あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

Nさんへの手紙(3)~橋下とヒトラー

2013年02月11日 14時20分59秒 | Weblog
Nさん。

 なるほど、橋下徹とアドルフ・ヒトラーですか。
 ぼくも橋下氏はファシストだと思いますし、ヒトラーと似たところもあると思います。まず二人の似たところはその目的でしょう。彼らの目的は最終的には自己実現でしかありません。ヒトラーは画家としての大成功を夢見ながら全く認められず激しい劣等感にさいなまれていたようです。彼にとって政治は人々のためのものではなく、成功できなかった人生を取り戻す自己実現の手段だったのだろうと思います。橋下氏は週刊誌などに出自について差別的な報道がされましたが、それが彼の人生観に影響を与えたかとかいう論議は置いておいて、少なくともタレント弁護士だった当時の姿かたち・言動を思い出すと、やはり彼も(必ずしも劣等感とは限りませんが)何らかのコンプレックスを抱えながら、より高い社会的ステータスを求め続けて政治の世界に踏み込んだのかなという印象を持ちます。

 また下からの組織を作りながら権力に迫っていく手法もファシスト的だと思います。ヒトラーは自らのカリスマ性を使ってナチスやヒトラーユーゲントといった私党組織をつくり、橋下氏も維新の会を立ち上げ国政にまで到達しました。
 この両者が似ているのは、政治目的が抽象的でよく考えてみると最終的に何を実現したいのかわからないということです。もちろんそれは独裁的指導者個人の気持ちがイコール政策だからです。ところがそれでも人々はそこに引き付けられてしまいます。
 これはいわゆるカルト教団と似ていますがファシスト的組織化の方がよりやっかいです。カルト宗教はむしろ最終目的が最初から明示されていると言えます。しかもそれが非現実的なことが明白なので多数の人には初めからそれがカルトであることがわかります。(※下記注)
 しかしファシズムはポピュリズムでもあるので、最終目的が隠されている(もしくは当事者にもわかっていない)上に常に大衆に心地よい言葉を言い続けることから、一見普通の政治家と区別がつきづらいのです。
 だから政治にとって最も重要なのは個々の政策ではなく思想なのだという話になるのですが、本題からそれてしまうのでこの件はこれでやめましょう。

 以前、小泉純一郎がファシストと呼ばれたことがありましたが、厳密に言えば彼はファシストではありませんでした。なぜなら彼はポピュリストではありましたが常に一匹狼で組織を作らなかったからです。それは一方で彼の最終目的が明確だったということでもあります。小泉氏の目指したのは郵政省の解体という一点のみで、だからこそ手段を選ばず強引な政治をすることが出来たのだともいえます。ちなみに彼の右翼的発言もやはり本音というよりポピュリズムのひとつでしかなかったのだろうと思っています。

 ところでヒトラーと橋下氏が全く違うところもあります。
 ひとつはポピュリズムの手法です。これは政治以外の実社会で全く何の能力も無かったヒトラーと、弁護士としてもタレントとしても大成功した橋下氏の違いでもありますが、ヒトラーのポピュリズムは直感的であったのに対し橋下氏は緻密な計算で発言するという点です。
 ヒトラーは意味不明のアジテーションで人々に麻薬的陶酔を与えましたが、橋下氏は論理的に正義を語ります。しかし橋下氏が恐ろしいのは語っていることにひとつも本心が無く、実は全く別のところに目的がある点です。原発停止問題でも彼の本心は原発を廃止することではなく政府と電力会社の独占を批判することで中央集権的政治を揺さぶることでしたし、最近の体罰問題でも実は体罰を否定しているわけではないのに、あたかも人にそう思わせるような言い方をしながら、本当の狙いは教育委員会の力を削ぎ、教育を自分の意のままにすることにあるのです。

 しかしある意味で、そうした橋下氏の頭の良さは逆にカリスマ性を薄めることにもなっています。石原慎太郎と組んだのはその弱点を補うためかもしれません(もっとも橋下氏としては参院選で勝利できたら石原氏を切って今度は安倍氏と組みたいのではないかとも思いますが)。
 いずれにせよ橋下氏は今のところカリスマ性という意味ではヒトラーに遠く及びません。もちろんそれはあくまでも相対的な問題です。日本人の民度がそれなりにあるから橋下氏は現状で関西ローカルの小ヒトラーに留まっているだけで、人々がさらに生活に困窮し自分のことしか考えられないより重い「自己中」になっていった時には、彼が本当にヒトラー並の独裁者にのし上がる危険性が無いとは言えないと思います。


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(※注)ただしこの場合おさえておかなくてはならないことは、宗教の世界と政治の世界では同じ言葉を使っても意味が異なるという点です。「この世界に極楽浄土を作る」と言った場合、政治の世界の言葉としてはこれは極めて抽象的な一般論でしかなく、どのような政策を採ってもおかしくないような言葉ですが、宗教家が言えばそれは文字通りの意味になってしまうかもしれません。リアルに極楽浄土を生み出すという具体的宣言でありうるのです。
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Nさんへの手紙(2)~右傾化について

2013年02月11日 00時48分01秒 | Weblog
Nさん。
 それから「ゴーマニズム宣言」についてですが、ぼくは読んでいないので何も言うことができません。小林よしのりの言動はぼくも大嫌いですが、しかしNさんがおっしゃるような彼が社会の右傾化の元凶であるわけではなく、むしろ世の中の右傾化の結果として「ゴーマニズム」が読まれているのかもしれません。
 そもそも右傾化と言いますが実際のところそんなに簡単にくくれるものでしょうか? ぼくから見ればNさんの主張もかなり右寄りに思えますが。

 いまマスコミに登場する人たちも、また政治家のほとんども、リベラル保守か右翼か極右だけです。左翼はどこにもいません。もちろん左翼がいなくなったのではありません。ヨーロッパの若者の暴動を下から支えているのは第四インターだそうですし、民主党政権交代や沖縄問題、脱原発運動などを下支えしているのは左翼です。しかし左翼は表に出してもらえません。

 それでは右翼が本当に強いのかと言うと、ぼくは実はそうではないのではないかと思っています。
 「ゴーマニズム宣言」が人気だとしても本当に小林のような理念としての右翼はそんなに多いのでしょうか? 自衛隊に入る若者が増えていると言ってもやはり圧倒的に数は少ないです。正直に言えば、ぼくはたとえ右翼であったとしても理念の為に本当に命を懸ける若者が増えるのなら、社会としてそれはそんなに悪いことではないような気がします。

 むしろ今の日本社会が問題なのは、理念の無いただの「自己中」が蔓延してしまったことだと思います。いわゆるネット右翼などと呼ばれる連中がいますが、まさに彼らがその典型です。口だけ右翼、便所の落書き屋です。彼らは自分が下層に落としこめられた怨念(もしくは落としこめられる恐怖)を差別排外主義として吐き出します。そして同じような境遇の人々を怨嗟し、強いもの・権力の側に入り込もうとします。実際には自分は何の力も無いごみのような存在であるにもかかわらず、幻想の「大日本」と自分を一体化することで何か自分も強いような気分になりたいだけなのです。

 安倍や橋下などはそうした人々の気持ちを最大限利用しています。彼らは極右ですが、しかし本当に心底そうなのでしょうか。右翼としての信念を持って理念のために死のうとしているでしょうか。ぼくには彼らは選挙に勝つために極右的ポーズをとっているだけだとしか思えません。右翼的発言をすればお金を一銭もかけず大きな支持を得られます。そしてその実、「大和民族」の一体性など何も考えておらず、アメリカと金持ちのためだけの政策を進めようとしているのだとしか見えないのです。

Nさんへの手紙(1)~インフレ政策について

2013年02月11日 00時45分27秒 | Weblog
Nさん。
 いつもお手紙ありがとうございます。
 たしかにアベノミクスはよくわかりません。何が起こっても不思議ではない気もしますが、でも一般的に言えば現状の日本でハイパーインフレが起こる可能性は低いと思います。
 ただどのような政権であれ、日本では増税とインフレ政策以外の選択肢はないのです。
 それはまず第一に返済不可能な財政赤字、第二に少子高齢化・低成長社会に対応する財源が無いこと、第三に金融資本主義下の人民にとって最も大きな負担は借金だということ。
 現代の日本ではホームレスにまで没落する人が沢山いますが、その原因は収入が低いことではなく借金が返せなくなる部分が大きいのだと思います。そもそも借金を奨励する社会というもの自体が人類史上きわめて不健全であるとは思いますが、現状がそうである以上、社会は常にインフレ状態を続けるしかありません。

 Nさんも憶えておいでだと思いますが、1960、70年代はずっとインフレが続いていました。それではそのときは庶民の生活は豊かだったかと言えばそんなことは全く無く、常に物価の高騰とそれに追いつかない給料という状況でした。
 一方で平成に入ってからも実は好況と言われる局面が何度もあったのに庶民の感覚として生活が豊かになった楽になったということは全くありませんでした。このことが意味するのは一般の庶民にとって好況か不況か、インフレかデフレかなど自分たちの生活には何の関連もないと言うことです。

 ところが日本の政治家は右も左も中道も、みんな「アメリカ頭」になってしまっていて、経済が良くなれば幸せになる、増税は悪だ、財政支出が減るのは良いことだと言い続けています(本当にそう思っているかどうかは疑わしいですが)。
 庶民にとって最も重要なのは社会的富がどう分配されるかなのに、ほとんど意図的にそうした論議は封じ込められていると思います。