ヤマト運輸が27年ぶりに配送料を引き上げるという。
通信販売の増加に伴って、品物は増えるのに利益が減るという逆転現象が起きているのだ。
そのしわ寄せは現場の労働者に押しつけられている。
値上げは当然のことだろう。
もちろん、ぼくもかなり通販を利用している方だから、値上げはつらいけれど、しかたないだろう。
そもそも、通販会社の料金体系がおかしい。
特にAmazonだが、店まで出かけていって買うより通販で家まで届けてくれる方が安いという現状は、やはり何か不自然である。
通販が安くすむという論理は、おそらく営業努力と無駄の排除による効率化という言葉で説明されるが、それを鵜呑みにしてもよいのだろうか。
一般的に商品の価値は、その商品が生産されるために使われた労働力の総和である。これはマルクス主義経済学で言うところの労働価値説だ。
たとえば、リンゴ一個の価値は、そのリンゴを収獲するまでにかかったコスト+リンゴをまた次の年に収獲するために必要な再生産費+輸送費+販売店の維持費+その全ての過程における各労働者が生きて働き続けるための費用+次の労働者を生み出すための費用=家族を養う費用などの合計なのである。
もちろん、個々の状況によってそれらの費用は変動する。しかし、大きな目で見ればそんなに激しく違うわけでは無いはずだ。だから同じような品質のリンゴの値段は結果的に似たような値段であって問題が無いのである。
もちろん、大量生産など、集約化によって合理化が可能となり、コストが下がることは理解できる。
しかし、現実は本当にそうなっているのかと言うと、実際に「合理化」されているのは、労働者の再生産費用(労働者が生きて、新たな労働力を生み出すために必要な費用)である。誰でもわかるだろうが、この費用こそ最も重要な部分である。
この部分が、しっかり適正な費用として計上されない限り、経済=社会はいずれ崩壊してしまう。このことを忘れてはならない。