あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

ろくでなしの輩

2013年04月25日 23時52分00秒 | Weblog
 思わず吐き気をもよおすような安倍総理の「どんな脅しにも屈しない」発言。元総理大臣にして現副総理(なんだかこの副総理というのも怪しげな「ポスト」であるが)や大量の国会議員が靖国神社を参拝したことへの各国からの批判に、こういう強面の発言をして、いったい誰にどんな利益があるのだろうか。
 もちろん結局のところ安倍さん自身にとって利益になるという判断なのだろうが。
 それと連動して、菅官房長官は村山談話の「痛切な反省と心からのおわび」を繰り返したのだが、ぼくは映画「マーズアタック」で、宇宙人が拡声器で友好的な言葉を大音量で流しながら地球人を虫けらのように虐殺して行くシーンを思い出した。
 口先でいくら何を言ったところで、問題なのは現実の行動である。よく右翼の連中は「いつまで謝れば気が済むんだ」と怒るが、それは本心から誤りを認めて謝罪するときまでにきまっている。

 自民党の尾辻前参議院副議長は「国会議員が、国に殉じた英霊に対して参拝するのは、どこの国でも行っているごく自然な行為であり、中国や韓国に反発されるのはよく理解できない」などと言っていたが、本当にそんなこともわからないのだったら、何の歴史の勉強もして来ず、外交における見識のひとかけらもないと言わざるを得ない。
 靖国神社とはそもそも何なのかという本質論を全く自らに問うことなく靖国参拝をしているのなら不見識だし、もし理解した上なら戦後の日本政治・外交の常識を逸脱している。すなわち日本の侵略行為を正当化していることに他ならないからだ。
 当然ながら戦没者への哀悼の気持ち捧げる方法や場所は他にもあるのだし、靖国神社にこだわること自体が政治家として問題視されるのは当然である。もしどうしても個人として靖国神社に参拝したいのなら人目を避けて行けばよい。有名な遊園地で迷惑行為をして目立とうとする学生のごとく、また幼稚園児の遠足のごとく「みんないっしょに」参拝するのは、明らかに政治的パフォーマンスであろう。

 だいたいにおいて彼らは何を考えているのか。本心から亡くなった兵士を英霊だと思っているのか? それ自体に大変疑問がある。彼らは戦争の何を知っているのか。

 この問題の根はとても深い。
 ぼくから見ると、日本の右翼ははるか以前から、実は民族主義でもナショナリストでもなかったのではないかと思えるからだ。
 つまり日本の右翼の主流派は、思想的な右翼と言うよりその時の政府のご都合主義的ちょうちん持ちでしかなかったように見える。
 今でも「日本人的」とか「大和魂」とか「伝統」とか「歴史」とか言いたがるやつに限って、なんだか的外れというか、本当に日本史をちゃんと勉強したのかと疑うようなトンチンカンなことを言うことが多い。
 別の言い方をすると、右翼の常識は歴史の非常識であり、それはなぜかと言うと彼らのイデオロギーが歴史的な意味での日本思想ではなく、第二次世界大戦中に固定化された皇国史観や道徳観でしかないからだ。
 それがいわゆる「天皇制」である。

 天皇制という用語は厳密には日本共産党が作った言葉で、まさに天皇制ファシズムという政治体制を説明するための用語である。ぼくが天皇制と言うのはまさにこの意味である。
 だからあえてそれと区別するために、歴史的に「天皇」というステータスが継承されてきた歴史的事実は「天皇制度」と呼ぶようにしている。
 それを踏まえてうえで、ぼくが考える天皇制とは、古代神話と大和朝廷の政治体制と封建時代の武士階級の思想と歴史的天皇制度をつぎはぎに、ヨーロッパのキリスト教体制を接着剤にして明治時代に作られた近代絶対主義のイミテーションである。
 ここでは詳細を展開する余裕がないが、そうであるから、右翼の言っていることは常に支離滅裂にならざるを得ないのだ。つまりそれはいわば捏造されたファンタジーの上に成立しているからであり、精密にその根拠を問うて行ったらあいまいにならざるを得ないからだ。

 しかしだからこそ彼らにとって「右翼思想」は便利なのである。自分の利益のための行為を正当化するのにも、アメリカに利益を売り渡すのにも、自由に使えるからだ。
 そういう意味で日本の「右翼」はみんなろくでなしでしかないのである。


もういいかげんにしろ!

2013年04月25日 21時53分32秒 | Weblog
 はっきり言ってもう我慢も限界だ。

 ジュネーブで開催されているNPT(核拡散防止条約再検討会議)の準備委員会で、「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類の共存のためになる」とうたった共同声明に日本政府は賛同することを拒否した。
 スイスが事前に賛同を求めた際、「いかなる状況下でも」の文言を削るよう求めたのだと言う。

 いったい安倍政権は日本をどこに向かわせようとしているのか。

 麻生副総理や史上最大の国会議員の靖国参拝に対する批判に対しては「どんな脅かしにも屈しない」などとヤクザまがいにタンカを切る一方、主権回復の日などと称してアメリカの従属国化したことをまるで誇るかのような屈辱を国民に強いろうとしている。
 さらにそれを実質的に補完するように、アメリカの企業利益のために日本を売るTPPへの参加を強行しようとしている。

 これこそポチ・ナショナリズムであり、植民地根性以外のなにものでもない。
 いったい国民=有権者はここまで日本の精神と自立性と誇りを傷つけられて何とも思わないのか。

 こうした姿をかつて見たことがある。軍事独裁傀儡政権時代の韓国だ。
 北朝鮮との緊張関係の中で韓国では右翼と左翼が激しく、かつ複雑な攻防を繰り広げていた。彼らにとって民族主義は米国による実質的支配と対立するものであり、左翼は必ずしも北の金日成主体主義ではなかった。
 しかし彼らは、激しい暴力的弾圧の中で中学生までもが武器を取って、文字通り血の苦しみの中から現在の国家体制を勝ち取ってきたのである。
 今の韓国を礼賛するつもりはない、と言うより、むしろ問題が多いとは思うけれど、しかし腐りきった日本の世襲保守政治家連中による腐りきった政権よりはまだ立派だろう。

 日本がこんな情けない政治になってしまったのは、政治家と官僚が自らの責任を回避し続け、国民が事なかれ主義に浸り続けた結果である。
 敗戦に至った明治政府以来の日本の戦略の誤りについて徹底的に責任を回避し、あたかも何も無かったかのように戦前からのっぺらぼうに政治を続けようとする政治家・官僚の体質が、まさに福島の原発事故に至るまで、誰ひとり責任を取らない事態を生んでいるのであり、本質的問題から目をそらし、とりあえず目先のところだけ大過なくすごせればそれでよいと思考停止する結果、とんでもなく劣化した政治家ばかり選出してしまう有権者がそれを野放しにしてきた。

 もう本当にうんざりだ。うんざりなのだ。

ネトウヨを罵倒して何が悪い

2013年04月18日 21時06分13秒 | Weblog
 女たらしで有名(らしい)俳優がネット上でネット右翼を批判したら、逆批判を受けて前面謝罪に追い込まれたのだそうだ。
 詳しいことは知らないので何がどうなっているのかわからないが、ネトウヨとは自分の発言に責任を持たずにヘイトスピーチを垂れ流す輩であって、そんな存在を批判し罵倒したところで、何も悪いとは思えない。
 ちゃんと自分の言ったことに責任を持って議論をする者は、少なくともネット右翼ではないとぼくは思う。
 事実経過を知らないので(というのは、ぼくがツイッターもフェイスブックもやらないことも一因なのだが)全くの憶測でしかないが、俳優某はネット右翼でない者をネトウヨ呼ばわりしたから批判されたのかもしれない。
 なんにしても気持ちの悪い話だと思う。


■押し流されないためのリンク集■

2013年04月01日 00時00分00秒 | Weblog
押し流されないためのリンク集

ブログの仕様上、うまくリンクが貼れないサイト、特に説明しておきたいサイトなどをまとめてみました。
(都度更新します/最終更新:2017/6/1 前回更新:2013/8/13)

◆てんとうふアグレゲーション

 当ブログと連携しているサイトです。

反レーニン主義(Twitter)
  https://twitter.com/Anti_Leninist
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えらちゃん(Youtube)
  https://www.youtube.com/channel/UCPqNhGIHehKGzq6CUKRGI0A


Tunnel-company.com : 虚無からの投壜通信
  http://www.tunnel-company.com/index.html
 左大臣という方が丁寧に翻訳されたフランク パブロフの寓話「茶色の朝」の全訳を公開されています。下部メニューの"works"よりリンクに入れます。
 なぜ今わたしたちが声を上げなければならないのかを教えてくれる作品です。

マルティン・ニーメラー「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」(ウィキペディア)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/彼らが最初共産主義者を攻撃したとき
 以前からこのブログでも何度か取り上げていますが、大変短い詩なので、是非一度は読んでみてください。