民主主義を支持するのであれば、政治の問題は究極的には政治家の問題ではなく、あなた自身の問題だ。
(もっとも、民主主義を否定する立場であっても、やっぱり責任はあなたにあるのだが…)
マスコミは、そして政治家自身も、政治の責任を政治家に押し付けようとする。それは確かにそうなのだが、しかしその政治家を選んでいるのは有権者であり、有権者が政治家を見極める力が無いから、ダメな政治家が選ばれ、ダメな政治が横行するのである。
そして有権者がダメな政治家を選べば選ぶほど、良質な政治家は消えていく。よほど特別な立場の人でなければ落選し続けて、なお政治家を続けられる人はいない。政治の世界から消えていくしかないのだ。
悪貨は良貨を駆逐する、とはよく言ったものである。
なぜ有権者がダメな政治家を選んでしまうのか。
それは有権者が自分と同じレベルの指導者しか求めないからだ。現在の政治と政治家は、まさに有権者の顔を映す鏡である。
貧乏人が金持ちの味方をしている。
本来、貧乏人と金持ちの利害は対立しているはずだ。なぜなら貧富とは相対的な概念だからだ。それは絶対額ではなく、誰かが誰かよりより多く持っている(もしくはより少なくしか持っていない)ということだからだ。
それはつまり結果的に社会全体の富の分配が偏っているということであり、ありていに言えば金持ちが独り占めしているということである。
その格差を経済のエンジンと位置づけ、経済システムが稼動するために貧富の差が必要だとするのが、資本主義者の言い分である。つまりそれは永久的に富者と貧者を無くさないという宣言である。
貧乏人にとっては耐え難いはずの論理を、しかしその貧乏人が支持している。資本主義を強化する政治家ばかりが圧倒的な支持を集めている。
それは貧乏人が貧乏を憎まないからだ。貧乏人が憎むのは自分の現在の境遇でしかない。自分も金持ちの側に入れる、入りたい、入る可能性を残しておきたい。だから貧乏人が資本主義を求める。
しかし結果として大多数の貧者はどこまで行っても貧者のままである。貧困の連鎖などと難しいことまで言わなくてもよい。これはギャンブルなのだ。
人はいつか当たると思うからギャンブルにカネを注ぎ込む。しかし実際にはそのカネは自分以外の誰かのところに行くように出来ている。
本当はギャンブルを廃止して、そこに賭けられたお金をみんなに平等に配分したら、小口のギャンブラーはギャンブルするよりも多くを手に入れられるはずだ。しかし現在の世の中ではギャンブルが無くなったら、全てが無くなると宣伝されている。ギャンブルが無くなるという前提そのものが検討されることすらない。
もちろんこれは、ただの理屈だ。
しかしその理屈すら考えることなく、貧乏人が金持ちの側に味方して、今もひたすら自分の首を絞め続けていることだけは、まぎれもない現実なのである。
(もっとも、民主主義を否定する立場であっても、やっぱり責任はあなたにあるのだが…)
マスコミは、そして政治家自身も、政治の責任を政治家に押し付けようとする。それは確かにそうなのだが、しかしその政治家を選んでいるのは有権者であり、有権者が政治家を見極める力が無いから、ダメな政治家が選ばれ、ダメな政治が横行するのである。
そして有権者がダメな政治家を選べば選ぶほど、良質な政治家は消えていく。よほど特別な立場の人でなければ落選し続けて、なお政治家を続けられる人はいない。政治の世界から消えていくしかないのだ。
悪貨は良貨を駆逐する、とはよく言ったものである。
なぜ有権者がダメな政治家を選んでしまうのか。
それは有権者が自分と同じレベルの指導者しか求めないからだ。現在の政治と政治家は、まさに有権者の顔を映す鏡である。
貧乏人が金持ちの味方をしている。
本来、貧乏人と金持ちの利害は対立しているはずだ。なぜなら貧富とは相対的な概念だからだ。それは絶対額ではなく、誰かが誰かよりより多く持っている(もしくはより少なくしか持っていない)ということだからだ。
それはつまり結果的に社会全体の富の分配が偏っているということであり、ありていに言えば金持ちが独り占めしているということである。
その格差を経済のエンジンと位置づけ、経済システムが稼動するために貧富の差が必要だとするのが、資本主義者の言い分である。つまりそれは永久的に富者と貧者を無くさないという宣言である。
貧乏人にとっては耐え難いはずの論理を、しかしその貧乏人が支持している。資本主義を強化する政治家ばかりが圧倒的な支持を集めている。
それは貧乏人が貧乏を憎まないからだ。貧乏人が憎むのは自分の現在の境遇でしかない。自分も金持ちの側に入れる、入りたい、入る可能性を残しておきたい。だから貧乏人が資本主義を求める。
しかし結果として大多数の貧者はどこまで行っても貧者のままである。貧困の連鎖などと難しいことまで言わなくてもよい。これはギャンブルなのだ。
人はいつか当たると思うからギャンブルにカネを注ぎ込む。しかし実際にはそのカネは自分以外の誰かのところに行くように出来ている。
本当はギャンブルを廃止して、そこに賭けられたお金をみんなに平等に配分したら、小口のギャンブラーはギャンブルするよりも多くを手に入れられるはずだ。しかし現在の世の中ではギャンブルが無くなったら、全てが無くなると宣伝されている。ギャンブルが無くなるという前提そのものが検討されることすらない。
もちろんこれは、ただの理屈だ。
しかしその理屈すら考えることなく、貧乏人が金持ちの側に味方して、今もひたすら自分の首を絞め続けていることだけは、まぎれもない現実なのである。