よのなか研究所

多価値共存世界を考える

再び主役となるユーラシア、

2011-10-23 19:23:41 | 政治

         Photo: (サマルカンドのウルグベク・メドレセ、ウズベキスタン)

 

ユーラシアといえば陸続きであるヨーロッパとアジアを一つの大陸として捉えた概念です。その昔、世界といえばすなわちユーラシアだったわけです。古代文明の発祥地の中でナイル河畔のエジプト文明はアフリカですが、それ以外はすべてユーラシアです。黄河と長江の中国文明、インダスとガンジスのインド文明、チグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明、やや時代が下ってギリシャ文明、ローマ文明と続き、その後ルネサッスと産業革命を経て、勢力図が東から西へと移動した、と教科書にも書かれています。

 

ユーラシアを旅すると何ごとも大きいことに驚かされます。その内陸部に行くといろいろなことに圧倒されます。ふところの大きな存在です。

問題となるのは、厳密に「ユーラシア大陸」と云った場合、その極東にある日本と、極西にあるイギリス、アイルランドなどの島国が入らないことでしょうか。むろん、アフリカ、オセアニア、南北アメリカ大陸は入りません。しかし、一般には日本はアジアに属し、イギリスとアイルランドはヨーロッパと考えられていますから、「ユーラシア」と云う場合は中に入れることが多いようです。

 

ある金融会社の試算では、2040年代にGDPの上位十カ国は、大きい方から中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシア、ドイツ、イギリス、フランス、南アフリカ、となるそうです(現在の国家単位として計算)。この中の七カ国はユーラシア諸国というわけです。その時、かれらの世界経済に占めるシェアは大変大きなものになっていると予想されます。

幸か不幸か、これらの国々が一団となって世界的に統一行動をとることは少ないと思われます。かつて米国が世界の経済の半分近くを占めていた時代に「世界の警察官」を自任していたようなことは起こらないでしょう。大国となる中国はインド、ロシアと長い国境線を持っており紛争の芽を抱えています。それでいて、中国とロシアは国連の場において欧米諸国と対峙する時、共同歩調をとってきました。両国を中心に発足したSCO(上海協力機構)にインドはオブザーバーとして参加しており、いずれ正式メンバーとなると予想されています。

 

19世紀の初めまで、世界経済の中心はアジアでした。中国、インド、インドシナ、日本、ベルシャ、中東諸国などの豊かな産品が流通し、またアラブ商人の手を経てヨーロッパ世界にも持ち込まれていました。

ひと頃話題になったアンガス・マディソン著「世界経済の成長史1820-1992年」(金森久雄監訳、東洋経済新報社)によれば、PPP(購買力平価)ベースで、1820年のGDPは中国が29%、インドが16%と、この二国で半分近くを占めています。もっとも、同年に人口も中国36%、インド20%ですから、民衆の生活が図抜けて裕福であったと云うことではなさそうです。ちなみに、同著によれば、1820(文政3年、将軍は徳川家斉)の日本はGDPも人口も3%となっています(現在はGDP8%、人口約2%)

 

現在の経済成長率、また潜在力から考えて、世界の成長センターがアジアに移っていることは大方の経済分析家が認めているところです。西欧諸国、特に米国の地盤低下は否めません。経済力と軍事力がほぼ比例して推移するのも現実として受け入れる必要があります。

日本政府が国民のため、地域のためを考えるのであれば近隣諸国との通商体制をしっかりとしたものにすることが求められます。なにしろ世界で最も生産能力が高く、消費性向が高い地域がすぐそこにあるのです。足りないものがあれば近くから調達するのが経済合理性にもかなっています。現実的に言えば、〔アセアン+3〕の枠組み、あるいはインドを加えての〔アセアン+4〕の枠組みがまずあって、その上でさらに遠い国々との貿易自由交渉に取り組む、というのが自然な流れでしょう。

その場合であっても「国家主権としての租税権」を確保しながらひとつひとつ交渉をしていくことが必須です。十把ひとからげで税率や条件を決めてしまうという乱暴な取り決めをすると、その改正、解消にまた十年、二十年の時間を浪費することになりかねません。突然政治課題として登場してきたTPPなる案件はその内容をよくよく知る必要があります。

  

すくなくとも、こちらがあわてて乗るものではありません。あせっているのは相手方です。成長センターであるアジアとの取引を望んでいるはアメリカ、オーストラリアであり、またその間で優位を確立したいと考えるシンガポールくらいのものでしょう。中国も、韓国も参加していません(二国間で個別に進めていますが)。インドは環太平洋ではありませんから、最初から入っていません。われわれは、まずは高みの見物と行きましょう。

 

これを推し進めようと画策している官僚や政治家や評論家や企業人は、明治の政治家たちが幕末に結ばされた不平等通商条約の改定にどれだけ苦労をしたか、に思いを巡らせてもらいたいものです。次代の人たちにわざわざ苦労を引き継がせることはありませんよね。

(歴山)

 

 



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