よのなか研究所

多価値共存世界を考える

税金が消えて行く

2012-04-10 23:35:33 | 政治

                                                              photo (復元された平城京朱雀門、奈良)

八世紀に起源を持つ「大蔵省」の名称が「財務省」に変わったのは平成13年、わずか十年前のことである。律令制度からの省庁名では「文部省」がかろうじて「文部科学省」として、「宮内省」が「宮内庁」としてその名を留めている。当時大蔵省は国庫の支出と物価の安定と度量衡の管理を受け持っていたようだ。その役割分担は現在も大きくは変わっていない。 

予算を配分し采配を執る部署・担当者が大きな権限を行使することができるのは古今東西、国を問わない。そして、組織というものは、学校のクラブ活動から街のサークル活動まで、ボランティア組織から奉仕団まで、その内容に関わらず組織の維持と拡大に動くことになる。そこにおカネを動かす役割が付与されていれば、そこにいる人たちが組織防衛と権限の拡大に動くことは人情として分からぬでもない。かつては、そこには国民の税金を預かる者としての自負心と最低限の良識があったと思われる。その箍が外れたのは日本の政策が経済優先となり、安定した生活や自然環境保持よりもカネ儲けが大半人々の関心事となり、お役人がより高い報酬を求め、より権限を追求するようになった六十年代のことではなかったかと、思われる。すなわち、戦後復興から国土の総合開発の時代へと入いり、現在に続く日米安保が強行採決され、新聞からテレビへとメディアの影響力が拡大し、大量消費時代へと向かった時期である。

 税金はもとより、社会保険料、そして社内積立金までを給与から天引きされて異を唱えることなかった勤労者が支払う年金は天文学的な膨大な額となっていく。これを活用しない手はない、と当時の大蔵省を中心とする官僚たちが、これを特別会計、財政投融資の形をとり配分することを始めた。複雑な会計処理を経て省庁、自治体からその周辺の団体、各種法人におカネがばら撒かれていく。むろん、その中のある部分は有益であり、今日に続く社会インフラとなっているものもある。それらについても、投下された金額が妥当であったかどうかにも多いに疑問が残る。当時から無駄遣いと指摘される出費も多かったのである。

官僚とは公務員のことである。公のために務める人たちが自己の権限の傘下の組織に、あるいは特定の権益者に膨大な資金を提供しつづけた結果が、「消えた年金」のはじまりだったのである。それは、年金を支払う人数がそれを受け取る人数に比し圧倒的に多かったからできたのであった。しかし、特に綿密に計算しなくとも、いずれ人口構成が逆転することは素人にも予測することが可能であったし、そのような予測をもとに警告を発する学者や研究者も多かったのである。

現在国家予算の中で比率の大きな医療、社会福祉関係の費用もその中に多くの公益法人や研究機関への支出が見られる。開発投資や公共事業、さらに防衛関係まで無駄遣いが多く指摘されている。 国の借金がおよそ1000兆円と発表されているが、自治体の抱えている借金、また特殊法人へ貸付けた財政投融資がなどを加算するとその数字はさらに膨らんでいく。すなわち、公債(国債)発行が限界を超えつつあるということで、増税の話が出てきているのである。 

しかし現状の組織、予算の仕組みを継続する限りこの程度の増税では焼け石に水であり、どこまで追加で上げていっても問題は解決しない。おカネは官僚機構とその裾野に広がる特殊法人に消えて行くだけである。これら法人に天下った役人全員の給与を上限400万から500万円とするだけでも数兆円はすぐに浮かせることができる。すでに退職金も受け取り、年金受給資格のある六十歳台後半から七十歳代の年寄りはこれだけあれば生活に困らないだろう。子供を小中高の学校に通わせている家庭でも300万円台から400万円台の世帯が多いご時世なのである。その組織が国家のために必要欠かせざるものである、とするならば、自分が早々に引退して三十歳代、四十歳代のひとを雇用すればよい。より少ない人数でより大きな仕事を為し遂げるに間違いない。 

国際化、世界統一会計基準、安全保障の名のもとに改革され、あるいは廃止され、新規に設立されたシステムや組織が税金の無駄遣いに輪をかけている。今や国全体が誰も止めることが出来ない運命共同体に巻き込まれつつある。これに異を唱える力のある政治家や言論人が登場すると、誹謗中傷の合唱がおこり、またいろいろな事件が引き起こされる。 

将来の税収と現在残っている国民資産とを担保にして、役人たちが先に利益を確保し仲間とその果実を喰い散らかすのである。高給を食む元官僚や特殊法人の職員たちは、自分たちが未来の日本人の、つまり自分の子孫の受けるべき報酬を先食いしていることを知らねばならない。国民はこのことを追求せずして増税論義に終わりはない。

(歴山)



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