あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

うっかりとこの位良いやと違法と責任の問題

2014年04月24日 23時34分14秒 | Weblog
 ぼくの文章はよくわかりづらいと言われる。理由はわかる。自分でもよくわからないことを書いているからだ。というより書きながら考えているのだ。特にこのブログはそもそもそういうものとして書いている。だから書き始めたときから必ずしも結論が出ているわけではない。
 さらに言えば、出来る限り誰の考えにも頼らない、自分自身の内側にある論理で考えようとしている。それは実は自分の奥の奥にある価値観を基盤にするものであって、普段自分が考えたり語ったりしている表面的な価値観や論理とも必ずしも一致しない。それはあるときは直感的であり、また別の場合には緻密に論理的である。
 その意味では(ぼくは哲学者ではないが)ぼくの文章はある部分で哲学者の文章と似ているかもしれない。哲学書を読むと頭が痛くなるが、それは哲学者が既存の価値観や論理にとらわれない自分独自の言語(それはつまり思考のことだが)で文章を書こうとしているからだ。

 このブログで書くことには、自分の内側でモヤモヤしていることを、なんとか形にしたいというものもある。まさに今回はそうしたテーマなので、おそらくわかりにくい文章になるだろう。またもしあなたが表面的にわかったと思われたとしても、それはぼくの真意とは違っているかもしれない。

 先日、自治会の役員と話をする機会があった。ぼくは自治会の役員を批判してもいないし、敵対する気もない。むしろ自治会役員のサポートをする立場にある。その上でのことだが、ある自治会の運営上の問題で、法律に違反する可能性のある点について指摘した。
 相手は自分たちの解釈ではその点について自治会は法律の適用外だと考えている、それにその法規を守る能力も財力もないからしかたがない、と言った。そのことで不利益を被る人が出た場合はどうするのかと尋ねたら、それはあきらめてもらうしかないという答えだった。
 ぼくは法律の専門家ではないし、確かにグレーゾーンなのかもしれない。正直言ってぼくも自治会には現状で法律を厳密に履行する状況にないこともわかる。またぼくは役員でもないし、おそらくその点について何か言う権利も義務も責任も無いのだろう。

 数日前にバス会社の社長が、乗客を乗せない観光バスを運転中に、高速道路で事故を起こした。居眠り運転で中央分離帯を乗り越え反対車線を逆走する形になったのだ。幸い死者は出なかったが複数の車を巻き込んだ。実はこの社長はこの事故を起こす数時間前にも別の接触事故を起こしていたという。
 この社長はワンマン社長で、報道によれば従業員はとてもついて行けず皆やめてしまったのだそうだ。まわりの人たちが忠告しても他人にとやかく言われる筋合いはないと突っぱねていたという。自分のやり方を押し通した挙げ句の事故だった。

 ずっと以前、NPO法人で活動していたとき、ある契約の業務の中で軽微な契約違反があった。いわばちょっとしたミスと言っても良かったが、NPO法人の理事長はそれをごまかすような操作をした。ぼくはその点について、それでよいのかと一回だけ確認したが、そのワンマンな理事長はそんなことで文句を言われる筋合いはない、契約元から何か言われたら言い返してやると言った。ぼくはそれ以上なにも言わなかったし、当然ながらその後も何の問題にもならなかった。

 一週間前に、韓国史上最悪と言われるフェリーの転覆・沈没事故が起きた。おそらく300人前後の人が犠牲になったと推察される。原因の一つは規定の四倍近い過積載で船体が非常に不安定だったことだと言われている。さらに船長が高齢の契約社員だったとか、機関士が航海士の命令とは違う過った操作をしたとか、操舵装置の電気系統に故障があったのが放置されていたのではないかとか、いろいろ言われている。ただ韓国では船舶の過積載はあまり厳しく取り締まられることはなく、一般的に常態化しているという報道もある。
 特に問題となっているのは船長、航海士、機関士らが乗客の救助をせず自分たちだけが先に逃げたことで、船長は殺人罪にも問われているという。
 そんな中で、20数人のクルーの中でただひとり犠牲になったのは、女子大生のアルバイト従業員で、彼女はクルーとしてはたったひとりライフジャケットを配って回り、脱出を断って最後まで乗客を避難させようとしていたという。

 ぼくは20年以上前に、ある温泉ホテルで住み込みのフロントマンをやっていたことがある。今ではすでにそのホテルは倒産し、経営者は破産し、ホテル自体は廃墟になっていると聞く。
 ホテル規模はそれなりに大きく数百人が宿泊していたが、増改築を繰り返して一部は迷路のような状態になっていた。このホテルではいろいろ非常識なことを経験したが、防災訓練もちゃんとやった記憶がない。全くやらなかったわけではなかったと思うが、たとえば夜間に突然火災が起きるなどという想定は全くされていなかった。
 だいたい夜は夜警と呼ばれる老人が二~三人でフロントを担当していた。彼らの中には足が悪い者もいた。とても機敏に対処できるようには見えなかった。
 ぼく自身はホテルの敷地内に建てられたバラックのような宿舎に住んでいたのだが、災害の発生時に何をしろと言われていたわけでもなく、正直言って夜の火事など起こったらどうしてよいかわからずにパニックになっていた可能性が高い。どこまでが自分の責任なのか、何をするべきで何をするべきでないのかなど、全く考えていなかったとおもう。

 よく交通警察の取り締まりをねずみ取りなどと呼んで嫌悪する人がいる。そのくらい速度違反は常態化し普通のことになっている。むしろ法定速度を守る人が批判されるくらいだ。
 横断歩道というものがある。本来なら歩行者が優先的に道路を横断するための場所だ。自動車の運転者は横断歩道わきにいて横断しようとしていたら停車することになっている。しかし実態として横断歩道で止まるクルマはめったにいない。歩行者は横断歩道であるにもかかわらず、じっとクルマの途切れるのを待ち、いそいで道路を渡る。それなら横断歩道など無くても同じようなものだが、もし横断歩道以外で歩行者が道路を渡って事故にあったら、責任は歩行者側にあるということになってしまう。何かが歪んでいる。
 少し前まで飲酒運転は当たり前に行われていた。今でも実態は大して変わっていないだろうが、罰則が強化されたり、マスコミのキャンペーンなどがあって、露骨に公然とやれない雰囲気になってきた。いつかは速度超過や横断歩道での非停車も同じように「やってはいけない犯罪」になるだろうか。

 憲法では軍隊の非保持と戦争の放棄が明確に規定されている。しかし現実には世界最高水準の軍隊が世界中の戦地に展開している。だんだんと、それを指摘し批判することさえ(つまり自分の国の憲法を守れと主張することさえ)反体制的行為とされるようになってきた。激しく歪んだ状況だ。しかもそれを多くの人が黙って看過している。

 ぼくたちは日々目にしている様々な出来事やニュースを、あるときは身近に、あるときは遠くに感じる。遠くにあるものは簡単に批判したり評価したりできる。気楽に韓国フェリーの船長や社長を批判し、アルバイトの女子学生を讃えたりする。
 しかし実は次の瞬間に自分が同じ立場に立たされるかもしれないとは思いもしない。自分が働いている職場でまさか火事が起きるなどとは考えもしない。ましてやそのとき自分がどうするのか想像もできないだろう。
 しかし、本当を言えばそれはそうした極限状況に置かれる前にすべての根源がある。何かが起こる前に、火事への備えはどうなっているのか周囲に問いかけるべきだったのだ。おそらく、そんなことは起こるはずがない、そういわれても今は何もやれない、誰だってどこだって同じようにほったらかしているはずだ、という答えが返ってくるだろう。その時あなたは、確かにそうだなと思う。それ以上は追求しない。人間というのはそういうものだ。
 だが、それはやがて自分に降りかかってくるかもしれない。あなたが思いもしないところで責任を問われることになるかもしれない。もちろんそうでないかもしれない。それでもそれは本当にあなたに関係ないことなのか、責任がないことなのか。
 逆に言えば、この世界に自分に関係のないことなどあるのか。責任のないことなどあるのか。世界は全てつながっており、そしてあなたはその世界を構成する一人なのだから。

マスコミに求める

2014年04月17日 23時09分40秒 | Weblog
 小学校や中学の時に壁新聞や学級新聞を作ったことがある。高校の時には新聞委員だった(ほとんど出したことがなかったが)。ずっと後になってもっと本格的な新聞の編集をすることになったのだが、それはとりあえず置いておこう。
 学校で新聞を作っていた時、新聞の作り方については本で学んだ。ニュースは古いことより新しいことを、小さいことより大きいことを、遠いところのことより近くのことを、という原則はそこで憶えた。これは一般的な新聞の基本的なスタンスだ。外国の話題より日本の話題、専門的な学術問題より身近な経済の話題、ペットの話題より政治の話題をより大きく扱うということだ。つまり読者の関心の高いものを優先しろという教えである。
 だから今日のニュースが韓国のフェリーの転覆事故やウクライナ情勢、また8年前の小学生女児誘拐殺人事件の容疑者が見つかったかもしれないという話題を伝えていることに違和感はない。やはりそれが視聴者が求めることなのだろう。

 しかし、それでも、と思ってしまう。もちろんフェリー事故やウクライナや今市事件を軽んじるべきだと言いたいのではない。だが今現在、桁違いに多数の人々の命が奪われつつある現実について、全く触れられなくて良いのだろうか。
 それはシリアであり、中央アフリカであり、南スーダンである。たった今も何百人、何千人、何万人の人々の命が危機の瀬戸際にあるのに、人々はそのことをよく知らない。知らされないからだ。

 マスコミは情報の受け手が求める情報を提供するのが仕事である。だが人々が知らないこと、知らないから求めることすらできないことを、人々に知らせることも大きな使命ではないのか。遠いことを近くにすること、古い話題として切り捨てずに新しい状況を知らせること、むしろそれがマスコミの最も重要な仕事ではないのか。
 もちろんこのことは地理的距離の問題だけではない。すべてのことに通じるのだと思う。

Windows XP のサポート終了宣言を考える

2014年04月09日 21時38分03秒 | Weblog
 Windows XPのサポートが4月9日に終了すると言うことで、一般のニュースでも取り上げられている。ただこれがどのくらい深刻な問題なのか、たぶんテレビのニュースキャスターたちはわかっていない。
 現在のところ日本においても企業、個人、役所・官庁などで切り替えが終わっていないパソコンが数百万台の数で存在している。これを世界のレベルでみたら本当に数え切れないほどのコンピューターがXPのままになっているだろう。

 マイクロソフトがサポートを打ち切ることで一番心配されるのはコンピューター・ウィルスの問題である。明日からは新たな穴(脆弱性)が見つかっても、もう誰もふさぐ者がいない。誰かがそれを見つけたら、世界中のパソコンに侵入することが可能となる。
 大きな問題は世界中の公的機関や金融機関のコンピューターでXPが使われていることである。特に発展途上国では多いようだ。当然こうしたところから重要な機密情報が流れ出したり、口座情報が書き換えられたりする危険性がある。さらに言えばそこからインターネットを経由してXP以外のOSを使っているコンピューターに侵入するということもできてしまうかもしれない。
 そうしたことが起きてしまったら世界中は大パニックに襲われることになる。あなただって、もしかしたらある日突然、銀行口座がカラになっていたとか、もっとひどい場合には天文学的な負債を背負っていることになってしまうかもしれない。国家レベルではもっと深刻だ。これがきっかけで政情不安が起きるかもしれないし、戦争が勃発する危険だってある。
 本当はこんなに危険なことなのに、何となく皆んな危機感か薄いような気がしてならない。実際には中国が攻めてくるのどうのという話より、こっちの方がずっとリアルで危険性が高いのに、である。

 どうしてXPのサポートが終了するのか。それはそうしないとマイクロソフトが儲からないからである。古いOSがずっと使われ続けたら新しいOSは売れない。だからサポートは打ち切られる。
 これだけ巨大な企業で、計り知れないほどの利益を出しているマイクロソフトが、更にこれ以上儲けようというのか、けしからん、という気持ちになる。しかしそうは言ってもマイクロソフトにも儲けなくてはならない理由があるのだろう。巨大になりすぎたが故に、今度は利益が減ったらマイクロソフト帝国が瓦解してしまう危険性が増してしまったのだ。巨大な企業を支えるためにはより巨大な利益が必要になるというわけだ。
 かつて恐竜が巨大化したのはエネルギー効率を高めるためだったという説がある。体を巨大化して外敵からの攻撃のリスクを減らし、長い消化器官によって栄養価の低い食物からより多くの栄養を吸収できるようにし、巨大な体によって体温をより安定的に保つことができるように進化したというのである。しかしそうは言っても、当然ながら体躯が巨大化すれば、相対的にエネルギー効率が良くなっても絶対的な餌の量は増える。こうして恐竜は特異的な発展を遂げたが故に環境の激変について行けず滅んでしまった。一方、ほ乳類はその恒温性や胎内成熟という特色を利用して小型化、夜行化することができ、その結果、大絶滅を生き延びることができた…というのは、話が脱線した。

 それではユーザーの側はなぜXPからの切り替えをしないのか。それは多額の費用がかかるからである。
 そもそも新しいOSの買い換えに費用がかかる。しかしそれだけではない。現実の問題として、今までXPが使えていたパソコンがWindows 7や8などで動くとは限らない。というより普通は実用的なレベルでは使えないと考える方が一般的であろう。
 更にはパソコン自体を新しいものに変えると、今度はその周辺機器が使えなくなることもある。うまく古いパソコンに新しいOSをインストールしたとしてもドライバが開発されず、これまで使えていた機器が使えなくなる場合もある。そうしたら周辺機器も買い換えなくてはならない。
 もちろん実際に作業で使うアプリケーション・ソフトも必ずしも新しいOSに対応しているわけではない。ひょっとしたら企業で使うソフトはパソコン本体より価格が高いかもしれない。
 世界的な不況の今日、多くの人々が換えたくても換えられない状況があるのである。

 しかしなぜ、OSが変わるだけなのに、それに付随してこんなにも多くの問題が発生するのだろうか。それはわざとそういう設計にしてあるからだ、と言うべきであろう。
 コンピューター産業の分野はとても広い。部品の一つ一つからネットワークインフラ、ソフトウェアの開発業者、パソコンやソフトの販売業者、などなど、多くの人々がコンピューター産業の内部や周囲に群がっている。これらの企業、人々もまたマイクロソフトと同様に、古いものが使い続けられてしまったら儲けにならない。
 マイクロソフトはこうした部分とある意味で運命共同体的な関係を持っている。だからマイクロソフトの新しいOSはあえて古い規格が使えないような設計になっているのだと、ぼくは推察している。

 もちろん実はほとんどお金をかけずにWindows XPを捨てて新しいOSに乗り換えることも可能ではある。Linux系のOSを利用するのである。
 Linuxの歴史と変遷をたどっている余裕はないので来歴は省略するが、現状では多くの種類のLinux系OSが存在し、その大半はインターネット上に公開されていて誰でも無償で利用することができる。その開発は有志のボランティアに支えられており、常に最新の技術を盛り込んだバージョンアップが繰り返されている。
 またLinux系の場合、OSが無料なだけでなく、特殊な一部の商用ソフト以外のアプリケーションは大半が無料で入手できインストールできる。
 さらにLinux系のOSでは多くの場合、Windowsとは逆に最新の技術を導入していっても可能な限り古い機能との互換性を保とうとする。もちろん技術的な制約や限界はあるが、今まで使っていたソフトや周辺機器が簡単に使えなくなるというわけではない。
 たとえばLinux系の中でも初心者向けと言われるUbuntuは、中古もしくは廉価パソコンと組み合わせて、アフリカなどの貧困国の子供たちの学習用として無償配布する運動に使われていたりする。

 これだけ書くと良いことづくめのようだが、しかしたぶん多くの方が思っておられるとおり現実に導入するのには様々なハードルがある。
 Windowsに比べると圧倒的にマニュアルやアプリケーションの種類が少ない。使い慣れてしまえば難しいわけでもないのだが、Windowsに慣れた人がいきなり快適に使えるわけではない。英語を読まなくてはならない場面もある程度は出てくるし、呪文のようなコマンドを入力しなくてはならないこともある。
 そもそもOSの種類やバージョンが沢山あるので、必然的に同じOSを使っている人が少なくなり、Windowsのように気楽に誰かに訊いて教えてもらうこともできない。無償提供だから基本的に保証も無い。OSもアプリケーションも各種の周辺機器の使い方も、全て自分で調べ、自分で入手し、独力で使いこなさなくてはならない。もちろん繰り返すが、それはそんなに難しいことではなく、初心者が導入して基本的な使い方をするところくらいまでなら、書籍でもネット上でも日本語による解説がたくさん出ているから、やる気さえあれば誰にでもやれるはずだ。

 それにしても、もう少しLinuxにマニュアルやアプリケーションが増えないものだろうか。だがそれは大変に難しい。なぜなら儲からないからだ。
 もちろん基本的に多くのものが無償提供であるという意味では儲けにならないのは当たり前だが、それだけではなく有償のアプリケーションやサービスも増えない理由がある。パソコンOSの世界ではマイクロソフトが一人勝ちし、ほぼ独占しているからである。
 ソフトやサービスはそもそも使う人が多くなければ儲からない。だからソフトやハードやサービスを開発し販売する人々は、圧倒的に利用者が多いWindows用のものを開発するのだ。利用者が圧倒的に少ないLinux用は作っても絶対量として売れないからそもそも作らない(もしくは作れない)のである。

 まさにこれこそがマイクロソフト帝国なのだ。コンピューター技術はすでに人類にとって必要不可欠のインフラになっている。しかしたとえば水道やガス、電気、道路、鉄道、港湾、郵便などのインフラが(仮に民営化になっても)高度な公共性を保ち、政府の強いコントロール下に置かれているのに対し、コンピューターは事実上、一営利企業の独占的な経営判断によってコントロールされているのである。まさにマイクロソフトが転んだら世界が大けがをする。
 資本主義の強欲の問題はここではひとまず置いておくとしても、危機管理の問題としてもここには大きな問題がある。食料安全保障と同じことだ。いくら効率的、経済的だと言っても、ひとつの農産物をある地域のある一種類だけに限定し輸入していたら、その地域、その品種が何らかのトラブルにあった場合、その農産物はただちに手に入らなくなってしまう。たとえばバナナだ。この場合、産地は分散しているものの、現在世界中で食べられているバナナは実はたった一品種である。数十年前までは別の品種が食べられていたのだが病気で栽培できなくなった。現在の品種はその代わりに開発されたものだが、近年ではこの品種も病気の被害が拡大しており、もしこのままいくと我々が普段食べている甘いデザート用のバナナは市場から失われてしまう危険性があるのだ。

 こうした危険に対処するためには危険性の分散化が必要である。つまり経済性や効率化を犠牲にしてでも、栽培地域や栽培品種を多様化して、一つの地域や一つの品種が壊滅的打撃を受けても他で補うことができるようにしておく必要があるのだ。しかし民間の営利企業には経済性や効率性を第二義的に考えることは不可能である。いくら理念として語れたとしても事実として営利を第一目的にする以上、経済性、効率化を最初に考えざるを得ない。だから社会インフラを完全に民間企業に任せきってしまうことはできないのである。原子力発電所を単純に個別企業の営利事業として純化させることが出来ないのと同じである。

 コンピューター技術が発展してきた歴史から言えば、現状のような一営利企業の独占状態が生まれたことはある程度しかたのないところがあった。しかしだからと言ってこのままで良いということにはならないだろう。マイクロソフトの経営方針一つで世界が破滅するのでは困るのである。

思想弾圧の嵐がやってくるのか

2014年04月06日 23時49分22秒 | Weblog
 いよいよ本気の決断が迫られる時が来るのかもしれない。共同通信によると政府は過激な活動家らをテロリストに指定し、資産を凍結する新法を策定する方向で検討に入ったという。名目はオリンピック開催に向けた「国内のテロ」対策だという。
 しかし当然ながらこれはオリンピックだけに限った時限立法と言うことにはならないだろう。これはつまり日本国憲法に保障された思想、信条、言論、表現の自由を制限するための法律なのである。

 そもそも「過激な活動家」というが何を過激と認定するのか。ぼくはもちろん過激派だ。しかし過激というのはどうしても相対的な概念である。何かに対して「激し過ぎる」から過激なのだろう。過激な人は世の中にたくさんいる。激高して人を殺してしまう人は過激と言うしかない。しかし今回の政府の方針にそういう人が含まれるとはとても考えられない。別に何も言わずとも暗黙の前提として、現在の体制に反対、もしくは批判的な人間を取り締まるための法律なのであろう。
 逆の言い方をすれば、反体制の思想の持ち主でなかったら罰せられるはずのないことでも、思想的に現在の体制に批判的であるだけで処分されるケースもあり得ると言うことである。そうでなければ何も「活動家」と限定する必要はない。たとえば今、北海道のショッピング施設や警察施設などを狙った連続爆破事件が起きている。こうした事件はかつての新左翼による爆弾闘争を思い起こさせるが、それでもこの事件の犯人が「活動家」でなかったら、一般の刑法で裁かれるだけだろう。

 実はこのことがもうひとつの問題を明らかにしている。
 つまり、今さら新しい法律を作らなくても「テロ」を取り締まり、裁くことはできると言うことである。たとえば多くの人は死刑が適用される罪は殺人罪だけだと思っているかもしれないが、実は次のような法律があって、これらはいずれも最高刑が死刑となる。

刑法
 内乱罪
 外患誘致罪(つまり外国と通じて日本に対して武力を行使させた罪)
 外患援助罪(つまり外国から武力攻撃を受けたとき、それに加担して軍事行動をともにしたり、外国軍に軍事的な利益を与えた罪)
 現住建造物等放火罪
 激発物破裂罪
 現住建造物等浸害罪
 汽車転覆等致死罪
 水道毒物等混入致死罪
 殺人罪
 強盗致死罪・強盗殺人罪
 強盗強姦致死罪

組織犯罪法
 組織的な殺人罪

人質による強要行為等の処罰に関する法律
 人質殺害罪

航空機の強取等の処罰に関する法律
 航空機強取等致死

海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律
 以下の海賊行為で人を死亡させた場合
  船舶強取・運行支配
  船舶内の財物強取等
  船舶内にある者の略取
  人質強要

爆発物取締罰則
 爆発物使用

 ざっと眺めていただければわかるとおり、死刑になる罪の多くが、実は国内反体制運動または外国勢力が侵略してきた状況下における広い意味でのテロ行為等に適用するための法律であることがわかるだろう。さらに言えば反体制的活動団体に適応するための「破壊活動防止法」や「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」も存在する。

 これだけの法律があってなお、新しい法律を作ろうというのには理由がある。つまり日本の法律体系は基本的に行為に対する処罰を原則にしているからだ。何か罪になることをやったとき初めて処罰されるというのが戦後の日本の法律の基準だ。それはもちろん、戦前の日本の治安維持の法律体系のあり方を強く反省した上で、日本国憲法の規定に沿って作られた法体系であった。しかし長い戦後保守政治が腐敗し弛緩してくる中で、社会の内部にたまった人々の不満は、何かの弾みで一気に爆発しかねない。そのときは、単に保守政党の政権が転覆するだけではすまず、最悪の場合、資本主義体制そのものが瓦解するかもしれない。
 日本の支配者は常にそうした危機感を感じながらやってきたのである。それを防ぐためにはもはや行為の処罰では間に合わなくなってきたのだ。つまり保安処分の導入が必要になってきたということだ。保安処分というのは日本語版ウィキペディアによれば「『犯罪者もしくはそのような行為を行う危険性がある者』を対象に、刑罰とは別に処分を補充したり、犯罪原因を取り除く治療・改善を内容とした処分を与える事」とされている。

 その考え方は昨年の特定秘密保護法と通底している。特定秘密保護法は罪刑法定主義の原則すら踏み外し、裁判や処分をする以前に実質的な処罰を与えることを可能にした悪法中の悪法だが、そこにも犯罪行為が行われる前に処罰・処分をしてしまうという思想がある。
 こうした思想は明らかに日本国憲法の精神に反する。つまりはこれは、集団的自衛権容認や武器輸出三原則の廃止などと同じような、正式な改憲によらない実質改憲であると言える。

 ただ現実を直視するなら、このような憲法無視、実質改憲の動きは、必然と言えば必然ではある。このかん安倍政権が行ってきた様々な実質改憲の法律が、たとえば別の政権になったときに撤回されると想像できるだろうか。若干の方針転換はあったとしても、おそらくこの一年の間に作られた既成事実はほぼ永続的に続くことになるに違いない。復古的な動きといえど歴史は後戻りしないのである。
 それはいかに多くの人々が反対しようと、こうした右傾化の流れが止められないということも示唆している。
 なぜなら、これが「近代」の帰結であるからだ。つまり近代的自我の成立による個人の解放が資本主義を支え、また欲望の解放が平等思想より自己権益の確保と保持へと向かわせ、それは支配層の固定化と格差の圧倒的拡大をもたらしているのだ。
 いわゆるリベラル層は現状を嘆いてはいるが、はっきり言えば極右と同じ穴の狢でしかない。彼らはついこの間まで、そしてたぶん現在でも、左翼を怨嗟し、資本主義の永続的な維持を目指しているからだ。
 このことをもっと簡単に言うならば、ようするに現在の安倍政権が行っている一見復古的な政策のすべてが、実は資本主義の発展・成熟=腐敗の必然的帰結であって、それは本質的には封建時代への逆戻りなどではないということだ。幻のSTAP細胞ではあるまいし、リンゴの実は不可逆的に腐っていくしかない。同じようにまずくなっていくからと言って、決して青い実に戻っていくわけではないのである。

 もはや今回のような動きは安倍政権の特殊な性格によるものだとは言っていられない。合衆国でもキリスト教原理主義の台頭から、ネオコンの登場、そして3・11以降の急激な国家秩序優先主義社会への転換と、様々な曲折を経ながらも保守化、右傾化が進んでいく傾向は全く変わることがない。ヨーロッパ諸国でのネオ・ナチ、極右政党の跋扈と台頭も同じ傾向と言える。これは偶然なのではなく、資本主義がいよいよ最終段階の中盤へと踏み込んできたことを意味しているのだ。
 だからこうした右傾化を止めることは誰にもできない。
 この危険なスパイラルを止めることができるのは、ただ人類の思想的成長だけである。人々が資本主義の限界に気づき、それを捨てて新しい価値観を獲得すること、つまりは近代主義から思想的に脱却すること、それ以外にはない。
 もちろんそれは、まだまだ遠い先のことかもしれない。人々はまだ何度も痛烈な痛みを感じなければ気づかないのかもしれない。それを絶望的と言うべきなのか、それとも希望へとつながるか細い道と言うべきなのか、ぼくにはよくわからない。しかし、なんであろうと、火の粉は今まさに降りかかってこようとしている。より強くこの世界のあり方に異議を唱える者はより先に弾圧されていくだろう。そのとき我々はだから長いものに巻かれていくのか、それともだからこそそれに反抗するのか、決断するしかなくなるのである。

果たせなかった花見

2014年04月04日 21時41分47秒 | Weblog
 父が亡くなったのは8年前のことだ。今あらためて年数を数えてびっくりした。そんなにたったのか。
 父が入院してから亡くなるまでわずか3週間ほどしかなかった。1月のことだったが入院の前日まで自転車で出かけていた。ぼくはその頃すでに報酬を得るための仕事をほとんどしていなかったが、環境保全NPO法人の立ち上げに関わり、そちらの現場作業や事務作業、各種会議の参加などで週の半分以上は家を空けていた。父が体調を崩したのはたぶん前年の終わりころだったのだが、NPOの方に注意を集中していたので父の体調不良に気づけなかった。活動はむしろ年末や正月の方が忙しいという事情もあった。
 その日、父が母に付き添われて近くの病院に行ったところ、状態が非常に悪いのですぐに駅前の総合病院に行くよう指示された。いったん家に帰ろうと思ったが途中でへたり込んで動けなくなってしまった。近所の人がタクシーを呼んでくれてそのまま総合病院に入院した。
 その日もぼくは現場に出ていて、その経緯を全く知らなかった。医者とも話をしなかった。それで父の病状がどのくらい悪いのかもわからずじまいだったのだ。
 父は肺炎だった。たぶん前年から咳が止まらなかったのだろう。市販の咳止め薬を買って飲んでいた形跡があった。なぜ気づけなかったのだろう。
 入院した日に病院に駆けつけると父は一見かなり元気に見えた。普通に歩いていたし、耳が遠かったので会話は必ずしも自由ではなかったが、検査に行くのに車いすに乗せられると照れた笑いを浮かべていた。
 ぼくは毎日洗濯物を回収して新しい下着を届けたり、病院に必要だと言われてオムツを買って持っていったりした。完全介護だったのでずっと付いていたわけではない。
 父はその数年前に脳梗塞の発作を起こしていた。その時は発話障害が起き、短期入院して治療した結果かなり回復はしたが、そこから急激に衰えた。多少痴呆もあったと思う。その頃はぼくは地元の零細な工場に勤めていて、朝7時に家を出て毎日残業をし、帰りは早くても7時、遅ければ真夜中という生活だった。父母と同居していたと言っても父母は父母で独自の生活をしていたという方が正確だったろう。
 そのうち父は見当識障害を起こし、出かけたときに電車やバスを乗り間違えたりするようになったようだ。ある日、バスを降りる停留所がわからなくなり、とんでもないところで降りて家に帰れなくなった。母が電話してきてぼくは工場を早退して家に戻ったが、父はすでに家に帰っていて大事にはならなかった。ただ、このことがあったことと、NPO法人の立ち上げの話が持ち上がったこと、そして工場の社長が死んで二代目が社長になってから社内の雰囲気が変わり嫌になっていたことなどが重なって、ぼくは工場を辞めた。
 NPOの活動が忙しいとはいえ、工場に勤めていたときに比べればずいぶん時間に余裕が出来たので、ぼくは父とたまに出かけるようになった。家からバスを乗り継いでいけるところに大きな公園と神社があり、酉の市や花見時にふたりで行った。
 入院した父は、病院に行ってもだんだん眠ったままのことが多くなった。ぼくはまさかこのまま父が死んでしまうとは思っていなかった。だがこれはけっこう大変だなと心の底では思っていたかもしれない。実際には父の肺炎はどのような抗生物質もきかないいわゆる耐性肺炎だった。今では良く知られた病気だが、まだそのころは一般的な感覚としては肺炎など風邪の少しひどいくらいにしか考えられていなかった。
 その時は気づかなかったが、後から考えれば肺炎の原因は誤嚥だったと思う。父は歯槽膿漏で、かなり若い頃から総入れ歯だった。とりわけ脳梗塞の発作以降の衰えもあって食事中か睡眠中に誤嚥をしていたのだろう。誤嚥性肺炎もこのころはあまり知られていなかった。
 ともかくもぼくに出来ることは父を励ますことだけだった。眠っていたのかもしれないが、父の耳元で「退院したらまた今年も花見に行こう」と約束した。ぜひまたもう一度、父と花見がしたかった。

 今年も桜が満開になった。父との約束は果たせなかった。先月から仏壇の上は桜のディスプレイで飾られている。造花なのはちょっと申し訳ないけれど、これなら春中色あせることはない。

 父の葬式は出さなかった。母の葬式もやるつもりがない。もちろん自分の葬式もしてもらいたくない。それがもう30年も前からの我が家の方針だ。ぼくの両親は別に宗教も儀礼も否定はしないし、普通に神社にお参りしたり、仏壇にお線香をあげたりするけれど、死んでしまったら人間の肉体はただのモノでしかないという考え方だった。そうであるなら何かしら世の中の役に立てた方がよいということで、まず母が医科大学の解剖実習のために遺体を献体する登録をした。臓器移植法が出来るずっと前のことだ。数年後に父が登録し、その後ぼくも登録をした。
 また葬式に人を呼ぶのは迷惑をかけることだから嫌だという考え方も共通していた。死んでも誰にも通知をするなというのが両親の指示だった。墓もいらない、別に魂は墓にいるわけではない、とも言っていた。
 うちにはずっと神棚も仏壇もなかったが、あるとき父はどこからか安い仏壇を買ってきたという。それがずっと押し入れの中に入れっぱなしになっていたのだが、ふと思い出したように父がそれを出してきて、差し替え式の位牌型のネームスタンドに自分の名前、母の名前、ご先祖様などと書いて、自分で祀るようになった。それが我が家の仏壇兼お墓のようなものである。
 父が亡くなったとき、ぼくは当然のこととして遺体をすぐ献体し、葬式はあげず、遺骨は大学の共同供養所に入れてもらった。沢山の人と一緒にいた方がさびしくないだろうと母が言っていたからでもある。別の家に養子に入った弟とその家族も納得してくれた。母とぼく、弟とその家族が仏壇の前で寿司を食い、酒を飲んだのが(ぼくと弟だけだが)、葬式のかわりだった。ぼくも母もそれで十分満足だった。
 誰にも連絡するなと言われていたが、さすがに全く誰にも伝えないわけにも行かないと思い、父の血筋で一番親しい従兄弟にだけ伝えて、そちらから父方には連絡してもらった。そもそも父は遠いところの出身で身内もみな高齢だ。とてもこちらへ来てもらうのは気の毒だったので、葬式はしないから誰も来ないで欲しい、香典もお気遣い無くということでお願いした。

 母は父が死んでから一気に衰えた。しかしぼくは父のことを十分にケアできなかった分、出来る限りのことを母にしてやろうと思った。おそらくそれが父の遺志でもあるだろうと思う。おかげさまで何とか母もなんとかこの8年、大きな病気もせずに来た。しかし父よりも年上だった母はさすがに昨年頃からガタッと老化が進んでいる。
 今年は母の通院に付き添ったときに少しだけ桜を見たが、天候と母の具合がうまく都合が付いたら、近所の神社にゆっくり花見に行きたいと思っている。

捕鯨問題を蒸し返してみる

2014年04月03日 16時14分25秒 | Weblog
 ぼくは捕鯨が嫌いだ。それは個人的レベルでは心情的なもので、その意味では鯨食を好む人を否定するつもりはない。ぼく自身はそもそもクジラ肉が嫌いでもう二度と食べたくないと思うけれど。

 ただそういうこととは別に、現在の日本の捕鯨を巡る問題は全く違う側面において大きな問題を抱えている。それは政治的、経済的、環境問題的側面である。本質的にはこちらの問題の方が肝心なのに、日本の政府もマスコミもこうした問題をすべて文化的問題で覆い隠そうとする。すなわち鯨食は守られるべき伝統文化であって他国の人が日本の捕鯨を否定するのは文化の圧殺行為、文化侵略、人種差別だという主張だ。
 日本の知性を象徴するコラムとして権威を有する朝日新聞の「天声人語」も4月3日付けで国際司法裁判所による調査捕鯨中止命令について書いていたが、これは大変切れ味が悪かった。政治や経済や環境の問題に全く触れずにただ文化的違いだと言っただけなのである。

 しかし実はその文化というところにかなり怪しいところがある。本当に鯨食は日本に根付いていたのだろうか? たぶんこのことは前にも当ブログで書いていることなので重複するが、ぼくが子供の頃は鯨肉は日常的に食卓に出てきた。クジラのベーコンであったり、大和煮の缶詰であったり、学校給食ではソテーというのかステーキというのか固くてまずい鯨肉の塊が出てきた。もっともそれよりも竜田揚げの方が多かった気がする。こっちの方が食べやすかった。
 はっきり言って我が家ではおいしいからクジラを食べていたわけではない。安いというだけの理由であった。給食でクジラが出たのも同じ理由だろう。だからその後だんだんと牛肉や豚肉の価格が下がってくると、何も好きこのんでクジラを食べることはなくなった。ベーコンなら絶対に豚の方がうまかった。
 今でも「鯨が大好き!」という人は少なくはないだろうが、決して多いわけではない。事実、「調査捕鯨」で確保された鯨肉は現在国内流通量の2年分くらいの在庫がだぶついているはずである。捕鯨禁止期間が長かったから人々がクジラ離れしたという見解もあるだろうが、本当においしいものだったら調査捕鯨開始後に再び人々はクジラを食べただろう。ましてやテレビではさかんに鯨料理の「名店」を紹介している。それでも鯨肉はブームにならない。

 日本列島で太古からクジラが食べられていたことは確かである。だからそれはひとつの歴史的文化だと言うのも間違いではない。しかしだからと言って今現在それが守られねばならない伝統文化だという根拠にはならない。
 ぼくの印象では1960年代から70年代頃の日本では鯨食は文化と言うより必要に迫られた代用食だった。そうした日常的な常識感覚がいつの間にか忘れられて、とても重要な文化であったかのように記述の書き換えが行われたのだと思う。これはまさに従軍慰安婦問題と同じで、当時の人達が普通に常識として考えていたことが、歴史の風化を利用していつの間にか権力者の都合の良いように書き換えられてしまったのだ。

 「捕鯨は文化」という主張はようするに復古キャンペーンなのである。戦前のような侵略に打って出ていけるニッポンへの回帰を目指す右翼勢力の政治的策謀でしかない。天皇崇拝とか靖国神社とかを持ち出して、これが日本の伝統文化だというのと全く同じことだ。彼らは日本の歴史など何も知ろうとしない。長い日本の歴史なのかでいったい天皇や神社がどういう位置と役割を担ってきたのか、なぜそれが日本人の中に伝統として根付いてきたのか理解してもいない。そうしたことをすべて吹っ飛ばして、ただ明治政府によって突然ねつ造された「天皇制」こそが日本の唯一の文化であるというデマをまき散らしてきたのだ。まさに嘘も百遍言ったら本当になるということである。
 鯨食=揺るがしがたい日本の伝統文化という言説もこうした嘘の上に作られていると言うしかない。

 今回の国際司法裁判所の裁定をうけて安倍総理は担当責任者を強く叱責したそうだが、国際環境NGOグリーンピースの分析(「実は、日本は勝ちたくない?  国際司法裁が調査捕鯨に判決」)によれば実は官僚のサイドではこの問題の完全勝利を望んでいなかったという。それには先に挙げたような鯨肉のだぶつきという事情の他に、もはや商業捕鯨は採算が合わないことはわかっいるが多額の補助金が出るので調査捕鯨を止めることもできないという事情、また捕鯨は外交カードとして持っておきたいという思惑など、複雑な内情が絡みあっているのだという。本格的な商業捕鯨の認可はいらないが調査捕鯨は継続したいという、本来の主旨とは全く違う方向性で調査捕鯨が位置付いているのだ。

 官僚サイドでは捕鯨問題をなあなあで済ませたかったのである。しかしもちろん国際社会はそんなに甘くはない。それが今回の結果だ。
 そもそもなぜ日本がわざわざ南氷洋まで行って捕鯨をしなくてはならないのか。他国の領域まで行ってやらなくてはならないことなのか。なぜマスコミはそのことを問題にしないのか。それこそ太地町のイルカ漁のような沿岸捕鯨なら、まだ日本の勝手だと言う余地はあるかもしれないが、地球の裏側で相手側が不愉快に思う行為を好きにやらせてくれと言っても、それは無理というものなのではないか。
 だいたい日本が南極海で捕鯨を始めたのは昭和に入ってからである。先のグリーンピースのブログ記事によればそれは戦費調達のためだったと言う。これを伝統文化と呼ぶことが出来るのだろうか。遠洋漁業形式のクジラ漁は明らかに金儲け目的以外の何ものでもなかった。

 かつて日本ではクジラは神様だった。確かに狩る対象の獲物であったが、それは同時に神だったのだ。飢餓線上の貧しい暮らしをしていた中世の漁村ではクジラが一頭揚がればそれで村全体が生き延びることが出来た。まさにクジラは自らの命をもって人々の命を救ってくれる神であったのだ。クジラは本当に天からの賜り物であり、それは肉を食べるだけでなく、皮、油、骨、髭にいたるまで捨てるところ無く活用された。だから各地に鯨塚が建立され、人々はクジラに深い感謝と敬意を捧げたのである。
 これが日本における鯨文化である。鯨食を文化だと言う前にこうした鯨文化こそ人々に教え広めるべきではないだろうか。大量捕獲、大量消費、大量廃棄を文化だと言いいはり、それを人々に刷り込もうとする行為は、むしろ日本の文化と伝統と精神をないがしろにし、傷つけおとしめることにしかならないと思う。

方便と渡辺氏と捕鯨

2014年04月01日 00時08分17秒 | Weblog
 方便という言葉がある。仏教の言葉で「大衆に教える方法」というような意味だ。たとえば法華経に「三車火宅の喩」というたとえ話が書かれている。多くの子供がいる家が火事になる。しかし子供たちは遊びに夢中で大人が何を言っても聞く耳を持たない。そこでその子たちの親は外に出てきたらすごく良いおもちゃをあげると言う。子供たちが喜んで出てくると外には豪華な牛車があって、子供たちはそれに乗って安全な場所に逃れることができた、という話だ。
 最後の牛車というのはもちろん仏教の比喩だろうが、ようするに無学な大衆に難しい仏教思想を説いても関心を示すはずがない、多少の嘘になっても大衆の心をつかんでありがたい教えの道に導けば、彼らは結果としてこの世の苦しみから救われる、ということを言っているわけだ。

 嘘も方便ということわざはここから生まれたわけだが、日本人にとってはとても親しみやすいロジックなのではないだろうか。まあたいていは仏教のような普遍的真理へ導くのではなく、自分にとって都合の良い言い訳にしかならないのだが。
 みんなの党の渡辺喜美代表DHCの会長から8億円借りた問題でも、渡辺氏はこのカネを政治資金ではない、個人の借り入れだと主張している。形はそうなのかもしれないが、誰が考えてもこれが渡辺氏の政治活動のためのカネであることは間違いない。また政治活動のための支出でも政治資金からは使えないものもあるとして渡辺氏が例に挙げたのはなんと「熊手」であった。8億円もの大金の使い道がそんなものであるはずがないことは誰でもわかるだろう。
 それでもあえて渡辺氏がそう主張するのは、まさに嘘も方便ということである。皆さん本当のことはわかっているでしょうが、そこは見て見ぬふりをしてください、あえて騙されてください、だってほかの人たちもやっていることでしょ? そうしないと政治家はやっていけないことを皆さんよくご承知でしょう、というメッセージなのである。
 こういうあいまいな体質というのは、まさに日本人的である。戦後の歴代の政権は憲法解釈という「方便」で実質的な改憲を実現してきた。現在の安倍総理は突出しているように見えるけれど、しかし実際には安保締結以来、日本国憲法はまさに方便と化してきたのである。

 ぼくは、しかしこうした日本人的なあいまいさを必ずしも否定しない。これはある意味では成熟した社会における衝突回避、対立緩和のひとつの知恵である。白か黒かをはっきりさせることだけが唯一の正しい答えであるわけでもないだろう。
 ただし成熟とは老化であり、熟成とは腐敗でもある。あいまいさや方便というものが、それこそ正しい教えに向かうためのものであればよいけれど、誰か特定の人(々)の利益のために使われてしまえば、それは本当にただの腐敗でしかなくなる。
 そしてもっと深刻なのは国際社会ではこんな方便やあいまいさは通用しないと言うことだ。

 ハーグの国際司法裁判所は「日本の調査捕鯨は現状では認められない」という判決を下した。
 この意味は、現在の日本のやっていることは調査捕鯨ではなく、実質として商業捕鯨であるという判断である。判決の中で判事は「日本人の多くはそのことを知っている」と述べた。まあ、是非はいったん置くとしても事実はその通りである。日本政府はまさに日本国内と同じロジックで、方便、建前として「調査」捕鯨を名乗ってきたのであり、その辺はあいまいなところで許してチョンマゲ!という姿勢でやってきたのだ。
 しかしそれは通らない。それこそ集団的自衛権と同じだ。憲法解釈の閣議決定などではなく、やるのならちゃんと改憲をしてからだと言われるように、捕鯨もちゃんと商業捕鯨を認めさせてからやれと言うことなのである。

 だがこの本質的な問題を日本政府は、国民に対して正しく説明してこなかった。テレビニュースの中で鯨食を提供する店のオヤジが「バカヤロー」と怒りにまかせて叫んでいたが、果たしてそのことこそが問題なのだとわかっているのだろうか。
 彼が怒ったのは鯨料理を出せなくなるからだ。それはつまりクジラが食品として流通しなくなるということである。つまりクジラが商品として商業的に利用できなくなるという意味だ。彼が怒ったのは「調査」ができなくなることにだったのか、それとも「商業利用」できなくなることに対してだったのか。
 まさに事実としてクジラは商業利用されている、つまり日本の南半球での捕鯨は商業捕鯨だったということを、はからずも鯨食の店のオヤジが証明したのだ。

 時代は前進していく。価値観も変わっていく。世界の半分は少なくともそうだろう。ただしそれに抗う勢力も根強い。それは既得権益を抱え込んでいる者たちだ。彼らは時代の流れを止め、価値観を固定しようとする。いやそれどころか、時代を逆転させ、価値観を古い価値観に引き戻そうとする。
 しかしそれはやはり人類の発展とは逆方向である。日本的な古い体質、あいまいさや腹芸のようなあり方は、もはや通用しない。そのことをちゃんと受け止めるべきなのである。