Nさん。
なるほど、橋下徹とアドルフ・ヒトラーですか。
ぼくも橋下氏はファシストだと思いますし、ヒトラーと似たところもあると思います。まず二人の似たところはその目的でしょう。彼らの目的は最終的には自己実現でしかありません。ヒトラーは画家としての大成功を夢見ながら全く認められず激しい劣等感にさいなまれていたようです。彼にとって政治は人々のためのものではなく、成功できなかった人生を取り戻す自己実現の手段だったのだろうと思います。橋下氏は週刊誌などに出自について差別的な報道がされましたが、それが彼の人生観に影響を与えたかとかいう論議は置いておいて、少なくともタレント弁護士だった当時の姿かたち・言動を思い出すと、やはり彼も(必ずしも劣等感とは限りませんが)何らかのコンプレックスを抱えながら、より高い社会的ステータスを求め続けて政治の世界に踏み込んだのかなという印象を持ちます。
また下からの組織を作りながら権力に迫っていく手法もファシスト的だと思います。ヒトラーは自らのカリスマ性を使ってナチスやヒトラーユーゲントといった私党組織をつくり、橋下氏も維新の会を立ち上げ国政にまで到達しました。
この両者が似ているのは、政治目的が抽象的でよく考えてみると最終的に何を実現したいのかわからないということです。もちろんそれは独裁的指導者個人の気持ちがイコール政策だからです。ところがそれでも人々はそこに引き付けられてしまいます。
これはいわゆるカルト教団と似ていますがファシスト的組織化の方がよりやっかいです。カルト宗教はむしろ最終目的が最初から明示されていると言えます。しかもそれが非現実的なことが明白なので多数の人には初めからそれがカルトであることがわかります。(※下記注)
しかしファシズムはポピュリズムでもあるので、最終目的が隠されている(もしくは当事者にもわかっていない)上に常に大衆に心地よい言葉を言い続けることから、一見普通の政治家と区別がつきづらいのです。
だから政治にとって最も重要なのは個々の政策ではなく思想なのだという話になるのですが、本題からそれてしまうのでこの件はこれでやめましょう。
以前、小泉純一郎がファシストと呼ばれたことがありましたが、厳密に言えば彼はファシストではありませんでした。なぜなら彼はポピュリストではありましたが常に一匹狼で組織を作らなかったからです。それは一方で彼の最終目的が明確だったということでもあります。小泉氏の目指したのは郵政省の解体という一点のみで、だからこそ手段を選ばず強引な政治をすることが出来たのだともいえます。ちなみに彼の右翼的発言もやはり本音というよりポピュリズムのひとつでしかなかったのだろうと思っています。
ところでヒトラーと橋下氏が全く違うところもあります。
ひとつはポピュリズムの手法です。これは政治以外の実社会で全く何の能力も無かったヒトラーと、弁護士としてもタレントとしても大成功した橋下氏の違いでもありますが、ヒトラーのポピュリズムは直感的であったのに対し橋下氏は緻密な計算で発言するという点です。
ヒトラーは意味不明のアジテーションで人々に麻薬的陶酔を与えましたが、橋下氏は論理的に正義を語ります。しかし橋下氏が恐ろしいのは語っていることにひとつも本心が無く、実は全く別のところに目的がある点です。原発停止問題でも彼の本心は原発を廃止することではなく政府と電力会社の独占を批判することで中央集権的政治を揺さぶることでしたし、最近の体罰問題でも実は体罰を否定しているわけではないのに、あたかも人にそう思わせるような言い方をしながら、本当の狙いは教育委員会の力を削ぎ、教育を自分の意のままにすることにあるのです。
しかしある意味で、そうした橋下氏の頭の良さは逆にカリスマ性を薄めることにもなっています。石原慎太郎と組んだのはその弱点を補うためかもしれません(もっとも橋下氏としては参院選で勝利できたら石原氏を切って今度は安倍氏と組みたいのではないかとも思いますが)。
いずれにせよ橋下氏は今のところカリスマ性という意味ではヒトラーに遠く及びません。もちろんそれはあくまでも相対的な問題です。日本人の民度がそれなりにあるから橋下氏は現状で関西ローカルの小ヒトラーに留まっているだけで、人々がさらに生活に困窮し自分のことしか考えられないより重い「自己中」になっていった時には、彼が本当にヒトラー並の独裁者にのし上がる危険性が無いとは言えないと思います。
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(※注)ただしこの場合おさえておかなくてはならないことは、宗教の世界と政治の世界では同じ言葉を使っても意味が異なるという点です。「この世界に極楽浄土を作る」と言った場合、政治の世界の言葉としてはこれは極めて抽象的な一般論でしかなく、どのような政策を採ってもおかしくないような言葉ですが、宗教家が言えばそれは文字通りの意味になってしまうかもしれません。リアルに極楽浄土を生み出すという具体的宣言でありうるのです。
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なるほど、橋下徹とアドルフ・ヒトラーですか。
ぼくも橋下氏はファシストだと思いますし、ヒトラーと似たところもあると思います。まず二人の似たところはその目的でしょう。彼らの目的は最終的には自己実現でしかありません。ヒトラーは画家としての大成功を夢見ながら全く認められず激しい劣等感にさいなまれていたようです。彼にとって政治は人々のためのものではなく、成功できなかった人生を取り戻す自己実現の手段だったのだろうと思います。橋下氏は週刊誌などに出自について差別的な報道がされましたが、それが彼の人生観に影響を与えたかとかいう論議は置いておいて、少なくともタレント弁護士だった当時の姿かたち・言動を思い出すと、やはり彼も(必ずしも劣等感とは限りませんが)何らかのコンプレックスを抱えながら、より高い社会的ステータスを求め続けて政治の世界に踏み込んだのかなという印象を持ちます。
また下からの組織を作りながら権力に迫っていく手法もファシスト的だと思います。ヒトラーは自らのカリスマ性を使ってナチスやヒトラーユーゲントといった私党組織をつくり、橋下氏も維新の会を立ち上げ国政にまで到達しました。
この両者が似ているのは、政治目的が抽象的でよく考えてみると最終的に何を実現したいのかわからないということです。もちろんそれは独裁的指導者個人の気持ちがイコール政策だからです。ところがそれでも人々はそこに引き付けられてしまいます。
これはいわゆるカルト教団と似ていますがファシスト的組織化の方がよりやっかいです。カルト宗教はむしろ最終目的が最初から明示されていると言えます。しかもそれが非現実的なことが明白なので多数の人には初めからそれがカルトであることがわかります。(※下記注)
しかしファシズムはポピュリズムでもあるので、最終目的が隠されている(もしくは当事者にもわかっていない)上に常に大衆に心地よい言葉を言い続けることから、一見普通の政治家と区別がつきづらいのです。
だから政治にとって最も重要なのは個々の政策ではなく思想なのだという話になるのですが、本題からそれてしまうのでこの件はこれでやめましょう。
以前、小泉純一郎がファシストと呼ばれたことがありましたが、厳密に言えば彼はファシストではありませんでした。なぜなら彼はポピュリストではありましたが常に一匹狼で組織を作らなかったからです。それは一方で彼の最終目的が明確だったということでもあります。小泉氏の目指したのは郵政省の解体という一点のみで、だからこそ手段を選ばず強引な政治をすることが出来たのだともいえます。ちなみに彼の右翼的発言もやはり本音というよりポピュリズムのひとつでしかなかったのだろうと思っています。
ところでヒトラーと橋下氏が全く違うところもあります。
ひとつはポピュリズムの手法です。これは政治以外の実社会で全く何の能力も無かったヒトラーと、弁護士としてもタレントとしても大成功した橋下氏の違いでもありますが、ヒトラーのポピュリズムは直感的であったのに対し橋下氏は緻密な計算で発言するという点です。
ヒトラーは意味不明のアジテーションで人々に麻薬的陶酔を与えましたが、橋下氏は論理的に正義を語ります。しかし橋下氏が恐ろしいのは語っていることにひとつも本心が無く、実は全く別のところに目的がある点です。原発停止問題でも彼の本心は原発を廃止することではなく政府と電力会社の独占を批判することで中央集権的政治を揺さぶることでしたし、最近の体罰問題でも実は体罰を否定しているわけではないのに、あたかも人にそう思わせるような言い方をしながら、本当の狙いは教育委員会の力を削ぎ、教育を自分の意のままにすることにあるのです。
しかしある意味で、そうした橋下氏の頭の良さは逆にカリスマ性を薄めることにもなっています。石原慎太郎と組んだのはその弱点を補うためかもしれません(もっとも橋下氏としては参院選で勝利できたら石原氏を切って今度は安倍氏と組みたいのではないかとも思いますが)。
いずれにせよ橋下氏は今のところカリスマ性という意味ではヒトラーに遠く及びません。もちろんそれはあくまでも相対的な問題です。日本人の民度がそれなりにあるから橋下氏は現状で関西ローカルの小ヒトラーに留まっているだけで、人々がさらに生活に困窮し自分のことしか考えられないより重い「自己中」になっていった時には、彼が本当にヒトラー並の独裁者にのし上がる危険性が無いとは言えないと思います。
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(※注)ただしこの場合おさえておかなくてはならないことは、宗教の世界と政治の世界では同じ言葉を使っても意味が異なるという点です。「この世界に極楽浄土を作る」と言った場合、政治の世界の言葉としてはこれは極めて抽象的な一般論でしかなく、どのような政策を採ってもおかしくないような言葉ですが、宗教家が言えばそれは文字通りの意味になってしまうかもしれません。リアルに極楽浄土を生み出すという具体的宣言でありうるのです。
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