社会派ブロガー・Chikirin氏のブログ「Chikirinの日記」で「
理想の社会なんて信じるのはやめましょう」という記事が掲載された。Chikirin氏は庶民の一般的感覚に寄り添ったわかりやすい論考を書かれている方だ。確かにこの記事もなるほどと思う。
しかし、やはりもうひとつ深く考えてもらいたい。理想の社会はないかもしれないが、理想と理想主義は必要だ。理想を持たない現実主義に意味はない。
たとえば度々発生する自暴自棄な無差別殺傷事件の犯人もまた、理想社会なんてこの世にないと考えている。理想など自分には実現しないと思っている。理想主義は人間にとって希望のよりどころである。それがついえたところに自暴自棄が起こる。
それならはじめから理想を持たなければよい、というのが、Chikirin氏の意見なのだろうが、そうした殺伐とした精神がいったい何を生むというのか。思想史的に言えばそれはニヒリズムと呼ばれる。ヨーロッパ的な脈絡ではニヒリストとテロリストはイコールである。(ニヒリズムに関しては以前「
イスラム国を目指す人々(2)~川原栄峰「ニヒリズム」を参考にして」でも触れた)
もちろんニヒリストが悪いと言いたいわけではない。ニヒリズムにも理由と意味がある。しかし誰もがニヒリストになるべきだと言ったら、もちろんそれは暴論であろう。
重要なことは「理想の社会を信じるのをやめる」ことではない。信じるけれどその実現は大変に困難なことであり、その困難を理解し、どこまでもその困難と立ち向かっていく忍耐力を持つことであり、また他の人にも他の理想があると言うことを認める寛容さ、そしてそれらのことを認めて受け入れる勇気なのである。
単純な論理と結論はわかりやすいけれど、単純な結論は場合によっては大きな誤りに陥る危険性もあると言うことを(おそらくChikirin氏の記事の主旨も本当はそうなのだろうけれど)、いつでも肝に銘じておく必要がある。