先日の太地町のイルカ漁問題の件で、記事を書こうと思っているのだが、なかなか大変で作業が進まない。一番の問題はモチベーションが上がらないことだ。まあ愚痴はともかく、息抜き(?)に一言だけ。
東京都知事選である。もちろん、ぼくは東京都民ではないし関係ないと言えば関係ないのだが。
あの民主党による政権交代の悪夢を再び見ているような気がしてしまう。左翼は何も考えてないんだなあと思う。ぼくにとっては怪奇現象でしかないのだが、なぜか左翼(全てではないが)が保守系候補を支持し、応援している。本人は汚職疑惑で職を辞した元総理大臣で、それにまるで一心同体のように協力しているのは弱肉強食の粗暴な資本主義政策を推し進めた元総理である。なぜそんな陣営を左翼が支持するのか。
もう一方には共産党と社民党が推す候補がいる。正直この人もいろいろ問題があるようで、すっきりとしない感じはあるが、常識的に考えれば左翼が共闘するならこちらであるべきだろう。
そのポイントはただ一点、保守候補が脱原発をスローガンに掲げているからだ。繰り返すが、ただそれだけしか無い。それなのに左翼が保守候補を支持する理由はようするに「勝ちそうだから」ということでしかない。その大義名分は自民党系の候補を勝たせないため、である。
しかし仮に保守系候補が勝利したとしても、結局はあの民主党政権と同じように、より一層ひどい状況が生まれることになる。そんなことは火を見るより明らかだ。この候補と後援者がどんな人物か、左翼ならよくよく分かっているだろう。ましてや候補の側は左翼の支持に対して何も恩義を感じてなどいない。
こういうのを「勝ち馬に乗る」という。そんなことにどんな意味があるのか。左翼は劣化したのか。それともずっと昔から何も変わっていないのか。
勝つことを第一に考えるのは現実主義である。しかしそうであるなら、現実主義はとことん突き詰めていけば、現実肯定にしかならなくなる。現状で一番勝っているのは安倍総理大臣であろう。都知事が何を言おうが、最終的には総理大臣の判断が優先される。それなら安倍総理にひっつくのが最も現実主義的だと言うことにしかならない。
そうではないのだ。勝つことではなく目的こそが一番重要なのだ。何をめざすのかが全てだと言っても良い。そして目的は手段を規定する。どんな高邁なことを言っても手段が卑劣であったら、間違っていたら、そこには必ず大きな問題が生じる。
かつて民主党は耳に心地よい公約を掲げて「風」に乗った。人々はその言葉にすっかり騙されていた。少なくとも左翼だけは、民主党の本性を知っていて、そんなまやかしに乗るわけがないと思っていたら、まさに雪崩を打って皆んなニワカ民主党支持者になってしまった。
その結果はあっという間にメッキがはげて、自民党よりもっとひどい路線を取り、最後は民衆から新しい政治への希望を奪い取ってしまった。民主党政権が作り出したのは、結局より頑迷で危険な超保守政府だったと言って良い。
こうしたあまりにも苦い経験を積んできたはずなのに、なぜ今また左翼が保守候補を支持するのか。ぼくには理解できない。
東京都知事選である。もちろん、ぼくは東京都民ではないし関係ないと言えば関係ないのだが。
あの民主党による政権交代の悪夢を再び見ているような気がしてしまう。左翼は何も考えてないんだなあと思う。ぼくにとっては怪奇現象でしかないのだが、なぜか左翼(全てではないが)が保守系候補を支持し、応援している。本人は汚職疑惑で職を辞した元総理大臣で、それにまるで一心同体のように協力しているのは弱肉強食の粗暴な資本主義政策を推し進めた元総理である。なぜそんな陣営を左翼が支持するのか。
もう一方には共産党と社民党が推す候補がいる。正直この人もいろいろ問題があるようで、すっきりとしない感じはあるが、常識的に考えれば左翼が共闘するならこちらであるべきだろう。
そのポイントはただ一点、保守候補が脱原発をスローガンに掲げているからだ。繰り返すが、ただそれだけしか無い。それなのに左翼が保守候補を支持する理由はようするに「勝ちそうだから」ということでしかない。その大義名分は自民党系の候補を勝たせないため、である。
しかし仮に保守系候補が勝利したとしても、結局はあの民主党政権と同じように、より一層ひどい状況が生まれることになる。そんなことは火を見るより明らかだ。この候補と後援者がどんな人物か、左翼ならよくよく分かっているだろう。ましてや候補の側は左翼の支持に対して何も恩義を感じてなどいない。
こういうのを「勝ち馬に乗る」という。そんなことにどんな意味があるのか。左翼は劣化したのか。それともずっと昔から何も変わっていないのか。
勝つことを第一に考えるのは現実主義である。しかしそうであるなら、現実主義はとことん突き詰めていけば、現実肯定にしかならなくなる。現状で一番勝っているのは安倍総理大臣であろう。都知事が何を言おうが、最終的には総理大臣の判断が優先される。それなら安倍総理にひっつくのが最も現実主義的だと言うことにしかならない。
そうではないのだ。勝つことではなく目的こそが一番重要なのだ。何をめざすのかが全てだと言っても良い。そして目的は手段を規定する。どんな高邁なことを言っても手段が卑劣であったら、間違っていたら、そこには必ず大きな問題が生じる。
かつて民主党は耳に心地よい公約を掲げて「風」に乗った。人々はその言葉にすっかり騙されていた。少なくとも左翼だけは、民主党の本性を知っていて、そんなまやかしに乗るわけがないと思っていたら、まさに雪崩を打って皆んなニワカ民主党支持者になってしまった。
その結果はあっという間にメッキがはげて、自民党よりもっとひどい路線を取り、最後は民衆から新しい政治への希望を奪い取ってしまった。民主党政権が作り出したのは、結局より頑迷で危険な超保守政府だったと言って良い。
こうしたあまりにも苦い経験を積んできたはずなのに、なぜ今また左翼が保守候補を支持するのか。ぼくには理解できない。