あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

Nさんへの手紙(12)~なぜハマスはイスラエルへの越境攻撃を強行したのか

2023年10月13日 10時16分30秒 | Weblog

Nさん

 なぜ今回ハマスが無謀で残虐な行為に出たのかという話ですね。

 2023年10月10に、パレスチナ・ガザ地区を実効支配するハマスは、突然イスラエルとの境界を越えて大規模な戦闘作戦を決行しました。作戦名は「アルアクサの洪水」と言うそうです。
 大量のミサイルをイスラエル領内に撃ち込むとともに、1000人以上の戦闘員がバイクやハングライダーで境界壁を越えて侵入し、老人、子どもを含む数百人の非戦闘員を殺害、100人以上の人質を拉致した模様です。
 これに対してイスラエルも反撃。ガザ地区へミサイル攻撃を続け、また電気、水、食料、燃料等のあらゆる物流を遮断して完全に孤立させています。イスラエルでは挙国一致の臨時内閣が組閣され、数日以内に地上軍をガザに突入させるだろうと言われています。
 すでに両勢力あわせて数千人の犠牲者が出る、大惨事となっています。

 Nさんには言うまでもありませんが、パレスチナ問題には二千年以上の長い歴史があり、第二次世界大戦末期からの現代史においても極めて複雑で悲劇的な歴史的経緯が積み上がっています。ここでそこから説明するのは無理ですが、いずれにせよ、今回の戦争は起こるべくして起こった戦争だと言うしかありません。

 ぼくが思うに今回の事態の直接的原因のひとつは、イスラエル国内政治の混乱でしょう。
 長年イスラエルの首相として実権を握ってきたネタニヤフにはもはやイスラエルを率いるだけの力はありません。国民から信頼されていません。そこで彼が取った戦術は超極右勢力と手を組むことでした。その結果イスラエル史上最も右翼的な内閣が誕生し、これによりパレスチナ人やガザ地区への締め付けや攻撃が激化、今年は何度も衝突が起きてきました。
 これに対して、ガザ地区の住民の中にも実効支配するハマスへの不満が溜まり、ハマス批判のデモも起きました。ハマスとしては何らかの対応を取らざるを得ない状況にありました。

 もちろん、今回の作戦は、数年の時間を掛けて綿密に準備された作戦でしょうし、その背後にはイランの革命防衛軍が存在していると思われます。
 その意味では、米トランプ政権が中東の政治的、軍事的バランスを壊してしまったという背景もあると思います。トランプはエルサレムをイスラエルの首都として認定し、イスラエルとUAE、バーレーン、モロッコ、スーダンとの国交正常化を仲介し、一方でイランとの核合意を破棄しました。
 この結果、イランやパレスチナは加速度的に追いつめられる事態となり、その後のバイデン政権も、こうした政策を取り消すどころかトランプの中東政策を引継ぎ、今やイスラエルとサウジアラビアの国交正常化も近いと言われるまでになってしまいました。
 つまりこれまで中東のイスラム諸国では、少なくともパレスチナ支持で一定の合意が形成されていたものが、ここに来てそれが壊れようとしているのです。
 ハマスはそこに大きな不安を抱き、もはや誰も自分を味方してくれないという絶望感に陥り、玉砕戦略に出てしまったのかもしれません。

 三つ目に言えることは、ロシアのウクライナ侵攻の影響です。
 世界の目はウクライナに集中し、その他の紛争地、侵略行為に対する関心が薄れてしまいました。ミャンマーや香港で闘っている人々にとって、それは打撃であり、パレスチナ人、ハマスにとっても同様であったろうと思います。
 そして米国や西側諸国はロシアの暴虐については非難し、こぞってウクライナへ大きな支援をしているのに、パレスチナ問題では、全く逆に侵略者であるイスラエルを支援し、被害者であるパレスチナ側をテロリストとして非難、否定しているという矛盾、ダブルスタンダードがはっきりしました。
 こうした中で、パレスチナ、ハマスはもはや自力で戦い、血路を開く以外の方向性を失ってしまったのです。

 ぼくは今回のハマスの非道な行為を支持するつもりはありません。
 しかし、それと同時にこの悲劇の責任はハマスだけにあるのではなく、パレスチナを侵略し今なお追いつめ続けるイスラエルや、そのイスラエルを全面的に支援する米国をはじめとした西側の諸大国、パレスチナ問題を利用したり逆に目をつぶったりしているイランやサウジアラビアをはじめとした中東の諸大国、さらには国連安保理事会常任理事国としてあるまじき侵略戦争を起こして世界情勢を不安定化させたロシア、それを実質的に支えている中国など、世界中の国々の政府と政治家の責任であると考えます。

 大国の身勝手な論理、自己中心的、自己保身的なあり方こそが、この事態を生んだのだと言うべきです。
 ぼくには何の力もありませんが、それを糾弾し続けます。
 もう力ある者の横暴はたくさんです。

 


ガーシー議員とNHK党への疑問

2023年02月25日 11時24分18秒 | Weblog

 ガーシーという国会議員がいるそうだ。
 「そうだ」と言うのは、ぼくは彼のことを断片的にしか知らないからだ。知っている人は良く知っているのだろうが。
 国外にいるため議員に当選してから一度も国会に登院せず、本会議での陳謝をするようにという処分が下った。まあ軽い処分だが、もし陳謝しなければ次は除名という話もある。ぼくにはそれが適切なのかどうかわからない。どういう政治家なのか知らないのだから。

 ただ彼は名誉毀損で刑事告訴されているという。日本に帰ってくると逮捕される恐れがあるから帰れないという。ただし国会議員には不逮捕特権がある。今は国会開会中だから帰ってきてもすぐに逮捕されるわけでは無い。

 彼の態度や処分を巡っていろいろな意見が飛び交っている。多くはガーシー議員に否定的だ。
 それでも一部に彼を擁護したり、処分に疑問を呈したりしている人もいる。それは健全なことだと思う。しかしそうした意見の中にはどうもしっくりこない、違和感を感じるものもある。

 まず、国会に登院しない議員は他にもいる、もしくは出る可能性があるという議論だ。確かにしばしば病気を理由に欠席する議員はいる。また身体障がい者も登院が難しいというケースもあり得るだろう。
 だがガーシー議員の国会欠席は病人や障がい者と同じなのだろうか。病気や障がいは不可抗力だ。物理的な問題なのだ。一方でガーシー議員は自分の意志で帰国せず登院もしない。ガーシー議員の不登院に正当性があるとしても、これは別のカテゴリーの問題で同列には語れないと思う。
 もちろん現実には「仮病」で雲隠れする議員も多い。これは許されることでは無い。これもまた別の問題として何らかの対応が必要だとは思うが。
 国会に出てきても居眠りしている議員がいるとガーシー議員は言うが、出て来ないより出てきて醜態をさらす議員の方がずっとマシだ。少なくとも国民はそれをその議員の政治姿勢を評価する判断材料にすることが出来る。

 不逮捕特権への考え方にも大きなズレがある。
 国会議員の不逮捕特権は政治弾圧に対する保護措置として存在する。時の権力を批判する議員を口封じのために行政府が逮捕したりできないように、この権利がある。
 ガーシー議員は立候補の理由として、この不逮捕特権を得ることが目的であるかのように言っている。つまり彼の主張は自分が政治弾圧されているということになる。
 果たしてYouTuberとしてのガーシー氏の「暴露」は政治活動であるのか。政治活動であるなら、それはどのような政治的利益を国民に与えてくれているのか。それを彼はちゃんと説明できるのか。
 不逮捕特権は政治弾圧に対抗するものであるから、当然一般刑事事件には適用されないと考えるのが妥当であり、過去にも国会が議員の逮捕を許諾した例はある。
 一部に、どうしてもガーシー議員を登院させたいのなら国会が逮捕許諾しないと確約すれば良いという意見もあるが、これは転倒した議論だ。国会は別にガーシー議員に登院して欲しいとお願いしているのではない、登院するのが義務だと迫っているのだ。国会がガーシー議員に頭を下げる筋合いは全く無い。

 少数派の国会議員を排除するなという意見もある。
 それは確かにそのとおりだが、ガーシー議員は少数派なのだろうか、というより、そもそもどういう政治活動を行っているのだろうか。
 少数派が国会議員になる意味は、議員活動を通じて少数意見を述べ、論戦し、多数派意見に抗していくことにある。初めから議会に参加しないと表明している議員とは一体何なのだろうか。彼が議員になる理由はどこにあるのだろうか。議会に行かないなら、今わざわざ議員になる必要は無いのではないか。
 議員にならない政治活動家は山ほどいる。本当に必要な政治行動が議員活動であるとは限らない。デモや集会、署名活動、言論活動など、やるべきこと、やれることはたくさんある。
 ガーシー議員はすでにYouTuberとして有名であり、自由に意見を述べ、論戦し、多くの人に広く伝えることが出来ているのだから、国会議員にならなければ自分の意見が世の中に届かないという立場では無い。
 国会に出られないのなら、なぜ国会議員であろうとするのか、明確な説明をする必要がある。

 少なくとも、信念を持って政治活動をやっていると言うのなら、法律的な壁はあるかもしれないが国会議員としての歳費は返上するくらいのことは言うべきだろう。
 また彼を比例区の候補として擁立したNHK党の立花党首も、初めから彼に登院しなくて良いと言っていたそうだから、ガーシー議員の分の政党交付金は受け取らないと言うべきだ。
 そうでなければ、ただカネが欲しいから選挙をやっていると思われても仕方ない。それは民主主義政治の否定であり、有権者を冒涜した許されざる行為である。


(ちなみに、NHK党が地方議会に多くの候補を擁立するのは政党交付金を得るためだという告発もある。)
”「立花党首から言われたことに開いた口が塞がらなくなった」NHK党のアイドル議員が離党した理由 ”
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b049a4c6b44f90b27325de7722cb6c875c2e693?page=2


 立花党首はガーシー議員が除名されたら、繰り上げで別の幹部を議員にするのだそうだが、その議員もまた登院させないと言っている。まったく理解に苦しむ。ガーシー議員には、それが正当かどうかはともかく、逮捕される可能性があるという理由があるから不登院は分からないでもないが、何でもない議員を登院させないとはどういうことか。
 国民は理由無く働かない国会議員に歳費を払わなくてはならないのか。ふざけた話だと思う。

 なんであれ、ガーシー議員とNHK党は、こうした疑問に対し明確な説明するべきで、それが国会議員、国政政党の責務だと思う。


「外国人が無人島を買う」問題の本当の問題とは

2023年02月17日 11時15分32秒 | Weblog

 今、中国の実業家らしき女性が沖縄の無人島を買ったというSNS投稿を巡って、マスコミ報道が過熱している。
 問題となっているのは沖縄の米軍基地から数十キロメートルのところにある無人島で、安全保障上問題があるのではないかと言われている。政府は昨年、一部から疑問が呈される中で重要土地等調査規制法を施行したが、その制度では規制外なのだという。

 ただ、細かく報道を見ていると、どうもその島は「いわくつき」の島だそうで、かつてから土地が細かく分割されて900以上の地権者がおり、しかもその所有者は数年毎に入れ替わるという、かなり複雑な状況にあるのだそうだ。
 どうやらかつての原野商法的な売られ方をしたようで、土地を買った人達の多くが現地を見ておらず、図面上で整然と区分けされた土地が、あたかも整地された区分のように思える錯覚を利用して売りさばかれたのではないかという。
 実際に中国女性が購入したのは島の土地の半分くらいの面積なのだが、その中には他の地権者の小さな土地が無数に点在している。実際に何か開発などをするとなれば、この他の人の土地を買っていく必要が出てくる。
 女性によればリゾート開発をするとか、自分が住むとかいう話らしいが、水道などのインフラも通っていないようで、SNSで高い価値のある投資だと語っているが、事実はむしろ騙されて使いようのない土地を買わされたという方が正しいような気がする。
 なお、船を着けられるたぶん唯一の埠頭(?)を含む島の海に面するかなりの部分は村有地となっている。

 そういう意味では、今回の問題は別段軍事的脅威などは無さそうに見えるが、ただ一般論として、同じようなケースが安全保障上の問題になるかどうかは今後も議論が続くだろう。

 この議論には三つの観点が必要だと思う。
 一つ目は、政府や自民党、右派の言うような日米安保や外国からの侵略の脅威などという問題意識は、問題を矮小化させるだけだと言うことだ。
 思い出して欲しい。過去に広大な土地を購入し、軍事拠点として整備し、日本中を震撼させたのは誰だったか? 中国スパイではない。日本のオウム真理教だ。
 我々生活者にとっての安全保障とは、米国のためのものでも、政治家の集票のためのアジテーションでもなく、現実に日々生活している人々にとっての生活の安全のことである。もちろん防衛問題を排除するつもりはないが、我々が直接さらされてきた脅威とは、そうした大上段から振りかぶった外国軍による侵略脅威論の中にではなく、むしろ人権、人命を軽視するオウムや統一教会などのカルト、原発事故を起こすような企業や経済構造、長期保守政権の中にこそあったというのが現実であり、歴史的事実である。

 二つ目は、今回の件も含めて、外国人による土地購入だけが突出して軍事的脅威になるわけではないという点だ。
 実は今回の件でむしろ気になるのは、件の中国人女性が個人として直接島を買ったのではなく、中国系とも言われる東京の企業名義での購入だったことだ。というのは、この企業、登記先に実態が無い。実際にそこにあるのは郵便物等の転送会社らしい。
 これは外国企業のみの問題では無いが、こうした実態不明の企業が普通に経済活動をすることが出来てしまうことも大きな脅威である。
 そしてそれは土地購入に限らない。一昨年騒がれたDappi問題を思い返そう。どこからともわからない(というか事実としては自民党のようだが)多額の資金を使って、ネット上で野党を排撃する世論工作が行われた。情報社会において、情報工作は直接的軍事以上の脅威にもなり得る。
 言っておくが、もちろんこうしたことは逆に特定の目的を持った外国勢力によって行われないとも限らない。現に統一教会は正体を隠して盛んにやっている。
 現実には裏貿易やスパイ活動なども企業、個人に関わらず行われているのであって、むしろ公然と日本の法律に従って土地を購入することは、軍事的脅威としてはあまり大きな問題では無いとも言えるではないだろうか。

 三つ目に、上記の二点とも関連することだが、我々の日常生活において最も脅威なのは、軍事面より環境面ではないかということだ。
 外国人が水源地を購入しているということが、安全保障上の問題として指摘されているが、それは当然国内企業であっても同じ事が言える。
 外国人は何をするか分からないが、日本人なら大丈夫だろうなどと考えるのは全くナンセンスだ。日本人が日本国内で利権目当てにどれほどの環境破壊を行い、人々の命や健康や生活に被害を与えてきただろうか。しかも知らずにやっているのではなく、分かった上で不法投棄や違法埋め立て、森林伐採などの環境破壊・汚染を行い、水俣病のように因果関係を知りながらそれを隠蔽するなどという事例が、それこそ山のようにある。
 しかも、そうした問題のほとんどは、原状回復などの責任を取らず、ひどい場合には裁判にもかけられずに済まされているのだ。
 無人島を買った中国人はまだ何をやったわけでもない。だが、実際に開発に着手して、それが頓挫し、自然を破壊したまま逃げ出すなどというケースは、別に外国人で無くても過去にたくさんある。
 そんなことが起きれば、本当に取り返しがつかなくなる。

 繰り返すが、今回の無人島購入問題は、確かに多くの問題を示している。しかし、それをマスコミや右派が主張するような問題に単純化したら、それはもっと大きな問題なのではないだろうか。
 本当は何を見るべきか、何をどう判断すべきか、それを過去の歴史と現代の見識をもって考えることが、我々にとってのリアルな安全保障の第一歩であると思う。


鏡の左右は逆転しているか?~常識と科学について

2023年01月01日 11時43分06秒 | Weblog

 2022年大晦日の朝日新聞「天声人語」の一節。

「右と左は鏡のなかで逆になるのに、なぜ上下は反転しないのだろう。片目をつぶってみたり、顔を斜めにしたりしても変わるのは左右だけ▼ひょっとして私の目が横についているからか。それとも地球の重力のせいか」

 うむむ…

 真面目に言えば鏡像は反転していない。
 透明なガラスにマジックで菱形を書く。各頂点にA、B、C、Dと記号を打つ。これを鏡に映してみよう。
 この時、鏡に映った菱形の各頂点をA'、B'、C'、D'とする。A点とA'点の関係を見ると、A点から出てくる光は鏡表面のA'点に当たって真っ直ぐA点に戻ってくる。B点からの光もB'点で反射してB点に戻る。C、C'、D、D'の関係も同じだ。(*)

 つまりどの点を取っても光の射出と反射の関係は全く同じ構図になっている。この関係はどの方向、どの角度から見ても変わらない。首を右左に曲げても、逆立ちをして見ても同じ関係性のままだ。ガラスを回転させても関係性は変わらない。
 もっと言えば、ガラスを透かして見ればガラスに書かれた菱形と鏡に映る菱形は全く同じに見えるはずだ。

(*)「A点から出てくる光」と書いているが、もちろんそれも実際には反射光である。この説明の記述は全体的に相当に模式的に単純化しているので実際に起きている物理現象を正確に説明できているわけでは無いが、煩雑にしたくないのでご容赦ねがいたい。

 ではなぜ人間には左右が逆に見えてしまうのか。

 結論から言えば、これは現象が反転しているのではなく、人間の感覚、もしくは常識の方が反転しているのである。
 人間の生活において、天は御天道様の射してくる方角、右は御箸を持つ手の方向である。これは文化的な感覚だ。文化的、慣習的な感覚で天地左右を考えるから、一般的な物理現象に直面したときに混乱してしまうのだ。物理現象においては天地左右は座標上の相対的な位置関係に過ぎない。
 左右が逆転しているように見えるのはたんなる錯覚である。

 人間が鏡を見ると、一見、常識的に箸を持つ手とは逆の手に箸を握っているように思えてしまう。しかしこれは思い込みに過ぎない。人間が常識の霧の中でさまよっているだけだ。
 別の言い方をしよう。猫に鏡を見せると猫はそこに映る自分を自分とは認識できない。猫は相手を捜そうとして鏡の裏に回り込む。しかしそこには誰もいない。
 つまり鏡に映っているのは、ただの反射像に過ぎないのに、猫は鏡の中に本物の世界が存在していると思ってしまうのだ。
 人間の錯覚も同じだ。鏡に映っているのは光の反射でしか無いのに、ついそこに本物の世界、本物の自分がいるように思ってしまうのである。だからそこにいる自分が、まるで常識外れの行動を取っているように感じて戸惑うのである。
 人間も猫並みのオツムしか持っていないとも言えよう。

 科学者というのは(自然科学のみならず、社会科学や人文科学でも)、こうした人間にかけられた常識の霧を、科学的手法で吹き飛ばしていく人達である。
 科学的手法とは実証の積み重ねと論理の積み重ねの歴史を重んずるということだ。先人が積み上げてきた科学的論拠を前提としつつ、もしそこに視界を遮っている「常識の霧」があると思ったならば実証と論理でそれを晴らす、それが科学者のあり方であり、近代人のあり方である。

 ニュートンが本当にリンゴの実が木から落ちるところを見て万有引力の法則を発見したのかは疑わしいが、「モノは上から下に落ちる」という常識に対して、引力は「万有」であって、質量の違う物体同士が引きつけ合った結果、リンゴが落ちるように見える現象が発生するという発見はまさに科学だ。
 確かに普通に生活する上で、モノは上から下へ落ちる、太陽は東から昇って西に沈む、地面はどこまでも水平に続いていると考えてもほとんど何の支障も無い。
 しかしだからと言って、万有引力を否定し、地球の公転と自転を否定し、地球が丸いことを否定していたら、人類はその先には決して進めない。

 進まない方が良いという考え方もあるのかもしれない。先に進むことが逆に破滅への道なのかもしれない。そこにも一理あると思う。しかし、人類がここまで進歩してきてしまって、しかも日々進歩し続けている以上、今より後ろに戻ることは出来ないし、それこそそこには破滅しか無いように思える。
 それに、どの道に破滅が待っているのかを判断するためにも、より進んだ科学的知見が必要となる。
 科学と科学的手法と科学的思考と知見を、止めること無く自由闊達に発展させること、現代社会にはそれ以外に選択肢は無い。

 人間は間違うことがある。むしろ間違うのが当たり前だ。しかし意図的に間違えるようなことはあってはならない。鏡の中にあるものが、ただの幻想、ただの反射像ではなく、もうひとつの本物の世界であるべきだという観念を守るために、あえて先人の積み重ねを無視し、実証されない論理でむりやり「常識」を押しつけて物理現象を否定するようなことがあってはならない。
 その「常識」を捨てることがどんなに辛いことであったとしても、科学を受け入れるしか無い。

 自然科学においても、社会科学、人文科学においても、先人の知見を安易に無視し、否定し、自分にとって心地よい観念に置き換えるようなことをしてはならない。それはフェイクであり、「歴史戦」などという非科学的姿勢に他ならない。歴史戦など必要無い。科学的手法による実証と論理を積み重ねれば良いだけである。
 近代人である以上、宗教もイデオロギーも科学の基盤上にあらねばならないし、科学を認めて共生せねばならない。宗教もイデオロギーも科学を否定してはならない。
 論争は続くだろうし、終わりは無いかもしれない。しかし論争を終わらせるのでは無く、続けることこそが科学であろう。

 最後にふたつだけ付け加えたい。
 どうしても鏡の中に「常識的世界」を再現したければ、二枚の鏡を90度に組み合わせて見れば良い。これで左右は逆転して見える。実用的に意味があるかどうかは知らないが。

 もうひとつ、CMの言葉では無いが常識は簡単にひっくり返る。
 人間の視覚の実験として、プリズムを使って天地が逆転して見える眼鏡をかけて生活するというのがあるそうだ。
 もちろん最初は何も出来ないが、しばらくして慣れてくると、天地が逆に見えていても普通に行動できるようになるらしい。
 そもそも人間の眼球の構造では、本来世界は天地逆さまに見えているはずだ。しかし我々は全くそんな風に感じない。脳が補正しているのかもしれないが、いずれにせよ、常識というのは破られるまでは絶対的なものに見えるが、いったん破られてしまえば全く違う世界が新たな常識となって、人々はそれに馴染んでいく。
 常識を破ること、新たな常識を獲得することを恐れる必要は全く無い。


玉川徹氏は何を言ったのか?~テレ朝懲戒処分を巡って~

2022年10月05日 12時31分04秒 | Weblog

 テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」でレギュラーコメンテーターを務める同社社員の玉川徹氏が10日間の謹慎処分(出勤停止10日間)となった。
 10月4日の定例会見で同社の篠塚浩社長は「事実に基づかない発言を行い、番組および会社の信用を傷つけ損害を与えたことによる処分。誠に遺憾と思う」と述べたという。
 この事実に基づかない発言というのは9月28日の「モーニングショー」において、玉川氏が「これ電通入ってますからね」と発言し、国葬の運営に電通が関わっているという誤情報を口にしたことを指す。
 もちろん事実としては東京都江東区のイベント会社「ムラヤマ」が演出業務を1億7600万円で落札しており、電通が関わっているということは少なくとも表面上は確認できない。これは確かに重大な事実誤認であって、玉川氏に非があることは間違いない。玉川氏は翌日の同番組で誤りを認め謝罪した。
 これがなぜ重大な問題なのかと言えば、この「ムラヤマ」こそ、安倍政権において例の「桜を見る会」の運営を任されてきた会社であり、かつ今回の国葬演出の受注においても、この会社一社のみが入札に参加できるように国が入札条件を操作した疑惑が持たれているからである。

【入手】安倍氏国葬の入札に出来レース疑惑 受注した日テレ系1社しか応募できない「条件」だった 44枚の入札説明書で判明
https://news.yahoo.co.jp/articles/4933736678a073e5233ba2ca094e6ed330e55a15

「安倍氏国葬儀」企画演出業務発注で、内閣府職員に「競売入札妨害罪」成立の可能性
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20220926-00316872

 確かに「ムラヤマ」の受注前は一般にまた電通案件だろうという予測が多くされていたが、予想に反して同社が落札したことはそれだけ大事件であった。そのことをいやしくもジャーナリストを自認するものが誤認するとは情けない話としか言いようがない。
 直前に分割した夏休みを取るなど、玉川氏の気の緩みがあったと言われても仕方ないだろう。

 とは言え。

 果たして玉川氏は本当に懲戒処分を受けねばならないような発言をしたのだろうか。
 問題の発言箇所の前後の番組の流れを書き起こしで、以下たどってみる。

 


テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」
22/9/28 9:00AMころ~9:06ころ

司会:羽鳥慎一
コメンテーター:
玉川徹
浜田敬子
安部敏樹

羽鳥:
まあ、ね、最初に弔辞ということがありまして、そんなかで浜田さん、やっぱり管さんの弔辞っていうところが、まあ、葬儀でありながら拍手が起こると、いう、んー、ところがある…

浜田:
一連の報道を見ていても昨日の国葬で一番話題になっていたのは、この管さんのやっぱりこの弔辞でしたよね。で、先ほどもおっしゃいましたけども、なぜこれを総理時代にこのくらいの、やはりあの、スピーチが菅さん出来るんだったら、やらなかったんだろうなってのをやっぱり思いましたよね。で、それは、一番言葉を尽くさなきゃいけない人は誰に対してかっていうと、やっぱり私は国民に対してだと思うんですね。で、まあ安倍さんもあの、親しい人に聞くと、ほんとに優しい人だって聞くんですよ。だからやっぱりその、自分と近い考え方の人とかにはたぶん言葉を尽くされたりとか非常に感情こもった、あの、ことを話されると思うんですね。管さんもそうだったかもしれないですけど、でもやっぱり首相とか総理という立場になったらですね、やっぱり会見とか、管さんの場合特に官房長官の時の会見が非常にやっぱり鉄面皮のような受け答えだっだわけですよね。何を聞いても同じ答えしか返ってこない。その時にやっぱりこれくらい、やっぱりなぜ私たちはこういう政策を進めたいのかとかっていうことをやっぱり説得し納得してもらうというような、ま、その、時には管さんの素顔も見えるような、で、やっぱり政権運営をしていたら色々な逡巡とかも実はあるからっていうような、こうやっぱり生身の部分とかが少し見えたらもっとやっぱり私たちのやっぱり感情も違っていたかなとは思います。

羽鳥:
まあ何人かね、昨日あの弔辞というかスピーチとかありましたが、管さんが一番刺さったなという感じはね、聞いててもありましたけれど。玉川さんいかがですか。

玉川:
まあ…、これこそが国葬の政治的意図だと思うんですよね。あのー、ま当然これ、これだけの規模の葬儀ですから、ま儀式ですからね。あの荘厳でもあるし、それから、その個人的な付き合いがあった人は、当然悲しい思いを持って、その心情を吐露したのを見ればですね、同じ人間として、胸に刺さる部分はあるんだと思うんですよ。しかし、それはたとえばこれが国葬じゃなくて自民党・内閣葬だった場合に、テレビでこれだけ取り上げたり、またこの番組でもこうやってパネルで紹介したり、さっきのVTR流したりしたかっていうと、なってないですよね。(羽鳥「うーん」)つまり国葬にしたからこそそういう風な部分を我々は見る、見る形になる。ぼくも仕事上こうやって見ざるを得ない、という風な状況になる。で、それってある種たとえればですね、それは自分では足を運びたくないって思っていた映画があったとしても、半ば連れられて映画を見に行ったら、なかなか良かったよと。そりゃそうですよ。映画作ってる方はそれは意図があって、あの、楽しんでもらえるように、それから胸に響くように作るわけですよ。だからこういう風なものも、我々がこういう形で見ればですね、それは胸に響く部分はあるんですよね。で、そういう形として国民の心に残るんですね、その、国葬ってのがありましたと、あのときにああいう風な、あの刺さる、胸に刺さる言葉がありました、いう風な形で既成事実として残るんですよ。これこそが国葬の意図なんですね。だから、ぼくは国葬自体が、やっぱり無い方がこの国には良いんじゃないかと、これが政治的な意図だと思うから。

羽鳥:
そうか…なるほどねぇ。ま、私はここの部分だけはちょっと違う感じがしたなあっていう風には思いましたけれどもね。うーん…。安倍さんはいかがです

安倍:
そうですね、あの、玉川さんがおっしゃっているような話の政治的意図って言うのが出て来る可能性っていうのがあるっていうのはやっぱりあるなと思って、その点に関しては留保しなきゃいけないなとは思うんですけど。なんかこう、ぼくがすごく思うのはこう、管さんのこのスピーチ、私自身も読んだり見たりしてすごく感動したんですけど、あのー、たぶん今のこう現代の生きてる日本の国民の多くの人は、これ政治利用だなって思うようなものっていうの対してけっこう鼻が効くようになっているとは思うんですよね。で、鼻が効くようになってるなと言うこと自体も、管さんとかっていういわば政権とかにいるような人は理解していて、だからこそそういうことを出してもどうせ上手くいかないからやりたくないと。ちょっと、たとえば管さんの場合なんか、私ガースーですとか言って滅茶苦茶スベったわけですよね。滅茶苦茶スベって、大失敗してなんかちょっと人気も下がったみたいなね、話もあったりするわけですけど。そういう風な意味で言うとたぶん、ある程度今いる政権の中の人達は意図的にそういうのをやったことが見透かされてしまう時代に生きていると。そういう中で、たぶんこれはもうその見透かされる可能性があるとかそういうの関係なく、管さん自身が思っていたことを言ったからこそ、こう響いているんだと、いう風に思っていて、その意味で国葬というものが政治利用されるんじゃ無いかということを玉川さんがこう指摘すると、ま、これ自体は健全なことだと思うんで良いなと思う一方で、たぶんこのスピーチ自体が多くの人に対して響いたのは、そういったその政治的意図を越えたもので個人の感情として彼がお話になったと言うのが良かったんじゃないかなというように思いましたね。

玉川:
僕は演出側の人間ですからね。あの、テレビのディレクターをやってきましたから。それはそういう風に作りますよ、当然ながら。あの政治的意図が臭わないように、それはあの、制作者としては考えますよ。当然、これ電通入ってますからね

羽鳥:
うーん…。(安倍「ま、これ、だから、どっちか分からない…」)ま、どう、いや、そこまでの見方をするのか、それともこれは、ここは本当に自然に言葉が出たんだろうという見方はいろいろある…

玉川:
いや、あの、管さん自身は自然にしゃべってるんですよ。でも、そういう風な、届くような人を人選として考えてるっていう事だと思いますよ。

安倍:
ま、これ玉川さん、これいつもそう、面白いなと思いますね、ぼくはね。ま、テレビって言うのもそういう仕組み(が)な訳じゃないですか、ある意味それで言ったらね。(玉川「そうそう」)テレビっていうのは、その番組を見てそのコンテンツの間に広告を挟んでビジネスが成り立っているわけですから、ま、その意味で言うと広告の話とかって言うのは、この、ま、ある種国葬的なね政治利用の観点にも近いような構造があったりするんだと思うんですけど。ま、その上で、ま、たぶんそこの部分にはかなり多くの人々が鼻が効くようになっているんじゃないかっていうのがぼくの考え方なんですけどね。どうですか、それは。

玉川:
まあ、あの、それは演出家の考え方ですね。はい。

安倍:
なるほどね。うーん面白い。


引用:テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」
22/9/28 9:00AMころ~9:06AMころ



 ここで分かるように、玉川氏の発言で明確に誤っていたのは、まさに「これ電通入ってますからね」の、たった一言だけである。
 仮にこの電通がムラヤマだったなら、別段何も問題ないのでは無いだろうか。

 そもそも「ムラヤマ」は「企画・演出」として業務を請け負っているのである。はっきり演出が仕事とされているのだ。
 実際、上記で紹介した記事「「安倍氏国葬儀」企画演出業務発注で、内閣府職員に「競売入札妨害罪」成立の可能性」には、警備会社セコムの子会社が入札に参加しなかった理由として、「企画・運営の比重も多く、セコムジャスティックは基本、常駐警備の会社なのでそこまでのノウハウがありません。そうしたことから、入札することは考えていませんでした」と述べたと書かれている。
 国葬が演出されていたことは、言うまでもないことだが事実である。
 更に言えば玉川氏は、管氏の弔辞の話題をきっかけにして国葬全体の演出とその意図について語っているのであって、管氏の弔辞自体については「管さん自身は自然にしゃべってる」と認めている。

 彼の発言はテレビマンとしての経験による感覚として、国家的イベントが政治的意図をもって演出がなされるのは当然だという意見であって、それ自体は何も不思議な意見では無い。

 国際政治学者(?)の三浦瑠麗氏は「安倍チームに安倍さんの思いを言葉にする極めて有能なスピーチライターたちがいたことを知っていれば、安易にこうした決めつけをしなかっただろうと思います」と述べたとされる。

三浦瑠麗氏「有能なスピーチライターがいたことを知っていれば…」 玉川徹氏の謝罪に
https://news.yahoo.co.jp/articles/aec9117d2bf9b4a3b1dec9f424d51cc9898ce91c

 彼女は「国葬の場で発される言葉とは政治そのものであり、誰にでも応用できるマーケティングや感動演出の域を超えています」と言っているが、もちろん現代政治における政治家がマーケティングなど広告・宣伝のプロによる演出を行うことは珍しくないし、その意味で当然スピーチライターの書く文章もまた演出の一貫であることは周知の事実である。
 加えてあえて言うなら、メディアの政治利用はレーニンが体系化し組織的に運用したことで広まりそれはヒトラーにも利用された。一方でもちろん連合国も利用したし、日本では戦前から発行されてきた「アカハタ」(当時)が民衆の政治動員に大変大きな力を発揮したことから、戦後は自民党から公明党までこぞって全政党が政治機関紙を発行するようになったのである。

 言っておくべきは、政治が演出をしたりメディアを利用したりすること自体が悪いのでは無く、何を目的にした演出であり利用であるのかということだ。
 玉川氏はテレビの演出家として、演出そのものを否定しているのではなく、今回の国葬の演出が岸田政権の特定の政治的意図をもった演出であったということを指摘したに過ぎない。

 しかし、なぜこの程度のことで玉川氏がこんなに厳しい処分を受けたのか。
 そこにはいくつかの理由があると思う。

 ひとつはテレ朝の社長が篠塚浩氏であること。
 彼はもうずっと以前から政権、安倍派とべったりの関係であることが指摘されている。
 たとえば次のような記事はネット上ですぐに見つかる。

テレビ朝日元社長が安倍首相と癒着する早河会長ら現幹部を「腹心メディアと認知されていいのか」と批判! 株主総会で追及も
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_3278/

テレビ朝日で統一教会報道がタブーに!『モーニングショー』放送差し替え、ネット動画を削除! 圧力を囁かれる政治家の名前
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_12403/

 また、今回の玉川氏への攻撃と処分について、マスコミが国葬擁護派寄りの報道ばかり繰り返す不思議がある。
 果たして電通に対する配慮があるのか、それとも政権への忖度か。
 ただ指摘できるのは、今回の国葬には複数のテレビキー局が深く関わっている点だ。企画・演出を受注した「ムラヤマ」は現在日本テレビの100%子会社であり、国葬の司会をしたのはフジテレビの現役アナウンサーである。もちろん各キー局は全国紙やスポーツ紙、夕刊紙を含めたメディア複合体に所属している。
 ちなみに関係は無いかもしれないが、今日のモーニングショーの冒頭で厳しく玉川氏を糾弾し、再謝罪を求めた羽鳥慎一氏はご存じの通り日テレのエグゼクティブアナウンサーだった人であり、今も日テレの最重要人物である。

 今回の玉川氏の事実誤認の発言はもちろん容認できないものの、10日間もの出社停止を受けるような事柄ではない。これはまさしく政治弾圧であり言論封殺である。
 玉川氏への批判者、攻撃者はいったい彼の発言の何に怒っているのか。ぼくには理解できない。それはおそらく彼等の怒りは玉川氏の間違った発言には無いからだ。
 彼等は玉川氏の反国葬、反政権、反アベ政治の態度に我慢できないだけだ。たまたま彼が一言失言したことで足下をすくい、ここぞとばかりに集中攻撃しているだけなのである。

 それはまた、大多数を占める反国葬の国民世論をひっくり返すための戦略的攻撃でもある。
 たいしたことのない間違いに対して、あたかも大問題であるかのように大騒ぎし、それをもって反国葬、反岸田政権の世論を沈静化させようというのが、その裏に隠された最も大きな彼等の目標だ。実は政治的意図を持った演出はまだ続いているのである。玉川攻撃こそ、反国葬派は悪意を持った嘘つきであるという政治的宣伝、演出である。
 本当のことを言えば、ぼくは玉川氏の信者ではないし、むしろ批判者側だが、この言論弾圧を見過ごすことは出来ない。
 この問題に多くの人が気づき、言論の自由を守る意志を示すことを期待する。