いよいよこれは何だろうと、帰宅後調べてみると農業体験ができる所謂体験型の市民農園ということらしいです。


畑地を回り込んで進みました。  「きけん 電気牧柵」


「仁の丘農園」を出て入口を振り返って見たところ   ここにも園内に向かって尾崎城趾への指導標が出ているのですが、左側の道が東海自然歩道になっていて城山分岐に通じているのではないかと思いました。


農園を出て南に下る途中にあった指導標と東海自然歩道の案内板
指導標 菅井(県道)・青根 ←《東海自然歩道》→ 石砂山2.6Km






これはちょっと振り返ったところですが   妙に花が目立って、よく手が行き届いているなあと思っていたら・・・


石垣にこんな看板が  「菅井花街道」  これは菅井地区の方々が独自に行っている活動なのでしょうか?


菅井(尾崎)  指導標 石砂山・伏馬田入口バス停 ⇔ 青根

指導標にはありませんが、ここを左折します。 直進すると菅井地区の中心部を通り、更に県道76号線を南に進めば青根に至ります。(北に進むと日連方面)  左折すると伏馬田地区を通って梶ヶ原、西野々方面に至ります。 因みに、この辺りは菅井でも尾崎(字)という所なのだそうで、偶々出合った土地の方から伺いました。

*この角に伏馬田城趾(烽火台)の説明板が立っていて、その説明板によると
城山を守っていた尾崎掃部助の子孫は江戸期に又野村(津久井町又野)の名主を代々努めていたが・・・明治に入って尾崎彦四郎行正が三重県令となり、その行正の子が後に憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄(咢堂)であるという・・・ 



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No.381






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