あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

*南スーダンからの撤退

2017年03月11日 21時43分50秒 | 140字コメ
安倍総理は自衛隊の南スーダンからの撤退を決定した。
海外派兵は違憲であるから、この撤退は当然のことではあるが、それを置いておいても、派兵であれ撤退であれ、軍事を一政権の損得で行うことは許されることでは無いし、あってはならないことだと思う。

営業努力と効率というレトリック

2017年03月07日 18時36分25秒 | Weblog
 ヤマト運輸が27年ぶりに配送料を引き上げるという。
 通信販売の増加に伴って、品物は増えるのに利益が減るという逆転現象が起きているのだ。
 そのしわ寄せは現場の労働者に押しつけられている。
 値上げは当然のことだろう。
 もちろん、ぼくもかなり通販を利用している方だから、値上げはつらいけれど、しかたないだろう。
 そもそも、通販会社の料金体系がおかしい。
 特にAmazonだが、店まで出かけていって買うより通販で家まで届けてくれる方が安いという現状は、やはり何か不自然である。
 通販が安くすむという論理は、おそらく営業努力と無駄の排除による効率化という言葉で説明されるが、それを鵜呑みにしてもよいのだろうか。
 一般的に商品の価値は、その商品が生産されるために使われた労働力の総和である。これはマルクス主義経済学で言うところの労働価値説だ。
 たとえば、リンゴ一個の価値は、そのリンゴを収獲するまでにかかったコスト+リンゴをまた次の年に収獲するために必要な再生産費+輸送費+販売店の維持費+その全ての過程における各労働者が生きて働き続けるための費用+次の労働者を生み出すための費用=家族を養う費用などの合計なのである。
 もちろん、個々の状況によってそれらの費用は変動する。しかし、大きな目で見ればそんなに激しく違うわけでは無いはずだ。だから同じような品質のリンゴの値段は結果的に似たような値段であって問題が無いのである。
 もちろん、大量生産など、集約化によって合理化が可能となり、コストが下がることは理解できる。
 しかし、現実は本当にそうなっているのかと言うと、実際に「合理化」されているのは、労働者の再生産費用(労働者が生きて、新たな労働力を生み出すために必要な費用)である。誰でもわかるだろうが、この費用こそ最も重要な部分である。
 この部分が、しっかり適正な費用として計上されない限り、経済=社会はいずれ崩壊してしまう。このことを忘れてはならない。

森友学園問題報道について

2017年03月02日 17時13分44秒 | Weblog
 国有地を常識を越えた安値で購入したという森友学園問題。
 幼稚園児に教育勅語を暗唱させたり、「安倍首相がんばれ!」と唱和させたり、保護者に憲法改正署名を強要したりと、復古主義的、排外謝儀的教育をしている。
 テレビのコメンテーターはさかんに「土地取得問題と学校の教育内容は切り離して考えるべき」と言うが、なぜこんな借金まみれのペテン師まがいの輩が国を手玉に取れたのか、もしくは、借金まみれなのにペテンを使ってまで、なぜ学校を作ろうとしたのか、というのが、この問題の本質である。
 そこには、当然、日本会議の暗黒政治復活戦略が背後にある。もしこの問題を切り離してしまったら、この事件の本当の恐ろしさが隠されてしまう。
 マスコミは、むしろこの問題の関連こそを追及すべきだ。