トルコの反政府運動は拡大と長期化が続いている。
直接の発端はイスタンブールの公園の再開発だった。樹木の伐採に反対する抗議行動に対して治安部隊が催涙弾を使って排除しようとしたことから事態が悪化した。
そもそも人々の中にはこの再開発の背後で巨大な利権が動いているという疑惑があったそうだ。それはエルドアン政権の長期化による腐敗の深まりと関連している。
よく言われるようにトルコはイスラム圏ではあるが、憲法によって厳格に政教分離が決められており、いわゆる世俗主義の国である。また日本の明治維新を手本にしたとも言われている。
しかしその国で最近は保守反動化が進んできた。トルコにおける保守反動化とは、すなわちイスラム原理主義化と言ってよいだろう。具体的には法律で「酒の販売禁止」とか「鉄道内でのキス禁止」などが決められてきた。
これは国民の多数派であるイスラム教徒に向けた人気取りの政策と思われるが、それが必要になったのは逆に言えば支持が低下してきたからなのだろう。そしてその原因は先にあげた長期政権の腐敗にあるのかもしれない。
われわれ日本人の感覚で言うとトルコ政府の規制強化は行き過ぎに思える。せっかく民主主義が根付いているのに何故わざわざ原理主義的な政策を強行して対立を作るのかとも思う。
ただ、おそらくもはや政治バランスが崩れてきており、何か手を打たないとエジプトやチュニジアのように一気に政権が崩壊するという危機感もあるのだろう。
政治的バランスが崩れるのは様々な勢力がそれぞれに不満を膨らませるからだ。イスラム教徒もキリスト教徒も、金持ちも貧乏人も、それぞれが不満が大きくなっている。本来はそうした利害調整をするのが政府の機能なのだが、そのためには当然のことながら一定の公平性が求められる。
エルドアン首相はそもそも経済政策には大成功したが、独裁的な色彩が強いと言われてきた。経済が右肩上がりに発展している間は人々の不満が小さく、だから政策が穏健でも政権が維持できるわけだが、そこに陰りが見え始めると政権の舵取りは難しくなってくる。
人々に公平感を与えながら各層の利害調整が出来ればよいのだが、すでに腐敗し政治家や官僚や既得権益者が自らの利益に固執している状況では、もはやそれは不可能だ。
そこで自分の懐が一番痛まない政策が使われる。すなわちナショナリズムの刺激である。
トルコの場合はつまりそれがイスラム原理主義化というわけだ。
ナショナリズムは手軽で安価な政権浮揚の特効薬だ。しかし同時に毒薬でもある。
トルコを日本に、エルドアン政権を自・民の保守政権に、そしてイスラム原理主義を戦前・戦中の国家主義に置き換えて見てみよう。この行き過ぎと愚かしさの問題は決して遠い他国の問題ではない。
直接の発端はイスタンブールの公園の再開発だった。樹木の伐採に反対する抗議行動に対して治安部隊が催涙弾を使って排除しようとしたことから事態が悪化した。
そもそも人々の中にはこの再開発の背後で巨大な利権が動いているという疑惑があったそうだ。それはエルドアン政権の長期化による腐敗の深まりと関連している。
よく言われるようにトルコはイスラム圏ではあるが、憲法によって厳格に政教分離が決められており、いわゆる世俗主義の国である。また日本の明治維新を手本にしたとも言われている。
しかしその国で最近は保守反動化が進んできた。トルコにおける保守反動化とは、すなわちイスラム原理主義化と言ってよいだろう。具体的には法律で「酒の販売禁止」とか「鉄道内でのキス禁止」などが決められてきた。
これは国民の多数派であるイスラム教徒に向けた人気取りの政策と思われるが、それが必要になったのは逆に言えば支持が低下してきたからなのだろう。そしてその原因は先にあげた長期政権の腐敗にあるのかもしれない。
われわれ日本人の感覚で言うとトルコ政府の規制強化は行き過ぎに思える。せっかく民主主義が根付いているのに何故わざわざ原理主義的な政策を強行して対立を作るのかとも思う。
ただ、おそらくもはや政治バランスが崩れてきており、何か手を打たないとエジプトやチュニジアのように一気に政権が崩壊するという危機感もあるのだろう。
政治的バランスが崩れるのは様々な勢力がそれぞれに不満を膨らませるからだ。イスラム教徒もキリスト教徒も、金持ちも貧乏人も、それぞれが不満が大きくなっている。本来はそうした利害調整をするのが政府の機能なのだが、そのためには当然のことながら一定の公平性が求められる。
エルドアン首相はそもそも経済政策には大成功したが、独裁的な色彩が強いと言われてきた。経済が右肩上がりに発展している間は人々の不満が小さく、だから政策が穏健でも政権が維持できるわけだが、そこに陰りが見え始めると政権の舵取りは難しくなってくる。
人々に公平感を与えながら各層の利害調整が出来ればよいのだが、すでに腐敗し政治家や官僚や既得権益者が自らの利益に固執している状況では、もはやそれは不可能だ。
そこで自分の懐が一番痛まない政策が使われる。すなわちナショナリズムの刺激である。
トルコの場合はつまりそれがイスラム原理主義化というわけだ。
ナショナリズムは手軽で安価な政権浮揚の特効薬だ。しかし同時に毒薬でもある。
トルコを日本に、エルドアン政権を自・民の保守政権に、そしてイスラム原理主義を戦前・戦中の国家主義に置き換えて見てみよう。この行き過ぎと愚かしさの問題は決して遠い他国の問題ではない。