よのなか研究所

多価値共存世界を考える

一民族滅亡のはなし

2011-09-09 10:47:14 | 歴史

 

                     

                                                    photo(British Museum, London, UK)

 

イギリスの植民地がオーストラリアに作られたのは1788年にシドニーにおいてであった。よく知られるように、それは囚人を送り込むためのもので、イギリスからみて地球の裏側である豪州が最適と考えられていたからである。次いで、イギリスは1803年にタスマニア島への植民を始めている。それは、その地の価値を見出したというよりは、植民地争奪戦を繰り広げていたフランスが先に領有することを恐れたからであった、という(高坂正堯『世界地図の中で考える』)。

 

1803年にタスマニア島に上陸したイギリス人は、役人3人、兵士7人、囚人25人に自由人6人であり、これに相当数の家畜が伴っていた。その後、42人の囚人が送り込まれ、15人の軍人が補強されている。さらに、1807年には植民者の数は増強された(同著)。

 

土着の人々と侵入者との間に激しい戦いが展開されることになるのは自然のなりゆきであった。先住民はタスマニア人と呼ばれることとなった(タスマニアの名は1642年にこの地を発見したオランダ人アベル・タスマンの名に由来する)。彼らが侵入者たちに敵意をもったのは当然だが、それ以上にイギリス人たちは彼らを野蛮人としてこれを撃ち殺すのをなんとも思っていなかった(同様なことはオーストラリア大陸のアボリジニに対しても行われていた)。

最初の衝突は植民者がこの島に上陸してすぐに引き起こされたが、その責任はイギリス側にあったことは研究者たちが認めるところである。それは容易に想像されるところでもある。イギリス人植民者たちは1907年には簡単な武器しか持たない先住民の襲撃と、食糧不足から一時的に非常な苦境に立たされたが、ほどなくイギリス人たちは襲撃に出てタスマニア人を追い詰めていく。

1830年には5千人ほどいたタスマニア人は203人に減って保護区に囲われることになる。1842年には44人、1854年には16人と減り続け、1876年に最後の一人が76歳で亡くなってタスマニア人はこの地球から姿を消したのであった(同著)。

 

この史実は大戦中には国民学校の教科書に載せられ、「大東亜戦争が西欧の白色人種のアジア侵略を撃退するのだ」という考えのもと、「鬼畜英米の悪行」の典型的な事例として語られてきた。そして、戦後は一転してこの歴史的事実は高校の教科書にも載っていない。小学生に教えるには確かに早すぎるかもしれないが、高校生にも教えなくていい、ということではないだろう。

 

その後、タスマニア人絶滅の経過について、ポーランド人ルードヴィッヒ・クジヴィツキーの研究が発表された。概略、以下のような内容である。

「タスマニア人は白人に勇敢に戦かったが、その数が数千から数百に減ったときに降伏した。かれらは羊を与えられ保護区に入れられ、生活は安定した。あすへの不安の代わりに豊かさを保証された。しかし、彼らは減り続けた」

「生活条件の変化が彼らの内面的生活を破壊した。森から森へ移動の生活、共同の狩り、集会、儀式などはその生活の単調さを破り、創造をかき立て、感情を豊かにし、生活に魅力を与えた」

「長い闘争の後、タスマニア人たちは近くのフリンダーズ島に移された。狭い土地に押し込められ、先祖たちの生活を長年にわたり形作ってきたすべてのものと切り離された。次第に望郷の念が強まった。ときどき、天気の良い日にはタスマニア島をはるかに見ることのできる高い丘に登り、絶望的に彼らの土着の島を見た。老婆が熱心に彼方を指差して、ベン・ロモンドの雪をいただいた峰を見ることができるかと男に訊いて、涙を流して言ったものだった。あれが私の国、と」

 

強い文明が弱い文明を圧倒していった。近代の歴史において西欧諸国の果たした役割はある程度認められるが、<功罪>の罪のほうも多い。それは、技術を伝達し、布教し、戦い、征服し、搾取する歴史でもあった。

たとえば、今イラクの本当の姿はどういうことになっているのだろうか。アメリカを打ち負かしたヴェトナムは自国の歴史を刻んでいるようだが、アフガンは、ソマリアは、キューバは、ボスニアは、制圧された国の人々の生活はどうなっているのだろうか。

 

日本はどうであろうか。都市部を焼夷弾で絨毯爆撃され。原爆を投下され、その後長く進駐軍に支配され、今日もその残滓としての外国軍が駐屯している。人びとの精神生活に影響がないことはないだろう。この国の衰退のすべてと言うことはできないが、ある程度の原因はここにある。原発事故、天下り役人の既得権益、若年層の貧困、財政危機、年金、教育、産業の空洞化、などなど。ことここに至っても、現状維持で良い、という人びとがかなりの数に上るというのもまた事実である。

 

昨今、「がんばれニッポン」、「日本再建」の声が大である。豊かな生活と思われていたものの実態がいま次々と露呈してきているが、それでもなにか行動を起こすという人はごく少数派である。

こんな時、タスマニア人の末路に思いを巡らし、国の近未来について考えることも意味があると思う。

(歴山)

 

         ※参考図書

        『世界地図の中で考える』(高坂正堯著、新潮選書)