思わず吐き気をもよおすような安倍総理の「どんな脅しにも屈しない」発言。元総理大臣にして現副総理(なんだかこの副総理というのも怪しげな「ポスト」であるが)や大量の国会議員が靖国神社を参拝したことへの各国からの批判に、こういう強面の発言をして、いったい誰にどんな利益があるのだろうか。
もちろん結局のところ安倍さん自身にとって利益になるという判断なのだろうが。
それと連動して、菅官房長官は村山談話の「痛切な反省と心からのおわび」を繰り返したのだが、ぼくは映画「マーズアタック」で、宇宙人が拡声器で友好的な言葉を大音量で流しながら地球人を虫けらのように虐殺して行くシーンを思い出した。
口先でいくら何を言ったところで、問題なのは現実の行動である。よく右翼の連中は「いつまで謝れば気が済むんだ」と怒るが、それは本心から誤りを認めて謝罪するときまでにきまっている。
自民党の尾辻前参議院副議長は「国会議員が、国に殉じた英霊に対して参拝するのは、どこの国でも行っているごく自然な行為であり、中国や韓国に反発されるのはよく理解できない」などと言っていたが、本当にそんなこともわからないのだったら、何の歴史の勉強もして来ず、外交における見識のひとかけらもないと言わざるを得ない。
靖国神社とはそもそも何なのかという本質論を全く自らに問うことなく靖国参拝をしているのなら不見識だし、もし理解した上なら戦後の日本政治・外交の常識を逸脱している。すなわち日本の侵略行為を正当化していることに他ならないからだ。
当然ながら戦没者への哀悼の気持ち捧げる方法や場所は他にもあるのだし、靖国神社にこだわること自体が政治家として問題視されるのは当然である。もしどうしても個人として靖国神社に参拝したいのなら人目を避けて行けばよい。有名な遊園地で迷惑行為をして目立とうとする学生のごとく、また幼稚園児の遠足のごとく「みんないっしょに」参拝するのは、明らかに政治的パフォーマンスであろう。
だいたいにおいて彼らは何を考えているのか。本心から亡くなった兵士を英霊だと思っているのか? それ自体に大変疑問がある。彼らは戦争の何を知っているのか。
この問題の根はとても深い。
ぼくから見ると、日本の右翼ははるか以前から、実は民族主義でもナショナリストでもなかったのではないかと思えるからだ。
つまり日本の右翼の主流派は、思想的な右翼と言うよりその時の政府のご都合主義的ちょうちん持ちでしかなかったように見える。
今でも「日本人的」とか「大和魂」とか「伝統」とか「歴史」とか言いたがるやつに限って、なんだか的外れというか、本当に日本史をちゃんと勉強したのかと疑うようなトンチンカンなことを言うことが多い。
別の言い方をすると、右翼の常識は歴史の非常識であり、それはなぜかと言うと彼らのイデオロギーが歴史的な意味での日本思想ではなく、第二次世界大戦中に固定化された皇国史観や道徳観でしかないからだ。
それがいわゆる「天皇制」である。
天皇制という用語は厳密には日本共産党が作った言葉で、まさに天皇制ファシズムという政治体制を説明するための用語である。ぼくが天皇制と言うのはまさにこの意味である。
だからあえてそれと区別するために、歴史的に「天皇」というステータスが継承されてきた歴史的事実は「天皇制度」と呼ぶようにしている。
それを踏まえてうえで、ぼくが考える天皇制とは、古代神話と大和朝廷の政治体制と封建時代の武士階級の思想と歴史的天皇制度をつぎはぎに、ヨーロッパのキリスト教体制を接着剤にして明治時代に作られた近代絶対主義のイミテーションである。
ここでは詳細を展開する余裕がないが、そうであるから、右翼の言っていることは常に支離滅裂にならざるを得ないのだ。つまりそれはいわば捏造されたファンタジーの上に成立しているからであり、精密にその根拠を問うて行ったらあいまいにならざるを得ないからだ。
しかしだからこそ彼らにとって「右翼思想」は便利なのである。自分の利益のための行為を正当化するのにも、アメリカに利益を売り渡すのにも、自由に使えるからだ。
そういう意味で日本の「右翼」はみんなろくでなしでしかないのである。
もちろん結局のところ安倍さん自身にとって利益になるという判断なのだろうが。
それと連動して、菅官房長官は村山談話の「痛切な反省と心からのおわび」を繰り返したのだが、ぼくは映画「マーズアタック」で、宇宙人が拡声器で友好的な言葉を大音量で流しながら地球人を虫けらのように虐殺して行くシーンを思い出した。
口先でいくら何を言ったところで、問題なのは現実の行動である。よく右翼の連中は「いつまで謝れば気が済むんだ」と怒るが、それは本心から誤りを認めて謝罪するときまでにきまっている。
自民党の尾辻前参議院副議長は「国会議員が、国に殉じた英霊に対して参拝するのは、どこの国でも行っているごく自然な行為であり、中国や韓国に反発されるのはよく理解できない」などと言っていたが、本当にそんなこともわからないのだったら、何の歴史の勉強もして来ず、外交における見識のひとかけらもないと言わざるを得ない。
靖国神社とはそもそも何なのかという本質論を全く自らに問うことなく靖国参拝をしているのなら不見識だし、もし理解した上なら戦後の日本政治・外交の常識を逸脱している。すなわち日本の侵略行為を正当化していることに他ならないからだ。
当然ながら戦没者への哀悼の気持ち捧げる方法や場所は他にもあるのだし、靖国神社にこだわること自体が政治家として問題視されるのは当然である。もしどうしても個人として靖国神社に参拝したいのなら人目を避けて行けばよい。有名な遊園地で迷惑行為をして目立とうとする学生のごとく、また幼稚園児の遠足のごとく「みんないっしょに」参拝するのは、明らかに政治的パフォーマンスであろう。
だいたいにおいて彼らは何を考えているのか。本心から亡くなった兵士を英霊だと思っているのか? それ自体に大変疑問がある。彼らは戦争の何を知っているのか。
この問題の根はとても深い。
ぼくから見ると、日本の右翼ははるか以前から、実は民族主義でもナショナリストでもなかったのではないかと思えるからだ。
つまり日本の右翼の主流派は、思想的な右翼と言うよりその時の政府のご都合主義的ちょうちん持ちでしかなかったように見える。
今でも「日本人的」とか「大和魂」とか「伝統」とか「歴史」とか言いたがるやつに限って、なんだか的外れというか、本当に日本史をちゃんと勉強したのかと疑うようなトンチンカンなことを言うことが多い。
別の言い方をすると、右翼の常識は歴史の非常識であり、それはなぜかと言うと彼らのイデオロギーが歴史的な意味での日本思想ではなく、第二次世界大戦中に固定化された皇国史観や道徳観でしかないからだ。
それがいわゆる「天皇制」である。
天皇制という用語は厳密には日本共産党が作った言葉で、まさに天皇制ファシズムという政治体制を説明するための用語である。ぼくが天皇制と言うのはまさにこの意味である。
だからあえてそれと区別するために、歴史的に「天皇」というステータスが継承されてきた歴史的事実は「天皇制度」と呼ぶようにしている。
それを踏まえてうえで、ぼくが考える天皇制とは、古代神話と大和朝廷の政治体制と封建時代の武士階級の思想と歴史的天皇制度をつぎはぎに、ヨーロッパのキリスト教体制を接着剤にして明治時代に作られた近代絶対主義のイミテーションである。
ここでは詳細を展開する余裕がないが、そうであるから、右翼の言っていることは常に支離滅裂にならざるを得ないのだ。つまりそれはいわば捏造されたファンタジーの上に成立しているからであり、精密にその根拠を問うて行ったらあいまいにならざるを得ないからだ。
しかしだからこそ彼らにとって「右翼思想」は便利なのである。自分の利益のための行為を正当化するのにも、アメリカに利益を売り渡すのにも、自由に使えるからだ。
そういう意味で日本の「右翼」はみんなろくでなしでしかないのである。