よのなか研究所

多価値共存世界を考える

日本からの留学生は、

2012-04-17 09:11:30 | 比較文化

                   Photo (我が国最古の学校といわれる足利学校跡、栃木県) 

 

 日本からの留学生が減っている、と報じられている。だからどうしろというのだろうか。

 確かに我々の年代に比べると今の若者たちは出世を目指すとか海外に留学するとか、考えるものは減っている。この背景にはいろいろな事情があるのだろう。

 4月10日、東京で「日米文化交流会議」という会議が開かれ、日本からアメリカへの留学が減少していることを危惧して、「国や大学、企業が一体となって留学をしやすくする制度をつくっていくべきだ」、という認識で一致したそうだ。この会議では、日本からアメリカに留学する学生がこの10年間で半分以下に落ち込んでいることに参加者から懸念が示され、日米関係を支える人材を育成するには、若者による交流をさらに進めなければならないといった意見が出された、とのことである。明治の初めの「遣欧使節団」の考えから進歩がないですね。

 何ごとにも「自由競争」を主張するアメリカが、自分の国に日本からの留学生を増やすために、大学が日本政府や企業と一体となって支援する必要がある、とするのは矛盾でないか。自由にまかせた結果が、留学生が減っているのであり、これに人為的に介入してもほとんど成果が上がらない結果となるであろう。

 アメリカの大学で日本からの留学生が一番多かった時代があったが、すでに過去の出来事である。代わって増えているのが中国であり、インドであり、韓国でありUAEなどの湾岸諸国からの留学生だ。

 アメリカの大学事情を少しでも知っている者には、留学と言っても学部と大学院とでは大きく異なることは常識である。米大学の学部がとくに日本の大学と比して優れているということはない。大学院や高等研究所には優れた施設・環境があるのは確かである。

 従来日本人留学生が多かったのは学部学生としてであり、法外に高い授業料を払ってハクを付けて帰国してそれなりの会社に入ったり、起業家となったりしていた。政治家になったものも多い。中には日本で希望の大学に進めずに不本意ながらアメリカに渡ったものもいる。それでも80年代、90年代は「米国留学」という経歴はそれなりに効力があった。しかし、雇用する側つまり会社側では決してよい評価だけではなかった。そして今、親のすねをかじって留学できる学生が大幅に減ってきている。企業側も英語が話せるというだけの留学生には慎重に対処するようになってきているのである。

 これに対して中国、インド、韓国からの留学生は、その多くは大学院に入学するのである。大学院では授業料が減免されたり、研究員として研究費の補助を受け、また給与を受け取るものさえいる。日本からも大学院に留学すればよいのだが、日本国内の大学院も十分に充実しているからその必要性は中・印・韓に比し低くなる。高い専門性を持つ日本人は成果が上がってから外国の研究機関へ進むケースが見られる。日本の大学・大学院にもノーベル賞を含め、国際的な学術賞の受賞者も多いのである。日本は 世界でも最も早く教育制度が確立した国の一つでもある。

 英語が国際的なビジネスの場での共通語として機能していることはみんなが知っているが、英語を習得するためだけに留学するのは時間とおカネの無駄である。単なる会話習得は学問というよりは技術であり、「語学留学」というのは日本独特の表現である。ことばをマスターしたければ月数百円のラジオ講座やテレビ講座でも出来ないことはない。現に筆者のまわりにも、ラジオ講座で学んでTOEICで高得点を取得し仕事に就いている人がいる。居住する外国人が増えており、外国の生活や外国人のモノの考え方を知ることは国内にいても難しいことではない。その気があれば海外に旅行でも十分に海外生活の擬似体験をすることができる。 

 特定の国への留学生を増やそう、ということは、相手国が努力すべきであって、自国の税金を使ってやることではない。国際社会で信頼を得るべく独自の政策を展開していくということであれば、むしろ、まんべんなく、各国に留学生を送り込むべきであり、現在の学生の状況はその方向に向っているのではなかろうか。その学生の数も市場に任せれば、これ以上増えることはないだろう。それでいいのである。今回の「日米文化交流会議」の意図するところは、単に日本人留学生たちからの膨大な収入の減少を危惧してのことだろう。

 留学生の交換を容易にするために、大学の入学時期を四月から九月に移行することが検討されているらしいが、アメリカに中国に次いで留学生を送り込んでいるインドは日本と同じ四月入学である。インドは、欧米諸国の大半がそうである、という理由で自国の大学の入学時期をそれに合わせる、などということはないであろう。留学はそもそも手間のかかるものであり、多少の不利を承知の上で、それを達成した時の優位性をその学生が期待して実行するものである。政府がこれに関与することは税金の無駄使いである。

(歴山)



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