よのなか研究所

多価値共存世界を考える

北の島は南の島

2012-04-03 08:19:13 | 島嶼

                                     Photo (冬の奄美大島に寄せる東シナ海の波)

「南の島」に来ています、と、かつての同僚や友人に知らせると、青い海、まぶしい太陽、ゆったりした時間、の中での生活いいですね、との返信が来ます。のんびりとした人たちとの交流、お金持ちでなくともみんなゆったりと暮らしている島、などというイメージがあるようです。これも「メディアの言説」によるイメージの固定化でしょうか。この場合のメディアはマス・メディアだけではありません。チラシから、ネットからマンガから写真集まですべてを含んだ意味で使っています。現実の島は台風が来る、豪雨被害がでる、酷暑の夏と寒風が吹く冬とが繰り返しているところでもあります。先日も近海で痛ましい海難事故がありました。

北の島、についても同様です。日本人が「北方領土」と呼んでいる島々についても、われわれが不用意に使っているこの言葉にこちらの思い込みが内在しています。日本人からみれば〈北方〉に位置しても、ロシア人からすれば〈南方〉に位置している訳です。ロシアは17世紀から「南下政策」をとって領土を広げてきました。その動機の最たるものが〈不凍港〉の確保でした。冬も凍らない港をヨーロッパで、アジアで確保するために大軍を動かしてきたのです。中国とロシアの国境線を見つめると、ロシアが苦労して海伝いに南下してきた経緯が良く分かります。それは、アラスカの地図をみても、当時のロシアが南へ南へと移動してきた痕跡が見てとれます。つまり、日本人にとっては豊富な漁場としての領土であるものが、ロシア人にとってはそれ以上の価値をもった領土である訳です。そこに、この問題の大きな行き違いがあります。

沖縄から見て南西にある尖閣列島は、台湾からすれば北東にあります。韓国ではチェジェ(済州)島が「南の楽園」として知られ、観光客や新婚旅行やカジノ目的の人たちが大勢訪れる島ですが、日本の九州の北部にあたります。場所の形容に南・北の方位を示す場合は、国やところにより異なることを知らないと相互理解の妨げとなりますね。

さて、鹿児島から台湾まで約1200キロの洋上に188の有人・無人の島々が連なっています。日本から見るとたしかに南の島嶼群ですが亜熱帯に属します。これらの島々は世界地理の中でも特異な存在です。

この地域を生物学・地理学の研究者たちは「海の上の照葉樹林帯」とも形容しています。ヒマラヤ南麓の照葉樹林帯がインドシナ半島の山間部を経て中国南部へとつながり、そこから海に張りだし、さらに日本列島の西半分まで繋がっている樹林帯の中の小さな島々なのです。それだけではありません。この島々は日本列島が大陸と陸続きである時にいち早く切り離されていたのです。すなわち、大陸との行き来がなくなり、そこにいた固有の動植物が今日まで生き延びたのです。イリオモテヤマネコ、アマミノクロウサギ、ヤンバルクイナ、などがよく知られていますが、昆虫や両性類、ランやエビネなどの植物から苔にいたるまで固有種・希少種がたくさん生息・生育しています。そこには地理的位置と海流との関係で、世界最北のマングローブ林もあります。マレー諸島やミクロネシアから見れば北の島々なのです。小笠原諸島は「自然遺産」に登録されましたが、環境庁は奄美群島と沖縄諸島の自然遺産登録を目指しています。

海の上に続く島々でありながら、その多くが深い森におおわれているという環境の中での長い時間は、そこに独自の生活文化と信仰心とをもたらしました。「ニライカナイ」あるいは「ネリヤカナヤ」という考えでは、森での信仰と海に向かっての信仰とが一体化しています。自然への畏怖が人々を穏やかで助け合いの精神を育んだとも指摘されています。

信仰の儀式を行う場も近年まで残されていました。それらは島での生活の近代化・都市化、交通の発達による人と物との往来の活発化、などにより減少してきました。やがては消滅していくことが懸念されています。それでも、若い人たちが町や村の行事に積極的に参加するようになって、今のところ伝統行事は保たれています。

現代社会は経済社会、金銭がないと生きていけません。効率と利率を競う社会にあってはこれら生産性の低い島々から出て行く人びとが多いことを誰も非難は出来ません。無人化寸前の集落があり、やがては無人の島となる恐れのある島があります。国益の視点、国防の観点、などと大げさなことを言わずとも、そこに暮らす人々が引き続き生活していける環境を守ることこそが肝要なのではないでしょうか。

(歴山)



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